2018年3月25日日曜日

勾玉について

   以前に銅鏡について考えたことがある。どうして古墳にあのように大量の銅鏡が副葬されているのかと。
 結論だけ言えば、道教に基づく僻邪の信仰だと私は考えた。
 同じ論理でいうと魔剣という言葉があるように、剣にも信仰がまとわりついている。

 違う角度から古代人の心象を想像してみると、この二つは当時の先進国(大陸とその半島)の高度で高価な製品だから、現代の成金がシャネルの装身具に目を輝かせたり、イタリア製の高級外車に乗りたがるのと一緒でないかと思ったりする。

 では勾玉とは何か。大陸には玉の信仰や文化があったが、それとは少しすれ違う気もする。
 先日から瀬川拓郎著「縄文の思想」講談社現代新書、「アイヌと縄文」ちくま新書を読んでいるが、どうも勾玉は縄文人の文化のような気がする。
 それを典型的な弥生人であるヤマト王権やそれにつながる豪族たちは、服属させた縄文人の信仰を吸い上げる形で手に入れ、自分こそが支配者であることを可視化させたのではないか。
 同時に、勾玉が元々持っていた呪力や美しさといった文化を自分たちも持ったのではないか。
 これについては、今後じっくり考えてみたい。

 天皇の代替わりの儀式の準備が進められている。
 その中に『剣璽等承継の儀』というのがある。勾玉など三種の神器(形代)を引継ぐことによって新天皇の正当性が保証されるというもので、儀式の中でも一番最初頃に行われる。
 元々は記紀神話に基づくもので、天皇家がそれを大事に引継ぐことはもちろん自由であるが、しかし、これを国事行為として行うのはおかしいと共産党が政府に申し入れを行った。

 いうまでもなく現天皇制は現憲法の「主権の存する日本国民の総意に基づく」ものであるから、このような宗教的行為を、しかも女性皇族は排除される儀式を国事行為として執行するのは正しくないし、国家神道を否定した現憲法の主旨にも合わない。天皇家の私的行事にすべきが当然ではないだろうか。
 明治22年制定の旧皇室典範とそれに基づく登極令(明治42年)を「伝統だ」というのも歴史事実に反するし、そんなことを言えば一夫多妻も皇室の伝統として即実行しなければならない。

 国事行為に馴染まないものは、「即位後朝見の儀」や「即位礼正殿の儀」「大嘗祭」もそうである。重ねて言うと天皇家の私的行事にとやかくは言わないが、国事行為とするなら大前提が憲法であるべきだ。
 勝手に推測するのだが、平成天皇と次の天皇(現皇太子)の考えもそうだろうと思う。
 皮肉なことだが、現憲法の全条項をしっかり守るという共産党の申し入れがもっとも天皇制に理解を示し、安倍自民党政府が一番現天皇らを軽んじているように見えるのは私だけだろうか。

 古代史が好きな私は、天皇制や宮中祭事に親和性を持っている。その感覚から一言いえば、明治から昭和前半という時代は日本の伝統などというものではなく、日本史の中でいえばあだ花みたいなものである。
 天皇家や神社やお寺がそれぞれの伝統というかしきたりを大事にすることは他人がとやかくいうものではない。そういうことを言っているのではない。
 伝統が好きだいう方々も冷静に考えて理解してほしい。

 写真は大神(おおみわ)神社の子持ち勾玉のストラップ。私はリュックサックに付けている。
 勾玉の形は胎児のそれであって故に生産、再生、繁栄等の象徴だという意見があるが、そうであれば、わが国で最も古い神社といわれる大神神社の遺跡から出た子持ち勾玉は何と理解したらよいのか。
 歴史などというのは一筋縄ではいかない。それを単純に語る者には気を付けた方がよい。

3 件のコメント:

  1.  当然であるかのように「勾玉は胎児の形」「鏡の太陽に対して勾玉は月」「つまるところ魂の形」という説明がいろいろありますが、それなら写真の「子持ち勾玉」はどのように説明するのでしょうか。

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  2.  「勾玉は縄文の文化である」というところまでは本文に書いた。そうすれば、何故縄文人は勾玉に呪力や装飾性を感じたのかというと詳しくは解らない。ただ、縄文の狩人が立派な獲物の牙を身に着けることによって、己が逞しさを表現し、次なる狩りの成功、危険の除去を祈ったという仮説はどうだろう。その牙の装飾品が高度化したものというのはどうだろう。こんな話、面白くありませんか?

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  3.  先のコメントでも子持ち勾玉にはたどり着きません。「親勾玉に子勾玉で子孫繁栄」とか適当な解釈はいっぱいありますが、牽強付会の香りがします。とって付けたようなスピリチュアル系の解説は別にして、読者の皆様のご意見は如何でしょう。

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