2018年4月27日金曜日

今日もダンドリ君

   4月中旬に中学校の同窓会をした。
 準備はいつも何人かの女性陣が要所要所を押さえて進めてくれる。
 私は何人かに連絡し、あとは当日の進行役をした程度だ。
 終わってから、これも写真集を女性陣が作成してくれ、私は送付状だけ作って送付した。
 そんな程度の加わり方だったのに恐縮したのは、その後大勢の方々から手紙や電話でお礼の言葉を戴いたことだった。ほんとうに恐縮だ。
 お世辞も多分に含んでいるだろうが「楽しかった」と言ってくれている。

 そんなことで、大したほどではなかったがダンドリ君をしてよかったとちょっとだけ自分を褒めている。
 もちろん真の立役者は女性陣だし、誰に言われたわけでもなく写真集まで作ってくれるのは男前である。

 さて、同窓会やいろんな集いを進行するのは実際にはけっこう難しい。
 「そんなの自然に歓談してもらったらええやん」という意見もある。事実、そういう部分も大切だ。しかしその言葉を「何もしないこと」の言い訳、すり替えにしては良くないと思う。
 特に歓談の輪の外にいる人々が私は気になる。
 なので、タイミングタイミングで気持ちが集中するような企画をどう挟むかということでけっこう真剣に自問自答する。

 これがOBたちの集いとなると、職業生活では管理職を経てのOBだから、多くは口は動くが尻は重くなる。私もそうだった。
 そんなとき誰かの書評に町内会活動のことがあり、上手く進めるためには「請われれば一指し舞う」という気概が必要だとあった。
 そうだ、OBに職歴も何も関係ない。大切なのはダンドリと「一指し舞う」尻の軽さだ。

 ダンドリは「ダンドリ八分」という言葉がある。「ダンドリをしっかりすれば目的の八分(80%)は仕上がったも同然」「仕事の内の八分はダンドリと心得よ」と理解している。
 ところで5月にはあるレセプションを行うことになっている。
 「まあ例年どおりするか」で相談は全て終わっている。さてどうするか。

 一昨年の秋にはボブ。ディランのノーベル賞受賞にこじつけてみんなで「風に吹かれて」を英語で合唱し好評?だった。
 その伝でいけば、先日友人のブログに高畑勲監督の追悼文があり、『THE ROSE』を高畑監督が訳詞して平原綾香らによって『愛は花、君はその種子(たね)』という題名で歌われていることを知った。
 よしタイミングならこれだろう。
 そう思ってとりあえず楽譜を購入した。オケはスマホでYou Tubeをマイクで拾えばいい。(写真は著作権保護のため加工した)
 楽器を弾けない己が悲しいが今更しようがない。
 あとはそこそこ練習しておくだけである。

 それでも「そんな歌知らんでえ」という怨嗟に似た声が聞こえてきそうだ。
 でも朝日新聞の『折々のことば』に「何もしようとしないうちからできないなどとと言うな」というのがあった。
 私もこの歌をこれまで全く知らなかった。

    しない訳訳知り顔で解説し

3 件のコメント:

  1.  ダンドリ君ついでにコメントを言えば、南北や米朝の水面下のダンドリは如何ばかりかと尊敬する。それに比べて、安倍政権の無策ぶりはどうか。日本という国は世界中の笑いものになるのではないか。もちろん問題は山積しているが、順番に交渉で解決していこうという道は王道だと思う。そして、その精神こそ日本国憲法第9条の精神ではないか。
     過労死の一コマ漫画に遺族が悲しんで神に問う漫画があった。「神様どうしてこんな不幸に遭わなければならないのですか。私がいったい何をしたというのですか。」神「何もしなかったのだよ」。過労死の遺族の方々には申し訳ないギャグかもしれないが、現代社会の市民一人ひとりに問われている問題だ。宮城大川小学校事件の高裁判決も、当事者の先生方には酷な気もするが、現代人一人ひとりへの判決だと考えると意義深い。
     指示されない限り行動しない。指示されたことしか行動しない。提案したら行動しなければならないから知らない(気が付かない)振りをする。それは犯罪なんだと判決は言っていないか。ダンドリ君になろう。ダンドリ君が社会を変えてゆくのだ。

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  2. ダンドリ君の記事、なるほどと思います。ともすれば、忙しさにかこつけたり、自分に関係ないと割り切ったりしているようです。
     しっかり取り組んで、積極的に行動したいものです。

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  3.  上の千本さん、一緒にダンドリをよろしくお願いします。メールありがとうございました。

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