2019年4月2日火曜日

漢字文化圏の教養とは

 4月1日付朝日新聞の夕刊トップ記事はもちろん新元号で、巨大な文字の見出しが「典拠は万葉集」「国書に由来は初」であった。
 万葉学者上野誠先生のファンである私としてはことさらの嫌悪感はない。
 とりあえず幾つかの辞書で「令月」を引いてみたりしたが、和漢朗詠集ぐらいしか辿れなかった。
 もう一度朝日新聞に戻ると「大化から平成までは、確認されている限り中国の儒教の経典「四書五経」など漢籍を典拠としており、安倍政権の支持基盤である保守派の間には国書由来の元号を期待する声があった」と書いており、安倍首相の記者会見の論調も正にそのとおりであった。

   しかしネット社会とは恐ろしいもので、すぐ数時間後には、安倍首相の発言やそれを垂れ流した朝日新聞の記事の論調が大いに不正確であることを指摘する意見がネット上に開陳された。

 指摘の主旨は、中国南北朝時代の文選に収められた張衡(78-139)の「帰田賦」に、「仲春令月、時和気清」とあるのを万葉集の「詠み人知らず」が「初春令月、気淑風和」と本歌取りして語ったものだろうというもので、新日本古典文学大系「萬葉集(一)」の補注(写真掲載)にもあるというものである。

 私は非常に説得力のある指摘だと思う。
 だからといって万葉集の価値が下がるわけでもなく、本歌取りの思想は和歌の技法のひとつであろう。そのことによって内容がさらに深まったりする。

 結論は、安倍晋三氏は乾坤一擲「漢籍由来でない元号」を定めたつもりだろうが、所詮は彼の浅学を晒しただけだったということになる。
 古典といえばアジアの漢字文化圏の中で各民族が文化を紡いできたのであるから、ことさら「国書だ国書だ」というのは児戯に等しい。

2 件のコメント:

  1.  私は萬葉集典拠がいけないなどとは思っていない。だが、安倍首相やマスコミがこぞって国書だ国書だというのを聞くと、どうも夜郎自大の振舞いに見える。で、皮肉のひとつもいいたくなって口を滑らすのだが、記者会見で安倍首相が、梅の花と日本人をつなげて”ニッポンすごい!”を言うが、高名な万葉学者犬養孝先生の『万葉のいぶき』を読むと、「当時の文化人からみたら梅は新しい花で、こんにちの人が見る梅の感覚と違います。たとえばこんにちの人が西洋の花をみて楽しむような、ある種のエキゾチックな感覚もあったんだろうと思います」と教示されている。
     それでいえば、当時の文化人は梅の花を通して、その先に華やかな中国文化を見ていたのだろう。古典にかかわってものをいうならもう少し学問に対して謙虚でなければならないのではないだろうか。

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  2.  余談ですが、古の藤原京の地で生まれた孫の名前の典拠は萬葉集です。

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