2018年6月18日月曜日

江戸時代のハウス栽培

   浮世離れした話をしばし聞くのは楽しいことである。
 安田真紀子氏による『江戸時代の観光案内人と巡る奈良』という奈良大学の公開授業に出席した。
 講義の内容はさておき、史料の中の次のことに私はへえ~っと感心した。

 『伊勢道中日記』手中明王太郎 天保12年(1841)
 前略(1月)
 廿一日 ・・・四ツ時ニ小刀や善助方ニ着、皆々休息仕、酒掾ヲ祭し、肴品々出、亦木瓜之初成ヲ出しし、同行皆大悦いたし、・・・
 なんと、天保年間1月21日に奈良の宿屋で『胡瓜の初成』が出されたので旅人は大喜びだったのだ。

 ビニールハウスをイメージすれば、障子戸の小屋を建て、火鉢で温度調節をしたのだろうか。そんなことを考えながらネットを繰ってみた。(ネットを手繰るのは勉強とは言わないが)
 すると江戸の町にそれはあった。こうである。

 「日本人の初物(はつもの)好きとはつとに名高く、これは江戸の野菜にも当てはまることであった。寛文年間(16611673)、砂村(今の江東区北砂・南砂)の松本久四郎なる者が、ビニール・ハウス栽培の元祖ではあるまいか?真冬ナス、キュウリ等を作って幕府に献上し続けたという。その栽培法はと言うと、まず稲藁(いなわら)、落ち葉、そして江戸市中から出る生ゴミなどを積むことによって出る発酵熱で地面を暖める。そしてさらに、炭火をおこし、油障子で覆って温度を上げるという、ずいぶん手の込んだものだ。江戸っ子の異常な初物好きが、特殊な野菜を作る環境を産む。民心が奢侈(しゃし)に傾き、物価の高騰を引き起こす。幕府は「促成栽培禁止令」を数度に渡って出すまでになった」(引用おわり)

 なるほど、堆肥の際の発酵熱はものすごいものがある。それに油障子かナルホド、光を通して風雨にも強い。ただし、小屋というほどのものではなかったようにみえるが、現代のプラ製の「苗帽子」のようなものでは炭火を入れにくいし、さてさて実際にはどんなものだったのだろう?

 江戸時代の奈良は一大観光地だったからいわば一大都市、一大消費地だった。その近郊農業だからこそこんな贅沢ができたのだろう。それに江戸から遠く離れた和州なら禁止令も屁の河童だったかも???
 この話、現代生活に何の関係もなさそうだが、そんな史実の一コマを知ったことは楽しいことだった。
 講義の真髄ではなく寄り道部分に興味が脱線するのが私の悪い癖である。

 それはさておき、今年わが家の「半白胡瓜」の成長は良い。
 外が少し硬くて中に汁を蓄えた半白胡瓜の浅漬けを食べると体の中が浄化される気がする。
 約30㎝ぐらいで収穫しているが丸々と太い。これを見慣れると、スーパーの胡瓜が病気でないかと思ってしまうほどみすぼらしく見える。自画自賛である。

   しゃれた店胡瓜もみんな夏痩せし

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