酒席の他愛ない話では「佐川局長はええポストに天下りするでえ」などと笑いあっていたが、28日、政府から俗人の及びもつかない人事が発表された。そしてそれは、あまりな反則技であった。
森友事件で国権の最高機関・国会で嘘をつきとおした財務省佐川宣寿理財局長のことである。
新聞報道どおりに書くと、『政府は28日、迫田英典国税庁長官(57)が退き、後任に財務省の佐川宣寿理財局長(59)を充てる人事を固めた。財務事務次官への昇格が固まっている福田淳一主計局長(57)の後任には岡本薫明官房長(56)を起用する。国際部門トップの浅川雅嗣財務官(59)は留任し、異例の3年目に入る。来週にも発令する』
霞が関の常識では、財務省にあって理財局長は主要ポストでない。
それに、57歳の前長官の後に59歳の先輩が就くのも普通にはあまりない。
そのポストはなんとなんと国税庁長官だ。
異常である。異常である。
そもそも論でいえば、理財局長が国税庁長官に昇進しても問題はない。後輩の後に先輩が人事異動してもよい。しかし今回のこれは異常である。
安部一族にとっては「よくぞ御楯になってくれた」という論功行賞だろうが、国会から見ると、これほど不真面目に民主主義を蹂躙した答弁態度はなかった。
佐川氏本人はある意味誠実な公務員なのだろうが、客観的に果たした責任はある。
そして何よりも、法律も民主主義も蹴散らして、首を垂れた人間を抜擢し、諫言した人は人格攻撃や「文科省のスパイ」扱いする安倍自公政権の反則技が目に余る。
「君が徹底して白を切り通してくれるなら、過分の人事で答えよう」とでも言っていたのだろうか。
「権力にとって最も大切なものは、警察と徴税だ」という有名な論がある。軍ではない。
私は現職の頃、国税通則法と国税徴収法を扱っていたことがある。
その時の感想は、この法律はなんと怖ろしい法律だということだった。
労働法の体系などとは異質な、税務署がその気になれば『何でもできる』法律だと思った。
翻って、国税庁・税務行政には憲法と民主主義が大事だと痛感した。
と考えると、佐川氏個人に何の恨みもツラミもないけれど、あの国会答弁を貫き通した前理財局長は国税庁長官に相応しくない。
この人事は、財務省だけでなく全省庁の公務員に対する「見せしめ」でもある。
2日投票の都議会議員選挙で、自公に対して都民の良識を突き付けなければ、ほんとうに日本は独裁国家になる。
水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり
本日は夏越の大祓。土俗のマジナイだと笑わずに、上の歌を百人一首の要領で詠いながら茅の輪を潜ろうと思う。
水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり
本日は夏越の大祓。土俗のマジナイだと笑わずに、上の歌を百人一首の要領で詠いながら茅の輪を潜ろうと思う。