卒業式の季節。
大阪府や大阪市では、君が代の斉唱を教員に強制したりして、真の教育とかけ離れたニュースが多く心が痛む。
そんな中、和歌山大学学長の卒業式式辞が素晴らしいと報じられた。
要旨をご紹介しようかと思ったが故意に要約したように思われたくもないので全文を掲載させていただく。
「和歌山大学山本健慈学長 平成25年度 卒業式式辞」
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桜に先んじて紅李が満開 |
本日、学士の学位を得た918名の学部卒業生の皆さん、修士の学位を得た225名の大学院修士課程修了生の皆さん、博士の学位を得た6名の博士課程修了生並びに博士学位取得者の皆さん、そして11名の特別支援教育特別専攻科修了生の皆さん、卒業・修了おめでとうございます。
御来賓の本学同窓会の萩平会長ならびに本学後援会の奥村会長、そして列席の理事・副学長、学部長とともにご卒業を心からお祝いいたします。あわせてご家族あるいは関係者の皆様にも、心からお慶びを申し上げます。
さて、本日卒業の学部卒業生の多くは、1年次年度末の3月11日東日本大震災を経験されました。3・11大震災は、皆さんの中に、どのように刻まれているでしょうか。
3・11大震災後、私自身すぐに思ったことは、個人として大学として、直ちに何かをしなければならないということと同時に、被災者の方々の苦しみを真に共有するよう努力することが大事だということでした。とくに未来を背負う学生、若者に、現地に足を踏み入れ、まずは現地を知ることによって、自分が今なすべきことを考えると同時に、自らの未来・人生のテーマを発見してほしいと思ったのです。
そして2011年、12年、13年と毎年本学からボランティアバスを派遣してきました。私自身も、3・11後の未来を考えるうえで、判断を誤ることがないように、機会があれば東北、とくにフクシマを訪ねるようにしています。
このボランティバスに参加した第1期生も、本日の卒業生の中にいます。そのうちの一人の学生と先日対話をしました。
彼は、震災が起こるまでは、趣味としてスポーツを楽しみ、自宅を離れての生活を満喫していたと言います。そして、3・11がなければ、そのままの生活で学生時代が終わったであろうと。しかし、震災後のいろいろなメッセージに接し(彼は、私が学生への講演で紹介した渡辺憲司立教新座中学校・高等学校校長の「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」(『それでもいまは、真っ白な帆を上げよう -3.11東日本大震災後に発信された、学長からの感動メッセージ』旺文社2011年)での「海を見る自由」に触発されたという)、自分の満喫していた生活は、大学生としての自由の保障の中であったのだと気づいたと言います。
そして、その自由を生かしているかと自らを問い直し、ボランティアバスに乗ったと言います。その後、福島を含め繰り返し東北を訪ねているという彼に、卒業を控え、今は何を感じているかと聞きました。そうすると、「就職も決まり進路も決まったが、今、人生と時代への不安を、今までにない感じ方で感じている。」と言い、そして「それに抗するためには、学び続けることしかないと思っている」と付け加えました。
彼は「学び続ける」というテーマを、人生の価値として発見したのだと思います。皆さんが在学したこの4年、大学は、教育のあり方を根本的に変えてきました。受動的な学びではなく、アクティブラーニング、プロジェクト・ベイスド・ラーニング、その拠点としての大学図書館の大改造。
皆さんも、彼と同様、主体的な学び、答えのない問題への探求の姿勢、この意味と醍醐味を身につけられたでしょうか。これこそが、大学卒業の最大の意味だと言ってもいいでしょう。
彼との対話の最後に、彼から、「学長には不安はないですか」と問われました。そのときは、時間もなく、十分答えられませんでしたが、この式辞をまとめながら、彼との対話を思い起こし、そのとき彼の問いに正直に答えられなかった不誠実と、「私の深い不安」が身に迫ってきました。
それは、彼が言った「不安に抗するためには、学び続けることしかない」、この「学び続ける」自由の危機、学び続ける自由を抑圧しようとする動きが、この日本社会にあること、そしてこの不安を彼の前で表明しなかったことです。
中沢啓治氏の古典的アニメ『はだしのゲン』の行政および民間団体による排斥、個人の行為とはいえこれも古典的価値のある『アンネの日記』の破損、さらには社会思想家
内田樹氏や、社会学者
上野千鶴子氏の講演への行政権力の介入的態度。私が生きてきた65年の人生で、こうしたことが公然と行われ、かつ連続的に起こっていることは、驚くべきことです。
私は、昨年末の「特定秘密保護法」の制定に対して、これを、学びの自由への抑圧と捉え、その危惧を表明しておりました。(2013年12月31日毎日新聞)。
先の学生が言うように、学びは、不安から、そして好奇心から始まります。この学びの行き着く先は分からないのです。
かつて治安維持法の時代、好奇心旺盛な学生が、旅で見た風景を語っただけで「スパイ」とされ、罰せられた歴史的事例もあるのです。(上田誠吉『ある北大生の受難・・国家秘密法の爪痕』花伝社刊 2013年)何が秘密かも知らされない特定秘密保護法は「どこに地雷が埋まっているか分からない」という恐れを抱かせ、何かを知ろうとする若者たちの意欲を萎縮させるものです。社会の要請である自発的な学びの意欲をもつ人材を育てることを阻害するような制度は、大学の経営を任されている者として容認することはできません。
そして、「学び続けること」の必要は、学生だけのものではありません。社会には多くの判断の違い、対立があります。それらの違い、対立を自由な学びの中で考え、自らの判断を形成し、社会・政治に参加していく、これが民主主義社会の姿です。市民に学習の自由が保障されてこそ、民主主義は成立するのです。
このことを、1985年第4回ユネスコ国際成人教育会議は、「学習権は、人類の生存にとって不可欠な道具である」「学習権は、経済発展のたんなる手段ではない。それは基本的権利のひとつとして認められなくてはならない。学習行為は、(中略)人間行為を出来事のなすがままにされる客体から、自分自身の歴史を創造する主体にかえていくものである」(1985年3月29日 第4回ユネスコ国際成人教育会議採択)と言っています。
この「学習権」が否定されようとしていること、これが私の市民として、学長として、また生涯学習の自由を研究してきた研究者としての「不安」の核心であり、全てです。
そして、私自身が、皆さんの未来への義務としても、この動きに抗する責任を感じています。そして今こそ、その責任を果たすべきだと考えています。
それはなぜか。私は、いま1985年5月8日 第2次世界大戦でのドイツの敗戦40周年にあたっての西ドイツ国会でのヴァイツゼッカー大統領の演説の一節を思い出します。
ヴァイツゼッカー氏は、「後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」と述べましたが、このドイツで、1945年の敗戦の直後に、ナチスの支配を許したドイツの反省を、ある牧師が語った有名な回顧があります。
「ナチ党が共産主義者を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会民主主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した・・・しかし、それは遅すぎた」(マルティン・ニーメラー牧師)(M・マイヤー著 田中浩・金井和子訳『彼らは自由だと思っていた・・元ナチ党員十人の思想と行動』 未来社 1963年初版刊行)と。
この牧師の回顧にならうならば、ある書籍が排斥された、そのとき多少不安だった、でも何もしなかった。ある研究者が排斥された。前よりも不安だったが何もしなかった。そしてついに・・・ということになりかねないのです。
皆さんの未来にとって、そして大学、社会の未来にとって、<学び続ける自由>こそ重要であり、民主主義の根幹です。日本社会においての最高学府で、学ぶことの価値と意味を体験した皆さんには、それを行動で体現し、それを阻害するものに抗していただきたいと思います。
ヴァイツゼッカー氏は、先の講演の最後に、「ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪を掻きたてつづけることに腐心しておりました。若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。」「若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい」と言い、次のように締めくくっています。
「民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範をしめしてほしい」と(永井清彦編訳『言葉の力
ヴァイツゼッカー演説集』岩波書店 2009年刊)。私も、皆さんが、そうあることを願っています。
式辞の終わりにあたり、私は本学が発信している「和歌山大学は、生涯あなたの人生を応援します」というメッセージ通り、教職員は勿論のこと全国各地にいる同窓会の諸先輩方とともに、卒業後も皆さんを応援することを、とりわけ<学び続けること>を応援することを重ねてお伝えし、式辞といたします。
2014年3月25日 和歌山大学長 山本 健慈