2018年10月31日水曜日

雑木紅葉(ぞうきもみじ)

   今年、わが家のハナノキの紅葉が芳しくない。
 不思議なので調べてみたら、「土の肥えたところでは好くない」「西陽の当たるところも好くない」とあった。
 思い当たることばかりだ。

 先代のハナノキは建物の東側に放ったらかしで好く紅葉していた。
 その好い思い出があったので、今のハナノキは庭の中心に持ってきて、おまけに肥料をいっぱい施した。素人はこうである。

 以前に紅葉が悪いので嫌になって伐採したレインボーメイプルも実はこの過保護のせいだったのかもしれない。きっとそうだろう。思い当たることばかりだ。
 サツマイモ畑に肥料をやると蔓と葉ばかりが茂って芋ができないのと同じなのだろう。今頃気が付いた。素人は度し難い。

 街路樹の雑木紅葉が綺麗である。
 桜並木などはまるで朝焼けのように周囲を照らしている。
 いったん肥えた土を痩せさせるにはどうしたらいいのだろう。
 そういう天罰を喰らいそうなことで悩んでいる。

2018年10月30日火曜日

日本史のミカタ

   本郷和人・東大史料編纂所教授に対して、井上章一・京大工学部卒で現国際日本文化研究センター教授が言う。
 「本郷さんは大河ドラマ平清盛で時代考証を担当されました。・・私が文句を言いたいのは・・平家の公達だけでなく、摂関家も宮廷の女房たちも標準語を話しています。・・ところが海賊や・・山中の追いはぎだけが関西弁。これに憤りを感じるのです」というところからこの本は始まっている。
 二人の対談で終始する「日本史のミカタ」(祥伝社新書)は読み物として非常に楽しかった。

 適当に摘んでみると・・・、
 隋書倭国伝にある「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」の国書に対して煬帝は「身の程を知れ」と返書を送っただろうが、きっと小野妹子が「なくなりました」と言ったのだろう。森友学園問題と一緒。とか・・、
 
 坂東の武士が都の宮廷にあこがれた魅力の一つは超一級の女官たちであった。しかし日本史のどこにもこの「おねえさん力」に触れられていない。とか・・、

 「平和な明治維新」というウソ・・と言って、禁門の変、北越戦争、会津戦争、西南戦争、竹橋事件等をあげていること・・、

 最近「日本が大好き」という動きが活発で何か怖い、「日本はすばらしい」「こんなに美しい国はない」といった声が大きくなり、中国や韓国を叩く動きも出てきた。夜郎自大なところが軍国主義時代の日本に似てきている。とか・・、

 日本の今後の進路について、明治維新のとき京都は「第二の奈良になってはいけない」と宣言したが、今日奈良の人が特別に不幸せだとは思えない。観光地として評価してもらえるチャーミングな国づくりで明るく健やかに奈良へ向かう道を選んだ方が精神衛生上も好い。とか・・、

 一般の歴史に関する書物にはない刺激的でクスッと笑える対話が楽しかった。
 こんな本も好い。

   うそ寒や歴史の本を閉じて寝る 

2018年10月29日月曜日

ヒマ

   ご近所の90歳の方が「これはヒマですか」と庭の花を尋ねられた。
 答はオクラなのだが、戦時中はこれによく似たヒマがたくさん植えられていたという。

 ヒマの油が「ひまし油」で、「松根油」などと一緒に航空機の燃料にするとして栽培が奨励されていたことは本で知っていたが、しかしそれは耳学問で、ヒマという植物がオクラに似たものだということは初めて知った。 

 さて、私が小学生の頃は「ひまし油」というと「虫下し」のために飲まされたものだった。
 同じ「虫下し」の「マクリ」とともに嫌な思い出であるが、それは寄り道。

 航空機燃料の「ひまし油」を少し検索してみると戦後もエンジンオイルの一部に使われているというのがあった。
 
 私が初めて乗った自家用車は、廃車寸前のスバルR2という空冷エンジンのクルマだった。
 空冷エンジンは、ガソリンとは別にオイル(潤滑油)を入れてそれを混合して燃焼させるもので、早い話がバイクのエンジンのようなものだった。
 冬の朝にエンジンを始動すると街中が白い煙に満たされるほどひどいものだったが、あのオイルの中に「ひまし油」も混ざっていたらしいとすると懐かしい気分になる。

 折角だからスバルR2のことをいうと、名車スバル360の兄弟のようなもので、エンジンが後ろについており、前がボンネットだった。今から考えると衝突したらイチコロだったような気がする。
 その代わり、前にエンジンがないから空気口を開ければ外気が直接入って来たし、床にも空気口があり、地面を見ながら走れたからクーラーなど必要なかった。

 90歳の隣人の思わぬ質問でいろんなことが思い出された。

   ヒマに似るオクラは健康優良児

2018年10月28日日曜日

吉城園の留蓋

 名勝吉城園の場所は奈良県庁の東、県知事公舎の隣であるから、言いようによっては奈良県の中心といえよう。
 その吉城園西側の門の上(知事公舎玄関のすぐ横)の留蓋(とめぶた)が不思議である。
 留蓋とは、巴蓋、隅蓋ともいい、丸瓦のわかれる部分にかぶせる瓦で、雨水を防ぐとともに装飾性を持っている。
 装飾性の中にはマジナイに似た素朴な信仰も多々含まれており、役物(やくもの)とも呼ばれる。
 鍾馗様や鬼はよく見られる。

   写真を見てほしい。吉城園の西の門の役物だが、私が不思議に思ったのは、一見してこれが何かが解らなかったからだし、あまり優れた装飾性も感じなかったからである。
 名称吉城園には似つかわしくない???

 吉城園の受付に座っておられる方に尋ねても、後で奈良民俗文化研究所に尋ねても明瞭な答えはなかった。
   葉っぱの形からすると菊のようだが、開いている菊の花が取れてしまって(欠けて無くなって)こうなったのだろうか。
 それともシンプルに「菊の蕾」という作品なのだろうか?

 正直にいうと、私はもしかして菊の蕾を隠れ蓑にした金精様(こんせいさま)?の信仰と勘ぐった。
 金精様のルーツは縄文時代からある石棒だし、愛知の田縣神社のように天下の奇祭として現在も有名な寺社も少なくない。
 以前に大阪の有名な高津宮(神社)のことを書いたが、そこの裏手にも陽石と陰石がしっかりと祀られていた。
 子孫繁栄、豊穣全般の素朴な祈りの対象であるが、さらに言えば、アジアの古代思想の基底をなす道教(の陰陽思想=陰気と陽気が交わって万物(和気)が生じる)の哲学である。

 さて、古代の祭祀についての第一人者であった故水野正好先生の講義でこんなことを聴いたことがある。
 「古代の井戸から木製などの石棒状のものがたくさん発掘される」「祀りなどの後で井戸に投げ込んだのだろうという学者がいるがそんなアホなことはない」「井戸の上などに飾っておいて水の絶えないことを祈っていたのである」と。
 水野先生の話はつい先日古代に行って見てきたように語るので面白かったが、21世紀の今も金精様は「陽」の代表として多くの温泉地で祀られており、そこでは「陰」である温泉が涸れずに湧き続けるよう祈られている。
 とすると、吉城園のこの「役物」は「水」を誘い、防火、類焼除けといえないか。
 田舎のお屋敷で見受けられる妻壁の「水」という文字や役物の魚の進化系だと考えるとどうだろう。
 大阪のおばちゃん風に言えば「知らんけど」、そんなことを考えた。

   鶲(ひたき)来て吾は去年と同じまま

2018年10月27日土曜日

再び 財務局OBの勇気

 森友問題に関する財務局OBの勇気ある行動については、7月22日に「勇気ある18人」を、9月27日には「財務局OBの勇気」を書いてきた。
 今般、10月25日にテレビ朝日に、再び6名のOBが顔も名前も出して取材に応じた。

 異口同音に強調されたのは・・・、
 出発点は、「私や妻が関係していたということになれば、これはまさに、これはもう、間違いなく総理大臣も国会議員も辞める」という安倍首相の答弁であること・・、
 佐川氏は「学園との交渉記録は廃棄した」と嘘の答弁を国会に行い、その裏で公文書の書き換えというあってはならないことが進められたこと・・、
 佐川氏について麻生大臣は「有能な公務員であった」とかばい、麻生大臣も安倍首相も一切の責任を取っていない中で、自死した彼の無念さを思うと・・と、OBたちは言葉を詰まらせた。
 これ以上の解説は不要だろう。

   さて、少しフォーマルな感じの(格式ばった方の)OB会があった。
 その出欠はがきは例年近況を書く小さな欄があり、だいぶ以前に私は返信しておいた。
 そこに、野暮を覚悟で森友を書いておいたのが右の写真である。

 私は2年ほど前から「メッセージの伝え方」について反省している。
 選挙のときだけに「頼む」のでなく、ありとあらゆる日常の機会に素直に思いを発信することが大切だと思っている。
 リスペクトと信頼だと思う。
 
 動画のURLは下記のとおり。
 https://www.youtube.com/watch?v=R1rWlfc-Rqs&t=27s

 ◆ 11月2日、室井佑月さんの記事の写真を追加しました。写真上でクリックすると大きくなって読めると思います。

2018年10月26日金曜日

中東に行くフリージャーナリスト

 中東といえばジョージ・W・ブッシュ大統領による2003年イラク戦争のことを思い出す。
 ブッシュは「フセインは(核兵器のような)大量破壊兵器を作って戦争の準備をしている」「アメリカは正確な情報を持っている」と公言してイラクに侵攻した。
 ところが、イラクのどこからも大量破壊兵器やその製造工場は出てこなかった。
 そしてフセインは殺されたが、その後イラクを含む中東の政治状況は無茶苦茶に悪化した。
 
 そのとき日本の政府とマスコミは、100%、ほんとうに100%といってよいほど「フセインによる大量破壊兵器」を絶対的真実だとアナウンスした。
 思い出してほしい。その当時、どのテレビ局が、どの新聞社が、「ブッシュの言っていることは嘘でないか」と言っただろうか。
 後にそれは、ブッシュによる情報操作(フレームアップ)であることが明白にされ、そのことに当のアメリカも参戦したイギリス等も「誤りであった」と認めたが、日本は総括していない。

   そこで話はフリージャーナリストのことである。
 日本ではフリージャーナリストというと、週刊誌にガセネタを売り込む面々のイメージの方が強いかもしれないが、欧米ではフリージャーナリストが当たり前である。
 日本の「社員ジャーナリスト」は例外で、欧米でいえば「よほど能力のない記者」ということになる。
 「社員ジャーナリスト」が昇進するためには社の方針(上司)の意向に忖度できなければならないから、国境なき記者団による「報道の自由度」で日本が非常に低い評価である遠因はここにある。

 今般、中東の過激派に拘束されていたフリージャーナリスト安田さんが解放されたが、その機会に自己責任論をぶつ人がいる。
 しかし、以上に述べたように、社員ジャーナリストが行きたがらない危険地域で取材するジャーナリストが居なければ、私たちは再び三度ブッシュのときのように騙される。
 
 当時は自衛隊は戦闘そのものには参加しなかったが「人道復興支援」に派遣され、従事した隊員中35名が在職中死亡(2007年10月末現在、防衛省)した。安倍政権下でならさらに海外派兵され大量に死亡することだろう。嘘の情報によってそういうことが起こりうる。

 恥ずかしいがブッシュのとき、私も「ブッシュもブッシュだがフセインもフセインだろう」「核でなくても相当な非人道的兵器を作っているのだろう」とほゞ信じ込んでいた。
 思い起こしてほしい。あなたはどうだったか。

 結論を急ぐ。紛争地帯に取材に行くフリージャーナリストは尊い存在だ。彼らがいるからフェイクニュースを検証できるのだ。
 あの日のように、ニセ情報で戦争に巻き込まれないためにも、口が裂けても自己責任などと言ってはならないと私は思う。

※ しりあがり寿さんの四コマ漫画を追加。朝日新聞『地球防衛家のヒトビト』。8月に安田さんのニュースがあった折り。秀逸。

2018年10月25日木曜日

秋深し

   ポピュラーな中でもポピュラーな閻魔蟋蟀(エンマコオロギ)は、夜だけでなく昼間から歩道の左右で鳴いている。
 写真のは長い産卵管があるから♀であるが、拡大して見てみるとゴキブリにも似ているのはちょっとかわいそう。

   鳴き声は「コロリー コロコロリー」などと書かれたりする。語尾?が下がっていくので如何にも秋の虫という寂しさを漂わせている。
   目(複眼)の上の眉に当たるところに黄色い帯があり、それが閻魔様の憤怒面を連想させたわけ。

 町内清掃の折り、近所の子どもにあげようとしたら怖がったのには驚いた。
 そんなものだろうか。
 鳴く虫を聴く文化は世界中にあるが、中でも、ラフカディオ・ハーンは古代ギリシャ人と現代(当時)の日本人の感性が優れていると書いたのは「歴史」の彼方に過ぎ去ったようである。

 蟋蟀を虫籠に入れて寝室に置き、ヒーリングミュージック代わりにした話は多いが、片や訴訟社会のアメリカでは隣家の庭のコオロギがうるさいと法廷で争われ、裁判官は「彼等(コオロギ)は抜群の音楽家である」と原告の主張を退けたということを本で読んだ。

2018年10月24日水曜日

神無月

 暦の話は話題が尽きないが、そのうちの一つに和風の月の名がある。
 いうまでもなく10月は神無月である。
 なぜ神無月というようになったのかというのには諸説あるが、最もポピュラーなものが「この月には全国の八百万の神々が出雲大社に集まるので神さまが不在になる」というもので、よって出雲だけは10月を神在月と呼ぶ。
 
 世間一般には新暦10月が神無月ということで十分通っているが、出雲大社の方では旧暦10月(新暦ならほゞ11月)に神在祭が営まれる。
 八百万の神々も何時旅立つのがよいのか悩ましいことだろう。

   こういう話を書いたのは、10月21日の日本建築の記事に対して、出雲大社の大きさ(高さ)についてコメントをいただいたからである。
 で、話をそちらに戻すことにする。

 天禄元年(970)源為憲撰『口遊』(くちずさみ)に、「雲太、和二、京三」というのが出ており、これも諸説あるが、当時の高層建築のことというのがほゞ定説となっている。
 順に出雲太郎・出雲大社、大和二郎・東大寺大仏殿、京都三郎・平安宮大極殿である。
 当時の大仏殿の高さは15丈・45.5mであったから、出雲大社はそれよりも高かった。
 天正8年(1580)の史料にも16丈・約48mとあるから話は整合する。
 そして平成12年(2000)の鎌倉期神殿跡の発掘調査で、コメントにいただいた3本の巨木を束ねた直径3メートルの金輪の柱(根本)が発見されている。
 雲太は間違いなくそうだったのであろう。

 テレビを観ていると、現代でも、日本人が知らないうちに世界各国でタワーや超高層ビルが建てられていて、それを見る度に「国譲りの代償に壮大な神殿を要求した」記紀神話を連想する。
 現代の高層建築は、私の感覚でいうと、成熟した文化国家というよりも成金趣味のように感じられるが、それはあくまでも「個人の感想」である。

2018年10月23日火曜日

天下分け目の

 「天下分け目の」といえば、続く言葉が「関ケ原」か「天王山」かで、関ケ原町と大山崎町が論争をしたというニュースが以前にあった。
 世間の多数意見はどうやら「関ケ原」に分がありそうだが、私は身贔屓?ではないが、ずーっと以前から「天下分け目の天王山」と信じ込んでいて、「関ケ原」という意見があったこと自体に驚いていた。
 スポーツなどで「本日の試合が天王山」などと形容されることと裏表の話だと思う。
 ただ、それ以上にこだわるつもりはない。

 その大山崎町で21日、町長選挙と町議会議員選挙があり、町長選挙では自公、立憲、国民の現職町長に「保守+共産」の候補が勝利した。
 町議会議員選挙では共産が前回比125.9%で4人当選した。定数12名だから議会の3分の1が共産党となった。
 沖縄の知事、豊見城市長、那覇市長の選挙の3連勝と併せ、時代の変化を象徴していないだろうか。
 やはり「天下分け目の天王山」という気分である。

 ただし、共産の1候補は最下位同数でくじ引きで当選となったものだから、選挙戦でややもすれば首をもたげる「私ひとりぐらい」という判断がどれだけ大きな問題かということになる。日頃の生き方を顧みて自省の念に駆られる。

   写真は相手側・現職町長派のポスターであるが、中央の自公の端っこに立憲と国民が刺身のツマのように添えられ、京都の政治状況の微妙に困難な現実を表わしている。

 天王山にしても関ケ原にしても、それが「天下分け目の戦い」とされたのは後の歴史に照らし合わされてのことであるから、2018年秋の沖縄知事選挙をはじめとする一連の選挙は後の歴史で「天下分け目の戦い」であったと評されるに違いない。

2018年10月22日月曜日

月の名残

   10月21日は太陰暦の9月13日で、つまり十三夜であった、
 陰暦8月15日の芋名月に対して、豆名月とか栗名月という。
 風習・言い伝えでは、8月の十五夜と9月の十三夜にお月見をするのであって、一方だけの片月見はするものでないともいう。

 諸々の収穫は陰暦9月の方が本番だからだろうか、十三夜様を拝むと願いごとが叶うとも。
 だから、昔はけっこう大切な年中行事の内のひとつだったのだろう。

 この日は午前中は老人ホームのイベントの準備をし、午後は自治会のイベントの準備をして忙しかった。そして夜に十三夜様を拝んだので、それらは諸々成功間違いないと信じている。
 準備しているイベントはもう師走の行事である。
 ああ、時の経つのが早すぎる。

 いくら言い伝えといっても夫婦で団子を13個も食べられないから最少セットの4つだけにした。
 それに、関西の風習に「月見ウサギ」などないが、あまりに可愛いのでこんな団子にした。
 明朝の体重測定が怖ろしい。

 さて、訳のわからない成金紳士が月旅行をするという話題がテレビを賑わした。
 いくら金持ちだからといって神さまのような月を汚してほしくないと思うのは時代遅れの嫉妬だろうか。

2018年10月21日日曜日

日本建築

   奈良、興福寺の中金堂が再建された。興福寺の多川貫主の話は度々聞く機会があったが、「創建当時のまゝ再建した」ことの自負が端々から窺えた。

 私などは、大仏殿が鎌倉や江戸時代に新しく再建された東大寺に対するライバル意識のようにも思えておかしかった。

 興福寺の「創建当時のまゝ」とは、基壇や礎石をくり返し利用して、創建時と同じ規模、同じ形式を踏襲してきたことをいう。
 このことはやはり自慢するだけのことであり、再建された中金堂は藤原不比等の時代をいろいろ想像させてくれる。立派なものである。

 さて、日本の住居というと木造建築だが、西欧、中近東、中国大陸の住居(跡)というと、石や土あるいは日干し煉瓦や泥が多い。
 私は何となく諸外国の思想の方が堅実で日本の木造建築の方が安直な気がしていたが、彼の地では牧畜や気候のせいで木=森が少なく木造建築は貴重だったようである。
 その「木の国」で森林が荒廃していっているのを看過していていいのだろうか。

 次に日本では宮殿や寺院以外の庶民の住居が礎石づくりでなく掘っ立て柱であった理由だが、瓦が貴重であった時代では、礎石づくりの小さな家は台風でそのまま飛ばされたことだろう。
 先日来の近畿直撃の台風を見て、「なるほど掘っ立て柱にもそれなりの理由があるのだ」と感心した。手抜き工事ではなかったのだ。

 これらは全く私のオリジナルな考えでなく、小笠原好彦先生の講義から大いに示唆をいただいたものである。
 お陰で、柱穴から住居を復元する考古学は世界のトップらしい。
 奈良周辺に住んでいると発掘現場など珍しくもなんともないように思えるが、実は大変なものらしい。勉強とまでは言えないが、興味も尽きない。

2018年10月20日土曜日

香辛料あれこれ

   OB会の遠足で万博公園の民博とBBQに行ってきた。ただし私だけは民博をパスして朝からBBQの準備に廻った。
 そこで、できる限り少ない費用でどう楽しくBBQをするかでけっこう悩んで準備した。
 出来合いの安物の肉を出来合いのタレで食べるだけでは脳がない。さりとて・・・、

 そこで思いついたのが香辛料だった。
 そも大航海は香辛料を求めた旅だったらしいから、特に肉料理にとって香辛料は馬鹿にできない。

 一つ目は「難波・楽洛亭のタレにしよう」と言って青ネギをたくさん用意していった。これはけっこう好評だった。やはり日本人といった感じだろうか。

 二つ目は市販のクミンシードを持参した。全く個人的な印象だが、クミンの香りを嗅ぐと私はボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」が鼻の奥に流れてくる。好き嫌いもあるが今回は「これは嫌だ」という人もいなかった。ただし、ラムも用意したがそれにクミンをかけて「ああ中央アジアだ!」という人もいなかった。

 三つめは庭のローズマリーを持っていった。これはヨーロッパ・キリスト教社会では最有力の香辛料である。「これでBBQもフランス料理にならないか」と言ったが、あまり賛同は得られなかった。
 焼肉イコール韓国料理という教条に影響されているのだろうか。

 四つ目は醤油。料理の材料はアサリ。炭の火に焦げた醤油こそ日本の最高の香辛料。全員”異議なし”。

 というように、全員どうしようもない日本人であった。そして差し入れられた「安納芋が美味い!」と言い合っていた。わかるわかる。

 番外編として、わが家の「万願寺唐辛子」を大量に、ほんとうに大量に持参したが余らなかった。八割方、中のワタもとって対策をとっておいたが、残りは野趣を味わうためにそのままにした。これは以前のブログに書いたがロシアンルーレットである。結局、BBQのほゞ最終コースでつまんだIさんに当たって口をヒーヒー言わせることとなった。
 これでこそロシアンルーレットと内心喜んだがそれは内緒のことである。

2018年10月19日金曜日

旅する蝶々

   私のブログでは今さら新鮮味もないかもしれないが、10月16日に家の近所でアサギマダラを見つけた。
 茱萸(ぐみ)の花の周辺をふわりふわりと飛んでいた。

 一時期はアサギマダラの飛ぶ庭にしようと各種のフジバカマを植えたが、妻がフジバカマアレルギーを発症したので泣く泣く全部引っこ抜いた。

 それでもこういう風にアサギマダラが近所を飛んでくれる。
 声には出さないが、よく来てくれたとお礼を言っている。

 この後、沖縄以南に旅をする「渡り蝶」である。
 アサギマダラよ、デニー知事を当選させた沖縄の民意をじっくり観察しておくれ!
 そして春に報告のため帰っておいで。

2018年10月18日木曜日

鳴かせたこともある

   早春譜の歌詞を牽くまでもなく春告鳥と言えばウグイスであることに異論はない。
 が、囀(さえず)りの季節以外でもウグイスはいるのである。当たり前だ。
 ただ、ほとんど薮の中に潜んで、しかも頻繁に移動するから、囀りの季節以外のウグイスは非常に目立たない。

 そのウグイスが秋を告げにわが家にやってきた。
 例によって忙しなく枝から枝へと飛び回って、そして去って行った。

 さて、聞きなしが法華経であることは言うまでもない。
 コノハズクの仏法僧と双璧である。
 歳をとったこともあり、そんなコメントに琴線が触れる。

 それはさておき、「鶯鳴かせたこともある」という台詞もある。
 台詞の女性は梅であり、鶯は男性諸氏。
 「これでも若い頃は・・」という台詞である。
 梅のことかウグイスのことか、品よく色っぽいね。

2018年10月17日水曜日

レパ事件の白川静

   朝鮮戦争勃発の1950年(昭和25年)、この国では民主主義を踏みにじるレッドパージが行われた。
 国会議員、新聞・通信・放送および国家機関からの共産党員および同調者の追放である。
 新日本新聞は、私立大学である立命館大学の、日本史教員では北山茂夫、奈良本辰也、林屋辰三郎、岩井忠熊らを名指しした。
 その岩井忠熊立命名誉教授の文章を読んで私は驚愕した。

 大学の学生部長武藤守一教授(故人)の日記によると、教授は何度も中立売署に呼び出され、「大学内部の同僚からの告発によって調べるのだ」と言われた。
 「それにしても同僚を売り大学を陥れようとする奴らの気が知れない」「その教員が20年後のいまでもいるのである」と日記にはあった。

 岩井氏の文によれば、「その教員が白川静氏であったことは当時の教職員の誰にも分かるほど明白だった」とある。(その根拠のような詳細は不記)

 以上の文章は白川文字学等に大きな尊敬を払っていた私には驚くほどショックだった。
 岩井氏は「先輩の業績を誇りに思うことでは人後に落ちないつもりだ」と言って「しかしこの時の白川氏の行動には釈然としない思いが続いている」と文を閉じている。

 偉大な学問と人間性とは異なるテーマだろうか。事実、近代の戦争や兵器は優秀な学者の関与なしにはあり得ない。
 読み切った本ではあるが、益川敏英著『科学者は戦争で何をしたか』をもう一度じっくいと読み直したくなった。少々ショックである。

2018年10月16日火曜日

零余子

   零余子(むかご)、山芋類の蔓の葉の際にできる肉芽で、多くは煎ったり湯掻いたりして食べるがそのまま齧っても美味しい。
 庭の隅っこに毎年できるので、栽培というよりも放置している。
 収穫は摘むというよりもほんの少し指が触れるとほろほろと落ちてくる。
 だから収穫以前にその何倍も勝手に落ちている。
 金持ち喧嘩せずで放ってある。

 その風情は如何にも秋らしい絶好の句材だが散文子には手に負えない。
 風情よりも食い気が勝つ。 

   一品の少なき夕餉は零余子飯

2018年10月15日月曜日

秋空より高く

   駅前の大階段で「ふれあいコンサート」があった。
 これをママさんコーラスというのも安倍政権の「偽造」みたいで少し気が引けるが、さてどういうネーミングがいいのだろう。
 ポストママさんコーラスか?アフターママさんコーラス?

 快晴と言ってもよい空の下、総勢150人のそれは迫力があった。 
 指揮の上司直子さんは『平城京遷都祭』の折、谷村新司作詞作曲の『ムジカ』の大合唱の、谷村さんを含む合唱隊の指揮を執った有名人で、見ていて、指揮者の力というのはすごいな!と伝わってきた。

 私の知らない歌では『空より高く』という歌があった。1990年に作られたのだが、東日本大震災の後、被災地のラジオ局にリクエストが殺到したというらしい。知らなかった。
 震災後に作られたのなら「君よ海より強くなれ」なんて歌詞は上から目線で嫌味に聞こえるが、それ以前に作られていて、被災者自身がリクエストを重ねて自分を鼓舞したというから胸に響く。

 ちなみに後ろに映っているブロンズ像は佐藤忠良作、題名は秋ではなく『夏』で、これも、もちろん超一流。
 佐藤忠良氏は大震災直後の3月30日に亡くなったので前述の歌とも何かの縁。
 世間一般でいえば女優佐藤オリエ氏の父だが、ほんとうは彼女が佐藤忠良氏の娘という方が正しい。アジア人として初めてフランスのロダン美術館で個展が開催された人物。世界的彫刻家である。
 このニュータウンが完成した時、完成・全工事終了の記念をどうするかという話になり、当時の住宅都市整備公団と話し合った際の自治連合会の私は一員だった。
 それがこれなので、こうして写真に写り込むと感慨深い。





2018年10月14日日曜日

あれ それ

 あの漫才コンビの名前が出てこない。
 ボケとんの?
  ボケてまんねや~
 情けない
  情けないねや~

 もちろん、こういうネタの断片を検索したら直に大木こだま・ひびきは出て来る。
 ネットの検索機能がボケを加速させているのだろうか。

 つい先日、OB会の世話人会の後いつものように居酒屋に行った。
 他愛ない話だが、ラムに合う香辛料の話になって、「あの細長い種、なんやったかいな、あれをかけたらモンゴル草原の気分になるなあ」「カレーにも入れるあれ」「〇〇さんは苦手や言うてたあれ」、で「うんうん、あれな」で話は進んでいった。
 そして話題が変ってから、「そうやクミンや、クミンシード」と、それも友人が思い出してくれた。

 そしてコロッケの話になって、「上六の南西にある肉屋のコロッケ、あの店なんて言うのやったんかなあ」「堺辺りでは有名なんやけど」「美人の娘さんと同級生やったんやけど」で、みんなそれぞれが知っている肉屋の名前を出すが当たらない。
 これは最後に友人がスマホの地図機能で「ヤマタケや!」となった。

 客観的に見ると私の「アレ」「ソレ」の度合いが激しい。
 「ボーッと生きてんじゃねえよ」と言われるほど怠惰な暮らしをしているつもりはないが、革新的な議員さんが認知症の診断を受けたというニュースも読んだことがあるから、自分だけは大丈夫などとはユメ思わないことだ。

 その日は会議本番でも居酒屋に行ってからも「アレ」「ソレ」が何回かあったが、それが何であったかは思い出せない。

2018年10月13日土曜日

朝顔は秋

   朝顔が秋の季語というのはあまりに有名だからこの写真を掲載したわけではない。
 そもそもスタンダードな朝顔ではなく、開花期が遅い西洋朝顔・・・と思っていたら正確にはそれとも違う琉球朝顔らしい。
 「らしい」というのはこの朝顔を植えたのは何年も前のことで、その後毎年地中から芽を出す宿根朝顔だから。
 で、放ったらかしで毎年緑のカーテンが出来上がっている。
 何しろ生命力が強くて、写真は1階から伸びてきた2階のベランダで、千代女に因んで水道蛇口に誘導したものでも何でもない。

 朝顔は元々は漢方薬として入って来たらしく、漢名は牽牛子(けんごし)。
 明日香の「真の斉明天皇陵」といわれている牽牛子塚古墳は八角形墳だから、少し崩れた頃に朝顔形五角形に見えたことだろう。
 その後つい最近までは円墳だと思われていた。

 この頃いっぺんに秋めいてきたが、この朝顔はいよいよ元気になってきた。
 木枯らし一番の頃まで順に咲くから道行く人に驚かれている。
 事実は小説よりも奇なりということはいっぱいある。
 花や虫や鳥などを見ていると素直に唯物論になる。

 秋めいたので夫婦ともそれぞれ別のかかりつけ医でインフルエンザの予防注射を受けてきた。
 健康に自信がなくなったことと、それよりも絶対に孫の凜ちゃんにうつしてはならないからの対策である。

2018年10月12日金曜日

木を見せて森を隠す


 柴山文科相におべっかを使うようにテレビの中の芸人が「教育勅語にはええことが書いてある」「これがあかんという人の気が知れん」と言っているのを観た。
 そういう思考方法を社会では「木を見て森を見ない」論法だという。
 ただ私は柴山文科相や、記者会見で軍人勅諭を否定しなかった岩屋防衛相ら安倍仲良し一派は「木を見て森を見ない」のでなく、「木を見させて森を隠している」確信犯だと考えている。

 さて、山口組は次の五か条の綱領を定めている。 
 一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ
 一、外は接するに愛念を接し、信義を重んず
 一、長幼の序を弁え礼に依って終始す
 一、世に処するに己の節を守り譏を招かず
 一、先人の経験を聞き人格の向上をはかる
 柴山大臣と一部芸人流にいえば、学校で「道徳として使うことができる分野は十分にある」ということになる。
 譏(そしり)などという難しい字もあるが、少なくとも教育勅語よりは解りやすい。

 この記事を書こうと念の為ネットを検索してみると、以前に私がこのブログで書いた記事が丸々引用されているブログがあった。
 学術論文ではないが全文引用されるのは気持ちがいい。どこの誰かは知らない方だ。

 引用された私の記事では「夫婦相和し」について、側室が5人もいた明治天皇に「夫婦相和し」と説教されるのもおかしなものだと書いたが、明治天皇公認の『教育勅語衍義』というコンメンタールのような本の中にこういう解説を見つけた。
 けだし妻はもともと体質孱弱(せんじゃく)にして多くは労働に堪えざるものなれば、夫はこれをあわれみ、力を極めてこれを助け、危難に遭いてはいよいよこれを保護すべく、また妻はもともと知識裁量多くは夫に及ばざるものなれば、夫が無理非道を言わざる限りは、なるべくこれに服従して、よく貞節を守り、みだらに逆らう所なく終始苦楽を共にせよ。
 嗚呼!解りやすい。

2018年10月11日木曜日

再び国会法のこと

 どういう訳か知らないが国会法第68条の3のことがあまり知られていない。
 憲法改正のことである。このブログの7月1日の『改憲論議・半分青い』に書いたが友人たちの関心は薄かったように思う。

 国会法第68条の3は次のとおりである。
 国会法第68条の3 前条の憲法改正原案の発議に当たっては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする。

 で、発議を受けて憲法改正国民投票が行われるわけだが、『改正事項が複数ある場合、憲法改正案は内容において関連する事項ごとに提案され、それぞれの改正案ごとに一人一票を投じることになる。
 投票用紙も憲法改正案ごとに調整され、投票の流れとしては、個別の憲法改正案ごとに投票用紙を受け取り、記入をし、投票箱に投函し、その後、次の憲法改正案の投票に移るという方法が想定されている。』(総務省HPから抜粋)

 だから例えば、安倍発言以前に自民党が公式に発表した憲法改正案を成立させるためには、投票箱を百個ぐらい並べて、順番に投票用紙を貰って、百回ぐらい投票することになる。
 だから改憲勢力が、国会で虚偽の多数を維持している間に国会法は変えられるに違いないという、物わかりのよい悲観論はとりあえず横に置いておいて・・・事実を知らずに議論するのは良くない。

 ということで、安倍首相が憲法改正に前のめりになっているが、悔しいけれど国会内で絶対多数を握り、国民投票になると公選法適用外ということで湯水のようにCM漬けにし、テレビ等マスメディアを認可権等で脅迫し、・・残念ながらこれを阻止するのは難しいのではないかという悲観が庶民の中にないだろうか。

 私があえてこんな堅苦しい記事を書いた理由はそこにある。
 答は、その悲観は否(いな)である。
 つまり、「9条に自衛隊を書いて、教育費を無償化して、合区を解消する憲法改正案」の国民投票はない訳であり、そんな場合であれば投票用紙と投票箱は三つあり、3回投票するのである。

 つまりつまり、ここから先は7月1日に書いた木村草太氏から学んだ氏の見解を書く。
 自民党が提案する9条と自衛隊明記は次の3案のいずれかになるだろう。

 ① 国際法上許される全ての武力行使を認め国防軍を創設する。
   この案の支持者は少なく、可決は絶望的だろう。
 ② 個別的自衛権+集団的自衛権を容認する。
   これは事実上強行した安保法制を国民投票にかけることになる。
 ③ 従来の「専守防衛」の個別的自衛権の自衛隊とする。
   この案だと安保法制の違憲が明確になる。

 以上のとおり、どの案も難題山積で、結局安倍政権なら、自衛隊の任務を曖昧にして発議して、可決後に「集団的自衛権も認められた」と国民を騙す、卑怯な手を使うだろう。

 よってリベラルというか良識を大事にしたい国民は、漠然とした話の土俵に乗るのでなく、自民党の提案内容を徹底して国民レベルに明らかにすることが必要だ。
 そして、もう一度「個別的自衛権」や危険な「集団的自衛権」を事実に即して理解し、発信することが大切だと私は思う。大いに反省している。

2018年10月10日水曜日

豹柄はお好き?

   昨日に続いて蝶のお話。
 近頃わが家周辺で一番目立つのはツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)で、とびきりとは言わないがそれなりに美しい。群舞している。

 食草がパンジーだというから人間界のガーデニングブームに適応して増えたのかもしれない。
   季節感もなんのその、真夏日が終わったと思った途端パンジーとシクラメンが園芸店にドドッと展示されているから、ツマグロヒョウモンが喜んでころこんでいる様子が目に浮かぶ。
 
   ♂は名前どおり翅の褄といえる部分が黒い(上の写真)。
 そして♀は下の写真のとおり前翅にまで黒と白の派手な模様があるから、どうしても派手な豹柄を好むと揶揄されている「大阪のおばちゃん」を連想してしまう。

 さて、こうなると次はオオムラサキを撮りたくなるが、わが家周辺では全く見たことがない。
 オオムラサキがどうして国蝶に選ばれたかと想像すると、美しさと併せて誰もが知っているほどに普通にいる蝶だったかららしい。
 
 食草?ではなく食樹?である榎(エノキ)が少なくなったからだろう。
 かつては大きく目立って日陰を提供するから一里塚ごとに植わっていたともいう。
 もう個人の狭い庭では無理だからお寺や神社が榎をもっと植えてほしいと願っている。

   豹紋は大阪に合う秋の空

2018年10月9日火曜日

蝶の裏表

   「裏表のある人間になってはいけません」と言われたりするがそれは蝶には通じない。
 写真はルリタテハ(瑠璃立羽)で、表は瑠璃色の帯が美しい。
 そして「立羽」の名のとおり、通常は翅を立てて閉じているから翅の裏を見せてとまっている。
 それが見事に朽ちた枯葉そっくりだから、人間は保護色だとかなんとか解説しているが、もう造物主を信じるしかないという気持ちになる。

 写真は見やすいように水平の感じで掲載したが実際には下を向いて逆立ちをして翅を閉じていた。だから風で飛ばされた汚い枯葉が引っかかっている態だった。
 そんなに珍しい蝶ではないが、金木犀の香りが充満している庭を飛び回っているのを見ていると如何にも秋だな~と感じる。

 そんな折、ふんわりふんわりとアサギマダラが飛んできた。「たしかこの辺りにフジバカマの花園があると聞いてきたんだが・・」という風情であった。
 フジバカマは妻にアレルギーが出たので庭から根絶した。アサギマダラには申し訳ない。

 フジバカマは別にしても、「蝶の来る庭」にしたいのだが、それを徹底すると花が軒並み幼虫(アオムシ・ケムシ)にやられてしまう。
 猫の額のような庭の所有者である小人物にはそれを看過する余裕はない。
 エコの話にしても何でも、正論はまゝ各論になればなるほど悩ましい。

   木犀の香焚き染めて瑠璃立羽

2018年10月8日月曜日

ふしぎな県境

   「注文してあった本が入荷した」と書店から連絡があった。
 西村まさゆき著『ふしぎな県境』中公新書。
 もう少し「ふしぎな県境」を歴史的に紐解いてくれているのかと期待していたが・・・(若干不満)
 でも、そこそこ楽しい本だった。
 
 特に、福島県と山形県、新潟県の三県境。飯豊山山頂を経て幅約1m長さ約8㎞だけが福島県で北東側が山形県、南西側が新潟県という不思議。
 その県境を確認しに登山未経験の著者が死ぬ思いでアタックした話は面白い。

 この辺りは古来、越後、出羽、会津の境目であったが、一帯はほゞ越後の国であった。
 ところが平安末期に越後の豪族城(じょう)氏が会津の恵日寺に土地を寄進し、以後江戸時代まで会津藩領となり、前述のあたりは飯豊山神社の表参道となった。
 ところがところが、ご存知のとおり幕末から明治初頭に会津藩は戊辰戦争に敗れ福島県の一部となり、福島県庁をどこに置くかという騒動もこれあり、内務省は「県庁は郡山」「県庁から遠い”東蒲原郡”は新潟県」という処分を下した。
 それを機に新潟県側から「飯豊山神社を東蒲原郡の郷社にしたい」という願いがだされ、猛反発した福島県側一ノ木村と対立し、ようやく明治41年、現在の森林管理局が一ノ木村の主張を認め、飯豊山神社の境内地と参道(登山道)だけは福島県になったらしい。
 著者の登山記録も併せてこの話は面白い。

   予想外にアホらしかったのは「ふしぎな県境」として私の街が出ていたことで、「ニュータウンのショッピングモールの建物の中に県境がある」と不思議でも何でもないことが紹介されていたことである。

 この辺りはいわゆる平城山(ならやま)で、都(平城京)の背後の山だった。
 故に山背(やましろ)であったが、好字令で山城(地域)となって今日に至っている。
 アホらしついでに県境のラインの上で写真を撮った。手前の足が京都府、後ろの足が奈良県である。それがどうした。

 ちなみに、ラインの両側にはKYOTOとNARAの文字やイラストがあり、私が手を掛けているモニュメントは背中合わせにそれぞれの府県のショーウィンドーのようになっている。

 建物の外の周辺の県境はジグザグしているが、ショッピングモールを西に向かうと終末期古墳の中では超一級といわれる石の唐戸古墳(石のカラト古墳)がある。高松塚古墳と非常によく似ている。
 白石太一郎先生などは藤原不比等の墓の可能性が無きにしも非ずと述べられているが文献と微妙に相違している。(不比等は佐保山に葬られたと文献にあり、佐保山はもう少し東側である。この辺りも佐保と呼ばれていたという史料でもあれば可能性が高まるという話)
 謎の「皇族か高級官僚」という点では見解はほゞまとまっている。
 この古墳を京都側では風灰古墳(カザハヒ古墳)と呼んでいた。
 お察しのとおりこの古墳も県境の真上にあるので名前が二つある。
 後世の人間(村どおし)が手を打って線引きしたのだろうが、古墳時代の築造者はきっと都(奈良)の北辺に造ったつもりに違いないと私は思っている。

   イマジンが笑う県境の本楽し

2018年10月7日日曜日

笑門来福

   日本のことわざに対して四字熟語もないものだが、わが家の掛け軸にはそうある。
 いうまでもなく『笑う門には福来たる』ということで、確かに真理だと思う。
 いや心理と言ってよいかもしれない。いくら正しい分析と方針を語っていても鬱陶しすぎる話は良くない。
 「メッセージの伝え方」は大切だ。

 といってあまりの憂鬱に心が涸れ果ててしまっている人にそれを指摘しても「はいそうですか」ともならない。そこが難しい。
 遠回りかも知れないが私自身の心がけが原点だろう。ちょっと宗教がかってきましたか?

 さて、息子ファミリーが知人の結婚式に行って来て、お嫁さんが「お義父さんにお土産」と言ってわが家に持ってきてくれたのが写真の『ミニ鏡開きセット』だった。
 披露宴が済んで「どなたかご希望の方はお持ち帰りください」となって、きっとお義父さんなら喜ぶだろうと譲り受けてきたらしい。

 その判断というか発想が嬉しい。
 笑う門が拡がれば福も拡がる。
 こうして、わが家の誕生日会やお正月などがまた一つ楽しくなりそうだ。
 惜しむらくは、あまりに完成し過ぎていて、正面のメッセージ以外追加する作業が無さすぎることである。
 先日記載のくす玉のように、ああでもないこうでもないと失敗を重ねる試行錯誤が楽しいのだが。
 それでも、これでイベントごとに正面メッセージを作り、樽の中身を用意する仕事が確定した。
 誰かが笑ってくれる仕事をダンドリ出来るのはありがたいことである。

 お祖母ちゃんの誕生日にお祖父ちゃんからの唯一のプレゼントだったと言ってくす玉を持ちだして孫の夏ちゃんに開いてもらった。
 夏ちゃんも大喜びだった。

   菰樽で遊んでねっと子の配慮

2018年10月6日土曜日

愛媛県自転車文化推進課

   富田林警察署を脱走した樋田淳也容疑者が48日ぶりに逮捕されたが、愛媛県庁の自転車文化推進課を二度も訪れていたのには少し驚いた。

 最初にはイメージキャラクター入りでラミネート加工された「日本一周中」というポスターも作ってもらっていて、二度目は四国一周のお礼に寄ったという。
 この男、まともな社会で頑張ればどうにかならないかという感想を持った。

 そして私は、地図まで進呈した愛媛県自転車文化推進課職員は非常に親切でよかったと本気で思っている。
 訪問客をまず「何か悪だくみをしている者でないか」とみるのでなく、いわば性善説で応対した態度は立派だ。それでいい。

 高知の須崎で職務質問をした警官も、外野から「間抜け」などと罵声を浴びせるのは簡単だけど、お遍路さんには複雑な事情や悩みを抱えて歩かれている方も少なくないだろうから、私は”如何にも土佐の遍路道の警官”であることよと、あまり批判する気になれなかった。ふふふふふ。

 よく何かの事件の後、「公務員は何をしていた」と叩かれる場合も少なくないが、例えば何かの救済を求めてきた訪問者は、基本的には悪人ではないという前提で、先ず救済方法を検討するのが行政の公務員であっていいと私は思っている。
 もちろん、世の中には詐欺師もいるし嘘もある。それを一人の人間の頭の中で、検事になったり弁護士になったり裁判長になったり検討して公正な結論を出すのが公務員である。
 テレビの無責任なコメンテーターなどが十把ひとからげで「公務員は・・」などというが、少しは冷静に公務員の思いに寄り添ってやってほしい。

 自転車文化推進課から脱輪したが、そんな思いをいただいた。
 私は『こころ旅』のファンである。それはどうでもよいオマケ。

2018年10月5日金曜日

気持ちよさに浸りたい症候群

 日本野鳥の会のマガジン『Toriino』vol.47の藤原新也氏の(写真の)文章にはいろいろ考えさせられた。
 非常に中身の濃い文章なので要点を抜粋することも適わないが、BS朝日の『沖ノ島・藤原新也が見た祈りの原点』という番組が世界的な大会で銀賞になった際、氏は担当統括に「なぜグランプリでなかったかを・・考える必要があるね」と言ったという。

 氏のいうのには、実は本当は放映しなければならない肝の部分が、見事にカットされていたらしい。
 その一つは、若い神職に氏が「少し祝詞のリズムが早い」と注文をつけ、「神とのキャッチボールが出来ていないから早くなる。そのことは場の空気を読んで人の話をじっくり聴くこともなく、いち早く返事を返す最近の若い人の会話にも現れている」という趣旨の部分。

 二つには、「古代の人々は、人間の持つ全能感に、どこか歯止めをかける必要があるという意識があり、人間が触れてはならない禁忌の場を設定した。だが近代の人間はそれに触れ始めた。ウランの取得がその象徴だ。核爆弾は言うに及ばず、原発でさえそれが破綻した時、人間を滅ぼす凶器となる。このように自然の領域において、そして個人の(プライバシーやアイデンティティの)領域においても、禁忌の領域が情報化されるこの時代において、禁忌の島である沖ノ島の示唆する意味は大きい」という部分。ここもカットされていたという。

 海外のドキュメント番組には日本のような忖度がない、というより、ここまでやっていいのかと思わせるものすらあると氏は指摘する。
 そして氏は、それはただスポンサーへの「配慮」だけでなく、送り手と受け手が、気持ちのよい時間と空間を共有したい(浸りたい)という日常があり、その気持ちよさにそぐわないものはおのずと排除されるわけだ。昨今のテレビの気持ち悪さはここにある。と鋭く指摘している。

 我が身を振り返ってみて、日常の人間関係で空気を壊したくないという態度をとることは多分にある。
 氏の指摘された重要な示唆も解るが、空気の読めない野暮天もどうかということもある。
 「重要な指摘に勉強になった」とこの記事を締めたいが、そう軽々しく言えない自分がいて悩ましい。

2018年10月4日木曜日

わした島ウチナー

   祝勝会などというとおこがましいが、4泊5日で沖縄に体を運んだ友人の報告会も兼ねて祝勝会を実施した。
 私はもちろんかりゆしを着て泡盛を持参した。
 一挙にその場は 〽わした島ウチナー となっていった。
 現地報告は、聞きしに勝る攻撃の下で、如何に良識を広めていったかという貴重なものだった。

 10月1日の「カチャーシー」の記事のコメントに書いたことだが、本土の革新的な運動の集会でもどんな”締め”が良いかという話になり、「沖縄ではみんなが手をつないでそのまま団結頑張ろうをするのだ」という報告に一同”目から鱗”であった。

 カチャーシーまではなかなか・・という本土のオールドマルキスト達もこれには「なるほど」。
 来年5月のレセプションの締めは決まった。

2018年10月3日水曜日

助演女優賞

   9月20日の『まずは前座』の記事で、大トリのオオスカシバ(大透翅)を待っているのに来ず、前座のクマバチが来たことを書いた。

 オオスカシバを主演男優賞だとすると、後日やって来たのは助演女優賞だと私が勝手に評価しているホシホウジャク(星蜂雀)だった。

 同じスズメガ科だが結構違っている。
 同じように魅力的なのはホバリングをして蜜を吸う所作にある。
 高速回転の翅なのでスマホでは上手く撮れなかった。
 
 ものの本には「蜂に擬態している」と書かれているが、正直にいえば生物の進化というのはほとんど何もわかっていない。
 自分自身の小さな頃を思い出しても、これを蜂や虻と勘違いした覚えはない。
 最初から「可愛い虫や!」と喜んだように思う。

   秋の夕暮れは妖艶だ。
 沈丁花の香りが充満し、空には「どうだ!秋だろう」と言わんばかりの鱗雲が輝いていた。

 3坪菜園の夏野菜を撤去した。
 鋏とペンチを使いまくって、柔な指にマメを作ってそれが潰れた。
 小市民的幸せを感じている。

2018年10月2日火曜日

沖縄の三色旗

   私は今度の沖縄知事選挙は非常に厳しい結果になりはせぬかと心配していた。
 前回は自主投票だった公明党が政権与党候補に付き、独自候補を立てていた維新もそれに付いていたからである。

 いわゆる基礎票、組織票では圧倒的に政権与党の圧勝であった。
 ネット情報では一部の創価学会員がデニー氏支持を公言しているというのもあったが、マスメディアは全く無視であったから、前回の翁長当選の実績やいわゆる「弔い選挙ムード」で楽観など全くできないと思っていた。

 ところが、30日の開票で驚いたことは、出口調査で公明党支持層の約3割がデニー氏を支持したことだった。
 それは自民党支持層のそれを上回る数字であった。
 これまでの常識でいえば公明党支持者の固さは群を抜いていた。
 ちなみに共産党が固い組織票だと言われていた時代は既に終わっている(余談)。
 もしかしたらこれは大きな転換点かもしれない。
 公明党幹部だけでなく創価学会原田会長が乗り込んでまでした結果がこれだったのだ。

 この先創価学会が打つ手は二つある。一つは聖教新聞と公明新聞以外は見るな! 疑うものは仏罰を受けて地獄に落ちる! と徹底して引き締めて会員を「衆愚」「集票マシーン」に再教育する道である。
 もう一つは、公明党に対して安倍政権にあまりにべったりの姿勢を改めさせ、「暴走を歯止めしている」かのように振る舞わせることである。
 これは改憲に暴走する安倍晋三には大きなダメージになる。
 「転換点かも」と言った意味はこの辺にある。

 もしかしたら、それでも地球は廻っているではないが、創価学会員である庶民が盲従する時代は終わりつつあるのではないだろうか。
 それはこの国の民主主義が回復する上で良いことだろう。注視していきたい。
 デニー陣営のテレビの奥で創価学会員の「三色旗」が大きく振られているのを見てそんな感慨を抱いたがどうだろう。

2018年10月1日月曜日

カチャーシー

   台風直撃の同時刻ごろ、沖縄から素晴らしい便りが届いた。
 ネットで開票状況をLIVEで観ていたが、最後にNHKも当確を打った際、デニーさん達がカチャーシーを踊りだした。デニーさんは空を舞う鳥のように優雅であった。

 次のアドレスを反転させて移動してもらうとツイッターにあった動画を見ることができる。

https://twitter.com/i/status/1046379325086289920

 安倍官邸、ということは途上国の独裁国家並みの権力そのものが総動員して襲いかかってきた知事選挙だった。
 与党候補のいう「経済振興」は早い話が札束話で人の顔をはたく、いわば買収に類するものだったし、嘘八百の口約のオンパレードだった。
 それをオール沖縄はきっぱりと追い返した。

 安倍首相は沖縄県民の総意を真摯に受け止めるべきである。
 そして辺野古の新基地建設を即刻中止し、普天間を即時閉鎖・撤去させるべきである。
 今夜はテレビのこっちでカチャーシーの真似踊りを踊ってみるぞ。