2017年10月15日日曜日

しば山のぼるさんのこと

   先日、大阪1区の共産党候補者『しば山のぼる』さんの話を聞く機会があった。
 大阪1区というと共産党の重点区でもないから、正直にいえば今回の選挙で当選する確率は非常に低い?
 だから、どんな話をするのだろうと興味があったが、やっぱりというか99,9%が比例区で共産党と投票する意義と、各選挙区で「市民と共産党と野党の統一候補」を勝たせようという話だった。
 自分のことはそっちのけで、そういう話を元気に語る候補者を見て、私は、橋を架ける土木工事などの際使われる、目に見えない水底で基礎を支えたり水勢に立ちはだかる『捨石』という言葉が脳裏を横切った。

 今回の解散直前には民進党から希望の党への雪崩現象があったが、一昨年国会前で「戦争法案反対」と叫んでいた議員が、「安保法制支持」という踏み絵を踏んで「自分ファースト」に走ったそれと比べて、なんと清貧に似た律儀さかと『しば山のぼる』候補が輝いて見えた。

 そういえば、朝日新聞が宮城県の野党共闘を論評して、「共産党県委員長は仁義を守った」などという記事を書いていて「仁義」などという場違いな言葉に笑ったが、内容は、共産党が、参議院選挙、仙台市長選挙で積み上げてきた野党共闘を壊さないために、元民進党の皆さんをじっと待っていたというものだった。
 そういう誠実な裏方、捨石があって現在の選挙が全国で進行している。

 きっと「言いたいことは山ほどある」のをぐっとこらえて安倍政治を止めさせようと努力している選挙区候補者がいっぱいいる。比例区候補も同じ。
 その人たちは、結果が出たときにも目立たないだろうが、そういう努力の積み重ねが時代を作るに違いない。
 そういう人を真のパイオニアという。

 一部では、立憲民主党にもいかなかったリベラル志向の無所属などに、協定もなく一方的に共産党が候補者を取り下げて支援に回るなど時代の過渡期の試行錯誤はあるし、政見放送の準備が物理的に間に合わなかった選挙区もあるようだ。
 そういう過渡期の対応が気に喰わないという意見もあろうが、私は、大局から俯瞰して「時期を考慮しない議論」は横に置きたい。すでにキックオフの笛は吹かれているのだから。
 
 目先の人気??に走って議員になりたがる失望の人々ではなく、献身的に庶民に奉仕する共産党を伸ばしたいという意見について、10月5日に『ホンネというニヒリズム』で触れた内田樹氏と姜尚中氏は、「そういう学級委員的な真面目な議論を茶化してしまう道徳的ニヒリズムが大阪にはある」と指摘していたが、大阪の船場の文化の土台を作った近江商人の『三方よし』の誠実さこそが上方文化の神髄だと声を大にして言いたい。
 今度の選挙でいえば大阪のど真ん中の『しば山のぼる』候補らの努力はそこに通じている。
 重ねて言うが、上方文化の基層は近江商人の三方よしの文化であり、ここ20年程の「ヨシモトの表層の一部」をそうだというのは誤解であろう。

   なので「人生意気に感ず」などという言葉を噛み締めて『しば山のぼる』候補の訴えに応えたい。
 参加者の笑顔が印象的な集会だった。
 やらせなど一切なしで、指名なしで参加者が好き勝手に語ったのも楽しかった。
 「比例は共産党」「選挙区はリベラル野党の統一候補と共産党候補」しかないと、決意を新たにした集いだった。

    祖父ちゃんの玉入れはゼロだと孫が言う
    こども園の運動会が終わってこのブログを書く

4 件のコメント:

  1. 以前書かれたと思いますがもう一度「三方よし」の意味を教えて頂けませんか。

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  2.  Wikipediaの中の「近江商人の思想・行動哲学」を引用します。
     三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」
     売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献しなければならない。
     三方良しの理念が確認できる最古の史料は、1754年に神崎郡石場寺村(現在の東近江市五個荘石馬寺町)の中村治兵衛が書き残した家訓であるとされる。ただし、「三方よし」は戦後の研究者が分かりやすく標語化したものであり、昭和以前に「三方よし」という用語は存在しなかった。(引用おわり)
     私は北御堂、南御堂を大事にした大阪の商売人の文化は近江商人のここにあったと思っています。
     それを「がめつい奴」と描いたのは花登筐で、「アウトロー」と描いたのが今東光です。
     そこをステレオタイプで誇張したのが昨今のヨシモトの芸風で、在阪テレビ局のスタイルだと思います。
     そして、その風潮に乗っているのが維新の面々だというのが内田樹氏の指摘で概ね正しいと思います。

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  3. 三方よしは分かりました有難う御座いました。でも北御堂、南御堂は真宗のお寺ではないのですか?有名人の葬儀場でよく聞きますが・・・何も知らずでグダグダ言ってすみません。

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  4.  五木寛之氏の本に『宗教都市・大阪 前衛都市・京都』という珍しい名前の本があり、大阪の商人道の背景にあるのは真宗の気風だと指摘しています。その象徴が御堂筋にある北御堂と南御堂でしょう。五木氏は大阪の基底は寺内町だと述べています。なお私が三方よしで引用した近江が真宗王国であるのはいうまでもありません。
     柳田国男の「遠野物語」に合わせて遠野の人たちがいまの遠野を再構築しているように、テレビのまき散らす歪んだ大阪弁や大阪文化を、おかしなことに当の大阪の人が模倣しているのが現代の状況だとも指摘しています。
     言いたいことは、維新の下品な物言いは大阪文化の主流ではないということです。

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