2019年5月18日土曜日

介護の決断

   私が要介護度の基準をつくる立場でいたらやはりこんな風に書くかもしれないと思いつつ、でも、これをつくった人は介護の経験のない医師や公務員や「専門家」だろうなあとしみじみ思うことがある。

 例えば、「歩行」に焦点を当ててみると要介護度の基準は次のようになっている。
 要介護1 ・歩行や両足での立位保持などの移動の動作に何らかの支えを必要とすることがある。
  要介護2 ・歩行や両足での立位保持などの移動の動作に何らかの支えを必要とする。
  要介護3 ・歩行や両足での立位保持などの移動の動作が自分でできないことがある。
  要介護4 ・歩行や両足での立位保持などの移動の動作が自分ひとりではできない。
  要介護5 ・歩行や両足での立位保持などの移動の動作ができない。

 もちろん要介護度は歩行のことだけで判断するものではないが、「多くの不安行動や全般的な理解の低下がみられることがある」認知症と重ね合わせると、介護するのに一番苦労するのは「どうにか歩行ができる」要介護者である。危なっかしくて目が離せない。
 つまり、介護に一番苦労する状態の評価が低く、反対に、もう車椅子生活になってしまって、ある意味「おとなしくなった」要介護者の評価が高くなっている。この矛盾の「感覚」は経験者でないと判らないかもしれない。

 百姓仕事で鍛えられた義母は、足腰が比較的丈夫である。そして一方で、自分が弱っているという自覚がない。
 そんなものだから、転倒して大腿骨骨折で入院したことがある。超高齢者が大腿骨骨折で入院すると急速に全身状態が悪化するともいわれているが、そういう常識に反して、おかげで退院できた。
 その後も、勝手に起き上がって転倒して顔面打撲で入れ歯が壊れたこともある。
 不謹慎かもしれないが、穏やかな生活のためには「立てなくなって欲しい」とも思ったこともある。

 ・・・老人ホームから電話があった。嫌な予感どおり、再び転倒して大腿骨を骨折した。
 病院へ跳んでいった妻は医師が「手術する」というのに、「100歳近い患者を手術してどうなるのか」と反論すると、医師も「それもそうだ」と簡単に方針を変更して、鎮痛剤服用でそのままにすることを決定したという。
 手術をしてギブス固定をして絶対安静を強力に強いるよりは「よりましな」選択を妻は決断したことになる。
 人生にはつらい決断を迫られる場面が避けられない。
 自分が介護されるときの教訓にしたいがそのとき此方の認知がどうなっているやら。
 夫婦で「お互いに延命治療に類することは一切避けよう」と何回も確認し合っている。

2 件のコメント:

  1. とてもいい選択をされたと思います。祖母が80歳台で大腿骨を骨折した時医師から手術かそのままにするか尋ねられて手術はしませんでした。痛みが治まってリハビリを頑張って歩行できるようになりました。

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  2. yukuriさん、コメントありがとうございます。
     正直なところ、歩行までは期待しておりません。車椅子で穏やかに日々を暮らせていけばいいがと思っています。

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