2021年3月31日水曜日

天狗蝶

   3月23日に撮影したが、私が持っている子供向けの昆虫図鑑では名前が判らなかったのでそのままにしていた。答えをいうと天狗蝶。

 口の一部、専門用語で「下唇髭(かしんしゅ)」と呼ばれるものが天狗の鼻のように長いのが名前の由来。

 森林性の蝶で低山地の雑木林にいるというのだが、わが家の前の道路に留まっていた。越冬成虫のようだ。

   東日本から北の方では県によってはレッドリストらしいが、西日本では大量発生のニュースもある。わが家周辺では珍しい。タテハチョウ科のため翅を閉じると枯葉そっくりになるという。

 春ですね~。

2021年3月30日火曜日

出大阪人を検温せよ

   過日、3月22日から大阪府が新大阪駅で東京方面からの乗客を念頭に検温を始めたと在阪テレビ局が大々的に報じた。その後注目していたが、ただの一人として体温37度5分以上をもって大阪入りを阻止したという報道はない。医療機関に連れて行った話もない。

 早い話が維新吉村府政のパフォーマンス、それをヨイショする在阪テレビ局の報道である。普通の市民の感覚でいえば、このニュースは「ヤラセ」ではないだろうか。

 ちなみに直近の新規感染者数を見る。政府統計の令和元年の都道府県別推定人口を見ると、東京都が13,921,000人、大阪府が8,809,000人で、3月28日の人口10万人当たりの新規感染者数は東京都2.32人に対して大阪府が3.55人、29日は18時45分現在の数字で東京都1.68人に対して大阪府2.41人となっている。私が首都圏の知事なら「大阪から乗車する乗客を検温してくれ」と言うだろう。

 私などは京都府の最南端に居住しているが、生活圏としては京都の統計よりも奈良の件数の方が気になっている。その正直な感覚を言えば、奈良生活圏のコロナの火元は大阪であることは間違いない。先日娘がPCR検査を指示されたが、その重要なファクターが「非常勤ながら大阪に通勤している」ということだった。

 テレビ映りだけで、その露出度だけで「東京に比べて大阪はよくやっている」と宣うたコメンテーターはみんな出てきて現状を解説せよ。感染者数は実数だけでなく人口比率も報じよ。マスのメディアだけに浸かっていると笛吹男に連れていかれないか。兵庫の知事選挙に大阪府の課長を維新が推すという。兵庫の皆さんは冷静にテレビを観て欲しい。

2021年3月29日月曜日

無事蛙

   昨日の記事で娘が新型コロナの疑いから無事帰ったことを書いた。写真もわが家の玄関の『無事蛙』を掲載した。
   さて『無事カエル』は、よく言えば掛詞(かけことば)、悪く言えば地口(じぐち)、駄ジャレ、語呂合わせ。音と訓を持ち同音異義語が多い日本語の典型のような気がする。

元々は「一歩家を出て一時期には交通戦争とも呼ばれた世間で働いて何事もなく無事に帰ってきて」というものと勝手に理解しているが、「旅行の安全」「入院や手術のそれ」さらには「お金が返る」「福が返る」等々とバリエーションは膨らみイメージは堂々と定着さえしている。

「がま口」のイワレもそうだと述べているのもあるが、私はそれは後付けのような気がする。無事蛙の焼き物は信楽には狸と並んで多数鎮座している。 

   ところで男物の傘は似たり寄ったりで、よく他所の人に間違えられたりする。ビニール製となるとなおさらだ。
 そんなもので私は傘の柄に穴を穿ってストラップをつけている。昔は彫刻刀で名前を彫ったり、ネームランドを貼り付けていたものである。近頃の傘の柄には親切に小さな穴が既に開いているのもある。

昨日の記事のようなちょっとした騒動もあり、そこで昨日、傘の柄に『無事カエル』を取り付けた。

2021年3月28日日曜日

濃厚接触者

わが家玄関の無事蛙
わが家玄関の無事蛙
   孫の凜ちゃんの母親(つまり我が夫婦の娘)が先日来発熱や頭痛その他の体調不良を訴えていた。

 そしてついに、かかりつけ医からコロナの疑いで発熱外来行を指示され、2日ほど待たされたうえで指定された病院の発熱外来でPCR検査を受けた。

 凜ちゃんの父親も早退してきたが、仕事を持って帰ってきた。そうしておいて濃厚接触者になった場合は2週間の出勤停止だとしょげていた。まあそれはよい。

 PCR検査の結果(陽性)によっては、心臓に重い疾患のある凜ちゃん、父親、そして相当な頻度でサポートしているわが夫婦は全員濃厚接触者になるので、今後のいろいろなシュミレーションを行ったが、我がファミリーのケースでは、相当悲惨な絵しか描けなかった。この間の全国のケースの中にはよく似たケースもあると思うが、そういう情報はほとんどというか皆目ない。不安は残るが、シュミレーションは「その時はその時で絵を描こう」とした。

 そのPCR検査の日は、元々春休みのために孫の夏ちゃんを凜ちゃんと同時にイクジイをする予定であったが、急遽、夏ちゃんファミリーにも中止を連絡して、そのため夏ちゃんの母親にもシフト替えをお願いするなどてんやわんやの数日であった。 

   検査結果宣告の日は、午前中には届くということだったのに、時だけが空しく過ぎ、嫌なシュミレーションが頭をよぎったが、125分前に陰性だったという知らせが入った。
 こうして娘は、PCR検査待ちの住居内隔離療養から一般社会に『無事に蛙』ってきた。 
 病弱の子や小さい子がいるケースの濃厚接触者の隔離生活はいったいどうなっているのだろう。もっと報道してほしいものだ。ニュースは他人事ではない。

2021年3月25日木曜日

セイヨウタンポポは冤罪だ

   3月18日の朝日新聞『天声人語』はタンポポについて、「驚くことに、大阪府では外来種が2005年をピークに減り始めた。在来種の盛り返しは、バブルが去り、都市部にも里山的な環境が戻った証拠でしょう」とあった。

 その日、遊歩道でタンポポをたくさん採っている方がいたので「カンサイタンポポをお探しですか」と声を掛けると、「新聞に載っていたので」「この『ひげ』が外来種の特徴でしょうか」とおっしゃるので、「新聞には『ひげ』と書いてあったが(その方が指した箇所の)それではなく、花の下を包んでいるこの部分ですよ」とおしゃべりをした。

   植物生理学の田中修氏の著書によると、在来種は春だけに咲いて、自家受粉しないので周りに仲間が必要で、飛ばされた種は秋まで発芽しないのに比べ、セイヨウタンポポは、1年中咲き、自家受粉し、種の数も格段に多く、一年中発芽するらしい。

 そこで、土地が開発されて目まぐるしく変わる都会では在来種(ニホンタンポポ)はセイヨウタンポポに席巻されたようになるらしい。となると、「VSセイヨウタンポポに敗れた」というのでなく、人間の開発がニホンタンポポ減少の真犯人ということになる。

   事実、わが遊歩道の中の小さな緑地帯は、大規模なニュータウン開発の典型のような場所であるが、開発後約30年が経過した結果、私の見る限りニホンタンポポがその地を盛り返して圧倒している。そういう意味で『天声人語』の指摘と符丁が合っている。

 この地には白いニホンタンポポもいる。テレビのやたらに発する「ニッポンエライ」は嫌いだが、ここを通るたびにニホンタンポポがんばれと心の中で思っている。私は愛国者である。

   愛国者ということでいうと、櫻井よしこ氏ら右翼の代表が国技館で熱烈なトランプファンを演じたことが印象的だったが、そのトランプはアジア人ヘイトを煽り、日本人を含むアジア人がアメリカで危険な目に合っている。そんなのは、彼らの言葉では「反日」ではないのですかね。(写真は『戦後体制の超克』という右翼のブログに誇らしく掲示されていたもの)

2021年3月24日水曜日

空飛ぶ宝石箱

   カワセミに対して「空飛ぶ宝石箱」とはこの上ない誉め言葉だろう。漢字もいろいろあるが「翡翠」というのもよい。写真のとおり、たまたま出くわして撮ったのだが、出会えて何か得をした気分になった。

 三脚もなしで撮ったのでこの程度で勘弁していただきたい。水中ダイビングはシャッターチャンスを逃してしまった。

 「関心がないと見えるものも見えない」ということはよくあることで、私も野鳥に興味を持つ前は「こんな綺麗な鳥は深山幽谷にしかいないに違いない」と思い込んでいたが、実は街の中でも結構いるもので、確か大阪城天守閣近くの池でも見たことがある。

 庭園の池に鵜などが飛んできて魚を捕るとシッシッと追い払いたくなるが、カワセミだと許してしまう。ダブルスタンダードで申し訳ない。





2021年3月23日火曜日

黙食花見?

   遊歩道ですれ違ったテニス帰りのご婦人方が樹木を指差して「もう満開やね」「どこそこも咲いていた」と喜んでおられた。「それはサクラちゃいますよ。ベニスモモですよ」と教えてあげたくなったが、折角の美しい感想を壊すこともなかろうとやり過ごした。

   ちらほら咲き始めたわが家のハナモモも「立派なサクラですね」とおっしゃる方がいる。この時期の美しい花はみんなサクラになるし、この季節にはお花見に行かなければと思いこまれる人がいる。

   美しい花はサクラだけでもないし、落葉樹の芽吹きの美しさも花々と肩を並べる。ということで緊急事態宣言は解除されたが、わが家ではコロナ対策上模範的なお花見をした。お花見を兼ねた昼ご飯です。

 数十分前の買い物途中で「今日のお昼はお花見にしようか」と言ってジンギスカンを買ってきた即席お花見で、とりあえずは満足満足だが。大勢で高歌放吟はもう夢の時代に入ったのだろうか。

2021年3月22日月曜日

上院予算委員長

   記憶にない。記録はない。そして言葉をすり替える。・・議会制民主主義が砂で作ったお城のようにサラサラと崩れ落ちていく場面を何度見れば済むのだろうか。そんな閉塞感に包まれていると世界中が灰色に感じられるが、それは私が世界を知らないだけのことであったようだ。

 (知らない間に)トランプ後のアメリカでは、民主社会主義者を自認するあのバーニー・サンダース議員が米上院予算委員長となっていた。そして、コロナ禍の国民への個人給付1400ドルなどの弱者救済の予算が可決され、労働組合結成を忌避するアマゾン(従業員130万人)への公聴会が開かれた。

この件に関しては、バイデン大統領もツイッターで、労組の結成と団体交渉の権利はすべての米国民に保障されていると強調、我々の政権は労働組合結成を奨励する立場だと投稿した。

バイデン政権の全面的評価にはデータも時間も少ないので保留するが、この同時代のアメリカの議会制民主主義が妙に眩しい。その国では、ギャラップの調査でも、18歳から34歳の若者の過半数が「社会主義を好ましい」と答えている。

 安倍・菅政権に辟易している身からすると、トランプ熱狂信者のアメリカは嫌だが、アメリカには多数の若いエネルギッシュな可能性が感じられる。翻って日本を見るとどうだろう。こういうことをあまり報じない日本のマスコミが日本の若者の可能性を摘んでいるのではないだろうか。

 日本でも喫緊の課題は政権交代だろうと思われる。市民と野党は共闘しよう。対米従属ではなくアメリカのよいところには大いに学ぼう。若者が熱く政治や人生を語る国へと再生しよう。

2021年3月21日日曜日

狸が降る理由

   16日の朝、カーラジオから道上洋三さんが「今日は黄砂が来る」という話で、「晴れた日に雨が降るのを狐の嫁入りというように、黄沙のことを雨冠に狸・・」と言ったので、私は即「つちふる(霾)」と答えたが、あとで、狐の嫁入りは日本の俗信なのに霾は漢字だからハテナと考え込んだ。霾は国字だろうか。

 だいたい砂嵐が発生するような大陸北部に狸は似合わないし、狐や狸が人を化かしたり人を困らせる俗信は大陸にもあるのだろうかと辞典類をめくってみても見当たらない。

 霾という文字は主に俳句の季語として知られているが、比較的新しい季語で、大正時代に満州に渡った俳人たちがよく使用したということが解ったがこれは納得だ。

 さらにその元は杜甫らの漢詩にあった。また考えている途中で、そも狸という漢字は元は中型の哺乳類全般を指していたようだから、狐から連想する狸・・に化かされたような不思議な気候現象という推論は面白くはあるが成り立たないことが解った。

 道上さんの話がどうだったのかは、直ぐにクルマを降りたのでその後は知らない。

 調べているうちに気がついた次の疑問は、雨冠に狸だと普通には音は「り」だと思うが、霾の音は「ばい」「まい」ということだった。雨冠に「埋」なら「ばい」「まい」になり、「空から降り注ぐ砂粒で村が埋まってしまいそう」と解説されるなら納得できそうだが、同音の漢字を借りたにしては元の「雨冠に埋」という漢字は見つからない。

 結局、霾が黄沙を表している理由、その音が「ばい」「まい」である理由はわからずに狸に騙されたような気分のままでいる。ご存知の方は解説をお願いします。

2021年3月20日土曜日

粟餅を買いに

   3月15日に書いたことだが、帝塚山大学 宇野隆夫 客員教授が講義で「8世紀ソグド王の食べていた粟を知りたければ北野天満宮前の澤屋の粟餅を食べるとよい」と述べられたのが記憶にインプットされてしまったで、散歩がてら、といっても電車とバスを乗り継いで、妻と二人で買いに出かけた。

 私は知らなかったが、澤屋は創業以来330年以上の老舗らしく、昭和44年京都府開庁100年記念の際に「百年を超えて伝統を守っている」と蜷川虎三知事から表彰された表彰状が飾ってあった。

   そしていかにも老舗らしく、注文を聞いてから作るのには驚いた。撮影してもよいというので撮らせてもらった。いわゆる甘味処として北野天満宮参拝後などに一休みできるお店だが、私たちはお店では食べず、孫たちのファミリー用も足して3箱をテイクアウトで持ち帰った。

 粟を含む五穀の料理は、奈良市の南ハズレのその名も『清澄の里 粟』というレストランで戴いて知ってはいたが、ここ澤屋の粟餅は格別に美味しかった。

   さて、私は堺のど真ん中で育ったので農業のことは全くの門外漢だが、こんなおいしいものがどうして「雑穀」扱いなのだろうか。雑穀というと小鳥の餌か、飢饉のときの最終的な食物のイメージを持ってしまう。わが家では時々「十何穀米」などを入れてご飯を楽しんでいるが、これも米に混ぜるわけだから主食とは言い難いし・・。

 考えるに、水田の稲作と違って畑作は基本的に連作障害が出るものの通常は輪作などで対応できるから、これが決定的な米との差別化の理由とは思えない。結局、大化の改新後の租庸調で、租の基本が米と定められたからだろうか。ちなみに中国の華北の租の基本は粟であったらしいが。
 考古学・歴史学者の故森浩一先生は「715年、元正天皇が陸田(はたけ)にはムギとアワを植えよ。アワの重要なことは伝統だぞと詔(みことのり)をしている。多くの歴史学者は雑穀の文化史を見落としている」(『日本の食文化に歴史を読む』など)と指摘されていた。とすれば、徳川時代の米本位制が雑穀軽視の主因だろうか・・・。

 サマルカンド郊外カフィル・カラ城の王さまの食卓から澤屋の粟餅まで話は旅をした。
 「講義の内容を自分自身の眼で確かめたのはさすがだ!」と言われるよりも、「講義の端を聞いただけでわざわざ買いに行くか? いかにも大阪のイッチョカミよ!」と笑い飛ばされるがオチだろう。でも美味しかった。行った甲斐は十分あった。

2021年3月19日金曜日

十一面悔過

   3月15日に二月堂の修二会が満行となった。「お水取りが終わると奈良に春が来る」と言い慣わされている。

 修二会をライブで見ていたが、大咒願(祈願文)の最後に、風雨順時 五穀成就 万民快楽・・・ 季節が季節どおりに巡って来て、五穀が豊かに実り、国民が幸福になるように・・と読み上げられていた。

 そも修二会の正式名称は『十一面悔過(けか)』といい、戦争や自然破壊など「過ぎる」ということを悔いなければ・・と籠りの僧が語られていたことは以前に書いた。今年でいえば、SDGSだろうし、平和と公平だろうか。

 その風雨順時だが、わが菜園も菜の花が満開になった。花や蕾をお浸しやサラダにしても次々に湧いてくるようだ。確か種袋には「早咲き」とあったような気がする。

 菜の花だけでなく種々の花々が咲いて周囲は蜜の匂いが充満している。嗅覚は他の感覚以上に記憶の底をくすぐり、頭の中で 〽菜の花畑に入日薄れ と朧月夜の歌詞が回る。その歌詞、〽春風そよふく はわかるが、2番の 〽蛙の鳴く音も となると初夏の感じがして、1番と2番、春か夏か、どっちやねん!というツッコミも入れてしまう。

 それは俳句の季語のことを考えるからそうなるのであって、季節は一夜にして入れ替わることもあれば、なだらかな連続のときもある。菜の花を見て思い出し、蛙の声を聴いて思い出せばいい。そういう季節になってきた。

 17日に冬鳥のジョウビタキが庭に来ている頭の上を夏鳥のツバメが鳴きながら飛んで行った。ネットの『はじめてツバメを見た日の報告』を送信した。風雨順時、風雨順時。

2021年3月18日木曜日

札幌地裁判決

   3月17日札幌地裁武部知子裁判長は、同性同士の結婚が認められないのは法の下の平等を定めた憲法14条に違反すると認定した判決を下した。ただし国会が立法措置をとってこなかった立法不作為、つまり国の責任、損害賠償請求は棄却した。

 私はこの判決に二重三重に感心した。非常にまじめに真正面から「違憲なのに賠償しないという矛盾」を指摘されている正論をけなす気などは毛頭ないが・・。

 その一は、昭和21年22年の憲法制定時に同性婚が想定されていなかったであろうことはそうであろうし、その二には、ここがポイントだが、この判決は形式的には原告の請求棄却のため、国が控訴することができず、とりあえずはこの判決は確定し判例になるということである。

 つまり、被告の国は勝訴したのだが負けたのである。

 近頃は政権が、「会食はしたが接待ではなかった」というような白々しい嘘を重ねてきたが、この判決をその言い方でいえば、原告敗訴を伝えながら政権に『違憲』との烙印を押したのである。

 私はこれまでも、「メッセージの伝え方」ということで、正しいことを正しいというだけでは世の中は変わらないと言ってきたが、この判決は戦略も戦術も立派だと兜を脱ぎたい。裁判長はお見事だと思う。

 こういう亜流の手は多用すべきではないが、こういう知恵も場合によっては必要ではないか。皆さん如何。

2021年3月17日水曜日

粥食賛歌

   一昨日はシルクロードはサマルカンド近郊のソグド王の離宮の発掘報告を書いたが、発掘調査の日本隊隊長でもある講師の宇野隆夫教授は、現代風にわかりやすくいうと主食は粟粥(あわがゆ)であっただろうと講座で述べられた。

 私は、ざっくりとしたイメージで中央アジアのそのあたりはインドのナンのようなパンを食べていたのだろうと何となく思っていたので、粥という指摘が新鮮なうえ、日本の文化といっぺんに近づいたようでその指摘が記憶に残った。

 そのオンデマンド配信講座受講の数日後に私はテレビで東大寺二月堂お水取りのライブを見た。NHKは政治経済では政権に忖度してその報道内容が歪んでいることが多いが、こういう文化的な放送のレベルはすばらしいものがある。撮影スタッフは1か月も前からコロナ対策の隔離生活で撮影に臨んだという。さらに、この行(ぎょう)の大半は漢文のお経などであるので、それが文字のテロップになったり、さらにいわば現代語訳がテロップになって、すばらしい記録になったと私は思っている。

 そのライブ(つまり1日の行)のほゞ終わり近くで、突然『粥食呪願』というのが出てきて、偈頌(げじゅ)とでもいうか、要するに粥食を讃える詩が朗読されたので、私は面食らって驚いた。儀式の継承という意味では日本仏教の原点中の原点ともいえる修二会の中に粥食賛歌があったのだ。

 昨日の修二会の記事では、桁違いの炎の秘儀の向こうに私はユーラシアの拝火教(ゾロアスター教)を見たと書いたが、ソグドの王宮の食糧倉庫発掘の成果から、王様の食卓の主食は粟粥だったという発掘隊隊長の講義と粥食呪願がオーバーラップして、さらに私は修二会の国際性を噛み締めた。

 余談ながら、大和や河内の伝統食に茶粥がありそれは今も残っている。茶粥がストレートにサマルカンドまで遡るとは思わないが、こんな話も聞いたということを思い出しながら食べていただければ幸いだ。

2021年3月16日火曜日

日本仏教の源流のひとつ

   昨日の記事で「ウズベキスタンのサマルカンド」と書いたが、同時に「ソグド王」とも書いた。つまり、今は無くなっているが「サマルカンドはソグディアナの中心都市」であった。そしてその南に近接した地帯がガンダーラであるから、インド発仏教の重要な中継地でもあった。

 初期のインドでは仏像は無かったといわれており、東西文明の結節点ガンダーラ地方で仏像は生まれたといわれている。つまりサマルカンドなどの中央アジアの都市は仏教をはじめとする文化の単なる通過点というよりも、新しい文化を生んだり成長させた文化の故郷、揺籃の地でもある。

 そこでアラブのイスラム勢力に焼け出される以前のサマルカンドを見ると、古代イランの国教であったゾロアスター教が浸透していたうえに、西方からのギリシャの神秘主義、キリスト教、ゾロアスター教などが混淆したマニ教が多いに広まっていた。そういう文化に育てられて仏教は東に進んだと見なければならない。

写真のカンテキで真っ赤に燃やした鉄粉を撒く
   そこで今日の本題だが、13日の深夜にNHKBSPで東大寺の修二会が生放送された。歴史的なことであるが、通常お参りに行っても見ることのできない状況まで見ることができた。そして圧巻は『達陀(だったん)の行法』であった。国宝の古い木造建築物のさほど広くもない堂内で、あえて火の粉を撒き、屋外用と変わらぬほどの大きな松明を燃え上がらせ、さらに飛び跳ねるのである。不思議な大迫力の行法だ。

 NHKのゲストの夢枕獏氏は「縄文の記憶を見た」とコメントされた。縄文の火焔型土器を作った精神文化を思われたのだろう。そして私は即、西域のゾロアスター教(拝火教)の残り火をそこに見た。初期の仏教はバラモン教的なものを脱して仏像さえも持たない哲学的なものであったらしい。それが世界宗教に拡がったには、高尚な理念を抑え、ある種の俗化も必要だったのではないかと私は考えている。日本において神仏習合を進めたように。そういう風に中央アジアでもってゾロアスター教の拝火の儀式を取り入れるような形で東進したのが、達陀の行法に残っているのではないか。また別のルートでは、真言密教の護摩祈祷に残っているのではないだろうか。ゲストの東大寺森本公誠長老も少し触れておられた。

 大仏開眼供養の導師がインド僧の菩提僊那であったことからも、日本仏教の源流を狭い中華文明に求めるべきではないように思った修二会の達陀の行法だった。古都奈良というと古臭いイメージがあるかもしれないが、京都の祇園祭にペルシャ絨毯があるように、ある意味それ以上に古刹などは国際的な香りがするので、「鹿以外に何もない」などと言わずゆっくり古都を散策してみては如何だろう。

2021年3月15日月曜日

日本文化の源流のひとつ

   帝塚山大学の『研究成果報告会』である『シルクロード・王様の食卓』をオンデマンドで受講した。

 これまでだと同大学東生駒キャンパスまで行かなければならなかった(当たり前だ)が、今回はコロナ騒動でオンデマンド配信になった。個人的には楽であったが、雰囲気はやはり物足りない。

 テーマはウズベキスタンのサマルカンドの東南約30㎞のカフィル・カラ城跡の発掘調査の研究成果である。そこはイラン系民族のソグド王タルフンの離宮で、710年にアラブ勢力に攻められ焼け落ちた跡と考えられる。

 ちなみにその当時の日本はというと、661年に斉明が新羅征討に発進。同年に斉明没。663年に天智(称制)白村江大敗。667年近江大津宮に遷都。672年壬申の乱。686年天武没。694年持統藤原京遷都。710年元明平城京遷都。なのでほゞ藤原京の時代となる。

 サマルカンドは文字どおりシルクロードの要衝の大都市であった。大雑把にいえば、東に行くと中華、西に行くとギリシャ・ローマ、あるいはメソポタミア・エジプト、南に行くとインダス・さらにはガンジス等々の文明の大交流点だった。なので、同地では以前にゾロアスター教の板絵が発見されていたし、仏教は南からここを通って東は飛鳥、藤原、奈良の都まで到達した。さらに710年にカフィル・カラが落城した後はイスラムの地となった。余談だが先日記事を書いてきたアフガニスタン、パキスタンはすぐ南になる。

想像図がネットにあった
想像図がネットにあった
   そこで本題だが、発掘した結果、玉座のある部屋の隣に立派な食糧倉庫があった。

 甕の状況や炭素等の付着状態から、ワイン、オリーブオイル、蜂蜜、麦、アワ、豆、ニンニク、胡桃などと推定される品々があった。既発掘のゾロアスター教の宴会の板絵などからして、豪華な王様の祝宴が想像される。楽器の琵琶や竪琴は正倉院御物とそっくりだし金冠は藤ノ木古墳出土のものと似ている。

 毎年秋の正倉院展では我われは唐の長安のそれを想像するが、それは遥かユーラシアの文化であるものも多い。漢字文化、中華文化の影響は大きいが、眼は大きくユーラシアに見開かなければならない。

 講師の宇野隆夫客員教授(日本隊隊長)の、「北野天満宮前の澤屋の粟餅を是非食べて、ソグドの王様の食卓を想像されたい」とのお話が一番印象に残った、と言ったら受講態度としては叱られるかもしれない。

2021年3月14日日曜日

八軒屋浜の大鷭

   久しぶりに大阪市内に出かけた。ランチの後、大川(旧淀川)は天満橋のすぐ西の八軒屋浜を覗いた。ここはその昔の三十国船の発着場で、森の石松も弥次さん喜多さんも乗り降りした? 上方落語では胴乱の幸助がここから乗船して京は柳馬場押小路に着いてから「しもた汽車で来たらよかった」と悔やんだ乗船場所であるが、そんな話はどうでもよい。

 私が驚いたのはそこに大鷭(オオバン)が3羽いたことだった。オオバンはクイナ科の水鳥で、私がこの近辺で勤務していた頃には全く見なかった。
 いつ頃からいるようになったのか、ご存知の方は教えて欲しい。
 気候のせいか、他の場所の環境の悪化のせいか、大阪の経済の停滞による大川の水質の改善のせいか、屋外昼食のスポットになってから誰かが餌をやるようになったのか。

 昔に少しだけバードウォッチングをした経験からいうと、昔はよく見たのに近頃はほとんど見なくなった鳥が多くいる一方、昔はあまり見ることのなかった鳥を近頃よく見るようになったケースもある。
 オオバンは私個人としては後者で、だいたいクイナ類は臆病で人の気配を感じたら芦原などに直ぐに逃げ込んだものだった。それが、先日も奈良の浮御堂の鷺池でも見た。
 もしかしたらオオバン界隈ではこんな会話が・・「都会の現代人は管理社会でへとへとで、野鳥を追うどころか見向きする余裕さえ失ってるで。もう心配抜きで好きなとこへ出て行こか」と。

   クイナ科というと「夏は来ぬ」の5番の『五月(さつき)やみ 蛍飛びかい  水鶏(くいな)鳴き 卯の花咲きて  早苗植えわたす 夏は来ぬ』のクイナを連想するが、初夏に戸を叩くように鳴く*のはヒクイナであり、オオバンはどちらかというと白鳥のように鳴く。それにしても、大阪中央区のど真ん中でオオバンを見るとは・・・ちょっと感動して帰ってきた。(写真はスマホで撮影)

 *時代劇などで夏の夜、どこからともなくトトトトトトト・・という音が聞こえてくる(流している音)のはヒクイナ=「夏は来ぬ」の「クイナ」である。
 オオバンに続いてヒクイナがやってきて、大都会大阪の中心で戸を叩いてくれたら・・などと夢想したりする。

2021年3月13日土曜日

お水取り 雑感

   (1)   東大寺二月堂の修二会(お松明・お水取り)が今年は拝観中止になったが、その代わり、13日、NHKBSプレミアムでお松明及び堂内の様子が放映される。

第一部 午後6時30分~午後7時30分「お松明」   第二部 午後10時30分~午前1時15分「走り」から「達陀」「晨朝」まで

   (2)   修二会の堂内を飾る椿の造花を「良弁椿」「糊こぼし」というのは2月10日の記事に書いたが、先日、開山堂のホンモノの糊こぼしの椿を塀越しに見ることができた。文字どおり「糊こぼし」だと感心した。

 コロナのせいで今年は人が少ないが、その上に、多くの人はお松明ばかりを注目して、二月堂すぐ前の「糊こぼしの椿」を見向きもせずにスルーしている人のなんと多いことか。ちょっともったいない話です。

   (3)   お水取り(修二会)は天平勝宝4年(752)以来途絶えたことのない不退の行法のため、わが国仏教のタイムカプセルでもあり、故にあちこちに神仏習合、神仏混交を見ることができる。
 そのほんの一部(ひとつ)だが、修二会が始まると神道の「祓い」「清め」によって二月堂周辺が清浄に保たれる。
 2月下旬には、縄を二重巻きにして縄に紙垂(しで)と樒(しきみ)を挟んだ独特の注連縄「輪注連」を、堂童子が遠敷社・飯道社にそれぞれ供えてお祓いしたあと、社の石段の上から撒き、下で待つ童子がこれを受け取る「注連縄撒き」の行事があり、受け取った「輪注連」は練行衆の自坊をはじめ塔頭などの門口に掛けられる。受け損なって地に落ちた注連縄は塵であって、使用されることはない。
 そのほかには、勧請縄のような「ひも状の注連縄」は二月堂への参道、二月堂の石段、法華堂前の石灯篭、三昧堂横の石段、裏参道に張られて結界がなされる。
 夜のお松明も良いけれど、昼間に落ち着いていろんなところを見るのもお勧めだ。

2021年3月12日金曜日

通なお人

   冬の鍋料理で、あってもなかっても良いけれど、やっぱりなかったら画竜点睛を欠くのが菊菜(春菊)だと思う。そんなものどうでもいいという人とは付き合いたくない。

 2階の窓から窓ガラス越しに撮った写真だが、わが庭をテリトリーにしているヒヨドリはなかなかの通(つう)で、菊菜を夢中で食している。

 今夜は鍋料理と決めている昼にこういう窃盗行為を見つけると腹も立つが、それよりも「今日は食べ頃らしい」」と大人らしく振舞うこととする。見かけ上、私は大人である。ヒヨドリに食われたぐらいで狼狽えたりはしない。

 それにしても、周辺には、ルッコラは別にして、水菜、白菜、菜の花、レタスなど癖のない野菜がいっぱいあるのに、選りにもよって少々個性的な菊菜を啄ばむのはどうしてだろう。きっと、このある種の「苦味」は解毒作用があるに違いない。(知らんけど)

 その夜、ヒヨドリの食べ残しを躊躇なく鍋に投入した。冬野菜もゴールが近づいている。

2021年3月11日木曜日

知らなかった者の罪

   今日は3.11。 フクシマ第1原発事故から10年が経過した。 はやぶさ2の技術をもってしても未だにメルトダウンによって溶け落ちた核燃料(デブリ)は取り出せていないのみか正確なデブリの状況も把握できていない。 当事者側からもあと2~30年はかかると言われているが2~30年で解決する根拠は何もない。 汚染水もアンダーコントロールどころかタンクは満杯に近づいており、1000トン用タンクを2日に1基製造しなければ間に合わなくなる。

 上記の問題に解答もないまま、再稼働だとか果ては増設だとかの意見も出ている。この国の”脳みそ”はホントウに大丈夫だろうか。

 さて先日、ナショナリズムに関わってドイツにおける「当時ナチズムを知らなかった者の責任」について若干記述したが、原発の嘘を知らなかった者、原発は安全だと騙されていた者の責任を皆で考える必要がありはしないだろうか。かくいう私も、原爆は絶対に許せないが原発は核エネルギーの平和利用だと考えてきていた。日本人の知恵と科学技術力なら制御できる、フクシマ第1原発事故のようなことは起こらないと漠然とではあるが信じていた。普通の世間の言葉でいえば、私は知らなかった者、騙されていた者であった。

 一方、原発が電力を”多いに”消費する大都会近くではなく、土地の広さや土地代でいえば幾らでも大都会周辺に土地があるにもかかわらず、地方(あえて判りやすくいえば田舎)に建設されたにはそれ相応の危険性があることは感じていた。それぐらいのことを感じないようでは選挙権を持つ「国民」に値しないだろう。

 またフクシマの事故以前にも原発での事故は度々あったが、それらの被害者が電力会社の正社員ではなく下請け孫請けの労働者であることも新聞テレビで見聞していた。正社員は危険な作業には従事しないのだ。記憶に止めたかどうかは別にしてそんな事実は一切知らないという「国民」はいないはずだ。

 少し話は変わるが、私は自治会の役員の経験もあるので、いわゆる嫌悪施設(公共性は認められるが自分の街、自分の家の隣には建てて欲しくないと一般に思われている施設)などの建設に当たっては、屡々「札束で頬を張る」ような現実も知っていて、原発の建設と運転に関わってその種の噂のあることも知っていた。後に関電が高浜町に投じた額、北陸電力が志賀原発に投じたいわゆる原発マネーが私の想像を何桁も超えて驚いたが、その種のニュースは全国の電力会社で報じられていた。

 それでも「知らなかった」のだろうか私は。「騙されていた」のだろうか私は。

 日本の原発の出発点は明らかに「核兵器の技術」を頭の一部に置いたものだったと私は考えている。実際当初の軽水型炉はアメリカ製で、もっと正確に言えばアメリカが日本に開発中の原子炉を買わせて、その上で安全かどうかなどを日本で実験していたわけである。

 高度に安全なはずの原子炉が実に無茶苦茶な欠陥商品であったことは2020年2月3日に「原発運転差し止め判決が出た理由」としてこのブログに書いた。文末にアドレスを貼っておくのでこの際、是非とも再読してほしい。

 人間は、過去を取り替えることはできないが、過去に学び未来をコントロールすることはできる。否、そうしなければならない。その時、過去に目を閉ざして、あえて踏み込んで言えば「良心にとってしんどくなるようなテーマは見て見ないふり」をして、私は知らなかった騙されていたと言うことでよいのだろうか。

 私は原発を推進した政治家や電力業界の主たる責任をあいまいにするものでは決してないが、本日の記事は自分自身と、そして自分とよく似た「国民」一般に問うことをメーンにする。この社会に正しいモラルが必要だと考える方、あるいは心ある宗教家の方々にはそういう「騙された責任」についても言及して見解を表明してほしい・・・と、フク1、10年に当たって考えている。

 ◆ 2020.2.3 ほんとうは日本列島が壊滅しそうな状況であったフクシマ第1原発が奇跡の欠陥商品であったことについてのブログは次のアドレスから移動できる。

https://yamashirokihachi.blogspot.com/2020/02/blog-post_3.html

2021年3月10日水曜日

津波の教訓

   10年前の3月11日、私は奈良市内の古いビルの4階にいた。立って話している講師は気づかないようだったが吊り看板などが大きく揺れ、尋常でない地震だと私には解った。講義は終盤であったから急いで帰宅してテレビを観ると、右上にLiveと表示された画面には津波が映し出され、クルマや人が映っていた。Liveつまり生放送である。後に3.11を「ニュースで見た人」と会話をしてそのショックの温度差をひしひしと感じたが、私は本当に人間が死んでいく生放送を見ていたわけである。フク1の原発事故は別格だが、津波は恐ろしい。そして海に引き込まれて遺体さえ見つけられていない人がいる。東日本大震災の死者は約16,000人、行方不明者は約2,700人。

 写真の供養石塔は今春の1.17にも書いたが大阪・四天王寺境内のものである。諸国地震及洪浪 南無阿彌陀佛 水陸横死大菩提 に続いて、去年霜月四日五日の地震を 遁(のがれ)ん為に小船に乗居し 輩(やから)俄(にわか)の洪浪湧か如く木津川口邊の大小 数(あまた)船一時に川上に押寄橋を落し船を摧(くだ)き漂没死人 夥(おびただ)し尤(もっとも)前日より海鳴潮の干満乱しを志(し)ら寿(ず)して死に至る者 寔(まこと)憐むへし 后(こう)世(せい)海鳴潮の干満(かんまん)みだれし時は早く津波の兆(きざし) しと知りて難をのかれ玉ふへしと云(いう)爾  安政二 乙(きのと)卯秋建之 というものである。

 実際には他の墓石に埋まって一部しか読めないが、NHKと大阪市教育委員会が調査して判読した。

 さて、この安政の津波(1854)は標高2.9mまで遡ったといわれているが、それより約150年前の宝永の津波(1707)は標高3.6mまで遡った。さらに古文書によると正平16年(1361)の津波は6mに近かったとされている。早い話が上町台地より西の現在の大阪市内の市中は津波にさらわれたわけである。天王寺西門近くの安居神社まで津波が来たと法隆寺の僧侶が記録している。

 このようなことを考えると、コロナ禍でもオリパラを進めようとする自公政府も、埋立地でカジノだ万博だという維新の府市政も、カネや権力に目がくらんだ為政者というほかない。 

 1.17でも書いたことだが、安政の津波の石碑は大正橋東詰北側にもあり、ここの碑文の最後には「願くは、心あらん人、年々文字よみ安きよう墨を入れ給ふべし」とある。心ある人はそれぞれの言葉と方法で、年々語り続けてほしい。

2021年3月9日火曜日

原発に未来はない

   明日は3.11から10年になる。
1 高浜原発を例にあげると、88.1km離れている福井市に福井県知事はいる。
 同じように距離を測ってみると、京都市が61.5㎞、滋賀県大津市が64.3km、大阪市が92㎞、神戸市が96.7㎞、奈良市が96.8㎞にそれぞれの知事がいる。福井県嶺南地方は勿論、滋賀県のほとんど、京都府の北中部ほとんど、兵庫県の北部中東部、大阪府の北部も、福井県庁よりも近い距離に原発がある。
 私も3.11前には「福井は北陸」というイメージがあったが若狭湾の原発は近畿地方の課題である。

2 フク1では汚染水が限界を迎えつつあることが報道されており、ご存知のとおり自公政権は海上投棄を狙っているが、若狭湾一帯の使用済核燃料も限界に近づいている。搬出先はいまだ未定である。「トイレのないマンション」問題は近畿の課題である。

3 例えば通常の火力発電所で事故が起きれば操業を停止すれば基本的には問題ないが、原発は運転停止後もウラン燃料を冷やし続けなければならないというところに決定的な質的相違がある。その上に、わが家の家電製品などを眺めてみても40年以上経って「心配無用」という家電などないではないか。圧力容器だけが頑丈であっても(実は中性子を浴びて脆性劣化しているのだが)周辺の配管、電気系統の1箇所でもダメージを受けるとフク1が再演される。

4 次に問題になるのが地震の想定だが、裁判で争われた大飯原発で関電が算出した評価は過去の地震の平均値を用いた数字だった。わかりやすくいうと、幼稚園のブランコは一番体重が重い児でも耐えられるように作らなければならないところ、園児の平均体重で作ってあるから十分だという理屈だ。それに「過去の地震」といっても解っていることは一部でしかない。地震の周期は「過去のデータ」をはるかに超えている。

5 昨年12月、大阪地裁は大飯原発3.4号機設置許可を取り消す判決を下したが、非常に真っ当な判断だ。あれから10年、原発ゼロの救国内閣が喫緊の課題である。それに反して電力業界の手先になるようなら連合とは手を切ることが立憲民主党には求められている。3.11の10年でみんなで原発ゼロの決意を新たにしたい。みんなでSNSなどで意見を言おう。

2021年3月8日月曜日

ナショナリズムについて考える

   藤田直央著『ナショナリズムを陶冶する(ドイツから日本への問い)』朝日新聞出版を読んだ。ドイツの進んだ教訓について非常に参考になったが、日本の未来に関しては重い消化不良の感覚が残った。

 先日からアフガンなどユーラシアの民族や国の歴史などに触れて、日本列島が世界の辺境、歴史のある種の例外ではないかという感覚を抱いたことを吐露したが、今ではEUにまで発展したヨーロッパのドイツと日本では、同じ第二次世界大戦の敗戦国にしても歴史の総括がこんなにも違うものかということを痛感した。

 ヒットラーのナチズムを完全に乗り越えようとしてきたドイツと、神であった昭和天皇を存置したまま、A級戦犯の祭られている靖国に首相らが参拝などをする日本。

 そのドイツでも移民などを排斥する主張が一定支持され脅威となっている。日本の場合は、何もかもがホンネとタテマエで、例えば移民問題は「技能実習生」などと呼ばれて隠蔽されている。また、北朝鮮や中国政府の誤った政治と相まって、あるいはもっと別の歴史修正主義と合わさってヘイトが勢いづいている。

 この本でも触れられているが、ナチスに組しなかったドイツ人の中にも「私は知らなかった」という主張があったようだ。日本の場合は、圧倒的な日本人が同様の主張をして戦後の総括が終わったように思われる。そのツケが必ず廻ってくることだろう。

 とりとめなく感想を述べたが、ドイツの経験に学ぶべきことは多い。平和憲法を護ろうとする人には、一読をお勧めする。読書感想文のようなものは追々書けたら書いていきたい。

2021年3月7日日曜日

京都・精華町会議員選挙

   5月16日に京都府相楽郡精華町の町会議員選挙がある。政治や選挙のモノサシでいえばあと2か月だからすでに「本番」かもしれない。

 共産党は柚木弘子議員が引退して竹川増晴(ますお)氏がバトンを受けて立つという。外に佐々木まさひこ、つぼい久行、松田たかえの各議員が立つ。竹川ますお氏はというと、「やさしくて誠実、お人好しで気が弱い」というサザエさんのマスオさんによく似ている。

 さて、定数18に対して4人だから22%強の議会占有率というと勇ましいが、前回の得票数で見ると11位、13位、16位、17位だから低空飛行ともいえる。近頃の全国の地方選挙でも共産党の現職で落選も発生している。あまり楽観できるような状況ではない。

 私などは菅政権の今春中の解散総選挙もあるかもしれないと感じている。そして、こんなモラル崩壊の政治を絶対に変えたいと思っているからW選挙も厭わないが、自治体選挙は自治体選挙の、言葉は悪いがドブ板的な要求との結びつきもあろう。一般に共産党の議員らのスマートさが弱点にならなければいいが。

 コロナワクチンの早期接種、広範なPCR検査の実施、胃カメラを含む人間ドックを低額で受けられる健康対策など、切実な住民要求を声を大にして取り上げてほしい。ガンバレ、マスオさん。

2021年3月6日土曜日

国家公務員倫理法などのこと

 菅首相の長男が関与した総務省の接待問題のテレビ報道などで、「割り勘にしなかったのが悪い」「自分の分を払っておけばよかった」というようなコメントが飛び交っているが、私の知る限りそのコメントは正しくない。その理由を以下に述べる。ただし、データが少し古いので精確に論ずる場合は現行の諸規定等を再確認してもらいたい。 

 そもそも国家公務員倫理法第3条の3に「職員は、法律により与えられた権限の行使に当たっては、当該権限の行使の対象となる者からの贈与等を受けること等の国民の疑惑や不信を招くような行為をしてはならない。」とあり、「贈与等」には「供応接待」が含まれている。

 倫理法を受けた国家公務員倫理規程3「禁止行為」(1)六には、「利害関係者から供応接待を受けること。」七に「利害関係者と共に飲食をすること。」とある。

 ただし、同規程(2)に「前項の規定にかかわらず、職員は、次に掲げる行為を行うことができること。」とあり、その八に「利害関係者と共に自己の費用を負担して飲食をすること。ただし、職務として出席した会議その他打合せのための会合の際における簡素な飲食以外の飲食(夜間におけるものに限る。)にあっては、倫理監督官が、公正な職務の執行に対する国民の疑惑や不信を招くおそれがないと認めて許可したものに限る。」とある。

 テレビのコメンテーター等はこの部分を読んで語っていると思われる。

 しかし政令第101号「国家公務員倫理規程及び解説」の第7号「利害関係者と共に飲食をすること。」には、そもそも「職員が自己の費用を負担するか否かを問わず禁止対象となっている。」とあり、前記規定の「禁止行為から除外される行為・・」の第8号に、「本号で認められる行為はつぎのとおりである。」として、① 自己の費用を負担して昼間に飲食をすること。② 夜間において、自己の費用を負担して、職務として出席した会議その他打合せのための会合の際に簡素な飲食をすること。③ 夜間において、自己の費用を負担して、倫理監督官の許可を得て飲食をすること。」と限定している。 なお、「簡素な飲食」は、「一般職員の場合、3~4000円程度のものがこれに該当する。」とある。
 重ねていうと、倫理規定(2)の八の「自己の費用を負担して飲食」できるのは、上記の①②③だけなのである。

 なお、別項第6号で「多数の者が出席する立食パーティー・・」も除外されているが、ここでは触れない。

 結局、菅首相長男関与事件では、①の「昼間」ではなく、②の「職務として出席した会合・・」や「簡素な飲食」でもなく、③の「倫理監督官の許可」も得ておらないから、割り勘分を後から返そうがどうしようが総務省幹部は国家公務員倫理法違反なのである。繰り返すが、本件は「割り勘でも違法」なのである。

 以上、「割り勘だったらよい」の誤解を指摘しておきたい。実際、現場の国家公務員は厳しく己を律しているので強く訂正しておきたい。間違った誤解が公務員労働運動の障害になってはいけないとの思いでこの記事を書いた。

 なお、菅首相長男関与事件は、「割り勘にしなかったことが悪い」というレベルの問題ではなく、元総務相でもある現首相の長男で元総務秘書官であった人物を介して、不公平な行政が行われたのではないかという、いわば贈収賄事件というのがものの本質だろうと思う。

2021年3月5日金曜日

月ヶ瀬梅渓

   あまりに巣籠り状態にある妻を乗せて、国の名勝に指定されている月ヶ瀬梅渓に行ってきた。

 コロナのせいか、それとも過疎化ゆえか、その昔来たときよりも寂しい感じがした。個人の感想ながらそう思った。

 桜のお花見でもお正月の初詣でも、やたらに混んでいるところは敬遠したいが、といって、あまりにひっそりしているのは淋しいもので、ほどほどに賑やかであってほしい。

 しかし考えれば、公共交通には乗らず、密集はなく、茶店も利用せず、コロナ下での優等生のような外出だった。午前中はけっこうハードなポスティングで、午後は月ヶ瀬の坂道を上ったり下りたりしたので、久しぶりに肉体的に疲れたが、気持ちの良い疲労感というヤツである。

 孫の夏ちゃんが梅干しが大好きなので、梅をシソの葉でくるんで砂糖漬けにした甘露梅とか月ヶ瀬漬けと呼ばれている土産を買って帰った。実はこれ、私も大好きである。

 調子に乗って丸々一日アウトドアの日になって、テキメンに目が痒くなった。ただ、本来一緒にダメージを受ける鼻の方はマスクのおかげでなんともない(花粉症の抗アレルギー薬はだいぶ以前から服用しているが)。布マスクだがエライ!

2021年3月4日木曜日

愛知リコールの『事務局幹部』やっぱり

   3月3日付けの中日新聞(Web)は、『愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動を巡る不正署名問題で、リコール活動団体の事務局幹部だった山田豪・同県常滑市議(52)が二日、本紙の報道を受けて報道陣の取材に応じ、県警の任意の事情聴取を二月二十七日に受けたと明らかにした。多数のアルバイトを動員した署名偽造の関与については「捜査に協力しているので、何も答えられない」と話した。山田市議は、リコール活動で田中孝博事務局長らとともに中心的な役割を担い、活動方針の決定に携わったり、街頭演説で署名を呼び掛けたりした。報道陣から「関与を否定しないのか」などと問われたが「答えられない。(アルバイトの現場だった)佐賀市へ行ったかどうかも答えられない」と繰り返した。...』と報じた。

 山田豪常滑市議は、愛知維新の会公式サイトでは県組織の幹事長代理だから、リコール運動の田中事務局長よりも維新の会の中では上級の幹部ということになる。写真は山田氏のフェイスブックのプロフィールの写真である。

 ただし、朝日新聞、名古屋テレビから読売新聞までが2月下旬に広告会社の言として、「約1500万円ほど費やした。なので約1000万円の赤字」という報道の信憑性はどうだろうか。別の注文書=発注はないのだろうか。疑問は多い。

 27日にも書いたが、Wikipediaでもこのリコール運動を「名古屋市長の河村たかしや大阪市長の松井一郎、大阪府知事の吉村洋文などの政治家、美容整形外科・高須クリニック医院長の高須克弥、作家の百田尚樹などの右派系論客が大村秀章知事に批判を加えたことを端緒とする」と述べている。そして会の事務局長も今般の注文書の発注者も、当然4,746,500円の現金の支払い者も維新の会の幹部である。

 大阪では岡沢龍一大阪府議(維新)が2月15日に傷害容疑で書類送検されたが、維新の会の議員等の悪質なニュースにはいとまがない。「改革者」の偽イメージに惑わされてはならない。

 ネットに下記の『不祥事のデパート「維新」やらかしリスト』というのがあった。

 http://naomikubota.tokyo/blog/ishin


2021年3月3日水曜日

季節のない街

   2月の末にホームセンターで桜草を買って来た。 泉谷しげるの唄ではないが季節のない街になりつつある。要するに早すぎる。

 そんなもの買わなければいいではないかというところだが、ようやく寒波の心配も無くなり、春らしい花を見たいとウズウズしたのでホームセンターまで出かけた結果出会ったわけである。あと2週間もすると自生の春の花が順に咲くが、それが待てなかった。

 値段も安かったのできっと西洋桜草だろう。日本桜草だとこんな植木鉢はアンマッチになる。桜草については私はこの程度の門外漢だから嗤われているかもしれない。

 日本桜草の愛好者は盆栽のように大勢いて、それぞれ品種改良に汗していることは知っている。遠い知り合いにそういう会のリーダーの方もいた。しかしどういうわけかこれまでは育てたことはない。なんとなく自然の山野というわが庭のコンセプトには合わず美しすぎると感じていたから。

 日本桜草は江戸時代からブームの園芸らしかったが、どういうわけか有名な俳句はない。その理由、誰か教えてくれませんか。


2021年3月2日火曜日

首切ギス

   首切螽斯とは穏やかな名前ではないが、草食性ながら噛む力が強く、下手をすると指なども噛まれ、痛いらしい。噛みついているのを引き離そうとすると首が切れて頭が残る、それが名前の由来というが、ほんとうだろうか。実験はしたくない。

 この写真の角度では判り辛いが口の周りが赤く、異名の「血吸いバッタ」も輪をかけて怖ろしい。

 ただ、数少ない「成虫で越冬するバッタ・キリギリス類」で、寒い日に庭の草むらで見つけたが、孫の凜ちゃんは興味を示さず、祖父ちゃんだけが珍しい写真が撮れたと騒いだ。草むらの中とはいえ、植物でさえ萎れてしまうような寒波でも生き延びるのだから、ただただ感心するばかりだ。

 虫の声というと秋というのが常識だが、越冬した成虫は春から鳴く。その声がうるさいという主張がネット上にあるが、You Tube で聴いてみると、あまりうるさくは感じない。耳が老化するとモスキート音が聞こえなくなるというから、きっと老化のせいだろう。

2021年3月1日月曜日

3.1ビキニデー

   その頃私は小学校の低学年であった。195431日、遠洋マグロ漁船第五福竜丸は、ビキニ環礁で行われたアメリカの水素爆弾実験により大量に発生した放射性降下物(死の灰)を浴びた。

無線長だった久保山愛吉氏は約半年後の923日に「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言して死亡した。

被曝した日本漁船は数百隻、被曝者は2万人を越えるとみられているが、多くは強大な戦後史の闇に閉じ込められた。ビキニ環礁周辺の人々も同じである。

 第五福竜丸はSOSを発することなく静岡県の焼津港に帰港したのだが、その理由も、帰港前にSOSで被曝を発表すると米軍に撃沈されると判断したためであった。

 予想どおりというか、久保山氏の死を日本人医師団は「放射能症」と発表したが、アメリカ政府は現在まで「放射線が直接の原因ではない」との見解を取り続けており、この件に対する明確な謝罪も行っていない。

 小学校では「マグロを食べたらあかん」「雨に直接濡れたらあかん」と教えられたが、街の大人たちの中には「それぐらいで弱ったらあかん」という精神主義がまだ残っていたので、児童たちは粋がって、知って雨に濡れたりした思い出がある。そもそもSNSどころかテレビもない時代で、報道は非常に抑圧されていた。

 それから67年が経過し、国際的には核兵器禁止条約が成立したが、久保山氏の願いに逆らうように菅自公政権は条約の批准に後ろを向いたままである。報道の抑圧も再び同時代に戻ったようなありさまという一面もある。若い日、焼津の久保山氏の墓前祭に参加したが、当時はこれほどまでに世の中が停滞するとは思わなかった。故に、野党共闘による政権交代は喫緊の課題であろう。

 「日本政府は核兵器禁止条約を批准せよ!」。今日ぐらいは?SNSや何らの方法で一人一人が声をあげようではないか。そして若い世代にこの事実を継承しようではないか。今日は3.1ビキニデーである。

   記憶を覚ませ今日は3,1ビキニデー