2017年10月31日火曜日

72年前

   「歳をとると時の流れが速い」というのはジャネーの法則と言われている。
 「生涯のある時期における心理的な時間の長さは年齢に反比例する」その理由は「50歳の人間にとっての心理的な1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間のそれは人生の5分の1だから、50歳にとっての10年は5歳児の1年に、5歳の1日は50歳の10日に当たる」というものである。
 厳密には違和感がないこともないが、感覚的には何となく納得したりする。

 同じように、いささか思いつきだが、自分が誕生する以前の歴史を心理的に納得するのは大いに年齢に比例しているような気がする。

 72年前の戦争の時代のことである。
 例えば戦後1期生の私が小さい頃は、堺の街のあちこちが焼跡であった。
 洋館建ての家のあった跡地には綺麗なタイルが落ちていてそれは子供らの玩具であった。
 初詣やお祭りの参道には白い着物と軍帽をかぶった傷痍軍人がアコーディオンを弾いていた。
 何よりも、小学生になってからも町内で、外地から引き上げてきた軍人の歓迎会があった。
 それでも、客観的時間でいえばホンの10年少し前の「戦時中」というものを私は実感することは少なかった。

 それが20歳くらいのときはどうかというと、私が戦史などにあまり興味がなかったせいもあるが、「人間の条件」や「戦争と人間」などの素晴らしい映画に出会ったりしていたのだが、やはりどこか「歴史の教科書」もっと極端にいえば「時代劇」という感覚だった。

 さて先日から、集英社新書の2冊、西村京太郎著『十五歳の戦争――陸軍幼年学校「最後の生徒」』、澤地久枝著『14歳〈フォーティーン〉満州開拓村からの帰還』を読み終えた。
 そしてこれが、どういう訳か自分が体験したかのように感覚的に理解できるのだった。
 つまり、歴史を感覚的に解るには一定の年齢がいるのかもしれない。
 しかし、だとすれば、人間が先人から学ぶということはほとんど不可能になってしまうから、そういう解答を是とするわけにはいかない。
 私が2人の体験を感覚的に理解できたのは、下地になるいろんな書物を読み重ねてきたからだろうし、その上に歳をとった、つまり様々な経験を積んできたからだろう。

 となれば、振り返ってみて、シニア世代が戦後民主主義をどう築いてきたか、どんな苦労や紆余曲折があったかを、今こそ書いたり話したりし続けなければならないように思う。
 言いたいことは、若い世代にとって戦後民主主義の成立過程も、若い私が戦前について抱いた感情と変わらないのではないか。
 そんな(若い)自分たちに対して「近頃の若いもんは」と言われてもどうしようもなく、事実、私たちは新人類と言われてきたではないか。

 職場でいうと、女子職員が日曜に出てきて便所掃除をするのは当然で、朝はお茶くみをして夕方には洗い物をしていた。それでも昇進は男子より遅かった。
 そんな理不尽はごろごろあって、それを青年婦人部は一つひとつ改善させてきた。
 だから昨日今日就職してきた女性が当然にそういうことを理解していると思うのはシニアの頓珍漢で、知らないのが当たり前なのである。

 先日の選挙の分析で「若者の自民党支持が多い」というのを各紙が報じているが、その責任は若者にはないのでないか。
 それよりも、若い世代に向かって書いたり話したりせずに、経験主義を繰り返すシニアこそ問われるのではないか。

    ハロウィンの季語にあるのに驚けり

2017年10月30日月曜日

髪を染めさす

 大阪府立高校で元々茶色い髪の女高生に「黒く染めよ」と指導し、ペナルティーとして修学旅行にも行かせなかったらしい。
 私にはその教育方針があまり理解できない。

 以前に書いたが、「建国記念の日」に橿原神宮に行った際、境内を軍隊コスプレのいろんな右翼団体が行進をしていたが、右翼に批判的な老教師がそれを見て「もっとしっかり脚を揃えんか!」と憤激していたのが可笑しかった。私は老教師を支持する。

 で、教育課程である種の決まりが定められ、それを躾けるのは当然なのだろう。と、そこまでは私にも異存はない。
 だがしかし、私事ではあるが、私は「〇〇牧場」と称された高校を卒業したし、子どもたちは制服の無い公立中学を卒業した。
 だからと言って社会を踏み外した気はさらさらない。
 「そんな甘いもんやおまへんで」と公立中高の先生方はいうかもしれないが、キツイ枠に囲い込んでおく方が「指導」がし易いという「ホンネとタテマエ」がないだろうか。

 髪の毛が茶色であったら学校生活にどんな支障があるのだろうか。「そんなことを許したら、私も私もと嘘を言って髪を染める子が続出し、そんな興味に夢中になって学習がおろそかになる」ときっと言われるだろうが、ほんとうにそうだろうか。
 トモエ学園は夢だろうか。

 太平洋戦争中、首相で陸軍大臣、参謀総長東條英機に有名な話がある。
 飛行学校で「敵の飛行機をどうやって落とすか」との質問に、「戦闘機で向かい機関銃で落とします」と言った学生に東條は怒って、「それではだめだ。精神で落とすんだ」と叱ったという実話である。

 何か近頃の教育は、受験勉強の技術と、強いもの・長い物に巻かれろと教えていないだろうか。あるいは「制裁だ、制裁だ」と言えば東アジアに平和が来るように信じるような短絡的思考を培養するような基礎教育?
 先日の選挙でも若い者の政権支持率が高かったと言われているが、全く無関係のことだろうか。

 蛇足ながら私は、2段目のセンテンスで書いたとおり、暴力を肯定したり、一切の指導を否定するような、かつてのいわゆる「解放教育」論を擁護しているものではない。

2017年10月29日日曜日

四つ葉のクローバーも兎の爪も

 1950年代はアメリカンポップスを日本語でカバーした曲が多かった。
 〽 四つ葉のクローバーも兎の爪も 僕には用がないあなたがいるから・・という訳詞の歌もあったが、曲名も歌手も全く思い出せない。
 ご存知のお方は教えてほしい。

 「兎の爪」はアメリカインディアンのお守りだと聞いている。
 この歌い出しの歌詞を憶えていたので数十年も前に兎の爪のキーホルダーを買い、数十年後の今も使っている。
 捨てればいいものを使っているので自業自得かもしれないが、曲名等を思い出せないことで少し気分が悪いままだ。

   クローバーというと、何年か前に自治体から緑化運動とかで「珍しいクローバーの種」の配布があった。
 写真のとおりグリーンカーペットになっていて文句はないが、これはどう見てもクローバーではなくオキザリス(カタバミ)である。

 オキザリスというと、これも何十年も前にピンクの花の大型のオキザリスを買った。
 九州の農家の親戚に「こんな雑草を庭に植えてるの?」と驚かれたとおり、物凄い繁殖力で、移転してからも樹木等の根に付いてきたものが今も今の家で繁殖を続けている。
 種類にもよるがカタバミの繁殖力にはほとほと参っている。

 唯一よかったのは銅鏡を磨くのにシュウ酸を含むカタバミがいっぱいあったので、古式どおりに再現できたことぐらいだった。

 昨日の記事のコメント欄で「昆虫のことなど解っていないことだらけだ」という主旨のことを書いたが、同じように植物もそうである。
 静岡大学農学部稲垣栄洋教授の講演を聞いたことがあるが、「縄文杉のような長寿の樹木と一年草のタンポポのような雑草とどちらが植物として進化系であるか、雑草の方である」というのは、長寿に向かって血眼になっている人類への究極のアンチテーゼのようだった。

 稲垣講演で考えさせられたもう一つは、「人間はどうして花を美しいと感じるのか、生物学的にその理由は見当たらない」というのも、挑戦的な問題提起だった。
 いずれも哲学の領域かも知れないが、現代人はもっと「己が無知を自覚すべきではないか」と反省させられた。

    二月堂鬼子母神前の柘榴の実

2017年10月28日土曜日

小春日和

 旧暦だとまだ9月だが、今年は一旦寒い日があったから、アバウトで言ってもう小春と言ってもよいだろう。小春は冬の季語。
 昨日(10月27日)は「明日からは台風の影響で天気が崩れる」という天気予報が信じられないような、穏やかな小春日和で、年末や年度末を目の前にした「節句働き」のように虫たちがゆく秋を惜しんでいた。

   働き者の代表選手として自他ともに認められている?写真のミツバチは、体色の黒さから近頃では珍しいニホンミツバチだろう。
 TPPの未来予想図ではないが養蜂業等のためにヨーロッパから輸入されたセイヨウミツバチに徹底的に追いやられている。
 ところがそのセイヨウミツバチがいま世界的に大量に減少していて養蜂業者が困るだけでなく多くの野菜や果樹の受粉が出来ずに大問題になっている。
 実際、私の実感からしてもミツバチを見る機会は大幅に減っている。
 原因は農薬のネオニコチノイドだと言われている。
 あの氷河期さえ生き延びてきたミツバチが人間の手によっていま危機に瀕している。
 ほんとうにこんな政治が続いていいのだろうか。

   2枚目の写真は、スズメバチ科のセグロアシナガバチの♀♂。
 最初は狩り(捕食)かと思ったが、しばらくしてから楽しく分かれて行ったので♂と♀だと考えた。・・・?

 義母は小さい頃蜂の子を捕って食べたという。
 遠い記憶を聴くので分かり難いところもあるが、そのジェスチャーや話しぶりから、長野県などで有名なスズメバチの蜂の子ではなくアシナガバチの蜂の子だったようだ。
 「こうやって摘んで食べまんねん」と楽しそうな顔で教えてくれた。そのまま生で食べたらしい。

   3枚目の写真はチャバネセセリと思う。
 小さい頃は蛾なのか蝶なのかわからなかったから、勝手に「蛾蝶」と呼んでいたが、セセリチョウという蝶である。
 よく見るときれいな色をしている者もあるが、一般には小さくて地味なので昆虫少年には人気がない。

 蝶といえば、今年は庭のフジバカマを全部抜いたので、アサギマダラが来なくなった。
 アサギマダラだけでなく、毎年のようにわが家のアサギマダラを一緒に見ながら蝶や花の話をしていた名を知らない老女もとんとこの道に来られなくなった。
 わが町内から歩いて駅前に行く場合はほとんどの方がわが家の前を通るのだが。
 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 とはよく言ったものである。

    嵐まえ小春日和のむし談義

2017年10月27日金曜日

些末な一夜

   勤めていた職場の半ば公式な方のOB会に参加した。
 そこで、予想もしていなかった先輩、同輩、後輩から暖かい言葉をいっぱい頂いた。
 
 立派な後援会ニュースやったな、
 ニュースは大変やったやろ、
 ニュースの送付に恐縮している、
 メールをありがとう、
 メールは返信しなかったがそのとおりにしたよ、
 Yさんから電話があったよ、
 家内にも勧めたが当選せずに落胆していたよ、
 残念やったな、
 リベンジやな、等々等々等々・・・。
 まるで私の激励会のようだった(そんなことないか?)。

 私も、大先輩のそれも幹部であった方々と飲むのは少し社交的な気分がないと言えば嘘になる。
 しかし、現役時代労働組合派と誰にも思われていた裏では、おかしい言い方だけど一面では認められていたんだと自惚れた次第。
 気持ちの良い夜風に吹かれながら帰路についた。
 アオマツムシの声はほとんど消えたが、ほんとうのマツムシのチンチロリンという声があちこちから聞こえてきた。

2017年10月26日木曜日

捲土重来

長江
   近畿(比例)でいうと、元気で愉快な清水ただしさんを衆議院から失ったのは惜しい。
 兵庫出身の堀内照文さんは近所の演説会で話を聞いた程度だったが、立派な紳士というか若いパパという感じで、必ずやもう一度国会で働かせたい好男子だ。

 そして沖縄4区ではオール沖縄・無所属の仲里利信さんの惜敗が残念無念だ。
 2014年9月10日「ウチナーンチュの話」で書いたが、そのとき(2014年)が初めての出会い(といっても舞台上の氏の話を聞いただけのことだが)であった。

 元県議会議長、元自民党県連幹事長とはどんな方なのだろうと想像を巡らせていたところ、登壇されたのは予想に反して?飄々としたおじさんだった。
 力むことなく語られた沖縄戦の経験談、
 真っ暗なガマの中で小さい妹たちが泣くので兵隊が母に毒入りの握り飯を渡したこと、
 迷惑がかかるからと家族でガマを出て乞食のように逃げ回ったこと、
 戦争中の米軍の残飯で辛うじて生き延びたこと、
 ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキに、ノーモアオキナワと重ねて記憶に残されねばならない現代史だと強く考えさせられた。
 同時に「この人は心から支援したい」と思ったものだ。

 結局、米軍普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設反対という公約を掲げて自民党の各選挙を闘い、石破幹事長と一緒に全県を歩いたりしたが、国会議員や知事の公約違反(辺野古容認)を批判したので自民党を除名された誇りあるウチナーンチュだった。

 ちょっと横道だが2014年に感じたことは、こんな愛嬌のある(失礼)魅力的な人物を相手側の中心に迎えていた沖縄の革新勢力も大変だったなあと変な感心をしたものだった。
 仲里さんはもう引退されるということだが、対米従属下の日本全国の矛盾を凝縮された沖縄の反戦平和の戦いの伝道者となって元気に進んでいってもらいたい。

 さて、九州長崎が地元である真島省三さんのことは正直にいうとあまり知ってはいなかった。
 しかし、今回の選挙後の次のようなSNSを見て、遅きに失したが惜しい九州男児を落としたと悔しさが湧いてきた。

 1023 22:35 真島省三·
 今日は一日、九州沖縄のみなさんにお礼の電話をしました。
 床につこうとして、ふっと涙が。
 駆け抜けた2年半に出会った党内外のみなさんの顔が走馬灯のように浮かんで、枕を濡らして嗚咽しています。
 必ずや必ずやと、明日から頑張ります🎵
 1023 23:07真島省三
 『強がりの九州男が泣くときは、なんちかんち言いなんななんです。
 次は目にものみせちゃるって覚悟のない涙は流しませんから❗』

 労働組合の九州の友人たちの顔を思い浮かべながら、こういうことだろうなあと熱いものがこみあげてきて困った。

 ところで、私が「SNSで発信しよう」と訴えても、友人たちにはなかなか理解してもらえない。「そんなん仲間内だけのおしゃべりとちゃうのん」「どんな効果があんねん」という具合だ。
 確かにSNSだけで世の中が変わるわけではないだろうが、市田さんのFBを読んだり、こういう真島さんら候補者のつぶやきを読むと、その人間的魅力に感動し、自分も頑張らなければと老骨に鞭を打つのだ。それだけでもいいではないか。
 効果やなんて成果主義ですか??
 「新しいことに挑戦しない理由を、なんちかんち言いなんな」「やってみなはれ」だと思っているが独りよがりだろうか。

 勝敗兵家事不期  包羞忍恥是男児
 江東子弟多才俊  捲土重来未可知  ――杜牧
 この杜牧の詩、中国文学者の村上哲見氏の訳によると「一時的に惨めな思いをしても、それをじっと耐え忍ぶのが男というものだ。・・落ち延びさえすれば捲土重来(まきかえし)ができたかもしれないのに」(題材は項羽が長江を渡らずに敗れたことを詠っている)である。土煙をあげて再びやって来ようぞ。

    嵐去り団栗の川すくむ足

2017年10月25日水曜日

オニヤンマの番組

   106日に『トンボのすべて』という記事を書いたところ、3日後の9日に、友人のひげ親父さんから「今朝、Eテレで俳優の香川照之さんが出演する番組で「オニヤンマ」をやっていました。彼は有名な昆虫マニアでこの番組も時々見ますが半端ないマニアぶりが面白いです」というコメントをいただいた。
 時々放送されるこのシリーズは面白いので私もよく見るのだが、残念ながらこの「オニヤンマ」は見逃していた。

 そうしたところ1021日朝、「今日430分Eテレで再放送あり」と親切なメールがあり、選挙運動最終日でもあり妻に「録画しておいてほしい番組があるのだが」と言ったところ、題名も聞かずに「もう予約してあるよ」と返事があった。

 妻の自慢(おのろけ)など「犬も食わない」以上のことだろうが、長年連れ添ってきただけのことはある。文句なく「はは~っ」とお見それした次第。

 番組名は「香川照之の昆虫すごいぜ」。小さな扇風機をオニヤンマの♀と勘違いして♂がホバリングするところを映像に収めるはずが、本能的に香川照之が捕ってしまったのには大いに笑った。放送事故のレベルだろう(笑)
 オニヤンマよりもギンヤンマの方が捕りにくいとの香川のコメントにも同意。
 時速60㎞で急旋回するヤンマの状況を香川照之が自動車に乗って再現するのが適当かどうか疑問は残るが、まあまあ雰囲気は伝わった。

 7月11日に書いたことだが、今年の夏もモリアオガエルの観察を楽しんだ、
 その小さな池にオニヤンマがやってくるのでダブルで楽しんだ、
 モリアオガエルもオニヤンマも好きである。
 しかし・・・オニヤンマが産卵すると、そのヤゴがモリアオガエルのオタマジャクシを襲うのである。
 これは自然観察の常ではあるが、どうしてもより好きな方に肩入れをしてしまう。
 そしてどちらとも言えないときには、的外れな例えであるが、諸行無常だと呟くのである。

    葛原にやんま追うのを見て笑ふ 

2017年10月24日火曜日

西宮神社で肩すかし

   退職者会の遠足で西宮神社に行き、若い神職に説明を受けた。
 「三連春日造り」という珍しい本殿に、東に蛭児大神、西に須佐之男大神、中央に天照皇大神と大国主大神がまつられているが、その昔は蛭児大神(えびす大神)が中央であったのがいつの間にか東(第一殿)に移ったという不思議な説明であった。
 そもそも古事記によると水蛭子は伊邪那岐命と伊邪那美命の第一子である。

 古事記に曰く、『ここにその妹伊邪那美命に問ひたまはく、「汝が身は如何か成れる。」ととひたまへば、「吾が身は、成り成りて成り合はざる處一處あり。」と答へたまひき。ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り餘れる處一處あり。故、この吾が身の成り餘れる處をもちて、汝が身の成り合はざる處にさし塞ぎて、國土を生み成さむと以爲ふ。・・「然らば吾と汝とこの天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはい爲む。」・・約り竟へて廻る時、伊邪那美命、先に「あなにやし、えをとこを。」と言ひ、』・・て生まれた第一子である。その後、国土を生み神々を生んだのである(これはポルノ小説ではなくわが国の誕生譚である)。
 生まれた水蛭子は葦船に入れて流されたが、後に西宮沖で拾われまつられるところとなった。

 あまり権威のある書物ではないが、私の持っている昭和4年に出版された『年中事物考』の「西宮大神」の章には「古く延喜式に大國主西神社と見え、之を俗に夷宮と稱し、・・傳へに依れば、夷宮はもと西神社の配祀であったが、その社が次第に有名になったので、いつの間にか之を主神として専ら夷宮と申すに到ったといふ」から、この時点(昭和初期)では天照皇大神は出ていない。
 故に想像だが、紀元2600年(昭和15年)頃の皇国史観絶頂期に蛭児大神は東に移され、中央に天照皇大神がまつられたのではないだろうか。
 つまり我々は、由緒ある神社に向かって古い歴史を見ているようで、実は一緒に近代史を見ていることになる。
 (余談になるが、神殿の左の2本の柱の色が微妙に異なっているのは阪神淡路大震災の補修であるから、そこは現代史ということになる)。

 次いで私のブログでも何回も書いてきたことだが、十日戎の際は神社の後ろに廻ってドンドンドンと叩いて名前を言って願いごとをするのが私などの常識なのだが、「えびす宮の総本社を称する西宮神社では何故そうなっていないのか」と尋ねたところ、若い神職は「つい最近、そういう参り方があることを知ったばかりです」と見事な肩すかしだった。

 昔は、医者をはじめ人の不幸に対応する仕事の人は「商売繁盛」を遠慮しなければならないから十日戎には参らないという人も多かったが、関西に住んでいて十日戎に参らずに上方文化を語ることはできなくないかと私は思うのだが、遠足参加者の多数は「参らない」というので少々驚いた。

 伝承されてきた文化を捨て去って未来社会を語っても魅力が半減するように私などは思うのだがどうだろう。

    神無月神代に潜む近代史

2017年10月23日月曜日

堺発祥の寶娘

   堺の街の中心部は水がよかった。
 千利休の頃、当時の南宗寺の茶室の井戸は調御寺(ぢょうごじ)(現住所は堺区宿院町東4丁)の前にあったと記録にある。(旧堺市街の中心部)
 つまり、利休はその井戸の水でお茶を点てていた。
 今は国道上に調御寺の井戸枠が残っているがそれがこれである可能性は高い。

 さらに調御寺には目神堂(もくしんどう?)があり「め(目)の神さん」として名高かった。
 この井戸の聖水で目を洗ったのだろう。
 それほどこの地の水の名水ぶりは有名だった。

 なので、この一帯の名水は酒造業を発展させ、少なくとも天文年間には足利幕府に他所からの酒の持ち込み禁止を通達させるほど堺の酒造業は力を持っていた。
 下って明治期には、ちょっと私には意外だったが、堺の製造業の第一位が酒造業であった。
 なお、元禄8年の酒造家は108人とあったが、近世には販売先を全国や海外に向けて、そのために有利な灘に進出していった。だから、灘の名酒の中には実は堺がルーツという蔵も少なくないという。 
 そして見つけた大正元年の資料によると、調御寺のすぐ北、大町東3丁に酒造家大沢徳平氏の名があった。

   先日、退職者会の秋の遠足で西宮の酒蔵を巡ったところ、幹事の素晴らしい着眼のおかげで大澤本家酒造の見学がなった。
 江戸中期の明和7年に堺の宿院で創業し、昭和29年に灘・西宮に移転したというから私の手元の記録にある大正元年の大沢徳平氏がそれだろう。
 大澤本家酒造は今も木造の酒蔵で、製造直売で、今では貴重なほんとうの手造りの酒蔵で感動した。
 大手酒造なら「記念館」あたりで展示されている「昔の酒造り」のジオラマが今もそのまま生きていた。
 ほとんど歴史の本どおりの酒造りだったし、社長の説明も「一番搾りも二番搾りも変わらへん」などと実に率直でユニークだった。

 そして、お酒もお酒なのだが、近所?の奥さんが空き瓶(一升瓶)を持参してきて、酒蔵の玄関の小さなカウンターで直買いする姿も、ちょっとしたタイムスリップのようで楽しかった。昭和の「戦後」と言われていた時代の映画のような香りがした。
 
 ここの銘柄は、寶娘(たからむすめ)だが、多くのお酒は、「純米大吟醸」だとか、「しぼりたて」だとか、「原酒」という、実に味気ないほどの普通名詞で売っているのもどこか可笑しかった。

    冷蔵の古酒の冷たき瓶の汗

    台風と国の行くへに浮かぬ夜

2017年10月22日日曜日

天皇夫妻と安倍政権

 宮内庁のホームページに10月20日、「皇后陛下お誕生日に際し(平成29年)」という見出しで、美智子皇后の「文書ご回答」が掲載されていて、その中で、下記のとおり2箇所で核兵器禁止問題に触れられていた。
 私は現天皇夫妻と現宮内庁の良識に感銘を受けるとともに、以下の文意と真逆のような安倍自公政権、日本会議代表政権に情けなくなった。

   近頃、いわゆる「保守」と名乗られる著名人が相次いで共産党を支持する旨の表明をされているが、故なきことではないようだ。
 漫画家山本直樹氏が「憲法を守れ!と言うのは今や共産党と天皇陛下くらいになってしまった」と語っているのには笑ったが、これは好いことではない。
 憲法守れや核兵器禁止などの世論を押しも押されもせぬ世論の絶対多数にしたいものだ。

 ◆ 宮内記者会の質問に対する文書ご回答(皇后陛下)(一部)

 米国,フランスでの政権の交代,英国のEU脱退通告,各地でのテロの頻発など,世界にも事多いこの1年でしたが,こうした中,中満泉さんが国連軍縮担当の上級代表になられたことは,印象深いことでした。「軍縮」という言葉が,最初随分遠い所のものに感じられたのですが,就任以来中満さんが語られていることから、軍縮とは予防のことでもあり,軍縮を狭い意味に閉じ込めず,経済,社会,環境など,もっと統合的視野のうちに捉とらえ,例えば地域の持続的経済発展を助けることで,そこで起こり得る紛争を回避することも「軍縮」の業務の一部であることを教えられ,今後この分野にも関心を寄せていく上での助けになると嬉しく思いました。国連難民高等弁務官であった緒方貞子さんの下で,既に多くの現場経験を積まれている中満さんが,これからのお仕事を元気に務めていかれるよう祈っております。
 
 ノーベル平和賞は,核兵器廃絶国際キャンペーン「ICAN」が受賞しました。核兵器の問題に関し,日本の立場は複雑ですが,本当に長いながい年月にわたる広島,長崎の被爆者たちの努力により,核兵器の非人道性,ひと度使用された場合の恐るべき結果等にようやく世界の目が向けられたことには大きな意義があったと思います。そして,それと共に,日本の被爆者の心が,決して戦いの連鎖を作る「報復」にではなく,常に将来の平和の希求へと向けられてきたことに,世界の目が注がれることを願っています。

    菊の香やならには古き仏達 芭蕉


2017年10月21日土曜日

どうせ変わらない?

 「どうせ変わらない」という見出しが新聞を賑わせたりしますが、それって結局与党の印象操作のような気がします。
 「平和が好き」「選挙にいこうよ」は長谷川義史さんの作品です。
 比例は共産党! 選挙区は市民と野党の統一候補に投票をお願いします。


平和憲法を守りたい

   BSフジの8党討論で、自民党の公約の「憲法改正」に小さな文字で「緊急事態対応」とあった。
 こういう場合、この文字の小ささこそが彼らの「本気度」だろうと私は思う。
 小さくとも「選挙時に書いていた」というアリバイにする魂胆だ。

 その「緊急事態対応」部分の自民党改憲案は以下のとおりだ。

第九十八条
内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 略
第九十九条
緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 略
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。 以下略
4 略

 どうだろう、自民党改憲案からナチスの「国民および国家の苦境除去のための法」一般にいう「授権法(全権委任法)」を想像するのは心配性だろうか。
 早い話が緊急事態法は国会の停止、首相の独裁制である。戒厳令である。
 ヒトラーは授権法後即座に既に身柄を拘束していた共産党の国会議員たちを遡って死刑にして、身体障碍者の大虐殺、ユダヤ人ホローコースト、平和主義者の投獄を行った。

 安倍晋三が「国難だ!」と宣言した途端、国会は機能を停止され、従わない国民は検挙されるのである。自民党案にはそう書いてある。
 それを被害妄想だと笑う前に、いまの籠池夫妻のことをちょっと想像してほしい。
 森友疑惑で籠池夫妻の責任はある。しかし、8億円国費疑惑のキーマンは安倍晋三と昭恵夫人だろう。そのことが選挙中に報道されないように、夫妻は司法の常識をはるかに超えて長期間収監され口を封じられているのである。
 今後そういうことが大々的に行える根拠が「緊急事態条項」であろう。

 北朝鮮の暴走を見て首相の勇ましい言葉を感情的に肯定する前に、今一度落ち着いて「緊急事態条項を含む自民党の改憲案」の危険性に注意してほしい。
 それを止める手立てはある。国民がこぞってNOというのである。
 だから国民の立場に立って決してぶれない共産党、特に比例は共産党に投票してほしい。
 選挙区は、共産党、立憲民主党、社民党、自由党、無所属と形は多様だが、市民と野党の統一候補に投票してほしい。
 写真は大阪3区わたなべ結候補である。
 ポスターのように輝かせたいものである。みんな一緒に輝きたいものである。

    天平の埃の臭いや法華堂
    東大寺病院で孫がリハビリを受けている間に法華堂におまいりした。

2017年10月20日金曜日

ミサイルを撃ち落としたのは神鋼?

   北朝鮮のミサイルが時々失敗しているのは実は闇ルートで入手した神鋼の鋼材を使用していたからである・・というのはブラックジョークだが、自動車のボディーの強度や新幹線の車体の強度を個人で計る術のない庶民にとっては、神鋼の強度偽装は許せない裏切り行為である。
 続いて日産(ニッサン)では完成検査を無資格者にさせていたというのも判明したが、わがマイカーも丁度それに該当していて少々立腹している。

 東芝の粉飾決算も、神鋼のデータの改竄も、日産の無資格者に検査をさせたのも、最初にした者の責任は非常に重いと思うが、同時に、私の長い職業生活の経験からして、その不正に気付いたものは少なからずいたはずである。「担当まかせにしていたので誰一人分らなかった」というのは絶対に大嘘である。
 「会社の外には憲法があっても会社の中には憲法も法律もない」というのが日本の会社主義の一番の欠点と言われるが、「これはおかしい」と指摘する社員は疎んじられ、場合によっては叱責される。そういう「社内文化」こそが主たる原因である。

 そのさらに遠因を考えると、国会で大嘘つきが大きな顔をしているのをくり返し見せつけられることが、この社会を大いに歪めている。
 まともな内部指摘が評価される企業文化があってこそ、企業と商品の信頼が高まり社会も調和するのである。ニッポンブランドを汚しているのは経団連中枢企業でないか。

 では、個人で品質を計る術のない庶民はどうすべきか。
 それは過去の記憶を忘れずに、「これは信用できない」という常識力を高めることではないだろうか。
 というようなことを考えると、今まさに選挙戦の最終盤である。ポスターもテレビ広告も「良いこと」が並ぶ。
 もし、過去の行動を検証せずに、その言葉を信じるなら、庶民は永遠に「偽装」や「粉飾」に騙され続けるだろう。
 私は個人的にはマニフェストの比較検討というものにもあまり意義を感じない。明日覆される可能性のある文言の比較にどれほどの意味があろうか。
 それよりも、何百倍も大切なことは、その人や政党のいま言っていることが信用できるかどうかの検証に他ならない。

 民主主義の問題、平和の問題、税制と経済の問題、どれをとっても自民、公明、希望、維新の過去の行動には嘘がある。
 一方、共産党は、今次選挙でリベラル野党の前進のために身を捨てて献身している。その姿に嘘はない。
 思想家内田樹氏は「期日前投票で比例区はどこにいれたんですか?と各方面から聞かれました。立憲民主党、共産党、社民党のどれにしようか迷いましたが、今回は立候補取り下げで野党共闘を成し遂げた共産党の「痩せ我慢」に一票を投じました」と公表されている。私はここに知識人の良識を見る。

 最後に、伊勢新聞の記事を紹介する。
 ◆ 衆院解散の前夜。共産党県委員長の大嶽隆司は伊賀市にいた。三重2区の公認候補取り下げと民進党候補の一本化に向けて開いた党員らとの会議。市民連合みえと結ぶ協定書の確認や統一候補を応援する方法の検討など、野党共闘を前提に話し合っていた。 
 会議のさなか、大嶽の携帯が鳴った。党本部に当たる中央委員会からだった。慌てて電話に出ると、こう告げられた。「民進党が明日の両院議員総会で希望の党との合流を決める。全員が希望に行くらしい。候補者の統一はいったんストップだ」。
 大嶽はあぜんとした。朝から民進と希望の合流を伝えるニュースは出回っていたが、「まさか全員が希望に行きはしないだろう」と考えていたからだ。その読みは外れた。電話を切った大嶽は議題を独自候補の擁立に切り替えた。〝突貫工事〟の始まりだった。
 翌日から独自候補の擁立に向けた作業に追われたが、一週間を経て「二度目のびっくり」に直面した。民進出身の前職らが相次いで無所属での立候補を表明したのだ。これを受け、共産は1区と2区で候補者の取り下げを発表。公示まで残り四日だった。
 市民連合みえと三野党が結んだ政策協定の調印式で、大嶽は誰よりも笑顔で報道陣のカメラに収まった。笑顔の背景に「安倍政権打倒」への期待があることは想像に難くないが、紆余曲折を経てたどりついた野党共闘の成立に達成感を覚えたのだろう。
 野党共闘の本質は共産の候補者取り下げに他ならない。独自候補を失うという重い決断。直接のメリットもない。にも関わらず、世間では民進出身者が無所属を選んだことによって野党共闘が成立したと語られる。共産は野党共闘の上で、いわば「影の存在」だ。
 それでも大嶽は不満そうな様子を一切見せずに統一候補を支援する。なぜか。離合集散の野党に翻弄された感想を尋ねると、こう話した。「うちの党はぶれない。私は共産党で本当に良かった」。激動の政界にあっても揺るがない党が大嶽の矜持なのだ。(引用おわり)

 贔屓でいうのではないが、ここには文句なしに清く献身する人と政党がある。
 「あの時代にどうしてた?」と尋ねられて、孫子(まごこ)に恥ずかしくない行動をしたい。
 とすると「比例は共産党」、それが答だと私は思う。

    痩蛙まけるな一茶是に有り 小林一茶

    籾臼は土臼だったと教えられ

2017年10月19日木曜日

北風が吹く

   この間から急に寒くなり夜中に布団の中で突然震えたことがある。
 気の早い冬将軍が今年は急いでやってきた。こんなことは何年ぶりのことだろう。
 歳時記(もちろん冬)をめくってみるとやっぱりというか、北風という季語に明るい句は見当たらない。
 近くに、かかる日の不祝儀一つ北しぶき 辻田克巳 という重い句が載っていた。

 先日来、メディアが選挙の予想を流しているが、近頃の天気や先の句に似た記事が多いのが気にかかる。
 ところで、野党のモリカケ疑惑追求に対して盛んに「印象操作だ」と繰り返した安倍首相(自民党総裁)が選挙第一声に選んだのは意外にもフクシマの田圃だった。
 彼の後ろには青々とした穂波が揺れ、動員された自民党員しか入れない場所での異例の第一声だった。「印象操作」とは誰のことかとお返ししたい気になった。

 しかも、フクシマでの第一声であったにも拘らず、原発事故の被害や被災者の苦労には一言も、ほんとうに一言も触れなかったのだから、フクシマという地名と青い稲穂はただの「だし(印象)に使われた」だけだった。
 「だしに使う」というと、首相や自民党が多用しているフレーズは「北朝鮮の危機」である。「危機が迫っているから強い?政府を支持しろ」と・・・。

 史実をめくると、ナチスドイツの国家元帥ヘルマン・ゲーリングはニュルンベルク裁判でこう述べた。
 「国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に曝す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ」と。
 「憲法改正はナチスに学んだらどうかね」と言った副総理同様、安倍自民党の手法がファシズムのそれであることは明らかだ。

 韓国事情に詳しい姜尚中氏の文に、韓国の右派政党にも日本の自民党同様、北の脅威を煽って己の大言壮語に国民の支持を引き付けようとする同様の傾向があるとの指摘があった。
 だから彼らは金正恩が暴発する度に「北風が吹いた」と喜ぶのだと。
 先日来の嫌な北風に震えながら、「北風が吹いた」と喜ぶ日本の与党側政党の品性の卑しさに私は歯噛みしている。

    豊穣の籾燻す香や秋の暮

2017年10月18日水曜日

人を裏切ってはならない

   昨日の中島岳志氏の見解は多くの示唆を含んでいたが、読者の皆さんはどの個所に共鳴されただろうか。
 私は『保守って最後はシンプルに「仲間を裏切ってはならない」という常識を重視しますが・・』と、中島氏が前原誠司氏を批判しているところに、「そんなシンプルな批判のしかたがあるのか」と妙に感心した。

 そういう観点から振り返ってみると、安倍首相と昭恵夫人があれほど親密であった籠池夫婦を、この選挙期間中徹底して異常に長期間拘留をして発言を封じ、あげくは「彼は詐欺師だ!」「騙された」とは、私とは別世界のことながら『人の道に外れていないか』と素朴に感じている。

 前原誠司氏はもちろんだが、きっと事前の「約束」を信じて公認申請してきた人たちを「選別しないことなどさらさらない」と路頭に放りだした小池百合子氏も、これも全く他人ごとながら冷酷非情だと思う。

 裏切りといえば、国政では自民党と連合している公明党が、都議会選挙ではブームはこちらだと小池につき、大阪では維新につき、平和の・・だの福祉の‥だのと言いながら戦争法、共謀罪、消費税引き上げに賛成し、創価学会初代会長も二代目会長も治安維持法で投獄された歴史など知ったことかと「仏罰」の言葉で支持者を脅して「現世利益」に走るのは人の道にも仏の道に外れていないか。
 明らかに、ただただ議席維持のために大阪(人)を裏切った罪は重すぎる。

 「身を切る」などと言いながら紙面に収まらない数々の不祥事を並べている維新に至っては、これが最後の機会だと煽った大阪都構想住民投票で敗れたにもかかわらず、公明党に「対立候補を立てるぞ」と脅して蒸し返すなど、仁義なき・・・・というのはこういうことを言うのだろう。

 こういうことだから、保守主義者を名乗る中島岳志氏が、意外にも正直一本の共産党と波長が合うのも当然かもしれない。
 保守だ革新だという言葉は横に置いて、澄んだ眼で政党を俯瞰すれば、一番常識ある国民と一致する共産党に、少なくとも比例区ではそう投票してほしい。
 漫画家山本直樹氏が「憲法を守れ!と言うのは今や共産党と天皇陛下くらいになってしまった」と語っているのもジョークではない。常識ある国民の素直な感想だろう。

 昨日まで人を裏切ってきた人や政党が、明日、貴方を裏切らないと信じるのはコンピュータ的にいえば学習能力がないということにならないか。
 マスコミ報道では、市民と野党の共闘のために候補者を大幅に取り下げた共産党が、そのために選挙運動が制約されて厳しい情勢だと伝えられている。
 こんなことで国民を裏切らない正直共産党が伸び悩むのはあまりに悲しい。
 義を見てせざるは勇無きなり。ここは「比例は共産党」に力を貸したいものである。

    今朝もまたクルマを叩く萩の花
    近所の一段高い庭から萩が道路を覆ている。毎日自動車で通るたびにピシッパシッと叩かれる。

2017年10月17日火曜日

「保守」の神髄

   保守思想に基づく本来の保守を唱える中島岳志氏と共産党副委員長山下芳生氏の『週刊金曜日』上の対談を転載する。
 少し長いので要約しようかと考えたが、私ごときが要約するのは僭越なのでほぼそのまま掲載する。
 「長すぎる」という批判もあるかもしれないが、大切なことを単純に語る者にはどこかに嘘があるものだ。
 少し落ち着いてゆっくりと読んでほしい。

 ◆ 緊急対談 ◆ 衆院選で問われる日本政治の新しい対決軸、リベラル陣営のリアリズムとは(山下芳生×中島岳志)

 衆院選の投票日が刻々と迫る。「安倍vs.小池」の対決構図が作られる中で、従来の「保守vs.革新」という枠組みは崩壊した。リベラル陣営は「野党共闘」を進め、日本の政治の対決軸は新しい構図となったが、保守と共産党は主張を同じくできるのか。リベラル陣営の一翼を担う共産党に、保守思想に基づく本来の保守を唱える中島岳志『週刊金曜日』編集委員が、とことん意見を付き合わせた。 

 ◆ 中島 岳志 ◆
   なかじま たけし・東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授、『週刊金曜日』編集委員。1975年、大阪府生まれ。ヒンディー語専攻。インド政治や近代日本の思想史を研究。著書に『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(2005年、白水社)、『「リベラル保守」宣言』(13年、新潮社)、『アジア主義 その先の近代へ』(14年、潮出版社)、『親鸞と日本主義』(17年、新潮選書)など。

 ◆ 山下 芳生 ◆
   やました よしき・共産党副委員長。1960年、香川県生まれ。大学卒業後、大阪かわち市民生協に勤務。95年、参院大阪選挙区に35歳で初当選。2001年には「党リストラ反対・雇用を守る闘争本部事務局長」となり、全国の職場・地域を巡る。07年に6年ぶりに参院議員に再選し、13年に3選。14年党書記局長、16年副委員長に就任した。モットーは「あったかい人間の連帯を国の政治に」。



中島 私はこれまで、保守思想に基づいての思考や議論をしてきましたが、今の自民党をはじめ日本で「保守」を掲げる人たちには強い疑念を持っています。これは従来の「保守vs.革新」という枠組みが崩れているからで、衆院選を前に、その枠組みを見直す必要があると思っています。

保守の立場から自分自身の話をすると、私は今まで共産党に投票したことはありません。けれど、自民党を選択する可能性はどんどんなくなっていて、このところは民進党をさまざまな面からサポートしてきました。この中でここ数年間、面白い現象が起きています。新聞社などがやっている、自分の考えと各政党のマニフェストとの相性診断をしてみると、どれをやっても結果は共産党になるんです。保守の論理を追求すると、内政面では共産党の政策と近くなる。

山下 今のお話で思い出したのは、2015年10月の宮城県議選で、“保守の地盤”といわれた大崎市選挙区において初めて共産党の県会議員が当選した時のことです。勝利できたのは、JA(農業協同組合)の県中央会の会長やその地域の元首長、議会の議長など保守の方々が本気で応援してくれたからです。

この年の9月に安倍政権は安保法案を強行採決し、さらにTPP(環太平洋連携協定)へとまっしぐらに向かおうとしていて、みなこれに怒っていた。中島さんが政党との相性診断で共産党に行きつくというのも特別なことではなく、安倍政権の暴走によって、保守を自任し、地域の絆を大切にしてきた方々がさまざまなところで立ち上がっている。

 ◆ 本来の保守から見ると安倍首相は「デタラメ」 ◆

中島 安保法制に対して本来の保守が最も怒っているのは、その決め方です。保守は、懐疑主義的な人間観を持っている。それは、理性は不完全で万能でないという考えからくるもので、「多くの庶民たちによって形成されてきた良識や経験値を大切にして、徐々に変えていこう」という考えが保守思想の王道だからです。

それゆえに保守の言う民主主義とは、単純な多数決ではない。少数者にも理があるので意見を汲み取りながら合意形成をして、前に進めていくというもので、大平正芳さん(注1)などの保守政治家が実践してきたことです。大平さんは共産党とも社会党ともさまざまな議論をしながら合意形成をしていた。それが政治における保守の人間の肌感覚、人間観なんです。

しかし、安倍晋三首相には決定的にそれが欠如している。国会というものを非常に軽視し、議論というよりは単に時間をクリアすれば安保法案は通るんだという姿勢を取り続けた。これに対して保守は、「あいつはデタラメだ」と感じているし、違和感を持っています。自民党の重鎮の方々にも、同じ感覚を持っている人が多くいると思います。

山下 私は大阪に住んでいますが、「日本維新の会」の法律顧問の橋下徹さんもその典型かもしれないですね。選挙で多数を得れば、後は何をやっても許されるんだという考えに立っていて、民主主義とは相対する。

選挙で決まった力関係で何をやってもいいというのであれば、議会はいらないわけです。安倍さんも、自分は選挙で選ばれ、国会で首相に指名されたんだから、文句言うなというやり方。7月の東京都議選の応援演説の時に市民に向かって「こんな人たち」という発言をしたことにも象徴されている。これは非常に危ないことです。

中島 それで現在の政治状況を把握するために、<図>を見て考えていきたいのですが、縦軸はお金、つまり再配分の問題です。税金を集めて、それをどこに使うかという非常に強い権限を政治は持つわけですが、下に行けば行くほど小さな政府になります。つまりリスクの個人化が図られ、自己責任にされてしまう社会。上に行けば行くほど、それを社会みんなで支え合うというセーフティーネット強化型の大きな政府になる。

   横軸はリベラルとパターナルという価値観の問題です。リベラルは、基本的に個人の内的な価値の問題について権力は土足で踏み込まないという原則を持つ。これは寛容ということです。その反対語は、保守ではなくてパターナルで、価値を押しつける権威主義や父権制といった観念のこと。これは夫婦別姓、LGBT(性的少数者)の権利、歴史認識の問題などに現れやすい。

明らかに今の自民党は〈Ⅳ〉の一番下のラインに位置すると思います。日本は、租税負担率や全GDP(国内総生産)に占める国家歳出の割合、公務員数などあらゆる指標がOECD(経済協力開発機構)諸国最低レベルとなっていて、もはや自己責任がいきすぎている社会です。

小池百合子さんも〈Ⅳ〉に属します。彼女はかつて夫婦別姓に大反対しており(編集部注・「希望の党」は「寛容な保守」をアピールするために選択的夫婦別姓の導入に取り組んでいくとしている)、完全に思想的にはパターナル。極右的で歴史認識もひどい有様です。

山下 永住外国人の地方参政権反対を希望の党の公認候補になるための踏み絵にもしていましたよね。

中島 そうなんです。小池さんはリスクの個人化や規制緩和を促進してきた。生活保護の受給に厳しい発言を行ない、自助を強調してきた。それなので、現在「安倍vs.小池」と言われていますが、これは〈Ⅳ〉という狭いコップの中の争いでしかありません。パターナルかつリスクの個人化が極まった〈Ⅳ〉の一番下のラインに位置する日本を〈Ⅱ〉の方向に向かわせるためには、〈Ⅱ〉の軸をしっかり作ること、つまり野党共闘ということになる。

ただ、〈Ⅱ〉は部分的には〈Ⅰ〉や〈Ⅲ〉と連携ができるかもしれないけれども、(Ⅳ)と組むことだけは絶対にしてはいけない。しかし民進党は小池都知事を代表とする希望の党と組んでしまったので、わけがわからないことになっています。民進党の前原誠司さんがやったことは政治の問題以前の話で、保守って最後はシンプルに「仲間を裏切ってはならない」という常識を重視しますが、それすらも守れていない。

自民党もかつては、田中角栄さんなど旧経世会(注2)が〈Ⅰ〉で、大平さんなど宏池会(注1参照)が〈Ⅱ〉でした。このバランスでやってきたはずでしたが、1990年代後半から一気に下のラインにきている。ここを取り戻したい。公明党は本来〈Ⅱ〉ですが、政権にすり寄ることで生き残りをかけようと、〈Ⅳ〉であることに甘んじています。

 ◆ 「暴走政治」をリセットできない希望の党 ◆

山下 BSフジの討論番組で先日、希望の党の若狭勝さんと同席したんですよ。若狭さんは民進党から希望の党に移籍する人の選別係で、その基準は安保法制を容認すること、9条を含む憲法改定に反対しないことだと説明していました。小池さんはしきりに「リセット」と言うけれども、選別基準は安倍政権による暴走の最たるものです。それをリセットしないのなら、自民党の補完勢力でしかないじゃないかと指摘すると、若狭さんは「自民党の補完勢力を作るために希望の党を立ち上げたんじゃありません」と色をなして反論していましたが、説得力を感じられなかった。安倍自民党と小池希望の党の間には対立軸がない。

今年1月に共産党が党大会で打ち出した、日本の政治の新しい対決の軸である「自公とその補完勢力」対「野党と市民の共闘」の構図は、現在も同じだと思います。こうした構図に至る背景には、2015年に起きた安保法案廃案を求める市民運動が、野党間にあった壁を壊してくれたことがあります。野党は、初めは「充実した審議」で一致し、次は「(安保法案)成立阻止」で一致し、最後には「内閣不信任案を共同提出」というところまで向かっていった。強行採決された後も、安保法制廃止のうねりが起き、翌16年の参院選での野党共闘につながりました。

今回、その一翼を担っていた民進党が希望の党に吸収され、非常に混乱もしましたが、再び市民のみなさんが声を上げてくれる中で立憲民主党ができた。安保法制廃止と安倍9条改憲反対、立憲主義回復を貫く流れの中から新しい党が生まれ、復元力が発揮されたのは、この2年間の野党と市民の共闘の積み重ねがあったからこそだと思います。

中島 重要なのは、立憲主義を回復するという共通意識です。立憲主義は、「人間は不完全なので、権力も暴走する。だから、それに対して国民の側から縛りをかけないといけない」というもの。同時に、保守の立憲主義は、英国的な立憲主義の考え方と同じなのですが、基本的に国民が権力を縛っていて、この国民の中には死者が含まれていると考える。つまり、過去の多くの蓄積の中でさまざまな経験を積み重ねてきた人たちの思いというのが、現在の政府までを縛っていると。

この死者たちの積み重ねてきた歴史の上に現在の自分というものを捉えているので、英国人は今の人間が特権的に何かを明文化するということに対して慎重ですし、明文化できないと判断してきた。そのため、英国には単一の憲法典として成文化されたものはありません。その都度、マグナ=カルタ(注3)や権利の章典(注4)、慣習法や判例の積み重ねによって判断されてきた。

山下 日本の憲法にも、アジア・太平洋戦争で犠牲となった310万人の日本人と2000万人とも言われるアジアの人々の“死者の叫び”が込められていると思います。

雑誌「暮しの手帖」編集部が約50年前に読者から寄せられた投書を編纂した『戦争中の暮しの記録』という本があると知り、復刻版を取り寄せて読んでみました。そこには突然の召集で一家の大黒柱だった夫を戦地にとられ、幼子とともに残された妻の、「この苦しみを二度とくりかえされないようお願いしたいものです」と結ばれた手記や、焼夷弾の猛火の中を幼い弟と逃げるも、ついに両親には会えなかった姉の、「いつかは両親が訪ねてきてくれると信じていたかった」と記された手記など、人々の日常の暮らしが戦争によってどのように変えられてしまったかが、250頁にわたって記録されていた。

創刊者であり編集長だった花森安治さんは後書きに、「どの文章も、これを書きのこしておきたい、という切な気持ちから出ている。書かずにはいられない、そういう切っぱつまったものが、ほとんどの文章の裏に脈うっている」と書いています。

日本国憲法は、多くの日本人が持っていた「切な気持ち」の中から生まれ、歓迎され、定着し、そして今も力を発揮し続けている。

中島 若狭さんは希望の党設立前、新党の一番のテーゼは一院制にすることだと言っていました。ですが、国家意思を決めるのに時間がかかる二院制を取っているのは、死者からの私たちに対する歯止めなんです。これを簡単に崩壊させることはあってはならないし、安倍さんが議会内の慣習などを平気で破り、閣議決定によって憲法の解釈を変えていくやり方も見すごせない。この姿勢は、死者の経験値をないがしろにすることで、死者に対する冒涜です。

 ◆ 大切なものを“守る”ための改革が必要 ◆

中島 そこで<図>の〈Ⅱ〉の軸、野党共闘について考えてみると、保守である私の考えと共産党の挙げる政策には一致点が非常に多い。最近、面白い論考が『中央公論』10月号に出ていて、世論調査をしたところ、共産党を保守の側だと位置づける若者が多いというんです。これは、国民の生活を守る、地方における零細企業の雇用を守る、グローバル資本主義経済の餌食にならないよう農家の所得を守るなど、共産党が「生活の地盤を守る」ということを非常に強く言っているからだと思います。それが若者にとっては大変保守的なものだとうつる。

私はこの若者の感覚はするどいと思っていて、私自身もここ5年ほど、保守を考えれば考えるほど共産党の主張と近くなっていくという現象を体験しています。「大切なものを守るためには変わらないといけない」というのが基本的に今の共産党の政策だとするならば、保守の哲学者エドマンド・バークが言ってきた「保守するための改革」ということとまったく同じなんです。

共産党はTPP反対であり、日豪EPA(経済連携協定)や日米FTA(自由貿易協定)についても非常に厳しい立場ですので、グローバル資本主義や新自由主義の暴走への対峙というその姿勢も私と一致します。さらに、大企業に課税し、引き下げられすぎた所得税の最高税率を元に戻すべきだとする共産党の姿勢も当然の話で、安倍さんの言う消費税増税より先に手をつけないといけない。内部留保を社会に還元して、最低賃金を上げるという共産党の政策もその通りだとしか言いようがなく、保守的な政策に見える。

山下 アベノミクスは開始から5年弱経つのに、恩恵の実感を持つ人が非常に限られている。これは失敗であったと位置づけられるべきものなのに、自民党は今回の選挙公約にアベノミクスの「加速」を挙げています。グローバル資本主義や新自由主義のもとで、安倍さんのやっている政治は、ごく一握りの富裕層と大企業の利益をさらに増やしているだけにすぎません。「大企業が豊かになれば、やがて富が国民全体にしたたり落ち(=トリクルダウン)、経済が成長する」という説明でしたが、大企業の利益は史上最高を更新し続けているのに、労働者の実質賃金はずっと減り続けている。中間層がやせ細り、貧困層が増大しています。

その最大の原因は、1990年代の雇用破壊だと思います。1999年の労働者派遣法改訂により雇用の規制が緩和され、派遣労働が基本的に自由化されました。2004年には製造業への派遣も解禁された。こうして、どんなに企業が利益をあげても、それが労働者にトリクルダウンしない仕組みが作られ、企業の内部留保が膨らみ続けている。

日本経済全体が健全に成長発展するには、労働者派遣法を抜本改正して規制を元に戻す、中小企業の支援とセットで最低賃金を引き上げるなど、内部留保を社会全体に還元する政策を進める必要があります。破壊された雇用のルールを再構築しなくてはいけない。

中島 その通りだと思います。私は保守の立場から派遣労働に反対してきました。福田恆存という戦後保守を支えてきた文芸批評家の著書『人間・この劇的なるもの』(56年、新潮社)が私の座右の書なのですが、ここでは人間は演劇的な動物であると述べられている。社会の中で人間は役割というものを演じ、その役割を味わいながら生きていると。自分がその場で必要とされ、役割が与えられているということが人間にとっては重要だと彼は言っている。

これはきわめて保守的な人間観だと思います。しかし、派遣労働あるいは非正規労働は、ここを破壊する。とくに派遣労働者は、現場で「派遣さん」と呼ばれ、代替可能性というものを常に突きつけられている。

 ◆ アベノミクスには“未来”がない ◆

中島 アベノミクスも保守としてどうおかしいのか考えると、企業の内部留保の問題に行きつきます。アベノミクスは一時的な現象であって、未来は不安定だと考えているから、企業は内部留保を貯める。数十年先の安定的なビジョンと政策があってこそ、思い切った投資や企業の活性化というものができるわけで、それがない以上、みんな内向きに縮小していく。中小の零細企業まで政治が支えていくという体制がなければ、経済の循環は生まれません。

アベノミクスは年金をさまざまなマーケットにつぎ込み、結果、そのお金はグローバル企業に流れていっており、これが日本の土台をどんどん潰していっています。こんなことをしている人間に保守を名乗ってほしくない。

山下 派遣労働者は90年には全国で50万人でした。しかし、2008年のリーマンショックの直前には400万人にまで増えていた。「若者が正社員になれないのは、働く意欲と能力が足らないからだ」という自己責任論も盛んに振りまかれましたが、個々の若者の「意欲と能力」の問題にしたのでは、派遣労働のこれほどの急増は説明がつきません。雇用のルールを変えた政治の責任なのは明らかです。

リーマンショック後、派遣切りの嵐が吹き荒れ、08年末から09年初めにかけて派遣切りされた人たちに食事や居場所を提供するために東京・日比谷公園に「年越し派遣村」が開設されました。非正規雇用というのは、単に不安定で低賃金な雇用というだけではなく、いざという時には使い捨てられ、住むところまでなくなるんだということが可視化された。

リーマンショック後、首都のど真ん中に派遣村が出現したのは、日本くらいじゃないでしょうか。それほど雇用と社会保障のセーフティーネットがない。全国各地で派遣切りされた労働者への支援、労働組合を結成するなど闘いに立ち上がった労働者への連帯が広がり、共産党は、「だれもが人間らしく働けるルールある経済社会」をキャッチフレーズに、国会論戦と政策活動に取り組みました。

中島 私は自民党ではなく共産党のほうが、正しい意味での「愛国者」だと思っているんですよね。愛国というものはもともと「民主」という概念とともに生まれてきたものなんですが、少なくとも困っている国民がいたら、ちゃんと助けましょうという連帯意識が含まれている。もちろん排外主義にならないようにリベラルな規制がなければいけないんですが、それがまっとうな愛国。日本共産党という名前の意味は、多分そこにあるんですよね。

山下 はい、「国民の苦難軽減」が立党の精神です。

中島 自己責任という観念についても、ちゃんと乗り越えていかなければいけない。社会的な弱者として位置づけられる人たちが自己責任論に魅了されてしまうケースもあります。維新の橋下さんが典型で、「自分はこんなに頑張って這い上がってきたんだから、この人生を認めてほしい」という承認欲求や実存的アピールが自己責任論になっている。この構造をうまくほぐさないといけない。

批評家の小林秀雄が面白いことを言っていて、伝統がどういう時に現れるかというと、大きな破壊の嵐に見舞われた時だというんです。これを現在に当てはめて考えると、自民党や維新、希望の党の人たちが破壊者であり、それに対して伝統を大切にせよと言うのが共産党と本来の保守ということになる。

山下 競争と分断を特徴とする新自由主義の政治の暴走に抗う中で、私たちと保守の方々との接点が広がり、地域での連帯がむしろ再生されてきたと感じます。

中島 おっしゃる通り、破壊者が出てきた時にようやく、共産党と保守の溝が埋まった。なんだ、同じこと考えていたんじゃないかって(笑)。

 ◆ 脱原発、対米従属からの脱却、
     安倍9条改悪反対というリアリズム ◆

中島 原発についても同じで、保守の人間は原発なんてそう簡単に推進できない。少なくとも福島における伝統、慣習っていうものの総合体を失っているわけですよね。大量破壊兵器や原発は慎重に避けるべきであるというのが保守の叡智であると思うんです。つまり原発は廃止したほうがいいということになる。ここの考えも現在の共産党と一致していると思いますが、それは、ある種の科学万能主義っていうところから、共産党も変わってきているからだと思います。

山下 原発の焦点は今、再稼働の問題です。希望の党の小池さんは「原発ゼロ」を目指すと言う反面、原子力規制委員会が認めた原発は再稼働させるとも言っている。しかし、規制委員会の規制基準というものが、いかにいい加減なものか。そもそも福島第一原発事故の原因さえ究明されていないんですから。

共産党は、ただちに「原発ゼロ」の政治決断を行ない、再稼働させずに、すべての原発を廃炉のプロセスにのせるべきだと考えています。3・11をきっかけにして2013年から約2年間、国内の原発が一基も動かなくても電力は足りていたわけですから。原発なしでも日本社会はやっていける。本当に「原発ゼロ」を目指すなら、再稼働は必要ありません。

私は希望の党の「排除の論理」も気になっています。先ほど話した若狭さんと同席した討論番組の中で、彼は選別基準を二つ示した後に、「私は検察官出身。嘘を見抜くプロだ」とニタニタしながら言ったんです。ゾッとしました。かりにもこれから同じ党の同志になろうという人に対して発する言葉なのかと。一人ひとりを大事にして、包摂していく政治や社会を作ることができるとは思えません。

これが永住外国人の地方参政権反対という主張にもつながっている。永住外国人は納税もしているわけですから、地方参政権を付与されるのは住民自治の見地からも当たり前です。これに反対する小池さんが、東京オリンピック・パラリンピックを主催することの矛盾も感じます。

中島 そういった主張を聞いていると、どこが「寛容な保守」なのかと思いますよね。

山下 もうすでに「寛容」でないことは見透かされつつありますが。

中島 日米関係については、本来の保守は基本的に、米国の従属に対して主権を取り戻せという立場です。日本の国土の中に実質的な治外法権の場所があるというのは、半独立国であるということ。さらに現状のまま集団的自衛権を認めるとなると、日米安保は完全な不平等条約になります。日本は米国を守らなくていい代わりに、基地を提供し、思いやり予算を提供してきた。

しかし、集団的自衛権が双方向的なものであるということになると、バーターが成り立たなくなる。日本に米国の軍事基地が残るという不平等性が顕在化する。なんで保守派を称する人たちが、喜んで不平等条約を抱きしめているのか。

山下 対米従属の問題を考える時、その「米」の世界戦略が今どのような状況に陥っているのか、検証する必要があると思います。01年のイラク戦争、03年のアフガン戦争は、数十万人の市民の命を奪い、泥沼の内戦を作り出し、「テロ」を世界中に拡散させて、IS(「イスラム国」)のような過激な武装組織が出現する要因となった。世界にこうした状況をもたらした米国の軍事的覇権主義は大破綻しています。その破綻した米国のやり方に追随していくのが安保法制です。そこに未来はあるのでしょうか。

 ◆ 非現実的な自民、希望、維新の主張 ◆

中島 自民党や希望の党の人たちは、リアリズムというものが日米安保にあると言うんですけども、これはまったくリアリズムを欠いている。冷静にリアリズムという観点に立つのであれば、これから10年、20年のスパンで考えるべきで、そこを見据えると、日米安保こそヤバい。米国のトランプさんが大統領選の時に、「在日米軍の経済的負担を日本が担わなければ、米軍を撤退させる」と言っていたのは米国人の本音で、さらに今は米国で日本は核武装すべきだという議論やデカップリング論(引き離し論)が非常に強い形で出てきている。

これはなぜかというと、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が大陸間弾道ミサイル(ICBM)を完成させると、防衛構想がかなり変わるからです。ICBMが飛んでくるとなると、米国も大きな被害を受けるので、北朝鮮の日本への攻撃に対する報復に慎重になる。集団的自衛権は割に合わなくなる。日本をサポートすることによって、ワシントンやニューヨークが核攻撃の対象となり、火の海になるかもしれない。

米国ではどんどん日米の切り離し論が現実味を帯びているんです。そうした時に、日本の安全保障はどうするのかというと、アジア諸国のアライアンス(連携)を強化しながら、アジアの国々となんとか緊張緩和を図っていくいくしかない。これがリアリズムだと思うんです。

山下 北朝鮮の核ミサイル問題をリアリズムで見ると、米朝間で軍事的緊張がエスカレートする中、最も懸念されるのは、当事者たちの意図にも反して偶発的な事態や計算違いによって軍事衝突が起こることです。このことはペリー元米国防長官も、ジェフリー・フェルトマン国連事務次長も指摘しています。これを避けるには米朝が直接対話をするしかない。もし戦争が起こればその時は核戦争ですから。そうなれば、安倍さんが言っている「国民の命と安全を守る」なんてことはできるはずがない。本当に「守る」ということに責任を持つのだったら、米朝の軍事衝突の危険をなくすことです。それには対話しかないんです。

同時に、米国も核保有国なので、北朝鮮に核放棄を説得しようがありません。やはり北朝鮮の問題を根本的に解決しようと思ったら、7月7日に採択された核兵器禁止条約を米国や日本が率先して批准すべきです。

中島 完全に同意します。さらに北朝鮮問題を考える上でも、原発は廃炉に決まっていると思います。ミサイルを撃ち込まれたら終わりですから。なぜそのリアリズムを軽視するのか。「保守」を掲げる人たちは、共産党が最終的には自衛隊廃止と言っているので国防問題について無責任だと言いますが、私はこの議論は違うと思います。共産党は即時の自衛隊廃止は謳っておらず、当面自衛隊というものは必要であるとしている。しかし長期的な理想的ビジョンとしては、それを縮小しながら廃止に持っていくんだと。そういう二段構えなわけです。

これは基本的に保守と同じ発想です。福田恆存さんは、現実的な防衛論を説く自分の超越的な観念には、絶対平和という観念があると言っている。哲学者カントの言う統整的理念と構成的理念で考えるとわかりやすいのですが、前者は、絶対平和、まったく武器のない世界など、おそらく人間が不完全である以上そう簡単には実現しないような理念で、後者は、現実的な政治の場面におけるマニュフェストのような一個一個の理念です。理念というものは二重の存在でなければ成立しない。共産党の理念はこの構造になっている。

山下 安倍さんが変えたがっている憲法9条も、悲惨な戦争への反省から生まれてきた人類社会が進むべき理想ですから、統整的理念ですよね。

中島 9条には、自衛隊の縛りをどう考えるのかという構成的理念も含まれるべきだと私は考えていますが、これを具体化するのは安倍さんのもとでではない。

山下 「安倍政権のもとでの憲法9条改悪に反対する」というのが、野党の党首合意で、市民連合ともそういう一点で野党共闘が再生されているわけです。今は一致する点を大事にし、相手のことをよく知り、相手の立場に立って考える、これが共闘だと思っています。

中島 その姿勢が基本的な民主主義であり保守的態度だと思います。日本が〈Ⅱ〉の方向に向かってほしいです。

注1)「保守本流」の政治家。吉田茂氏以来の旧自由党の流れを継ぐ自民党派閥の原点・宏池会の会長に1971年に就任。72年に田中角栄首相の外相として日中国交正常化を実現させた。
注2)現在の平成研究会。田中(角栄)派である竹下登元首相や金丸信元自民党副総裁らが旗揚げした自民党内の派閥。
注3)国王の権限を制限する内容などが盛り込まれた、立憲主義の出発点となる憲章。1215年制定。

注4)1689年、名誉革命直後に制定された、王権の制限、議会の権限などを定めた文書。

2017年10月16日月曜日

憲法三題(俳句訴訟勝訴、カナリア諸島の憲法9条、共産党と天皇陛下)

   一、〈梅雨空に「九条守れ」の女性デモ〉。これまで公民館の俳句サークルが選んだ俳句が公民館だよりに掲載されてきたところ、この句に限って掲載を拒否された問題で、13日、さいたま地裁は「公民館職員らが思想や信条を理由に不公正な取扱いをした」と市に賠償を命ずる妥当な判決を下した。

 そもそも憲法第99条には「・・裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とあるにも拘らず、どうしてその公民館では「憲法九条を守れ」という言葉が「中立公正」でないという結論に至ったのだろう。
 判決はその原因を職員の「憲法アレルギー」にあったとしたが、それだけではないのではないか。
 想像するに、日本会議に所属する議員たちが日常執拗にそう主張し、自治体に圧力を加えてきたことに遠因があるに違いない。
 
 「俳句は世の中の動きを敏感に反映する」とは夏井いつき先生の言葉だが、当該公民館のある種の恐怖に裏付けされた「忖度」も、世の中の悪い動きを敏感に反映したものだった。
 「アベ政治を許さない!」というのは、そういう無言の圧力をはねつけて自由にモノが言える民主主義社会を作ろうという主張である。

 二、友人のブログ『usukuchimonndou』
 http://usukuchimonndou.blogspot.jp/2017/10/blog-post_14.html
に教えてもらって感心したことがある。
 カナリア諸島第2の都市テルデ市の『ヒロシマ・ナガサキ広場』にスペイン語の日本国憲法第9条の美しい碑があるという。(写真)

 こうなれば9条守れ!はただ日本人だけの問題ではない。
 自衛隊を明記などすれば、「こんな素晴らしい憲法を持っていた国が20〇〇年再びアジア大洋州の鼻つまみ者になったという説明書きが横に立てられることだろう。

 安倍首相は日本国憲法を「みっともない憲法」と言い募ってきた。
 朝日新聞論説主幹も一面論文でそのことを厳しく指摘している。だから「自衛隊の明記」だけで済むと考えるのは余程のお人好しか無知となるだろう。

 「憲法改正はナチスに学べばいい」と副総理が言ったのは平成25年、「その頃から安倍首相らは如何に憲法を骨抜きにするかを検討してきたのだろう」とは昭和史の大家半藤一利氏の指摘。
 今次選挙で自民党は憲法9条改正を公約に盛り込んだ。
 「選挙なんて誰がなっても変わらないだろう」は通用しない。棄権は改憲容認の票となる。

 三、漫画家のセンスには脱帽することが多いが、漫画家山本直樹氏の言葉には笑ってしまった。
 曰く『「憲法を守れ」と言うのは、今や日本共産党と天皇陛下くらいになってしまった』と。
 先日、あるミニコミ紙に私は平和・護憲について、「革新勢力は現天皇を孤立させてはならないように思う」と書いたが、その応援をいただいたような気になった。(9月24日の『ヘイトスピーチと天皇』参照)

   安倍政権の下で賃金と年金は下がり続け、未来に展望が見えない閉塞感が広がっている。
 そこに付け込んで? 維新は大阪が府であって都でないからそうなのだと主張し、自民は憲法が改正されなかったからだと主張する。
 少し冷静に考えればその論理の支離滅裂(非論理性)ぶりは明らかだが、深刻な閉塞感は一方にニヒリズムを生み、劇場型選挙で刹那的な熱狂を支持したりする。
 
 近頃昭和史を読み返すことが多くなった。
 昭和前史と重ねて「嫌になるね」という声を聞くことも多い。
 だから、周りの人々にもどうか共産党を勧めてほしい。
 『漫画家が「憲法を守れと言うのは、今や日本共産党と天皇陛下くらいになってしまった」と言っているが』と話すと肯いてくれ人が多い。

 比例には死票はない。比例は共産党。野党共闘の要の共産党。
 選挙区では、大阪3区わたなべ結、大阪4区清水ただし、大阪5区北山良三では本気で議席を狙おう。
 大阪府下の選挙区候補者は写真のとおり。写真の上でクリックすると拡大できるのでよろしく。
 SNSではこんな選挙運動が自由にできる。

    うそ寒や改憲近いの記事のあり

2017年10月15日日曜日

しば山のぼるさんのこと

   先日、大阪1区の共産党候補者『しば山のぼる』さんの話を聞く機会があった。
 大阪1区というと共産党の重点区でもないから、正直にいえば今回の選挙で当選する確率は非常に低い?
 だから、どんな話をするのだろうと興味があったが、やっぱりというか99,9%が比例区で共産党と投票する意義と、各選挙区で「市民と共産党と野党の統一候補」を勝たせようという話だった。
 自分のことはそっちのけで、そういう話を元気に語る候補者を見て、私は、橋を架ける土木工事などの際使われる、目に見えない水底で基礎を支えたり水勢に立ちはだかる『捨石』という言葉が脳裏を横切った。

 今回の解散直前には民進党から希望の党への雪崩現象があったが、一昨年国会前で「戦争法案反対」と叫んでいた議員が、「安保法制支持」という踏み絵を踏んで「自分ファースト」に走ったそれと比べて、なんと清貧に似た律儀さかと『しば山のぼる』候補が輝いて見えた。

 そういえば、朝日新聞が宮城県の野党共闘を論評して、「共産党県委員長は仁義を守った」などという記事を書いていて「仁義」などという場違いな言葉に笑ったが、内容は、共産党が、参議院選挙、仙台市長選挙で積み上げてきた野党共闘を壊さないために、元民進党の皆さんをじっと待っていたというものだった。
 そういう誠実な裏方、捨石があって現在の選挙が全国で進行している。

 きっと「言いたいことは山ほどある」のをぐっとこらえて安倍政治を止めさせようと努力している選挙区候補者がいっぱいいる。比例区候補も同じ。
 その人たちは、結果が出たときにも目立たないだろうが、そういう努力の積み重ねが時代を作るに違いない。
 そういう人を真のパイオニアという。

 一部では、立憲民主党にもいかなかったリベラル志向の無所属などに、協定もなく一方的に共産党が候補者を取り下げて支援に回るなど時代の過渡期の試行錯誤はあるし、政見放送の準備が物理的に間に合わなかった選挙区もあるようだ。
 そういう過渡期の対応が気に喰わないという意見もあろうが、私は、大局から俯瞰して「時期を考慮しない議論」は横に置きたい。すでにキックオフの笛は吹かれているのだから。
 
 目先の人気??に走って議員になりたがる失望の人々ではなく、献身的に庶民に奉仕する共産党を伸ばしたいという意見について、10月5日に『ホンネというニヒリズム』で触れた内田樹氏と姜尚中氏は、「そういう学級委員的な真面目な議論を茶化してしまう道徳的ニヒリズムが大阪にはある」と指摘していたが、大阪の船場の文化の土台を作った近江商人の『三方よし』の誠実さこそが上方文化の神髄だと声を大にして言いたい。
 今度の選挙でいえば大阪のど真ん中の『しば山のぼる』候補らの努力はそこに通じている。
 重ねて言うが、上方文化の基層は近江商人の三方よしの文化であり、ここ20年程の「ヨシモトの表層の一部」をそうだというのは誤解であろう。

   なので「人生意気に感ず」などという言葉を噛み締めて『しば山のぼる』候補の訴えに応えたい。
 参加者の笑顔が印象的な集会だった。
 やらせなど一切なしで、指名なしで参加者が好き勝手に語ったのも楽しかった。
 「比例は共産党」「選挙区はリベラル野党の統一候補と共産党候補」しかないと、決意を新たにした集いだった。

    祖父ちゃんの玉入れはゼロだと孫が言う
    こども園の運動会が終わってこのブログを書く

2017年10月14日土曜日

シャボンの木

   10月5日の『ホンネというニヒリズム』という記事で、主として内田樹氏が『大阪の「生活感覚ですべて切り捨てるという批評性」の良質なかたちが司馬遼太郎や田辺聖子で、その劣化したかたちが維新の反知性主義だ』という指摘には思わず肯いたが、その維新の反知性主義に結構広い支持が集まっているのはフェイクニュース(虚偽の情報)の力が大きい。

 例えば9月に行われた堺市長選挙で維新が配布したニュースでは、「堺市の不満」を聞いたアンケートで不満が多かったとか、大阪府33市中9番目に安い水道料を高いと言ったり、大阪市と比較した財政ではメモリ幅が4倍も違う的違いのグラフを大きく載せたりした。ちなみに自治体財政の健全性の目安である実質公債費比率では、堺市は全国20政令指定都市中第4位の健全さに比べ大阪市は8位、橋下、松井と続いた大阪府政はついには起債許可団体に転落している。
 こんな詐欺師同然の手法を駆使する維新が結構な支持を集めている。

 イギリスのEU脱退の国民投票でもフェイクニュースが大きな影響を与えたと言われている。
 思うに、善良な市民が騙されるには訳があると思う。

 例えば家庭電化製品が壊れた場合、50年前までなら理科の好きな子供なら日本橋に行って部品を買ってきて修繕ができた。その前提として、おおよその仕組みが理解できていた。
 しかし今では、消費者がそこまで考える(ブラックボックスの中が理解できる)余地はなく、ただマニュアルに従って対応するのが「正しい生活態度」ということになる。
 物事の本質まで検証して理解しようとする生活態度は「変人」であり、指示されたマニュアルどおりに対応できるのが「現代人」となる。

   さて、落ち葉や落果の季節が始まった。
 わが家のエゴノキの周辺は、野鳥の食事量をはるかに超えるエゴの実(種)が散らばっている。
 孫の夏ちゃんが来たときに「昔はこの実で洗濯してたらしいで」と教えながら、ふと、フェイクニュースではないが、『こんな、本で読んだだけの知識を軽い言葉で教えていいのか!』『それも「らしいで」という言い方を聴いて孫が感動するはずもないだろうに!』と、自分でしゃべりながら自己嫌悪に似た反省をした。

 で、やってみようか!ということになり、とりあえず一掴みの実で手を洗ってみた。
 結果は、私も夏ちゃんも立派に泡立って、エゴノキがシャボンの木であることを(この歳になって初めて)納得した。
 夏ちゃんも「エゴノキがシャボンの木」であることを忘れることはないだろう。

    秋澄んでエゴの実集め手を洗ひ

2017年10月13日金曜日

コメントの仕方

 先日、「このyamashirodayoriにコメントしようとしたが難しくて途中で止めた」という話を聞いた。
 確かに、いつの頃からか私自身がスマホからコメントできなくなっていた。
 いろいろ調べてみると、どうやら私のブログに問題がありそうだということが解ってきた。
 このブログはGoogle(グーグル)の Blogger(ブロガー)という外国製のもので、匿名に近い投稿には厳しい制限があるということが解った。それが強化されたようだ。
 
 そこで、当面は、yamashirodayoriのタイトルの下にメールアドレスを表示してあるので、コメントをメールで送信していただければ私の方で投稿します。

 また、IE(Inturnet Explorer)(インターネットエキスプローラー)の外に、Google Chyome(グーグルクローム)を検索して、それをインストールして、グーグルクロームで開いていただくとスムースにいくかもしれません。グーグルクロームのインストールは無料ですし、私は使いやすいブラウザだと考えています。要するにインターネットエキスプローラ―をグーグルクロームに変えるのが手っ取り早いです。

 さらには「グーグルアカウントを作成する」で検索して登録すれば、例えばひげ親父さんのコメントのように似顔絵を付けたりできます。登録は簡単です。

 ただ、そこまでしなくても現にコメントをいただいている方もおられるので、『私はロボットではありません』以降、クイズを解くように挑戦してみてください。
 そして、どこかでトラブったなら、その様子をメールで教えていただければ幸いです。
 自分自身ではトラブらないので、そのトラブルの詳細が判らないのです。
 よろしくお願いします。

 インターネットエクスプローラーの旧バージョンも上手くいかないようなので、インターネットエクスプローラーのバージョンアップをしていただければ上手くいくかもしれません。これはネット情報ですので確認はしていませんが。

 なお、私自身、コメントしやすいブログへの検討を行う予定です。

2017年10月12日木曜日

熟柿

   果物の木には豊作の年と裏作の年があるが、今年のわが家の柿の木は中途半端で微妙である。
 豊作の年には少々ヒヨドリやメジロが来ようとも「金持ち喧嘩せず」と鷹揚に構えていられるし、裏作の年は貴重な実にネットをかぶせて防衛している。
 で、今年はというとネットをかぶせていない実をヒヨドリなどが突くのを、少し落胆しつつ見守っている。

 鳥に突かれる前に収穫して熟せばいいではないかという意見もあるだろうが、木に生ったまま熟した「熟柿」は格別なので、最高のタイミングで明日収穫しようなどと計っていると、見事に前日に突かれる。

 ヒヨドリはわが家から1kmも離れていない奈良市では野鳥として保護されているが、わが家周辺では「害鳥」に指定されている。
 丸焼きにして食ってやるぞ!と毒づいているがもちろん捕獲を試みたことはない。
 そしてヒヨドリには「それは母の好物だから」といっても通じない。

 老人ホームの義母は熟柿が大好きである。
 朝食のおかずをそっちのけにして持参した熟柿を口にする。
 もちろん老人ホームの朝食は栄養管理が行き届いている。その上に持参した温泉卵や果物、特に熟柿などを食べるものだから、少々食事を残しても「我々の朝食よりも余程充実しているな」と夫婦で顔を見合わせている。

    ヒヨドリと間合い計るやじゅくし柿

2017年10月11日水曜日

ご自愛ください

   先日、奈良大学校内の書店で『古代豪族葛城氏と大古墳』という書籍を購入した。
 小笠原好彦先生の著作で、あまりのおもしろさにしばらくその読書に没入した。
 8日には赤旗に、国立歴史民俗博物館仁藤敦史教授による書評が掲載され、そこには「大型古墳の被葬者を大胆に比定」という見出しが躍っていた。
 「考古学による発掘成果と『記紀』の系譜をクロスさせ、あざやかに比定して見せた」「本書には、考古学と文献史学との関係を考える場合、問題提起的な指摘が多くあり、多くの人々に読んでいただきたい必読の書である」とあった。
 小笠原先生に言わせると、「日本書紀を丸々信じ込むのは学術的でないが全く無視するのも学術的でない」ということだろう。
   小笠原先生の講座に持参してサインをいただいた。宝物である。

 その講座の会場でほぼ同世代の先輩と会った。
 脳梗塞の後遺症だとかで少し元気を落としていた。
 私も左手にしびれがあり、ドクターに脳梗塞の後遺症かもと言われているというと、「みんなそうなのか」と、ちょっと元気になったようだった。
 昔は講座の後よく一杯やったのだが、私の方から「今日は止めとこ」と断った。

 脳梗塞が解ったのは看護師であった奥さんの「発見」からであったらしい。
 「物忘れ外来」から大学病院へ廻され脳のCTスキャンで判ったという。

   同じ日、中学時代の同級生のEちゃんから古刹の「め」の「お守り」が届いた。
 「同じ歳なのだからきっとあんたも目が弱っているだろう」との添え書きがあった。
 正しい想像力である。
 眼鏡なしでは新聞が読めないし、時々は妻の(ニセ)ハズキルーペを借りている。
 同輩の数人からは「目がしんどいので本は読めない」「だからSNSも読めない」という言葉を聞くが、私の場合は本が読めなくなると「健康寿命」でなくなる。
 で、「めの神さん」といわれていた堺の調御寺とこのお守りは大事にしておきたい。
 
 「物忘れ」といい、「目」といい、「いっしょや いっしょや」である。
 私は自転車で出かけるとき、家の前の歩道橋のてっぺんまでは自転車を押して上がる。そうすると、概ね駅前まではほゞ下り坂である。ということは帰りは上り坂。
 また、駅前から先の老人ホームに行くには途中に坂がある。

 そして昨日、駅前まで爽やかに下って来て、老人ホームに向かう上り坂で「電動アシスト」のスイッチを入れたら、なんと、バッテリーの装着を忘れていた。
 私の「物忘れ」は「目」以上に重傷だ。
 ご同輩の皆様、ご自愛ください。

    鹿鳴いて句帳に留めし媼かな

2017年10月10日火曜日

昭和史を思い出す

   蓮舫氏には執拗に「戸籍を見せろ」と迫った政府と与党が、ノーベル文学賞受賞イギリス人作家カズオ・イシグロ氏には内閣総理大臣名のコメントを発表した。氏の国籍はイギリス。
 (讃えることそのものに全く異論はないが)、ということは、彼らにとっては、結局、国籍ではなく血統、人種が重要なのだという人種主義だろう。

 続いてノーベル平和賞に「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が受賞した。
 受賞理由に「核兵器禁止条約採択に果たした活動」が評価されているが、条約にはHIBAKUSYAという言葉もあり、ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャと市民社会の運動が讃えられている。ICANの国際運営グループ共同代表は国籍も日本人である。(きっと)

 というように、ICANには政府与党が好きな?日本国籍の人々が大きく含まれているにもかかわらず、また国連事務総長をはじめ世界中がその受賞を讃えている中で、イシグロ氏のときとは一転して政府はコメントを発表しないと決めた

 となるとこれは単純な人種主義でもなく、日本国民であっても「こんな人々」と思った人は認めないということで、早い話が政府が「良い日本人」と「嫌いな日本人」を峻別しているわけで、嫌な言葉であるが「国賊」という言葉の復活に違いない。

   先日、国連総会で安倍首相が演説をしたが、テレビが議場を映したとき、そこはガラガラで、しかも退場する国がいっぱいあった。それはある種、異様な光景だったが、世界中から「トランプの演説を聴けば属国の演説など聴く必要がない」と思われている証左だろう。
 その席で安倍首相は、ほとんどの時間を北に費やし、「対話は無意味」「すべての選択肢を持って圧力あるのみ」と演説した。その言葉、どっかで聞いたことがあるような!

 10月3日に書いたが北朝鮮は世界の国の80%以上160か国以上が国交を樹立している国である。
 樹立していない先進国は日本、アメリカ、フランスぐらいである。
 「対話せず」「相手にせず」は戦前の失敗の道ではないだろうか。ほんとうにそう思う。
 余談ながら創価学会の池田名誉会長はICANに祝電を送った。

   私はいま、昭和13年に近衛首相が日中戦争に関して「国民政府(蒋介石政権)を相手とせず」という有名な声明を発表したのを連想した。
 結局それで和平への最後の機会を自ら逃し、引くに引けない形で敗戦へと向かった。
 国力がもたないのを解っていながら勇ましい言葉を連ねる政治には嘘があった。
 そして、残念ながら多くの国民はその言葉に誘導されて人殺しをし、殺されていった。

   アメリカのジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院は、偶発からでも戦争になれば日韓で最大380万人が死亡し1360万人が負傷すると発表した。
 この重大な危機を煽っているのが自民党であり、日本会議である。
 安倍を退陣させても、日本会議国会議員懇談会副会長率いる党が連立したなら失望どころか絶望になる。

    食通の雀紫蘇の実食べ尽し

2017年10月9日月曜日

凜ちゃんの初BBQ

   凜ちゃんの初BBQといっても雰囲気に参加しただけだが、楽しそうに笑ってくれた。
 BBQの煙の洗礼を受けたから「初BBQ」と記録することにしよう。

 夏ちゃんは凜ちゃんに見せてやるんだと言ってアマガエルとカナヘビを虫籠に入れて持ってきてくれた。
 そして、どちらも手に取ったり胸に這わせて凜ちゃんに見せてくれた。
 夏ちゃんは祖父ちゃんの指導によって普通にマッチが擦れるようになって今回も着火してくれた。
 想像だが、マッチを擦れる園児は近頃ではごく少数派ではないだろうか。
 祖父ちゃんは大いに褒めて伸ばしている。

 着火というと、夏ちゃんのお父さんは「着火用のコンロ」を持ってきて、近頃のBBQ場ではバーナーだとか着火剤だとかこういうコンロが普通だという。私の息子らしくない。
 こういうのを文化の断絶というのだろうか。馬鹿馬鹿しいというか、私の責任か。
 ではどうするか。勝負は「火吹き竹」である。近所迷惑になっている荒地の竹1本ですぐに作れる。
 先端の節に錐かドリルで穴をあけ、その他の節は長い棒で壊せばいいだけである。
 そしてこれは火おこしに驚異的な力を発揮する。ほんとうに驚異的である。
 ウソのように火種が熾り炭に広がる。
 このおもしろさを味わわずに焼肉を食べてもBBQの味の半分も判らない。

 こんなつまらぬ着火の技術でも子や孫の世代に伝承するのは難しいことだ。
 ましてや我々の世代が若い頃に学んだ市民運動の心意気などはその何百倍もそうだろう。
 よく「語り伝えたい」とか「語り継ぐことが大切だ」というような言葉を聞くのだが、そんな言葉で済むのだろうかとため息が出る。
 なにもできていない懺悔の気持ちでブログを書いている。

    秋寒も青松虫は気に掛けず

2017年10月8日日曜日

善財童子

   10月2日の「兎の眼」という記事で西大寺の善財童子に触れた。
 眼に限らず、とても仏像とは思えない可愛い童子像である。
 安倍文珠院のそれは国宝だが、西大寺の善財童子は表情がいい。
 児童文学の題名になったのも肯ける。
 それにしても、う~ん、兎の眼ですか?

 孫の病院行アッシー君のついでに東大寺ミュージアムを駆け足で廻った。特集展示が善財童子であった。

 紺紙金字華厳経 巻64、76、80は全部読むと日が暮れるので、善財童子という漢字の周辺だけ読んでみた。ふむふむ。

 そして、絹本着色・善財童子像だが、退色していてぼんやりとしか判らない。ガラスに顔をくっつけて、手や帽子で周囲の光を遮断して凝視したのだが、ほんとうにぼんやりとしか判らなかった。展示まで踏み切ったのならもう少しだけ見せてほしかった。

 さて想像するに、仏教の経典はエリートのものだった。それを庶民に伝えるにはヴィジュアル化が必要でそれが仏像だったのだろうと想像する。
 と考えると反対に、偶像を拒絶するイスラムというのはエライものである(この続きを書こうとしたがイスラムのことはほとんど知らないのでここまで)。

    秋一番咳込む人のちらほらと

2017年10月7日土曜日

明日は我が身

 かつて福祉センターの近所に住んでいたことがあり、少しはボランティアのお手伝いをしていたときがある。
 そんなとき、「人間には既に障害を負った人とまだ負っていない人がいるだけだ」という言葉を聞いて非常に感心したことがある。
 事実、福祉センターのボランティアに参加して健康だった私の親もそのうちに介護が必要となり、「ああ、みんな順番だ」と先の言葉を実感した。

 その後、けっこう大きな障害を背負った孫が生まれ、少しは福祉のことを知っているつもりでいたのだが、実際には何も知っておらず、ただただオロオロと、行く末に絶望的にならなかったかと言えば嘘になる。

 そして知ったのは、健康保険の高額医療制度だけでなく、難病等の子どもたちへの様々の福祉制度で、そのおかげで今日を迎えられている。
 この夏には10時間を超える2回目の手術と3か月の入院というのを乗り越えた。
 実際には親が病院周辺のマンスリーマンションを借りたり、我々が相当高額の高速道路を使って何回も支援をしたりして、けっこうな支出もあったのだが、それでも乗り越えられたのは基本の医療費の福祉制度のおかげである。そしてそれはきっと過去に、涙ぐましい親たちの運動があったからこそ今があるのだとつくづく思う。
 神仏に感謝するなら、そういう先人たちへの感謝も忘れてはならないだろう。

 ところで消費税が導入された際には盛んに「これは福祉目的税だ」と宣伝された。その亜流の宣伝は今も自民や公明が繰り返している。
 1989年の導入時からこの宣伝は嘘ではないかと私は思っていた。
 例えば、福祉・社会保障はそれ以前からもあり、かつ自然増が必至である。
 そこへ宣伝のとおり消費税を充てても、一方でかって投入していた、あるいは投入が予定されていた予算を減額すれば、お金に色がついていない以上、消費税は結局は大企業減税や軍事費に使われたのと全く変わらない。
 こんな子供だましのような「すり替え仮面」に、いまだにメディアも幾つかの政党も騙され続けている。

 今度の選挙で自民党は消費税の10%への引上げを公約に入れた。
 しかも、ただただ人気取りのために、「子育て支援」に充てるとも言い始めた。
 ほんとうに自公やそれを補完する希望、維新等の政党が福祉を充実させるだろうか。
 こういう場合は、「どう言っているか」よりも「どうやってきたか」を検証しないと見間違う。

 日本の国民一人当たりの公的社会支出はドイツの8割、フランスの7割だ。社会保障給付費の対GNP比は2012年末の安倍政権以来3年連続で下がっている。
 安倍自公政権はこの5年間で社会保障予算の「自然増」を1兆4600億円削減し、それは医療費の負担増、介護の利用料金値上げ、生活保護費の切り下げに跳ね返っている。加えて、「自然増削減」以外にも、年金額の1兆7000億円削減や保険料値上げも行い、安倍自公政権によるその部分の国民の被害額は、6兆5000億円に上っている。

 これらのことについて、SNSで「重度障害者のいる我が家庭では死活問題だ」という声があったが、決して誇張ではないだろうと悲しくなった。
 規制緩和、特区、個人責任などという経済の「新自由主義者」のお手本はトランプのアメリカだろう。
 そのアメリカでは、私たちが全く当たり前だと思っている国民皆保険も高額療養費制度も、アメリカでは「信じれれない」「オーマイガー」のことらしい。
 堤未果さんの著書によると「盲腸1回200万円」などというのはザラで、がん治療薬は月に40万円も普通である。
 リベラル色の強いオレゴン州でも州独自の医療保険制度OHPではがん治療薬は却下されたと書かれている。
 そしてその通知文書には、「申請は却下された。服用するなら自費でどうぞ。オレゴン州で合法化されている安楽死薬なら州の保険適用が可能だ」とあったという。

 「明日は我が身」という言葉があるが、日本の社会保障を充実させるために、是非とも選挙で大企業に遠慮がなく「新自由主義」ときっぱりと対決する共産党を伸ばしてほしい。