2019年2月18日月曜日

朝日歌壇に学ぶ

217日朝日新聞の「短歌時評」は歌人の大辻隆弘氏の「短歌と天皇制」というもので、端折って摘んで述べれば『太平洋戦争中の短歌は戦意高揚の具であった。その反省から出発した戦後短歌は皇室と関係を結ぶことに慎重だった。ところが「短歌研究1月号」は「平成の大御歌・・」を特集し、それに対して歌壇は無反応だった。なので気鋭の歌人瀬戸夏子は「戦後短歌は終わった」と慨嘆する。天皇制との関係は短歌の「原罪」であると同時に「強味」でもあるのだ。その二面性を見つめる成熟した視座が必要だ』というもので、門外漢の私などはただただナルホドと感心するだけだった。

そういえば、128日に安倍首相は施政方針演説の冒頭に「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」という明治天皇の歌を引用した。
この歌は日露戦争の戦意高揚のための歌であり、その後の日本が戦争の道を歩んだことを考えれば、現憲法下で首相が得意げに施政方針の冒頭に引用するのは全くもって正しくない。
   歴史家の半藤一利氏が戦前の教訓として「国民的熱狂をつくってはいけない」「抽象的な観念論を排しリアリズムに徹せよ」と指摘されていたのは、遠くない将来、リーダーであるべき政治家がこういう演説をすることの危険性を予見しておられたのだろうかと私は以前にこのブログに書いた。

さて17日の「短歌時評」の掲載されたページは「朝日歌壇」の一部である。その(朝日歌壇の)入選作のひとつに次の歌があった。
 戦争に「どちらでもない」はなかった 基地ある限りどちらしかない(神戸市)加古裕計
選者である永田和宏評は「沖縄の県民投票。どちらでもないという保留票が加えられた不思議」だった。
そういえばそうだ!と私はこの歌の視点に目を覚まさせられた。

蛇足ながら、選者の永田和宏氏は現代政治状況にも非常に鋭い批判を堂々と発表されており、かつ、宮中歌会始の詠進歌選者というから、氏を認容する現天皇家と先の演説をした安倍政権の不協和音の象徴かもしれない。もし不当な圧力があれば守りたいものだ。

同じ日の新聞の別の頁に直木孝次郎氏の死去も報じられていた。
直木先生は古代史の大家で、私も著書をいくつか持っている。
古代史とは別の顔では有名な歌人でもあり、歌会始の召人(めしゅうど)になったこともある。
先ほどから述べてきた朝日歌壇にも度々入選していて、「いわゆる戦争法」が強行採決された年でもある2015年には朝日歌壇賞を受賞した。その歌は、
   特攻は命じた者は安全で命じられたる者だけが死ぬ だった。

   反骨の歌人逝く日の新聞に「どちらでもない」の欺瞞問う歌

6 件のコメント:

  1. 直木孝次郎先生追悼の気持ちを込めて著書[古代日本と朝鮮、中国]を読み返したいと思います。

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  2.  基本的には論文ですが、付録の「中国古代の都城をたずねて」は少し筆の色が異なります。
     山根徳太郎博士が発掘された難波長柄豊碕宮のモデルとされた西安の大明宮を訪ねられた折は、日中国交正常化が遅れたため、ついにこの地を訪れることなく亡くなられた山根博士を思われ、「先生とともに尋ねてみたかりき含元殿のあとどころここ」という歌が添えられていました。ほかにも歌がたくさん挟まれていて、温雅なリポートです。

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  3.  FBに転載したものに、Seiko Hagaさん、Hiroko Kakiuchiさん、松本繁次郎さん、長谷川道弘さんから「いいね!」をいただきました。ありがとうございます。

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  4. 19日の朝日新聞、天声人語、全て直木孝次郎先生のことでした。▼率直であれ。真意を偽るな。そんな信念が、研究や保護運動、短歌を貫く。と。

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  5.  直木先生は「九条の会・おおさか」のよびかけ人でもありました。

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  6. 20日朝日に大阪歴史博物館長栄原永遠男氏の寄稿文[古代史研究の導きの星―直木孝次郎さんを悼む]がありました。難波宮跡保存運動や建国記念日ー日本神話の政治性の批判についても記されていました。

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