2018年11月3日土曜日

啄木鳥(キツツキ)

   源平盛衰記 巻の十に、『昔聖徳太子の御時、守屋は仏法を背、太子は興之給。互に軍を起しかども、守屋遂被討けり。太子仏法最初の天王寺を建立し給たりけるに、守屋が怨霊彼伽藍を滅さんが為に、数千万羽の啄木鳥と成て、堂舎をつゝき亡さんとしけるに、太子は鷹と変じて、かれを降伏し給けり。されば今の世までも、天王寺には啄木鳥の来る事なしといへり。昔も今も怨霊はおそろしき事也。頼豪鼠とならば、猫と成て降伏する人もなかりけるやらん、神と祝も覚束(おぼつか)なし』とあり、四天王寺に啄木鳥来ることなしと言われているが、近頃コゲラは都市に進出してきている。
 幸か不幸か四天王寺には大木がないが、何年か後に現在の樹木が大木に育てばどうなることやら。

 キツツキの内のアカゲラのことであるが、こんな昔話がある。『釈迦の入滅の折りあらゆる生き物が集まってきた。雀はお歯黒の途中だったがすぐに飛んでいった。啄木鳥は知らせを受けてから赤い布を買いに行き、着物をあつらえそれを着て行った。雀は入滅に間に合い米を食べることが許されたが、間にあわなかった啄木鳥は赤い着物は着ても良いと言われたが、堅い木をつついて虫しか食べさせてもらえないことになった』と・・、

 しかし、キツツキのコゲラ(写真)はわが家の熟柿を食べにくる。「おいおい、お前は虫しか食べんのと違うんかい」と言っても後の祭り。
 都市鳥になりつつあることと併せて、事実は小説よりも奇なり。

 木鐸という言葉があるが、わが家周辺のコゲラ、「黙っていてもいいのか!」と触れて飛び回っていると解そうか。
 石川啄木はこの木鐸からペンネームを選んだのかと思ったが、通説では「故郷のキツツキを懐かしんで」とある。少し残念。若い頃から木鐸説を勝手に信じていた。

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