2018年1月31日水曜日

今夜は皆既月食

   国立天文台によると、今夜20時48分ごろから部分月食が始まり、21時51分から23時08分ごろまで皆既月食になる。ピークは22時29分で、赤銅色の月が見られる。
 先日から廣瀬匠著『天文の世界史』を読んでいる。

 2000年以上前のインドでは、太陽と月はほとんど同じ大きさで地上から同じ距離だけ離れているという説があり、仏教にも取り入れられて中国や日本にも普及したらしい。

 一方、古代ギリシャのアリスタルコス(前310頃~前230年頃)は、月の満ち欠けは太陽の光の反射による、ところで完全な半月のときの月と太陽の角度は90度よりも少し小さい、(数字の誤差は小さくないが)よって太陽は月の20倍大きい、地球は月の約3倍だという地動説を説いていたらしい。驚きだ。
 後のキリスト教原理主義というか教条主義には気が塞ぐ。

 さて、日食は太陽と月が重なって見える場所にいなければ発生しないが、月食は場所に関係なく世界中で同時に起こる。ということは時差や経度差、緯度差を計算できる。
 アラビアのアッパース朝七代目カリフのマームーン(786~833)は、首都バグダードと聖地メッカで月食を観測させ、メッカの正確な方角を知らしめたという。昔から偉い人は偉かったと感心する。

 天文というと、古代ギリシャやアラブ、インド、中国、マヤであれほど星や星座に纏わる物語があるにも拘らず、日本の古代にはほとんど星が登場しないのは不思議だといわれている。
 それは星を死者の魂と考え、故にあえて見上げないようにしたという推測がある。
 そんなことは忘れて、竹取物語の後裔は今夜は夜空を見上げたい。

 林完次著『宙の名前』には、月食や日食は、人間に代わって月や太陽が病んでくれるとか、罪悪を背負って龍に呑まれるという説が紹介されている。
 静岡や神奈川のある地域では、月食を拝むと病気にならないとか、タライに水を汲んで月食を拝むと病気が治るといわれているとあった。

     北風にただ歩きたし日脚伸ぶ

2018年1月30日火曜日

亀は万年

桜島の噴火
   「浮世根問(うきよねどい)」といぅ上方古典のお噺で一席お付き合いいただきたいと思いますが。

 世の中生きていくうえで、全てのことを知っていなければならないかというと、当然そんなことはありません。というよりもむしろ、ほとんどのことを知らないで生きているのが世の中というものです。

 それなのに突然、知らないことを知らないと知って慌てる気持ちが起こるのはどうしてなんでしょう。知らないということを知らないままで過ごしているうちは安泰なのに、知らないということを知ってしまうと心落ち着かなくなる。中途半端に知的好奇心など起こすと不安定になります。 

 不安定になった心のままでは気色が悪いので、何とか自分なりの安定を取り戻そうとちょっとは調べものらしき行動に出ます。最近はインターネットのお陰で手軽に情報を得られるようになりましたが、それでも面倒な迷路に入り込んだときには安直に人に尋ねて、小さな納得の器を満たすわけです。  

 ●ほぉ~ッ、何でもいわれがおまんねやなぁ……。ほな鶴はどぉいぅわけで?
 ■(甚兵衛はん)「鶴は千年の齢(よわい)を保つ」と、こぉ言ぅなぁ
 ●亀わ?
 ■「万年の劫(こぉ)を積む」と言ぅやろ
 ●あのねぇ、亀が万年生きる言ぃまっけど、あらウソだっせ
 ■そんなことあれへんがな、そないしたぁる。 
 ●絶対ウソや。わてこないだ夜店で亀の子買ぉて帰りましたんや、明くる日見たら、これ死んでましたで
 ■あぁ気の毒なことしたなぁ、ちょ~どその日が万年目
 ●そんなアホな、ホンマでっかいな。

 ・・・この落語を引いて巨大噴火は予知不可能、「明日がその日」でもおかしくないとは、火山噴火予知連絡会前会長藤井敏嗣氏(東大名誉教授)の見解。
 そして「原子力発電所の火山影響評価ガイド」をしっかり読めば広島高裁の伊方原発差し止め判決となるのが当然だと。
 ガイドは「原発から160キロ以内に火山がある場合、火砕流などが及ぶ可能性が”十分小さい”と判断できなければ、原発立地に適さない」としている。

 電力会社には、噴火の可能性が「十分小さい」とは、本白根山の噴火を予測してから言ってもらいたい。
 この話、詳しくは1月28日付け赤旗日曜版に載っている。
 えっ!取ってない。それなら直ぐに申し込まれることをお勧めしたい。電力会社等からの広告(料)を一切断っているからこそ真実に斬り込めている。こういう「単純な仕組み」にこそ真実が宿っている。

 閑話休題  29日の朝日歌壇に古代史の老大家直木孝次郎先生のご妻女の歌が掲載されていた。
 永田和宏選 召人(めしうど)と呼ばれし日もあり今はただ白寿ととなえる翁となりぬ
(奈良市)直木恵美子
 馬場あき子選 年明けの休暇終れば発掘にそそくさと行く姪は古墳へ (奈良市)直木恵美子

2018年1月29日月曜日

ルリビタキ

   昨日(1月18日)の新聞に、ルリビタキのスナップが掲載された。
 欲を言えばカラー版の日に掲載してほしかった。
 姿も可愛いが、やはり鮮やかな瑠璃色を見てほしかった。

 朝一番に友人のOさんからメールがあった。「気づくのが偉い」旨褒めてくれていた。
 確かにスズメより小さな小鳥だし、薮の中をヒューっと飛んでいるときには瑠璃色もほとんど目立たない。
 また、撮影日の13日以降横の道を何回も通っているが、出くわしてはいない。

   ということで左にカラーで掲載する。
 「今日は来るかもしれない」と林の中で息をひそめて待っていてようやく撮れたものだ。
 「写真の女神」はダンドリと偶然が重なったときにだけ微笑んでくれる。

   おまけの写真(右)は「樹の中で何か動いている!」という偶然で撮れたもの。
 アオジかビンズイかマヒワかわからない。
 普通にはこんな程度の写真ばかりだ。

      温暖化信じながらもこの寒さ

2018年1月28日日曜日

コオロギ粉

   昔、エビやカニを絶対に食べない先輩がいた。
 「どうしてですか?」と聴くと、「エビを見てみ。あれは水の中にいる虫そのものやないか」「そのエビのシッポを腹の方に折り曲げたのがカニや」というので、結論は別にしてその観察力に感心したことがある。

 その言葉の記憶がズーッと残っていたので、テレビで何かの昆虫食が話題になったとき「味はエビみたいや」というタレントのコメントにモーレツな説得力を感じた。

 26日の朝日新聞に「コオロギの食材化を目指す」徳島大三戸准教授の囲み記事があった。
 昆虫食は国連が人口増による食糧危機の解決策として提言しているし、食料自給率が極端に低い日本の食料安全保障の救世主になるかも知れないという話は愉快だ。
 ベンチャーを起業し、今夏にも粉末やその粉末を使った加工食品を販売したいという。

 「タコ焼きください」「トッピングの粉末は何にします」「今日はこの後カラオケに行くから鈴虫にしてくれる」というシーンが想像できて楽しい。

     冬晴や北を見やれば厚い雲

2018年1月27日土曜日

口を噤(つぐ)む

   フェースブックが時々「1年前に貴方が投稿した記事」をアップしてくれる。
 今回それがあったのが、2017125日の『口を噤(つぐ)む』という記事である。
 その記事を読んで、我ながら良いタイミングで良い記事を書いたと納得したので、恥かしながら要旨を再録する。

   鶫(ツグミ)の名前の由来については次のような説がある。
 ・・・冬鳥であるツグミは当然のことだが夏が近づくと日本列島からいなくなる。そのことをよく知らなかった先人は鳴き声が聞こえなくなった理由を、「この鳥はきっと夏には口を噤(つぐ)むんだ」と解したので「鶫(ツグミ)」と名付けたという。ツグミには迷惑な誤解であった。


   さて、通常国会が始まったが安倍首相が虚構の絶対多数の内に!と、憲法改正を本気で強行する意思を明らかにしたことは重大だ。
 「どこを変えるかは議論してほしい」「とにかく改正することだ」という暴言をシャーシャーと公言している。
 これも「ポスト真実」のひとつである。なぜなら自民党総裁である安倍首相の腹案が「自民党憲法改正草案」であることは疑いがない。

 だから、ほんの一例をピックアップするだけでも・・・、
 国民は、気概をもって国を守ること(前文)
 自由と権利は、公益と秩序の範囲内でのみ認める(12条、13条)
 公益に反する表現活動は認めない(21条)
 総理大臣は、必要と思ったときに「緊急事態宣言」を発して、国会で審議せずに国民の権利と自由を制限できる(98条、99条)
 日本の国民は、新しい憲法に従うこと(102条)・・・・等々。

 そして本命が、第2章「戦争の放棄」を「安全保障」と変え、92項を削除し国防軍の新設にあることも疑問の余地がない。
 
 2017年、憲法改悪反対の声を上げないと、為政者は「反対の声は少ない」とシャーシャーというに違いない。
 ツグミが命名で味わった屈辱を日本国民が味わうようなことがあってはならない。(再録おわり)

 2018年、ほんとうに正念場になってきた。
 安倍首相がマスコミ幹部や少なからぬ芸能人を頻繁に酒席に呼んだことは有名だ。
 国民投票は公選法の適用がなく、マスコミを(金を)使い放題という仕組みにされている。
 北の脅威とミサイル訓練、天皇代替わり、そしてオリンピック、大手広告代理店とマスコミのシャワー・・・首相は本気だし勝算ありと考えている。布石は着々と打たれている。
 口を噤んでいたら取り返しのつかないことになる。

 安倍首相は、施政方針演説や代表質問答弁で「憲法改正の必要性や内容、時期は国会や国民的議論の深まりの中で決まっていくものと考えている」と、まるで他人事のように木で鼻をくくったようなことを言い、それを受けてマスコミは「改憲にはあっさりと触れただけ」と「安心ムード」を振りまいている。
 しかし安倍総裁は22日の自民党両院議員総会で「いよいよ実現する時を迎えている」と宣言して国会に向かったのだ。
 どちらが本音かは一目瞭然だ。
 麻生副総理が「憲法改正はナチスに学んで〔知らない間に〕実施するのがいい」と言った本音がほんとうに進んでいる。

     カマツカの朱い実は果て冬極む 

2018年1月26日金曜日

佛造って

   1月25日付け朝日新聞朝刊の記事、3段抜きの見出しは「全労基署に特別チーム」「違法な長時間労働 監督強化へ」は、政府が働き方改革関連法案の成立を目指して長時間労働是正策の実効性を高めるために、この4月以降こうしたいとしている記事であった。

 少し古い話で恐縮だが、社会中が公害問題で沸騰していたとき、全労基署の安全衛生担当者が「公害問題担当」に任命されたことを私は思い出した。
 人員が一切増えず、既存の業務の切捨てもない状況で、正直な感想を言えば、外向けの誇大広告以外の何ものでもなかったと感じている。
 
 言いたいことは、欧米に比べて話にならぬほど少ない人員で、災害調査等受け身の仕事はもちろん、人の命に係わる監督・指導も手が回らい状況(新名神の相次ぐ災害を想起されたい)下で、結局は今回も違法な誇大広告みたいなものにならないかと心配する。

 全労働大阪基準支部のツイッターの論を借りれば、野球で守るのに8人しか選手がいないのに、「今般うちのセカンドにはショートも担当させることに決めた」から大丈夫だ、あるいは「ショート担当セカンドに任命したからより充実させた」と語っているようなものである。

 「佛造って魂入れず」という格言があるが、過労死や過労自殺をなくすためには、それに必要な公務員(労働基準監督官等)は絶対に必要なのである。
 与党政治家が己が悪政の責任を公務員に押し付ける「小さな政府」論は不正義な論である。

 民だ公だという分断政策に乗せられて、足を引っ張り合いながらみんな一緒に貧しくなろう!と言っていてよいだろうか。
 犍陀多(かんだた)ではないけれど、労働者は団結しなければ地獄に落ちる。

2018年1月25日木曜日

内蔵助氷河

   富山県立山カルデラ砂防博物館などによる調査団が、今般新たに国内の3箇所の雪渓が実は氷河であると発表し、その結果日本には計6か所の氷河が確認されたと新聞に載っていた。そのひとつが内蔵助氷河である。内蔵助の読み(ふりがな)は大石内蔵助で有名なように「くらのすけ」である。

 娘がほんとうに小さかった頃、ファミリーで立山登山をし内蔵助小屋に泊ったが、その小屋のすぐ横にあった雪渓がそれである。
 余談ながら、当時はワープロソフトで「くらのすけ」と入力しても「内蔵助」と出ず、「くらのすけ」と読めない若者もいると小屋のオヤジが嘆いていた。今は普通に「内蔵助」と出る。

 写真のとおり、素人目に見てもカールであり、過去に氷河が削った谷であることは一目瞭然だが、今回解ったことは、この雪渓の下に日本最古である1500年~1700年前からの厚さ30mを超える氷の河が今もあり、それが年間4.14cm動いている(流れている)という。
 「それがどうした」と言われると辛いが、こういうタイムスパンの話は気分が雄大にならないか。畏怖の念が湧かないか。

 同時にここは、わがファミリー登山の約2か月後に、10名のパーティー中8名が低体温症で遭難死亡したところである。(我がファミリー登山は7月下旬で、遭難事故は10月初めだったと思う)
 天候が回復した翌日には内蔵助小屋のほんの目と鼻の先で何人かが死亡していたという。
 霧(雲の中)の場合、ほんとうに数メートル先が全く見えなくなるから、あと数メートルの希望を信じていたら助かっていなかったかと思ってみたりした。
 私自身霧の中で心細くなったとき、一瞬の風により目の前に山小屋が現れた経験がある。

 家族の登山と大遭難のニュースで記憶に残る立山内蔵助小屋の周辺だ。
 立山は、室堂までバスで行けるという「お手軽」コースに見えるが、そこは1700年の歴史を秘めた氷河を抱く大自然の地でもある。
 内蔵助氷河を見たい方は、安全計画でアタックしてもらいたい。

 本白根山の鏡池付近の前回の噴火は約3000年前だという。
 なので、噴火予知どころか噴火速報も出せなかった。
 日本人は「自然を制御できる」などとユメユメ思わない方が良い。
 自然に対してもっと謙虚であるべきだ。

     火の島に原発並べ花見酒

2018年1月23日火曜日

軍事ジャーナリストのリアリズム

 12月の読売新聞の世論調査では「米国が北朝鮮に対して軍事力を行使すること」について「支持する」が47%もあったといわれている。
 きっと「北朝鮮の核開発やミサイル実験は目に余るから米国が懲らしめてくれるなら気分がいい」との感情によるところが大きいだろう。
 同時にそれは、「中東やアフリカ大陸であったこれまでの紛争のように、日本列島から離れた地で起こることだろう」し、「72年間戦場にならなかった日本列島で戦争が起こることはないだろう」という気分を大前提にしていると思われる。
 さらに言えば「北朝鮮軍は米軍の前に簡単に制圧され、核もミサイルも一気に潰せる」と信じた上のことだろう。しかしほんとうにそうだろうか。

 軍事ジャーナリスト田岡俊次氏はそれらの想像を「無知」「無関心」によるものだと断定し、朝鮮戦争再開後の最終的な北朝鮮の滅亡は必至だが、滅亡以前に「自暴自棄の状態」で「死なばもろとも」になった報復攻撃のリアルな想定を次のように語っている。

 北朝鮮の弾道ミサイルの多くは中国との国境に近い山岳地の谷間に掘られた無数のトンネルに、移動式発射機に載せて隠されている。
 偵察衛星が北朝鮮の上空を通るのは1日に1分程度、米国の光学衛星は5機、夜間レーダー付き衛星が6機、日本がそれぞれ2機で計15機だが、これでは発射準備をし始めた目標を発見できない。
 偵察機では撃墜される公算が大きい。
 「瞬時の対応」のこれが現実だ。

 次に日本の迎撃システムは、4隻のイージス艦に各8発の迎撃用ミサイルを搭載だから、全弾命中でも8目標(8個のミサイル)にしか対処できない。
 北朝鮮は中距離ミサイルだけでも200ないし300発、核弾頭も30発はあると思われる。
 イージス艦が撃ち洩らしたミサイルは短射程のパトリオットPAC3で迎撃することになっているが、PAC3は4発装着し1度に2発発射するから、1地点2輌で4目標にしか対処できない。

 6年後の2023年に2機2000億円のイージス・アショアを発注し、1発37億円のSM3ブロック2Aをイージス艦8隻に搭載しても弾の数は1隻に8発である。
 結論的には、北朝鮮のミサイルを瞬時に全滅させることはできず、報復的に発射されたミサイルに対して装備されている日本の迎撃システムは、いわば「儀仗隊」に類するものだ。(実戦とは程遠い儀仗兵)

 北朝鮮が昨年9月に実験した水爆は広島型の10.7倍、ウィークデーの昼間に国会議事堂に落されたとすると400万人以上の死傷者が出るだろう。(要旨引用おわり)

 米国では「ICBM(大陸間弾道ミサイル)の完成前に予防攻撃すべし」との論が小さくない。
 タカ派のリンゼー・グラム上院議員がNBCテレビで語ったところでは、トランプは「それをやれば大勢の人が死ぬけど」といい、「ただし、それはあっちの方、こっちじゃないけどね」と付け加えたという。

 12月1日にこのブログに紹介したが、ペリー元米国防長官は「朝鮮半島での戦争は日本にも波及し、その被害は第二次世界大戦の犠牲者に匹敵する」「これを何故日本の人々が理解できないのか、私には理解できない」と語っている。

 北朝鮮の核開発もミサイル実験も許しがたいと考えるのは正しい。
 同時に、以上述べたようなリアルをしっかり確認したうえで議論する必要がある。
 田岡俊次氏は「平和ボケのタカ派」ほど始末が悪いと指摘している。

     懲らしめてふ解説者の言軽し

2018年1月22日月曜日

お笑い召さるな

   ピンクの模造紙で裃(かみしも)を作った。
 全くの見よう見まねで形を決めた。
 要所要所は二重にするなどして強度を高めた。
 4着作ったのだが、結構苦労した。
 と思うと保育士さんや小児科の看護師さんらのこれらの技量には頭が下がる。

 これは豆撒きの準備である。
 友人のお寺の手伝いではあるが、よい意味で遊びでもある。
 真面目に思い切り遊ぶのも良いと思っている。

 ゲーム機とテーマパークとスポーツクラブでしか遊べない現代っ子は可哀相だと思うが、その子たちから見ると、手作りの節分行事を嬉々として準備している年寄りは可哀相に見えるだろうか。

子ども用に撒く豆袋
   軽薄な時代の風潮に抗って伝統行事を再興しようという壮大な?実験だが、少子化のためにお寺周辺でも子どもの声がしない。
 それで見事にスベるなら思いっきりスベッてみよう。
 それにしても、この紙の裃、節分前に百均に置いたらけっこう売れませんかねえ。

 老人ホームの100歳の先輩の口癖は「ここはよろしおますわ」「幼稚園みたいですわ」である。
 私も低学年の工作を楽しみながら先輩に続こうと思う。

  ダンドリはせっかちがいいと工作す寒波になれば指が動かぬ  

2018年1月21日日曜日

深読み日本文学

   1月21日付け赤旗日曜版に『深読み日本文学』を出した島田雅彦氏のインタビュー記事が大きく出ていた。
 この本のことは12月29日の『おしり探偵・・』の記事の最終章で触れた。

 インタビュー記事の要約をここに記しても面白くないので、私が付箋を貼った中から1か所だけ紹介する。
 戦後文学や坂口安吾に触れた章でこういう件(くだり)がある

 勝算のない作戦に国民を駆り立て、「滅私奉公」を強要し、自らは私腹を肥やすことに熱心だった軍の指導部は戦後に腹を切るどころか、白(しら)を切り通しました。自称愛国者たちを信用するほど危険なことはありません。人をむやみに売国奴呼ばわりする連中は、おのが本質を隠すために「愛国」を利用していたに過ぎないのです。
 ・・・安吾が「堕落論」を通して行ったアジテーションは70年後の現在もなお有効です。(引用おわり)

 集英社インターナショナル新書760円+税は一読の価値があると思う。
 内容は刺激的で面白い。
 赤旗日曜版のインタビュー記事、わが意を得たりという気分で詠んだ。

     文学知らぬ七十年恥ず

2018年1月20日土曜日

玄冬小説

 芥川賞を受賞した若竹千佐子さん『おらおらでひとりいぐも』は既にある青春小説というカテゴリーに対して『玄冬小説』と呼ばれている。
 青春、朱夏、白秋、玄冬は陰陽五行説による四季のことだが、『玄冬小説』はそれを人生に例えた新語というべきで、時代は『玄冬小説』の興隆を予感させている。
 単純な青春小説なんぞではなく、酸いも甘いも噛分けた人生小説こそ大人の小説かもしれない。
 ただ私は、なんとなくその風潮には乗りたくないなという、漠とした拒絶反応を覚えている。

    親の介護をしていると、人は子どもに帰っていく。それでいいのだと思う。
 複雑に入り組んだ『玄冬小説』に共鳴して評論するより、単純な正義感に共鳴して素直に元気を出そうと思う方がいい。
 それを「退行現象」と嘲笑われてもかまわない。

 と偉そうなことを言ってみたが、この文は、私が岩波ジュニア新書を好きなことをただ言い訳しているだけかもしれない。(文庫でなく新書なので基本的には小説ではないが)
 書店の棚に手を伸ばすのに少し恥ずかしい気持ちがないわけではないが、これまでもこれ(岩波ジュニア新書)を何冊も買った。
 そして、今回購入して読み終えたのが千葉聡著『短歌は最強アイテム』だ。
 裏表紙の宣伝文句を拾ってみる。
 「ちばさと」の愛称で親しまれる国語科の熱血教師で、歌人でもある著者が、短歌を通じて学校生活の様子や揺れ動く生徒たちの心模様を描く青春短歌エッセイ・・・・とある。

 きっと退行現象なのだろうが、読んでいて楽しかった。出来過ぎでは!などと斜に構えて読むのはよした。
 「大人たちは頭が固いので、事実をありのままに見ることができない」とはサン・テグジュペリのことばだったなあ。
 俵万智著『チョコレート語訳 みだれ髪』を書架から引っ張り出した。

  歌をかぞへその子この子にならふなのまだ寸ならぬ白百合の芽よ
                    与謝野晶子
  白百合の芽を持つ若き人たちよ振り回されず我が歌を詠め
                    俵万智チョコレート語訳

2018年1月19日金曜日

核抑止力論

   1月16日、訪日したICANフィン事務局長らと10党・会派との討論集会が実施されたのを新聞で読んだ。

 フィン事務局長や共産党志位委員長の発言から私が「なるほど」と思ったことの第一は、
 核抑止力論とは、結局はいざというときには核兵器の使用をためらわない。そういう脅しによって安全保障をはかろうという考え方だということで、「いや、それは脅しであって我々は使う気はない」というとその論は成り立たないから、やはり「場合によっては核兵器も許される」という論だということだ。
 小型核兵器か大型かは知らないが、「広島・長崎の惨禍が繰り返されてもしようがない」という論だ。安倍政権、ほんとうにそれでよいのかと私は思う。

 第二には、もしほんとうに核抑止力論が有効ならば、これまでアメリカの核の力が絶対だった時代を経て地球上には既に平和が訪れていたはずで、ところが実際には北朝鮮の核開発は進み、世界中で核拡散も広がり、地域紛争も核の力では全く収拾はされなかった。
 世の中には訳知り顔で、非核の理論を非現実的だという人々がいるが、澄んだ眼で歴史を見れば、核抑止力論では平和を達成できなかったとみるのが一番リアルな歴史の評価ではないか。

 第三には、安倍政権が「核保有国と非保有国の橋渡しをする」というなら、面会を申し入れていたICANと面会して意見交換するのが何よりも第一歩ではないか。
 大手メディアの幹部やお追従する芸能人とは酒食をするが、沖縄県知事やICAN(その運動には日本の被爆者が大いに加わっている)とは面会を拒否するとはなんということだろう。口先番長という言葉は安倍政権こそ似つかわしい。
 「橋渡しをする」の言葉は寒々しい。それでもその言葉を信じよというのか。

 第四に、トランプのテーブル上にあるという金正恩斬首作戦を含む「あらゆる可能性」ということは、太平洋戦争時の日本の空襲と同じく、北の一般市民が大量に死亡するということだし、韓国も日本も瞬時の報復で太平洋戦争規模の一般市民が死亡するということだ。これは米軍自身がそう述べている。
 その結論を聴いたトランプは「それは海の向こうのことだ」と言い捨てたという。
 「あらゆる可能性」論者に私は言いたい。あなた方ほど平和ボケした人間を私は知らない。

 最後に、安倍政権は「対話のための対話はしない」といい、北朝鮮が「核は廃棄します」「ミサイルも飛ばしません」「拉致被害者は直ぐに帰します」と頭を下げない限り対話はしない。「対話のための対話は北を利するだけだ」というのだが、文韓国大統領は既に対話に踏み切り、トランプ米大統領は「多くの良い対話が行われている。多くの良いエネルギーを感じている」と評価している。(トランプの支離滅裂は置くとして)
 安倍首相も男なら(ここは少々差別的文言だが)トランプに抗議すべきだろう。(これは嫌味でいっているだけであるハハハハ)
 言いたいことは、安倍政権は右翼であるだけでなく、現実世界を理解できていないただのヤンキーだということだ。
 チキンレースが流行った(理由なき反抗)のは1955年頃である。未だに信奉者のいる国の貧しさよ。

     戦後すぐ愚かとされし映画あり今も信ずる為政者愚か
     理由なき反抗という映画があった。ジェームス・ディーン。

2018年1月18日木曜日

旧友再会

   去年の夏に『堺平和のための戦争展』に行った折り、加藤義明さんの切絵作品の展示会場に知った名前の油絵が展示されていた。
 もう50年以上逢っていない同窓生の名であった。
 なので年賀状に「もしかしたら貴方では?」と書いたところ、写真の葉書が送られてきた。
 加藤義明さんらとともに「堺の文化をそだてる市民の会」で活動していたという。

 お互い「ええ歳」になっているわけだが、いっぺんに50年以上前の記憶が蘇ってきた。
 年賀状だけの仲間は昔のままでいるのがいい。 
 再会と書いたが、年賀状で再会しただけのことである。
 50年以上年賀状だけのやりとりなど「虚礼だ」と言われるかもしれないが、それでもいいではないかと思っている。

     もしやこの名は展覧会の絵を眺む

2018年1月17日水曜日

魯迅の言葉

   先日フェースブックを覗いていたら吉田 隆寛さんという人のつぶやきが目についた。
 内容からして(年齢が)どういう先輩かと思ったら、プロフィールでは民青の千葉県委員長だった。
 人間は年齢ではない。若くてもしっかりした人がいるものだ。以下に抜粋して引用する。

 市民と野党の共闘、あるいは発達した資本主義社会での社会主義革命・・まだだれも歩き通したこともない道へ突き進む自らの決意と、仲間の意欲を引き出すためにはどうしたらいいか。そんなことをぼんやりと考えていたら、中学校の授業で習った中国作家・魯迅の言葉をふと思い出した。

 「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえぬ。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(「故郷」より)

 実践のないままに現実をああだこうだ言って客観視しているつもりでも、それはどんな意見であったとしても「個人の見解」という主観、観念からは逃れられない。
 失敗や挫折も恐れず現実に立ち向かおうとし続けようとするものにこそ、真の希望は訪れるのだと思う。

 阿Q正伝・狂人日記他12篇(岩波文庫)冒頭にある「自序」の魯迅と友人の金心異とのやりとりが、心を揺さぶった。

(魯迅)《かりにだね、鉄の部屋があるとするよ。窓はひとつもないし、こわすことも絶対にできんのだ。なかには熟睡している人間がおおぜいいる。まもなく窒息死してしまうだろう。だが昏睡状態で死へ移行するのだから、死の悲哀は感じないんだ。いま、大声を出して、まだ多少意識のある数人を起こしたとすると、この不幸な少数のものに、どうせ助かりっこない臨終の苦しみを与えることになるが、それでも気の毒と思わんかね》

(金心異)《しかし、数人が起きたとすれば、その鉄の部屋をこわす希望が、絶対にないとは言えんじゃないか》(抜粋引用おわり)

 年寄仲間が集まると「実践のないままに現実をああだこうだ」と語ることが多くなる。
 「失敗や挫折も恐れず現実に立ち向かおうとし続けようとするものにこそ、真の希望は訪れる」はいい意見だ。
 忘れかけていた気持ちを再確認するために、彼の読んだ文庫本を書架の奥から引っ張り出した。

     魯迅読み意見述べし青年あり 

2018年1月16日火曜日

明日は1.17

 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という言葉もあるが、平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災から明日で23年が経つ。平成23年(2011)3月11日の東日本大震災からも7年だ。

 阪神淡路大震災のあと近くの大学で地震学者の講義を受けたが、オーストラリアの学者からは「何でそんなところ(日本列島)に住んでいるの?」と先生が尋ねられて困ったという話が印象に残っている。

 右の2つの地図はアメリカ地質調査所のデータで、上が「世界の震源分布(2004.1.1~2015.6.24震源の深さ100㎞以下M5以上)』で、下が『100㎞以上』である。
 オーストラリアの学者が日本列島を「人間の住むところではない」と考えたのも肯ける。
(図の上でクリックすると拡大されて見やすくなるはずだ)






 ミュンヘンの再保険会社の「世界都市圏自然災害リスク(指数)」のワースト4は、次のとおりとなっている。

     自然災害リスク指数
1   東京・横浜            710.0
2   サンフランシスコ    167.0
3   ロサンゼルス         100.0
4   大阪・神戸・京都       92.0
 「首都圏に比べれば」などと笑っていられない。京阪神は世界のワースト4である。

 その根拠である「東南海地震」だが、M8クラスの地震が30年以内に来る確率は70%、50年以内は90%で、この確率は30年以内とか50年以内に掛かっているから、明日を含む遠くない将来には「必ず来る」という。
 名古屋大学減災連携研究センターによると、阪神と東日本を合せたようなM9.1もありうるらしい。
 津波のことを考えると、私は20代半ばまで堺の海側に住んでいたから、この間によくなかったものである。

5時46分52秒阪神西宮
   1.17から23年のこんな機会にこういう風なことを考えめぐらせることも無意味ではないだろう。
 人の命ほど重いものはない。
 素直に考えて、国は国力(予算)をそういうところに手当てすべきでないか。
 ミサイルや戦闘機購入に莫大な予算を使い、トランプの娘に金をやり、首相のお友達にはこれも莫大な予算を無駄遣いする。
 大阪では、埋め立て地でカジノだ万博だ。
 狂っていないか。
 喉元を過ぎたからといって、忘れ去って良いことではない。

     駅前の時計は今も5:47

 ▢ 18日追記  ひげ親父さんのブログhttp://usukuchimonndou.blogspot.jp/2018/01/blog-post_83.htmlに「東遊園地に行ってきた」「伝えることの重要性を再認識」とあった。
 23年ということは、今の大学生以下の青年はナマには知らないということになる。
 なので阪神電車の写真を追加した。
 この自然のエネルギーを直視すれば、この列島に原発を造ることが如何に愚かなことかと私は思う。
 1.17を知っている読者は、私のブログやひげ親父さんのブログのコメント欄ででも、ほんの一言でもいいから語り伝えてほしい。

2018年1月15日月曜日

鬼は外

   1月早々に友人のお寺の節分会の実行委員会をし、私は豆撒きの担当になった。
 その議論の中では、”どう唱えて豆を撒くか”が話題になった。

 となると、そもそも「鬼とは何か!」が問題だが、広辞苑や日本語漢字辞典を摘むと、普通にいう怪物の外に、異形の者や特に秀でている者というのもあって少しややこしい。

 市原悦子著『やまんば』という楽しい本があるが、その中で市原さんは、日本昔話に関わって「山姥っていうのは、世の中から見捨てられた人だとか、口減らしで抹殺された人とか、流刑されて山に放り捨てられた罪人とか、そういういろんな人が生き延びている姿だと思うの。だから差別された弱い者なんですよね」と言っている。慧眼ではないだろうか。山姥を鬼と読み替えればいいように私は思う。
 余談ながら、確かテレビの生番組では市原さんが「不具の人も」と発言したので、言葉狩りのように司会者が謝っていた記憶がある。

 それはさておき、市原さんの言うとおり、村人は善人、山姥は悪人というのが正しいのだろうかという問題がある。
 12月30日のブログ記事に書いたことだが、12月28日の朝日新聞『天声人語』に要旨次のような話が綴られていた。
 ▼福沢諭吉は幼い子どもたちにこう教えた。「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや」
 ▼退治される鬼に、もしも子どもがいたらどうだろう。
 ▼相手の側に立ってみれば、見える風景ががらりと変わる。ものごとの複雑さも分かる。
 ▼自分にとっては正義でも、別の人からすれば理不尽な振るまいかもしれない。忘れてはいけない視点であろう。歴史や国際関係を考えるときも。(引用おわり)
 
 また『過剰反応社会』について11月26日に書いたが、現代社会の深い病に「他人に対して不寛容」「相手の視点に対する想像力の欠如」があり、安倍内閣はそれを煽っていて、その結果起こっているのがヘイトスピーチであったりしないか。
 多数派や権力者になびかない者を鬼にして正義を論じていないだろうか。

 そういう思いから私は、このお寺に鬼子母神が奉られていること、鬼子母神は鬼であったが改心して仏の弟子になったこと、そして時代は善人と鬼とを単純に区分けするのでなく、鬼子母神の説話からも「話せばわかる」という教訓を導く必要が大切になっているという主旨で、豆撒きでは「福は内、鬼も内」と唱えたいと提案したが、私の話は難しすぎるとして却下された(笑)。(本論おわり)

 お寺が地域に愛されるためには未来ある子どもたちに親しまれる必要がある。
 なので昨日、正規の?豆袋の外に子どもの喜びそうなボールを準備した。(一番上の写真)
 小さな鬼のシールとお寺の名前を貼り付けた。
 子どもたちは何人来てくれるだろうか。
 結果はスベッテしまうかもしれないが、こんなことをあれこれダンドリするのは楽しい。
 焚きつけも火吹竹も用意した。あとはコンロ担当にお任せするのみ。

     もゝたろふけしからないかと諭吉翁

2018年1月14日日曜日

ルリビタキ 撮影成功

   1月10日のスズメの記事のコメントで「ルリビタキ(瑠璃鶲)を見た」と書いた以上、早々に証拠写真がいるだろうと思って昨日(大寒)の朝方家を出た。
 場所はそんなに遠くないが、相手は野鳥なので上手くいてくれるかどうかは分からない。
 案の定、その場所はひっそりしていた。そんなものである。

 なので、経験上知っていた”ルリビタキが飛んできそうなポイント”から少し離れた林の中て、ただただ息をひそめて枯れ木に擬態して待った。
 約30分、今日は駄目だったかと思ったそのとき、私を憐れんでくれたように飛んできてくれたのが掲載した写真。夢中になって彼女?(♂)を追った。

   ところがそのとき、予想もしなかったことにおばさんがバサバサバサと林の中を歩いてやってきた。
 「すみませんが道路を通ってテニスコートに行ってくれませんか」と頼んで停まってもらったが、そんなやりとりの内にルリビタキはサッと飛んでいってしまった。
 はい、そこまで。
 私の尋常でない撮影風景に「これはナニカ大変なことをしているな」という想像力が働かないのか、ああ平均的日本人・・・ぶつぶつぶつ。

 帰ってから念のため、日本野鳥の会編『フィールドガイド日本の野鳥』を開けて見ると、ヒタキ科ヒタキ類のところになく、小型ツグミ類のところに載っていた。この辺の理屈はあまり知らない。
 私の中では『幸せの青い鳥科』でいい。

     大寒の朝の光や瑠璃鶲

2018年1月13日土曜日

タマフリ考

   11日に、義母が十日戎の福笹に付いた鈴を喜んだと書いたが、そのとき私は「あっ、この鈴はタマフリだ」とビビッと感じた。

 上田正昭著『日本人”魂”(タマ)の起源』は「鎮魂の原点はタマシズメではなくタマフリだった」と書き、古代の人は魂の復活、継承を大事にしたとしている。
 それが専らタマシズメになったわけについて著者は、「その後、悪政にしいたげられた民衆のタマを畏怖する為政者たちは、タマの再燃を避けようとし、あやまれる鎮魂で怨念から解放されたかの錯覚を育てた」からだと指摘し、今の戦後政治に関しても、「死者の痛恨をなおざりにする政治や宗教に、生者の救済を云々する資格はない」「哀悼の美辞麗句でことをすまし、寒々とした俗悪の肯定と居直りがむきだしになるばかりだ」と結んでいる。

 一般に古代史学者などは余程浮世離れした存在と思われているかもしれないが、戦前の皇国史観の批判から出発した古代史学者は、現代史についても的確な視覚を持っていたように思う。
 この文章などは、自虐史観などと攻撃している歴史修正主義者(代表・安倍晋三)に対する痛烈なお返しに思える。

 元に戻って鈴であるが、神社に関わる本などの中では「社前で鈴を鳴らして神さまに出てきていただくのだ」的な解説が多く、間違いとまでは言わないが、まるでそれでは「呼び鈴」ではないかと思える記述も多い。

 義母は福笹の鈴を何度も振ってその音色を喜んだが、そのとき鈴の音は義母の魂(タマ)を確実に奮い起こしていたと私は感じた。

 さて2月になると、八戸地方に春を告げる郷土芸能?『えんぶり』が行われる。
 『えんぶり』について折口信夫は『日本藝能史六講』で、『田を掻きならすには朳(えぶり)という道具を使うが、「えぶり」という語の意味は「揺り起す」ということだ』と解説して、「玉などもそうで、これを揺すぶると音が出て中の魂が出てくるということ」と、「えんぶり」に関わって述べている。
 なので、「えんぶり」は、冬の間眠っていた田の神を揺さぶり起し、田に魂を込める儀式、田におけるタマフリの芸(神事)である。
 
 タマフリをキーワードに何故「えべっさん」から「えんぶり」にまで話が跳んだかというと、八戸の版画家藤田健次さんから版画展の案内状が届いたからである。
 会場は当然八戸市である。盛況を祈るしかない。今の私には遠すぎる。

    畿内なる吾に案内状届く版画展の土地は陸奥(みちのく)

2018年1月12日金曜日

慰安婦合意新方針

   タイトルの問題について、11日の朝日新聞の見出しは「韓国大統領、矛盾を露呈」だが、私は素直に考えて現在の日本政府に比べれば文大統領の韓国政府は余程良識的だと感じている。
 正直にいうと、朴政権下でなった慰安婦問題日韓合意は文大統領にとっては屈辱的なものだと思う。なので私は文大統領が正式に「日韓合意は無効だ」と主張した場合「政府間合意」という事実にどう対応するのか?と注目していたが、文大統領の選択は一言でいえば「悪法もまた法である」であった。

 そうしておいて、日本側に「真実と正義という原則に立脚した解決を促す」と注文を付けたことを日本政府やマスコミが矛盾というなら、明治政府が幕末の各種不平等条約の改訂を求めた行動も矛盾であり信義違反であったというのだろうか。
 文大統領が「合意は認められないが再交渉の要求もしない」というのは、矛盾というか(言語としては矛盾しているだろうが)大人の対応だと私は感心した。
 
 なぜこんな事を書いたかといえば、安倍内閣が崩壊した後、彼らが犯した数々の不当な措置を是正していく場合、日本のリベラル勢力は同じ「矛盾」を粘り強く克服していかなければならないと思うからである。

 さて、従軍慰安婦問題に関わって問題になるのは歴史の真実は何かである。
 このことについて学習院女子大学武井彩佳准教授(ドイツ現代史)は同日の朝日新聞「私の視点」で要旨次のように指摘されている。

 何を(歴史)修正主義とみなすかの線引きは難しい。修正主義者が特定の史料を無視したり拡大解釈したりした時、指摘できるのは専門家だけで、普通の人には判断できないためだ。
 修正主義の危険性は、まさにここにある。一般的に確立した歴史理解に対し、あたかも議論に値する別の解釈が存在するかのように思わせることで、同じ土俵にはい上がることが修正主義者の狙いだ。
 ・・それでも声高な主張は、人の心に「火のない所に煙は立たぬ」と認識の揺らぎを呼び起こし・・悪意ある言説は増殖し、社会的な合意を切り崩してゆく。
 ・・危惧すべきは、日本社会にじわじわと広がる、こうした「体験としての修正主義」だ。(要旨引用おわり)

 公教育では現代史教育がタブー視され、若者はきちんとした歴史解釈に触れる機会が少ない。
 だとすれば、特に歴史の証人たる高齢者が、大いに語ることの重要性は言うまでもない。
 読者の皆さん、皆さんもブログを始めて思いを語ってみませんか。

2018年1月11日木曜日

おごそかな十日戎

   第11代将軍徳川家斉の頃である寛政年間に刊行された『摂津名所図会』という有名な本がある。
 その巻之三「今宮の十日戎」には「詣人後(うしろ)の羽目板を敵(たた)きて・・喧(かまびす)し」とあるので、十日戎の賑わいは昨日今日のことではなかった。

 私の知っている大阪周辺の十日戎の賑わいもよく似たもので、以前に詣でたことのある奈良では、十日でなく五日だったが、奈良町(元花街)の「南市の五日戎」は同様に賑やかだった。

 ただ同じ奈良でも、昨日私が詣でた春日大社の十日戎は少し様子が違った。
 まずお社だが、春日大社本殿の奥の方にあるから、周りは千年の大杉等の原生林で、その上に丁度みぞれが雪に変わったものだから、賑わいというよりもその環境だけでもおごそかで、私のイメージの十日戎とは少し違っていた。
 先ずは、春日大社の神職が祝詞や神楽をしっかり奉納するので、今宮戎のような歓楽街の催しに似た賑わいでは全くなく、文字どおりの神事であった。(私のイメージの十日戎は夏祭や秋祭的なお祭りに感じていたが・・・)

   なお今宮戎と同様だったのは、先ず参拝者に笹をくれて、その笹を持って吉兆をつけてもらう方式だったことで、賑やかさは比べるまでもないが、「商売繁盛で笹持ってこい」の基本形であることは嬉しかった。
 何故そんなことを言うかというと、西宮戎など少なくない十日戎での最初から吉兆をつけた笹を「売る」のでは「笹持ってこい」にならないので、「笹持ってこい」のこの方式は古式どおりだろう。

 余談ながら、まあ、春日大社のことであるからこんな季節でも多くの外国人旅行者がいて、本殿周辺でただこの笹を貰って喜んでいたのはご愛嬌として・・それもいいか。

 そして一番肝心の冒頭の「壁たたき」に戻ると、それはそういう習俗としても、あるいはお社の構造上も、全く存在しなかった。
 それは少し残念だったが、戎神社の総本社を称する西宮戎もそうなので仕方がないかもしれないし、神事という面から見れば「壁たたき」の方がいかにも大阪的な土俗の習俗かもしれないが、私としては「壁たたき」をしてのお参りをしたかった。

 帰ったら、老人ホームのインフルエンザによる面会禁止が解けたと連絡があったので、この笹を持ってホームに行った。
 義母は、鈴のきれいな音、なつかしい農業道具であった熊手などに反応して、何回も何回も「えべっさんか?」と喜んでくれた。
 吉兆のミニ熊手で「こくま掻き(松葉掻き)」のジェスチャーを繰り返して、私に熊手の説明をしてくれた。
 居合わせたスタッフも大いに喜んでくれたので、部屋の中で「商売繁盛で笹持ってこい」と声を張り上げて、同じ部屋の入所者に新年を寿いで帰ってきた。
 関西の新年はこれが無くては新年の気分にならない。

     えべっさんの熊手を母はいとおしみ

2018年1月10日水曜日

スズメに学ぶ

   人間社会に一番近い野鳥でありながら、(だからこそ?)人間を一番信用していないのがスズメだということは誰もが感覚的に知っている。
 一方、国松俊英氏や乾信一郎氏の著書によると、ロンドンやシアトルの公園では(正確には欧米のほとんどの都市公園では)スズメが人間の手から餌を啄ばむことが普通に見られるとある。
 その違いについて両氏とも、日本のスズメに対して欧米のはイエ(家)スズメで、そもそも微妙に違うのだと結論づけている。

 さて、冬は餌が少なくなるから、私が庭に餌をやると写真のとおり(日本の)スズメがやってくる。写真の数の4倍ぐらいのスズメが必死に餌を取り合う様は壮観でもある。
 それを窓の内から孫と眺めて楽しんでいる。
 しかし、冒頭の記述のとおり、ちょっとでもカーテンを揺らそうものなら一斉に飛び立ってしまいやはりスズメは可愛げがない。

 ところで、私は現職の頃は度々上京し、日比谷公園の松本楼で昼食をとることが多かった。
 その折、場所が空いておれば必ずといってよいほどオープンテラスに席をとった。
 その理由はスズメである。
 ここではライスを指先に乗せてテーブルの端に置けば、スーッとスズメがテーブルまで下りてくる。さらには私の指先の米粒もつついてくる。場合によってはお皿の中まで狙ってくる。

 なので私の感想は、日本のスズメと欧米のイエスズメに決定的な違いはなく、違いは積み上げられたスズメの学習効果でしかないというものだ。
 日本のスズメの警戒心は、稲作民族の徹底したスズメ対策の裏返しでしかないと思うのだが如何だろう。

 というスズメの行動を見て寓話的に外交問題などを想像するのは単純すぎるだろうが、やはり、「彼らは可愛くない」と決めつけて、悪口(圧力)だけで可愛い手乗り行動を期待するのはおかしくないだろうか。
 ものすごくレベルの低い話をしているようで結構本質を突いていないか。
 近頃流行りの言葉でいえば、リスペクトのないパワーゲームでは何も解決しないと思うのだが。

     番長はパシリ置き去り豹変し
     トランプは南北対話を評価。安倍君はなんとする。

2018年1月9日火曜日

新年宴会

   日曜日にファミリーの新年宴会をした。
 先日ひげ親父さんから戴いた『さいぼし』も評判がよかった。
 好き嫌いの多い夏ちゃんも自分で包んだお餅とチーズ入りの餃子には満足そうだった。楽しい宴会だった。

 私がステーキに付いていた牛の結構大きな脂身を食べようとすると息子が「健康のために止めとけ」と言って取り上げて食べてしまった。
 取り上げられてショックというのでなく、こんな風に体を心配される歳になったのかと愕然とした。
 私は犠牲的精神で食べようとしたのではなく大好きだから食べようとしたのだが・・・
 自分では全く高齢者などとは思ってはいないのだが、客観的には紛れもなくそうなんだろうと反省させられた。

 孫の二人が楽しく遊んでくれた。従妹同士になる。祖父母としてはこんなうれしいことはない。
 「めでたくもありめでたくもなし」という一休さんの狂歌が胸に染みる。
 「今年で年賀状は止めさせていただきます」という賀状も増えてきた。

  ステーキの牛脂を喰うなと息子らは歳なんだからと吾を諭しぬ

2018年1月7日日曜日

チンチン電車

   5日に天王寺前からチンチン電車(阪堺電車上町線)に乗って堺へ向かった。
 天王寺前から阿倍野までのあべの筋は、何十年か昔の道路拡幅後も、長い間旧態どおり東に寄って(昔の道路の中央線を)走っていた線路が、去年、中央に移設されたのはニュースで知っていたが、自分の目で見たのは初めてだった。
 
 この日私は直径約30㎝の鍋を3つ抱えていたので写真を撮るどころではなかった。だから掲載の写真はネットから借用した。
 架線のためのポールがセンターポールになっており、路床が芝生になっていたのでその美しさに驚いた。車両も新しいのが増えていた。

 BSプレミアムで「世界街歩き」の番組があるが、ヨーロッパ等で「都市格」の高い街では路面電車が似合っている。
 古い路面電車も新しいトラムもそれぞれよい。
 帰りは南海高野線で帰ってきたから、それに比べての所要時間の長さは分かっているが、何もかもも速度や効率で計算するのでないチンチン電車もまたいい。

 今はワンマン運転だが、私の若い頃はきちんと車掌さんがいた。
 法円坂で働いていた頃、お酒を飲んで天王寺前から乗って、車掌さんに「宿院で降ろして」と言ってベンチに寝て帰ったこともある。

 5日は、住吉大社への初詣がまだ続いていて、この日は赤字の心配などどこのことかというような満員だった。
 だからずーっと大きな鍋を膝に抱えて座っていた。
 ここの駅には彼がいたな、ここの駅には彼女がいたな、ここは通学で降りた駅・・・などと昔のことを思い出しつつ、変容した故郷をキョロキョロ見渡しながら乗っていた。

 皆さん、時間と心に余裕のあるときは、一度チンチン電車に乗ってみてください。
 松虫、北畠、姫松等々由緒を感じさせる名前の停留所も多い。

     懐古にはチンチン電車のこの速度

2018年1月6日土曜日

正月から怪談話

   読初(よみぞめ)という季語がある。正月なら一年の計に相応しい「為になる本」や「楽しい本」がよいのだろうが、私が正月に「初読破」したのは怪談話で、浅田次郎著『神坐(いま)す山の物語』双葉文庫である。
 舞台は奥多摩・御嶽(みたけ)山の宿坊でもある神官屋敷で、そこは著者のお母様の故郷・実家で、著者が伯母から普通に聞かされていた一昔前の七つの短編物語が収められている。

 私は若い頃首都圏に住んでいたことがあるがこの山には登ったことが無かった。ただ、この山からそお遠くない(実はもっと奥に当たる)奥秩父の霊峰三峰山(三峰神社)には2回登ったことがあり、物語に登場する一昔前の山岳信仰や大神(狼・狗)信仰の雰囲気は何となく解ったつもりで・・気持ちから物語に入り込むことができた。

 それに小さい頃、私の慶應生まれの祖母はごく普通に「狐に騙された」経験を私に語ってくれていたし、その時代には不思議な出来事も全てある種のリアリティーを持っていたに違いない。
 そういう力を特に各地の霊峰は持っていた。
 『西の大菩薩嶺に黒雲が湧くと「神様がお渡りになる」と言って雨戸を開け、事実、裏庭が金色に染まり太い光の束が大広間を突き抜けた』というのも信じたい。

 と言って、私は現代社会のスピリチュアルの類を信じていない。私を信じさせるなら、その霊力でフクシマ原発の中身を透視し対応策を示してくれるだけでいい。
 そんなことはできないが、一緒に人間の非力を悟り自然の力を悟ろうというなら、そんなことをふと反省させてくれる八百万の神仏は私の友である。

 一つ一つの不思議な話を合理的に解釈したいというのは私の悪い癖であるが、この物語からその種の詮索をする必要はどこにもないのだろう。
 一昔前、霊峰の神官屋敷でこんな話をしていた伯母がいたことは事実そのものらしい。それでいい。小説は面白い。
 浅田版遠野物語という宣伝文句も的を射ている。

     屠蘇忘れ神気漂ふ本に酔ふ

2018年1月5日金曜日

烏正月

ふじたけんじ木版画
   先に背景を語っておくと、わが家はわが自治体の端にあり、隣近所は隣の自治体になっている。なので、わが街はゴミステーション方式だが、隣近所は戸別収集なので各戸の前にゴミ袋を出している。ただ、どちらの自治体も1月4日が御用始めであり生ごみの初収集であることは変らなかった。

 さて、新年の季語を見ると、初〇〇や〇〇初(はじめ・ぞめ)がいっぱいある。そして正月も、本来の正月以外に七日正月、小正月、女正月、仏正月、二十日正月などがある。
 それなら!ということから私は1月4日を烏正月と呼ぶことにした。

 前説(まえせつ)でご推察のとおり、その日は朝から烏が隣街の方を向いて喜んで歌っていた。
 年末から正月三が日、思うに静かな住宅街は烏にとってはすさんだ荒野のようなものだっただろう。
 そして迎えた断食明け、これを喜ばずして何とする。
 隣の自治体の皆さん! 烏が宴会ですよ! 妻がお知らせに走って行った。
 私は「烏の正月」という季語?には普遍性があるのでは?と思いついて楽しくなったが、結局俳句も川柳も浮かんでこず短歌もどきを一首・・。

     ご馳走の残り香包みしごみ袋一月四日は烏正月 

2018年1月4日木曜日

新春詠

   二人でベトナムを訪問した老夫婦が詠んだ歌が朝日新聞元日号に掲載されていた。
 夫 戦(いくさ)の日々人らはいかに過ごせしか思ひつつ訪(と)ふベトナムの国
 妻 「父の国」と日本(にっぽん)を語る人ら住む遠きベトナムを訪(おとな)ひ来たり ・・第二次大戦後、ベトナムに残留、彼地に家族を得、後、単身で帰国を余儀なくされし日本兵あり

 ご推察のとおり、老夫婦とは天皇・皇后である。天皇制や政治を抜きにしてこれらの歌は私の心に届く。

 同じ新聞に朝日歌壇・朝日俳壇の選者の新春詠もあった。その中の二つ・・・、
 媚びることなさず生き来し七十年おのづから敵も多くつくりて 永田和宏
 戦知らぬとは何事ぞ梅一輪 長谷川櫂
 信念のある人の歌や句は気分がいい。

 去年、ブログ記事の最後に川柳あるいは俳句もどきを十七文字足したのだが、途中で挫折した。
 スタートは案外楽だが継続は困難だ。解っている。根性なしである。
 今年は力まずに、何か湧いた日に限ってリベンジしてみたい。

     新春詠読んで計とす三日坊主

2018年1月3日水曜日

告朔の餼羊

   『告朔の餼羊』(こくさくのきよう)という言葉は、私が以前に年中行事のことをブログに書いた折、先輩であるスノウさんから教えていただいた言葉で、それまで私は知らなかった。

 出典は「論語の八佾(はちいつ)」で、「古くからの習慣や年中行事は、害がなければ保存すべきだということの例え」である。
 「告朔」は古代中国にあった儀式、「餼羊」はその儀式に用いられた生贄の羊。
 子貢が形式化したそれを止めようと言ったとき孔子は例えのとおり返答したという。

 この国では論語自体が告朔の餼羊のようなものであるが、それはさておき、論語に取って代わって現代のこの国の精神の原器に座ったものは成果主義、効率主義である。
 告朔の餼羊はそういう風潮への異議申し立ての一助になりそうだ。例えば先日ブログに書いた文学のようなものである。
 ただ気を付けなければならないのは、現代の年中行事は、圧倒的な商業主義(コマーシャリズム)によって、年中行事といえども換骨奪胎されて売らんかな・買わんかなと踊らされる危険性もある。

 12月30日に書いたことだが、節分の豆撒きの鬼についても、病気など意に沿わぬ不幸の原因を邪鬼の仕業と理解した時代の民衆の素朴な感情に共感すると同時に、特に現代社会では、鬼の側に立って考えてみる、別の視点で検討してみると風景が変わらないかという作業が重要だと補足して子どもたちに伝承することが大切だ。

 と補足して、告朔の餼羊を私は肯定する。

     老夫婦形ばかりの鏡餅
 鏡餅はプラスチック、その中に真空パックの小餅。それでも精一杯の告朔の餼羊・・・これって駄目ですか?

2018年1月2日火曜日

寒すずめ

 諸行は無常である。
 元日の未明にも救急車のサイレンが響いていた。
 友人のひげ親父さんのお父さんもICUに入院されている。
 そして義母の老人ホームでもインフルエンザが発生した。

 そんなもので正月だというのに老人ホームは面会謝絶になったから、何年ぶりかで元日にホームに行く必要がなくなった(行けなくなった)。
 なので珍しく元日に夫婦で「初詣に行くか」ということになり、同じなら賑やかな方がいいだろうと伏見稲荷に参りに行った。
 もちろん、「帰りにはスズメを食べよう」と決めて家を出た。

   スズメは最大供給地であった中国で輸出禁止になったとかで、1羽500円~600円と高騰していた。
 そのおかげで、出された禁猟期間明けの国産寒雀(かんすずめ)はよく太り、味も美味かった。ほんとうに美味かった。

 店員さんが皆さんに出すたびに「すべてお召し上がりください」と言っていたが、わずかな(ほんとうにわずかな)身だけを食べて骨を出す人がいるからだろうか。釈迦に説法だがスズメの丸焼きは九割方骨を食べるようなものである。
 
 私に対して「野鳥大好き人間がスズメの丸焼きを食べるか?」というご批判もあるだろうが、全国的にスズメが少なく感じられているのは丸焼きのためではない。
 主には住宅の軒先等に隙間が無くなり、巣作り・子育てが出来なくなったせいだといわれている。

 稲荷神社は名のとおり昔は稲生(いねなり)(豊作)の神様であった(山背国風土記逸文)から、伏見参りの帰りに害鳥を1羽駆除するのは習俗としても極めて合理性がある?(夏までのスズメは益鳥で秋のスズメは害鳥と人間は勝手に言っている)。
 ひるがえって、スズメの丸焼きを食べながら「何で伏見でスズメなのか?」「稲荷信仰のルーツは?」「稲荷社を創建した(上記逸文)古代からの渡来の大豪族秦(はた)氏は?」などと考えるのは目先の実用や天下国家には全く関係ないが、きっと人生を豊かにする。
 牽強付会(こじつけ)だとの声がブログの向こうから聞こえてくるようだが、正月に免じて許してほしい。

2018年1月1日月曜日

夜明け前そして一年の計

   わが街の夜明け前です。 今年もどうかよろしくお願いします。

 年頭に私は『共感』という言葉を深く考えている。
 「忖度」には似ているが、それとは真逆の意味のつもりだ。
 現代のこの国では、辛い人、頑張っている人たちへの「共感の持続」がほんとうに大切ではないだろうか。偉そうなことは言えないが、反省も込めてそんなことを考えている。
 だから、共感という名で大勢に順応するのでなく、ほんとうに辛い人、頑張っている人たちに素直に共感したい。そのためには効率主義に影響されるのでなく、想像力、そして確かな情報と知識、結局のところ常識力をレベルアップしようと思う。そして折々に自分の心が乾燥していないかと振り返りたいと思う。

 高邁な論説を滔々と述べても、なんとなく心の冷たい人たちを誰が支持し友達になるだろうか。捲土重来は案外身近なところに鍵があるのではないか。
 「一強」が砂上の楼閣であるのは間違いない。
 とりあえずこの一年を、憲法改悪を許さない年にしたい。
 私は今の状況と展望に悲観はしていない。
 2018年、「理想を現実に引き下ろすのでなく、現実を理想に近づける年にしたいものだ。

   閑話休題、「怠け者の節句働き」という言葉があり「節季働き」と使われることもあるから、大晦日にはあえて悠然として、お正月に来る凜ちゃんのためのお年玉を作った。
 イオンからダンボールを持って帰って来て凜ちゃんも入れるマイホームを作った。これが祖父ちゃんからのお年玉。
 結構丈夫に作ったが、あッという間に潰されてしまうかもしれない。それならそれでいい。

 ブログの先輩の和道さんが「じいちゃん離れ」を少し寂しそうに綴っていたが論理的には仕方がない。
 私もそれまではイクジイでいくぞと年頭に空元気を発している。
 つまるところ、一年の計は痩せ我慢と空元気に落ち着くか。