2017年10月7日土曜日

明日は我が身

 かつて福祉センターの近所に住んでいたことがあり、少しはボランティアのお手伝いをしていたときがある。
 そんなとき、「人間には既に障害を負った人とまだ負っていない人がいるだけだ」という言葉を聞いて非常に感心したことがある。
 事実、福祉センターのボランティアに参加して健康だった私の親もそのうちに介護が必要となり、「ああ、みんな順番だ」と先の言葉を実感した。

 その後、けっこう大きな障害を背負った孫が生まれ、少しは福祉のことを知っているつもりでいたのだが、実際には何も知っておらず、ただただオロオロと、行く末に絶望的にならなかったかと言えば嘘になる。

 そして知ったのは、健康保険の高額医療制度だけでなく、難病等の子どもたちへの様々の福祉制度で、そのおかげで今日を迎えられている。
 この夏には10時間を超える2回目の手術と3か月の入院というのを乗り越えた。
 実際には親が病院周辺のマンスリーマンションを借りたり、我々が相当高額の高速道路を使って何回も支援をしたりして、けっこうな支出もあったのだが、それでも乗り越えられたのは基本の医療費の福祉制度のおかげである。そしてそれはきっと過去に、涙ぐましい親たちの運動があったからこそ今があるのだとつくづく思う。
 神仏に感謝するなら、そういう先人たちへの感謝も忘れてはならないだろう。

 ところで消費税が導入された際には盛んに「これは福祉目的税だ」と宣伝された。その亜流の宣伝は今も自民や公明が繰り返している。
 1989年の導入時からこの宣伝は嘘ではないかと私は思っていた。
 例えば、福祉・社会保障はそれ以前からもあり、かつ自然増が必至である。
 そこへ宣伝のとおり消費税を充てても、一方でかって投入していた、あるいは投入が予定されていた予算を減額すれば、お金に色がついていない以上、消費税は結局は大企業減税や軍事費に使われたのと全く変わらない。
 こんな子供だましのような「すり替え仮面」に、いまだにメディアも幾つかの政党も騙され続けている。

 今度の選挙で自民党は消費税の10%への引上げを公約に入れた。
 しかも、ただただ人気取りのために、「子育て支援」に充てるとも言い始めた。
 ほんとうに自公やそれを補完する希望、維新等の政党が福祉を充実させるだろうか。
 こういう場合は、「どう言っているか」よりも「どうやってきたか」を検証しないと見間違う。

 日本の国民一人当たりの公的社会支出はドイツの8割、フランスの7割だ。社会保障給付費の対GNP比は2012年末の安倍政権以来3年連続で下がっている。
 安倍自公政権はこの5年間で社会保障予算の「自然増」を1兆4600億円削減し、それは医療費の負担増、介護の利用料金値上げ、生活保護費の切り下げに跳ね返っている。加えて、「自然増削減」以外にも、年金額の1兆7000億円削減や保険料値上げも行い、安倍自公政権によるその部分の国民の被害額は、6兆5000億円に上っている。

 これらのことについて、SNSで「重度障害者のいる我が家庭では死活問題だ」という声があったが、決して誇張ではないだろうと悲しくなった。
 規制緩和、特区、個人責任などという経済の「新自由主義者」のお手本はトランプのアメリカだろう。
 そのアメリカでは、私たちが全く当たり前だと思っている国民皆保険も高額療養費制度も、アメリカでは「信じれれない」「オーマイガー」のことらしい。
 堤未果さんの著書によると「盲腸1回200万円」などというのはザラで、がん治療薬は月に40万円も普通である。
 リベラル色の強いオレゴン州でも州独自の医療保険制度OHPではがん治療薬は却下されたと書かれている。
 そしてその通知文書には、「申請は却下された。服用するなら自費でどうぞ。オレゴン州で合法化されている安楽死薬なら州の保険適用が可能だ」とあったという。

 「明日は我が身」という言葉があるが、日本の社会保障を充実させるために、是非とも選挙で大企業に遠慮がなく「新自由主義」ときっぱりと対決する共産党を伸ばしてほしい。

1 件のコメント:

  1.  「安楽死薬なら保険適用アリ」という公文書をうけとったというアメリカのリアルに私は腰を抜かさんばかりに驚いた。

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