口の一部、専門用語で「下唇髭(かしんしゅ)」と呼ばれるものが天狗の鼻のように長いのが名前の由来。
森林性の蝶で低山地の雑木林にいるというのだが、わが家の前の道路に留まっていた。越冬成虫のようだ。
東日本から北の方では県によってはレッドリストらしいが、西日本では大量発生のニュースもある。わが家周辺では珍しい。タテハチョウ科のため翅を閉じると枯葉そっくりになるという。
春ですね~。
山背(やましろ)だより・・・京阪奈の狭い範囲の役にも立たない些細な日常を綴っています。・・・(お気軽にコメントください)(匿名で記載し本文に名前を入れる方法も簡単です)。 スマホの場合は、最終ページの「ウェブバージョンを表示」をタッチして、ウェブバージョンの右にあるアーカイブで年月をタッチしていただくと以前の記事を読んでいただくことができます。ウェブバージョンの最終ページの「前の投稿」で遡ることも可能です。
早い話が維新吉村府政のパフォーマンス、それをヨイショする在阪テレビ局の報道である。普通の市民の感覚でいえば、このニュースは「ヤラセ」ではないだろうか。
ちなみに直近の新規感染者数を見る。政府統計の令和元年の都道府県別推定人口を見ると、東京都が13,921,000人、大阪府が8,809,000人で、3月28日の人口10万人当たりの新規感染者数は東京都2.32人に対して大阪府が3.55人、29日は18時45分現在の数字で東京都1.68人に対して大阪府2.41人となっている。私が首都圏の知事なら「大阪から乗車する乗客を検温してくれ」と言うだろう。
私などは京都府の最南端に居住しているが、生活圏としては京都の統計よりも奈良の件数の方が気になっている。その正直な感覚を言えば、奈良生活圏のコロナの火元は大阪であることは間違いない。先日娘がPCR検査を指示されたが、その重要なファクターが「非常勤ながら大阪に通勤している」ということだった。
テレビ映りだけで、その露出度だけで「東京に比べて大阪はよくやっている」と宣うたコメンテーターはみんな出てきて現状を解説せよ。感染者数は実数だけでなく人口比率も報じよ。マスのメディアだけに浸かっていると笛吹男に連れていかれないか。兵庫の知事選挙に大阪府の課長を維新が推すという。兵庫の皆さんは冷静にテレビを観て欲しい。
昨日の記事で娘が新型コロナの疑いから無事帰ったことを書いた。写真もわが家の玄関の『無事蛙』を掲載した。
元々は「一歩家を出て一時期には交通戦争とも呼ばれた世間で働いて何事もなく無事に帰ってきて」というものと勝手に理解しているが、「旅行の安全」「入院や手術のそれ」さらには「お金が返る」「福が返る」等々とバリエーションは膨らみイメージは堂々と定着さえしている。
「がま口」のイワレもそうだと述べているのもあるが、私はそれは後付けのような気がする。無事蛙の焼き物は信楽には狸と並んで多数鎮座している。
ところで男物の傘は似たり寄ったりで、よく他所の人に間違えられたりする。ビニール製となるとなおさらだ。
昨日の記事のようなちょっとした騒動もあり、そこで昨日、傘の柄に『無事カエル』を取り付けた。
わが家玄関の無事蛙 |
そしてついに、かかりつけ医からコロナの疑いで発熱外来行を指示され、2日ほど待たされたうえで指定された病院の発熱外来でPCR検査を受けた。
凜ちゃんの父親も早退してきたが、仕事を持って帰ってきた。そうしておいて濃厚接触者になった場合は2週間の出勤停止だとしょげていた。まあそれはよい。
PCR検査の結果(陽性)によっては、心臓に重い疾患のある凜ちゃん、父親、そして相当な頻度でサポートしているわが夫婦は全員濃厚接触者になるので、今後のいろいろなシュミレーションを行ったが、我がファミリーのケースでは、相当悲惨な絵しか描けなかった。この間の全国のケースの中にはよく似たケースもあると思うが、そういう情報はほとんどというか皆目ない。不安は残るが、シュミレーションは「その時はその時で絵を描こう」とした。
そのPCR検査の日は、元々春休みのために孫の夏ちゃんを凜ちゃんと同時にイクジイをする予定であったが、急遽、夏ちゃんファミリーにも中止を連絡して、そのため夏ちゃんの母親にもシフト替えをお願いするなどてんやわんやの数日であった。
検査結果宣告の日は、午前中には届くということだったのに、時だけが空しく過ぎ、嫌なシュミレーションが頭をよぎったが、12時5分前に陰性だったという知らせが入った。その日、遊歩道でタンポポをたくさん採っている方がいたので「カンサイタンポポをお探しですか」と声を掛けると、「新聞に載っていたので」「この『ひげ』が外来種の特徴でしょうか」とおっしゃるので、「新聞には『ひげ』と書いてあったが(その方が指した箇所の)それではなく、花の下を包んでいるこの部分ですよ」とおしゃべりをした。
植物生理学の田中修氏の著書によると、在来種は春だけに咲いて、自家受粉しないので周りに仲間が必要で、飛ばされた種は秋まで発芽しないのに比べ、セイヨウタンポポは、1年中咲き、自家受粉し、種の数も格段に多く、一年中発芽するらしい。そこで、土地が開発されて目まぐるしく変わる都会では在来種(ニホンタンポポ)はセイヨウタンポポに席巻されたようになるらしい。となると、「VSセイヨウタンポポに敗れた」というのでなく、人間の開発がニホンタンポポ減少の真犯人ということになる。
事実、わが遊歩道の中の小さな緑地帯は、大規模なニュータウン開発の典型のような場所であるが、開発後約30年が経過した結果、私の見る限りニホンタンポポがその地を盛り返して圧倒している。そういう意味で『天声人語』の指摘と符丁が合っている。この地には白いニホンタンポポもいる。テレビのやたらに発する「ニッポンエライ」は嫌いだが、ここを通るたびにニホンタンポポがんばれと心の中で思っている。私は愛国者である。
愛国者ということでいうと、櫻井よしこ氏ら右翼の代表が国技館で熱烈なトランプファンを演じたことが印象的だったが、そのトランプはアジア人ヘイトを煽り、日本人を含むアジア人がアメリカで危険な目に合っている。そんなのは、彼らの言葉では「反日」ではないのですかね。(写真は『戦後体制の超克』という右翼のブログに誇らしく掲示されていたもの)ちらほら咲き始めたわが家のハナモモも「立派なサクラですね」とおっしゃる方がいる。この時期の美しい花はみんなサクラになるし、この季節にはお花見に行かなければと思いこまれる人がいる。
美しい花はサクラだけでもないし、落葉樹の芽吹きの美しさも花々と肩を並べる。ということで緊急事態宣言は解除されたが、わが家ではコロナ対策上模範的なお花見をした。お花見を兼ねた昼ご飯です。
数十分前の買い物途中で「今日のお昼はお花見にしようか」と言ってジンギスカンを買ってきた即席お花見で、とりあえずは満足満足だが。大勢で高歌放吟はもう夢の時代に入ったのだろうか。
記憶にない。記録はない。そして言葉をすり替える。・・議会制民主主義が砂で作ったお城のようにサラサラと崩れ落ちていく場面を何度見れば済むのだろうか。そんな閉塞感に包まれていると世界中が灰色に感じられるが、それは私が世界を知らないだけのことであったようだ。
(知らない間に)トランプ後のアメリカでは、民主社会主義者を自認するあのバーニー・サンダース議員が米上院予算委員長となっていた。そして、コロナ禍の国民への個人給付1400ドルなどの弱者救済の予算が可決され、労働組合結成を忌避するアマゾン(従業員130万人)への公聴会が開かれた。
この件に関しては、バイデン大統領もツイッターで、労組の結成と団体交渉の権利はすべての米国民に保障されていると強調、我々の政権は労働組合結成を奨励する立場だと投稿した。
バイデン政権の全面的評価にはデータも時間も少ないので保留するが、この同時代のアメリカの議会制民主主義が妙に眩しい。その国では、ギャラップの調査でも、18歳から34歳の若者の過半数が「社会主義を好ましい」と答えている。
安倍・菅政権に辟易している身からすると、トランプ熱狂信者のアメリカは嫌だが、アメリカには多数の若いエネルギッシュな可能性が感じられる。翻って日本を見るとどうだろう。こういうことをあまり報じない日本のマスコミが日本の若者の可能性を摘んでいるのではないだろうか。
日本でも喫緊の課題は政権交代だろうと思われる。市民と野党は共闘しよう。対米従属ではなくアメリカのよいところには大いに学ぼう。若者が熱く政治や人生を語る国へと再生しよう。
だいたい砂嵐が発生するような大陸北部に狸は似合わないし、狐や狸が人を化かしたり人を困らせる俗信は大陸にもあるのだろうかと辞典類をめくってみても見当たらない。
霾という文字は主に俳句の季語として知られているが、比較的新しい季語で、大正時代に満州に渡った俳人たちがよく使用したということが解ったがこれは納得だ。
さらにその元は杜甫らの漢詩にあった。また考えている途中で、そも狸という漢字は元は中型の哺乳類全般を指していたようだから、狐から連想する狸・・に化かされたような不思議な気候現象という推論は面白くはあるが成り立たないことが解った。
道上さんの話がどうだったのかは、直ぐにクルマを降りたのでその後は知らない。
調べているうちに気がついた次の疑問は、雨冠に狸だと普通には音は「り」だと思うが、霾の音は「ばい」「まい」ということだった。雨冠に「埋」なら「ばい」「まい」になり、「空から降り注ぐ砂粒で村が埋まってしまいそう」と解説されるなら納得できそうだが、同音の漢字を借りたにしては元の「雨冠に埋」という漢字は見つからない。
結局、霾が黄沙を表している理由、その音が「ばい」「まい」である理由はわからずに狸に騙されたような気分のままでいる。ご存知の方は解説をお願いします。
私は知らなかったが、澤屋は創業以来330年以上の老舗らしく、昭和44年京都府開庁100年記念の際に「百年を超えて伝統を守っている」と蜷川虎三知事から表彰された表彰状が飾ってあった。
そしていかにも老舗らしく、注文を聞いてから作るのには驚いた。撮影してもよいというので撮らせてもらった。いわゆる甘味処として北野天満宮参拝後などに一休みできるお店だが、私たちはお店では食べず、孫たちのファミリー用も足して3箱をテイクアウトで持ち帰った。3月15日に二月堂の修二会が満行となった。「お水取りが終わると奈良に春が来る」と言い慣わされている。
修二会をライブで見ていたが、大咒願(祈願文)の最後に、風雨順時 五穀成就 万民快楽・・・ 季節が季節どおりに巡って来て、五穀が豊かに実り、国民が幸福になるように・・と読み上げられていた。
そも修二会の正式名称は『十一面悔過(けか)』といい、戦争や自然破壊など「過ぎる」ということを悔いなければ・・と籠りの僧が語られていたことは以前に書いた。今年でいえば、SDGSだろうし、平和と公平だろうか。
その風雨順時だが、わが菜園も菜の花が満開になった。花や蕾をお浸しやサラダにしても次々に湧いてくるようだ。確か種袋には「早咲き」とあったような気がする。
菜の花だけでなく種々の花々が咲いて周囲は蜜の匂いが充満している。嗅覚は他の感覚以上に記憶の底をくすぐり、頭の中で 〽菜の花畑に入日薄れ と朧月夜の歌詞が回る。その歌詞、〽春風そよふく はわかるが、2番の 〽蛙の鳴く音も となると初夏の感じがして、1番と2番、春か夏か、どっちやねん!というツッコミも入れてしまう。
それは俳句の季語のことを考えるからそうなるのであって、季節は一夜にして入れ替わることもあれば、なだらかな連続のときもある。菜の花を見て思い出し、蛙の声を聴いて思い出せばいい。そういう季節になってきた。
17日に冬鳥のジョウビタキが庭に来ている頭の上を夏鳥のツバメが鳴きながら飛んで行った。ネットの『はじめてツバメを見た日の報告』を送信した。風雨順時、風雨順時。
私はこの判決に二重三重に感心した。非常にまじめに真正面から「違憲なのに賠償しないという矛盾」を指摘されている正論をけなす気などは毛頭ないが・・。
その一は、昭和21年22年の憲法制定時に同性婚が想定されていなかったであろうことはそうであろうし、その二には、ここがポイントだが、この判決は形式的には原告の請求棄却のため、国が控訴することができず、とりあえずはこの判決は確定し判例になるということである。
つまり、被告の国は勝訴したのだが負けたのである。
近頃は政権が、「会食はしたが接待ではなかった」というような白々しい嘘を重ねてきたが、この判決をその言い方でいえば、原告敗訴を伝えながら政権に『違憲』との烙印を押したのである。
私はこれまでも、「メッセージの伝え方」ということで、正しいことを正しいというだけでは世の中は変わらないと言ってきたが、この判決は戦略も戦術も立派だと兜を脱ぎたい。裁判長はお見事だと思う。
こういう亜流の手は多用すべきではないが、こういう知恵も場合によっては必要ではないか。皆さん如何。
私は、ざっくりとしたイメージで中央アジアのそのあたりはインドのナンのようなパンを食べていたのだろうと何となく思っていたので、粥という指摘が新鮮なうえ、日本の文化といっぺんに近づいたようでその指摘が記憶に残った。
そのオンデマンド配信講座受講の数日後に私はテレビで東大寺二月堂お水取りのライブを見た。NHKは政治経済では政権に忖度してその報道内容が歪んでいることが多いが、こういう文化的な放送のレベルはすばらしいものがある。撮影スタッフは1か月も前からコロナ対策の隔離生活で撮影に臨んだという。さらに、この行(ぎょう)の大半は漢文のお経などであるので、それが文字のテロップになったり、さらにいわば現代語訳がテロップになって、すばらしい記録になったと私は思っている。
そのライブ(つまり1日の行)のほゞ終わり近くで、突然『粥食呪願』というのが出てきて、偈頌(げじゅ)とでもいうか、要するに粥食を讃える詩が朗読されたので、私は面食らって驚いた。儀式の継承という意味では日本仏教の原点中の原点ともいえる修二会の中に粥食賛歌があったのだ。
昨日の修二会の記事では、桁違いの炎の秘儀の向こうに私はユーラシアの拝火教(ゾロアスター教)を見たと書いたが、ソグドの王宮の食糧倉庫発掘の成果から、王様の食卓の主食は粟粥だったという発掘隊隊長の講義と粥食呪願がオーバーラップして、さらに私は修二会の国際性を噛み締めた。
余談ながら、大和や河内の伝統食に茶粥がありそれは今も残っている。茶粥がストレートにサマルカンドまで遡るとは思わないが、こんな話も聞いたということを思い出しながら食べていただければ幸いだ。
初期のインドでは仏像は無かったといわれており、東西文明の結節点ガンダーラ地方で仏像は生まれたといわれている。つまりサマルカンドなどの中央アジアの都市は仏教をはじめとする文化の単なる通過点というよりも、新しい文化を生んだり成長させた文化の故郷、揺籃の地でもある。
そこでアラブのイスラム勢力に焼け出される以前のサマルカンドを見ると、古代イランの国教であったゾロアスター教が浸透していたうえに、西方からのギリシャの神秘主義、キリスト教、ゾロアスター教などが混淆したマニ教が多いに広まっていた。そういう文化に育てられて仏教は東に進んだと見なければならない。
写真のカンテキで真っ赤に燃やした鉄粉を撒く |
NHKのゲストの夢枕獏氏は「縄文の記憶を見た」とコメントされた。縄文の火焔型土器を作った精神文化を思われたのだろう。そして私は即、西域のゾロアスター教(拝火教)の残り火をそこに見た。初期の仏教はバラモン教的なものを脱して仏像さえも持たない哲学的なものであったらしい。それが世界宗教に拡がったには、高尚な理念を抑え、ある種の俗化も必要だったのではないかと私は考えている。日本において神仏習合を進めたように。そういう風に中央アジアでもってゾロアスター教の拝火の儀式を取り入れるような形で東進したのが、達陀の行法に残っているのではないか。また別のルートでは、真言密教の護摩祈祷に残っているのではないだろうか。ゲストの東大寺森本公誠長老も少し触れておられた。
大仏開眼供養の導師がインド僧の菩提僊那であったことからも、日本仏教の源流を狭い中華文明に求めるべきではないように思った修二会の達陀の行法だった。古都奈良というと古臭いイメージがあるかもしれないが、京都の祇園祭にペルシャ絨毯があるように、ある意味それ以上に古刹などは国際的な香りがするので、「鹿以外に何もない」などと言わずゆっくり古都を散策してみては如何だろう。
帝塚山大学の『研究成果報告会』である『シルクロード・王様の食卓』をオンデマンドで受講した。
これまでだと同大学東生駒キャンパスまで行かなければならなかった(当たり前だ)が、今回はコロナ騒動でオンデマンド配信になった。個人的には楽であったが、雰囲気はやはり物足りない。
テーマはウズベキスタンのサマルカンドの東南約30㎞のカフィル・カラ城跡の発掘調査の研究成果である。そこはイラン系民族のソグド王タルフンの離宮で、710年にアラブ勢力に攻められ焼け落ちた跡と考えられる。
ちなみにその当時の日本はというと、661年に斉明が新羅征討に発進。同年に斉明没。663年に天智(称制)白村江大敗。667年近江大津宮に遷都。672年壬申の乱。686年天武没。694年持統藤原京遷都。710年元明平城京遷都。なのでほゞ藤原京の時代となる。
サマルカンドは文字どおりシルクロードの要衝の大都市であった。大雑把にいえば、東に行くと中華、西に行くとギリシャ・ローマ、あるいはメソポタミア・エジプト、南に行くとインダス・さらにはガンジス等々の文明の大交流点だった。なので、同地では以前にゾロアスター教の板絵が発見されていたし、仏教は南からここを通って東は飛鳥、藤原、奈良の都まで到達した。さらに710年にカフィル・カラが落城した後はイスラムの地となった。余談だが先日記事を書いてきたアフガニスタン、パキスタンはすぐ南になる。
想像図がネットにあった |
甕の状況や炭素等の付着状態から、ワイン、オリーブオイル、蜂蜜、麦、アワ、豆、ニンニク、胡桃などと推定される品々があった。既発掘のゾロアスター教の宴会の板絵などからして、豪華な王様の祝宴が想像される。楽器の琵琶や竪琴は正倉院御物とそっくりだし金冠は藤ノ木古墳出土のものと似ている。
毎年秋の正倉院展では我われは唐の長安のそれを想像するが、それは遥かユーラシアの文化であるものも多い。漢字文化、中華文化の影響は大きいが、眼は大きくユーラシアに見開かなければならない。
講師の宇野隆夫客員教授(日本隊隊長)の、「北野天満宮前の澤屋の粟餅を是非食べて、ソグドの王様の食卓を想像されたい」とのお話が一番印象に残った、と言ったら受講態度としては叱られるかもしれない。
(1) 東大寺二月堂の修二会(お松明・お水取り)が今年は拝観中止になったが、その代わり、13日、NHKのBSプレミアムでお松明及び堂内の様子が放映される。
第一部 午後6時30分~午後7時30分「お松明」 第二部 午後10時30分~午前1時15分「走り」から「達陀」「晨朝」まで
(2) 修二会の堂内を飾る椿の造花を「良弁椿」「糊こぼし」というのは2月10日の記事に書いたが、先日、開山堂のホンモノの糊こぼしの椿を塀越しに見ることができた。文字どおり「糊こぼし」だと感心した。
2階の窓から窓ガラス越しに撮った写真だが、わが庭をテリトリーにしているヒヨドリはなかなかの通(つう)で、菊菜を夢中で食している。
今夜は鍋料理と決めている昼にこういう窃盗行為を見つけると腹も立つが、それよりも「今日は食べ頃らしい」」と大人らしく振舞うこととする。見かけ上、私は大人である。ヒヨドリに食われたぐらいで狼狽えたりはしない。
それにしても、周辺には、ルッコラは別にして、水菜、白菜、菜の花、レタスなど癖のない野菜がいっぱいあるのに、選りにもよって少々個性的な菊菜を啄ばむのはどうしてだろう。きっと、このある種の「苦味」は解毒作用があるに違いない。(知らんけど)
その夜、ヒヨドリの食べ残しを躊躇なく鍋に投入した。冬野菜もゴールが近づいている。
上記の問題に解答もないまま、再稼働だとか果ては増設だとかの意見も出ている。この国の”脳みそ”はホントウに大丈夫だろうか。
さて先日、ナショナリズムに関わってドイツにおける「当時ナチズムを知らなかった者の責任」について若干記述したが、原発の嘘を知らなかった者、原発は安全だと騙されていた者の責任を皆で考える必要がありはしないだろうか。かくいう私も、原爆は絶対に許せないが原発は核エネルギーの平和利用だと考えてきていた。日本人の知恵と科学技術力なら制御できる、フクシマ第1原発事故のようなことは起こらないと漠然とではあるが信じていた。普通の世間の言葉でいえば、私は知らなかった者、騙されていた者であった。
一方、原発が電力を”多いに”消費する大都会近くではなく、土地の広さや土地代でいえば幾らでも大都会周辺に土地があるにもかかわらず、地方(あえて判りやすくいえば田舎)に建設されたにはそれ相応の危険性があることは感じていた。それぐらいのことを感じないようでは選挙権を持つ「国民」に値しないだろう。
またフクシマの事故以前にも原発での事故は度々あったが、それらの被害者が電力会社の正社員ではなく下請け孫請けの労働者であることも新聞テレビで見聞していた。正社員は危険な作業には従事しないのだ。記憶に止めたかどうかは別にしてそんな事実は一切知らないという「国民」はいないはずだ。
少し話は変わるが、私は自治会の役員の経験もあるので、いわゆる嫌悪施設(公共性は認められるが自分の街、自分の家の隣には建てて欲しくないと一般に思われている施設)などの建設に当たっては、屡々「札束で頬を張る」ような現実も知っていて、原発の建設と運転に関わってその種の噂のあることも知っていた。後に関電が高浜町に投じた額、北陸電力が志賀原発に投じたいわゆる原発マネーが私の想像を何桁も超えて驚いたが、その種のニュースは全国の電力会社で報じられていた。
それでも「知らなかった」のだろうか私は。「騙されていた」のだろうか私は。
日本の原発の出発点は明らかに「核兵器の技術」を頭の一部に置いたものだったと私は考えている。実際当初の軽水型炉はアメリカ製で、もっと正確に言えばアメリカが日本に開発中の原子炉を買わせて、その上で安全かどうかなどを日本で実験していたわけである。
高度に安全なはずの原子炉が実に無茶苦茶な欠陥商品であったことは2020年2月3日に「原発運転差し止め判決が出た理由」としてこのブログに書いた。文末にアドレスを貼っておくのでこの際、是非とも再読してほしい。
人間は、過去を取り替えることはできないが、過去に学び未来をコントロールすることはできる。否、そうしなければならない。その時、過去に目を閉ざして、あえて踏み込んで言えば「良心にとってしんどくなるようなテーマは見て見ないふり」をして、私は知らなかった騙されていたと言うことでよいのだろうか。
私は原発を推進した政治家や電力業界の主たる責任をあいまいにするものでは決してないが、本日の記事は自分自身と、そして自分とよく似た「国民」一般に問うことをメーンにする。この社会に正しいモラルが必要だと考える方、あるいは心ある宗教家の方々にはそういう「騙された責任」についても言及して見解を表明してほしい・・・と、フク1、10年に当たって考えている。
◆ 2020.2.3 ほんとうは日本列島が壊滅しそうな状況であったフクシマ第1原発が奇跡の欠陥商品であったことについてのブログは次のアドレスから移動できる。
https://yamashirokihachi.blogspot.com/2020/02/blog-post_3.html
写真の供養石塔は今春の1.17にも書いたが大阪・四天王寺境内のものである。諸国地震及洪浪 南無阿彌陀佛 水陸横死大菩提 に続いて、去年霜月四日五日の地震を 遁(のがれ)ん為に小船に乗居し 輩(やから)俄(にわか)の洪浪湧か如く木津川口邊の大小 数(あまた)船一時に川上に押寄橋を落し船を摧(くだ)き漂没死人 夥(おびただ)し尤(もっとも)前日より海鳴潮の干満乱しを志(し)ら寿(ず)して死に至る者 寔(まこと)憐むへし 后(こう)世(せい)海鳴潮の干満(かんまん)みだれし時は早く津波の兆(きざし) しと知りて難をのかれ玉ふへしと云(いう)爾 安政二 乙(きのと)卯秋建之 というものである。
実際には他の墓石に埋まって一部しか読めないが、NHKと大阪市教育委員会が調査して判読した。
さて、この安政の津波(1854)は標高2.9mまで遡ったといわれているが、それより約150年前の宝永の津波(1707)は標高3.6mまで遡った。さらに古文書によると正平16年(1361)の津波は6mに近かったとされている。早い話が上町台地より西の現在の大阪市内の市中は津波にさらわれたわけである。天王寺西門近くの安居神社まで津波が来たと法隆寺の僧侶が記録している。
このようなことを考えると、コロナ禍でもオリパラを進めようとする自公政府も、埋立地でカジノだ万博だという維新の府市政も、カネや権力に目がくらんだ為政者というほかない。
1.17でも書いたことだが、安政の津波の石碑は大正橋東詰北側にもあり、ここの碑文の最後には「願くは、心あらん人、年々文字よみ安きよう墨を入れ給ふべし」とある。心ある人はそれぞれの言葉と方法で、年々語り続けてほしい。
2 フク1では汚染水が限界を迎えつつあることが報道されており、ご存知のとおり自公政権は海上投棄を狙っているが、若狭湾一帯の使用済核燃料も限界に近づいている。搬出先はいまだ未定である。「トイレのないマンション」問題は近畿の課題である。
3 例えば通常の火力発電所で事故が起きれば操業を停止すれば基本的には問題ないが、原発は運転停止後もウラン燃料を冷やし続けなければならないというところに決定的な質的相違がある。その上に、わが家の家電製品などを眺めてみても40年以上経って「心配無用」という家電などないではないか。圧力容器だけが頑丈であっても(実は中性子を浴びて脆性劣化しているのだが)周辺の配管、電気系統の1箇所でもダメージを受けるとフク1が再演される。
4 次に問題になるのが地震の想定だが、裁判で争われた大飯原発で関電が算出した評価は過去の地震の平均値を用いた数字だった。わかりやすくいうと、幼稚園のブランコは一番体重が重い児でも耐えられるように作らなければならないところ、園児の平均体重で作ってあるから十分だという理屈だ。それに「過去の地震」といっても解っていることは一部でしかない。地震の周期は「過去のデータ」をはるかに超えている。
5 昨年12月、大阪地裁は大飯原発3.4号機設置許可を取り消す判決を下したが、非常に真っ当な判断だ。あれから10年、原発ゼロの救国内閣が喫緊の課題である。それに反して電力業界の手先になるようなら連合とは手を切ることが立憲民主党には求められている。3.11の10年でみんなで原発ゼロの決意を新たにしたい。みんなでSNSなどで意見を言おう。
先日からアフガンなどユーラシアの民族や国の歴史などに触れて、日本列島が世界の辺境、歴史のある種の例外ではないかという感覚を抱いたことを吐露したが、今ではEUにまで発展したヨーロッパのドイツと日本では、同じ第二次世界大戦の敗戦国にしても歴史の総括がこんなにも違うものかということを痛感した。
ヒットラーのナチズムを完全に乗り越えようとしてきたドイツと、神であった昭和天皇を存置したまま、A級戦犯の祭られている靖国に首相らが参拝などをする日本。
そのドイツでも移民などを排斥する主張が一定支持され脅威となっている。日本の場合は、何もかもがホンネとタテマエで、例えば移民問題は「技能実習生」などと呼ばれて隠蔽されている。また、北朝鮮や中国政府の誤った政治と相まって、あるいはもっと別の歴史修正主義と合わさってヘイトが勢いづいている。
この本でも触れられているが、ナチスに組しなかったドイツ人の中にも「私は知らなかった」という主張があったようだ。日本の場合は、圧倒的な日本人が同様の主張をして戦後の総括が終わったように思われる。そのツケが必ず廻ってくることだろう。
とりとめなく感想を述べたが、ドイツの経験に学ぶべきことは多い。平和憲法を護ろうとする人には、一読をお勧めする。読書感想文のようなものは追々書けたら書いていきたい。
共産党は柚木弘子議員が引退して竹川増晴(ますお)氏がバトンを受けて立つという。外に佐々木まさひこ、つぼい久行、松田たかえの各議員が立つ。竹川ますお氏はというと、「やさしくて誠実、お人好しで気が弱い」というサザエさんのマスオさんによく似ている。
さて、定数18に対して4人だから22%強の議会占有率というと勇ましいが、前回の得票数で見ると11位、13位、16位、17位だから低空飛行ともいえる。近頃の全国の地方選挙でも共産党の現職で落選も発生している。あまり楽観できるような状況ではない。
私などは菅政権の今春中の解散総選挙もあるかもしれないと感じている。そして、こんなモラル崩壊の政治を絶対に変えたいと思っているからW選挙も厭わないが、自治体選挙は自治体選挙の、言葉は悪いがドブ板的な要求との結びつきもあろう。一般に共産党の議員らのスマートさが弱点にならなければいいが。
コロナワクチンの早期接種、広範なPCR検査の実施、胃カメラを含む人間ドックを低額で受けられる健康対策など、切実な住民要求を声を大にして取り上げてほしい。ガンバレ、マスオさん。
コロナのせいか、それとも過疎化ゆえか、その昔来たときよりも寂しい感じがした。個人の感想ながらそう思った。
桜のお花見でもお正月の初詣でも、やたらに混んでいるところは敬遠したいが、といって、あまりにひっそりしているのは淋しいもので、ほどほどに賑やかであってほしい。
しかし考えれば、公共交通には乗らず、密集はなく、茶店も利用せず、コロナ下での優等生のような外出だった。午前中はけっこうハードなポスティングで、午後は月ヶ瀬の坂道を上ったり下りたりしたので、久しぶりに肉体的に疲れたが、気持ちの良い疲労感というヤツである。
孫の夏ちゃんが梅干しが大好きなので、梅をシソの葉でくるんで砂糖漬けにした甘露梅とか月ヶ瀬漬けと呼ばれている土産を買って帰った。実はこれ、私も大好きである。
調子に乗って丸々一日アウトドアの日になって、テキメンに目が痒くなった。ただ、本来一緒にダメージを受ける鼻の方はマスクのおかげでなんともない(花粉症の抗アレルギー薬はだいぶ以前から服用しているが)。布マスクだがエライ!
3月3日付けの中日新聞(Web)は、『愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動を巡る不正署名問題で、リコール活動団体の事務局幹部だった山田豪・同県常滑市議(52)が二日、本紙の報道を受けて報道陣の取材に応じ、県警の任意の事情聴取を二月二十七日に受けたと明らかにした。多数のアルバイトを動員した署名偽造の関与については「捜査に協力しているので、何も答えられない」と話した。山田市議は、リコール活動で田中孝博事務局長らとともに中心的な役割を担い、活動方針の決定に携わったり、街頭演説で署名を呼び掛けたりした。報道陣から「関与を否定しないのか」などと問われたが「答えられない。(アルバイトの現場だった)佐賀市へ行ったかどうかも答えられない」と繰り返した。...』と報じた。
山田豪常滑市議は、愛知維新の会公式サイトでは県組織の幹事長代理だから、リコール運動の田中事務局長よりも維新の会の中では上級の幹部ということになる。写真は山田氏のフェイスブックのプロフィールの写真である。
ただし、朝日新聞、名古屋テレビから読売新聞までが2月下旬に広告会社の言として、「約1500万円ほど費やした。なので約1000万円の赤字」という報道の信憑性はどうだろうか。別の注文書=発注はないのだろうか。疑問は多い。
27日にも書いたが、Wikipediaでもこのリコール運動を「名古屋市長の河村たかしや大阪市長の松井一郎、大阪府知事の吉村洋文などの政治家、美容整形外科・高須クリニック医院長の高須克弥、作家の百田尚樹などの右派系論客が大村秀章知事に批判を加えたことを端緒とする」と述べている。そして会の事務局長も今般の注文書の発注者も、当然4,746,500円の現金の支払い者も維新の会の幹部である。
大阪では岡沢龍一大阪府議(維新)が2月15日に傷害容疑で書類送検されたが、維新の会の議員等の悪質なニュースにはいとまがない。「改革者」の偽イメージに惑わされてはならない。
ネットに下記の『不祥事のデパート「維新」やらかしリスト』というのがあった。
http://naomikubota.tokyo/blog/ishin
そんなもの買わなければいいではないかというところだが、ようやく寒波の心配も無くなり、春らしい花を見たいとウズウズしたのでホームセンターまで出かけた結果出会ったわけである。あと2週間もすると自生の春の花が順に咲くが、それが待てなかった。
値段も安かったのできっと西洋桜草だろう。日本桜草だとこんな植木鉢はアンマッチになる。桜草については私はこの程度の門外漢だから嗤われているかもしれない。
日本桜草の愛好者は盆栽のように大勢いて、それぞれ品種改良に汗していることは知っている。遠い知り合いにそういう会のリーダーの方もいた。しかしどういうわけかこれまでは育てたことはない。なんとなく自然の山野というわが庭のコンセプトには合わず美しすぎると感じていたから。
日本桜草は江戸時代からブームの園芸らしかったが、どういうわけか有名な俳句はない。その理由、誰か教えてくれませんか。
この写真の角度では判り辛いが口の周りが赤く、異名の「血吸いバッタ」も輪をかけて怖ろしい。
ただ、数少ない「成虫で越冬するバッタ・キリギリス類」で、寒い日に庭の草むらで見つけたが、孫の凜ちゃんは興味を示さず、祖父ちゃんだけが珍しい写真が撮れたと騒いだ。草むらの中とはいえ、植物でさえ萎れてしまうような寒波でも生き延びるのだから、ただただ感心するばかりだ。
虫の声というと秋というのが常識だが、越冬した成虫は春から鳴く。その声がうるさいという主張がネット上にあるが、You Tube で聴いてみると、あまりうるさくは感じない。耳が老化するとモスキート音が聞こえなくなるというから、きっと老化のせいだろう。
無線長だった久保山愛吉氏は約半年後の9月23日に「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言して死亡した。
被曝した日本漁船は数百隻、被曝者は2万人を越えるとみられているが、多くは強大な戦後史の闇に閉じ込められた。ビキニ環礁周辺の人々も同じである。
第五福竜丸はSOSを発することなく静岡県の焼津港に帰港したのだが、その理由も、帰港前にSOSで被曝を発表すると米軍に撃沈されると判断したためであった。
予想どおりというか、久保山氏の死を日本人医師団は「放射能症」と発表したが、アメリカ政府は現在まで「放射線が直接の原因ではない」との見解を取り続けており、この件に対する明確な謝罪も行っていない。
小学校では「マグロを食べたらあかん」「雨に直接濡れたらあかん」と教えられたが、街の大人たちの中には「それぐらいで弱ったらあかん」という精神主義がまだ残っていたので、児童たちは粋がって、知って雨に濡れたりした思い出がある。そもそもSNSどころかテレビもない時代で、報道は非常に抑圧されていた。
それから67年が経過し、国際的には核兵器禁止条約が成立したが、久保山氏の願いに逆らうように菅自公政権は条約の批准に後ろを向いたままである。報道の抑圧も再び同時代に戻ったようなありさまという一面もある。若い日、焼津の久保山氏の墓前祭に参加したが、当時はこれほどまでに世の中が停滞するとは思わなかった。故に、野党共闘による政権交代は喫緊の課題であろう。
「日本政府は核兵器禁止条約を批准せよ!」。今日ぐらいは?SNSや何らの方法で一人一人が声をあげようではないか。そして若い世代にこの事実を継承しようではないか。今日は3.1ビキニデーである。
記憶を覚ませ今日は3,1ビキニデー