2017年11月2日木曜日

泥仏開眼

   昨日の記事で私が勝手に吉祥天だと名付けた泥仏(どろぼとけ)。吉祥天は鬼子母神の娘らしい。

 3月8日の「歴史発掘」で書いたとおり、堺にある泉昌山調御寺(ぢょうごじ)(明徳元年1390創建)の歴史発掘調査に立ち会わせていただいた折、同寺にはかつて鬼子母神堂があったことがわかり、「そういえば」とさらに調べると、永年の煤に覆われた鬼子母神像が出現、文字どおり出現されたのには感激した。

 そんな御縁もあり、この泥仏を私が勝手に鬼子母神の娘の吉祥天だと決めた今般、加藤住職から「写真のとおり泥仏開眼供養をしました」と送信があった。こういうのをほんとうの御縁というのだろう。
 ネットを通じての開眼供養などと笑うなかれ。ネットを通じてのお参りなどは既に常識になりつつある。
 だいたいが、神仏の力に距離などあろうか。

 実際、吉祥天であるかどうかなども問題ではない。
 想像力に乏しい凡人には、この泥仏を見るたびに「大難小難、大難小難」と感謝できればいいと思っている。
 加藤住職、ありがとうございました。

    秋うらら開眼されたか泥仏

5 件のコメント:

  1.  今朝住職から送信があり一日中気分がよかった。それにしても、ブログの泥仏をわざわざ飾って勤行していただき感謝、感謝です。見る者の気分のせいでしょう、泥仏が生き生きと美しく見えます。

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  2. 良かったですね。心が通うという事はこういう事だと思います。ベートウベンのミサ曲の添え書きにも「心から出る、心に通じるように」というう意味の書き込みがあります。同じように感動を覚えます。

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  3.  スノウさんの博識には言葉がありません。そしてその感想が胸に染みます。

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  4. さすが寺子屋LABOのご住職、その柔らか頭に心服仕りました。

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  5.  仏教もまた時代の波と無関係に来たわけでは決してありません。当然です。悪い方では為政者が庶民を統治するイデオロギーともなりましたが、また不死鳥のように庶民の救済に自己改革してきたわけです。時代とともに進化してきたのです。清水公照、大西良慶しかり。仏教が古いマジナイの類と思う方が頭が固いと言えるでしょう。加藤住職は名僧に近づきつつあります。先日、大先輩からOB会会報の写真と記事で「加藤さんも板について来たな」と感想を貰いました。

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