2018年6月30日土曜日

夏越し茅の輪

   時の速さを嘆く自分を嘆きたい。もう半年が経った。
 夏越の大祓(なごしのおおはらえ)の今日30日は所要があるので、前々日に大神(おおみわ)神社に参ってきた。
 ここはいろんな意味で古式を残しているので面白い。

 実母が生存中は大祓の人形(ひとがた)なんて低俗な呪い(まじない)みたいで嫌いだったが、どういう訳か今は普通に孫の人形を納められる。私も変わった?
 といって、ご利益だとか罰が当たるだとかお祓いだとか背後霊だとかの迷信やスピリチュアルなどは一切信じていないし、現実社会でそれらがもっている負の要因を批判している。

 以上を大前提に、拝殿に進むと、ご承知のとおりここ(大神神社)には本殿はなく、『三ツ鳥居』を通して三輪山自体を拝するというのは伊勢神宮よりももっと古式を残している証しである。
 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)というのもその名からすると造物主というか創造神だろう。
 大物主大神と大国主神(おおくにぬしのかみ)との教義上の理屈(関係)(大物主大神は大国主神の幸魂、奇魂である=書紀)はさておき、参拝時に「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)守給(まもりたまえ)幸給(さきはえたまえ)」と三度唱える。
 少しの解説を知るならば、仏像の前に書かれている「オンコロコロ・・・のご真言」よりは私には解りやすい。

 そして茅の輪くぐりだが、先のとおり大神神社といえば『三ツ鳥居』で、別名三輪鳥居というように古書にも「一社の神秘なり」とある。
 写真のとおり、それに対応した独特の茅の輪である。つまり、だから私もわざわざここまで実見しに来たわけである。
 真ん中の茅の輪の上には杉、右の茅の輪の上には松、左の茅の輪の上には榊という、三霊木が掲げられている。
 平安時代の書には「三輪の明神は社もなく祭の日には茅の輪を三つ作りて・・それをまつる」とあるらしい。
 有名な「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶといふなり」という古歌を声を出して歌いながら8の字形にくぐって帰ってきた。

 このように、いろんな意味で遠い先祖がどんな恐れや願いを込めて生きていたかが察せられるので寺社巡りは楽しい。
 ただ、神社本庁・日本会議の民主主義否定、戦前(歴史とも伝統ともいえないほどのあだ花のような一時期)復古の活動は許容できない。私宛に大祓の案内が来るそこそこ有名な神社があるのだが、日本会議のパンフレットが同封されていたときからは赴いていない。

   「祓」と書かれた団扇があった。
 「知らず識らずのうちに心身についた罪禍事を、この団扇を扇げば吹き飛ばしてくれる」らしい。
 あまりに単純明快な連想に私は笑った。そして写真のとおり一つ求めた。
 この団扇、平和行進に持って行こう。何を吹き飛ばしたいかって? 言わずと知れている。

   祓えとふ最古の社の団扇あり

2018年6月29日金曜日

すべからく知っておくべきだ

   麻生・安倍コンビの国語の誤用については今さらだが、大阪北部地震の折りには菅官房長官も枚方市を「まいかたし」と読んだ。
 そのことを私は軽く皮肉ったがそれ以上には追いかけはしなかった。
 私自身鹿児島県の川内を「かわち」と読んだことがあるし、その種の失敗は誰にでもある。今もある。

 26日の赤旗に『「すべからく」の誤解』という囲み記事があった。要旨次のようなことだった。
 1 「すべからく」とは「当然、ぜひとも」という意味だが、「すべての」というように誤用する人が多い。
 2 2010年「国語に関する世論調査」では一番誤用しているのが60代、一番正しく理解しているのが30代。20代も悪い数字ではない。
 3 比較的古めかしい表現だが、この一例では「若い世代が教養を失い、日本語を知らない」という俗論は通用しないようだ。
 4 デマに踊らされて「弁護士不当懲戒請求」に殺到したのも中年~高齢者が多かった。等等々。

 ええ~っ、「すべての」は間違いだったのか。
 家中の辞書で確認したが『「すべての」の意味もある』と書いてあるのは1冊もなかった。
 記事は「中高年こそ気持ちを引き締めねばならない」と結ばれていた。
 社会人としては、「須く~べし」の意味をすべからく知っておくべきだ。はは~っ。

 来週からミニコミ紙の編集に入るが気持ちを引き締めよう。そして、文章にしても発言にしても、鉄則はその人の人となりが出るものだということについて肝に銘じたい。

 辞書というと国語辞典は広辞苑に限る?
 孫の夏ちゃんは自宅ではプラバンをしないことになっていて、プラバンはわが家に来たときにすることになっている。
 そのプラバンは、トースターで温めるのだが、取り出してすぐに「重し」をしないとぐにゃぐにゃになってしまう。
 勝手知ったる祖父ちゃんの書架とばかりに、夏ちゃんが必ず使用するのは広辞苑である。
 妻は「やっぱり広辞苑は使用価値があるなあ」と感心している。

   プラバンの重しはやはり広辞苑

2018年6月28日木曜日

焼肉ドラゴン

   キャッチコピーは「たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる」というのだが、見終わって「そうやそうや」という気にはならなかった。

 1970年代の大阪を駆け抜けてきた者として、懐かしさにコーティングされた現代史として見ごたえはあったが、「悲劇なんか喜劇なんかはっきりセイ」というか、あとは観客が考えて!と投げつけられた、そういう意味ではちょっとしんどい映画だった。

 駄作では決してないと思う。
 公開されたばかりだからストーリーをバラすのは止めておくが、間口の広い映画である。
 豊中あたりで大阪航空局の土地から立ち退きを迫られる。
 あとは公園になる。
 イジメのこと、北のこと、南のこと・・・。
 あまりに現代と直結している。

 「あの映画のキャッチコピーは見事やったなあ」そう言える時が遠からず来てほしい。

2018年6月27日水曜日

副総理の名言

 副総理の「迷言」の間違いでないのかという疑問もあるだろうが「名言」である。麻生副総理は実感を込めて社会の現実を寿いだのだ。
 24日新潟県新発田市で、知事選挙で与党系候補が当選した要因の一つに30歳代前半までの支持があったとの認識を示し、「10代、20代、30代前半、一番新聞を読まない世代だ。新聞を読まない人たちは全部自民党(支持)だ」と公言した。私は大筋においてそれは嘘ではないと思う。故に名言と言う。

 「反知性主義的態度は効率主義や成果主義と相性がよい」とは映画作家想田和弘氏の言葉である。
 知性とは、事実を知りたい、その奥の真実を知りたいという欲求と想像力の結果だろう。それには少々の努力と時間がいる。
 若者からそういう欲求や想像力を奪った基礎には効率主義や成果主義があると思う。そして言いたいことは、それは企業の中だけでなく、親は子に「学歴社会に落ちこぼれる悲惨」を説き、学校の先生はストレートに試験勉強を強いてきたところから始まっている。そのどちらもが子どもたちへの「善意」に発していることに難しさがある。

 「悪貨は良貨を駆逐する」とのグレシャムの法則は、転義的に社会状況の評論・溜息に引用されるが、そこに秘められた一面の真実を私は否定しない。
 それは橋下徹がまき散らした大阪維新の「反知性主義」を嫌というほど見てきた実感でもある。
 馬鹿にしてはいけない。悪貨はパワーを発揮する。

 そういう現実を見据えるならば、リベラルといわれる人々は「メッセージの伝え方」についてもっともっと反省し熟慮しなければならないように思う。
 SNSでもよい、ミニコミ紙でもよい、パレードでも・・・、
 批判は得意だが提案はしない、ダンドリもしないでは、訳知り顔で時代を嘆いてみても何も始まらない。ましてや「近頃の若いものは・・」など本末転倒だ。
 だらしないのは伝えきれていない大人でないのか。
 ついては初心にかえってミニコミ紙の編集に知恵を絞りましょうか。

   全日の病院出口や夏の空

2018年6月26日火曜日

ウェルシュ菌

 8月にある夏祭りの実行委員会で、プロである調理師からウェルシュ菌の食中毒のことを教えてもらった。
 自然界に幅広く生息している細菌で、一度「芽胞」というものができると、100℃×6時間でも死滅しない(通常の細菌やウイルスは75℃×1分で死滅する)という。
 弱点は、他の細菌類とは反対に空気=酸素に弱いということだが、寸胴鍋のカレーのように空気が遮断された状態では猛烈に繁殖する。
 「一晩寝かせたカレーが美味しい」などというのが一番危ない。
 これらのことから『行事性食中毒』の異名も散見される。
 そんなことで、ウェルシュ菌の好む環境の正反対を考えれば『ちらし寿司』かも・・という議論が優勢になっている。

 わが家でも、子どもたちから「カレーの作り置きは注意」といわれていたが、「な~に、しっかり加熱すればよい」と誤解していた。
 そんなこともあり近頃はキーマカレーを主に作っている。
 これなら、余った分は冷蔵庫に入れておき、再加熱の際にかき混ぜれば空気に十分触れることになる。

 カレーといえば1歳児からでも食べられるカレールーがある。
 『カレーの王子さま』というのを使ったら小さな孫の凜ちゃんがパクパク食べたので驚いた。カレーは最強の日本食かも知れない。

 孫の夏ちゃんファミリーが夕食に誘ってくれて、北印度料理に連れて行ってくれた。
 正確にはネパール料理らしいが、典型的な印度料理だった。
 これも日本人好みにアレンジされているのだろう。
 店は大繁盛で、やっぱりカレーは日本食かも知れない。
 キーマカレー、大半を食べてしまってから撮影忘れに気が付いた。

   本場というカレーのスパイス探り合う

2018年6月25日月曜日

万葉のはなし

 万葉学者上野誠先生の授業に出席した。
 タイトルは『万葉びとの「よばひ」』で、万葉集巻の一の一番歌≪籠(こ)もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち・・・・≫を注釈しながら古代の婚姻の▼名告り▼よばひ▼結婚の話に進んだ。

 なんとなれば、古典文学の理解の基礎に生活の理解が不可欠とすれば、その研究は生活文化の研究と一体のものである。よばひの研究抜きに婚姻や恋愛の文学が解ることなどあり得ないというためである。

 そして、▼名告り・・では、女性が名前を告げることは婚姻を承諾したことを表した。「母が呼ぶ名」は公にしない。
 ▼よばひ・・では、互いの名を呼び合う動詞「よばふ」の連用名詞形。男が女の家に訪ねてゆく権利が保証される。ただし、女性は複数の男性にこの権利を与えることができる。クーリング・オフ期間。
 ▼結婚・・では、二人の結婚が社会に対して公にされる。女性の家の一角に妻屋(つまや)が建てられ、新婚生活がはじまる。夫は妻のもとに通うことになる。妻訪ひ婚の形態。・・・と解説され、万葉集の中のいろいろな詞を上げて当時の状況と心境を復元されていった。

 これらの話は考古学や古代史の話ではなく古典文学の話である。
 考古学的実証が好きな私だが、これはこれで新鮮で楽しかった。
 そして文学的ミーハー?で、持参した著書にサインをいただいた。
 サインには万葉集の発句が添えられていた。


   ほととぎす通低音に万葉歌

2018年6月24日日曜日

鬼灯

   古事記によると、須佐之男命が大蛇について尋ねたところ「彼目如赤加賀智而、身一有八頭八尾」と老夫は答えている。

 この「赤カガチ」は古語辞典に「ホオズキの古名」とあるから、古代からホオズキの赤は印象的だったようだ。オロチの目はホオズキのように赤かった。

 そういう共通の印象がベースにあったからだろうか、いつの時代かの古人が鬼灯という漢字を当てたことにも違和感が生まれない。
 
 ほおずき市というと東京・浅草寺のそれが有名だが、同じ「四万六千日・観音さんの縁日」といっても関西で(私は)ほおずき市について馴染みがない。
 私が小さい頃は、堺市宿院町西に今もある東光寺の植木市が盛大で楽しかったが、どういう訳かほおずき市や朝顔市は圧倒的に江戸の文化のようである。

 さて鬼灯はこれまでも植えたことがあるが、畑で熟れても見栄えはしない。やはり植木鉢で育ててそれらしい場所で鑑賞するのが良いだろう。
 それで今年は食用ホオズキを植えてみた。なお普通のホオズキは旨くもないし毒もある。
 今年、一つだけ早々に黄色くなったのを食べると非常に美味しかった。ストロベリートマトという名前にも異論はない。ヨーロッパではフルーツとして認知されていると読んだこともある。
 写真のとおり緑色の実がたくさん付いている。色づくのは少し先だろう。夏休みに孫の夏ちゃんが来たら喜ぶに違いない。

 小さい頃、祭りの夜店でほおずきが売られていた。
 口の中で鳴らすものでここに書いたホオズキではなく「海ホオズキ」だった気がするが、本には草のホオズキでも「ホオズキ笛」を作って鳴らすことができるとある。
 私は「不衛生だから買うたらあかん」といわれていたので、結局知らないままできた。
 ホオズキを鳴らして遊んだ経験のある方は教えてほしい。

2018年6月22日金曜日

道端の合歓の花

   芭蕉の有名な句に『象潟や雨に西施がねぶの花』がある。
 西施は中国春秋時代、越王句践が呉王夫差に献じた美女で「顰(ひそみ)に倣う」の故事もある。

 蘇東坡は西湖の景勝を西施に例えて「若シ西湖ニ把ツテ西子に比セバ、淡粧濃沫総ベテ相宜シ」と詠った。

 芭蕉の先の句は蘇東坡の詩をふまえ、一般に「雨に煙る合歓(ねむ)の花に西施が物思わしげに目を閉じている趣をみた」と解説されている。

 わが家から近い散歩道の周辺にも雨に煙って合歓の花が咲いている。
 そしていつも思うのだが、合歓の花は場違いに美しくバタ臭い。
 私には江南の西施というよりも洋菓子の匂いがする。
 モンスーン地帯の梅雨時にどうしてこんなバタ臭い花が咲くのだろうと不思議に思っている。
 芭蕉にはそんな違和感がなかったのだろうか。

 大阪市内のホームセンターでジャカランダの苗木が売られていた。
 これも美しくもバタ臭い花である。
 実際にはあちこちのお寺などに咲いているから私の偏見に似た感覚なのかもしれない。
 こんな街の風景にバタ臭いなどと言うのは私が時代遅れの証しだろうか。

   道端にケーキの欠片(かけら)合歓の花


   右の表は平井一隆氏のFBからシェアされて広がっているもので、あまりに出来が良く笑ったので転載した。
 こういうのは「顰(ひそみ)に倣った」というよりも、猿真似というか「類は友を呼ぶ」と呆れかえるのが正しいのだろう。(図の上でクリックして拡大して読んでほしい)

2018年6月21日木曜日

インかアウトか

   余震の続いている中、軽薄な記事で申し訳ない。
 阪神大震災のときも淀川の西側(尼崎から神戸方面)は真っ暗なのに、東側大阪のキタは煌々と電気が点いていた。そのときも私は電気の点いていた方にいた。
 今回も直線距離ではそんなに離れていないのに5弱の方にいる。
 こういうときに人はどう振る舞うべきかと悩みながら、とりあえず自粛せずに軽薄な記事を書く。

   メンズのシャツのことである。
 メンズのシャツをインにしていたとき、娘に「如何にもオッサンくさい」と笑われた。(パンツ(ズボン)の中に裾を入れていること)
 そんなことがあったので、先日、アウトにして大阪に出かけたとき、同輩の方々からは「えっ、外に出してるの」と相当驚かれた。
 ケースバイケースで対応しているつもりだが難しい。
 商業主義に振り回されたりへつらっているつもりはないのだが。

 さて、父の日だと言って娘夫婦からシャツをプレゼントされた。これは文句なしにアウトの形状のものである。
 それにしても、自分では絶対に購入しないようなボーダーのシャツで、数十歳は若い目のものだろう。
 「あまり年寄り臭くなるな」というメッセージだろう。
 こんなタイミングでないと着ることもないだろうから早速着ている。

 ただ、この下にアンダーシャツを着るべきかどうかは迷っている。着るべきではないのだろうとは思いつつ
 全く能天気な話で恥ずかしい。

 話は戻って地震である。
 友人が「散らかった後片付けを始める気力が湧かない」と落ち込んでいる。
 同主旨のことが朝日新聞でも報じられていた。
 その本人の居ないところで「しっかりせなあかん」と評した話もあったが私は違うと思う。
 Post Traumatic Stress Disorder  軽度のPTSDだろう。
 土日に息子君が手伝いに来るそうだから早期に解決すると安心している。押しかけ手伝いは更なるストレスのようでもあるし…。

 現職の折り『ストレスの評価表』に係る仕事をしていたが、あの中には負荷を受けた年齢という概念がなかった。
 しかし、高齢になってからのストレスは、若いときに直面した同質同量のストレスに比べてダメージが大きいと此の頃思うようになった。
 「しっかりせい」では済まないのだ。 
 息子君が対応するというので具体的な手伝いは保留するが、どうにかして精神的な支えはしてあげたい。

 お~い、要るものはないか!

2018年6月20日水曜日

地震の翌日

 高槻――大地震とくれば「慶長伏見大地震」を連想する。4月に行った今城塚古墳にもその大きな地崩れの痕があった。
 やっぱり、歴史は大いに学ぶべきものである。

 大阪北部大地震の翌日、メディアの取材班は被災地へ出ていて、夜はワールドカップ、国会は会期末、そのタイミングでメディアの主要な記者たちが到底岡山の会場に間に合わない時間設定で突然加計理事長が記者会見を行った。
 ああ、世の中には悪知恵の塊みたいな魑魅魍魎がいるものだ。
 「職員が勝手に愛媛県に嘘をついたので減給10分の1、6カ月の処分をした」と文書を読み上げて疑惑に答えたという。
 天網恢恢疎にして漏らさず。こんな茶番を信じる国民はいないだろう。
 ナチス宣伝相の歴史的発言を思い出す。
 という歴史も学んでおかなければならない。

 前後するが、18日、共産党のたつみコータロー参議院議員が森友で二つの内部文書を公表して首相に突き付けた。
 財務省と国交省のすり合わせメモで、「最高裁まで争う覚悟で非公表とする」「官邸も早くということで、法務省(検察のこと)に何度も巻きを入れている」「谷氏から賃料引き下げの優遇措置を適用できないかと照会」「賃貸料の減免、土壌汚染対策工事中の免除等はできないかと照会」などとある。重大な証拠物件だ。

 だが、共産党が情報提供者を徹底的に護ることをよいことに安倍首相はシラを切るつもりだが、そうはいかないだろう。
 この報道が大地震の影に隠れた感があるのは残念だ。

   不愉快なニュースの気分転換のために、先日孫の夏ちゃんに教えてもらった『プラバン』を作ってみた。
 ストラップのようなものの試作である。
 缶バッジに準ずる表現方法が一つ増えた感じがする。

 

2018年6月19日火曜日

6弱

 大阪府で震度6弱というのは統計を取り始めてから初めてのことらしい。
 こういうことを東南海地震を除けば「想定外だった」というのだろう。

 わが家は5弱だったので少しホッとしていたが、大阪北部の友人たちにお見舞いメールを送ると、「部屋の中は阪神以上」「怖かった」「近所にドアの開かなくなった家も」と軒並み大変な様子だった。
 帰省のために家を出て新大阪でストップして1日がかりでようやくわが家に帰れた先輩もいた。
 
 先日、枚方市(ヒラカタシ)が『マイカタちゃいますキャンペーンを実施中』というのが新聞テレビで報道されたが、菅(すが)官房長官は地震の記者会見で枚方を『マイカタ』と言っていた。
 これで『マイカタちゃいますキャンペーン』に弾みがつくのではないかと私は思っている。それにしてもねえ。

 国立循環器センターの予備電源までストップした件は怖ろしい。
 あってはならないエラーも起こるものだと思うのが正しいのだろうか。
 ヒューマンエラーのことは書いたところだ。

 9歳の児童が死亡した現場はテレビで見る限り「ここを歩きなさい」と指定されたグリーン表示の歩道に見えた。これも痛ましい。

 維新与党の大阪府が災害対策の司令塔を置きたいと言っていた『咲州庁舎』のニュースがないのは「忖度」だろうか。
 高層マンションで「エレベーターが止まって困った」という声が報じられているのに『大阪府咲州庁舎』が報じられないのは意図的ではないだろうか。

 私は「公共事業悪論」ではない。水道管や学校の塀や橋やいろんなインフラ整備は必要だ。
 頭を冷やせばカジノなんぞに大金を投入するのでなく、社会インフラを更新すべきでないだろうか。
 そんな折に「水道民営化論」ですか。

 今のところ幸いにして原発の事故が報道されていないが、「原発は絶対安全だ」という人は地震の予知をできてから言ってほしい。

2018年6月18日月曜日

江戸時代のハウス栽培

   浮世離れした話をしばし聞くのは楽しいことである。
 安田真紀子氏による『江戸時代の観光案内人と巡る奈良』という奈良大学の公開授業に出席した。
 講義の内容はさておき、史料の中の次のことに私はへえ~っと感心した。

 『伊勢道中日記』手中明王太郎 天保12年(1841)
 前略(1月)
 廿一日 ・・・四ツ時ニ小刀や善助方ニ着、皆々休息仕、酒掾ヲ祭し、肴品々出、亦木瓜之初成ヲ出しし、同行皆大悦いたし、・・・
 なんと、天保年間1月21日に奈良の宿屋で『胡瓜の初成』が出されたので旅人は大喜びだったのだ。

 ビニールハウスをイメージすれば、障子戸の小屋を建て、火鉢で温度調節をしたのだろうか。そんなことを考えながらネットを繰ってみた。(ネットを手繰るのは勉強とは言わないが)
 すると江戸の町にそれはあった。こうである。

 「日本人の初物(はつもの)好きとはつとに名高く、これは江戸の野菜にも当てはまることであった。寛文年間(16611673)、砂村(今の江東区北砂・南砂)の松本久四郎なる者が、ビニール・ハウス栽培の元祖ではあるまいか?真冬ナス、キュウリ等を作って幕府に献上し続けたという。その栽培法はと言うと、まず稲藁(いなわら)、落ち葉、そして江戸市中から出る生ゴミなどを積むことによって出る発酵熱で地面を暖める。そしてさらに、炭火をおこし、油障子で覆って温度を上げるという、ずいぶん手の込んだものだ。江戸っ子の異常な初物好きが、特殊な野菜を作る環境を産む。民心が奢侈(しゃし)に傾き、物価の高騰を引き起こす。幕府は「促成栽培禁止令」を数度に渡って出すまでになった」(引用おわり)

 なるほど、堆肥の際の発酵熱はものすごいものがある。それに油障子かナルホド、光を通して風雨にも強い。ただし、小屋というほどのものではなかったようにみえるが、現代のプラ製の「苗帽子」のようなものでは炭火を入れにくいし、さてさて実際にはどんなものだったのだろう?

 江戸時代の奈良は一大観光地だったからいわば一大都市、一大消費地だった。その近郊農業だからこそこんな贅沢ができたのだろう。それに江戸から遠く離れた和州なら禁止令も屁の河童だったかも???
 この話、現代生活に何の関係もなさそうだが、そんな史実の一コマを知ったことは楽しいことだった。
 講義の真髄ではなく寄り道部分に興味が脱線するのが私の悪い癖である。

 それはさておき、今年わが家の「半白胡瓜」の成長は良い。
 外が少し硬くて中に汁を蓄えた半白胡瓜の浅漬けを食べると体の中が浄化される気がする。
 約30㎝ぐらいで収穫しているが丸々と太い。これを見慣れると、スーパーの胡瓜が病気でないかと思ってしまうほどみすぼらしく見える。自画自賛である。

   しゃれた店胡瓜もみんな夏痩せし

2018年6月17日日曜日

夏ちゃんの安全装置

   労働災害防止活動の一つに『指差呼称』がある。
 一つひとつの項目(対象)に対して指差しをして安全を確認して「〇〇ヨシ!」と声を出して確認することだ。
 電車の先頭に乗ったときに運転手のそれを見ることができる。
 ところが人間という奴にはヒューマンエラーが避けられない。
 なので、例えばプレスの危険な箇所から手を抜いてボタンを押さない限り機械が動かないというような安全装置がもっと有効になる。最新の自動車の「衝突防止装置」はそれに近づいている。

 というような大層な話ではないが、妻がクルマのサイドミラーを畳んだまま運転して途中で慌てたという話を度々した。
 『指差呼称』はその自覚が習慣にまで到達していなければ効果がない。
 ヒューマンはエラーをするものなのである。
 わが家のクルマは旧式で、サイドミラーを畳んだままでは『D(ドライブ)』に入らないというほどの『安全装置』は完備されていない。

 ということで孫の夏ちゃんに『みらー』という安全装置?を『プラバン』で作ってもらった。
 サイドミラーを畳んだときにはこの『プラバン』をハンドルに掛ける訳である。
 これなら否が応でも出発前にこれを外して・・もちろんミラーを出して出発することになる。バンザーイ!

 先日、夏ちゃんから「プラバンを買うといて」と頼まれた。イオンのおもちゃ売り場で聴くと文房具売り場だという。見つからないのでここでも尋ねてその棚まで案内してもらった。あとでお母さんに聞くと百均で売っているらしい。
 昔からあったというのだが、私はこれを知らなかった。
 切り抜いたプラバンに油性ペンで絵などを描いてトースターで焼くものである。
 洒落たメッセージのストラップなど作れるかもしれないと少し考えている。

2018年6月16日土曜日

美しくて怖いもの

 若い頃、私はモリハナエの蝶のデザインのネクタイを数本持っていた。好きだった。
 しかし感覚的にいうならば、世間にはトンボよりも蝶が嫌いという人(特に女性)が多い気がする。翅の鱗粉が有害の粉末毒薬(殺虫剤?)を連想させているのかもしれない。我われ世代ならDDT。

 ところで、一般的にいえば蝶は草食でトンボは肉食である。
 だからといって、そも自然界には肉食・草食に何の倫理的上下関係はない。
 肉食が残酷だという理由でベジタリアンであることを主張するのは当を得ていないと私は思う。
 
   とはいうものの・・・、先日、目の前にヤンマが飛んできた。
 何かがおかしいぞ!と思って見てみるとアゲハ蝶をくわえていた。
 蝶は羽ばたいて抵抗していたが、ヤンマが「翅はじゃまだ」と片方の翅を噛み切って捨てたところを写真に撮った。
 片方の翅はひらひらと美しく落ちていった。
 ヤンマは片方の翅を残したアゲハ蝶をムシャムシャと喰っていた。

 巷間、夜の蝶という形容があるがほんとうに美しくて怖いのはトンボの方だった。
 先日来観察しているモリアオガエルの池ではカエルが死んでいた。
 肉食昆虫もいろいろだから一概には言えないが、犯人はトンボの幼虫・ヤゴかも知れないと私は睨んでいる。
 ものの本には「トンボはオオスズメバチも襲って食べる」と書いてあった。事実は小説よりも奇なりである。

 既成概念を取っ払って事実を直視せよ!というのが何事にも出発点かも知れないが、ちょっとだけ「見なかった方が良かった」と思った瞬間だった。
 とまれ、これも一般論だが、農耕民族にとって蝶は害虫、トンボは蚊を捕ってくれたりするので益虫といわれたりする。まあ人間様の勝手な言い分であるが。

   蝶喰らうヤンマに何の咎(とが)あろう

2018年6月15日金曜日

姫女菀(ヒメジョオン)

   「写真は高原の別荘付近で撮ったものです」と言っても通じないだろうか。
 そもそも高山植物でも近似種が下界にあるものも多く、”そこ(高山)にあるからこそ”注目されているものは多い。
 ニッコウキスゲVSノカンゾウ、ミズバショウVSカラー、コオニユリに至っては残ったユリ根を庭に埋めておけば同じような花が咲く。

 写真はわが家のすぐ近くの遊歩道の『雑草』で姫女菀(ヒメジョオン)。春紫苑(ハルジオン)でないかと相当迷ったが、ヒメジョオンで間違いなさそうだ。キク科で可愛い。中には薄紫の花もある。

 高山植物の儚さとは反対に驚異的な繁殖力を持っており、北アメリカ原産の侵略的外来種、要注意外来生物に指定されている。
 高山のお花畑で咲いておれば歌に読まれていても良いような風情なのにこのギャップはいったい何だろう。世の中はつくづく不条理だと思う。判官贔屓(ほうがんびいき)かもしれない。

 判官贔屓が日本の精神文化だとしたら、アベ友の右翼の皆さんは一番日本的精神文化の対極にあるように私は思うのですが。

   一瞥もくれず姫女菀は道端

2018年6月14日木曜日

12日の吉城園

 12日に勉強会のついでに吉城園の定点観測に立ち寄った。
   オタマジャクシはうじゃうじゃというほどではなかったが10数匹以上は泳いでいた。今年は少なすぎないかと思っていたので先ずはホッと一安心。
 子蛙は目を皿にして探してみたが見つからなかった。来週以降のお楽しみということにしておこう。
 親ガエルは探しても探してもなかなかナカナカ見つからず、それでも辛抱強く観察して♂1匹を見つけた。

 元気なご婦人2人が「いますか?」と尋ねられたので教えてあげると、「みんなあ~」と呼びに行かれて、姦(かしま)しい吟行グループで大騒ぎになり、たちまち学芸員のように解説する立場にさせられた。
 ♂1匹だけだったし鳴き声も聞かれなかったが、吟行グループは誰も非常に満足した笑顔だった。
 そのうち吉城園の受付の人も来て、「モリアオガエルは変色しますか?」などの質問が私にとび、「去年は目の前でゆっくり変色しました」と答えると、これも「うんうん」と満足してくれた。

   一行がお礼を言って帰った後、相当な時間静かにしていると、水の中に変色したモリアオガエルを見つけた。
 顔の左側に少し緑色が残っている。(写真上でクリックして拡大して確認してもらいたい)

 日頃のモーレツな運動不足解消のため、その後、手向山八幡宮まで足を延ばした。
 この間から気になっていた「鳥の霊性」に関わって一言いうとここの家紋(シンボルマーク)は鳩(向かい鳩)である。
 宮司に「どうして鳩なんですか?」と尋ねたが、「八幡様は鳩なんです」という判ったような判らないような返事であった。(実際には理由がある)

   「向かい鳩」はどう見てもキスをしている。また2羽の鳩の間がハート型である。なので今は単純明快に良縁祈願のパワースポットとなっている。
 その上に、実は1羽の鳩が正面を向いているようにも見えないかというミステリアスな意見もあり「鳥の霊性」などそっちのけで現代風にめでたく有難いマークだと好評のようだ。
 そんなことは広く信仰の世界だから、私はその理解にケチをつける気は毛頭ない。若い皆さまお幸せに!

   青梅雨や人も蛙も変色す

2018年6月13日水曜日

鳥の霊性 6

   写真1の2枚は古墳時代後期の装飾古墳、福岡珍敷塚古墳の壁画で、左下に鳥を止まらせた船がある。
 被葬者の生前の活躍ぶり=航海を表したともとれるが、右側のヒキガエルと月(小型の円)から推測すると左の大きな円は太陽で鳥はカラスかもしれない。

   となると、被葬者を乗せた船がカラスに導かれて神仙界に向かっている図(昇仙図)といえよう。そのように考える方が自然である。

   写真2は古墳時代初期の奈良県天理市の東殿塚古墳出土の円筒埴輪に線刻された船である。
 これも瀬戸内海を航海してきた吉備や九州の豪族の「思い出のアルバム」では?というほど単純ではないと思う。

 だいたいがヤマトの国中(くんなか)にはこんなたくさんの櫂を持った大型船が航行できる川はない。

 そしてこの鳥はトサカからして鶏だろうから、渡り鳥がマストに止まって休憩している長閑な絵でもない。

 オンドリは脚の中ほどに後ろ向きにケヅメを持っていて、顔に似ず?気は荒い。
 オンドリは侵入者が近づくと高らかに声をあげ、かつ戦う。
 絵にはトサカもケヅメも描かれている。
 やはり神仙界に向かって被葬者を乗せた船に悪霊の侵入するのを避ける僻邪の鶏であろう。

   今城塚古墳の水鳥や鶏の埴輪を見てからいろいろ考えてきた。
 うんちくに富む説や史料もたくさんあったが分量オーバーで割愛したものも非常に多い。
 ブログに書いた文字の数百倍は読んだ。
 南方熊楠著『十二支考』の『鶏』などは大論文で、それを読むだけでくたびれた。
 続きは別の機会として、今回のシリーズについてはこれで筆をおく。
 南都の行事で度々奉納される伎楽〔迦楼羅〕の写真を見直しながら。読んでいただいた皆様に悪霊が憑かないことをお祈りしつつ。


   古(いにしえ)と結びガルーダ飛翔せよ

 迦楼羅はインド神話から仏教の守護神となった。インドネシア航空やタイ航空のシンボルにもなっている。

2018年6月12日火曜日

中東のリアリズム

   「イラン人というのはペルシャ人であってアラブ人ではない」「シリアのアサド政権はイランと同じシーア派で圧倒的国民はスンニ派」程度の知識では中東問題は解けない。
 妻から「中東問題を解説してみて」といわれて話し始めたが、自分の中のデータが少な過ぎることをつくづく感じた。
 その気持ちは4月26日の「シリアの情報」にも書いた。

   戦場ジャーナリストでありNGOイラクの子どもを救う会代表の西谷文和氏は、現代中東諸国を実際に廻ってマスコミが書かない真実を教えてくれている。
 著書にサインをもらったから言うのではないが、その内容は目から鱗の連続だ。

 私は割り合い熱心な仏教徒(真宗)の家庭で育った。
 なので小さい頃から輪廻だとか生まれ変わりというような言葉を聴いて育った。
 同時に小さい頃から論理的な話が好きで、死んだ後の生まれ変わり説など信じなかった。
 しかし、私が死んだ後どこかで誰かが生まれることは間違いなく、この辺りは説明しにくいが、その子ども(の心)が私なら、今より格段に苦しく悲しい人生は嫌だなと思った。
 ということで、地球上で生起する苦しみや悲しみはなくしたいものだと感覚的に思って育った。という側面からも紛争や貧困には胸が痛む。

 それはさておき、先ほど目から鱗と書いたが、例えば、かつてイラクは「中東の日本」と呼ばれていて、人々は勤勉で技術力が高く、大学まで教育費は無償で、学力は中東トップクラスだった。首都バグダッドは「平和の都」と呼ばれていた。

 2003年イラク戦争の翌年、2004年に西谷氏がバグダッドのサドルシティーに入ったときにはモスクから「シーア、スンニの人々よ。団結せよ。団結してアメリカをイラクから追い出せ」と流されていた。
 それを血で血を争う宗派間の内戦状態にしていったのはアメリカだと、事実をあげて氏は指摘している。

 大阪では西谷氏の講演会があったり著書も買える機会は多い。
 中東問題は正確に理解しておかないと、強欲なアメリカ資本主義に騙される。
 彼らは中東の資源を手に入れ、武器の販売で大笑いしている。


   梅雨前線不条理な事件

 テレビのニュースは「何でそんなことが」と思うような事件を流している。この列島で農を忘れた人間が梅雨空の下で鬱になるのだろうか。

2018年6月11日月曜日

鳥の霊性 5

 唐古・鍵遺跡の楼閣ベランダの鳥の木製品を鳥竿(とりざお)だと書いたが、朝鮮半島南部や済州島では蘇塗(ソト・ソッテ)と呼ばれる鳥竿が村の入口に立てられている(いた)。魏書東夷伝馬韓条にもある。
 中国東北部では索莫(ソモ)と呼ばれシベリアにもあると本にある。
 わが国の鳥居のルーツだと言われている。

   眼がシベリアに行く前に、弥生の稲作文化を論じる際に避けて通ることのできない大問題に、ジャポニカ種の故郷は黄河ではなく長江流域であるということがある。
 なので、その地に鳥竿・蘇塗の更なるルーツを探すと、アカ族やハニ族の村の入口には鳥居そっくりな門が造られ笠木の上には木製の鳥が置かれている。
 さらに東南アジアにも広がって今に伝わっている。

   ミャオ族の村の中心には蘆笙(ろしょう)柱が建てられ、その頂上には鳥形木製品が着けられている。
 それらの木製品と瓜二つの鳥形木製品が大阪府和泉市・泉大津市にまたがる池上・四ツ池遺跡から出土している。吉野ヶ里その他のムラの後からも出ている。

 長江流域にルーツを持つ稲作の文化圏において、鳥が邪霊の侵入を防ぐ神又は神の使いと認識されていたことは疑いの余地がない。

 7日の『鳥の霊性3』にスノウさんから「吉野ヶ里遺跡に鳥形付きの門=鳥居が復元されている」とのコメントを貰った。
 http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c104.html をドラッグで反転させ『移動』すると吉野ケ里歴史公園の見解(解説)を読むことができる。参考になる。

 ではもう一度大陸の北に眼を転じて、殷の歴史を引継ぐ北方黄河文明ではどうか。
 文字学の泰斗白川静氏によれば、鳥や隹の文字のうち鳥は甲骨文字・金文では神聖なときに用い、神意を察するための祭祀の対象となるときに用いるとあり、鶏も神聖なものと考えられていたと解説している。
 さらに前述の鳥竿は祓邪のためのものであり、白川説では、鳥はおそらく祖霊の化身と見ていただろうと述べ、馬王堆のミイラの埋葬方式等からそこには「復活」の思想があり、復活までの間、死霊は山や森の中で鳥に姿を変えていたと論じている。

■13日追記
 ミリオンさんから長崎県壱岐原の辻遺跡の右の写真を送っていただいた。感謝!
 倭人伝で「対馬国から南に一海を渡ること千余里・・一支国に至る」の一支国が壱岐というのは定説とされ異論は知らない。
 ただし、写真の鳥居が唐古・鍵の楼閣同様復元されたものであることの注意は必要。というものの、このように復元することが可だというのも定説に近く、故にこのように復元された。過不足なく理解することが大切。大いに参考。


   焼肉に半白胡瓜のポリポリと

 商売の上では苦労があるとかで半白胡瓜は市場にあまり出てこない。それでは自家栽培でというと接木苗が無く実生苗は連作障害に弱い。それでも毎年土壌を改良したりして挑戦する。今年は今のところすくすくと育っている。
 半白胡瓜をスーパーの胡瓜の倍くらいまで育て、皮は少し硬く真ん中に水分と種を含んだものが良い。もちろん糠漬けだ。ギラギラの肉の脂が口中で浄化される気分になる。

2018年6月10日日曜日

継承する義務

 阪神大震災もそうだが、去る者は日々に疎くなっていく。
 そういうテーマの場合、「語り継ぐことが大切だ」という言葉をしばしば聴くことがあるが、だからと言って文字に残す努力はあまり見えてこない。
 といっているうちに、時間の問題で記憶が霞んでいくことだろう。

 私は戦後の堺の街で育ったが、成人前後から故郷を離れたので思い出も徐々に遠ざかっている。
 戦争遺跡の話である。
 何回かブログに書いたことがあるが、大空襲では堺の環濠(土居川)が死体で埋まったという。
 空襲それ自身は知らないが、戦後すぐに宿院町西の土居川河川敷(川尻)あたりに慰霊堂が建てられて供養が行われていたことは覚えている。
 私は母に連れられて御詠歌の席に連なったことが度々あった。
 しかし、堺の歴史、郷土史の類にはそのことが全く出てこない。
 そして私も、その慰霊堂がどこにあったかの記憶もあいまいになりつつある。

 青年期のことでは、友人が結核を患って金岡の国立療養所大阪厚生園に入院し、私は頻繁に見舞いに行き、人生や社会や思春期の話を繰り返した。
 そのときの記憶では、旧金岡連隊、衛戍院、米軍キャンプ跡地であった大阪厚生園の正門を入った正面には大砲があった。
 しかし、昭和30年代後半にそんなことがほんとうにあっただろうか。
 砲台跡を見て大砲を頭の中にだけ記憶したのだろうか。
 いくらかの史料を探したが大砲がいつまであったかはわからない。
 記憶などというものは当てにならない。記録に残す大切さは昨今の国会論議でも明らかだ(あちらは隠蔽と虚偽ではあるが)。

   先日奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡に行ったことは書いた。
 そこには高角砲(高射砲?)の台座が残っていた。
 都市の戦争遺跡は経済成長でなくなり、田舎の戦争遺跡は過疎化でなくなっている。
 そういう意味では貴重な遺跡である。

   古代史とともに近代史も学べる貴重な場所である。
 柳本飛行場のせいで奈良の文化財がどのように戦争被害に遭ったのかも調べてみたい。

 柳本飛行場もネットに記載されている。
 防空壕が小山のように造られており、まるで数ある円墳みたいであるのはそのように意図したものだったのかどうか興味がある。

 自治体が「慰安所があり朝鮮人の女性が連行された」と案内板に書いたところ一部から抗議があって引っ込めたという記事もある。これは現代史そのものだ。

2018年6月9日土曜日

鳥の霊性 4

 さらに古く中国大陸の考古遺物を確認したい。

   上から順に7つの図は漢代(前206~後220)等の墳墓の壁や石棺に彫られた画像である。
 昇仙図と呼ばれている。被葬者が神仙界に至り東王父・西王母に宴会をもてなされ神仙界での居住を許された図といわれている。

 その神仙界の建物(宮殿)の屋根には必ず鳥(鳳凰?)がおり、鳥は神仙界への道先案内をしていると考えられる。
 これに類似する文様は、わが国出土の家屋文鏡や神獣鏡に引き継がれている。


   重ねて強調すれば、被葬者が生前住んでいた住居の図というよりも神仙界の宮殿の図であることを強調したい。


   つまり、東アジア古代思想の基底を為す神仙思想では、鳥は神仙界の象徴でありそこへの案内人だと考えられていた。
 
 ”人物埴輪に先んじて鶏形埴輪が出現した”理由もその辺にあったのだろう。
家屋文鏡の図
   神仙思想だとか道教だとか言ってきたが、解り易く言えば平安時代の陰陽道の基の思想だ。平安貴族が物忌みだとか方違えに必死になっていたことに現れているとおり、その昔は人間の脳内を縛り付けていた思想であり信仰でもあった。そこのところが重要な点だと考えている。単に「鳥はどこから飛んできたのだろう」というような長閑な話ではない。

2018年6月8日金曜日

卯の花腐し

   入梅の前に「卯の花腐し(うのはなくたし)」があった。
 「卯の花腐し」は陰暦4月(卯の花月)の長雨のことで、美しく咲く卯の花を腐らす(くたす)のではないかという気遣いから生まれた季語といわれている。
 「腐る」などという文字でありながら下品でないから不思議だ。

 写真の卯の花は5月中旬に撮影したもので、その後の雨で見事に汚く?散った。そして、汚く感じた我が身に比べて先人の優雅さを思ったものである。

 6月6日近畿地方に梅雨入りが宣言された。
 玄関のヤマボウシが散り始め、それが最初は地面が真っ白になるほどのきれいさだが、徐々に地表で茶色くなり、誰がどう見てもゴミというかヤマボウシクタシを感じさせるようになった。

 わが家では卯の花も済んだ。ホトトギスも聞いたが、もっと北の方に行ったのだろうか近頃は聞かなくなっている。少し寂しい。

    瞬間(とき)待つや金色眼の青蛙
 某日、モリアオガエルの雄たちがただ雌の来るのを待って池の上の木に止まっていた。モリアオガエルの目は金色でとてもかわいい。

2018年6月7日木曜日

鳥の霊性 3

 弥生時代の思想を訪ねて奈良県田原本町にある唐古・鍵(からこ・かぎ)遺跡に行ってきた。 

   上から順に、写真1は楼閣が描かれた出土土器の破片で、欄干のところに逆S字で3羽の鳥が描かれている。
 他の出土した線画が、鹿やその他その周辺にあった(いた)であろう状況を描いていることから、こういう楼閣が実際にあっただろうと言われている。
 ただし本日のテーマに即せばこの地に楼閣があったかどうかではなく、この地の弥生人が楼閣を描きそこに鳥を描いたという事実にこそ注目したい。

   写真2は1の絵に基づいて復元された楼閣で、鳥居の原型と考えられている「鳥竿(とりざお)」がテラスの欄干のところに造形されている。
 唐古・鍵遺跡は吉野ヶ里とは違って全体の10分の1も発掘されていないため、楼閣の柱穴はまだ見つかっていないが、楼閣ではないがさらに大きな大型建物の柱穴は発掘されていて、驚くほど大きな柱の根が残っていて見ることができる。一見に値する。
   写真3の土器片には建物の屋根の上に鳥が描かれている。
 10円玉(鳳凰堂)ですか。
   写真4は鳥の格好をした司祭者というかシャーマン?。
 女性であることが話題になりやすいが、何よりも鳥の姿であるところに注目したい。同様の鳥装人物の線画は他所からも幾つも出ている。
 この場合は顔が異常に抽象化されているが、くちばしを付けた顔、鳥の羽根を頭に飾った絵も各地から出ている。
 鳥装した女性がトランス状態になって神のお告げを話す・・神になるというのは世界中にある。
 
   写真5は鶏の頭の土製品。これだけではこれが何かは判らない。
 個人的には装飾環頭太刀の柄頭(つかがしら)にあった鳥のデザインとの類似性を思った。


 弥生時代の最大の特徴は稲作だが、風土記によると稲作の起源は神である鳥が穂を「落とした」ことから始まると出て来る(山城国風土記逸文ほか)。穀霊ともいう。
 鳥の霊性について唐古・鍵ミュージアムの学芸員と話すと、「鳥の糞=肥料=美田」でもあったという意見であった。そんな見解もあるようだ。ふ~ん。
 鳥以外にも神聖視された動物はあることにはあるが、鳥のそれは際立っている。

2018年6月6日水曜日

スマホデビュー

   ガラケーは携帯電話に若干のネット機能をつけたもの、スマホはパソコンを超小型化したものといわれている。
 よく似ているが全然違うのだという。ただし私はそのことが十分には解っていない。それでもそうであるらしい。

 機械音痴の妻がアンドロイドのスマホに切り替えた。
 小学1年生の孫のスマホの知識にショックを受けて挑戦する気になったのだ。
 そして取扱いその他について私に質問するのだが、私のスマホはiPhoneなので全般に微妙に異なり、その結果、私も最初からスマホを勉強をし直す感じになっている。

 「高齢者の日常生活はガラケーで十分」という意見がある。事実そのとおりだとも思う。
 しかし、世の中に普及している諸々のことに「もういいわ」と思ったら人間すべからく進歩が止まるとも思う。たかがスマホ、されどスマホである。
 酒席で「時代遅れ自慢」は自虐的に楽しいが、素面(しらふ)でいえば新しいことに挑戦する困難を避けている言い訳に過ぎないことが多い。ほとんどそうだ。スマホ以外の局面でも「私はできないので」という文句を逃げ口上にしている。

 「お前がスマホを作ってみろ」と言われると手を上げるが、人間の作った道具(スマホ)の使用方法ぐらい「負けてたまるか」という気で着いて行きたくなる。

 「外でフリーのWi-Fiを使うときの注意」など、妻から質問されて初めて考え直したことも多い。
 妻は知らぬ間に息子とLINEで会話をしている。
 

2018年6月5日火曜日

鳥の霊性 2

   前回は古事記を援用したので気分的に納得し難い方もあったことだろう。
 そこで今日は考古学的な物証として紀元前2世紀の馬王堆漢墓出土の帛画の写真を掲載する。
 いうまでもなく東アジアの思想の基底を為す道教の信仰が表されていて、太陽の使い乃至太陽の化身は向かって右肩のカラスである。ちなみに月は左肩のヒキガエル。この図は古代中国の遺跡・遺物には数多く存在する。

 これは藤原宮、平城宮の幡にも引き継がれ、何本かの幡の中央はカラスのそれである。
 現在はカラスの三本足の方に目がいって、サッカー日本代表のマーク等として有名になっている。
 とまれ、カラスを含む鳥が太陽神乃至太陽神の使いと信じられていたことは疑いの余地がない。

 その論理構築の理由は諸説あるが、① 人間には到底真似のできない飛翔能力への畏敬、② 渡り鳥がいなくなる季節は「あの世」に行っているという考え、③ あの世(神仙界)への道先案内、④ 死者の魂が次の肉体に到達する間の魂そのもの・・等々と想像したと考えられる。

2018年6月4日月曜日

宮仕え 2

   3月2日に『すまじきものは宮仕え』という記事を書いた。
 近畿財務局職員の自死という悲しい事実への追悼とそれを命じた高級官僚への怒りに突き動かされて書いた。
 私のこのブログを読んだ全労働省労働組合森崎委員長から「要旨を機関紙に転載させてほしい」と要望があり、もちろん承諾したところ、本省職員を対象にしたと思われる『ダイアログ』という機関紙?の表紙に掲載していただいた。
 
 周知のとおり大阪地検特捜部は佐川前国税庁長官(元理財局長)を不起訴にした。
 これでは「たいしたことでもない問題でノンキャリア職員は勝手に自死した」とされないかと心配し私は憤っている。

 そして、大阪の地で起こったこんな自死事件に対して、その実際上の加害者の不起訴という事態に対して、大阪の国家公務員労働組合が怒り心頭であるというように伝わってこないことに少し寂しい気持ちでいる。

 事案は別だが日大教職員組合は関係者全体の退陣を求めて交渉している。
 
 ということでOBたちもSNSなどで「支援するぞ」という声をあげてほしい。
 「すまじきものは宮仕え」は菅原伝授手習鑑・寺子屋の段の鬼気迫る名台詞である。

2018年6月3日日曜日

鳥の霊性 1

 5月10日に今城塚古墳の水鳥の埴輪について「あれは鳥飼部の服属儀礼だ」と書いたが、その際にあえて触れなかったのは鶏の埴輪についてだった。
 考古学的には鶏型埴輪は水鳥その他の形象埴輪や人物埴輪よりも以前から出現しており、今城塚古墳でも整列させられた水鳥とは全く別に建てられていた。つまり、これは鳥飼部の服属儀礼を造形しているものとはとても思えない。

 つまりそれ以前から、鳥飼部の服属儀礼とは”異なる思想”で鶏は重要視されていたらしい。その思想を「鳥の霊性」と考え、今後順次記述していきたい。今日はその1である。

 歳をとると3時だとか無茶苦茶早く目が覚めたりする。
 そうすると、4時前頃だろうか、空が白けてくるもっと以前に鳥たちが起き出して鳴き叫ぶのを聞く。重ねていうが夜明けのもっともっと前である。夜明け前頃にはその声は非常に小さくなる。

 古人もこれを聞いていたに違いない。
 それを鳥が、夜明けを、太陽を、呼んでいると理解したと想像することは困難なことではない。
 日の出が「生」の、「再生」の、シンボルであることも疑いない。
 古代エジプトではその行動形態からスカラベが太陽の運行を司る神とされたが、東アジアの祖先は「太陽の運行を司る鳥」という思想を持ったと私は未明のベランダで確信した。

 古事記はアマテラスが岩屋戸に籠った際、神々が相談してまず最初に『常世の長鳴鳥』を集めて鳴かせたことを記している。
 太陽神アマテラスは岩屋戸の中だから、長鳴鳥は「朝が来た」と鳴いたのではなく、「朝よ来よ」「出でよ」と鳴いたに違いない。
 こういう思想はどこから来たのか、いろんな角度から今後考えて書いていきたい。

2018年6月2日土曜日

蛙の青春

 妻が古い写真の整理をしながら「昔は可愛かったなあ」と独り言を言った。
 付け足しのように「お父さんもやで」と言った。
 森田公一とトップギャランの歌を思い出した。

   奈良公園で青春真っ盛りのモリアオガエルを見た。
 中央で二回りほど大きな青っぽい蛙が彼女、周りに6匹程度の黄緑の彼氏が群がり、彼氏にとっては生きるか死ぬか?の受精を競っていた。
 足で泡をかき混ぜて、徐々に卵塊が大きくなる。必死であった。

 高齢者のグループが来たので解説してあげたが、写真を撮るために枝を引っ張ったりとデリカシイのないことおびただしく、教えなければよかったと反省した。

   幾つかの卵塊の内少なくとも一つの卵塊はオタマジャクシが巣立ったに違いなかったが、池にはオタマジャクシが少なかった。蛇やイモリにでも襲われたのだろうか。

 また今年は高い木の上では産卵の痕がない。産卵シーズンはまだこれからかも知れないが、奈良公園の自然も徐々に弱っていっているように感じている。
 奈良県では絶滅寸前(絶滅危惧種Ⅰ類)に指定されている(Wikipedia)。

   青蛙生きている離さない

2018年6月1日金曜日

ニッポン風土記

 BS-TBSに『関口宏ニッポン風土記』という番組があり、そのタイトルから、関口宏が全国を巡り知られざる風習などを再発見するのかと思いきや、東京にあるどこかの県のアンテナショップや郷土料理店へ行き、数人の県人とともにその県を紹介するという、笑いをこらえることができないくらい安上がりの番組である。

 先日チャンネルを回しているとその番組の「埼玉県の後半」だった。
 私は若い頃東京近辺に住んでいたことがあり、関東平野のことは分かっていたつもりだったが、出演していた埼玉県人が「秩父は別だ」と何度も強調しているのには驚いた。
 曰く、古代には武蔵の国と秩父の国で言葉も違ったという。

 先日俳人金子兜太氏が亡くなり、「秩父の狼」的な形容をしばしば目にしたが、関東・坂東の金子でもなく武蔵・埼玉の金子でもなく秩父の兜太と言われる所以が感覚的に理解できた感じがした。

   その秩父には家康が建立した秩父神社がありそこには三猿が彫られているらしい。
 家光が建立した日光東照宮の三猿ではなく、目も耳も口も塞いでいないという。

 俗に、よく見て、よく聞いて、よく話そうと解されているらしいが、自公政権の進める似非道徳教育的日光の三猿よりも好もしく感じた。

 奈良公園にある三猿(写真)を見ながらもそう思った。
 安倍自公政権の隠蔽、改竄、議論否定の政治を目の当たりにする昨今、「秩父の三猿」を大いに広めたいものである。
 日光の三猿(見ざる聞かざる言わざる)は道教の庚申信仰から派生して儒教で体系というか理屈付けが完成したものと理解するが、為政者が民衆を飼いならすという儒教の悪い側面が浮き出ているように思う。

         カレンダー捲って水無月と知る