2018年12月7日金曜日

鬼が笑う話

   来年のことを言うと鬼が笑うというが、その来年の鬼のことで嬉しいことがあった。

 今から5年前の2013年2月15日と23日に『戌亥(いぬい)の隅にどっさりこ考』を書いたが、骨子を述べれば、「わが家では節分の豆撒きのときに、鬼は外、福は内、戌亥の隅にどっさりこ、と声を発するのだが、どうして”戌亥の隅にどっさりこ”なのだろうか。日本の土俗に絶大な影響を与えている道教・陰陽道では、戌亥(北西)の方角を、神門、天門、大将軍などと言い、福徳の方向、同時に禍も来易い方角と信じられてきた。天皇祭祀の中でもとびきり重要な四方拝では、北に向いて天(皇天上帝)を拝み、次いで戌亥に向いて地(国土神・地祇)を拝み、しかる後に四方と皇祖の山陵を拝むことからも明らかだ。このように朝廷から各家まで最も神聖な方角と認識され、各家では蔵や祠を戌亥に建てた」と書いたのだった。

 ただ哀しいかな私の友人たちの中に「うちでもそう言うよ」という声はなく、ネットや書籍を当ってみても同様の話にはたどり着けなかった。
 ミニコミ紙の記事やその送り状にも書いたが、「そういう話は知りません」という返事を数人から頂いただけだった。それから6年近く経過した。

 先日、昭和47年発刊の高谷重夫著『日本の民俗27大阪』(第一法規)という古本をたまたま手に入れた。
 そしてついに、その「年越し行事」の章の中に次の文章を見つけた。
 「・・守口市の佐太一番では・・『福は内、鬼は外、乾の隅へドッサリコ』と豆をまき・・」 やっぱり大阪にこういう習わしがあったのだ!

 そこで気を取り直して少し丁寧にネットを探してみると、梅田茶屋町の画廊『Gallery4匹の猫』のオーナーの日記の中に「生前、祖母は豆まきを率先して行い、半紙を折って作った「みの」に神さんへの豆を供え、最後はトイレに「乾の隅にどっさり」と言って豆をまくように言ってました。何をどっさりやったんか聞いておけばよかったです」というのを見つけた。

 現代では、例えばインフルエンザに罹れば医者に行けばよいが、その昔の冬は油断すると魑魅魍魎にやられる危険な季節であった。
 その感覚があればこそ豆撒きも単なる朝廷や公家の行事を超えて各家に広がった。
 そういう民俗行事に思いをはせて年中行事を子や孫に繋いでいきたいものだ。
 上方文化を愛する方々は来年からこう言って豆を撒いてもらいたい。
 「鬼は外、福は内、戌亥の隅にドッサリコ」。もちろん戌亥には多い目に豆を撒き、そして瞬時に戌亥の方角にある扉をガシャンと思い切り閉めるのである。

   初冬(はつふゆ)に春の話題のあほらしさ 

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