2017年12月30日土曜日

年末のあいさつ。

   紋付を着て、白髪の翁が年末のあいさつに来てくれた。
 ジョウビタキ(尉鶲)の尉とはよく言ったものである。

 足もとではシロハラがバサッバサッと落葉をひっくり返して虫を探している。
 ツグミよりもまだ大きいから、シロハラはなかなか迫力がある。

 今年もいろんな鳥がやってきた。
 私の行動範囲がほとんど家の周辺だけだったので代わり映えしないかもしれないが、「年年歳歳鳥相似たり」はそれはそれでいい。

   正月の準備も簡素化したが、最低限のこととして、注連縄を二つ、鏡餅を大小二つ準備した。そして庭の臘梅の枝を切って松、笹、青木と合せて妻が活けた。
 私は玄関先に依代の松を立てた。
 本来なら雄松と雌松なのだが、そこは1本に簡素化した。


   例年どおり祝箸も作成した。
 今回の文字は『笑門』にした。
 伊勢あたりの注連縄によく見る文字で、もちろん「福来る」と願ってのことである。

   来年の節分には友人のお寺で節分会をする。
 鬼子母神も祀られているお寺なので、仏陀の話で悔悛した説話に因んで「福は内、鬼も内」と唱えようと思っている。
 写真のとおり、その心を祝箸に表示したつもり。
 故にキーワードは「話せばわかる」である。「対話のための対話はしない」では前に進まない。
 為政者たちには鬼子母神の法話を聴かせてやりたい。

 蛇足かもしれないが、28日の朝日新聞『天声人語』に要旨次のような話が綴られていた。
▼福沢諭吉は幼い子どもたちにこう教えた。「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや」
▼退治される鬼に、もしも子どもがいたらどうだろう。
▼相手の側に立ってみれば、見える風景ががらりと変わる。ものごとの複雑さも分かる。
▼自分にとっては正義でも、別の人からすれば理不尽な振るまいかもしれない。忘れてはいけない視点であろう。歴史や国際関係を考えるときも。

3 件のコメント:

  1.  桃太郎の話、いま、自衛のための自衛艦を他国に攻め込む航空母艦に作り替える話と似ているような気がします。

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  2.  ヘリコプター搭載護衛艦「いずも」は外国海軍の物差しでいえば既に航空母艦ですが、それを正式に空母に改造すると政府がしたことですね。桃太郎の話でいうと、安倍内閣は、この空母などを使って自衛のための先制攻撃、さらには危機予防のための予防攻撃をトランプと組んで実行しかねません。総選挙の際に首相は盛んに「国難」を口にしましたが、こういうプロパガンダによって確実に戦争の危険は増しています。これを止める健全な世論が大切です。心ある良識人がSNSなどで発信することの意義はますます高まっています。

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  3.  毎年言っていますが、下から入れる関西風の祝箸がナカナカありません。読者の皆様はどうされていますか。まさか、長い物に巻かれろと妥協されてはいませんよね。

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