2017年9月30日土曜日

秋の使者

   窓の外が騒がしいと思ったら秋の使者メジロが集団でやって来ていた。
 写真はセイヨウカマツカ(西洋鎌柄)を食べているところ。
 セイヨウカマツカは冬鳥たちのために植えているからこれでいいが、数少ない富有柿を大量に食べられているのは、私は大人なのでおおらかな顔を保っているが、心の中では少し泣いている。

 見ていると、メジロが一番群がっているのがエゴノキなのも不思議である。
 人間にはその実があまりに「えぐい」からエゴノキと言われている。
 人間に食べられても子孫繁栄に結びつかないからその「えぐい」のには道理がある。
 同時にそれは、子孫繁栄に直結する野鳥には「えぐい」ことがないのが不思議である。
 エゴノキのこういう「進化」は突然変異と適者生存だけで説明がつくのだろうか。

 気象予報士の「西高東低の気圧配置」という言葉を半年ぶりに聞いた。
 もう明日は10月である。私などはこの歳になっても習い性か「第3四半期だ」などと思ってしまう。

    小鳥来て熟柿具合を確認す

2017年9月29日金曜日

失望の党

 昨日、衆議院が解散され、民進党が希望の党へ併合されることを自ら決定した。
 立憲4党と市民運動による2年間の野党共闘の積み重ねを否定し、公党間の合意も市民連合との合意も一方的に反故にするもので、良識ある市民の願いを一方的に踏みにじる重大な背信行為である。
 先日来、石田勇治著『ヒトラーとナチ・ドイツ』という本を読んでいたものだから、あの時代のドイツもかくや!と妙に感心?している。
 労働者運動に敵意を抱き、帝政時代の夢をもう一度とヒトラーと組んだ保守派のそれである。

 前原氏は「安倍政権反対のためだ」と強調したが、併合先の希望の党とは、今の今まで自民党の中枢にいた人、野党共闘に反対して民進党を先に飛び出した人、ウルトラ右翼の党代表らが野合したものではないか。
 小池党首のツイッターには今も『朝鮮学校の無償化、首相「法案成立後に判断」』(朝日)それはないでしょ!! 絶対反対! 反日教育を進めている北教組の傘下にある北海道の高校も同類』との主張が残っている。党首自身がウルトラ右翼だと私は思う。
 とすると、彼ら自ら保守だと名乗っているから今さら言うまでもないが、結局は日本会議派、改憲派内の派閥争いでしかない。

 人間、裏切る人生よりは裏切られる方が良いなどと達観したい気分でいる。
 同日、共産党の(ええ方の)小池書記局長と、社民党の又市幹事長とが会談し、共産・社民のあいだで可能な限り多くの選挙区で一本化しようと合意した。
 「アベ政治を許さない」本家はここにある。そして主人公は市民・国民である。

 こんなことを言うと語弊があるかもしれないが、何か選挙情勢を見る目がすっきりした感もあり、不思議に失望感はない。
 小選挙区制という困難はあるが、アベ政治と亜流の流れを明確に追及して総選挙に尽力したいがどうだろう。
 あの党首、人相のことを言うのではないが、明らかに人を小バカにしているところがある。
 小バカにされていることも判らない人は支持するだろうが、良識ある有権者はそれを見抜くのではないか。ああいう表情を大阪の人は覚えているはずだ。

2017年9月28日木曜日

アイヒマンとアーレント

 退職者会の世話人会の後、安物の居酒屋で恒例の交歓会となったとき、一人が「NHKの100分de名著、全体主義の起源(1~4回)を観たか」と話し始めた。
 私は4回目の最後の方を力を入れずに見ていただけで、偉そうに議論に噛める立場ではなかったが、「全体主義の起源」や「アイヒマン裁判」の概要を含んだ矢野久美子著『ハンナ・アーレント(中公新書)』や藤井聡著『〈凡庸〉という悪魔』を読んでいたので、その知識の限りで議論に参加した。

   その論点の一つは、『自分自身がアイヒマンの立場であったならどうしたか』ということだった。
 ちなみにアイヒマンはドイツの小役人で、実務を淡々とこなしながらその実務能力を買われ、最終的にはゲシュタボのユダヤ人課課長として、絶滅収容所への輸送事務の最高責任者となった。
 本人は、自分は輸送事務を処理しただけだと述べている。

 逃亡生活後1960年にイスラエルの諜報機関に逮捕され、イェルサレムで裁判にかけられ、死刑制度のないイスラエルで例外的に死刑に処された男である。
 この裁判を傍聴して新聞記事にしたのがハンナ・アーレントで、「上司の指示と法に基づいて仕事をしただけ」と繰り返す凡庸な小役人にアーレントは戸惑った。

 居酒屋の議論の中では、「アイヒマンはもちろん正しくない仕事をしたのだから許されない」という正論もあったが、「自分自身に置き換えて自信がない」という意見も少なくなかった。
 これは、直接的には公務員労働者の問題ではあるが、民間企業であっても、例えば所属している企業が公害を排出していることを知ったときどう対応するか、公表されているデータに偽装があるのを知ったときどう立居振舞うか、もっと低いレベルのことを言えば情報公開を求められたとき企業内の素直な議論をそのまま公開できるか等々、告発者を力強く護る分厚い体制がない場合に一組織人として突きつけられる究極の選択問題だ。

 現代の問題としては、アイヒマンは佐川元理財局長とダブって見える。
 ハンナ・アーレントはこれについて、「(公務員には)政治的な責任を負えなくなる極端な状況が生じうるが、その場合は、自分が無能力であることは公的な事柄に関与しないことの言い訳としては妥当なものだと思う」と述べ、「無能力を選ぶことができたのは、自己との対話である思考の能力を保持しえた人たちだけだった」と『関与しない』選択をするよう結んでいる。
 だが、これが現代社会の労働者にストンと理解されるだろうか。悩ましい。

 居酒屋の議論はここまで。
 お互い紆余曲折を生き抜いてきて、こういう人間としてとか、人生とはという根源に関わる議論ができるのは楽しいことだった。
 現実の社会問題は、紋切型の正解だけでは進まないことも多い。
 多くの労働者が多かれ少なかれ矛盾の中で悩んでいると思う。
 多数派を目指すなら、その気持ちに共感できるおおらかさが私たちに求められているような気がする。ではどうするか。

 この記事を書きながら、その昔、高校の授業中に先生がこう言ったのを思い出している。
 『私は社会の先生をしていて、「悪法もまた法である」と言って死んでいったソクラテスも偉いと思うし、先の戦争中に「悪法は法にあらず」と言って反戦を唱えて弾圧に抗した人々も偉いと思っている。どちらが正しいかと問われても判らない』と。
 現代社会のリアルなテーマではないかもしれないが、人生観としては佐川元理財局長らの生きざまと重なるだろう。
 現代社会で後者の選択はストレートにはリアルではないが、前者と後者、どちらが困難な選択かといえば後者ではないだろうか。特に前者に差し迫って「死」が突きつけられていない場合は。
 そして多くの場合、真理というものは困難な道の向こうにあるものだ。

    熱燗で人生論とアイヒマン

2017年9月27日水曜日

希望の党

 総務省が「希望の党」の解説を明解にしてくれている。
 もしかしたら早々にyou tubeから削除されるかもしれない。
 なので、早々に必見。

 2005年に総務省と「明るい選挙推進協会」が制作した短編。
 ある日「希望の党」という政党が政権を取って、日本が息苦しい社会に。
 希望の党は、戦争とファシズムの党。
 「国民権利義務省」が選挙に行かなかった国民の選挙権を剥奪等々。

 「希望の党」に集まってくるのは、日本のこころの中山恭子、元維新の8億熊手の渡辺喜美など元自民党、元民進党の改憲派、いかにもというキャスティング。

 総務省、すごい未来予想図だ。




2017年9月26日火曜日

阿修羅

   高校時分の授業では勉強の本筋とは関係のない、まあ、どうでもよいような先生の話の方を意外に覚えていることが多い。
 例えば「ゾロアスター教(拝火教)の最高神はアフラ・マズダだから火のように輝く電球に〈マツダ電球〉という名がつけられた」というのもそうだった。

 そのため私は最近まで、マツダ電球をつくっていたのは、広島カープのオーナー企業のマツダだと誤解していたが、こちらでは電球は作っておらず、マツダ電球は日本では東芝グループが作っていた。
 ただその名前の由来だが、広島の方も創業者の松田重次郎の松田とアフラ・マズダから付けられたものと言うから、わずかではあるが話は接触している。私の誤解も「遠からず」と笑ってもらえないか。
 こうして、電球と自動車の違いはあるがアフラ・マズダは極東の仏教国に堂々と名を残している。

 先日、興福寺の阿修羅像に関するシンポジュームがあり、そこで「阿修羅の淵源はゾロアスター教のアフラ・マズダだ(マズダ→アシュラ)」と聞いて、上記のことなどを思い出し、なんとなく懐かしい気持ちになった。

 さて、仏像というものは仏師が勝手に造形するものでなく、基本的にはお経に書かれているとおりに作られる。
 それでいくと、阿修羅は上にあげた左右の手に日輪と月輪を持ち、次の左右の手に弓と矢を持っているという。
 そして下の左右の手がどうかが若干論争があるが、シンポジュームではやはり合掌でいいだろうとのことであった(この手は明治期に修復されているのでこういう論争があった)。

 なお、それらに関して、興福寺の多川貫主は次のような感想を述べられた。曰く、
 「国は仏像を国宝だ重要文化財だと言って大事にしてくれるのはありがたいが、仏像は文化財以前に仏様である。
 だから阿修羅像にしても欠損した日輪、月輪などを補ってやりたいがこれがなかなか叶わない」・・と。
 なるほどと、私は共感した。

 世界遺産の初期、西欧の学者たちは「そのまま何百年と経過したからこその歴史遺産であり、その後の時代の手の入っている木造建築物などは論外だ」と言ってきた。
 それを打ち破って先ず法隆寺を世界遺産に登録させたのは日本の関係者の努力の結果だった。
 その考え方を仏像に適用できないものだろうか。

 私を含め少なくない日本人には少し違和感があるかもしれないが、中国や東南アジアの仏像の多くは今も金ぴかである。
 それは信仰が逞しく生きている証拠でもあろう。
 それは大いに讃えられるべきことではないだろうか。
 さて、阿修羅像を1300年前の当初の姿に復元するのはほんとうに暴挙だろうか。
 う~む、なかなかむつかしい。

    天平の少年像の眉の皺 (無季)

2017年9月25日月曜日

   9月11日は「二百二十日」であった。
 八朔、二百十日と併せて、農家や漁師の三大厄日で、堺の開口神社(大寺さん)の八朔祭や越中八尾の「おわら風の盆」等は単に秋の収穫祭ではなく、元々はこの時期の風鎮めの祭りだったのだろう。

 先日の台風18号は記録上、九州、四国、本州、北海道全てに上陸した初めての台風だった。「台風の眼」とはよく言ったもので日本列島を鳥瞰しながら正確に縦断していったのを見て「まるで生物のようだ」と感じた方も多いだろう。
 大西洋側の超大型ハリケーンのニュースはこれも度肝を抜かされる規模で、「どうも地球がおかしい」と多くの人びとが感じているはずだ。

   そこで、再び白川文字学で『風』を引いてみた。
 【形声。音符は凡(はん)。甲骨文字は鳥の形。神聖な鳥であるので冠飾りをつけている。鳳(ほうおう)のもとの形と同じである。その鳥の左や右上に音符の凡を加えている。
 天上には竜が住むと考えられるようになり、風は竜の姿をした神が起こすものであると考えるようになって、鳳の形の中の鳥を取り、虫(竜を含めた爬虫類の形)を加えて、風の字が作られ「かぜ」の意味に用いられる。
 「かぜ」の意味は、空気の動きによってその意味を表現したのでなく、神聖な鳥の姿や竜のような姿をした霊獣によってその意味を示しているのである。
 古い時代には、風は鳥の形をした神、風神と考えられ、その風神が各地に出かけて行き、人々に影響を与えて風俗(その地域独自のしきたり、ならわし、生活のしかた)や風物(その土地独特の景色や産物)が生まれたと考えられた】(引用おわり)。

 いやはや白川文字学は面白い。
 こんな本を読んでいると、長生きしていてよかったと思う。
 そして、義務教育辺りでこんなことを教えてもらっていたなら、もっと世界が変わっていたかもと、残念な気持ちもある。

 海抜数メートルの大阪市内では「いまさら」の話題かもしれないが、生駒山を超えた山背の地では、昨日、微かな秋風に乗って濃厚な金木犀の香りが室内にまで漂ってきた。
 これも風神のおかげだろうか。

    台風一過まずトマトを褒めてやる

2017年9月24日日曜日

ヘイトスピーチと天皇

 世の中の流れが早すぎるためか、こちらの頭の疲れが加速しているためか、この春までのことを「もう昔のこと」のように思ってしまう。いかんいかん。
 なので、記憶を絞ってみると、幼稚園児に軍歌を歌わせ教育勅語を暗唱させるなどという森友学園・塚本幼稚園の異常な「愛国教育」問題があった。

 この種のナショナリズムは同時に「朝鮮・韓国人や中国人にはよこしまな考え方がある」という文書を父母に配付するという学園のヘイトスピーチとも表裏一体であった。
 その学園が新設しようとしていた「瑞穂の國記念小學院」に、安倍晋三とその妻昭恵は「こちらの教育方針は大変すばらしい」と絶賛し、そこから不正売却問題は発展した。

 学園の絶賛は、松井一郎をはじめとする維新の面々も同じで、森友ありきで大阪府と大阪市の各種認可がパスされていった。

 ヘイトスピーチの容認ということでは、この夏には、小池東京都知事が9月1日に市民団体等が主催する関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に今年は追悼文を出さないと決定した。
 その理由は「関東大震災の犠牲者全体の追悼式で追悼しているから」というもので、ドイツでいえば「第二次世界大戦犠牲者全体の追悼をしているからユダヤ人ホローコーストの追悼はしない」というに等しい暴論だが、早い話が小池知事と親密なヘイト団体の要求に応えたものといわざるを得ない。

 このように、安倍内閣、維新、都知事らの民族差別助長の姿勢は悲し過ぎることであるが、そういうベースの上に政府が北のミサイルの脅威を煽るものだから、金正恩の政治批判を超えて民族差別と憎悪の宣伝が広まっている。

   そんな中、ネットで得た川原茂雄氏からのニュースだが、日本のメディアは数社を除いてほとんど報道していないが、9月20日、天皇・皇后が、私的旅行として埼玉県日高市にある高麗神社を訪問し参拝した。
 この神社は、7世紀頃に朝鮮半島から日本に渡ってきた高句麗の王子を祀っているといわれている。

 このことについて、韓国で最も歴史が長く最大の発行部数を持つ朝鮮日報によると・・、

 920日昼12時、明仁天皇と美智子皇后が、歴代の天皇では初めて埼玉県日高市の高麗(こま)神社を訪問した。
 1300年前に日本に渡った高句麗の王子「高若光」(日本名:高麗若光〈こまのじゃっこう〉)をまつっている。
 明仁天皇訪問のニュースを聞き、歓迎する人々が朝から約2000人集まったことから、地元の駅と同神社を結ぶ1.7キロメートルの道は大変な混雑になった。
 6070代の人々が参道沿いに小さな折り畳みいすやマットを広げて座り、明仁天皇を待っていた。
 日本の宮内庁は明仁天皇の高麗神社訪問について「公務ではなく私的な旅行」と説明している。明仁天皇は1年のうち250270日公務を行うため、私的な旅行を楽しむ機会は1年に12回だ。高麗神社への旅は明仁天皇の意思や希望を反映して決定されたという。
 明仁天皇は日ごろから日本の過去について心から申し訳ないと考えて、韓日古代交流史にも関心が高いと言われている。2001年には「桓武天皇の生母が百済の王族だったと記されている」と発言して話題になった。
 05年には、太平洋戦争で戦地となった東南アジア諸国や南太平洋の島を訪れた際、朝鮮人犠牲者の慰霊碑をわざわざ訪れて黙とうしている。
 明仁天皇と美智子皇后は同日、高句麗の王子から60代目となる高麗文康宮司(50)の案内で境内を見て回った。高麗文康宮司は「両陛下とも朝鮮半島から文明がやって来た過程に深い関心を持っていらっしゃると聞いていたが、実際に、高句麗人と百済人はどう違うのかなどいろいろと質問を受けたので、知っていることをお答えした」と語った。
 日本で高麗神社は「出世明神」としても有名だ。斉藤実(18581936年)ら歴代首相6人がここに来て参拝後、首相になったという話もある。だが、ある住民は「それでも今日のように、一度に多くの人々が集まったことはない」と教えてくれた。
 皇室を20年間取材している毎日新聞の大久保和夫記者は、明仁天皇について「日本国民が『心温かい』と感じ、敬愛している方だ。日ごろから『韓中の文化が伝わってきて今日の日本になった』と考えていらっしゃると聞いている。今回の訪問をきっかけに、韓国についてよく知らなかった一般の人々も関心を持つようになるだろう」と語った。
 同日午後4時に明仁天皇一行が高麗神社を出ると、神社の外でずっと待っていた人々もそれぞれ帰り始めた。その中にいたキモトマユミさんは「高句麗人をまつった神社を訪れた意味をいろいろと考えてみたが、『近い国・韓国とはやはり共に行くべきだ』という意味ではないかと思った」と言った。(引用おわり)

 天皇といえども私的旅行らしいから騒ぐ必要はないが、私はこのニュースに現天皇の知性を感じたが如何だろう。
 そして、生まれながらの皇太子そして天皇となった明仁氏個人の苦労や寂しさにも想像が広がった。

    古の高麗館(こまのむろつみ)秋桜
    高麗館跡はわが家からそんなに遠くない。

2017年9月23日土曜日

秋の字をハズキルーペで読む

   白川静さんの文字学は楽しい。
 『秋』の「甲骨文字1」は写真のとおりである。
 曰く、【もとの字は、『しゅう(穐に、れっか)』で禾(か)と亀(き)(ほんとうはもっと複雑な字の亀)と火(灬)とを組み合わせた形。
 禾はいね、穀物で、亀の部分はいなごなどの虫の形。
 秋になるといなごなどが大発生して穀物を食い、被害をうけるので、いなごなどの虫を火で焼き殺し、豊作を祈る儀礼をしたのであろう。
 その儀礼を示す字が穐で、「みのり」の意味となる。のち虫の形の亀を省略して火だけを残し、秋となった。
 ・・この儀礼は秋の虫害に関係があるので、季節の『秋』の意味に用いられるようになったのであろう』。

   といったところで、年年歳歳曼殊沙華。
 異常気象が続こうが何のその、電子時計並みの正確さでお彼岸を教えてくれる。
 夏の間は茎も葉も一切地上には出ていないから日照時間を感じ取るわけはない。
 だとすると地中の温度かと思うと、酷暑も残暑も長雨も関係なさそうに見える。
 自然は不思議である。
 妖しい魅力がある。
 
   次のナミアゲハの吸蜜しているのは紫苑(シオン)。
 別名に「十五夜草」「思い草」とともに「鬼の醜草(オニノシコグサ)」というのもある。

 「鬼の醜草(しこぐさ)」は、今昔物語の「親を亡くした2人の息子のうち兄は悲しみを忘れる「忘れ草(萱草)」を、弟は「思い草(紫苑)」を墓に植えて毎日墓参した。兄は次第に墓参りをしなくなるが、弟は墓参りを欠かさなかった。墓を守る鬼は弟の孝心に感じいって明日起こる出来事を前夜に教えることにした」という話に由来するようだが、それ以前の中国の古典にあるともいう。


  なので、万葉集の大伴家持は、「忘れ草 我が下紐(したひも)に 着けたれど 醜(しこ)の醜草(しこぐさ) 言(こと)にしありけり」と、・・忘れ草を私の肌着の紐に着けたけれど、何の役にも立たない大馬鹿なバカ草め。忘れ草なんて、名ばかりであったよ・・・(醜草=役立たずの草)と、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)に贈っている。  

   そういう国会情勢や北朝鮮問題と無関係な本やなんかを、秋の夜長にハズキルーペで読むのも楽しい。
 ハズキルーペは、テレビショッピングで10,000円以上であるが、通販で5,000円(2つ目からは4,000円)というのがあった。
 もちろん私が購入したのは後者であるが、ハズキルーペではなかったかもしれない。何の不満もない。

    醜草に明日の地球を尋ねたし

2017年9月22日金曜日

ブラック代議士

 森井博子著『労基署がやってきた!』(宝島社新書)に「ブラック弁護士・ブラック社労士」という章があり、遵法を妨害したり脱法を指南する彼らと対決した経験が書かれているが、ほんとうに世の中には悪い奴らがいるものである。
 特に、国の最高法規である憲法をさえ踏みにじるブラック代議士は、国民自身が裁く以外に最終的解決はないから、ほゞ既定事実の来る総選挙で賢明な選択をしたい。

 さて、民進、共産、自由、社民の野党4党は6月に、加計や森友などに関わる法律と予算の不正の疑いで、憲法53条に基づく臨時国会の召集を首相に求めた。
 憲法53条には「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は召集を決定しなくてはならない」となっている。
 ところが、菅義偉官房長官は「政府は召集義務を負うが、憲法上期日の規定はない」とうそぶいて約3か月経過した今も国会を召集せず、あげくは一切の質疑抜きで衆議院を解散するという。

 このような政治的な思惑で招集を不当に延期したり、事実上招集しないのは制度の趣旨に反する。それは憲法学者ならずとも、多少は法律で仕事をしている者なら常識に属する見解だ。
 故に、これをブラック代議士といわずにどうしよう。

 繰り返えしになるが、刑法に違反した場合裁判で有罪になれば刑罰が科される。民事裁判でも判決文に基づいて財産の差し押さえが行われることもある。ルールは、こうした強制力があるから守られるという側面があるが、憲法には、このような「後ろ盾」がない。憲法を守らせる仕組みは「突き詰めていうと、かかる憲法に反する行為を裁かなければいけないのは主権者国民となる。もし、国会議員が憲法に書いてあることを無視しているのに国民がその状態を支持し続けるなら、憲法はただの紙っぺらになってしまう」

 次に、審議抜きの冒頭解散だが、京都法律事務所の弁護士福山和人氏の解説では、「衆議院の解散は、三権分立の下では、主権者国民が選んだ立法府を、行政府が解体するという究極の干渉行為なので、その権限は抑制的に行使されなければならない。なので衆議院で内閣の重要法案が否決された場合とか、主権者国民に信を問わなければならない場合に限られるべきで、内閣の都合や党利党略で行われる解散は不当というのが通説であり、内閣が好き勝手に解散できるわけでなく、まして首相の専権ではない」と。

 これほど憲法の精神を踏みにじり、ブラック解釈を行う与党自民党が「選挙で勝ったら憲法9条に自衛隊を明記する等の改憲を行う」という。
 「現実に存在している自衛隊を記載するだけで平和主義に変更はない」と言い出すのだろうが、もしそんな言葉を信じるというのなら、学習能力がないといわれても仕方がないのではないだろうか。

 「自衛隊の出動こそが条文の核であり平和主義は修飾語だ」と言うに違いない。
 現行憲法を守らない人間に憲法改正を唱える資格はない。

 【22日夜追記】志位和夫共産党委員長のツイッター
 「 野党が、憲法53条に基づき臨時国会召集を要求したのが6月22日。3カ月も店ざらしにしたあげく、こんな紙を持ってきた。これで冒頭解散なら、憲法と国会をこんなにバカにした話はない」
 (こんな紙は右のとおり)

    新月に警鐘なりや秋の虫

2017年9月21日木曜日

空飛ぶエビフライ

 奈良公園のエビフライのことは何回か書いた。
 ムササビが食べた松ぼっくりの食べ滓がそれ(エビフライ)だが、それは、そう言われればほんとにそう見えた。

   ところで、今日ご紹介するのはホシホウジャク(星蜂雀)。これを『空飛ぶエビフライ』と聞くと、これもナルホドと感心する。尾の曲がり具合などなかなかだ。
 ただ、奈良公園のエビフライよりは少し格が落ちるかも。

   蜂のような雀蛾(スズメガ)なので蜂雀(ホウジャク)とは解りやすい。
   星は翅の黄色い模様に由来するのだろうが、ただ探してはみたが文献等にその説明は見つけていない。


   蛾ではあるが昼行性で、しかも昆虫界でも群を抜く俊敏さだ。
 そして、オオスカシバ同様ホバリングをしながら花の蜜を吸う。だからブラジルでは「ハチドリ蝶」と呼ばれていると書かれている。

   昆虫界には女王だとかスターと呼ばれる美しい昆虫も少なくないが、その若々しい俊敏さでホシホウジャクはモモクロ並みの昆虫界のアイドルというのがふさわしい。

 怪獣モスラはヤママユガがモデルらしいが、スズメガはヤママユガの兄弟のようなものだ。
 モスラの特性にホシホウジャクの俊敏さがあったなら、人類はもっと困っていただろう。最強の怪獣だったかもしれない。
 東宝のスタッフはホシホウジャクを知らなかったのだろう。

 私は小さい頃、オオスカシバのことをキング。ホウジャクのことをクイーンと勝手に名付けていた。
 それほど好きな昆虫である。

 昔、探偵ナイトスクープでハチドリの子どもを見つけた!と話題になったのは、このホウジャクかオオスカシバだった。
 確かにそのホバリングを見ていると感動する。(えっ!感動しませんか?)

    秋日和蜂雀の名は季語になし

2017年9月20日水曜日

拉致問題のこと

 拉致被害者・蓮池薫氏の兄で「救う会」元事務局長の蓮池徹氏が2015年に講談社から出版した本の題名が『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』だ。
 内容を要約すると、2002年に5名が日本に戻ったときに官房副長官だった安倍晋三や内閣官房参与だった中山恭子(現・日本のこころ代表)は「一時帰国だから北へ帰れ」「いつ北に戻るのか」と指示をし、それに反して「戻れば二度と帰国できないから北へは帰らない」と行動したのが該当被害者と家族であった。
 そういう事実があったにもかかわらず、その後安倍晋三は5名の帰国を自分の手柄話にして、さらには被害者と家族を自民党の選挙の応援にかり出したり改憲・右翼の集会にかり出した。
 こうして、「対話のための対話はしない」という対北政策で高齢になった被害者と家族の願いは全く放置され、拉致問題はいっこうに進まないまま政治利用された・・というものである。

 この拉致問題について、思わぬ人物がよく似た批判をしている。
 人物は、「新しい歴史教科書をつくる会」初代会長で、バリバリの右翼の論客。西尾幹二氏である。
   西尾幹二氏は、週刊誌や月刊誌で「私は単純に安倍首相の人間性に呆れ、失望しただけです」と、安倍首相を右側から痛烈に批判している。
 そして、「拉致のこの悲劇を徹底的に繰り返し利用してきた政治家は安倍晋三氏だった。(中略)主役がいい格好したいばかりに舞台にあがり、巧言令色、美辞麗句を並べ、俺がやってみせると言い、いいとこ取りをして自己宣伝し、拉致に政権維持の役割の一端を担わせ、しかし実際にはやらないし、やる気もない。政治家の虚言不実行がそれまで燃え上がっていた国民感情に水をかけ、やる気をなくさせ、運動をつぶしてしまった一例である」と述べている。

 あえて言えば、安倍晋三にとって被害者の救出は興味の外である。
 興味の対象は、勇ましい言葉を並べて自分を飾り立てて政権支持率に誘導することだけである。
 Jアラートで国民に「怖いぞ怖いぞ」と煽りながら、自身は外遊し、はては衆議院を解散するのである。
 こんな大嘘つきが権力を握っているのだから、保革の立場が違っても、およそ良識人なら今度の選挙では安倍自公政権にレッドカードを突きつけなければならないだろう。

    秋風やアオマツムシは口ばかり

2017年9月19日火曜日

針小棒大

 孫の夏ちゃんが図書館で借りてきた「手品の本」を持ってやって来て、いくつかの手品をやって見せてくれた。
 そのうちのひとつに、私たちに向かって「後ろを向いている間に十円玉を右手か左手に握って!」「握った方の手を上にあげて1,2,3と10まで数えて!」というのがあった。そのあとで夏ちゃんが振り向いて私たちの十円玉を握った手を当てるという手品?なのだが、夏ちゃんにはこれが上手く当てられなかった。
 そこで、そのページだけ私に「読んでもよい」というので読むと、本には『片方の手だけ上にあげていると血が下に下がるので、目の前に突き出された両手の内、血が下がって白くなった手の方に十円玉が握られている』と書かれていた。

 しかし、夏ちゃんのお父さんの手は日焼けしていてどちらも黒い、お祖母ちゃんは貧血でどちらも白い、お祖父ちゃんは高血圧でどちらも赤い・・・で夏ちゃんは当てられずに困ったという次第。
 こんな「手品の本」のような解説は世の中にはいっぱいあるが、針小棒大も度を過ぎれば嘘にならないか。

   北のミサイルが『日本領空にも当たらない』はるか宇宙空間を横切ったことで、テレビをジャックしてアラームを鳴らして頭にカバンを乗せさせるのもそうではないか。
 ちなみに、宇宙空間でいえば、日本の上も北の上も毎日アメリカの軍事衛星が飛んでいるぞ(北のミサイル自体を肯定しているわけではない。日本政府の扇動ぶりを言っている)。

 Jアラートで国民には「怖いぞ怖いぞ」と煽っておきながら、首相は話題の夫人と外遊し、今月末には衆議院を解散するというのだから、このJアラートがどれだけ嘘っぱちであるかということを安倍晋三は証明してくれた。

 そんな針小棒大が許されるなら、こうなったら私も言うぞ。
 私はこの間登山をした。年齢に構わず山に登ってきた。現に登頂証明書もあるぞ。どうだ。

  茶臼山強者共と蝉の声

2017年9月18日月曜日

北のミサイル

 安倍内閣を支える日本会議等右翼の「歴史認識」は、「15年戦争は日本の侵略戦争ではなく、日露戦争に勝った日本をアメリカが警戒し、大東亜共栄圏構想に過剰に反応し、無理難題の経済制裁で戦争に引きずり込んだ」というものである。
 歴史の科学に堪えない戯言ではあるが、そのスピーカーが「北への圧力・制裁」と「軍事力」しか語らないのは、百歩譲って彼らのロジックに立つならば、「不当な制裁であっても北を戦争に引きずりだすべきだ」というのだろうか。支離滅裂とはこういうことを言うのだろう。
 白人至上主義を擁護したトランプにして見れば、日本はイラクやシリア同様の異邦人の国だから、安倍の言質をいいことに、何かのイレギュラーから戦争になる可能性がある。現代一番の危険性はここにある。

 さて、平成6年(1994)、クリントン米大統領が北朝鮮の核施設を空爆で先制攻撃する作戦を6月16日に決定したことがある。
 その折の米軍中枢のシミュレーションは、▲開戦90日で52千人の米軍が被害を受ける、▲韓国軍は49万人の死者を出す、▲在韓米軍と在日米軍の約8割が被害を受ける、▲米国人8万~10万人を含め民間人から100万人の死者が出る・・というものだった。
 この作戦は、訪朝したカーター元大統領に金日成が核凍結を約束したことや、金泳三韓国大統領が「やめてくれ!韓国軍は一兵たりとも動かさない」と直談判したことで中止された。
 
 上記のシュミレーションを現状に合わせて修正すれば、現代は開戦90日もせず、数日で終了するように私は思う。
 勝敗でいえば、アメリカが勝ち、北朝鮮は圧倒的庶民を含めて壊滅する。
 同時に北が瞬時に対抗したミサイルと核兵器、更にはサリン、VX等の化学兵器によって、韓国と日本もほとんど廃墟となり、原発由来の放射線被害でアフガンやシリアに比べることもできない「この世の終わり」が出現する。
 これは精神の強気、弱気の問題ではなく冷静な分析結果だろう。
 被害は1994年の比でもない。

 「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」という諺があるが、アメリカのパシリである安倍晋三は、軍事力をちらつかせて脅せば(自分のように)金正恩は手をあげると思っているが、かつての日本陸軍が「本土決戦」を撤回しなかったように、金正恩には屈服の余地はない。その選択は金正恩の死を意味する。もちろん北に持久戦の国力はないから、結局、やぶれかぶれの瞬時の対抗しかあり得ない。
 そしえ、金正恩は死ぬだろうがあなたも私も家族も知人も死ぬ可能性は低くない。

 アフガンのペシャワール会中村哲医師は、武器ではなく灌漑技術で、アメリカもロシアも実現できなかった「平和」を築きつつある。
 それは夢物語ではなく明々白々な現代の事実である。
 軍事力ではなく、内政不干渉の原則に立った外交、交渉に日本政府は踏み出すべきだろう。それが大人というものではないのか。

   蛇足ながら、右翼の論客?西尾幹二が週刊誌や月刊誌で「私は単純に安倍首相の人間性に呆れ、失望しただけです」と、首相を右側から痛烈に批判している。 
 「拉致のこの悲劇を徹底的に繰り返し利用してきた政治家は安倍晋三氏だった。(中略)主役がいい格好したいばかりに舞台にあがり、巧言令色、美辞麗句を並べ、俺がやってみせると言い、いいとこ取りをして自己宣伝し、拉致に政権維持の役割の一端を担わせ、しかし実際にはやらないし、やる気もない。政治家の虚言不実行がそれまで燃え上がっていた国民感情に水をかけ、やる気をなくさせ、運動をつぶしてしまった一例である」と。

 このように、安倍晋三が国民の利益など関係なく私利私欲で政権を利用しているのは、政治的立場を超えて常識になっている。
 北のミサイルを心の底から喜んで大笑いしているに違いない。
 なんとなれば、北が日本列島を目標にしたミサイルを配備したのはズーッと以前のことである。Jアラートを使って今大騒ぎしているのは米国を対象にしたミサイルである。
 また、ほんとうに日本にミサイルの危機が生じているなら、イの一番に原発を止めるべきである。
 結論は、北の危機を宣伝すれば政権支持率にプラスになるという政局判断だけだろう。
 9月28日国会冒頭解散、10月22日投開票との記事が報じられている。
 厳しい批判が必要だと思う。

    にょっきりと年年歳歳曼殊沙華

2017年9月17日日曜日

埴輪は踊る

   百舌鳥古市古墳群というのは前方後円墳のピーク(つまり古墳時代のピーク)のものであり、倭の五王の時代前後のものである。
 そして、実は人物埴輪の誕生した時期でありその地でもある。

 人物埴輪というと東京国立博物館にハニワ課長で有名になった「踊る埴輪」があり、埼玉県熊谷市出土とされているが、戦前のことなので出土地も含めてよく解っていない。

 塚田良道氏の指摘では「その内のひとつの背中の腰帯に鎌を挿しているから、他の埴輪と比較検討するとこれは「踊り子」ではなく「馬飼」であるという有力な説がある。

 それにしても始皇帝の兵馬俑と比べて人物埴輪のこの抽象性は何だろうと常々思っている。
 単純に倭の技術が稚拙であったという説もあるが、倭人は「省略の造形を好んだ」という説に贔屓したい気も多少ある。

 多くの巨大古墳の主要部分が宮内庁によって公開されていないなど問題点もあるが、世界遺産登録がされれば着実に整備も研究も深まるだろうと私は期待している。
 ただ「イルミネーションの維新」(4年前の松井発言)に市政を譲ると金儲けのためにしか対応しないだろうから、ここはどうしても竹山市長再選しかないと考えている。

 昨日、百舌鳥古市古墳群の国内選定を祝ってハニワ課長と写真を撮ったが、その写真を見て、己が年老いた姿に力をなくしている。
 妻からは「雨のせいでズボンの膝が抜けたからそう見えるだけや」と慰められたが、それは明らかに私への気遣いだった。

    秋深し古墳の本を読み直す

2017年9月16日土曜日

臨時財政対策債

 堺市長選挙で臨時財政対策債(臨財債)が話題になっていた。
 耳慣れない話題だったので少しばかり調べてみた。

 そもそも現在の地方財政制度のもとでは、毎年政府は「地方財政計画」を予算案とあわせて国会に提出し、地方自治体が財政運営に支障をきたさないように対策をとることが義務づけられている。政府の義務である。
 この法的義務をふまえて、かつては、法定率分の交付税では財源が不足するため、交付税特別会計として政府が借金をして、地方交付税の一部として自治体に交付してきた。

 ところが政府は、それによる交付税特別会計の借金が40兆円にものぼるとして、特別会計の借金というやり方をやめ、大枠の考え方として、財源不足額の半分は国の一般会計から補充して地方交付税に上乗せし、残りの半分を地方自治体の借金でまかなうことにした。これが臨時財政対策債だ。ただし、ここが大切なポイントだが、財源不足の補充は国の責任なので、臨時財政対策債は名目としては自治体の借金だがその返済は各年の地方交付税で措置され、自治体には負担が生じないようになっている。

 政府のこういう臨時財政対策債方式に批判はあるが、実態としては国の借金の看板だけを自治体の借金のように架け替えたもので、実質は自治体の借金とは言い難い。
 これは地方行政では常識に属する事実なので、大阪市長時代の橋下徹もそのように繰り返し発言していた。

 ところが今般の維新の堺市長候補は、この臨時財政対策債を含めて財政問題を論じ、大阪市よりも借金の多い堺市というデマを大声で拡散している。
 先日から「ヒトラーとナチ・ドイツ」の勉強をしているが、維新候補のそれはナチスばりのデマである。

 さて、私は老人ホームの家族会の役員をしているが、会計の問題では考えさせられることがある。
 例えば、少し大きな備品や行事のためには幾らかのお金を積み立てておく必要がある。しかし、老人ホームであるから一定の会員の移動は避けられない。となると、お金を負担した人と受益する人が異なってくる。なので、この程度の組織ではあまりお金は貯めない方がよい。
 いろんな組織でも共通する課題だろう。

 しかし、地方自治体や国土交通行政などではそうはいかない。桁違いに大きな(多額の)建設等が不可避である。
 これを無借金で対応するなら、建設時に負担した住民と、その後に受益する住民の不公平が生まれる。その額も桁が違う。
 こういう場合に、受益者が公平に負担する方式のひとつが公債であり借金である。だから、何もかも私生活の家計と比べて「自治体の借金は悪だ」と捉えるのは正しくない。ただし程度問題であり、後年度の住民が返済に走り回るようではいけない。

 と押さえたうえで、ほんとうの堺市の財政状況の実態はどうか。
 堺市と大阪市と大阪府のそれぞれのホームページの平成27年度決算で「財政健全化」部分を見ると(当然、%が低いほど財政は健全)・・、
 ■ 毎年の収入に占める借金返済額の割合【実質公債費比率】
   堺市    5.5%
   大阪市   9.2%
   大阪府  19.4%
 ■ 収入に対する純負債総額【将来負担比率】
   堺市   16.6%
   大阪市 117.1%
   大阪府 189.0%      ・・であった。

 調べてみて、私はあまりの落差に驚いた。堺市の健全財政に比べて維新の首長の大阪府市の危うさは明白だ。
 いわゆる都構想が政令指定都市・堺市を解体して、大阪府(大阪都ではない)に財源(主としては堺市民の税金)を吸い上げようという魂胆は明らかだろう。
 夏井いつき先生流にいえば、この数字を見てそのことが想像できないのは「才能なし」と言われても仕方がない。
 そして吸い上げられた税金のその使い道はカジノだというのだから言語道断だと思う。

    秋祭り故郷の友からメールあり
    

2017年9月15日金曜日

堺という街

 春に退職者会の遠足で堺の街を散策したとき、堺市役所21階展望ロビーで「この道から北が摂津の国、南が和泉の国、その神社の東が河内の国。なのでこの丘が三国ヶ丘で、だからこの街が堺(※くにざかいの意)」と説明すると意外に皆に感心していただいた。
 ということは、世間ではそれほど知られていなかったということになる。

 私の好きな中世史家・網野善彦氏の著作に『無縁・公界・楽』という有名な本があるが、そこでは国境(くにざかい)にそういう無縁、公界、楽が生まれ、アジール(平和領域)となり自治都市に発展したものが少なくないとあって、私は堺の街を思い浮かべて妙に感心したことがある。

 国境線には多々変遷があるが、近現代の和泉(泉州)も概ね泉北丘陵~和泉山脈の西側、海寄りがそれで、東側の南河内とは割合はっきり分かれていた。
 ところで、先日来度々高速道路の堺ICを降りて大阪狭山市に向かったが、妻や子どもたちに「ここまでが泉州堺、この先は南河内」と言ってもキョトンとするばかりに地形は変わっていた。
 きっと都市化によって気候も変化しているものと想像するが、若い頃、堺の市街にあった高校に「岩室」の同級生が「雪のため登校できなかった」ことに驚いたことを思い出す。街も変わるものである。

   変わるといえば海側のそれはもっと顕著で、白砂青松の海は今は一大コンビナートになっている。
 「お祖父ちゃんはここで泳いで貝を採って食べてたんやで」と言っても子や孫には想像もできないだろう。
 そのように、まるで生き物のように街は歴史を積み上げ成長する。

 平成の大合併とやらで新しい名前の都市が増えたが、耳で聞いても地図上の位置が出てこない。これはよくない。失政の見本である。
 「学芸員はガンだ」といった大臣同様、街の歴史を顧みることのできない政治家は金儲けの数字だけで組織をいじり、それで市民が幸せになるようなことをいう。その多くの数字も嘘である。

 維新の堺市長選挙の候補者は、堺を分割して大阪府(決して大阪都にはならない)に吸収する構想を持っているが言語道断である。選挙期間中だけそれを言わないのはカモフラージュである。
 大阪市長がカモフラージュだと述べている。

 先日堺市と同程度の人口規模を持つ東京都世田谷区長のことを書いたが、世田谷区長は住民自治の充実のためには都の中の特別区でなく政令指定都市にしたいと主張されている。真っ当な意見だろう。
 少しでも街の歴史や文化を大切に思うなら、堺市長選挙の選択は竹山市長の再選しか考えられないがどうだろう。
 
    がら入れと土鍋出したる白露かな

2017年9月13日水曜日

日日是好日

   「日日是好日」は唐時代の禅僧雲門文偃(うんもんぶんえん)和尚の言葉らしいが、私などは、どうしても武者小路実篤の色紙のイメージが頭の中で先行する。

 そして、その(色紙の)「供給」の多さを市場の価値観で見てしまい、言葉そのものの有難味を軽く感じてきた。情けない。

 ひろさちや氏の本には、「毎日毎日がすばらしい日であり、われわれはそれをしっかりと生きねばならない。きょうをほうっておいて、明日のことを考えてはいけない。そういう意味なのである」とある。

 だが、スーダラ節ではないが、「わかっちゃいるけどやめられない」訳で、要らぬ将来を心配して思い悩んだりする。

 よく似た言葉は聖書のマタイ伝にもあることを知った。いわく、
 「明日のことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」。

 とはいえ、この国(主に政治経済)の未来には不安が尽きない。
 その不安を語ることはそれはそれで大切なことだろう。

    知らぬ間の二歳の夏や退院日

2017年9月12日火曜日

維新の非常識

 世間の常識は維新の非常識らしい。
 大阪市長が5日、大阪都構想そのものの「特別区」と、大阪市を残したままの「総合区」をごちゃ混ぜで議論することについて、「この任期、総合区とか作戦練って進めてますけど、山の頂上っていうのは特別区やって都構想やって、経済成長するような日本を引っ張るような街にしたい。そりゃカモフラージュすることありますけど、それは作戦ですから」と支持者を前に発言した。

 6日の議会では「僕は別にカモフラージュって言葉使ってませんから。そういった言葉使われるのはどうかなと。いささか心外ではあります」と居直ったが、7日には「確かに言った」と謝罪した。

 早い話が、「総合区」というのは公明党を引き込むためのカモフラージュで、上手く騙して「大阪都」=「特別区」に誘導するのが本心だと支持者たちに語っていた訳だ。

 そういえば、橋下徹は「これが最後の機会だ」と言って「都構想の住民投票」をしたが、その「最後の機会」というのも市民を煽るための嘘だった。
 そして今回、堺市長選挙に立候補した維新の候補者は「都構想は争点ではない」と言っている訳だが、ここまで来て、この言葉を信じるということになれば、それは学習能力がないということにならないか。

 大阪都構想について、堺市と同規模(さらに人口の多い)東京都世田谷区保坂典人区長は、要旨次のように述べている。
 『世田谷区は7つの県(佐賀・島根・鳥取・徳島・高知・福井・山梨)を上まわる人口規模を持っているが、首長の権限は一般の市町村長以下と聞くと、まさかと思う人も多いかもしれない。
 まず、税収が限られている。法人住民税、固定資産税(個人・法人)等は、都が徴収し、その55%が区に配分される「財政調整制度」で運営されている。
 財源を握っている都の立場は強くなり、配分を受ける区は「さじ加減」に財政上の大きな影響を受ける。 
 例えば、楽天本社が移転してきたが、都が法人住民税を受け、区には直接の税収はない。
 間接的には、住民増で税収があがる等のメリットがあっても、ただでさえ足りない保育需要が上昇する等の仕事を抱えることになる。 
 一方で地方分権の流れで、都市計画決定権限が市町村に移行したが、「特別区」だけはまちづくりに重要な「用途地域」等を決める権限が除外されている。
 例えば、文化・芸術のインフラとして、ライブハウスや小劇場がつらなるまちづくりを誘導しようとしても、「用途地域」の変更なしには進められないのが現状。ソウルでは、テハンノ(大学路)には小劇場が密集しているが、小劇場を持つビルオーナーに対して、固定資産税の減免を行なっている。世田谷区には、その権限はなく、固定資産税の減免という切り札を区の政策で使うことは出来ない。
 ・・だいたい、これまで、政令指定都市の住民自らが「市の解体」に賛同したことは聴いたことがない。神奈川県には、横浜市、川崎市、相模原市と3つの政令指定都市が存在するが、例えば横浜市を解体して、神奈川県の特別区にするという議論はあまり聞いたことがない。むしろ、横浜市は政令指定都市からさらに自治権を確立した特別自治市を提唱している』。(以上、発言要旨)

 如何だろう。私は世田谷区長の主張の方が世間の常識で、大阪維新の主張の方が非常識だと思う。

 結局のところは、堺市の財産を府に巻き上げたいだけだろう。
 堺市の市民一人当たりの市債(借金)残高は大阪市の半分で、20政令指定都市中第5位というトップクラスの健全財政。
 大阪府が財政悪化で維新府政後5年連続イエローカード(起債許可団体)になっていることと対照的だ。
 大阪市でバクチ(カジノ)による町おこしをしたいから堺は金を出せ!というのが許されるのかどうかが堺市長選挙の争点だろう。
 そう考えると、竹山市長を再選させることが堺市民にとってどれだけ大切かが解ると思う。

    鈴虫や白昼の駅の草叢

2017年9月11日月曜日

三角縁神獣鏡

   239年魏帝は卑弥呼を親魏倭王に封じ、返礼の下賜品に加え銅鏡百枚を賜与したが、列島各地から出土した三角縁神獣鏡(さんかくぶち(えん)しんじゅうきょう)はその銅鏡ではないか、いや三角縁神獣鏡は日本国内製であるなどと、邪馬台国所在地論争と絡んで大いに議論されている。

 その「景初三年、陳是作」という三角縁神獣鏡が大阪府和泉黄金塚古墳から出土したのは戦後のことで、母校の高校の「リキさん」という渾名の先生や学生(つまり先輩)らも幾らか関わっていた。
 なので、リキさんの「政治・社会」の授業では発見当時の感動を何遍授業で聴かされたことか知れないが、日本史を専攻していなかった私などは聞き流していたのが今にして思えば残念だ。人生はとかくそんなものである。

 それから50年以上たったのだが、学問というか勉強などというほどのことでなくとも、卑弥呼の鏡のいろんな推理は楽しい。
 そんなもので、以前から購入したいと思いながら本体2,400円という値段に些かビビッて専門書店の書架を眺めていただけの本があったが、今般、出版社である学生社が倒産して今後は手にすることが困難になりそうというので思い切って購入した。池上曽根史跡公園協会編『古代の鏡と東アジア―卑弥呼の鏡は海を越えたか―』執筆陣は、金関恕、新井宏、菅谷文則、福永伸哉、森下章司とシンポジウムである。
 
 濃密な論争も魅力的だったが、この本で特に新鮮だったのは新井宏の「鉛同位体比から見た三角縁神獣鏡」で、その精密な自然科学的な分析から、出土鉱山、生産時期、生産場所が特定できるというものだった。
 ただ、同じ紋様でも中国製の原鏡と倭製の複製鏡の問題や、何よりも金属には鋳潰して再利用する問題があるので、単純に卑弥呼が魏からもらったものかどうかの特定までは進んでいない。
 この本の話はそこまで。

 この本の購入直後、普通の書店の書棚で岡村秀典著『鏡が語る古代史』岩波新書というのを見つけたので、この本の続きで読んでみようと思ってとりあえず購入しておいた。
 新書は、鉛同位体比とは対極かも知れないが、徹底して中国における銅鏡の文字を一字一句読み解き、絵を比較して、年代と製作地域と担当した工人を特定するものだった。
 鉛同位体比以上とも思える緻密さを読むのにはくたびれたが、一つひとつ納得させられて読み進むのが楽しかった。

 以下に一部(要旨)を抜粋するが、興味のない方は読み飛ばしてほしい。

 三角縁神獣鏡の製作地をめぐる議論の中で、一連の「陳是作」鏡の銘文についていくつかの解釈が提出されているのでそれを検討する。(原文省略)
  景初三年に
  陳氏 鏡を作るに、自(おのず)から経術(けいじゅつ)有り。
  本(もと)より是(こ)れ京師(けいし)より、他地(たち)に出(いだ)す所なればなり。
  吏人(りじん)之(こ)れに照らせば、位は三公(さんこう)に至らん。
  母人(ぼじん)之(こ)れに照らせば、子を保ち、孫に宜(よろ)し。
  寿(いのち)は金石の如くあらん。

 四言の銘文は、第二行・第三行の「術」と「出(しゅつ)」が押韻し、第四・第五行は対句である。作鏡者の「陳是」は「陳氏」、「述」は「術」の仮借である。第二行は淮派の画像鏡にみられた「尚方作竟自有術」などをもとに「ただしい」という意味の「経」を加え、四言句に改変したものである。つまり、これは「陳氏がつくった鏡は正しい規範を内包している」という通有の銘文であり、「自(おのず)から鏡をつくる経歴を述べる」という(倭製論者である)王仲殊の解釈には無理がある。
 第三行の上句「本是京師」は字釈に異論がなく、「正始元年」鏡との対照によって「是(し)」は「自(じ)」と、「京(けい)」は「荊(けい)」とそれぞれ通じている。「京師」は首都を意味し、魏の都洛陽にほかならない。
 問題は下句で、字形が鮮明でないため字釈が分かれているが、光武英樹説が穏当で、「もとより都の洛陽から他の地に輸出するところのものである」という意味であり、はるばる大海を渡って朝貢してきた倭王卑弥呼に贈るものとして制作されたと解釈できる。

 引用したい説は多岐にわたるが、興味あるお方は「新書」を購入してゆっくりと読んでいただきたい。

 私の銅鏡の旅は緒についたばかりである。
 昔、33面の三角縁神獣鏡が出土した天理市の黒塚古墳をみて、その鏡が被葬者の方に鏡面を向けていたことから、これは「被葬者が蘇って害を及ぼさないように」封じ込めるために祈ったものとの説を信じていたが、中国での発掘でも鏡面を被災者の方に向けているものが幾つも出ているので、やはりごく普通に「邪魔をされずに黄泉の国に行けるように」という僻邪の信仰ではないかと考えなおしているところである。

 「服(ふく)する者は・・不祥(ふしょう)を辟除(へきじょ)せん」というような鏡の文言も、さらに西王母などの神や、四神などの獣の絵も道教の信仰である。
 「日本には道教は入ってこなかった」と大先生があちこちの書物に書いておられるが、偏見を捨てて素直に直視すれば、ほとんどの神社で銅鏡を御神体としている日本の神道が大いに道教の上に成り立っていることは明白だ。
 サッカー、ナショナルチームが三本足のカラスを胸につけているのは、当事者の皆さんが知っているのか知らないのか知らないが実に微笑ましい。

    どぶろくや夫婦揃ってぷはといふ

2017年9月9日土曜日

ヒトラーとナチ・ドイツ

   「風が吹けば・・・」的にいえば麻生太郎副総理のおかげで私は少し賢くなった(ような気がする)。
 9月2日に書いたとおり、麻生副総理は2013年に憲法改正をめぐって「ナチス政権に手口を学んだらどうか」と発言し、この829日には「少なくとも(政治家になる)動機は問わない。結果が大事だ。何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」と、つまりはホンネを訳すると「ヒトラーの政治の結果は駄目だが動機は正しかったと思っている」と発言した。

 念のために指摘するが、麻生太郎は国の副総理であり、安倍総理は彼の責任を全く問わなかった。
 それが現代日本の現実の姿だった。
 なので、この問題は簡単に批判するだけでは終われない。私はそう思った。思慮の浅い老人が口を滑らせたと信じるのは同程度に思慮が浅くはないだろうか。

 だとすると、ヒトラーの政治は、麻生太郎が「撤回した」とはいうものの、そんな例え話に使えるような軽い「ミス」だったのだろうか。そして、近代日本がお手本にした当時の最文明国ドイツにどうしてヒトラーが誕生したのか。過酷なヴェルサイユ条約だけが遠因だったのか。
 もう一度じっくりと復習する必要性を私は強く感じた。
 ということで、石田勇治著『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)を購入した。

 よく同輩から「目も悪くなったし新聞だけはしっかり読んでいるから単行本を読むのはどうも・・」という声を聞いたりするが、やっぱりものごとをしっかり理解するには本を読まなければ・・と痛感したというのが私の感想。
 本書の章立ては・・、
 第一章 ヒトラーの登場
 第二章 ナチ党の台頭
 第三章 ヒトラー政権の成立
 第四章 ナチ体制の確立
 第五章 ナチ体制下の内政と外交
 第六章 レイシズムとユダヤ人迫害
 第七章 ホロコーストと絶滅戦争  ・・となっている。

 また、帯のコピーには・・、
〇 ヒトラーは、いかにして国民を惹きつけ、独裁者に上りつめたか?
〇 なぜ、ドイツで、いつのまにか憲法は効力をなくし、議会制民主主義は葬り去られ、基本的人権も失われたのか?
〇 ドイツ社会の「ナチ化」とは何だったのか?
〇 当時の普通の人びとはどう思っていたのか?
〇 なぜ、国家による安楽死殺害やユダヤ人大虐殺「ホロコースト」は起きたのか? ・・と書かれている。

 363ページに及ぶ内容をここに記すのは無理なので、興味を抱かれたなら購読されて損はない。

 この本のどこにも現代日本社会のことは触れられていないが、私は読みながらあちこちで日本維新(大阪維新)を思い浮かべた。そしてアベ政治を。日本会議を。この自然と湧き出てきた連想は自分でも予想外のことだった。あまりに似すぎている。あまりに麻生副総理の指摘は当たっている。
 はっきり言えば「手口を学んでいる」。
 麻生太郎は馬鹿ではない。この国は高度なオブラート(手口)に包まれながら、着実に昭和前史に回帰している。本を読みながら心拍の高鳴りを抑えることができなかった。

 最後にカバーの文章を転載する。
 ナチ時代のドイツを考えるうえで見落としてはならないもうひとつの論点は、ヒトラーとナチ体制が人びとを惹きつけた「魅力」についてである。ヒトラーのカリスマ的支配の拠り所がその国民的な高い人気にあったことは、よく知られている。だがそれは、どのように生み出されたのだろうか。
 ナチ体制は「民族共同体」という情緒的な概念を用いて「絆」を創り出そうとしただけでなく、国民の歓心を買うべく経済的・社会的な実利を提供した。その意味で、ナチ体制は単なる暴力的な専制統治ではなく、多くの人びとを体制の受益者、積極的な担い手とする一種の「合意独裁」をめざした。このもとで大規模な人権侵害が惹起され、戦争とホロコーストへ向かう条件がつくられていったのである。

 この指摘している諸事実は重い。
 ナチズムを反省するということは、人間とは、人生とは如何にあるべきかという問でもある。
 殺されるのも嫌だが、殺す側も嫌だ。そういう二者択一を迫られる前に行動することの重要さをしみじみと感じさせる本だった。

 少し前の段落で「興味を抱かれたなら購読されて損はない」と書いたが、それは麻生太郎副総理に倣って撤回する。
 私の感覚では、現代はナチズムの台頭した時代とあまりに似すぎている。
 無能な保守派が自分たちの利益のためにナチを「利用しよう」として母屋を取られること。マルティン・ニーメラー牧師の反省のとおりに良識が分断されることの負の効果。ヘイトスピーチやその行動を権力者が事実上擁護することの先にある怖さ等等等・・
 なので、世の中や人生というものを誠実に考えてみたいと思われるなら、コーヒー2杯分ぐらいでこの本を購入されることを心から是非ともお勧めする。

 ユダヤ人が虐殺されていく中で「元ユダヤ人の家屋に入れた」「会社内でユダヤ人がいなくなってそれらのポストに出世が出来た」と喜ぶ声が生まれ、”あの”ドイツ人たちが90何%ナチを支持したのだ。これらの機微を理解できないと次なるナチズムは簡単には止められない気がした。
 熱狂する社会の恐ろしさを分析する旅に終わりはない。
 そして、当面する堺市長選挙で維新候補を破り、竹山市長再選を目指す意義は大きい。

    眠られぬナチの本読む夜長かな

2017年9月8日金曜日

奈良公園ゴルフコース

   奈良公園、春日大社の一之鳥居から東の本殿に向かう参道を行き循環道路(自動車道路)を越えると右手(南側)に広がるのが『飛火野』で、春や秋のピクニックの適地である。

 こんな「春日さんの前庭」のような場所に、実はゴルフ場建設計画があったということは全く知らなかった。

 奈良県近代史研究会の竹末勤氏の講義で初めて知った。
 明治43年、香港総領事・船津辰一郎から外務大臣小村寿太郎あて『奈良公園ニゴルフ運動場設置方ニ関スル件』が申達された。
 イギリス人建築家W・ウェルトンの提言には、
 ① 奈良公園ニハゴルフ運動場トシテ最適当ナル地域アリ、右地域ニ相当ノ設備ヲ施セハ東洋ニ於ケル第一ノゴルフ運動場トナル
 ② 本邦ヲ漫遊スルモノハ必ス奈良ニ立寄ル様可相成、従テ同地ノ繁栄策トモナル可
・・とあった。
 奈良県は、参考のため神戸ゴルフ倶楽部を調査したりしたが、政府の富国強兵策とマッチしなかったのか、この構想はその後消滅した。

 奈良の歴史というと古代史や中世史ばかりの観があるが、近代史も捨てたものではなさそうだ。
 2013年7月13日に『維新と大砲』というタイトルで吉村長慶のことを書いたが、廃仏毀釈時の奈良は動乱の時代であった。
 いつの世も、権力にヨイショをして金儲けを企んだ奴らがいた。

 現代も、国立公園・世界文化遺産の地に「特区」的に高級ホテルを造ろうと策動している面々は多い。
 奈良のおもしろいところは、自民や公明がそういう文化破壊の先頭に立ち、共産が「寺社やその文化を守れ」と運動しているところが世間の常識?とひっくり返っていて可笑しい。
 なんとなく作られた印象(保守や革新という言葉)で物事を計ってはいけない。
 歴史や伝統を一番大事にしているのが共産党だと言ったら世間は驚くだろうか。

    昔からアオマツムシはグローバル

2017年9月7日木曜日

加藤義明さんのこと

   
   9月5日付け朝日新聞(大阪本社)夕刊社会面に、きり絵作家加藤義明さん(1931~2010)の記事が大きく載っていた。
 加藤義明さんは美術史上欠かせない人物で、作品を後世に伝えたいと、作品群の寄贈先美術館を探しているということだった。

 加藤義明さんの名前は知らなくても、一定年齢以上の大阪の人なら、1973年にヒットしたNHKドラマ、茂木草介作「けったいな人々」のタイトル画の美しさは覚えておられるかもしれないし、1983年から地下鉄淀屋橋駅の天井にまでかかって壁一面の「大阪のまつり」幅12m×高さ4m×4枚のきり絵は何年間も大阪のシンボルのようなものだった。
 
 きり絵の最大の特徴は「吊り」とか「つなぎ」で絵をバラバラにしないことで、あくまでも「1枚の紙であること」だが、それが素人が作るとその「つなぎの線」がいやに鼻につくものだが、それを美術の域に高めた一人が加藤義明さんだと私は思っている。
 ほんとうに適切な美術館が手をあげてほしいものだ。

 さて、8月26日の「折口信夫と盆踊り」の記事で少しだけ触れたが、生駒谷・平群(へぐり)の村の古い盆踊りの中心には行燈付きの竹が立てられ、その行燈は「切紙」(きり絵)で飾られていた。
 その詳細を復元するには義母の記憶は遠すぎた。

 平群の古い盆踊りはほんの一例で、各地の祭り、神事、仏事に伝承されてきた「きり絵」は数多く、多くはただの装飾ではなく、重要な結界であったり依代(よりしろ)だろう。
 26日の記事のメーンテーマの「音頭取りがさす番傘」のように、今のうちに誰かが蒐集整理しておかないと、雲散霧消してしまわないかと心配だ。
 正倉院御物の「人勝残欠(じんしょうざんけつ)」のように残欠になってからでは遅い。

 私の嗜好から伝統的な「きり絵」に話が跳んだが、加藤義明さんのそれは現代美術の作品である。
 8月に、氏が長く居住されていた堺の地で「平和のための戦争展」があり、その一角にいくつかの作品が展示されていた。
 そういう展示の機会が何処かであればどうか鑑賞していただきたい。
 氏の夫人は私たちの労働組合の近畿地協の書記さんでもあった。

    ふるさとのきり絵が揺れる秋祭り

2017年9月5日火曜日

実証主義

 昨日の記事で「鹿だまり」のニュースがフェイク(ニセ)とまでは言わないが、私の知る限り「奈良国立博物館前が涼しい」ということは事実としては認めがたいという感想を書いた。
 近頃はこの種の実証のない「情報」が大手を振って独り歩きすることが多いから、私は、少なくともSNSで何かを書くにあたっては、出来るだけ歴史的に検証された書物に当たってみたり、実測等が可能なものは実地検証してみようと心がけている。

   そうすると・・・反省すべき微妙に気になることを思い出した。
 7月29日の『解除会(げじょえ)』の記事のコメントで、大仏殿の北東(鬼門?)の柱の穴は30㎝×37㎝だと書いたが、これはネットで得た数字であった。
 記事に書いた私の体験上ほゞ了解できる数字だと思って書いたのだが、精確には自身で実証はしていなかったし、私の持っている書籍等にもその種の数字はなかった。

 そこで、先日、・・・反省を込めて、メジャー(巻尺)を持って廬舎那仏(大仏殿)にお参りに行った。そして実際に測ってみた。
 答は、底辺30㎝×高さ37㎝の長方形で間違いなかった。
 四隅の丸みもそれを問題にするほど大きくはなかった。
 もちろん、先のコメントで「対角線(斜辺)の長さはピタゴラスの定理で47.637㎝」と書いたことも当然ほゞ合っていた。
 で、忘れ物が見つかったような何かすっきりした気分になった。ああよかった。

 さて、その日その時間は遠足や修学旅行生がいなかったので、大仏殿は比較的空いていた。
 なので私は、国内外の観光客(圧倒的には外国人)に、これはせっかくの機会だからと呼び止めて「柱くぐり(鼻の穴くぐり)」を思いっきりお薦めした。
 順番に呼び止めて、グレートブッダのノーズのホールとイコールでダイブするとラッキーだからチャレンジするよう訴えた。
 そのとき、躊躇する大人たちには私のメジャー(巻尺)が威力を発揮した。
 メジャーで穴の対角線(45㎝強)を確認させたうえで、バンザイをさせて順に肩幅を測ってあげた。
 そして、オーライ オーライ又はソーバッドと宣告し、オーライ組はダイブでラッキーだとチャレンジさせた。
 実際、肩幅40㎝強の大人でも潜ることに成功した。
 数えきれないほど多くの観光客を測り体験させた。
 彼ら彼女らには、きっと、日本旅行の楽しい思い出のひとつになったに違いない。
 潜り終えてから、何回も何回も親指を立ててグッド グッドと私にお礼を言った人もいた。

 仏堂でこんなに面白がってよいものだろうかとの躊躇も過ったが、彼ら彼女らが、日本、大仏、そこで勧めてくれた日本人を楽しく思い出にしてくれたなら、廬舎那仏の意にも沿うのではないかと勝手に理解した。

 ヘイトスピーチなどという嫌な言葉も聞く昨今だが、韓国語、中国語、英語、スペイン語等関係なく笑い声とお礼の言葉は通じ合う。 
 この記事の読者の皆さんには、奈良(東大寺)観光の際はメジャーの持参をお勧めする。「鼻の穴くぐり」で国際親善は大いに深まる。間違いなし。

 ニッポン旅行の土産話で、「おかしなニッポン人にそそのかされて、ニッポンの奇習を体験したよ」と自慢している顔を想像して含み笑いをしている。

    鼻潜る善男善女の声清し

2017年9月4日月曜日

メディアに一言

   大正12年の新聞と現代のメディアの状況を一緒だなんていう気はないが、関東大震災時の流言蜚語を大きく助長したメディアの責任(写真参考)は重要な教訓として押さえておきたい。

 今般の北のミサイルの報道でも、まるで日本に向けて攻撃があったかのような報道はいただけない。
 それらのことは8月30日の記事に書いた。

   そこで少し息抜きのような話題だが、今夏、関西のテレビや新聞をにぎわした記事のひとつに「奈良の鹿だまり」のニュースがある。
 「夕方になると、奈良国立博物館の前の芝生に驚くほどの数の鹿が溜まってくる」という話題で、テレビニュースなどは1分ぐらいの短い時間で半分クイズ形式で面白おかしく伝えるから、「答は博物館地下からの冷たい空気の換気口(写真)で涼をとっているのだろう」という一説が、まるで定説であるかのように独り歩きしている。

 私の知る限り、辺り一面をひんやりさせるような空気は出ていないし、鹿が涼を求めるなら若草山を少し登る方がよい。推論のひとつではあるが、私は的外れのような気がしている。
 しかし、そのうちにクイズ番組あたりに出題されるのではないだろうか。
 ことほど左様に、メディアの振りまく印象が世に与える影響は大きい。
 だから、テレビ、新聞を鵜呑みにせず、常に「はてな?」という癖をつけておかないと、「鹿だまり」みたいな何処かへ連れていかされそうな気がしている。そこが絶滅収容所でなければ良いが。

    不意打ちの秋の空気やくしゃみ声 

2017年9月3日日曜日

ミンミンゼミ

ネットから
   昭和40年代、労働組合青婦部(当時は青年部ではなく青年婦人部だった)のハイキングのレクリェーションの罰ゲームのひとつに「ミンミンゼミ」があった。
 近くの樹木に抱きついて、落ちずにミーンミーンと鳴くのである。
 後に本を読んで知ったことだが、これは軍隊内で実際に行われていた制裁の一種だった。20数年前(昭和20年8月以前)の軍隊内の制裁が未来を語る青婦部の昭和40年代の罰ゲームに変身していたのだった。

 このゲーム、シャーッシャーッシャーッでもなく、ジリジリジリジリでもなく、ニイニイでもカナカナでもなかった。ツクツクホーシはあったかもしれないが、基本はミーンミーンだったように覚えている。それはさておき・・・

 ・・というほどセミといえばミーンミーンが相場になっているが、近頃滅多にその声を聞かない。
 ミンミンゼミは森林性で暑さに弱く西日本の都市部ではほとんど棲息していないと昆虫図鑑に書かれている。
 なので、西日本の都市部なら夏の終わりから9月、そしてクマゼミとは鳴く時間帯を棲み分けて偶に鳴くとも書かれていた。

 8月29日未明、わが家の前でミンミンゼミが鳴いた。
 何もかも昆虫図鑑どおりだと感心した。
 それに、ミーンミーンはやっぱりセミの声の代表だ。

 例によってファーブル先生はセミの幼虫や変態について詳細な観察と実験結果を私たちに教えてくれている。
 その中では、アリストテレスが『「セミの母」の殻が破れる前のセミはもっとも美味である』と言ったことを追実験し、「どこの国のお百姓でも都会育ちの人をからかう癖があるもので、アリストテレスはそれを信じてしまったにちがいない」と結論づけているのがとても可笑しい。

 お百姓つながりでいうと、室生犀星は「僕は蝉の顔の素朴さが好きである」「田舎に百姓がゐるやうに樹木に蝉がゐ、それが皆善良さうな顔付をしてゐる」と優しい。

    朝まだき闇の奥から秋の蝉

2017年9月2日土曜日

ナチスを例えること

ニューイングランドホローコースト記念博物館の英語版碑文
   麻生副総理は2013年に憲法改正をめぐって「ナチス政権に手口を学んだらどうか」と発言し、国内外特にサイモン・ウィーゼンタール・センターなどユダヤ人社会から強い批判を浴び撤回したことがあるが、今般8月29日、麻生派研修会の講演で「少なくとも(政治家になる)動機は問わない。結果が大事だ。何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」と発言した。
 本人は「政治家のあり方に言及した際の文脈での発言だった」と弁明したが、今回も内外の批判を受けて発言を撤回した。

 言葉尻、揚げ足をとる気はさらさらないが、中学校の国語の問題で「この発言者はヒトラーをどう評価しているか」と問われたら、「発言者は、ナチス・ヒトラーの政治の動機は正しかったが政策の結果がまずかったと考えている」というのが正解だろうと思う。
 それが読解力というものだ。

   実際、欧米では日本国内の何十倍もの規模で正しく報道され批判されている。
 本人は日本国内の世論に反省したのではなく、アメリカ政権の「その筋」からの批判の大きさに驚いて「撤回」したのだと私は思う。
 右の写真は9月1日付け朝日新聞夕刊である。
 この見出しのとおり「北朝鮮情勢を警戒」して訪米が見送られたと信じるのは「思考停止」の表れで、特殊詐欺のカモだと私は思う。

 親イスラエルのトランプ政権が本気で怒って「麻生とは今後話し合えない」と一言いえば安倍政権は崩壊するだろうから、弱みを握られた安倍政権は今後ますますトランプ政権に対して決定的に従属を強めることだろう。トランプにしてもそういう「生殺し」にうま味がある。

 さて、ナチスというと約580万人(150万人という説もある)といわれるユダヤ人大虐殺(ホローコースト)があまりに有名だが、少なくない日本人は「遠くの出来事」だと誤解していないか。
 私は内田樹著『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)を2冊持っているが、その理由は一度読んだだけでは頭に残らなかったので間違って再び購入したというものだ。
 そういう私を日本人の代表とは言わないが、そもそも「ユダヤ人とは誰のことか」の理解からして一般的日本人のレベルでは知識不足で難解である。

 それはさておき、ナチス・ヒトラーはユダヤ人大虐殺に先行して、あるいは並行して、共産党員、社会民主党員、労働組合員、ロマ(ジプシー)、エホバの証人、同性愛者、障害者等を迫害・虐殺している。そして多くの良心的な市民や聖職者も・・。
 障害者は1933年に40万人が「強制処分」され、1940年に数千人が「浄化」された。
 それが「ヒトラーの政治」だったのであり、麻生副総理はそれにシンパシーを抱き「動機は正しかった」と肯定しているのである。
 もしそうでなかったなら撤回などせず、「表現の自由だ」ぐらいを言い放って啖呵を切ればよい。

 蛇足ながら、当時のドイツの神学者マルティン・ニーメラー牧師は『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』という有名な詩を残していて現代人に貴重な教訓を教えている。

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
 私は共産主義者ではなかったから

 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
 私は社会民主主義ではなかったから

 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
 私は労働組合員ではなかったから

 そして、彼らが私を攻撃したとき
 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 「歴史に学ぶ」というのはこういうことを肝に銘じるということだろう。
 私たちの国の政府は、かつてそのナチスと三国同盟を結び、「日本國ハ「ドイツ國」及「イタリヤ國」ノ歐州ニオケル新秩序建設ニ關シ、指導的地位ヲ認メ、且ツコレヲ尊重ス」「三國ハアラユル政治的經濟的及軍事的方法ニ依リ相互ニ援助スヘキ事ヲ約」したのである。

 そういう戦犯たちを英霊と称して靖国神社に祀り、今も大臣や政治家たちがお参りし、真榊などを奉納している。


 だから、例え戦後生まれであったとしても「知らなかった」で済む話ではないし、知っていて知らぬ顔をするのはなおいけない。
 こんな人物を副総理に戴く内閣は早々に退場願いたい。
 「撤回しました」を了とするのでなく、コメントやリツィートで声を広げる必要があるように私は思う。
 「学びて行わざれば則ち罔し」ともいわれる。
 ニーメラー牧師は声をあげることの大切さを切々と訴えている。

    子らの声天高く消え新学期