2018年7月13日金曜日

奈良時代の女性

 先日、小笠原好彦先生から主として考古学から見た「奈良時代の宮廷と女性官人の活動」という講義を受けた。
 律令制度のお手本の(唐ほか歴代)中国では後宮(こうきゅう)は宦官(かんがん)が取り仕切っていて、女性官人は官位さえ授けられなかった。
 それに対して日本(奈良時代)では宦官という制度を採り入れなかっただけでなく、畿内の5位以上の官人の娘や妹が女嬬(にょじゅう)、地方郡司の娘や妹が采女(うねめ)として女性がその職に就き、橘三千代の娘で藤原房前の室となった無漏女王(むろのひめみこ)などは従3位にも昇格した。普通に通勤して働いていたようだ。

 勉強不足の私などは、後宮というと徳川幕府の大奥のイメージだったが、詔勅(しょうちょく)等は、後宮の内侍司(ないしのつかさ)が中務省の男性官人とすり合わせて作成し、完成したなら各省に徹底(宣伝)したのは内侍司の女嬬100人であった。

   近頃、天皇退位問題などでは「伝統」の名の下に大手を振って「男尊女卑」が首相はじめ右寄りの人々から語られるし、シングルマザーの貧困など賃金や雇用制度の不均衡はいっこうに放置されたままだが、ほんとうの日本の歴史・伝統を見れば、この逞しさをこそ誇るべきではないだろうか。

 ところで、奈良公園を歩いていると修学旅行生と思われる集団とよくすれ違う。
 そして、奈良県に「熱中症の警報」が発令されている炎天下、ベストを着用した女子高校生の集団が汗だくだった。
 先生も生徒も「おかしい」と考えないのだろうか。
 真綿にくるまれたファシズムを想起してしまう。
 奈良時代人の意識は低く現代人の意識は高いなどというのも正確ではない。

 写真は国宝「平城宮木簡第1号」。孝謙太上天皇の女官「竹波命婦(つくばのみょうぶ)」が大膳職(だいぜんしき)に食材を要求している。竹波=筑波の采女で、命婦とは5位以上の女官のこと。

   空調の母は聖母月知らず

1 件のコメント:

  1. 歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

    読み通すには一頑張りが必要かも。
    読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
    ネット小説も面白いです。

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