2018年6月11日月曜日

鳥の霊性 5

 唐古・鍵遺跡の楼閣ベランダの鳥の木製品を鳥竿(とりざお)だと書いたが、朝鮮半島南部や済州島では蘇塗(ソト・ソッテ)と呼ばれる鳥竿が村の入口に立てられている(いた)。魏書東夷伝馬韓条にもある。
 中国東北部では索莫(ソモ)と呼ばれシベリアにもあると本にある。
 わが国の鳥居のルーツだと言われている。

   眼がシベリアに行く前に、弥生の稲作文化を論じる際に避けて通ることのできない大問題に、ジャポニカ種の故郷は黄河ではなく長江流域であるということがある。
 なので、その地に鳥竿・蘇塗の更なるルーツを探すと、アカ族やハニ族の村の入口には鳥居そっくりな門が造られ笠木の上には木製の鳥が置かれている。
 さらに東南アジアにも広がって今に伝わっている。

   ミャオ族の村の中心には蘆笙(ろしょう)柱が建てられ、その頂上には鳥形木製品が着けられている。
 それらの木製品と瓜二つの鳥形木製品が大阪府和泉市・泉大津市にまたがる池上・四ツ池遺跡から出土している。吉野ヶ里その他のムラの後からも出ている。

 長江流域にルーツを持つ稲作の文化圏において、鳥が邪霊の侵入を防ぐ神又は神の使いと認識されていたことは疑いの余地がない。

 7日の『鳥の霊性3』にスノウさんから「吉野ヶ里遺跡に鳥形付きの門=鳥居が復元されている」とのコメントを貰った。
 http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c104.html をドラッグで反転させ『移動』すると吉野ケ里歴史公園の見解(解説)を読むことができる。参考になる。

 ではもう一度大陸の北に眼を転じて、殷の歴史を引継ぐ北方黄河文明ではどうか。
 文字学の泰斗白川静氏によれば、鳥や隹の文字のうち鳥は甲骨文字・金文では神聖なときに用い、神意を察するための祭祀の対象となるときに用いるとあり、鶏も神聖なものと考えられていたと解説している。
 さらに前述の鳥竿は祓邪のためのものであり、白川説では、鳥はおそらく祖霊の化身と見ていただろうと述べ、馬王堆のミイラの埋葬方式等からそこには「復活」の思想があり、復活までの間、死霊は山や森の中で鳥に姿を変えていたと論じている。

■13日追記
 ミリオンさんから長崎県壱岐原の辻遺跡の右の写真を送っていただいた。感謝!
 倭人伝で「対馬国から南に一海を渡ること千余里・・一支国に至る」の一支国が壱岐というのは定説とされ異論は知らない。
 ただし、写真の鳥居が唐古・鍵の楼閣同様復元されたものであることの注意は必要。というものの、このように復元することが可だというのも定説に近く、故にこのように復元された。過不足なく理解することが大切。大いに参考。


   焼肉に半白胡瓜のポリポリと

 商売の上では苦労があるとかで半白胡瓜は市場にあまり出てこない。それでは自家栽培でというと接木苗が無く実生苗は連作障害に弱い。それでも毎年土壌を改良したりして挑戦する。今年は今のところすくすくと育っている。
 半白胡瓜をスーパーの胡瓜の倍くらいまで育て、皮は少し硬く真ん中に水分と種を含んだものが良い。もちろん糠漬けだ。ギラギラの肉の脂が口中で浄化される気分になる。

1 件のコメント:

  1.  ミリオンさんから長崎県壱岐の『原の辻遺跡』に復元されている鳥居の写真を送っていただいた。追記した。

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