2018年10月12日金曜日

木を見せて森を隠す


 柴山文科相におべっかを使うようにテレビの中の芸人が「教育勅語にはええことが書いてある」「これがあかんという人の気が知れん」と言っているのを観た。
 そういう思考方法を社会では「木を見て森を見ない」論法だという。
 ただ私は柴山文科相や、記者会見で軍人勅諭を否定しなかった岩屋防衛相ら安倍仲良し一派は「木を見て森を見ない」のでなく、「木を見させて森を隠している」確信犯だと考えている。

 さて、山口組は次の五か条の綱領を定めている。 
 一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ
 一、外は接するに愛念を接し、信義を重んず
 一、長幼の序を弁え礼に依って終始す
 一、世に処するに己の節を守り譏を招かず
 一、先人の経験を聞き人格の向上をはかる
 柴山大臣と一部芸人流にいえば、学校で「道徳として使うことができる分野は十分にある」ということになる。
 譏(そしり)などという難しい字もあるが、少なくとも教育勅語よりは解りやすい。

 この記事を書こうと念の為ネットを検索してみると、以前に私がこのブログで書いた記事が丸々引用されているブログがあった。
 学術論文ではないが全文引用されるのは気持ちがいい。どこの誰かは知らない方だ。

 引用された私の記事では「夫婦相和し」について、側室が5人もいた明治天皇に「夫婦相和し」と説教されるのもおかしなものだと書いたが、明治天皇公認の『教育勅語衍義』というコンメンタールのような本の中にこういう解説を見つけた。
 けだし妻はもともと体質孱弱(せんじゃく)にして多くは労働に堪えざるものなれば、夫はこれをあわれみ、力を極めてこれを助け、危難に遭いてはいよいよこれを保護すべく、また妻はもともと知識裁量多くは夫に及ばざるものなれば、夫が無理非道を言わざる限りは、なるべくこれに服従して、よく貞節を守り、みだらに逆らう所なく終始苦楽を共にせよ。
 嗚呼!解りやすい。

0 件のコメント:

コメントを投稿