2018年12月31日月曜日

時間の感覚

空中逆上がり
   「ちちんぷいぷい」という番組で、平成最後の年末ということで、過去10年を振り返って雛壇のそれぞれが語っていたが、それにつられて振り返ってみると、私はこの10年の間に、就業をリタイヤした。
 実母を施設介護にした。
 義姉が入院して看護プラス二人の介護という時期があった。
 息子が結婚した。
 娘が結婚した。
 孫の夏ちゃんが生まれた。
 実母を見送った。
 孫の凜ちゃんが生まれた。
 凜ちゃんの大手術があった。・・
・・・と、結構波乱万丈であったはずなのに、何かさらっと時が流れたような気分でいる。

 歳がいくとこういう気分になるものなのだろうか。
 決して「時の流れが早すぎる」という後悔に似た気分でもないし、先の見えてきた厭世観という感じでも別にない。
 そのうち(10年)のさらに一瞬のように2018年が去る気分でいる。

 それはさておき、夏ちゃんが遊ぼうというので「Sけん」を教えてやることにした。
 しかし、ケンケンで息が上がってしまった。
 そして空中逆上がりを時々成功させる孫にただただ感心した。
 2019年はちょっとはアンチエイジングに挑戦してみるか。三日坊主かな?

 みなさま! どうか好いお年を!

   挑戦は善き言葉なり逆上がり

追伸  これは祖父さん祖母さんを狙ったえげつない商売だと判っているのだが、つい乗せられてしまった。今朝の朝日新聞14面の広告に孫二人を載せてしまった。夏ちゃんからは喜んでいるとメールがあった。凜ちゃんファミリーからはすぐに見つけた!とメールがあった。
 今年の最後も「爺ばか日誌」でお手を拝借 チョン!

2018年12月30日日曜日

終わりよければすべてよし

寒風など素知らぬ顔の「ヒナ草」
   年の瀬になった。「終わりよければすべてよし」という言葉があるが、そう思い込むことにしよう。
 先日来孫の夏ちゃんのことばかり書いてきたが、実は孫の凜ちゃんは入院していた。
 だから私も老人ホームでおどけて行事をして、取って返して孫の病院まで面会に行ったりしていた。高速道路を使って約50分。

 成長がゆっくりなため未だ半分乳児のような孫は、点滴の管や機器のコードでぐるぐる巻きにされ眠っていることが多かった。
 それも、病院の都合かどうかは知らないが(?いや実際によくなったのだろう)退院となり、「終わりよければすべてよし」と考えながら2018年を送ろうと思う。

 さて、俳句の季語に漠枕(ばくまくら)というのがある。悪夢を漠に食べてもらうというものだ。
 2018年を振り返ると漠に食べてもらいたい悪夢のような政治が多かった。
 その中の一服の清涼剤は沖縄のデニー知事の勝利だった。

 そして、2019年は選挙の年である。統一地方選挙と参議院選挙は確定している。
 よこしまな維新は大阪知事、市長選挙や否決された住民投票の蒸し返しをするかもしれない。
 支持率低下の安倍政権は野党共闘つぶしのための解散だって考えるかもしれない。
 でも私は「ええやないか」「受けて立とう」と思っている。

 繰り返すが、2019年は選挙の年になる。
 この国をまともな国に戻すために、是非とも共産党を伸ばすことにお力添えをお願いします。
 そして、沖縄に学んで本気の野党共闘をご支援願います。 

   マルクスはジャーナリストとの指摘選挙の年迎えて決意

2018年12月29日土曜日

勇魚(いさな)を食べながら考えた

ナガスクジラの美味しそうなお刺身があったので買ってきた。
筋もなくほんとうに美味しかった。

さて日本国憲法前文第3段は次のとおり謳っている。「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」と、・・これは国際協調主義の原則といわれている。

他国のことながらトランプの政策・主張はこれと真っ向から対立している。
ならば、日本国首相がどう立居振舞うべきかは言うまでもない。
しかし乍らご推察どおり、トランプの「熱心な臣下」(ニューヨークタイムス)である安倍首相は、例によって「解釈改憲」を重ね、ついにはトランプに倣って国際協調主義の原則まで踏みにじるに至った。
つまり安倍政権は1226日、国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を決めた。

 私は捕鯨も鯨食も文化だと思っている。秩序ある捕鯨は認められるべきだと思っている。
 非科学的な論理でそれに対抗する人々とは徹底的に論戦すべきだと思っている。
 それが現代人の理性であり外交の神髄だと思っている。
 つまりIWCの多数意見は不当である。さはさりながら、子どもの喧嘩のように脱退するのは多数意見の不当さに何十倍も輪をかけて最低である。

 はて、安倍政権は沿岸の漁業者のために脱退を決断したのだろうか。
 今でも沿岸でのツチクジラ漁などはIWCの管轄外であるから、ただただ首相の選挙地盤の下関の沖合漁対策ではないのか。
 
 先の国会では、安倍政権はほとんど審議をせずに漁業法改正案を強行採決した。
 そも漁業法は、不在地主ならぬ羽織漁師の前近代性改革のためにつくられていたものだが、改悪案では、漁業者を「主体とする」ことも「民主化」も削除した。
漁業権の漁協への優先順位も廃止。
漁業調整委員の公選制も廃止。
大型船のトン数規制も撤廃・・・というものだ。
一言でいって漁業を大企業に売り渡すものである。
以上のどこに漁民への支援があるというのだ。

 重ねて言うが、IWC脱退は憲法理念に反する大愚策である。

   勇魚という名に及びもせぬ愚策かな   

2018年12月28日金曜日

オオムラサキが飛んできた

   22日の「ギフチョウが飛んできた」の続編である。
 22日のクリスマスパーティーの際にプレゼントした「ふわふわちょうちょ」のキッドを孫の夏ちゃんは一旦持って帰っていたが、そのまま持ってやってきた。
 小学一年生であるが、近頃は少々横着になっている。ある種の反抗期かもしれないが、その方はいくつもぶつかる反抗期のようなものだろうから心配はしていない。

 で、祖父ちゃんに作ってくれという。
 となると、祖父ちゃんも反抗期になって意地でも作らず、助言はするがあくまでも夏ちゃんに作れと言った。

 と言いながら要所要所でつい手を出してしまう軟弱祖父ちゃんだが、基本的には夏ちゃんがオオムラサキのふわふわちょうちょを完成させた。
 22日の記事のギフチョウでは若干重心の位置がよくなかったので、今回はその反省を踏まえて指導した結果、完成したオオムラサキは先のギフチョウよりも完成度が高かった。
 もちろん、夏ちゃんは自慢げに持ち帰った。

 このキッドは友人のひげ親父さん、正確に言えばその奥様がわが二人の孫にプレゼントしてくれたものである。
 夏ちゃんが自分で作って大いに喜んだ。それを今このブログで報告して御礼に替えさせていただきたい。

   工作の蝶は世界を春にして

2018年12月27日木曜日

箸紙

 「箸袋のことを関西(上方)では箸紙という」と「ものの本」にあるが、その違いは意識したことがない。はて?

   毎年年末になると祝箸(箸紙)を自作している。
 自作にこだわっている理由はやはり上方の文化を大事にしたいからであるが、やむを得ずという側面もある。
 というのも、近所のイオンモール等々は関東式、あえて言えば東京式に席巻(蹂躙)されていて、意地でも上方様式にしたいなら自作するしかないためである。(京都の老舗の通販という手もないわけではないが)

 「箸(はし)」という日本語は「橋(はし)」さらに「梯(かけはし)」と同根の言葉で「橋渡しするもの」であろう。
 そして特に祝箸が「両口箸」であるのは「神人共食」の思想(両口の片方で人が食べもう片方で神が食べる)であるからで、上方の祝箸(と箸紙)が下から上に向けて箸を入れ、その箸先を水引で清めているのはうなづける。

 この祝箸には家族の名前をそれぞれ書くのだが、いわゆる「取り箸」は京都では「組重」と書き大阪では「海山」と書く。わが家では「海山」をさらに丁寧に「山海(の)珍味」と書く。
 そして水引の下には通常は壽が書かれて(印刷されて)いるのだが、近頃は折角自作するならとめでたい言葉を書いている。
 今般はその言葉を「瑞氣集門」とした。
 「めでたい氣よわが門に集まれ!」というのは我儘か。
 「辛いときも瑞氣はもう門のところまで来ているから頑張ろう」と解しておこう。

 「箸の上げ下げ」という言葉もある。躾けに関して引用されることもあるが、その人の立居振舞というか品格を表わす場合にも登場する。ことほど左様に日本文化にとって重要な位置を占める箸・・お正月の祝箸にもう一つ話題が盛り上がらないのはどうしてだろう。

 テレビを見ていると和食の進出とともに欧米でも箸を上手に使う人が増えているようだ。
 おまけに麺類までズズーッと啜ることさえできているのには『欧米人は「音をたてるな」と言っているが実はよう啜らないのだ』と解説されていた時代が嘘のようである。
 中国では匙も結構使うから現代社会での箸文化の代表選手は日本である。
 その日本で箸文化の代表選手であるお正月の祝箸をマスの商業主義に蹂躙されていてこれでいいのか!と時代遅れは世界の片隅でぼやいている。

 チコちゃん流に言えば、どこそこの店が三ツ星だとか、やはり本場の〇〇は違うとか言う前に、今こそ日本国民に問いたい。

   箸袋つくって少しずつ晦日

2018年12月26日水曜日

節句働きは恥ずかしい

 売れっ子芸能人は年末年始にハワイやオーストラリアに行くので今頃までが超多忙らしい。
 それになぞらえて言うほど売れっ子でもないし期待もされていないのだが、自分だけは頑張らなければ!と勝手に思っている。

 先日来、例えるなら「夏休みの終わりごろに宿題に追われている気分」でいた。
 というのも、関係するあちこちの「機関紙」が新年号の準備をしており、それぞれの原稿を提稿しなければならないからである。
 各所に10本の原稿は送り終えた。
 何人かに原稿の依頼も終えた。
 新しい執筆者も了解してくれた。

 私自身はどちらかというと新年号に相応しい明るい話題にした。それもクスッと笑えるように工夫して書いた。
 しかし、心の中はもやもやしている。
 辺野古のこと、軍事費のこと、憲法のこと、水道民営化、外国人奴隷労働、消費税、カジノ、都構想等等等等・・、言いたいことがいっぱい詰まっている。
 これはそれぞれ友人たちが書いてくれるだろう。それを信じる。

 孫の夏ちゃんが冬休みの宿題を持って帰ってきて、1~2日でやってしまって後は遊ぶのだという。
 「勉強とは何ぞや」ということを横に置けばその意気やヨシ!
 私も期限を守らないこと、期限ぎりぎりにすることは好きでない。
 人に嫌われる性癖だが仕方がない。

   おめでとうの原稿幾つの師走かな

 「怠け者の節句働き」という急所を突いた格言があるが、12月にはこれこれの仕事があると考えてこなかったのだろうか。はい。

2018年12月25日火曜日

喜んでもらう

 エエカッコを言う訳ではないが、自分にとって嬉しいことをヒトにしていただくより、ヒトに喜んでもらえる役割を割り当てられて喜んでもらうことの方が何十倍も嬉しい。
 老人ホーム家族会役員のメンバーは同じように思ってくれているように思う。

   この頃は民主運動の集まりでも「自分はそれは苦手」だとか言って、早い話が自分中心にモノゴトを語る傾向がある。(私の周りの年寄だけか)
 私はそういう議論にいささかうんざりしていたが、昨日の老人ホームでのクリスマスケーキプレゼントは全くそうではなかった。

 私は小さな歌詞を作って行った。
 誰にも言われていないのにハーモニカを持ってきてくれた人がいる。
 サンタの衣装を持ってきてくれた人がいる。
 みんな、誰に指示されたわけでもないのにこんなことをしたら入居者が喜ぶのでないかと集まってくれた。

 そうして何人かの本格サンタと簡易サンタ、そして3頭のトナカイ等々で鈴を打ち鳴らしながらホームの各部屋を訪問し、唄を歌い、楽しくケーキをプレゼントした。多くの入居者がイエーイと喜んでくれた。
 もし家族会の役員を受けていなければ、こんな嬉しい経験はできなかっただろう。つまり、美味しいケーキをいただいて嬉しいという感情の何十倍も嬉しい経験だった。

 以前に友人から、「請われれば一指し舞え」と言われたことがある。
 照れずに自分自身が楽しむことがヒトに楽しんでいただく極意だろう。
 歳をいくほどに人間は軽ろみの境地を身に着けなければならない。はは~~。

   クリスマス老人ホームのご馳走はわが家のそれより格段豪華

2018年12月24日月曜日

東大寺山堺四至図をよみとく

   22日に吉川真司京大教授による東大寺山堺四至図を読み解く講演があった。

 この絵図は天平勝宝八歳(756)に作られたものであるが、今のなら町のあたりが広く田であったなど変っているところも少なくないのだが、それ以上に現在の一帯が奈良時代とあまり変わっていないのだなあというのが私の印象だ。(右の模写のとおりだが、山ばかりのためか左側に比べて右側の縮尺が縮められている)

 印象に残ったことを思いつくままに書いてみると・・・、
 今は南大門が正門のようになっているが、当時は西大門が正門であった。そこは平城京二条大路つまり東西のメーンストリートの突き当りであった。なるほどさすが官寺東大寺だ。(西大門は今の若草ドライブウェイ入口のところ)

 ちなみに「回廊の中門」も南大門もそれらしい図になっているが記述はなく、南大門の北側は小山になっているからその当時南大門は正門には向いていなかったのだろう。

 羂索堂(今の三月堂)が大きく書かれており、その北側に▢のマークがある。さらにその横に井とあるが、▢は二月堂の前身か?そして井は閼伽井か?
 となると、天平勝宝4年(752)に修二会(お水取り)が始まったという縁起も肯定される。

 御蓋山の西に神地という表示がある。春日大社の創建は神護景雲2年(768)とされているから、先行して素朴な信仰が存在していた。それを春日大社が引き継いで発展させたということになるだろうか。

 神地の文字が東の御蓋山に向いて書かれている。つまり東面している。現在の春日大社は少し南に(これは絵図の間違いかもしれないが)南向きに建っているが、大神神社が三輪山を御神体として東面していることと合っていて、非常に古い神の信仰を想像する上で興味深い。

 その外、山側の寺や井戸がよく書かれていて、東大寺も含め源流は山林寺院と講師は指摘。だとすると、法隆寺や四天王寺とどうつながるのか?あるいはどういう変遷でそうなったのか?
 講師は山林寺院での修行が求められていたと指摘。さらに、聖なる水、泉や井戸も重視されていた証拠だと。

 以下、講演内容は割愛するが面白く充実した時間だった。
 えっ!! 面白くないですか。

   青丹よし奈良の京はそのままに

2018年12月23日日曜日

クリスマスパーティー

   22日は長谷やんファミリーの合同パーティーの予定だったが、凜ちゃんが熱を出したので、夏ちゃんファミリーとだけになった。
 凜ちゃんについては、今さら一喜一憂しないが少々残念だった。

 くす玉を割って、クリスマスソングを歌って、シャンメリーの栓を道の向こうまで飛ばした。
 くす玉からは昨日の記事に書いた「ふわふわちょうちょ」のキッドも落ちてきたが、近頃少々横着になってきた夏ちゃんは私が作っておいた凜ちゃん用の完成品を欲しがった。(左の写真の夏ちゃんの頭の上に降ってきたのがちょうちょのキッド)

 妻がサンタの帽子をかぶって、私がトナカイのカチューシャを着けて隠しておいたプレゼントを手渡した。
 この年頃の子どもには何を贈ろうかと思案した結果だったが、夏ちゃんは大いに気に入ってくれた。
 パーティーの後半はプレゼントの一つのマジックキッドを順に夏ちゃんが披露して楽しく大騒ぎをした。
 凜ちゃんファミリーの分までクリスマスケーキを平らげたらお腹がいっぱいになった。
 
   この日は、夕方近くまで「古都奈良の文化財 世界遺産登録運動20周年記念講演会&奈良歴史遺産市民ネットワーク総会」だったので、ついでに東向き商店街で極めて素朴な柚子を買ってきた。
 で、話は前後するが、パーティー前にみんなが冬至の柚子湯に入った。

 「チコちゃんに叱られる」で言っていたが、12月25日はキリストの誕生日というよりも「キリストの誕生を祝う日」で、「それなら冬至の日にしよう」となったという説が有力らしい。
 冬至の行事とクリスマスを一緒に行ったわが家の22日は、そういう原点のような日であった。

   鈴鳴らす孫に押されてジングルベル

2018年12月22日土曜日

ギフチョウが飛んできた

 ギフチョウ 学名 Luehdorfia.japonica 分布 日本の本州のみ 愛称 春の女神 ・・が飛んできた。
   You Tubeで「幸せの青い蝶」とか「ふわふわちょうちょ」と検索すると出てくる。

 友人のひげ親父さんが私の二人の孫にとプレゼントしてくれた。
 凜ちゃんには工作は無理なので私が作ってみた。
 微妙にぎこちなく(だから蝶らしく)ヨーヨーの感じで上下に飛んでくれる。(カオスとフラクタル???)
 予想以上に楽しい工作だ。

 このブログのおかげで、二人の孫は友人たち共通の孫のように気遣ってもらえている。
 「酸っぱい蜜柑を好きやろうから」などと言って重い蜜柑をいただいたりもする。
 ありがたいことである。
 さて、1年生の夏ちゃんはこの工作をよう仕上げるだろうか。
 クリスマスパーティーのくす玉からこのキッドが飛び出すように仕掛けている。

   青虫は夢見る故に蝶になる

 あのはらぺこ青虫がどうして想像も及ばない美しい蝶になるのか。きっと美しい夢を見ているうちにそうなるのだ。夢見ない青虫は蝶に成れっこないに違いない。夢は成長の母である。

2018年12月21日金曜日

花柚(はなゆ・はなゆず)

   「桃栗三年柿八年柚子の大馬鹿十八年」ということわざがあるように柚子の木に実が生るのは大変遅い。
 ところが「一歳柚子」といって1本でも1年目から実の生るのが花柚(はなゆ・花柚子はなゆず)で、「代々(橙)家が栄える」などという語呂合わせは別にしても、植木鉢にでも植えておくと料理や柚子湯に重宝だ。

 ほんとうの柚子に比べると相当小ぶりだし「香りもおちる」と書いてある本もあるが、しかし、料理にはこちらの柚子の皮の方が色が綺麗だし、私は香りがおちているようにも思わない。

 その小ぶりの木が庭の隅にあり、適当に料理に使いながら、冬至前にはご近所や友人たちに配っていた。(と過去形)
 しかしその習慣をこっそりと縮小し、お隣さん以外に配っていたのを今年から取りやめた。

   その理由はただ一つ、孫の夏ちゃんのためである。
 以前にも書いたことだが、夏ちゃんはこの花柚が大好きで、普通の温州ミカンのように剥いて実を食べる。
 わが家にやって来た時には自分で収穫して食べるから、木に残しておいてあげなければならない。夏ちゃんの家に行くときのお土産にも置いておかなければならない。

 そんなことで明日の冬至の柚子湯にも3個ほど使用するだけになるだろう。

   柚子の香や一陽来復という温湯

2018年12月20日木曜日

ホワイトハウスへ署名を送信した

 県民投票まで辺野古の工事を停止することを求める米大統領あての電子署名が10万筆を超えている。20万を超えるとホワイトハウスのHPに表示され、何らかの行動が示されるらしい。
 そんなニュースを読みながら拱手傍観していては自分自身が許せない。
 ・・で、初めてのことだが私も参加させていただいた。
 「案ずるより産むがやすし」の言葉もある。
 私でも簡単にできた。少し気分がいい。
 さてその方法だが、

 沖縄タイムスの下記の電子版にアクセスするとホワイトハウスへの電子署名の仕方が書いてあり、ホワイトハウスのサイトのアドレスが出てくる。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/361226 (左のアドレスを反転させてクリックする)

 あとはその記事を読めば解るが、そこに付けてくれているサイトのアドレスをクリックするとStop the landfill of Henoko/Oura Bay until a referendum can be held in Okinawa という署名サイトが出てくる。

 その右下枠に 名前
        姓
        アドレス を入力し Sign now をクリックする。

 そこでメールを開くとホワイトハウスから確認のメールが届いている。

 その中ほどの青色の Confirm Your signature by clicking here をクリックして本人確認を承認する。

 場面が変って、タイトルの上に、草色の You‘ve successfully signed the petition below.Your signature has been verified というのが表示されておれば完了している。

 なんということはない。私にもできたのだから皆さんならすぐできる。

梅酒の梅

 友人のひげ親父さんから「梅酒の梅」をいただいた。
   梅酒の梅は、私などはただただそのまま漬け込んでおいてたまに食べるだけだが、これは一旦出して甘い紅茶で再び漬けたという手の込んだものだった。
 柔らかくて中から梅酒がじゅわ~っと出てくる立派な作品(料理)だった。

 これは一般的にはデザートなのかもしれないが、あまりに美味しそうだったので、食前酒代わりにいただいた。
 わが家では元旦の初行事に大福茶をいただくが、それに似たある種「主人公」の貫禄だった。

 奈良の和菓子店千壽庵吉宗に梅蕊(ばいずい)という梅をじっくり蜜に漬け込んだ和菓子(梅グラッセ)があり好物だが、それに優るとも劣らない。
 あっという間に夫婦で四ついただいた。

 先に触れた大福茶だが、わが家では元旦の第一番目の行事である。
 若水で小梅入りのお茶碗に煎茶を淹れそれをいただく。
 種を出すのに「歯を立てるな」というしきたりだ。

 その後、改めてお屠蘇をいただいて「おめでとうございます」というのだが、ここ数年は息子も娘もパートナーの家に行っているから夫婦二人だけで乾杯する。
 なので宴会風のお正月は後日となるがこの落ち着いた正月が今では気に入っている。
 という大福茶代わりにこの梅をいただこうかと思ったりするが、きっとお正月まではもたないだろうな。

   貫禄は大福茶並みの梅酒の梅

2018年12月19日水曜日

圓宗雑華

秋にあった東大寺福祉事業団のチャリティーバザーで、瑞氣集門と書かれた上司永照師の「書」を購入した。
一生に一度のことだからと妻に頼み込んで購入の許可を受けた。というほどソコソコの金額のものだった。
「情けは人の為ならず」だからと妻も了承してくれた。
通常は額縁で装幀するらしい形だが掛軸にしてもらった。
こういう風に掛軸を注文したのは人生初のことだった。

その掛軸に装幀されたものがようやく届いた。
ところが、バザーのときには書の中心しか見ていなかったが、いざ届いてみると、かろうじて読める東大寺という文字の上の四文字が達筆過ぎて読めない。
そこで浅学が恥ずかしいが東大寺に問い合わせたところ、「圓宗雑華・東大寺」であることがわかった。そこまでに2日間を要したが。

そこで解ったことは次のとおりである。
華厳宗(けごんしゅう)の華厳とは「美しく飾る」を意味する。
すなわち雑華巌飾を言う。
華厳とは「雑華をもって仏を荘厳する」ことを言い、雑華とは花総てを意味する、また「華は花と菩薩の実践(行動)を言い厳は飾る」とも言う。

華厳経も元来は『雑華経』すなわち「様々な華で飾られた・荘厳された教え」とも呼ばれていた。

さらに圓宗とは、華厳宗や天台宗の宗旨。また、華厳宗や天台宗の別称というのも知った。
よって「圓宗雑華」は華厳宗の別称であり、「華厳宗東大寺の上司永照」との署名であるらしい。


次に書のテーマである「瑞氣集門」だが、これは「めでたいことが起る兆しの氣が、すでにあなたの玄関先に集まっている」「めでたい氣が、あなたの家に集まってくるように」といった意味。これは文字から受けた直感どおりで満足している。

集門といっても瑞氣を内に招き入れるかどうかは私の心がけだろう。
論としては親鸞の他力本願に頭を垂れている私だが、素直に心がけを信じたい。
年の暮れに素晴らしい掛軸を手に入れた。
少し清々しい気持ちでお正月を迎えられそうな気がしている。

  新しい軸で迎えるお正月

2018年12月18日火曜日

和包丁

 切る、切れるは「縁が切れる」を連想させる忌み言葉の代表選手みたいに思われているが、「災いを断ち切る」「未来を切り開く」と言えば正反対になるので、和包丁で有名な堺では当たり前に包丁が贈り物になっている。

   写真の和包丁はそんな特別の思い出もない極めて普通のものだが、どう考えても30年は使っている。堺石藤のものだから赤旗まつりで購入したのは間違いないが、それがいつのことだったかは記憶の彼方である。 
 その柄が弱ってきたので付け替えたのも赤旗まつりだった。それからでも20年は経つのでないか。とすると購入したのは40年前か。

 今般その柄が壊れたのでホームセンターで柄を購入して自分で付け替えたが、鉄の方も相当錆びついていたからこの次は寿命と思わなければならないだろう。

 よく考えると、その間、出刃、小出刃、菜切り、柳刃などいろいろ包丁を買ってきた。ペティーナイフやステンレス製の中では上級の包丁も買った。しかし、やっぱりこの三徳風の和包丁が一番スッキリ来ている。
 今回もよう捨てずに修理した理由もそこにある。

   錆の中打ち刃の技あり和包丁

2018年12月17日月曜日

昔取った杵柄

   老人ホームのお餅つき大会を行なった。「参加した」と言いたいところだが、いつの間にかメーンスタッフの一員になってしまったので「行なった」とあえて言う。

 薪(まき)カマドと羽釜(はがま)で蒸しあげたが、1週間前の別のお餅つき大会のプロパンガスと違って気持ちがよいほど蒸気が上がった。薪(たきぎ)おそるべし。”蒸気機関はなるほど”・・と大いに感心。
 結果、お餅も綺麗にできあがった。

 私は4本の杵?を持参した。
 一つは写真のとおり、恥ずかしがって照れている孫の夏ちゃんの持っている子ども用の杵(これは既製品)、もう一つはペットボトルで作った特製の杵、もう二つは発泡スチロールで作ったこれも特製の杵、いずれも基本的には入居者用である。

 そして入居者も104歳を筆頭に何人もが参加してくれた。
 車椅子のままでも気合はみんな100%餅つきモードだった。
 ホームのスタッフが「あの人があんなに上まで腕を上げたのは見たことない」という光景が続出した。
 参加者一同の掛け声が揃うと気合が入るのだろう、「目の色が変って来た」というほど真剣に振り上げてくれた人もいた。
 そうなると勢いペースは中谷堂の”高速餅つき”になり、それはそれで盛り上がるという以上に興奮の舞台となった。愉快愉快。 
 義母も妻(つまり娘)に手を引かれて歩いて出て来て、子ども用の杵で本格的に参戦した。
 『昔取った杵柄』とはよく言ったものだ。

 つまり、入居者にとってはお餅つきは懐かしい当たり前の思い出。そしてその子である家族会の我々はほとんどが「餅つき機」世代。我々が入居者になる時代には「ただただ見学する民俗行事」になってしまうのだろうか。未来はやや寂しい。(子や孫に伝承しておこう)

 『過剰反応社会』の記事に書いたようなご時世だが、入居者には善哉にして振る舞われた。職員にはお土産にしてもらった。
 二三日前の天気予報はずれ込んで雨も降らずに楽しい行事になった。
 いうまでもなくお餅つきは基本的にはハレの行事である。
 来週にはクリスマス会があるが、お餅つきの勢いで来年も穏やかな年になるに違いない。善き哉、善き哉。
 妻は「お父さんが一番楽しんでいたな」と感想を述べた。ふふふふふ。

   何のその老人ホームのお餅つき

2018年12月16日日曜日

イルミネーション

   義母がお世話になっているホームの母体はカトリック教会だから、クリスマスには思い入れが強いように思う。
 と言っても、平均的日本人が想像するクリスマスのバカ騒ぎでなく、おごそかなものである。
 施設の入口にはイエスの生誕場面のジオラマ=プレゼピオが幾つも飾られ、電気に照らされる。

   そして、11月27日に書いたイルミネーションも施設の庭を飾っている。
 と言っても、入居者の居室も団欒の部屋もみんなカーテンが閉まっている。
 ああ、入居者の内何人がこれを見てくれただろうか。
   面会の家族がホッとしてくれればそれでいいが、こんなことは費用対効果で論じるべきではないだろう。

 観光地のような派手さはないが、静かで美しい。
 設置作業に参加してよかった。

   窓閉まるホームの庭のサンタクロース

2018年12月15日土曜日

私の流行語大賞

 「そだねー」よりも「ご飯論法」にしておいてもらいたかったが、所詮は主催がユーキャンだから残念にも思っていない。
 そこで個人的な新語・流行語大賞だが、端的に結論を言えば『人に変わって欲しいと思えば自分が変わらなきゃあ』である。誰が言ったのかは忘れた。
 
 よく企業経営のよくない見本として「成功体験」というのがある。
 歴史的に見れば幾つかの条件が偶然重なったある種の成功体験が頭から抜けずに現在の部下を叱責する、鼻持ちならない創業者のそれだろうか。
 万博礼讃者の主張も似ているように思っているが、その件は別途掘り下げたい。

 端的に答えを急げば、1970年代の民主運動のリーダーたちにもその傾向がないかと私は思っている。
 またまた結論を急げば、例えば共産党の政策は文句なしに素晴らしいと私は感じている。それに対しての自公維などの政策や人士の人としての品位や人柄の低さは明らかだと思う。
 でもなぜ、ある種の政権支持率に大変動はないのか。
 主にはマスコミの姿勢がある。大いに問題がある。間違いない。
 さはさりながら、それだけが「決定的な壁」ならば、未来永劫、金のない庶民の正論は政治に反映されない。要はマスコミまかせということになる。
 『人に変わって欲しい』と願うオールドリベラルに1970年代の「成功体験」があるのでないかというのが言い過ぎなら良いのだが。
 
 お説教は上手いが、その行動や主張に進歩がない。もっと言えばSNSなどに無知であることを誇らしく語る。そんな人間には魅力も薄れてゆく。
 オールドリベラルの一番の問題はそこにあると思うのだが、そういう話は一笑に付されてしまう。もしくは「そんなのはもう無理だ!」の一言。

 『人に変わって欲しいと思えば自分が変わらなきゃあ』。
 大いに自戒している。

   心地よき言葉選ばれし流行語実感のなき社会のひずみ

2018年12月14日金曜日

過剰反応社会

 先日、凜ちゃんファミリーの町内会の餅つき大会があったが「お餅はこの場で食べて持ち帰らないでください」と言われた、と娘夫婦から聞いた。
 主催者が間違いなく100%保健所の指導に従ったのだろう。
 私の町内会でもそうだったが、私は「そんなことを保健所に尋ねることが間違いだ!」と言って、結局「本音と建前」みたいなことにした。

   ”貴方が保健所職員だったらどうします”
 管内全住民はもちろん、全町内会の実情など判りもしない。(そんなことは出来もしない)
 そこで、もし無茶なことがあって食中毒が発生し、「保健所がかまわないと言ったから。どうしてくれる」と言われたら、テレビの前で30秒は頭を下げて、担当職員を処分して、「再発防止に努めます」と涙を流さねばならない。というのが平成最後の年の世間の常識らしい。
 ただしそれを避ける手は一つある。
 持ち帰り厳禁、その場で食べるよう指導することである。「私はいけないと指導したんですよ」だ。

 あるところでは、お餅つきという行事はするにはするが食べるのは購入したお餅にしている。嗚呼。

 だとすると、問題は責任を恐れた町内会役員でもなく保健所職員でもない。
 ”何かあったら””誰かのせいだ”というクレーマーと、そういう姿勢を肯定するマスコミが根源ではないだろうか。
 いや、クレーマーというのは、畢竟圧倒的な現代日本人の”卑怯な根性”か。
 気配りとダンドリと常識で克服できるものごとを忌避する国民に未来はない。
 一見、細部に気が付き注意万端気配りをした意見のようだが、一皮むけば「責任はとりたくない」根性だと私は思う。
 この国ではどんどん常識が崩壊していっている。
 男気(女気)はないのか!と世の片隅で年寄りは怒っているのだ。

 榎本博明著『「過剰反応」社会の悪夢』(角川新書)は世の常識人必読の書であろう。
 このタイトルの重要性が理解できないなら、己が常識力が相当屈曲乃至減退していると思うがいいだろう。
 このままでは社会から常識が消えていく。

   餅食うなと神も驚く平成ゆく

2018年12月13日木曜日

喪中はがき

 喪中はがきが届いた。
 一般的なあいさつ文に加えて、お母さんを偲んだ3首の短歌が添えられていた。
 もちろん、そのお母さんのことは存じあげない。それどころか、頻繁な転勤が常であった現職時代には、ご本人ともたかが数年のお付き合いであったし、病気がちであったご本人とは深く話す機会もなかった。
 しかし、この3首の短歌からは、病気がちだったわが子を受け止めた母、その母を看護し見送った子、その二人の心の通い合いが伝わってきた。

 「喪中はがきには短歌ぐらい添えたらどうか」などと怖れ多いことを言うのでない。
 私自身手も足も出ない。
 短歌ではないが少しじ~んとくる添え書きのはがきもある。
 が、常套句だけのはがきもある。
 喪中はがきにそんな感想を持つ方がおかしいと言われそうだが・・・、

 何事につけ、近頃は非常に形式にとらわれ過ぎて、ものの本質が軽んじられていないか。
 その「形式」なるものが歴史に裏打ちされた「形」(伝統)というよりも、ある種の商業主義、あるいはもっと言えば「長いもの」から期待され、それに忖度するような「形式」であることが多くないか。
 常套句に逃げて「出る杭」にならないように生きるのは寂しいし、結局人生を忖度で過ごすことにならないか。

 この秋以降に不幸があった方にそんな時間や心の余裕のないのはもちろん仕方がない・・・それはそれとして・・・、

 そんな中、心のこもった短歌の入った喪中はがきに私は感じ入った。 

 我が母よ死にたまひゆく我が母よ我(わ)を生まし乳(ち)足らひし母よ 斎藤茂吉

2018年12月12日水曜日

蝋細工

   私はあえて「臘月に咲くので臘梅」と書いているのだが、写真のとおり「蝋細工のようなので蝋梅」でもまあいいかと考えなおしつつある。

 わが家のロウバイは早咲きで、すでに3分咲き以上になっている。
 花の美しさにも満足しているが、その香りも素晴らしい。

 甘い香りというだけでなく、新春が近いぞ!と教えているような清々しさを備えている。
 まだこれから冬本番だというのに、この香りは春を思わせる。
 年々再々花相似たり!と思えるのは幸せなことかも知れない。(政治のことを語れば幸せなどと呑気なことを言ってられないが)

 先日、造園業者に「記念樹として蝋梅を植えたいが」と相談すると「手入れ(剪定)が必要だ」と否定的な返事を受けた。
 そんなことは知らず、わが庭の蝋梅はただ庭が狭い故に剪定を繰り返していたのがよかったのか。

   どこからか主張する香や臘の月

2018年12月11日火曜日

だきつき大根

   宗教についても、つい民俗学で見てしまう癖がある私だがこんなものは知らなかった。
 昨日、厄除けの大根炊きではなく、その進化系?の「だきつき大根」に出会った。
 お参りに来ておられた善女にシャッターを押してもらったので、写真を見ると私の抱きつき方にテレが残っているのが良くない。
 こんな不十分な抱きつき方では厄も十分には祓えていないだろうと反省している。

 先日は来年の節分のことを書いて鬼が笑うと自嘲したが、来年春のOB会の遠足の下見に信貴山朝護孫子寺に行ってこんなのに出会った。
 大根炊きの行事のプラス アルファなのか、来春来てもあるのか調べておくのを忘れたが、大根炊き関連だろうなあ、きっと。

   観光協会に聞くと、4月1日前後2週間はお花見で大混雑するようだ。
 遠足と言っても、昼食が目的の半分のようなものだから、予約を押さえておくことが非常に大切なようだ。

 信貴山には何回も来ている。そして、今年の春には孫の夏ちゃんと空鉢堂まで山を25分ほど登ったが、口だけで生きているようなOBたちはこの山登りに挑戦するだろうか。
 挑戦と言えば写真のとおり開運橋にはバンジージャンプが出来ている。私は通常反対側の参道を通るのでいつからバンジージャンプができていたのか知らなかった。
 富山のケーブルテレビが収録を行っていたが、ジャンプは私が本堂に行っていたときに済んだようだった。もちろんOBで挑戦する者はいないだろう。

   シャッターをお願いをして大根(だいこ)抱く

2018年12月10日月曜日

閉塞く冬と成る

 大雪・初候・空寒く冬と成る

   一昨日の職場現役&OBによる餅つき大会が終わったというのに、昨日行なったのは来週の老人ホームの餅つき大会の準備。
 古材を切ったり割ったりして薪をこしらえた。
 ホームの調理室には大型の本格的スチーマーがあるのだが、「薪コンロの方が情緒がある」ということで、わが家からコンロ、羽釜、蒸器等一式を持ち込む。
 小さいものでいえば、団扇、火吹竹、十能等々、こういうものも入所者に見てもらって楽しんでもらおうと思っている。
 そして、ペットボトルで作った特製の杵や発泡スチロール製の杵。思いっきり参加してもらおう。
 餅つきおじさんはあと1週間倒れるわけにはいかない。
 
 昨日は『孫守』の半日だった。
 凜ちゃんは立火鉢を喜んでくれた。
 炭火でほんわかと温かい火鉢を触って感動?してくれた。
 他人だとか平均だとかに比べると話にならないが、ゆっくりと成長してくれている。
 今年は手術もなく、入院も10日弱だった。
 この子が大きくなると「火鉢を知っている珍しい子」になるだろう。

   大雪や日向ぼっこに立火鉢

2018年12月9日日曜日

餅つき日和

   初雪の便りがテレビから流れ、8日は師走に似つかわしい餅つき日和だった。
 昨年はようしなかったOB有志の餅つき大会、20名近い参加者で楽しく行った。

 私の担当でいうと蒸しの状態にムラができ、大いに反省している。蒸器が大きすぎたのか?

 若い人たち、といっても世間では「ええおっさん」たちだが、彼らがノウハウを引継いでくれたので、将来に希望が拡がった。

 つきたてのお餅をアテ(肴)におおいに語り合ったが、細部は知らないが現役組はいろいろ大変なようだった。

 詩吟あり、ピアノ演奏ありで、まったく”仕込みなし”で盛り上がったのには感心した。
 これを機会に詩吟教室がスタートすることになった。
 
 みんなで食した上にそこそこのお土産を持って帰った。
 お餅つきバンザイ!

 よい言葉を発するとよいことが実現するという言霊ではないけれど、お餅つきは「善き事」を呼ぶ招福の行事である。
 参加者の来年が善い年になるのは間違いない。

   息子より無理をせぬようメールあり寒風すさぶ餅つきの朝

2018年12月8日土曜日

幽体離脱

   私の魂は「まだまだ若いものには負けん」と言いながら、体は全く動かないという馬鹿々々しい幽体離脱。そんなこと、幽体離脱って言いませんかね。

 餅つき大会の準備のためにもち米を購入した。
 5㎏の袋を3つ重ねて持ち上げたが「まあいける」と判断して、その他、餡子なども購入して帰ってきた。
 そのうちの10.25㎏を堺までリュックに背負って行こうと準備をしたのだが、魂は「なんのなんの」と思いながら体の方は魂に応じては動かない。
 若い時に山に登ったときは20㎏近いリュックを背負って歩いたはずなのだが、嗚呼。

 急いで息子ファミリーに電話をして大型のキャリーバッグを借りた次第。
 なるほど、妻の撮った写真にはコロコロにさえ難儀している老人が写っていた。
 もうちょっと胸を張って足も曲がってないところを撮ってよ! と言いたいが、これがリアルマイセルフか。
 遠くから「なんやらの冷や水」という声が聞こえてきそうな気がする。

2018年12月7日金曜日

鬼が笑う話

   来年のことを言うと鬼が笑うというが、その来年の鬼のことで嬉しいことがあった。

 今から5年前の2013年2月15日と23日に『戌亥(いぬい)の隅にどっさりこ考』を書いたが、骨子を述べれば、「わが家では節分の豆撒きのときに、鬼は外、福は内、戌亥の隅にどっさりこ、と声を発するのだが、どうして”戌亥の隅にどっさりこ”なのだろうか。日本の土俗に絶大な影響を与えている道教・陰陽道では、戌亥(北西)の方角を、神門、天門、大将軍などと言い、福徳の方向、同時に禍も来易い方角と信じられてきた。天皇祭祀の中でもとびきり重要な四方拝では、北に向いて天(皇天上帝)を拝み、次いで戌亥に向いて地(国土神・地祇)を拝み、しかる後に四方と皇祖の山陵を拝むことからも明らかだ。このように朝廷から各家まで最も神聖な方角と認識され、各家では蔵や祠を戌亥に建てた」と書いたのだった。

 ただ哀しいかな私の友人たちの中に「うちでもそう言うよ」という声はなく、ネットや書籍を当ってみても同様の話にはたどり着けなかった。
 ミニコミ紙の記事やその送り状にも書いたが、「そういう話は知りません」という返事を数人から頂いただけだった。それから6年近く経過した。

 先日、昭和47年発刊の高谷重夫著『日本の民俗27大阪』(第一法規)という古本をたまたま手に入れた。
 そしてついに、その「年越し行事」の章の中に次の文章を見つけた。
 「・・守口市の佐太一番では・・『福は内、鬼は外、乾の隅へドッサリコ』と豆をまき・・」 やっぱり大阪にこういう習わしがあったのだ!

 そこで気を取り直して少し丁寧にネットを探してみると、梅田茶屋町の画廊『Gallery4匹の猫』のオーナーの日記の中に「生前、祖母は豆まきを率先して行い、半紙を折って作った「みの」に神さんへの豆を供え、最後はトイレに「乾の隅にどっさり」と言って豆をまくように言ってました。何をどっさりやったんか聞いておけばよかったです」というのを見つけた。

 現代では、例えばインフルエンザに罹れば医者に行けばよいが、その昔の冬は油断すると魑魅魍魎にやられる危険な季節であった。
 その感覚があればこそ豆撒きも単なる朝廷や公家の行事を超えて各家に広がった。
 そういう民俗行事に思いをはせて年中行事を子や孫に繋いでいきたいものだ。
 上方文化を愛する方々は来年からこう言って豆を撒いてもらいたい。
 「鬼は外、福は内、戌亥の隅にドッサリコ」。もちろん戌亥には多い目に豆を撒き、そして瞬時に戌亥の方角にある扉をガシャンと思い切り閉めるのである。

   初冬(はつふゆ)に春の話題のあほらしさ 

2018年12月6日木曜日

再び大嘗祭について

 大嘗祭については12月1日に記事を書き、秋篠宮の発言は常識的・理性的だと私は評価した。
   折角なので大嘗祭について私の考えを少し述べると、私は折口信夫説とは少し違っている。

 前提として古代からの日本の宗教観を見る場合、復活・再生のエネルギーは陰と陽の合体によって生まれるという道教(陰陽道)が基底にあると思っている。
 大嘗祭は先代の天皇の死去あるいは引退によって途絶えた『天皇霊』の復活・再出発そのものの最重要な儀式であるから、陰と陽の合体は不可欠だと考えられていたと思う。
 飛鳥坐神社の御田祭りをあげるまでもなく、その種の素朴な祭りは全国にある。
 民俗学的に考えれば、それらは「いやらしい」ことでも「恥ずかしい」ことでも何でもない。
 それを「いやらしい」というなら古事記はポルノ小説だということになる。
 ちなみに写真は奈良の春日大社の子授け石であり、日本宗教のおおらかさの表れだと肯定している。

 さて大嘗祭であるが、この儀式の根本中の根本は新天皇がアマテラスの子孫つまり「神(天孫)」となることにある。
 その場合、アマテラスの神霊を先ず呼び降ろす必要があるが、それは精進潔斎した巫女(処女)が神がかり(憑依)して呼ぶのである。これはほゞ常識に属する事実である。
 そうして、すでに一巫女ではなくアマテラスとなった処女と合体することで新天皇は『天皇(神)』に昇華するのだと私は考える。
 折口信夫は、昭和3年の大嘗祭からはこの巫女の役割を皇后が担ったと考えているようである。
 それ以前は、アマテラスとなった処女と実際に媾(まぐ)わったと言っているように読める。(ただし折口の文章は難解である)

 以上の説は、宮中の秘儀とされているので、私の見解が当っているかどうかを確かめることができない。
 ただ、大嘗宮に湯屋や寝所があるのは誰もが認めている。まさか湯治や物見遊山のためではあるまい。
 そして私は、そういう秘儀があったとしても、ある意味では日本列島の宗教観の当たり前の姿であるから、宗教である以上、それらを「古臭い」とか「いやらしい」とかは一切思わない。
 故に、大嘗祭がその種のものであっても何らかまわない。

 ただし、日本国憲法はそういう側面を持った天皇制を残しながらも近代国家の諸原則を導入した。
 なので、そういう矛盾を常識的・理性的に解決する能力がわれわれ現代人に課せられている。
 そういう意味で、国家的行事ではなく皇室内の宗教行事として、「身の丈にあった」規模の行事にしたいといった秋篠宮の意見を私は首肯する。

 想像すれば、その考えは現天皇、皇太子、秋篠宮に共通していて、きっと深く検討されたものだと私は思っている。
 それを鼻で笑って小馬鹿にしたような安倍政権は傲慢の極みのように感じている。

2018年12月5日水曜日

お餅つき大会第2弾

   8日(土曜日)のお餅つき大会のダンドリをし始めて見たが、「今日はこれから手術だ」とか「買い出しや洗米作業の金曜日には医者に行く」とか「用事が入った」などという話が次々に入ってくる。
 かく言う私も、木曜日には先日からの不調のための受診が入っている。
 高齢者が集まって餅つき大会をしようというにはこれらを織り込んでおく必要があるということだなあ。

 気持ちだけは若いつもりでもこれが自然の摂理というものだ。
 若干綱渡りみたいなところがあるが、まあどうにかなるだろう。
 前日には15㎏のもち米を背負って堺まで行く。
 大寒波らしいから雪山登山の気分で行こうかと思っている。

 一つはできるだけ低い会費で楽しんでもらおうと考えるからこんなことになっている。
 ネット通販等で手軽にそろえる手もあるが、ちょっとでも安い買い物をして参加者や会場を提供してくれるお寺にお返ししたいと思っている。(しかしなかなか上手くいかない)(下手すりゃ赤字かも)
 鬼子母神よ! 年寄の大遊びに御加護を・・・

   餅つきや遊びをせんとや生まれけむ

2018年12月4日火曜日

鎮宅霊符神

   11月21日の弘法さんの日に大阪高齢者運動連絡会の宣伝・署名活動に行ったことは11月23日の『鷹の止まり木』に書いたが、その場所は広い意味では四天王寺の参詣道ではあるが、もう少し細かく言うと四天王寺七宮の一つ堀越神社の前であった。

 堀越神社は非常に歴史の古い神社だが、私はその日、境内の摂社『鎮宅霊符尊神』(ちんたくさん)の方に興味を持った。

 鎮宅霊符神は道教経典『太上秘宝鎮宅霊符』に由来するいわば直輸入の道教神である。
   そしてそういえば四天王寺の有名な引導鐘堂の前にも『茅の輪』があったから、現在の表看板は神社やお寺であるが、日本民族の宗教観の奥底には拭い難く道教があると私は再確認をした。

 ところで鎮宅霊符の信仰は北辰(北極星)・北斗(北斗七星)の星信仰でもある。
 たまたまであるが私たちのミニコミ紙も「ブレない星」北極星に因んで命名している。
 道教の神々に頼る気はないが、この地で宣伝・署名活動を続ける限り、わがミニコミ紙の発展は疑いない。

 もうすぐ年が改まれば統一地方選挙と参議院選挙である。安倍政権は野党共闘つぶしのために衆参同一選挙に打って出るかもしれない。
 そして民主勢力が破れるようなことがあれば、間違いなく憲法改悪、独裁国家が完成する。
 新しい年は、心ある人が全員ジャーナリストになる必要がある。

   北風も北辰示すタオイズム

2018年12月3日月曜日

アイデンティティー

   非常に荒っぽい理論の一つに「中国、韓国、日本は同じ儒教の文化圏」という見解がある。
 しかし、私は常々言っているのだが、日本文化の基底は長江にあって、黄河文明とは異なると私は思っている。
 わかりやすく言えば、黄河文明は穀物を粉にして丸めて蒸して食べる団子(まんとう)の文化であるが、長江文明は穀物を蒸して搗いて丸めて食べる「餅」の文化である。
 日本の文化の深層は長江から東南アジアにある。

 こういうアイデンティティーを省みず、黄河文明はおろか「脱亜入欧」のアメリカ文明しか語ることのできない日本人の多さに少々悲憤している。それでいいのか。

 そうして、・・この国の伝統のようなものについて、どちらかというと右翼の専売特許のように思われ、どちらかというと進歩的な人士がそれに疎いという感じがあるが、私はそれが悲しい。

 12月2日付けの赤旗日曜版にモンベルの辰野会長が登場していたが、奈良公園の大切な規制を「掟破り」して高級ホテルを建設する計画に、氏とともに「奈良らしさを守れ」と反対しているのは政党としては共産党だけであるがこれはある意味ではすばらしいことだと思う。(運動は幅広く広げたいが)
 各地の共産党もこうあってほしい。

 という心持でいうのだが、民主的な団体は年末にはお餅つきをするのがいい。
 お餅つきを知っている高齢者が手本を見せ、若い世代に伝承するのがいい。
 何年か後に、お餅つきという伝統を正しく世に引き継いでいるのは民主勢力だという時代が来る。これは面白い。
 昨日、町内会で17臼搗きあげた。次の世代にそれなりに伝承出来たのではないかと自負している。それにしてもくたびれた。

   ハロウィンは知るも餅つき知らぬらし 

2018年12月2日日曜日

ジャーナリストになる

   同じ一つの写真を見てそれぞれが俳句を作り、夏井いつき先生が「才能なし!」「凡人!」「才能あり!」と断を下すテレビ番組が面白いが、同じようなことはいろんな場面であるものだ。
 さて俳句の話ではなくカール・マルクスについてだが・・・、

 カール・マルクスというと、経済学者、哲学者、そして革命家というイメージが浮かんでくるが、そしてそれ自身なんら間違いでも何でもないのだが、内田樹著『常識的で何か問題でも?』(朝日新書)の小見出しに「ジャーナリスト・マルクス」というのを見つけて、「そういう切り口があったか」と私ははたと膝を打った。

 内田樹氏の文章から引用すると、「1851年にルイ・ボナパルトのクーデターが起きた時『フランスでは一体何が起きたのか?』を知るために、ニューヨークのメディアがまずマルクスに問い合わせたのは妥当な人選だったと思う。マルクスが求めに応じて書いた記事はのちに『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』という書物になり、以後150年以上にわたって読み継がれている」とある。

 「ヘーゲルはどこかで、すべて世界史上の大事件と大人物はいわば二度現れる、と言っている。ただ彼は、一度は悲劇として、二度目は茶番として、とつけくわえるのを忘れた」で始まる有名な「記事」のことである。

 安倍政権による国会無視がはなはだしい。大臣たちのモラルの崩壊も甚だしい。大阪を地盤とする維新がそれにお追従を送る姿も汚らしい。・・というようなことごとが重なるので「それらを掃き捨てたいがいったい何をしたらいいのか」という声を聴くことがある。
 私がはたと膝を打ったのは、「マルクスはジャーナリストだった」という、知ってはいたが注目していなかった視座である。

 集まって議論するのも良い。しかし大事なことは一人ひとりがジャーナリストの気概を持つことではないだろうか。
 ミニコミ紙でもよい。SNSでもよい。
 今はマルクス主義者などとは言わないのだがあえて言う、オールドマルキスト! つべこべ言わずに記事を書こう。

   マルクスはジャーナリストだと膝を打ち

2018年12月1日土曜日

大嘗祭の報道

 秋篠宮が誕生日である30日解禁前提の記者会見で、大嘗祭について「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べたことが、30日の朝日新聞朝刊のトップ記事だった。
 この儀式だけのために大嘗宮を建設して儀式終了後解体・撤去するのだが、前回の建設費は約14億円(行事全体では22億円)というから、「身の丈に合った簡素化」にまで触れた秋篠宮の発言は極めて常識的なものだと私は思う。

 さて、朝日新聞の同頁にある解説では、「大嘗祭は・・収穫儀礼に根ざしたもので、・・新天皇がその年に収穫された米などを神々に供え、自身も食し、五穀豊穣や国家安寧を祈る・・」とあるが、試験の答案なら落第に近い答えである。

   詳細は折口信夫氏の『大嘗祭の本義』という論文に譲るが、大嘗祭の本質は寝具と湯殿を備えた場所で「天つ神」(の代理)と一体となることで神格(倭の魂)を得た天皇となるという秘儀である。
 秋篠宮の言うとおり、極めて宗教色の強いというか宗教行事(宮中祭祀)そのものであるから、その秘儀(陰事・かくれごと)について我々がとやかく言うこともない。
 もし宗教行事でなく、事実上の国家的行事であるなら、その秘儀が現憲法の理念に背馳しないかどうか公開し議論する必要があろう。

 先の現天皇の退位に関する「お言葉」の際もそうであったが、いわゆる右翼という安倍政権の(首相自身が右翼と言うなら右翼と言ってもらえばよいと述べている)皇室に対する冷淡さというか、一種馬鹿にしたような「無視」ぶりは度が過ぎている。
 常識ある保守主義者は口をつぐむことでそれを了承することになるが、それでよいのだろうか。

 朝日をはじめとするメディアも、良識ある議論をどうして呼びかけない。
 メディアは単純に「右傾化した」のでなく、権力あるものに媚びているだけではないだろうか。