2018年2月6日火曜日

鬼退治はこれから

 歴史的に見れば、鬼と言われるものの中には、権力者の意に沿わぬ者、まつろわぬ民が含まれていないかということはこれまでにこのブログで書いてきたが、言葉のあやではないが、そう、単なるレッテル貼りで喜ぶ気はないが、現代社会の鬼と言えば権力者そのものが民の幸せを奪っている鬼だと思う。そういう鬼退治には正義がある。
 そういう気持ちを込めて、先日の友人のお寺で行った節分会の報告をする。

   最初に勤行を行なった。
 住職は全員にお経とその解説を配付した。
 そういう対応は正しい聖職者のあり方だと私は感心した。
 先日から私は並川孝儀著「ブッダたちの仏教」(ちくま新書)を読んでいるが、経典を歴史的に見る目が非常に重要だと感じている。

   そのあとで、ある種の宗教劇・・というほど大したものではないが、鬼の威張っている世は正義の力で終わるであろうという・・予祝行事を行った。
 太鼓の音も不穏な中、赤鬼が乱暴を働くも遂には正義の前に平伏すというシナリオだったが皆んな判ってくれたかな?

   今年は全てが試作であったから、来年は誰かに代わってもらおう。
 最後はゴキブリがシューッとされたときのようにヒクヒクとしたのだが、照れずにしてくれるだろうか。してくれるに違いない。
 「来年はやらしてくれ」という申し出を期待。

   アンコールに応えて道路上でも踊ってみたが、最初は子どもたちが気味悪がって逃げ腰だった。
 しかし、交通整理係の友人が上手く誘ってくれたので、路上でも楽しい豆撒きになった。
 写真は、鬼が子どもたちを虐めているように見えるが決してそんなことはなかった。

   最後の写真は、厄除け善哉と大根炊き、そしてあぶり餅。子どもたちもフーフー。
 ふた昔?前には節分の日に道行く人々に善哉を振る舞う風景が珍しくなかった。
 そのぜんざいに厄を持って行ってもらうというような俗信だった。
 それを信ずれば、今回この行事を手伝った皆んなが厄を落としたことになるから、バンザ~イ、バンザ~イ。

6 件のコメント:

  1. 本来の本当のお寺の在り方を教えてもらいました。

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  2.  今朝の「毎日歌壇」に「なまはげの少し無理ある訛りかな」というのがありましたが赤鬼さんの顔が優しすぎるのが難点でしたね、来年の鬼さんにはもう少し恐い顔の鬼さんに登場していただきましょう。

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  3. 来年も皆々楽しみな赤鬼さん�� おぜんざいも 厄を持って行ってくれそうな気がします。 私も 誕生日には お菓子やケーキでなく 母は ずっと おぜんざいを 炊いてくれてましたが 厄よけだったのかな?

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  4.  スノウさん、冷やかさないでください。そんな大層なものではなく、コンセプトは「高齢者が真面目に遊ぶ」でした。

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  5.  ひげ親父さん、確かに写真の赤鬼には凄味がありませんね。結局素人には照れが出るのですね。目を剥いて六方を踏んだつもりなのですが、大いに反省です。

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  6.  ミリオンさん、誕生日に善哉はお祝いであり厄除けだったのでしょうね。
     高度成長が本格化する前の堺では節分に善哉の振舞いが町中で普通に見られました。ただ可笑しいのは「その善哉を食べると厄を貰うからダメだ」という意見もありました。
     小学6年生のとき、同級生の網元の家に多くの同級生が呼ばれました。そのときの善哉の「おかず」が小さな河豚の煮つけでした。
     漁師が食べるのだから大丈夫だろうとエイヤッと食べたことを覚えています。

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