2018年6月1日金曜日

ニッポン風土記

 BS-TBSに『関口宏ニッポン風土記』という番組があり、そのタイトルから、関口宏が全国を巡り知られざる風習などを再発見するのかと思いきや、東京にあるどこかの県のアンテナショップや郷土料理店へ行き、数人の県人とともにその県を紹介するという、笑いをこらえることができないくらい安上がりの番組である。

 先日チャンネルを回しているとその番組の「埼玉県の後半」だった。
 私は若い頃東京近辺に住んでいたことがあり、関東平野のことは分かっていたつもりだったが、出演していた埼玉県人が「秩父は別だ」と何度も強調しているのには驚いた。
 曰く、古代には武蔵の国と秩父の国で言葉も違ったという。

 先日俳人金子兜太氏が亡くなり、「秩父の狼」的な形容をしばしば目にしたが、関東・坂東の金子でもなく武蔵・埼玉の金子でもなく秩父の兜太と言われる所以が感覚的に理解できた感じがした。

   その秩父には家康が建立した秩父神社がありそこには三猿が彫られているらしい。
 家光が建立した日光東照宮の三猿ではなく、目も耳も口も塞いでいないという。

 俗に、よく見て、よく聞いて、よく話そうと解されているらしいが、自公政権の進める似非道徳教育的日光の三猿よりも好もしく感じた。

 奈良公園にある三猿(写真)を見ながらもそう思った。
 安倍自公政権の隠蔽、改竄、議論否定の政治を目の当たりにする昨今、「秩父の三猿」を大いに広めたいものである。
 日光の三猿(見ざる聞かざる言わざる)は道教の庚申信仰から派生して儒教で体系というか理屈付けが完成したものと理解するが、為政者が民衆を飼いならすという儒教の悪い側面が浮き出ているように思う。

         カレンダー捲って水無月と知る

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