2017年9月17日日曜日

埴輪は踊る

   百舌鳥古市古墳群というのは前方後円墳のピーク(つまり古墳時代のピーク)のものであり、倭の五王の時代前後のものである。
 そして、実は人物埴輪の誕生した時期でありその地でもある。

 人物埴輪というと東京国立博物館にハニワ課長で有名になった「踊る埴輪」があり、埼玉県熊谷市出土とされているが、戦前のことなので出土地も含めてよく解っていない。

 塚田良道氏の指摘では「その内のひとつの背中の腰帯に鎌を挿しているから、他の埴輪と比較検討するとこれは「踊り子」ではなく「馬飼」であるという有力な説がある。

 それにしても始皇帝の兵馬俑と比べて人物埴輪のこの抽象性は何だろうと常々思っている。
 単純に倭の技術が稚拙であったという説もあるが、倭人は「省略の造形を好んだ」という説に贔屓したい気も多少ある。

 多くの巨大古墳の主要部分が宮内庁によって公開されていないなど問題点もあるが、世界遺産登録がされれば着実に整備も研究も深まるだろうと私は期待している。
 ただ「イルミネーションの維新」(4年前の松井発言)に市政を譲ると金儲けのためにしか対応しないだろうから、ここはどうしても竹山市長再選しかないと考えている。

 昨日、百舌鳥古市古墳群の国内選定を祝ってハニワ課長と写真を撮ったが、その写真を見て、己が年老いた姿に力をなくしている。
 妻からは「雨のせいでズボンの膝が抜けたからそう見えるだけや」と慰められたが、それは明らかに私への気遣いだった。

    秋深し古墳の本を読み直す

3 件のコメント:

  1.  dyougojiさん、悪天候の中パレードご苦労様でした。
     それにしても撮っていただいたこの写真、おいおいおい、どこの老人ですか。腰も曲がっていますね。

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  2. 雨の中、ご苦労さんでした。どっちにしようか迷ったんですが呼びかけた都合上、泉ヶ丘に参加しました。昔「48歳の抵抗」という小説、映画がありました、無駄な抵抗はスタイルだけにして気持ちは抵抗主義でいきましょう!

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  3.  なぜ古代人は鏡(銅鏡)を大事にしたかというと、祈りを込めて作られた鏡は見かけではなく真実を写すからです。
     例えば狐が娘に化けて現れたとすると、そのままでは娘にしか見えないが、銅鏡に映すとそこには真実の狐が映っているというわけです。
     おお怖!

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