2017年10月26日木曜日

捲土重来

長江
   近畿(比例)でいうと、元気で愉快な清水ただしさんを衆議院から失ったのは惜しい。
 兵庫出身の堀内照文さんは近所の演説会で話を聞いた程度だったが、立派な紳士というか若いパパという感じで、必ずやもう一度国会で働かせたい好男子だ。

 そして沖縄4区ではオール沖縄・無所属の仲里利信さんの惜敗が残念無念だ。
 2014年9月10日「ウチナーンチュの話」で書いたが、そのとき(2014年)が初めての出会い(といっても舞台上の氏の話を聞いただけのことだが)であった。

 元県議会議長、元自民党県連幹事長とはどんな方なのだろうと想像を巡らせていたところ、登壇されたのは予想に反して?飄々としたおじさんだった。
 力むことなく語られた沖縄戦の経験談、
 真っ暗なガマの中で小さい妹たちが泣くので兵隊が母に毒入りの握り飯を渡したこと、
 迷惑がかかるからと家族でガマを出て乞食のように逃げ回ったこと、
 戦争中の米軍の残飯で辛うじて生き延びたこと、
 ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキに、ノーモアオキナワと重ねて記憶に残されねばならない現代史だと強く考えさせられた。
 同時に「この人は心から支援したい」と思ったものだ。

 結局、米軍普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設反対という公約を掲げて自民党の各選挙を闘い、石破幹事長と一緒に全県を歩いたりしたが、国会議員や知事の公約違反(辺野古容認)を批判したので自民党を除名された誇りあるウチナーンチュだった。

 ちょっと横道だが2014年に感じたことは、こんな愛嬌のある(失礼)魅力的な人物を相手側の中心に迎えていた沖縄の革新勢力も大変だったなあと変な感心をしたものだった。
 仲里さんはもう引退されるということだが、対米従属下の日本全国の矛盾を凝縮された沖縄の反戦平和の戦いの伝道者となって元気に進んでいってもらいたい。

 さて、九州長崎が地元である真島省三さんのことは正直にいうとあまり知ってはいなかった。
 しかし、今回の選挙後の次のようなSNSを見て、遅きに失したが惜しい九州男児を落としたと悔しさが湧いてきた。

 1023 22:35 真島省三·
 今日は一日、九州沖縄のみなさんにお礼の電話をしました。
 床につこうとして、ふっと涙が。
 駆け抜けた2年半に出会った党内外のみなさんの顔が走馬灯のように浮かんで、枕を濡らして嗚咽しています。
 必ずや必ずやと、明日から頑張ります🎵
 1023 23:07真島省三
 『強がりの九州男が泣くときは、なんちかんち言いなんななんです。
 次は目にものみせちゃるって覚悟のない涙は流しませんから❗』

 労働組合の九州の友人たちの顔を思い浮かべながら、こういうことだろうなあと熱いものがこみあげてきて困った。

 ところで、私が「SNSで発信しよう」と訴えても、友人たちにはなかなか理解してもらえない。「そんなん仲間内だけのおしゃべりとちゃうのん」「どんな効果があんねん」という具合だ。
 確かにSNSだけで世の中が変わるわけではないだろうが、市田さんのFBを読んだり、こういう真島さんら候補者のつぶやきを読むと、その人間的魅力に感動し、自分も頑張らなければと老骨に鞭を打つのだ。それだけでもいいではないか。
 効果やなんて成果主義ですか??
 「新しいことに挑戦しない理由を、なんちかんち言いなんな」「やってみなはれ」だと思っているが独りよがりだろうか。

 勝敗兵家事不期  包羞忍恥是男児
 江東子弟多才俊  捲土重来未可知  ――杜牧
 この杜牧の詩、中国文学者の村上哲見氏の訳によると「一時的に惨めな思いをしても、それをじっと耐え忍ぶのが男というものだ。・・落ち延びさえすれば捲土重来(まきかえし)ができたかもしれないのに」(題材は項羽が長江を渡らずに敗れたことを詠っている)である。土煙をあげて再びやって来ようぞ。

    嵐去り団栗の川すくむ足

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