2018年1月11日木曜日

おごそかな十日戎

   第11代将軍徳川家斉の頃である寛政年間に刊行された『摂津名所図会』という有名な本がある。
 その巻之三「今宮の十日戎」には「詣人後(うしろ)の羽目板を敵(たた)きて・・喧(かまびす)し」とあるので、十日戎の賑わいは昨日今日のことではなかった。

 私の知っている大阪周辺の十日戎の賑わいもよく似たもので、以前に詣でたことのある奈良では、十日でなく五日だったが、奈良町(元花街)の「南市の五日戎」は同様に賑やかだった。

 ただ同じ奈良でも、昨日私が詣でた春日大社の十日戎は少し様子が違った。
 まずお社だが、春日大社本殿の奥の方にあるから、周りは千年の大杉等の原生林で、その上に丁度みぞれが雪に変わったものだから、賑わいというよりもその環境だけでもおごそかで、私のイメージの十日戎とは少し違っていた。
 先ずは、春日大社の神職が祝詞や神楽をしっかり奉納するので、今宮戎のような歓楽街の催しに似た賑わいでは全くなく、文字どおりの神事であった。(私のイメージの十日戎は夏祭や秋祭的なお祭りに感じていたが・・・)

   なお今宮戎と同様だったのは、先ず参拝者に笹をくれて、その笹を持って吉兆をつけてもらう方式だったことで、賑やかさは比べるまでもないが、「商売繁盛で笹持ってこい」の基本形であることは嬉しかった。
 何故そんなことを言うかというと、西宮戎など少なくない十日戎での最初から吉兆をつけた笹を「売る」のでは「笹持ってこい」にならないので、「笹持ってこい」のこの方式は古式どおりだろう。

 余談ながら、まあ、春日大社のことであるからこんな季節でも多くの外国人旅行者がいて、本殿周辺でただこの笹を貰って喜んでいたのはご愛嬌として・・それもいいか。

 そして一番肝心の冒頭の「壁たたき」に戻ると、それはそういう習俗としても、あるいはお社の構造上も、全く存在しなかった。
 それは少し残念だったが、戎神社の総本社を称する西宮戎もそうなので仕方がないかもしれないし、神事という面から見れば「壁たたき」の方がいかにも大阪的な土俗の習俗かもしれないが、私としては「壁たたき」をしてのお参りをしたかった。

 帰ったら、老人ホームのインフルエンザによる面会禁止が解けたと連絡があったので、この笹を持ってホームに行った。
 義母は、鈴のきれいな音、なつかしい農業道具であった熊手などに反応して、何回も何回も「えべっさんか?」と喜んでくれた。
 吉兆のミニ熊手で「こくま掻き(松葉掻き)」のジェスチャーを繰り返して、私に熊手の説明をしてくれた。
 居合わせたスタッフも大いに喜んでくれたので、部屋の中で「商売繁盛で笹持ってこい」と声を張り上げて、同じ部屋の入所者に新年を寿いで帰ってきた。
 関西の新年はこれが無くては新年の気分にならない。

     えべっさんの熊手を母はいとおしみ

2 件のコメント:

  1.  私など万事控え目な者(?)としては「壁たたき」などという、神さんに無理やり云うこと聞かす!などようしませんが、ホームでの長谷やんの振る舞いは、近い将来のこととして見習いたいと思います。

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  2.  「壁たたき」は絶対神的な権威主義下では起こり得ない習慣だと思います。
     えべっさんは身近にいる頼りがいのあるおっちゃんと同等です。おっちゃんは少し耳が遠いので大きな声で頼むのです。やはり大阪文化だと思います。

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