2017年8月19日土曜日

KKKのことなど

   KKK(クー・クラックス・クラン)のメンバーらしき者(犯人はオルトライト所属と報じられている)がKKKの行動に抗議する反対派に車を突入させて若い娘をひき殺したことについて、トランプは「どっちもどっち」的な発言をして事実上KKK派を擁護した。
 私は小学生の時に学習雑誌でKKKを知ったが、まさか現代アメリカ社会に生き残っていたとは思わなかった(正確には再興か)。

 Wikipediaによると、「白人至上主義団体」とされるが、正確には北方人種を至上とし(ノルディック・イデオロギーという)、主に黒人、アジア人、近年においてはヒスパニックなどの他の人種の市民権に対し異を唱え、同様に、カトリックや、同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。

 プロテスタントのアングロ・サクソン人(WASP)などの北方系の白人のみがアダムの子孫であり、唯一魂を持つ神による選ばれし民として、他の人種から優先され隔離されるべきであると主張している。(引用おわり)

 当然のようにその主張は写真の中の横断幕のとおり「アメリカファースト」と親和的になり、ネオナチとも親和的である。
 ちなみに昨今の日本の若い方々にお伝えしておけば、一般に日本人はアジア人であり、排斥されるべき人種である。

 日本会議に所属する安倍晋三という首相を得て、韓国人や中国人を侮辱・排斥しようとするヘイト団体の活動が活発になったように、アメリカでも同じことが起こっている。この種の「〇〇ファースト」や「ヘイトスピーチ」は見過ごすことができない危険性を含んでいる。

 ただ私は、KKKに加わった人々が、そういう主張とどこで琴線が触れたのだろうかと考え込む。
 ある種の没落傾向への不満、それ故の被害者意識と劣等感、それをカバーしたい自尊意識、夜郎自大、排他性、比較的弱い他者への攻撃性、・・・教科書的にいえばそういうことで、つまりは大人になりきれていない幼児性だろう。
 とここまで考えると、私は橋下徹の下で繰り広げられた大阪維新の熱狂との類似性を感じる。
 
 客観的に生活向上の展望のない政治経済の根本には手を付けず、一方で、自信満々に「仮想敵」を排斥する主張を煽って支持層を形成しようとする政治家。
 沈みゆく大国アメリカの分析は堤未果氏の一連の著作にあり、その負の政策が維新や自民党の政策にストレートに移入されていることは知っていたが、こうなると遠くない将来、KKKの日本版が大手を振って闊歩することだろう。

 8月はある意味で戦争を考える月である。
 戦争の実像を再認識するという意味では想像を絶する悲惨な体験談の再確認も大切だが、それに倍する加害責任を語らなければならないのではなかろうか。
 加害責任の反省に「自虐」などという悪罵を投げつける人々がいるが、事実に即して自身が反省することこそ理性であり大人の振舞いであろう。
 多くの人々がそういうことを語れば、KKK的な亡霊を呼び起こすこともないだろう。

    秋の空まだ盛りなり白胡瓜
 

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