2018年5月31日木曜日

木村草太氏の変化球

   『憲法の未来』と題した木村草太氏の講演を聴いた。奈良弁護士会・日弁連主催のものだった。
 テレビ等での発言(コメント)ではなく、2時間近い話をじっくり聴くと頭の中に満腹感を覚えた。
 その感想はブログなどでは到底納められないから割愛するが、久しぶりに充実感を味わった。

 質疑は質問用紙提出方式で、見ていると100枚近い質問用紙が集まっていた(私の席からそのスタッフのあたりが見えていたので)。
 その中で4~5件しか対応されなかったが、私の「いわゆる押しつけ憲法論への反論方法」が採用され、木村草太氏から幾つかの補足講義を受けた。
 その中で氏が「大日本帝国憲法の改正なのに」という変化球で答えてくれたのが私には新鮮だった。
 
 これまで私は木村草太氏の著書を読んだこともなかったし講義等を受講したこともなかったから、そのあまりにスマートな出で立ちから、勝手に直球勝負の話しかしない(東京の)学者だと思いこんでいた。(関西の学者は極めて高度なテーマであっても適宜笑いのとれない講師は評価が低い)
 私が理解したポイントは次のようなものである。氏曰く・・

 現憲法の制定過程を見ると途中からGHQ案があったにせよ『帝国議会』側の積極的な議論や「折衝」があり、
 大日本帝国憲法の改正という形をとり、
 昭和天皇が公布した。
 この過程を押しつけというなら、押し付けられて唯々諾々としたがったのは昭和天皇であり、帝国議会ということになるが、・・・押しつけ憲法論者は如何に、と私は理解した。
 見事な変化球に私は笑った。

 『日本会議』の本を読んでいたとき何となく引っかかっていた彼らの教義論争「改憲なのか、無効復元なのか、自主憲法制定なのか」という矛盾?の問題も見えてきた。

 木村草太氏は6月に続編を講演するらしい。楽しみである。

   バリュウムに下剤を飲んで五月果つ

2018年5月30日水曜日

妻よ薔薇のように

   題名からして昭和10年成瀬巳喜男作品『妻よ薔薇のやうに』へのオマージュだと想像できるが、映画作品に疎い私にはその深いつながりが判らない。

 家事労働の正当な評価というか主婦・・もっと言えば女性の人間としての正当な評価がテーマであるが、だとすれば、与謝野晶子、平塚らいてうの頃から指摘されてきたことで目新しくもない。

 しかし今でもなお「女は子どもを3人産め」と国会議員が発言し、ニュースを得たいと思う弱い立場に付け込んでセクハラを行う高級官僚がいる、それをかばう大臣がいる。
 そういう男社会の典型のような大会社のそれなりのポストの夫(西村まさ彦)の妻(夏川結衣)が主婦を辞めさせていただくとなったので家族は大混乱。

 井上ひさしではないが「むずかしいことをやさしく。やさしいことをふかく。ふかいことをおもしろく」提起した山田洋次喜劇はさすがだ。

 派生的展開部分であるが、祖母(吉行和子)がその夫(橋爪功)に「死んだあとぐらい自由にさせてよ」と言って同じ墓に入ることを拒否するワンシーンも実は広い共感を得ていないだろうか。
 時代劇などを見ていると、武将とは別に夫人は夫人で独立した墓石を建てている。
 夫婦別姓などの論議でよく「伝統だ」という意見が出るが、女性の地位の低下はけっこう新しいテーマであったりしないか。

2018年5月29日火曜日

ジューンベリー

ジューンベリー
   日曜日に孫の夏ちゃんがやって来て「桑の実を摘みに行こう」と祖父ちゃんを誘ってきた。
 先日の桑の実摘みがよほど気に入ったようだ。
 そして出かけた桑の実摘みの後、わが庭のワイルドストロベリー摘みもした。
 ワイルドストロベリーは色は赤いが桑の実と非常によく似ている。
 そして帰りしなに「もっと実のなる木を植えて」と注文を付けて帰っていった。

 と言われても・・・私は小さい頃縁日の寅さんばりの香具師の口上を聴くのが好きだった。
 その中で今でも覚えているものの一つに「庭に実の成る木を植えるのは大凶」というのがあった。
 馬鹿々々しいと思いながらもフッとそんな記憶がよみがえることがある。

 さてわが菜園歴をたどってみると、イチジクは余りに成長が良く大きくなり過ぎたので何年かで驚いて伐採した。
 ビックリグミは何年かで枯れさせてしまった。
 ブルーベリーも成長が良く横に広がり過ぎたので伐採した。
 ナツハゼはあまり大きくはならなかったが徐々に元気をなくして伐採した。
 そんなことで現在残っている実の成る木(草)というと、柿、キンカン、ワイルドストロベリー、そして夏ちゃん的には果物に分類される花柚子といったところだ。

 そこで夏ちゃんの要請に応えるべく植木屋を覗きに行った。
 で見つけたのがジューンベリー。成長しても2mにもいかないという種類らしいのが気に入った。
 「6月の木苺」う~ん素晴らしい。
 これで毎年「ジューンベリーを摘みにおいで」と孫を誘う口実ができた。

 〔おまけ〕 本来は雑草という草も雑木という木もないのだが、関心の外のものはそういう風に呼ばれてしまう。
 そんないつも見なれていた雑木林の一角が一瞬にして白く輝いた日があった。
 えっ! ヤマボウシだったのか。・・・そんなものである。

   神さびた姿をぬっと山法師

2018年5月27日日曜日

マスオさんデビュー戦


 新潟では自公以外の全野党共闘(立民、国民、共産、自由、社民、無所属の会)が実現して池田千賀子候補を推して知事選挙が闘われているが、4月にあった京都府知事選挙では立民、民進、希望が自公と組んだ。
 ここに前原誠司の地元という複雑さがあるが、国政政党としては共産党だけが支持する福山和人候補が44.1%を獲得した。
 安倍政治にうんざりなどしていられない。民意は確かにうねっている。

 その京都南部で来春、京都府議選に初挑戦する竹川ますおさんと倉林明子参議院議員の街頭演説があった。
 竹川ますおさんは高知室戸の漁師の息子。漁師では暮らしが成り立たず大阪に家族で転居。奈良教育大学を卒業後しばらく教壇に立つが、その後、マンション管理等の不動産業を起業して今に至っている。

 初々しい街頭演説デビュー戦はそんな自己紹介から始まった。
 安倍政治周辺の嘘つきばかりが目立つ日々、定数2とはいえ、温厚な人柄がにじみ出てくるマスオさんを当選させたいものである。

2018年5月26日土曜日

朧月夜

   この列島の先人たちが「春霞」などと言って風情を感じていた現象は実は「黄砂」だったという科学的で無粋な解説がある。無粋ではあるが正しいことらしい。

 24日はその黄砂が酷かった。くしゃみと鼻水は花粉症の薬を飲んだらずいぶんマシになった。
 25日の夜はそのせいか朧月夜であった。
 朧月は春の季語であるかどうかということとは関係ない。事実そうだった。

 〽 蛙(かわず)の鳴く音も かねの音も という歌詞のとおり、水はりの終わった田圃から蛙の声が聞こえてきた。
 田圃はけっこう離れているのだが、夜になるとベランダに聞こえてくる。
 先日バードバスに蛙の浮き球を投げ込んでおいた。
 彼奴が鳴いているように想像することにした。

 24日に車を運転しながら孫の夏ちゃんに田圃の水はりを「もうすぐ田植えだよ」と説明した。少しこましゃくれてきた孫は「それで?」と言い返す。「夏には花が咲き秋には稲穂ができる」「それで」「籾をとってお米になる」「それで」「糠をとって白米にする」「それで」「お水で炊いてご飯になる」「それで」「夏ちゃんが食べる」「それで」「体中の力になる」「それで」「残りは夏ちゃんはのうんちになる」「それで」「うんちは黄金虫が肥料にする」(この辺りから嘘になるが)「それで」「肥料は田圃に撒いて次の栄養になる」「それで」「田圃に水を入れて田植えをする」・・・。
 
 人糞を肥料にする時代は過ぎ去ったがまあ概ねいいだろう。
 夏ちゃんが学校でそんなことを言ったら先生はどういうだろうか。

 私は小学1年生のとき「お米のできるまで」という発表を手作り紙芝居で参観日にした。
 田圃の周囲の人間を「正面向き」のままで寝かしたり反対向きにして描いた。
 『できたお米を調べて、よいお米は「内地米」悪いお米は「外米」になります』と発表したことを今でも思い出す。
 日頃の大人の会話からてっきりそうだと思っていた。
 時代は「戦後」だった。お米にはいっぱい石が混じっていたからお盆の上で石をとった。この話を妻にすると妻は石とりの記憶がないという。この差の理由は判らない。

2018年5月25日金曜日

ベニスモモを食べる

 イクジイで、孫の夏ちゃんと桑の実を採りに出かけた。
 手の届くあたりは既に採られてしまって少ないので夏ちゃんを肩車して収穫した。
 近隣のご夫婦が通られたので「桑の実です」と教えてあげたら、ほぼ同世代ながら「実物は初めてだ」と喜んで、お裾分けした何粒かを口に含まれた。
 もちろんこの種の果実は夏ちゃんの大好物だから、たくさん採っておやつにしたりお土産にした。
 ここまでは普通の話である。

   桑の実採りを終えて帰りしなベニスモモの実が輝いていた。
 私の体験で言うと、ベニスモモの実はまだ若すぎる。
 だからと言って熟してもそれほど甘くもないし香りもしない。
 梅酒風に紅李酒を作ったこともあるが、これと言った風味もなかった。
 だから今では鑑賞の対象だけにしている。

 なので夏ちゃんに「今時分は酸っぱいだけだ」と教えたが、夏ちゃんは「食べたい」と言う。
 そこでとりあえず一つずつ齧ったが、私にはまるで青梅のように酸っぱかった。
 ところが夏ちゃんは、「おかずで一番好きなものは何?」に「梅干し!」と答える児である。
 花柚子を温州ミカンの要領で食べる児である。
 で、カリカリ梅の調子で「美味しい、美味しい」と満足気だった。

 だから・・・丁度通りかかった親子連れの子どもが夏ちゃんを見て「僕も食べたい!」と言い出し、お母さんに「非常に酸っぱいですがベニスモモですから食べられないことはありません」と教えてあげると、その児も「酸っぱいけど美味しい」と食べ始めた。
 青梅みたいに下痢をしなければよいが!と心配しつつ見守った。 
 売られているスモモとはレベルの違う酸っぱさだが、結局夏ちゃんは10粒ほどお土産に持って帰った。

2018年5月24日木曜日

奈良のナンバープレート

 図柄入りナンバープレートが決定された。
 私はyamashiroつまり京都なので京都を見たが最初その図柄の意味が判らなかった。
 昨日は『伊勢の浜荻』の記事で多様な文化を書いたのが恥ずかしいが、天橋立は京都の南端の私には遠かった。
 天橋立が悪いのではないが何となくインパクトのない図柄で、自分のクルマにわざわざつけようという気は起らなかった。

   わが家から近い奈良ナンバーは五重塔と鹿だから(私が奈良なら)これなら着けたいと思ったが、鹿は奈良県下でいえば豆粒以下の奈良公園だけのものだから、真っ先に害獣=鹿害と感じられる県下の圧倒的な地域ではどうなんだろう。
 五重塔も、日本一の広さ(672.4㎢)の村である十津川村では廃仏毀釈が徹底されて伝統的な寺院がゼロという現実がある。
 明治憲法下の世の中を礼讃する言葉の裏にはこういう事実のあることも思い出してほしい。
 (念のため言えば奈良のプレートには、吉野・奈良の桜も龍田の錦(紅葉)もある)

 それでも「奈良と言えば鹿」は定番だろうからそれも良しか?
 テレビの「ちちんぷいぷい」では奈良在住のヤマヒロさんがよく「奈良には鹿しかない」といびられているし。

 なお、奈良公園の広さは約79ヘクタールで㈶奈良の鹿愛護会の試算によると、草刈り・芝刈り作業の費用は年間100億円必要らしい。
 100億円相当の労働を鹿は無償でしてくれている。
 その代わりに鹿は大量の糞をするのだが、その糞の掃除にもお金は支出されていない。
 黄金虫(糞虫)が無償でしてくれている。

   芝=生産者、鹿=消費者、黄金虫=分解者、このシステムを生態系といいエコというというのが谷幸三先生のいつものテーマ。
 このテーマは単なる観光地のイラストめいた図柄よりも素晴らしい。
 なので、奈良のプレートの芝生らしい図柄の上にちょこっと黄金虫を書いてほしかった。
 そうすれば奈良の品格は世界中で絶賛されたことだろう。

2018年5月23日水曜日

伊勢の浜荻

 『難波の葦は伊勢の浜荻』との例えもあるが、よく行く園芸店にドクダミやユキノシタが売られていた。

   ドクダミは十薬とも呼ばれているが常識的には雑草の範疇ではないだろうか。
 私のイメージでは、ハイキングで人里を離れた途端、靴が蹴飛ばすドクダミの匂いで「山道に入ったな」という気分が膨らんで決して嫌いな匂いではないが、多数決をとれば圧倒的には「臭い」と言われる。
 その花は匂いに似合わず可憐である。

   ユキノシタにはドクダミほどの個性はないが、これもハイキングコースの道端の雑草だろうか。
 そしてドクダミもユキノシタも繁殖力が旺盛で、わが家の庭ではどちらかといえば厄介者である。
 つまり、見つけ次第抜いて捨てているのだが退治できていない。それが値札を付けて売られているのである。

 世界は広い。
 こんな時代に多様な文化や価値観を想像できず、「戦前レジーム」で諸外国や国際問題を語る大臣(おとど)方は退場された方がよいとしみじみ思った。。


 さて、是枝監督はカンヌ公式上映後に要旨こう述べている。
 2010年、足立区で111歳とされていた男性が白骨化して発見され、実は30年以上前に死亡していたことが発覚。死亡届を出さずに年金をもらい続けていたとして、家族は後に詐欺で逮捕される。この足立区の事件を皮切りに全国で相次いで類似の事件が発覚し、“消えた高齢者”として社会問題化。年金詐欺として大きなバッシングを浴び、数年後には生活保護バッシングとなったが、『万引き家族』の主人公一家は現在の日本で決して特殊な存在でない。 

 日本は階層間の両極化が進み、政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ。
 しかし、いまの日本社会ではこうした失敗者は存在しないものとして無視され、浅薄な“家族愛”ばかりがやたら喧伝されるようになった。

  新自由主義政策によってもたらされた格差の激化、共同体や家族の崩壊、機能しないセーフティネットによる貧困層の増大、疎外される貧困層や弱者、自己責任論による弱者バッシングの高まり……そういったものが、一人一人の人間に、家族になにをもたらしているのか。今回のカンヌ受賞作はその本質的な問いを私たちに突きつけるものだ。

 しかし残念なことに、メディアでは日本人によるカンヌ最高賞受賞という快挙を大々的に報じているが、こうした作品の背景にまで踏み込んだ報道はほとんど見られない。
 「伊勢の浜荻」を理解しようとするのが知性なのではないだろうかと考えるのだが。

2018年5月22日火曜日

あほらしなったら負け

 働かせ改革法案の高度プロフェッショナル制度というのは、高収入の労働者を「命を守る労働時間規制(1日8時間とか週40時間とか)」から「除外する」するというものだ。
 「高収入」とは出発時点では「年収1075万円」といっているが、経団連は「400万円」を目指している。そう公言している。
 先日の国会で小池晃議員が「月始めに4日休みを与えたら、後の26日は毎日24時間働かせることも可能となる」「この法律はそれを排除しているか」と質問しても加藤厚労大臣はまともに答えない。答えられない。それは可能だからである。

 法政大学の上西教授は加藤大臣の答弁を「ご飯論法」と指摘している。
 「朝ごはんを食べましたか」
 「ご飯は食べていません」(パンは食べたけど・・と陰の声)
 「朝ごはん」を「(お米の)ご飯」と論点をずらしてペテンの答弁を繰り返している!と教授は鋭い。


   私は現職時代多くの過労死・過労自殺事案を担当してきた。
 そこの現実を言えば、「もう死にそうですから休ませてください」「うるさい!働き続けろ」といって過労死・過労自殺に至ったような事案はほとんどない。

 多くは納入先の機械のトラブルのような外的要因などに対処するために、応援体制もない中「自分の職務」だと必死になって仕事を「解決」しようとした真面目な労働者が””自主的に””犠牲になっていた。
 だから、こういう国で、さらに大っぴらに労働時間規制から「除外」されたらどうなるかは火を見るよりも明らかだ。
 この国では真面目な者から壊されてゆく。

 だからこの国で今一番大切なことは、厳格な労働時間の規制であるのに、その「底」を抜こうとしているのが高度プロフェッショナル制度であることは間違いない。正反対の政策だ。
 この悪法は『労働者の命がかかっている』法律だ。大臣答弁のでたらめに「あほくさ」と思ったら負けである。

 思い起こせば、労働者派遣法が作られたとき政府等は「法律を作ってルールを整備していくのだ」と言っていた。
 しかし現実は我われが指摘してきたとおり、今日の非正規雇用、ワーキングプアを生んできた。
 高度プロフェッショナル制度は『過労死製造法』である。
 加計問題で愛媛県から参議院予算委員会に首相の大嘘を覆す文書が提出された。
 澄んだ眼で事実を見てみることが大切だ。
 それでも安倍政権の答弁を信じますか。

2018年5月20日日曜日

露風は哀れ

 三木露風というと山田耕筰が後に曲を付けた詩『赤とんぼ』が有名だが、どういう訳かこの曲が多くの自治体のゴミ収集車の曲(チャイム)になっている。
 もちろんうちの自治体もそうだが、わが家に接している隣の自治体もそうである。
 だから「あっ、出し遅れた!」と飛び出すと隣のだったということもある。

 こうなると人間の感覚は簡単に本末転倒してしまい、金木犀の香りをかぐと「トイレの臭い」と感じるように、赤とんぼは「ゴミの合図」となっている。
 露風は幼くして母と別れ、子守の姐(ねえ)やに育てられたという結構辛い郷愁を詩にしたようだが、そこへ庶民の感情が行きつく前に「ゴミの合図」に行きついてしまうというのも露風には可哀相だ。

 〽 夕焼小焼のあかとんぼ、負われて見たのはいつの日か。
   山の畑の桑の実を、小籠(こかご)につんだはまぼろしか。
   十五で姐(ねえ)やは嫁にゆき、お里のたよりもたえはてた。
   夕やけ小やけの赤とんぼ、とまっているよ竿の先。

   2番の歌詞に関して・・・、わが家の周辺、といっても相当広範囲には養蚕などは聞かないが、どういう訳か近所の道沿いに桑の木が生えている。
 野鳥が植えたもののようだ。
 そしてしっかりと桑の実が熟れているのだが、誰も採らないから道路を汚しているだけになっている。

 もともと私は海に近い都会の子であったから桑の実を知らなかったのだが、妻に「これが桑の実」と教えられ、その後は散歩の都度適当に摘んでいる。小籠に摘むほどは採っていない。

   そしてその度に赤とんぼの歌詞を思い出している。
 蛇足ながら、畑の地図記号の中で特別の記号があるのは桑畑と茶畑だけである。
 皇居には養蚕所があり今年美智子妃から雅子皇太子妃に引き継がれたらしい。
 ということであるから、「芋虫は苦手だ」という人が未来の皇太子の恋人になったらどうなるのだろうかと地球の端ぐらい遠いところから心配している。

 見向かれもせず舗装路の桑の実や

2018年5月19日土曜日

あんたが主役

 老人ホームの行事で時々思うのは、立派な演奏を聴くよりも皆で歌ったりした方が入所者の評判がよいということだ。
 この精神はいろんな集いにも通じるように思う。
 お客さんとして遇されるのも悪くはないが、一人ひとりが主人公として遇された方が人は楽しいのだと思う。

   そこで老人ホームからは離れるが、先日、元の職場の新しい退職者を退職者会に迎え入れるパーティーを行った。
 スピーチをお願いした方々は口では「いやいやいや」などとおっしゃったが、帰りには「今日は楽しかった」と私に呟いてくれた。
 これが人情の機微だと思う。
 この種の行事では、出席者に主役になってもらうことが何よりも大切だ。

 そんなことで、私は進行役ではなかったが、途中で新規会員を呼び出して「会の歌」の合唱をやってみたが・・・!
 舟木一夫の替え歌だが、考えたらこれは大失敗だった。舟木一夫はオールド会員は文句なく歌えるが、今年度新規会員なら乳幼児の頃の歌だった(今年60歳は昭和38年は5歳)。酔っ払っていてその辺の計算が出来なかった。
 これからは新規会員に近い人々にこの企画は譲ろう。反省!反省!

 それでも少し強引にリードして、結局みんな喜んでくれたと思っている。
 来年は主要な出席者に必ず出番を計画したい。

 主催者側が偉そうに座っている集いが楽しいはずがない。「お座敷芸者」というと安っぽくインチキ臭く感じるが、長年齢を重ねてきてそれくらいの芸が出来なくてどうする。
 「稔るほど首を垂れる稲穂かな」「請われれば一指し舞え」とも言うではないか。
 「愛は花・・」を歌ってくれた人、「イムジン河」を歌ったトリオ ザ ”おっさんず”、「旧友再会」をマイクで会場中を巡ってくれた人、やっぱり「ダンドリ八分」でよかった。
 みんなありがとう。
 結局事務局任せにしてしまう根性は大反省。
 何よりも進行役ありがとう。

2018年5月18日金曜日

スポーツマンシップ

 国会における虚偽答弁の数々が頭にあるせいか、日大アメフト部の反則問題から、私は、人間の生き方についていろんなことを思ってしまう。
 結論を急ぎ過ぎかもしれないが、チームプレイのスポーツで監督など司令塔の指示に従って行動すること全般を「不合理だ」と言うつもりはない。
 ただ、ルール違反あるいは違法な行動を指示された場合、「悪法もまた法なり」と言って従うのが正しいかどうかである。
 「そんな馬鹿な!」と場外から批判することは簡単だが、近畿財務局で自死した職員も、反則を繰り返した選手も可哀相で仕方がない。人生はそんなに簡単な問題ではないのだ。

 日大監督の「(選手の)私の指示の受け止め方が悪かった」という弁明に私は反吐を吐きたくなった。これが指導者のいう言葉かと。
 先日のレスリングのパワハラにしても、わが国のスポーツ界の上層部はスポーツマンシップとそれこそ「乖離」していないか。

 テレビなどではコメンテーターが「徹底した反省が必要」などと評論しているが、スポーツ界を歪めている責任の一端はマスコミにもあるように私は思う。
 スポーツの成績が大きく報じられることが学校経営に決定的な影響を与えている現実がある。
 「これでいいのか」という反省がマスコミにも必要ないだろうか。
 客観的に俯瞰すれば、日本人というブランド・品格が急速に低下しているように感じている。

 中学校の道徳の教科書に「監督のバントサインに従わなかった少年」を批判する記述がある。
 冒頭述べたように私はリーダーの指示全般を否定するものではないが、現代のこの国は、ただただ長いものには巻かれろと誘導されているようだ。
 学校教育の問題でもあろう。

 イェルサレムのアイヒマンは、ナチス政府の指示に忠実に従った凡庸な公務員だった。
 我々は子や孫に恥じない生き方をどう実践すべきだろうか。

2018年5月17日木曜日

高度プロフェッショナル制度

 「働かせ方法案」が来週にも自公・維新などによって強行採決されそうだとの報道がある。
 その中に含まれている「高度プロフェッショナル制度」は、当座は年収1075万円以上の労働者が対象といわれているが、経団連は400万円にしたいと主張しているから、「小さく産んで大きく育てる」というつもりだろう。

 日本企業主義の下では現状ですらある種の「高プロ制度」が存在している。
 人減らしをして、所定労働時間内で終わるはずのない質量の業務を「いついつまでに仕上げてね」という。
 真面目な労働者ほど自分で自分を追いやって「自主的に」時間外労働や持ち帰り残業をする。
 それでも、ここが大事なところだが、現行法では概ねそれらの時間外労働は割増賃金の対象になり、それが支払われない場合は賃金不払いで違法となる。

 「高プロ」はその最後のつっかい棒を取っ払おうとするものだ。
 思い出してほしい。労働者派遣法制定時だ。
 「これは現に存在している派遣労働のルールを明確にするだけのものだ」と政府は言っていた。
 そして現代の「非正規問題」が生まれてきた。
 「働かせ方法案」は廃案にしなければならない。

2018年5月16日水曜日

イェルサレムのこと

   アメリカ・トランプ政権がイェルサレムに大使館を移転したことに抗議するパレスチナのデモ隊にイスラエル軍が実弾等を発射して58人が死亡したと報じられている。
 アラブ過激派のテロで数人が死亡したという報道に比べて、日本におけるこの報道の低調さは何だろう。

 いうまでもないがイスラエルはユダヤ人の国である。
 ユダヤ人とは、早い話がヨーロッパのキリスト教社会で戦前まで理不尽な迫害を受けてきた人々でないか。
 イスラエルはその経験から弱者の連帯を導き出したのでなく、ある種の報復を合理化したのだろうか。そうでないなら事実をあげて論理的に批判してもらいたい。少なくとも私にはそう見える。

 齢を重ねると、ある時期、部落解放同盟があらゆる批判を差別発言だと拒否して、暴力的な糾弾と「下駄を履かせる」物取りに突入した歪んだ歴史と重なって見える。

 ハンナ・アーレントはアイヒマン裁判の傍聴記の中で「ユダヤ評議会のナチ協力」・・「移送ユダヤ人のリスト作成」に触れたため激しい非難と攻撃を浴びた(矢野久美子著「ハンナ・アーレント」)。
 世の中は弱者の主張が必ずしも正しいとは言えないことを教えている。

 そしてこの問題の底流に宗教問題があるのは否定し難い。
 となると、宗教とは一体何なんだ!という疑問も沸く。
 この現実を前にして、日本の宗教者よ声を上げよ。

2018年5月15日火曜日

蚊帳の中?

 南北会談が実現し板門店宣言が発表され、来月には米朝会談が行われる。
 「対話のための対話は意味がない」と言ってきた安倍首相は「これは日本の圧力一辺倒の外交が実を結んだからだ」と述べている。
 その外交がそれほど実効のあるものだったのなら、一番最初に「ごめん、拉致問題を解決するから許して!」と金正恩が言ってくるはずだが、「それは解決済みだ」とすげない。

 北は「23日~25日に核実験場を廃棄する」「取材も認める」と発表した。
 その国際記者団の対象は、中国、ロシア、米国、韓国と英国だという。
 6か国の中で日本だけが蚊帳の外だ。
 安倍晋三という人が世界中で笑いものになっても痛痒は感じないが、このことを通じて日本という国、日本国民が笑われているように感じるので非常に悲しい。
 トランプと一心同体なら、「日本記者団を含めない廃棄作業は認められない」とトランプに言わせたらどうか。

 あっ、それは無理か。トランプの鉄鋼25%、アルミ10%の追加関税が、EU、韓国、カナダ、メキシコ、オーストラリア、ブラジル、アルゼンチンには除外されたのに、日本には慰めの言葉もないのだから。

 こうして、安倍政権を支持するという人々はほんとうに「愛国者」なのだろうかと私は考え込む。
 常識ある人々なら、安倍政権は蚊帳の外に置かれた、回周遅れの外交力だと言うしかないと思う。

 モリカケ、改竄、セクハラ・・・、「あほらし」と言ってこれを放置するのは「日本」の国際的地位低下に手を貸すことでしかないと思う。
 小さな蚊帳の中に友だちだけが集まって「誇りを取り戻す」と言うのも悪い冗談だ。

2018年5月14日月曜日

母の日

   母のある子は赤いカーネーション、母のない子は白いカーネーションを胸に着ける!などと言われたのはいつの頃までだっただろうか。
 その昔、安全ピンの付いた造花のカーネーションが小学校で配られたこともあった。

 昼食時に義母の老人ホームに行った。
 母の日だからという特別の行事食ではなかったが、いつも感心するのだが、われわれ夫婦の朝食や昼食よりも品数も豊富で毎日が行事食のようなものだ。

 一般に、高齢者が大腿骨骨頭骨折をして入院すると急速に寝たきりになると言われているが、この食事のおかげだろうか、短距離なら手をもって歩けるまでに回復した。
 若い頃の鍛えられ方が違うと脱帽する。

 ホームは病院ではないから、小さな缶ビールを持って行った。
 「母の日、どうもありがとう」と乾杯した。
 体調のすぐれない日々が続いていたが、ビールのときには嬉しそうな顔をした。

   母の日や給食肴にまあ一献

2018年5月13日日曜日

黄金虫は金持ちだ

   〽黄金虫は金持ちだ という野口雨情の歌詞を巡って「この黄金虫とはゴキブリのことだ」「いやタマムシだ」などという意見があるが、素直にその名前からの連想だろうというのは面白味が無さすぎか。

 金属の光沢を放つ黄金虫などは体中が装飾品だからお金持ちに見えると言えばそう言える。また、そのままブローチにでも指輪にもなりそうだ。

 そういう黄金虫が奈良公園にはいるが思うほど簡単には見つからない。そして奈良公園のそれらはセンチコガネであるから、アクセサリーにはちょっととなるかも知れない。
 しかし、センチコガネの仲間のスカラベは古代エジプトでは太陽神の化身であったし、意匠は装身具にもなっている。

 写真はハナムグリである。
 こちらは糞ではなく花の蜜を吸っている。
 美しいので私の好きな昆虫のひとつである。

 金属の光沢は普通には鳥が嫌うから「進化」のひとつだろうか。
 その合理的「進化」を突然変異で説明するのは安直すぎるが、と言ってこれと言った説を私は知らない。
 そして、雨情が「〽子どもに水あめ買ってきた」と想像したロジックも解らない。

2018年5月12日土曜日

農事暦

 暦が普及していない時代の庶民(ここでは主に農民)は不自由であっただろうと書いてある文章は多数ある。

   だがほんとうにそうだろうか。「種まきウサギ」などの雪形は全国にあるし、そして先日の記事のクマバチのように、自然界の生き物は生きるか死ぬかの判断?で人間の前に現れ季節の到来を教えてくれる。
 そういう自然界を素直に見ておれば、太陰暦が太陽暦と乖離した結果の「閏月」などくそくらえと言えようか。
 そういう気になれば「ああ自然は何と偉いんだ」と思うことは無数にある。

 奈良公園の吉城園を訪れた。
 モリアオガエルの産卵をこのブログで「実況中継」したのが昨日のことように思われるが、概ね1年が過ぎたことになる。
 写真のとおり、池の上の木に卵胞を見つけた。親ガエルも1匹だけ見つけた。鳴き声も聞いた。
   入梅の遠くないことをモリアオガエルは教えてくれている。
 これはそれで暦である。

 今日は私がモリアオガエルを観察している間に観光客は一人も来なかった。メインコースには人があふれているのに。
 こんな珍しい卵胞を見ずに帰るなんて・・・、もったいない。

 吉城園の外に出ると奈良公園は遠足の子どもたちで大賑わいだった。
 休憩している子どもたちに「奈良公園のエビフライ」を見せて「これは何だと思う?」と話してあげた。
 変なおじさんが話しかけてきた!とも言わず、ムササビの食べ滓という答えに概ね感動してくれた。

 この頃奈良公園の遠足で流行っているのは、外国人へのインタビューである。英語でどこから来たかなどと修学旅行や遠足の子供たちがインタビューしている。
 しかし対象は明らかに欧米人である。中国や韓国や東南アジアなどの人々にインタビューしているのは見かけない。少し違和感がある。

 そもそも、せっかく外国人の多い奈良に行くのだからこの機会に実践的な英語の経験をさせようという学校の意図がもひとつ私には判らない。本末転倒ではないのだろうか。
 奈良は、やはりこんな機会に古代の歴史を感じさせることの方が本筋ではないのだろうか。
 さらに奈良公園には、鹿、原生林、黄金虫、野鳥、蛙、猪、ムササビという教材もそろっている。「鹿の保護と鹿の害」を考えていい。「文化財の保護と街づくり」というテーマでもいい。門外漢ではあるが少し違和感を感じている。

 先生方、あの欧米人へのインタビューという学習は止めさせませんか?

2018年5月11日金曜日

知らんけど

 「関西人あるある」で指摘される「結びのことば」の「知らんけど」はいったい「知ってるのか」「知らんのか」という話がある。
 相当断定的な物言いをした後にこれを付けて責任を回避しようとする悪知恵という意見もあるが・・
 関西人の与太話ならそのええ加減さに怒ってはならず笑い飛ばさなければならないが、東京の千代田区あたりでそれを使っては駄目である。

 麻生副総理の「セクハラ罪という罪はない」発言は明らかに「セクハラなんて言うものは微罪にも値しない」「出かけて行った女性記者が軽率だ」という隠れた文章を発散している。
 そうしておいて、「知ってんのか知らんのか」という質問に対しては「法律上そういう罪状がないということを言っただけだ」「そうだろう」と居直る。
 ジャーナリストならそこで肯いては駄目だろう。
 国語のテストで「主人公はここで何を言おうとしたのか」という問に、「そういう名の罪は存在しないということを再確認のために説明した」と答えたなら✕だろう。

 蛇足に過ぎるが、憲法の三大原則のひとつは基本的人権の尊重である。それは刑法にも反映しているし、雇用の場では均等法に反映している。
 麻生副総理の論旨は明らかにこの人権規定の主旨に反している。
 重ねて指摘するが、セクハラは人権侵害である。

 この大臣は、「文書改竄は組織の問題ではなく個人の資質によるところだ」とも発言した。
 この大嘘を今さら言わないが、現職の公務員に私は言いたい。
 「汚れ仕事をさせられた分は報われるはずだ」などと信じてはならない。もっと言えば、無理やり強いられた小さな罪を悔やんで自殺などしてはならない。残された遺族が汚名に泣くだけだ。

   庭に蝶のような蛾がやってきた。尺取虫の一種だと思うが「昆虫エクスプローラー」ではよく似た模様の名前がいっぱいある。
 図鑑でもぴったりマッチはしないが、その模様からすると「ユウマダラエダシャク」に違いない。知らんけど。

  夏立って帰り遅れた尉鶲

2018年5月10日木曜日

鳥飼部は省略された

   4月12日に『歴史とりどり』というタイトルで今城塚古墳の「埴輪祭祀場」と名付けられている場所の大量の水鳥の埴輪について書いた。
 全体が葬送儀礼だという定説ではこの大量の水鳥の意味が解らない、これは大王が黄泉の国に向かう先導役ではないだろうかと書いたのだが、これといった証拠が見当たらず、書いた後も少し悶々と本を読んだり考えたりしてきた。

 写真にあげた小林青樹著『倭人の祭祀考古学』(新泉社2500+税)なども購入して読んでみた。
 しかし結論から言えば、私の疑問にドンピシャ答えてくれた文献はなかった。

   そこで遠回りだが、水鳥同様大量に並んだ馬の埴輪を考えた。
 葬送儀礼と言うが、これは前大王の葬送と引継いだ新大王の権威の誇示が目的だったと見ると、特に後者にかかっては当時の「騎馬文化」は時代の最先端、イノベーションのショーウィンドウだったのだから、飾られた馬が行進様に並べられていることが納得でき、どこかの国の軍事パレードを彷彿とさせられた。

 そしてそこで一番ハッとしたのは、馬子(まご)がいないということだった。
 ほぼ定説ではこれは「馬飼部(馬養部)の服属儀礼」と言われているが、それを馬だけで表現しているのである。なお、他の古墳出土の「踊る埴輪」は実は「馬を牽く人物」つまり「馬飼」だとも言われている。

 ということは、並んだ馬の埴輪が”それだけで”馬飼部の服属儀礼だとしたら、並んだ水鳥は鳥飼部の服属儀礼となる。ヤマト王権の各種部民(職業部)が葬送儀礼を担ったというのは当然すぎるほど当然な考え方だろう。

 それにしても、そもそも埴輪の造形は省略の造形とも言われているが、鳥飼部の行進を水鳥だけで表現するのは省略なのか横着なのか?古代人の感覚は解るようで私には解らない。
 で、100%納得したわけではないが、今では「鳥飼部の服属儀礼」説を概ね首肯している。悩んだ割にはわりあいつまらない結論にたどり着いた。ご批判を乞う!

2018年5月8日火曜日

電話派?メール派?

 (1)「メールは事務的な感じがして嫌いだ」という人がいる。
 パソコンなどワープロの文書についても同様の意見を聴く。
 言っていることはよく解るが、私はけっこうメールを使っている。
 電話の場合は、相手がどのような状況・・例えば実は取り込み中とかに関係なく架ける訳であるから申し訳ない気がするのである。
 一応「いいよ」と言ってくれても、実際は「ええっ このタイミングでその話」ということかも知れないと気を遣う。
 それに対してメールなら、好きな時に返信してくれればいいから・・というのが私の感覚だ。

 メール嫌い派の人は「用事があったらしっかり自分の声で電話してきなさい」というのだろう。
 「メールごときで連絡してくる用事に対した用事はない」と全く無視して返信してもらえないことも少なからずある。
 メールを選択して送信したんだから返信は過剰に期待するな!と言うのが正しいのかもしれない。そう自分に言い聞かせている。

 返事が欲しいことならメールなどするな!というのが市民社会の常識なのだろうか。それとも、「その件は後ほど」程度の返信をするのが市民社会の常識だろうか。私は後者の方の意見なのだが世間とズレているのだろうか。


   (2)妻が「見たがるやろな」と忖度して録画しておいてくれた『香川照之の昆虫すごいぜ』を見たら『クマバチ』だった。

 ミツバチやスズメバチの♂♀の比率は1:9。それに対してクマバチの比率は5:5と言っていた。
 5:5で十分やないかと思うが、ミツバチやスズメバチに比べればクマバチの♂はキビシ~~。・・となる。

 そのためあんなに必死にナンパしていたのか。
 
 黄色い三角の鼻?は紛れもなく♂。♂は刺さない。
 ♀は刺す。綺麗な蜂には棘がある。


   (3)7日、孫の凜ちゃんと菖蒲湯に入った。
 凜ちゃんは帽子さえ嫌がる子だからこの表情は無理もない。
 しかし、これで二人の孫の当分の間の健康は保証された?
 鯉のぼりも片付けた。
 2018年端午の節句、全行事終了。
 暦の季節は夏になった。

2018年5月7日月曜日

褄黒豹紋

   (1)人間は自然界では全く少数派であって♂よりも♀の方が断然美しい(主観も入っているが)。
 だいたい哺乳動物も鳥類も昆虫も圧倒的には♂の方が♀よりも美しい・・・のに。
 その例外が人間同様に褄黒豹紋(ツマグロヒョウモン)蝶で、♂は単調な豹柄だが、写真のとおり♀は翅を着物に例えてその褄に黒い模様が鮮やかだ。

 その模様は毒蝶であるカバマダラに擬態している、つまりそのように進化したと一般に言われているが、カバマダラは日本にはほとんど生息していないから、鳥などの天敵に対する効果は疑わしい。つまり擬態効果のために進化したという説は間違いではないかともいわれている。

 そもそも、適者生存という進化論は正しいのだろうか。
 昆虫界の見事な擬態や保護色を見ていると、遺伝子レベルで遺伝子たちが会話して「高度な思考と技術的対応策」を編み出したに違いないと思えるほど素晴らしいものが多い。

 が、ここはその進化論を認めるとして、ツマグロヒョウモンはどうして♂をほったらかしにして、♀だけがカバマダラそっくりさんに進化したのだろう。
 ♂なんて交尾が済んだらさっさと鳥にでも食われてしまえ、と遺伝子会同は選択したのだろうか。
 ツマグロヒョウモンと人間は自然界で稀有な♀の方が♂よりも美しい種である。そこには何か恐ろしい陰謀が隠されているかもしれない。

   (2)毎年GW後半にわが庭にやってくるのはクマバチ。一時ハナアブかと考えたがやはりクマバチらしい。
 開花したエゴノキの周辺でホバリングをしている。
 他の蜂類などが来るとすばやく突撃して追い払うから縄張りを確保しているように見えるが、これは花(蜜)にやってくるクマバチの♀をナンパしようと待ち受けている♂といわれている。
 突撃しているのは確認のために近づいているようだ。
 この習性の方がツマグロヒョウモンの進化よりも解りやすい。
 それにしてもその姿! ちょっと惚れ惚れしませんか。

   クマンバチ当然のように来る奇跡

2018年5月6日日曜日

こどもの日

   (1)昨日、こどもの日の午後に孫の夏ちゃんが来てくれた。
 少しおしゃまなお年頃になったので素顔はNGにさせてもらう。
 写真はお誕生日プレゼントのゲーム(機)に夢中になっているところ。
 一日1時間限度というのを「わかった」と言っているが、・・・・・。
 妻はその日の朝の朝日新聞の記事をもって「ゲーム機の負の問題」を孫に説教するが、スマホを駆使する孫の多様な機能の説明に、ただただ、「へえ~」というばかり。
 結果、これではいかんと孫に躾けるためにも負けてられないとガラケーをスマホに替えると宣言した。

 (2)時間的には前後するが、この日は奈良大学の公開授業に出席した。
 GW真っ只中の祝日に授業をするか!と驚いたが、…予想どおり、渋滞と人混みの行楽地を忌避したご同輩が大挙して出席。
 現役学生を上回っていた?のが実に愉快だった。

   (1)も(2)も読んでいただければわかるように、結局、この日はまるで敬老の日のようだった。
 おまけで夏ちゃんのシャボン玉遊びの写真をアップする。

 その後、夏ちゃんはわが菜園のスナップエンドウとキヌサヤを収穫した。
 「自分で収穫したのだから家で美味しく食べるんやで」と言うと、「食べへん」とピシャリ。ああ。

   ガラケーの婆はスマホを孫に訊く

2018年5月5日土曜日

檻の中のライオン

   (1)今日は端午の節句。一日早く昨夜菖蒲湯にした。
 今年は孫が二人とも来ないから、老夫婦二人だけで菖蒲の鉢巻きをした。
 頭痛にならないまじないみたいなことには興味がないが、こういう年中行事をひとつ一つ重ねる中で季節を味わうのがよいと思っている。

 食が細くなったというほどでもないが、おやつに柏餅を食べると食べ過ぎになる。
 そのため、昨日の夕食はおかずだけにして、デザートに柏餅をいただいた。5日は粽(ちまき)が昼食の主食になるだろう。


    (2) 5月3日憲法記念日の朝日新聞に楾(はんどう)弁護士の「ライオンと檻」が掲載され、テレビの「おはよう朝日です」でも紹介された。

 憲法って何? 国のあり方を書いたもの? という岩本アナの問いかけに谷口真由美コメンテーターが「より大事な性格はライオンの檻」だと。

 楾(はんどう)弁護士の要旨は、「国家権力は必要だが、下手をすると戦争をしたり国民を弾圧したりする」「権力は暴れ出したら怖ろしいライオンみたい」「ライオンには檻の中で政治をしてもらえば安心だ」「それが立憲主義だ」というもので判りやすい。

 私は現職の一時期「国税徴収法」に基づいて仕事をしたことがあるが、勉強すれば勉強するほど恐ろしい法律だと感じた。
 もし日本国憲法の人権規定等の縛りが無かったら死刑執行以外の何でもできるのではないかと怖くなったことがある。知るということは怖ろしい。そして憲法は大事だ。

 では知らないと安心だろうか。主観的には平穏に違いない。
 しかし、事実として「戦闘地域には行かない」と決められた自衛隊が海外に派遣された。政府は「戦闘はあったが戦闘行為ではなかった」という。
 真実を国権の最高機関である国会で確認しようというと「日報はない」という。
 これでも「知らない安心」に安住していてよいのだろうか。
 いま日本会議に操られた安倍政権というライオンによって檻は壊されようとしている。

 「憲法を守ろう」という集いを政治的だといって公共の会場を貸さない自治体が出ている。慣例として載るはずだった”梅雨空に九条守れの女性デモ”という俳句が公民館だよりに拒絶された。この国では特高警察が来なくても隣近所から”国賊”と怯えさせられる時代が甦りそうな気配がある。

 「実際に存在している自衛隊を書き加えるぐらいええやん」というほど呑気な話ではない。
 20**年、こんな風刺漫画が頭をよぎる。徴兵された息子を亡くした親が神さまに泣いて言う「神さま、どうしてこんな悲しみに遭わなければならないんですか。私がどんな良くないことをしたというのですか」。神さま「何もしなかったのじゃよ」。(昨日も書いたが、この風刺けっこう気に入っている)


   5日朝、写真追加(神奈川新聞)
 3日の憲法集会、右の写真のように東京ではこんなに集まっていた。(6万人)
 やはりこういう事実を正確に報道しない多くのマスコミ(主にテレビ)はおかしいですね。

2018年5月4日金曜日

アルコール依存症

 芸能ニュースは全く得意でないから勘違いがあるかもしれないが、私はTOKIOの山口君はアルコール依存症というれっきとした病気のように思うのに、その種の指摘が少ないのではないだろうか。

   私は現職中の一時期庶務的なポジションにいて、広い意味での部下のそれに対処したことがある。

 ひとことで言って、この病気はちょっとやそっとの説諭では克服できない。つまり自分では治せない。だから依存症という病名が付いている。
 上司と同僚が一丸となって、医師に連れて行って医師に治療してもらう必要がある。
 そういう私の感覚から言えば、この件ではジャニーズ事務所の対応に決定的な責任があるように思う。

 私自身嫌いな方ではなかったから、専門病院について行って医師の診断に同席させてもらったときの「あんた、もうすぐ死ぬよ、死にたいか」という話から始まった診断と治療は衝撃的だった。
 そういう難しい病気なんだと私自身が目を覚まされた。

 過労死の家族の方には厳しすぎる風刺漫画だが、息子?を過労死・過労自殺で亡くして悲しみに暮れる遺族が神に向かって「どうしてこんな悲しみに遭わなければならないのですか。私が何をしたというのですか」と言うのに対して神は、「何もしなかったからだよ」というのがある。
 アルコール依存症もよく似ていて、周囲、特に上司や家族が半ば強制的に治療を受けさせなければどうにもならないように思う。

 なので、私がおかしくなったときにはどうか強制的に連れて行ってください。

   飛び石で憲法守れの五月空

2018年5月3日木曜日

胡瓜草(きゅうりぐさ)

   この花の名前は孫の夏ちゃんに教えてもらった。名前の由来は葉や茎を揉むと胡瓜のような匂いがするからと言われている。

 近頃の胡瓜は青臭い匂いが極端に減じられているが、幸いわが家ではワイルドに育てているのでその匂いは脳裏にはっきりと残っている。

 しかし、しかし、いくら大量に手の中で揉んで嗅いでみても、ただ普通の草の青臭さだけで、胡瓜の匂い・香りは全くしてこない。

   先人は余程繊細な嗅覚を持っていたのだろうか。まさか、胡瓜の無臭化に歩を合せて胡瓜草も匂いを減じたのでもなかろう。昔の胡瓜はやたらに青草のように臭っていたのだろうか。何れにしても特徴的な匂いのする草では全くない。

 ネットで調べてみると「胡瓜の匂いがするのでこの名になった」というものはいっぱいあったが、自分で嗅いでみて「胡瓜の匂いがした」と書いてあるのはなかった。
 はて、この名前の由来・・・本当だろうか。定説なるものも簡単に信じるのは良くない。

 花の直径は2ミリ程度の小さな小さな草である。
 どんな風になるかと放っておいたところ、庭中を覆い尽くしてしまった。
 半分は気にいりながらも、半分は後悔している。今わが家は胡瓜草の庭になっている。

 先日は高畑勲監督が訳詞した『愛は花、君はその種子』という歌のことを書いたが、胡瓜草の花ことばは『愛しい人へ真実の愛』という。

   胡瓜草邪道と言うか庭づくり

2018年5月2日水曜日

大阪メーデーの感想など


 4月18日に朝日新聞高橋純子編集委員の『畑作は土から』という文を紹介した。
 ちょっとだけ再び紹介すれば、「畑の土が汚染されていることがわかり、もうこの畑で作物をつくるのは無理ではないかという議論をしているときに、いつまで土の話をしているのか、ニンジンをうえるかジャガイモをうえるか議論すべきだ、冷夏への備えも必要なのに、対案を出さず批判ばかりして……などと言い出す者は正気を疑われる」という例えは正鵠を射ていると感心した。

 そして、「現実主義だリアリズムだと言って、可能なことだけを追求するというのは単に、船が沈むのを座して待つということにしかなりません」「いろんな意味でこの国は老いているとしみじみ思う。どうすれば若返れるか……あっ。”やらされモードではなく、死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件”かもしれない。自分の記憶の限りでは」という結びも良かった。

 それを私は、「思うのだがこの言葉、民主勢力と言われる中の人々も噛み締める必要がないだろうか」と感想を述べた。

   で、大層なマクラの割につまらないことを言うのだが、昨日の大阪メーデー、やはりプラカードコンクール、デコレーションコンクールの入賞作の披露が舞台の下だった。
 つまり、最前列から2~3列の人にしか見えないのである。

 どうして舞台上の人々に数歩後退してもらって、舞台上を横断して披露しないのだろう。
 きついようだが、実行委員の人々が「やらされモードでなく、死ぬほど成功させたい」という意識を持っていないのではないかと思ってしまう。私の”下衆の勘繰り”であってほしい。

 5月中旬には職場のOB会のレセプションがあり、参加者が”来てよかった”と思ってもらえるためにはどうしたらいいかと先日から考えている。
 結果はスベッテもいいと思っているができる限りの挑戦をしたい。
 中島みゆきの唄にも「ファイト!闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう」という歌詞があったが、私は笑うよりも笑われる方でいい。

   メーデーや憲法守れの団扇かな

2018年5月1日火曜日

夢見る老人

   憲法改正が発議されたら、国民投票に向けて自民党が電通とタイアップしてテレビCMをハイジャックすると言われている。
 公選法の適用外として、シャワーのように偏った情報が浴びせかけられる。
 
 有名芸能人がテレビの通販番組にハマって、いらないものをいっぱい買ったと話していたが、真夜中のテレビを観ているとその気持ちが判らないでもない。
 孫悟空は自分の意思で飛んでいたと思っていたが、それはお釈迦様の手の平の中だった。

 テレビではないがネット通販でタキイ種苗の苗木を昨年11月に申し込んだのが、4月30日にようやく到着した。
 シラタマミズキのオーレアという。
 近所の研究所にミズキがありさわやかな印象があったところに「紅葉がきれい」という宣伝文句に心が動いた。

 しかし、そこに書いてあったとおり、ほんとうに30㎝の苗木である。
 よく考えると、この木が庭の主木になる頃には私は老人ホームあたりに入っていないだろうか。
 紅葉が輝くミズキを夢見て、肝心の自分の年齢を忘れていた。

 私でさえ・・と言うとおこがましいが、人は夢を見るから誘導されもする。
 電通のCMのシャワーなんかに負けないというのは悟空の言葉に似ている。
 苗木の成長を楽しみながら日々反省することにする。
 言い訳をすれば、信州・黒姫でアファンの森を造り続けているC.W.ニコル氏は、自分は完成した森を見ることは絶対にできないが、完成した森を夢見ることができると述べている。

    人だけが夢見ると森造る人