2018年3月31日土曜日

その男 今井尚哉

   その男 今井尚哉(たかや)、通産省のキャリヤで首相秘書官である。
 叔父が元経団連会長、安倍首相とも親戚が繋がる縁戚になる。
 「影の総理」と異名を持つとマスコミではもっぱらだ。

 昨日の記事で首相の答弁が痛いところを突かれた場合にグダグダになると書いたが、実は、3月26日の参院予算委員会の集中審議でこんなシーンが見られた。リテラの記事を引用しながら書くと・・・


 民進党の増子輝彦議員が「201593日〜5日」の動きについて質問。
 201593日〜5日、この3日間は安倍夫妻が非常に怪しげな動きを見せ、93日に安倍首相は国有地払い下げの“責任者”である当時の理財局長である迫田英典氏と面談。
 そして、翌日4日には国会をサボって大阪入りし、読売テレビの『情報ライブ ミヤネ屋』に生出演したあと、冬柴鐵三・元公明党幹事長の次男の料理店「かき鐵」で食事。
 この日、一方では、小学校建設工事を請け負った設計会社所長ら森友学園関係者が近畿財務局を訪ね、近畿財務局の統括管理官と大阪航空局調査係と話し合いをおこなった。
 昭恵夫人は9月4日、谷査恵子秘書官を連れて大阪府の私学審議会会長である梶田叡一奈良学園大学学長と会っている。
 翌5日には、森友学園の塚本幼稚園で講演をおこない、小学校の名誉校長に就任している。

 増子議員はこの3日から5日のうち、安倍首相が大阪にいた4日のことについてこう問いかけた。
 「(大阪入りした4日に)総理は日帰りされた、今井さんは残った。次の日に御夫人が名誉校長に就任されているんですね」
 「今井さんは残りました、大阪に。これ、事前通告してありますよ? ここのところの事実関係、森友学園や近財局長たちとお会いになったという事実はございますか?」

 写真のとおり、この大阪行きに今井首相秘書官が同行し、安倍首相ご一行が公明党元国交相冬柴鐵三氏の子息で、森友に融資したと噂されているりそな銀行出身で冬柴パートナーズ代表の冬柴大氏の「かき鐵」で食事した際、店側が撮影した写真が「食べログ」に掲載されている。

 当時は安保法制議論の真っ只中で、総理秘書官としては省庁間の様々な調整をしなければいけない時期。そんなタイミングに大阪にわざわざ同行するとは、よほどの用事があったとしか考えられない。しかも、今井首相秘書官はそのまま大阪に残って、近畿財務局の関係者らと会っていたのではないか──。増子議員はそう追及した。

 すると、この質問に安倍首相は急にオタオタしはじめた。答弁に立つと、見るからに焦った様子で「あの、質問にお答えする前にですね」と述べて、「妻は文書の書き換えを指示していない」などという質問の答えになっていない話を延々つづけ、その後、必死になって「94日は2つの報道番組の収録と生出演のために大阪に行った」「食事をして東京へ帰った」「近畿財務局関係者とまったく会っていない」と釈明。問題の今井首相秘書官については、こう答弁したのだ。

 「今井秘書官がですね、残っていたかどうかということについては、質問通告ございません。(キレ気味に)質問通告ございませんから、いや、大阪、大阪に、同行したのは事実です。しかし残ったかどうかについては、質問通告受けておりませんから」
 「残ったかどうかということについては、これは私もいますぐにはお答えできません。しかしこれ調べればすぐわかる話でありますし、そこでですね、今井秘書官が近財の人びと等々と会ったということは、もちろんないということは申し上げられる」

 今井首相秘書官は大阪に残ったのかどうかは「わからない」と言うのに、なぜ「近畿財務局の人とは会っていない」と断言できるのか。しかも、安倍首相は答弁を終えて自席に戻ってからも手を挙げ答弁をさせろと要求。増子議員は別の質問に入ったが、安倍首相は次の答弁でも必死になって“今井首相秘書官は関係ない”と言わんばかりに、以下のように主張しつづけたのだ。

 「いま、あの、答弁しておられる最中にですね、あの、今井秘書官に確認をいたしました。あの、えー、この大阪にですね、泊まる……(ここで増子議員が「残ったんでしょ?」と問いかける)、いや、残ったということはないというふうに記録をしているところでございます」
 「なぜ私がそう答えたのかということについてはですね、いわば出張の、主たる目的についてずっと秘書官とは話していますから、そこで彼がテレビ局との打ち合わせ等を全部やっておりましたので、そこで当然、その話は、たとえば理財局とそういう話をするんであればですね、当然、私に報告があるだろうと思っておりますから、それはまったくなかったということを申し上げているわけでございます」

 この慌てぶり、饒舌は安倍首相が嘘をついているときの典型的なパターンだ。少なくとも、安倍首相にとって、今井首相秘書官の大阪での動きは絶対に触れられたくない話題であったのだろう。

 「週刊文春」(文藝春秋)が指摘したとおり今井秘書官と佐川氏は同期で省庁の壁を越えた非常に親しい関係にあったという。
 また、昭恵夫人担当秘書・谷査恵子氏の動きはすべて、谷氏と同じ経産省出身で、官邸では上司にあたる今井氏が指示していたと見るのが官庁の常識ではないか。
 今井秘書官という駒を一つ置いてみると、当時の盤面が鮮やかに見えてくるように思う。

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