2018年5月20日日曜日

露風は哀れ

 三木露風というと山田耕筰が後に曲を付けた詩『赤とんぼ』が有名だが、どういう訳かこの曲が多くの自治体のゴミ収集車の曲(チャイム)になっている。
 もちろんうちの自治体もそうだが、わが家に接している隣の自治体もそうである。
 だから「あっ、出し遅れた!」と飛び出すと隣のだったということもある。

 こうなると人間の感覚は簡単に本末転倒してしまい、金木犀の香りをかぐと「トイレの臭い」と感じるように、赤とんぼは「ゴミの合図」となっている。
 露風は幼くして母と別れ、子守の姐(ねえ)やに育てられたという結構辛い郷愁を詩にしたようだが、そこへ庶民の感情が行きつく前に「ゴミの合図」に行きついてしまうというのも露風には可哀相だ。

 〽 夕焼小焼のあかとんぼ、負われて見たのはいつの日か。
   山の畑の桑の実を、小籠(こかご)につんだはまぼろしか。
   十五で姐(ねえ)やは嫁にゆき、お里のたよりもたえはてた。
   夕やけ小やけの赤とんぼ、とまっているよ竿の先。

   2番の歌詞に関して・・・、わが家の周辺、といっても相当広範囲には養蚕などは聞かないが、どういう訳か近所の道沿いに桑の木が生えている。
 野鳥が植えたもののようだ。
 そしてしっかりと桑の実が熟れているのだが、誰も採らないから道路を汚しているだけになっている。

 もともと私は海に近い都会の子であったから桑の実を知らなかったのだが、妻に「これが桑の実」と教えられ、その後は散歩の都度適当に摘んでいる。小籠に摘むほどは採っていない。

   そしてその度に赤とんぼの歌詞を思い出している。
 蛇足ながら、畑の地図記号の中で特別の記号があるのは桑畑と茶畑だけである。
 皇居には養蚕所があり今年美智子妃から雅子皇太子妃に引き継がれたらしい。
 ということであるから、「芋虫は苦手だ」という人が未来の皇太子の恋人になったらどうなるのだろうかと地球の端ぐらい遠いところから心配している。

 見向かれもせず舗装路の桑の実や

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