2017年7月31日月曜日

夏祭り万歳

   老人ホームの夏祭りがあった。
 櫓を組んで、店が出て、テントを張って、施設のスタッフの皆さんのご苦労は大変なものである。
 単純に「施設の行事だから行う」というようなスタンスではこうはできないことだと感心する。
 ここのスタッフの福祉にかける意識は高いように感じる。

 屋台は、幾つかのボランティアグループ、地域社会福祉協議会、親しいキリスト教会等々が担ってくれた。
 わが家族会は「千本引き」と「ヨーヨー釣り」を主に担当したが、開会早々から地域のちびっ子たちで大繁盛だった。
 ちびっ子に引かれて多数の地域の方々が来ていただけるという意義は大きい。
 よく人里離れた土地に老人ホームを見かけることがあるが、「閑静な環境」というよりも「姥捨て施設」扱いでないかとヘンに想像するときがある。誤解なら謝るが、正直なところそう感じる時がある。
 ニュータウンの中に堂々と立地し、こうして地域の皆さんが来てくれる施設というのは珍しいかも知れない。ありがたい。
 
 どんなイベントであっても、表舞台よりも裏方や準備作業(&後始末)が大変なもので、ヨーヨーを300個膨らませるのは重労働だし、よく失敗して萎んだり破裂するヨーヨーが水鉄砲になって体中に水をかぶったりしたが、真夏の午後だったのでそれも笑い話になった。

   以前の記事に書いたが、今年は駅弁の「番重」(ばんじゅう)を制作し、ヨーヨー釣りを入所者の皆さんに出前した。
 入所者の皆さんは車椅子のまゝテントの中や櫓の周りにいるから、地面に広げたプールまでヨーヨー釣りに来てもらうことはできない。

 なので夏祭りといっても、入所者にとっては食事以外は圧倒的には「観客」になってしまいがちだが、介助されながらも「自分」で「出前のヨーヨー」を釣り上げた顔は例外なく笑顔であった。
 日頃はほとんど笑わない方が、「わあ、何日ぶりかで笑顔を見せてくれた」とスタッフの方々が驚くということもあった。

 翌日には、「夏祭り?そんなんあったかいな」ということであってもかまわない。
 ベッドの横のヨーヨーを不思議がってくれてもかまわない。
 こういう取り組みを、「効果」や「効率」で測ることは適切でない。
 いつかみんな、手を取ってもらってヨーヨー釣りをさせてもらう時が来るのだ。
 それまでは、準備する側で楽しんでおこうと思う。

    夏祭り幼稚園になるホームかな

2017年7月30日日曜日

映画が輝いていた頃

 2年に1度開催される河瀬直美監督をエグゼクティブディレクターに迎えた「なら国際映画祭」が資金不足というニュースがあった。
 現在奈良市内には映画館が1軒もないという状況だからやむを得ないのかもしれないが、寂しいニュースである。
 
   しかし近代史の頁をめくってみると、昭和2年、あやめ池に『市川歌右衛門プロダクション(右太プロ)』という撮影所があり、その前後には『聯合映畫藝術家協会』、『中川映画製作所』、『日本映画プロダクション』、『谷崎十郎プロダクション』、『全勝キネマ』などのスタジオが奈良にあり、現在の奈良公園は格好のロケ地であった。

 地元新聞は「〇日にどこそこで〇〇プロの撮影がある」とか「どこでこんな撮影があった」とか、あるいは映画俳優による一種のファンサービスの行事などの記事を残している。
 役所は役所で、「二本差しで電車に乗るな」的な「ロケーション取締規則」も検討した(施行されたかどうかは不知)。
 いずれも、昭和15年皇紀2600年の戦時体制前に消えていった。

 時代は跳ぶが、私が小学生の頃は夏休みによく巡回の映画会があった。場所は近所の天理教の教会だった。
 映画の内容は99%忘れてしまったが、「日本脳炎の元であるアカイエ蚊を退治しましょう」という従的な映画があったのだけは覚えている。
 24日の朝日俳壇に 「かの夏や野外映画のなつかしく(越谷市)新井高四郎」 というのがあったが、そういえば小学校の校舎の壁にシーツのスクリーンが風に揺れていた。
 映画は覚えていないが野外映画の光景だけは今も覚えている。
 過ぎた過去はどうしてこうも名画のごとく美しいのだろう。

    夏の夜の映画の外の虫の声

2017年7月29日土曜日

解除会(げじょえ)に潜った

   28日に、何年ぶりかで東大寺の解除会(げじょえ)に行ってきた。
 早い話が「水無月の夏越の祓」の仏教版で、大仏殿の茅の輪をくぐると夏の疫病に罹らないといわれている。
 何よりも夏の朝8時から始まるという清々しさがいい。

 約1時間、お経の内容はほとんど解らないが、儀式の様式美のようなものに気持ちよく浸かってきた。 
 伽藍の背後からはヒグラシの声が聞こえ、一般的都会人としては、何となく深山幽谷の涼しい趣もあった。
 実際の山村の方は朝のヒグラシの声を「今日も暑い日が始まるのか」と聞くらしく、ヒグラシの声を涼しいと思うのはヒグラシが少ない都会人らしい。
 私などは、ヒグラシの声は文字どおり日暮れから夜のものであり、やれやれ熱い日中も終わったかと涼しく感じるのである。 
 ところが実際には風もなく、広々とした大仏殿ではあったが、読経の僧は盛んに汗を拭きつつ勤めていた。

 さて、解除会の始まる前、つまり朝の7時台はさすがに大仏殿も人が少なかった。
 各局のテレビクルーの方が目立っていた。
 そこで一念発起。大仏さんの後ろに廻って「鼻の穴くぐり」(柱くぐり)に挑戦した。
 誰もいないから相当じたばたしても恥ずかしくない。しかしほんとうに詰まってしまったら大声で表の人に助けを求めなければならない。行くべきか行かざるべきか。

 挑戦の結果、相当じたばたしたが無事くぐり抜けることができた。ただし誰もいなかったので証拠写真はない。
 ちなみに、身長1・7mに届かない私のBMI(体重(kg) ÷ {身長(m) 身長(m)})は、24.7で「普通体重範囲」の上限ギリギリの中肉?中背である。
 人間ドックでは「肥満 ↑」だが、勝負は肩幅だから腹囲はあまり関係ない。決め手はバンザイの格好で穴の対角線を使うことである。
 個人的には茅の輪くぐりよりも「鼻の穴くぐり」の方が記憶に残った解除会であった。

    カナカナ涼し天平の古刹かな

2017年7月28日金曜日

大胡瓜

   家庭菜園の良いところは植物の真実が見えるところである。
 などと大上段に振りかぶったが、言いたいことは、お店で売っている胡瓜は私に言わせれば「半人前の胡瓜」であるという感想だけ。

 真実の胡瓜はもっと大きくなるし曲がりもする。そして大人の味がするが、近頃は大人の味が判らない方も少なくない。
 わが家の胡瓜は「めちゃなり」系ではなく「半白」系と「四葉(すうよう)」系が主だから量よりも味で勝負している。
 だが、それを友人に分けたりすると、友人たちは既成概念とのギャップに戸惑い、先入観で測って「おかしな胡瓜」だと言う。

 その、おかしな胡瓜だが、先ずは糠漬けが美味しい。あるいは穴ざく(穴子のザクザク)や蛸キュウも問題ない。冬瓜風に干しエビや薄揚げと炊き合わせて冷やしたあんかけもいい。これは娘が美味しいと見直した。
 さらに今夏のわが家のヒットでいえば、カレーにたっぷり入れて「夏野菜カレー」がよかった。
 そのカレーの付け合わせにはピクルス。これは100%私が担当したのだが、写真のとおり商売ができるほどの出来栄えで、瓶詰が5~6個できたがほとんど残っていない。
 「胡瓜はサラダぐらいしか食べようがない」と思われている向きもあるが、それは胡瓜にとって不当な評価だろう。

 猛暑の今夏の前半戦を振り返ると、わが家は大胡瓜で健康を維持できた感じがする。
 「99.99%が水である」という反論があるかも知れないが、大胡瓜には分析で表れない栄養があると信じている。
 信じているから元気になっているのかもしれない。プラシーボ効果だろうか。

    シーッシーッシーッシーッシーッエナガの群れは涼しけり

2017年7月27日木曜日

宗派について

 ちょっとした思い付きのような話だが、宗教における宗派について考えた。
 というのも、奈良公園は外国人観光客で溢れていて、中には一見してインドや東南アジアのお坊さんの姿もある。
 上座部仏教と推測されるこの人たちの目には、奈良公園周辺の仏像やお坊さんはどう映っているのだろう。
 鄙びたお寺や仏像には「どうして塗装をし直さないのか」と不思議だろう。
 いや、そここそが、中国や東南アジアのお寺では考えられないような剥落ぶりこそが新鮮な印象なのかもしれないかも(ただの私の想像だが)。
 奈良公園でそういう異文化と接触する機会を得ながらも会話ができないという己が無教養が情けない。

ネットにあった台湾の道観
   大仏殿では、中国人と思われる観光客が両肘を張って顔の前で線香を立てて拝む姿もあった。テレビで得た知識でしかないが、それは道教のお祈りの仕方だと私は思う。
 そして、その方々に「東大寺は道教の観ではなく仏教の寺なのだ」と説明することに、どれだけの意味があるのだろうかと私は考え込む。
 その人の頭(心)の中では毘盧遮那仏も道教の神のようなものであって、だから道教の祈り方であって何の不都合があるだろうか。
 (日本仏教内の道教の影についてはひとまず差し置く)

 そういう奈良公園での諸相を見ていると、宗派の相違などなんと小さいことかと思えてならない。
 西洋哲学に〇〇学派というのがあるように、教義についての学派・宗派はあって当然だろう。という意味では私は宗派肯定派である。 
 同時に、人類の理想に向かって宗教家には小異を横において大同で力を合わせてほしい。
 そういう視野で考えると、公明党を支える創価学会、日本会議を支える神社本庁の偏狭な姿勢はいただけない。

 インド仏教界の指導者佐々井秀嶺師のことは『必生(ひっせい)闘う仏教』(集英社新書)という本でしか知らないが、その中で日本国内の「宗派根性」を猛烈に批判しているのには納得した。
 同じ問題意識としては、科学的社会主義者も胸に手を当てて反省すべきことは多い。

    蝉の声耳の外か内かが分からない

2017年7月26日水曜日

熊蝉は目覚まし時計

朝からうるさいクマゼミ
   クマゼミは朝に鳴き、アブラゼミは午後に鳴く、もちろんヒグラシは日暮れに鳴くからヒグラシ。 
 一般に虫が鳴くのは求愛の為だろうから、種類ごとに「担当時間」を決めて効率化を図ったのだろうか。あるいは求愛には好ましいムードが必要だからと、種類ごとに好きな環境が異なっている故なのだろうか。
 虫のこと、生物の進化のことはほとんどが後付けの理論で、正直なところ解らないことばかりだ。

 それに比べると人間のことは古人のことであっても、虫よりは想像がしやすい。
 古代中国では遺体の口にヒスイや玉製の蝉が含まれている(含蝉)が、魂が戻ってくるための肉体の保存を空蝉に重ねて願ったのであろう。
 また、地上に顔を出した際には既に蝉の形をしていて、そして羽化をするそれは、エジプトのスカラベではないが復活と再生のシンボルだったに違いない。

   写真は私の帽子につけている安物のストラップの一部であるが、原型は、国宝・東大寺金堂鎮壇具のうちの銀製蟬形鏁子(さす)・奈良時代(8世紀)で、鏁子(さす)とは、錠の一部分のこと。箱の蓋と身に宝相華文の座金を取り付け、蝉の形をした錠でつなぐ。蝉の目の間にある鍵穴に、鍵を差し込み開閉する。銀製の錠は非常に珍しい

 鎮壇具の意匠なのだから、蝉がどれほど古人にとって好ましい存在であったのかが想像できる。

 来年はこの帽子をかぶって孫の凜ちゃんと一緒に蝉捕りに行きたいと思っている。
 朝からクマゼミが「早く蝉捕りに来てくれよ」と鳴いている。
 その小さな体でどれだけ大きな声を出したら気が済むのかとあきれる。
 あれぐらい孫が元気になってくれたらと願っている。

    通学の集合場所の蝉の声 (夏休み前に)

2017年7月24日月曜日

都議会選挙の感想の感想

   都議会議員選挙についての共産党志位委員長の感想が面白い。
 一つは、「自民か非自民の受け皿(今回でいえば都ファ)か」という大キャンペーンが猛威を振るった選挙では、これまでは例外なく後退を余儀なくされていた(弾き飛ばされていた)が、今回はそういう下で2議席の前進を勝ち取った意義は大きいという感想で、しみじみと「実は難しかった」と吐露されたことが面白い。

 二つは、19議席は共産党だけの成果でなく幅広い共闘のたまものだったと述べ、共産党候補に支援を寄せてくれた他党・他会派・無党派・市民運動の皆さんに心から感謝するというもので、それは各議会内外での日頃の共闘の積み重ねが実を結んだことなので、仮に共産党が「独りわが道を行く」といった姿勢であったならこの19議席はなかったのではないかとの正直な感想。

 私は、この感想をインターネットで聴いていて、志位委員長の我田引水ではない感想、非常に謙虚な姿勢に感心した。
 そして、現状の政治を憂うる広い各層と手を取り合って政治の革新を進めるために、私は仲間たちとささやかなミニコミ紙を発行しているのだが、そこにおいて見習わなければならない姿勢を学んだ気がする。
 日頃の努力なくして棚から牡丹餅は落ちてこない。当たり前である。

 さて、中日新聞・東京新聞のグループが朝刊一面に毎日掲載している『平和の俳句』というのがある。
 通常の選者は金子兜太・いとうせいこう両氏だが、この9月分には、「これは軽やかな平和運動です」と参加表明された夏井いつきさんが選者に加わるという。
 志位委員長の感想は、その夏井さんが「怒ってもシュプレヒコールにならないように」とおっしゃっていることにも通じるような気がする。
 といいながら、散文みたいな、シュプレヒコールみたいな駄句しか捻られないで、私はというと、他人の言葉にただただ感心しているだけだ。

    議論してimagine唄うや暑気払い

2017年7月23日日曜日

蝶の苑構想

9割方記事と関係ない
   数年がかりで着々と進めてきた構想があった。
 アサギマダラの乱舞する『蝶の苑』造成、『藤袴(フジバカマ)の庭』化計画で、白花、ピンク、赤花、斑入り、赤い葉等々の藤袴を増やし、それは順調に根付いて増えてきていた。
 計画は8合目ぐらいまでは来ていた。
 アサギマダラの乱舞する姿が頭の中で膨らんでいた。

 ところが、先人は「月に叢雲、花に嵐」と教えてきたが、こういうのを「想定外」と言わせていただこう。
 その兆候は去年の秋だった。
 花が終わって匂い袋(サシェ)を作るため刈り取っていたら大量の綿毛が飛散し、妻に花粉症の症状が出た。なので、綿毛部分は最初に捨てるなどの対処をして、取扱注意、主に私が対応するということにした。

 それでも今年、まだ綿毛どころか蕾も出ていない段階で、知人に株分けするため妻が庭作業をしたところ、皮膚炎のような結構ひどいアレルギー症状が出た。
 そして今度は、直接触らずに近くの野菜畑で作業した後も、それは発症した。
 疫学的にも原因は明瞭で、アレルギー科の医師は「アレルゲン、つまり藤袴を除去しない限り再発する」と・・・。
 私も春のスギ花粉症があるから、話は十分理解できる。
 個人差が大きいし、特効薬はない。
 ということで、わが造成計画は見事にとん挫し、庭の藤袴をすべて刈り取った。
 故に、けっこう挫折感に襲われている。

 なお、アサギマダラの幼虫はアルカロイド系の毒草を好み、成虫が吸蜜する藤袴も同様と言われている。
 アサギマダラが幼虫も含めて鮮やかな体色であるのは、それらの毒を体内に取り込み「俺様は毒だぞう」と鳥たちに見せる警戒色と考えられている。
 その藤袴の毒性と妻のアレルギー反応がダイレクトにどう関わっているのかは知らないが、有意性は大いにある。
 ほとんどの植物には微量の毒性があり、毒性と薬効も紙一重であるから、普通には気にする必要がないが、去年秋の作業、遡れば毎年繰り返していたその作業で、ある種許容量を超えたのだろう。
 だから、読者の皆さんが少量の藤袴を愛でている分には心配はいらないと思っている。

   ということで、こんな挫折感をブログに書く気もなかったが、アレルゲンが無くなってホッとした妻が「ブログに書いたら」と尻を叩くのでここに記した。
 私の落胆とは反対に、タマムシが盛夏を喜んでいるので、刈り取られた跡の悲しい絵の代わりにタマムシを掲載しておこう。

    この秋は道に迷うな渡り蝶

2017年7月22日土曜日

折鶴のバッジ

 『やすらぎの郷』では中島みゆきの歌がよく流れるが、〽ファイト!闘う君の唄を 闘 わない奴等が笑うだろう と繰り返される場面は印象的だった。
 元々、人生では、理不尽がいっぱいの世間に流される方がよほど楽であって、そうではなく、身をよじって諦めずに闘え!という歌詞はある意味とても厳しいが、「そんなことは理想だ」と冷笑する奴等にふるえながらものぼってゆけというメッセージは、まるで、よい意味で宗教の説く「人の道」のような気がする。

国連軍縮担当上級代表
中満泉氏
   そも、「原発は要らない」というと「時代遅れの理想主義だ」と冷笑された時代があった。核兵器の禁止も「非現実的だ」と馬鹿にされた時代があった。
 しかし、だからと言って理想を捨てれば、人は人でない只の守銭奴にならないか。そして歴史を俯瞰すると、昨日の理想は、今日の明日の現実になるのだ。
 それでこそ、限りあるこの世に生を受けた「人生」ではないのか。

 マスコミは例によって、どちらかというとスルーしているが、7月7日、人類史上初めて「核兵器は違法だ」とした核兵器禁止条約が、国連「交渉会議」で国連加盟国の3分の2を上回る122カ国の圧倒的多数の賛成で採択された(オランダが反対、シンガポールが棄権)。
 その条約の人類史的画期性もさることながら、別の側面から見ると、いくつかの「大国」間の談合で国際社会が動く時代は終わった。
 国際社会でも民主主義が動き始めた。
 大新聞が軽視するところで、歴史が確実に回転し始めたような気がする。

 この会議には、政府代表とともに『市民社会』も正式に参加して議論が深められたのももう一つの特徴で、日本の『市民社会』としては、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)、原水爆禁止日本協議会(原水協)とともに日本の政党では唯一日本共産党(志位委員長代表)も参加していた。

 カナダの市民社会の代表として発言したカナダ在住の被爆者サーロー節子さん(85)は、「この瞬間がくるとは思っていなかった。心と知力を尽くしてくれたことに感謝したい。核兵器廃絶に近づく壮大な成果で、この日を70年間待ち続け、喜びに満ちている。核兵器の終わりの始まりだ。核兵器は道義に反してきただけでなく、今では違法となった。世界の指導者はこの条約に署名すべきだ」と強調した。

 採択後40人近くの政府代表が歴史的な壮挙をたたえあい、拍手がタブー(☜これは知らなかった)の国連会議の常識を打ち破り、発言が終わるたびに大きな拍手が湧いたという。
 国連の中満泉(なかみつ・いずみ)軍縮担当上級代表は「この条約締結は、核なき世界の追求へ生涯をささげてきた全ての人々の希望のともしびとみなされるべきものだ」と強調。
 参加国は、核兵器廃絶というこれからの大きな課題を確認し合ったが、唯一の戦争被爆国の日本政府は会議に不参加。安倍政権の(この条約で否定された)核抑止力論にしがみつく極右的体質を世界中にさらした。
 世界中が理想を捨てなかったからこそ実現したこの現実を噛み締めたい。


   なお条約前文の掉尾は、『・・核兵器完全廃絶の呼び掛けに示された人道の諸原則を推進するための市民的良心の役割を強調し、またその目的のための国連、国際赤十字・赤新月社運動、その他の国際・地域組織、非政府組織、宗教指導者、国会議員、学術研究者、ヒバクシャの取り組みを認識し、 以下のように合意した。』との文言で飾られている。

 そして、中満泉国連軍縮担当上級代表や核兵器禁止条約国連会議の議長を務めたエレン・ホワイトさん、ルイス・ギジェルモ・ソリスコスタリカ大統領も胸につけていたのが被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の折鶴バッジ。

 被爆者の苦労を忘れず、人間の理想に向けての理性を信じて、私も胸につけていきたい。

    炎天の胸に輝く折りし鶴

2017年7月21日金曜日

稲田大臣と満州事変

 新聞各紙が報じたところによると、稲田防衛大臣は南スーダン日報問題で、2月15日の防衛省の幹部会議において、陸自内に保管されていたデータを数日前から報告を受けていたものを「あったことを公表しない」と決定したという。
 稲田防衛相の数々の大嘘には驚くことを忘れるほど慣らされてしまったが、自衛隊という実力組織が大臣を通じて国会に嘘をつくというのは見過ごせないと私は思う。

   さて、昭和6年(1931)9月18日夜、中国東北部柳条湖(りゅうじょうこ)(軍部は虚偽の地名である柳条溝・りゅうじょうこうと発表)で満鉄の線路が大日本帝国の関東軍によって爆破。直ちに「中国軍による仕業」と表明して、旅順から榴弾砲を移動させ張学良の北大営を攻撃、翌早朝には奉天、長春を占領、4日もせず南満州の主要都市と鉄道を占領した。これが『満洲事変』であり昭和20年8月15日まで続く15年戦争の始まりだった。

 この謀略は2年前から関東軍参謀石原莞爾らによって準備された計画で、満鉄線からはるか離れた場所での行動は閣議了解、更には朝鮮軍の中国(満州)への越境は奉勅(ほうちょく)命令(閣議同意の上での天皇の命令)がなければできないところをあえて行ったという、恐るべき軍部独走であった。

 軍部の謀略であることは、外務省の奉天総領事館からの情報で明らかになり、幣原喜重郎を外相に据えた若槻内閣は南陸相に詰め寄り、一旦は事件不拡大方針を指示するも、結局は軍部の言い分を追認していった。

 若槻内閣がどうしてそのように「腰砕け」になったのかということでは、加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』では、昭和6年3月の陸軍将校の秘密結社・桜会と大川周明が企てたクーデター未遂・3月事件、10月の同種10月事件、翌年の井上蔵相が殺害された血盟団事件、更には5月に犬養毅首相が殺害された5.15事件などの流れの中で、理性的な意見を表明するのがまさに命がけの時代になっていたことをあげている。

 というような歴史的事実と現代を単純に重ねて議論する気はないが、加藤陽子氏の言葉を借りれば、歴史という学問は暗記ではなく、「歴史的なものの見方ができるかどうか」「歴史的なものの見方に気づけるかどうか」だということになる。
 で、私なりに「気づいた」ことは、稲田隠ぺい事件を見過ごすならば、理性的な意見を表明するのがまさに命がけの時代が来るだろうという確信である。

    梅雨明けが楽しかったはいつの日か 

2017年7月20日木曜日

読み応えあり

   人はジュニア用の新書に感動している老人を笑うことだろうが、日本古代史・文化財史料学専攻の 東野治之 著 岩波ジュニア新書『聖徳太子』を読んで、私は非常に楽しかった。
 その理由は、古代史関係の著作の中には資料や史料の少ないのをいいことに、けっこう思い付きのような論文が多々?あって日頃から玉石混交の感じを抱いていたが、この本は数学を解くように根拠を提示して著者の考えを披瀝し、ある種推理小説のような面白さがあった。

 カバーの裏表紙には、・・誰もが知っているのに、謎だらけの存在、聖徳太子、偉人か、ただの皇子か、「聖徳太子」か「厩戸王」か…、彼をめぐる議論は絶えません、いったいなぜそんな議論になるのでしょう、問題の根っこを知るには、歴史資料に触れてみるのが一番、仏像、繍帳(しゅうちょう)、お経、遺跡などをめぐり、ほんとうの太子を探す旅に出かけましょう・・とある。で、私は旅に出た。

 冠位十二階で『隋代にできた「五行大義」によったのだといわれている』という部分などは、太子の思想における道教の役割をもっと掘り下げてもらいたかったが、全編が非常にロジカルだった。
 
 圧巻は、「太子が亡くなった翌年(623)に完成した」と書かれている法隆寺金堂釈迦三尊像光背裏面の銘文の真偽で、著者は、いろんな角度から検討しながら、最後に、前面の金メッキが裏面に飛び散ったわずかな痕跡から、これは追刻されたものではなく、真正の同時代の史料だと判断した部分だった。
 法隆寺史編纂委員や、法隆寺宝物館のある東京国立博物館客員研究員であることの成果だろう。

 国会で答弁している方々には、たまにはこういう本を読んで、論理的に考え判断する生き方を学んでほしいものだ。

    遠雷や水撒きしようかしよまいか

2017年7月19日水曜日

笑った後で恐くなる

   ピーコ、谷口真由美、佐高信共著『お笑い自民党改憲案』のサブタイトルが「笑った後で恐くなる」だった。
 けっこう緩い座談会のようなものだから、資料としてはあまり使えないが、読んで、へぇ~と感心するところも多かった。

 自民党改憲案が天皇を「象徴」ではなく「元首」にしようとしているところでは、

 谷口 美智子さんが2013年の誕生日の談話で、五日市憲法を取り上げて「市井の人々の間に既に育っていた民族意識を記録するものとして世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」ってしゃべってはるんです。すでに安倍政権でしたから、すごい政権批判です。

 佐高 最近になって石橋湛山の手紙が新たに発見された。1956年石橋が二・三位連合で岸を破って、しょうがないから岸を外務大臣ということで組閣する。そうしたら天皇が岸のところを指さして「これは大丈夫か」って聞いたというんだよ。

 谷口 (生前退位で)一番の問題は自分たちが「辞めたい」っていうことを一切言えないことです。人権としてどうなのかと思います。

 佐高 それと、やりたくないこともやらされてるのかもしれない。2013年4月28日「主権回復・・式典」というのを「沖縄屈辱の日」に開催したじゃない。そのとき天皇はあいさつしなかった。たぶん天皇が抵抗したんだと思う。

 ピーコ 自民党改憲案では、元首なのに政治的なことは何もさせないって言ってるわけじゃない。

 佐高 皇室は完全に利用の対象なんだよ。
・・・・等々、あまりに常識的な「正論」が続いていた。
 本の帯の裏側に『自民党支持者の必読書』とあったのも、単なるジョークではないと思う。
 「家庭を持たない人はみんなマイノリティになっちゃう」ピーコ
 「自民党がやりたい放題のことを書いてる。ギャングの掟みたいな話」佐高
 「平和憲法に関する知識が足りない人たちが作ったアホみたいな改憲案」谷口・・という一言も的を射ている。

    美味しいと胡瓜の煮物見直され  

2017年7月18日火曜日

お誕生日

   お誕生日というのは、ここまで育ててくれた親(どちらかというと母親か?)に対して、子どもが感謝すべき日である!という説(理屈)があるが、それもある種の卓見だろう。

 だが、親たちが子どもを育てるのは当然のことであり、やはり育ってくれた子ども(私の場合は孫)に、育ってくれたことに感謝して祝ってやりたい。素直にそういえばよいように私は思う。

 ただ2歳の誕生日の孫は今ICUにいて、少なくないチューブがついているから、残念ながらその日に祖父ちゃんプロデュースの誕生会が開けない。なので若干の延期を許して貰おう。

 とはいえ、記念日を何か記録に残したいので、まさかICUで薬玉(くすだま)は割れないから、別掲の写真を付添中のお母さんのスマホに送った(本番は帰ってから)。

   成長が特にゆっくりの2歳児だが、それでもスマホの写真は指をスワイプ(左右に動か)して面白がる(写真がむやみやたらに切り替わるだけだが)。
 それを祖父ちゃんは「天才だ」と言っているが妻からの同意の声はない。
 凜ちゃんがICUから出て指が動かせるようになったらこの写真をピッピッとスワイプしてほしい。
 これが「時代」というものだろうか。
 「スマホなどよう使わん」という同年輩の何人かの顔を思い浮かべながら、時代の変化に心底感心している。

 閑話休題
 薬玉を吊っている上部の4本の紐のことであるが、当初制作した折には二つのお椀の丁度真横(真ん中)にセットした。
 としたところ、すぐにパッと綺麗に開くのは好いけれど、準備中などの少しの刺激で開いてしまうという難点があった(それはマグネットで対応したことはしたのだが)。
 なのでその後、紐を少し上方にセットし直した。すると支点に対して重心が下がったので、今度は開くまでの安定は非常によくなったが、一旦開いて垂れ幕が下りた後、再びお椀が閉じてしまうことがあるという状況が出現した。
 というように、けっこう支点と重心のバランスが難しい。
 で、今回は、真横から微妙にわずか上方の地点に再修正した。
 今のところ、開くまでの安定もよく、開いてから後も開いたままにすることができた。
 『たかが薬玉されど薬玉』といったところだろうか。
 こんな話、誰も判らないだろうなあ!と思いながらしこしこ改良している。
 自分では「隣の人間国宝」に近いと思うのだが。やっぱり誰も判らないだろうなあ!

    病床へ薬玉送る夏の朝

2017年7月17日月曜日

千代千代と鳴いてくれ

   いつも歩いている遊歩道沿いに大きな空き地がある。周りは金属製の囲い(塀)で囲われているが歩道橋の上からだけ中が少し見える。といっても、唯々だだっ広い荒地である(写真の左上は雨水が溜まっただけの水溜まり)。

 そこにコチドリがマイホームを築いているのは鳴き声で判っていた。時々けたたましく鳴いているときはカラスに卵などを襲われているのだろう。
 もう少し隠れやすいところに巣を作れば!と思うが、コチドリに学習する気配はない。

 コチドリの鳴き声は「ちんちん」が一般的で、夜に聞くその声を古人は万葉の時代から物悲しい声と聞いた。北原白秋の「ちんちん千鳥」もその延長線上にある。
 だが、別の本には「千代千代」という聴きなしもあり、故に千鳥は目出度いテーマの日本画などにもよく登場する。
 私などは、少しばかり悲壮な感じのするその鳴き声を聞いて、もしかしてカラスに喰われたのではないだろうかなどと想像するものだから前者の方が近いが、同じことなら今後は目出度いことを想像しよう。

 実際の鳴き声はピョピョピョピョピョというかチョチョチョチョチョという感じであるから、「ちんちん」よりも「千代千代」の方が近いように思う。
 ただ、漢字の「千代」を連想するには、「そのように聞きなした先人がいた」という知識が必要なように思われるから、それを記憶に留めておきたい。

 そのうちに、この空き地に何か大型の施設が建ち、ここの頭の上を千鳥が飛んでいたもんだ!という話をしても誰も信じない時代が来るだろう。
 千鳥のために空き地を残して!と言っても賛同は得られないだろうし、ならば、今のうちにブログに残しておこう。
 貴方の長寿を寿ぐ小鳥がいたことを。
 
    夏の夜や千代に八千代と千鳥なく

2017年7月16日日曜日

日本ファーストの危険性

   昨日の記事で私は19世紀ヨーロッパの宗教事情をマルクスは批判したと書いたが、同じ文脈で21世紀のポピュリズムを少しだけ考えてみたい。ポピュリズム、それは鎮痛剤で済むのだろうか。

 周知のとおり、先の都議会議員選挙では、政策提起がほとんどなかった地域政党「都民ファースト」が圧勝した。
 古い感性の自民党にうんざりしていた都民の「なんとかしてほしい」「何かが変わるかもしれない」という「現実の不幸に対する抗議」であり「ため息」だった(昨日の記事参照)と私は思う。
 だがそれは19世紀の教会でなく21世紀の政党であるだけに、その一瞬の鎮痛効果はほどなく麻薬に転じるだろうと私は心配している。

 目ざとい右翼が「日本第一党」を名乗り「ジャパンファースト」を唱えているのは、都ファの行く末と全く無関係とは思われない。
 新自由主義から蹴りだされた非正規雇用の若者や、TPPなどで自民党政治から捨て去られた農村の人々が、そのキャッチコピーに酔いたい気分も判らないではないが、最終的にそれらの人々は「ジャパン」の構成員には認められず、それどころか場合によっては「既得権益者」として足蹴にされるだろう。

 現代のポピュリズムは「既成政党をぶっ壊す」「市役所をぶっ壊す」「福祉への甘えを許さない」的な言葉を羅列して不満をたきつけ、支離滅裂であろうがなかろうが、嘘であろうがなかろうが関係なしにメディアを駆使して自らを改革者だという幻想を振りまく。

 中でもマスコミ受けする課題は不寛容なクレーマー的事件である。
 そういう中「俺はこんなに苦労しているのに報われていない」感情が外に向くと、目は自ずと福祉に向いて弱者に向かう。私にはそれが怖い。
 「金のない透析患者は死ね」といった長谷川豊や、麻生太郎、曽野綾子の自己責任論が今後のポピュリズムの太い主張になっていくだろう。悲しいけれどこの推測は当たるだろう。

 だから、10数時間の手術を受けた孫の将来を考えると、マジョリティー?ファーストの未来は怖ろしい。
 事実ナチスは障害者の写真を使って「国家財政の無駄を省く」と大キャンペーンを行った。
 ポピュリストには、この世は『既に障害を負った人々と今後障害を負うであろう人々で成っている』のが解らない。
 そうしてメディアは、芸能人の不倫問題と同じ土俵で、社会に生じる矛盾をほじくっては不寛容な発言を正義面して繰り返す。一寸待ってほしいと願わずにはいられない。
 重ねていうが、現代のポピュリズムは19世紀ヨーロッパの教会になる可能性を指摘しておきたい。

 憲法第25条 1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 憲法改悪は言語道断である。
 社会保障は人権の問題である。
 どうか障害のある子を無駄などと言わないでほしい。
 心から願っている。

    甚平着てアラーム音のICU

2017年7月15日土曜日

民衆の阿片である

   『ヘーゲル法哲学批判』序説は、カール・マルクス25歳のときの論文である。1843年末~1844年1月に執筆された。
 世界史的には少し前の1841年に阿片戦争があった。日本では江戸時代・天保年間に当たる。

 論文中の「それは民衆の阿片である」という一言をもって「マルクスは宗教を侮蔑した」という「為にする」曲解があるが、写真のマルクス・エンゲルス全集のとおりその文章は、
 ・・「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆の阿片である」・・というものである。
 しかもマルクス自身が「阿片は鎮痛剤の意」であると述べているし、歴史的客観的に当時の阿片は鎮痛剤の意味で広く使われている。

 確かにこの文脈には、当時のヨーロッパでキリスト教が国王権力と補完し合い、専制支配のもとで苦悩する民衆に忍従を説いていたことに対する批判があるが、文脈全体としては「(宗教は)現実の不幸に対する抗議である」という肯定的評価に見られるとおり、理性的に宗教(主としてキリスト教だろうが)を評価をしているものである。
 そして私はというとこれを読んで、「宗教は阿片でけっこう」、「人生には鎮痛剤が欲しいときもある」と居直りたいのである。

 2歳で10㎏にも満たない私の孫が10数時間に及ぶ手術を受けた。そして数日間、麻酔薬で眠っている。麻酔薬は鎮痛剤でもある。
 
 25歳のマルクスは、病気には病気の原因究明と診療が必要であり、貧困には現実の社会的対処が必要だと考えたが、同時に「ため息」も決して否定はしていない。
 どこかの宗派が、お前の孫の病気は信心のせいであり、手術などせずとも「これこれをすれば治る」と言えば私はその宗教を信じない。

 しかし、人間のすることに完璧はないであろうから、ひとまず手術が終了したこの機に「誰にも」感謝したいという気になる。
 何よりも、あふれんばかりの心配事で思考が停止した感情のクールダウン(ホットアップ?)が欲しい。
 事実、数日間ブログの更新ができなかった。


   こんな時、ある種の宗教施設、つまりお寺や神社や教会がそういう精神作業の環境を提供してくれればよいと私は思う。
 となれば宗教施設の一番の要件は清潔というか整頓のようなものであってほしい。
 だから私は、「ため息でけっこう」「阿片でけっこう」と考えながら、ここ数日、心の回復に努めている。

    ぼーぼーと蛙が経読む法華堂

2017年7月11日火曜日

オニヤンマ

   5月23日の「奈良公園の自然と文化」で触れたとおり、現在、奈良公園には1300頭の鹿がいるが、科学的に算出すれば、適正規模は50頭ぐらいだという。ならば仮に私が何らかの当事者になったとすればどうするのが正しいか。現実の課題というのは単純ではない。
   話は飛ぶが、大災害時のトリアージというものがある。重症患者に順番を付けるのである。テレビのこちらで見ている分には納得できるが、仮に当事者になったら私にできるだろうか。技術の話ではなく精神の話である。

 などと上段に被ってみたが、目下の問題はオニヤンマである。
 読者の皆さんにはご存知のとおり、私はただの趣味だが、絶滅の恐れのあるモリアオガエルの観察を続けている。
 当然に、そこは池であり周囲は森である。
 そんな自然豊かな環境だから、モリアオガエルの周辺にオニヤンマがやってくることが多い。
 目的は産卵のためである。

 とすると、オニヤンマのヤゴはモリアオガエルのオタマジャクシを食べることだろう。
 で、トリアージの思想となる。
 モリアオガエルのためにオニヤンマを追っ払うのが正しいのだろうか。私は悩む。

 野の者たちは野に! で、要らぬことを考えないのがきっと正解なのだろう。
 しかし、オニヤンマでなくそれが蛇だったら私は躊躇なく追っ払うことだろう。
 それって安倍流のダブルスタンダードでないの?と突っ込まれると痛い。

    他の池を選べないのかヤンマの子

2017年7月10日月曜日

ヒアリハット

   あちこちの港でヒアリが発見されたというニュースが流れている。
 猛毒の針を持っていて、刺されたらアナフィラキーショックで死亡することもある殺人蟻である。

 そのニュースを聞く度に私は、その1匹の後ろには329匹のヒアリがいるのではないかと感じてしまう。
 というのも、頭の中でヒアリが「ヒヤリ・ハット」と重なるからである。
 語呂合わせの世界である。

 労働災害防止の世界では、「ヒヤリ・ハットの法則」が有名である。
 少し正確にはハインリッヒの法則と言われ、一言でいえば、ひとつの重大災害の背後には必ず29の軽微な事故があり、更にその背景には300の、ヒヤリとしたような、ハッとしたような異常がある。
 だから、重大災害の反省だけでなく、ヒヤリとした異常、ハッとした異常を見過ごさず、そういう些細な対処をその都度行っておけば重大災害は防げる・・という考え方である。

 反対に言えば、ヒヤリ、ハットの事実を「前向きに」とらえずに、「あかんやないか」と叱るだけの会社ではヒヤリ・ハットは報告されなくなり、つまりは分析も対処もされず、重大災害が起こってから慌てるということになる。
 
 私はこれは、労働災害だけでなく、例えば品質の偽装問題なども同じでないかと思う。
 製造業では戦後最大の倒産といわれるタカダでも、きっと、エアバックの不都合を感じていた人はいたはずだと思う。
 それが報告され、真面目に公表・対処していたら、ここまで深刻な事態にはならなかったように推測する。

 ヒヤリ・ハットが報告され検討される大前提は職場の民主主義である。
 そしてその保証は民主的な労働組合の活動である。
 ところがどういう訳か近頃はトップダウンの企業経営が「効率的」の名の下に賛美されている。
 公共性や公平の原則が何よりも大切な国や自治体の行政にでもその方向に傾いている。
 とまれ、それはハインリッヒの法則に反している。

 重大事件に直面してから慌てるのはいただけない。
 ヒアリのニュースを聴きながらそんなことを考えてみた。
 「1匹のヒアリの向こうには329匹のヒアリがいる」と言葉を掛けて覚えてほしい。
 そして、企業であれ行政であれ、健全な発展のためには民主的な労働組合が非常に重要だと再認識してほしい。

    熱風が吹いてヒアリとグローバル

2017年7月9日日曜日

箸はすごい 2

   7月4日の「箸はすごい」のパート2のつもりである。
 コメントで「皆さん、箸箱の経験は?」と問うたが、光陰は矢以上に遠ざかっているようだ。

 私は末っ子である。父も末っ子だった。何を言いたいかというと、今に思うとそのおかげで同年代の中でも少しばかり古い習慣を自然に覗き込むことができていたらしい。
 もっと言えば、祖母は明治維新以前、江戸時代の生まれであった。そして両親は明治生まれだった。
 
 小さい頃の記憶は日に日にぼやけていくが、小さい頃、祖母は箱膳を使用していた時期があった。
 だから禅寺の食事作法のとおり、食器(少なくとも箸)はたくあん(おこうこ)とお茶できれいにして、そのまま洗わずにしまっていた。
 その後、わが家から箱膳がしまわれてからも、みんなの箸はそれぞれの箸箱にあった。(前回コメントのとおり)
 ということは、私が小さい頃は食事ごとに箸を洗うのでなく、たくあんとお茶できれいにして、そのまま箸箱にしまっていた。
 父親が他界し、私などが学校で衛生知識を得、ようやく箸箱がわが家から消えたのは昭和30年代の後半だったように思う。

 以上の話は4日の記事の「属人器」が大前提だ。
 一般に、「忘れ去られる過去の伝統は儀式的な場に生き残る」といわれる。
 とすると、正月の祝箸は箸紙(箸袋)に名前を書くのだから属人器の典型である。
 そしてそれは古くは、全国的に一般的に、少なくとも正月3が日は洗うことなく使用するのである。これは日本に箸箱があった時分のごく普通の作法であった。
 ただ我が家では、箸紙(箸袋)に属人器の伝統は残しつつ、祝箸それ自身は洗うようになってすでに久しい。

 以上のような他愛ない話をなぜ書いたかというと、ついこの間まで日本には箸箱というものがあり、箸は食事ごとには洗わなかったという事実が、いくらネットを繰ってみても出てこないということに些かショックを受けたからである。
 文化史というようなものは、宇宙船のようなスピードで遠ざかってゆくのだ。

    降る雨や昭和まで遠くなりにけり

2017年7月8日土曜日

Imagine イマジン

 朝ドラの『みね子』は同級生である。
 その朝ドラ、みね子の心の声でいうと、「お父さん、この2週間はビートルズに占領されたみたいです」(ここは奥茨城弁で読むのがよかっぺ)。
 私も、中学生のときに友人のM君がある朝、「ビートルズ聞いたか?」と言ってきたのを今でも思い出す。
 ラジオの深夜放送のことで、私は正直にいうと「不協和音だ」と感じたが、確かに何もかもが「想定外」の革命ではあった。
 朝ドラはそのビートルズから、宗男のインパール作戦そしてイギリス兵にまで話が広がり、その脚本には完全に脱帽だ。それはさておき・・・

   6月26日、赤旗のコラム欄「潮流」にイマジンの話が載った。
 引用されていた本を読んでみたくなり、オノ・ヨーコの「グレープフルーツ」を図書館検索すると、近辺では奈良県図書情報館に1冊だけ「グレープフルーツ・ブック」があった。
 ところが借り出していくら読んでも該当する話はなかった。
 で、検索をやり直すと、もう一つ「グレープフルーツ・ジュース」というのがあるようだが、これは近辺の図書館には置いていなかった。しっかりしろ!国会図書館関西館。
 こうなれば・・・乗り掛かった舟である。なのでAMAZONで購入した次第。

   この詩集が執筆されたのは1964年昭和39年私は高校2~3年生。日本は戦後を引きずりながらも高度成長を全力疾走していた。 
 ジョン・レノンがこの詩集にインスピレーションを受け、イマジンを発表したのは1971年昭和46年ベトナム戦争が泥沼だったころ。
 それから40数年後、米音楽出版社協会はオノ・ヨーコを「共作者」と認定した。

 『ひよっこ』は熱く熱くビートルズを語ったが、当時の私は少し冷めた目で眺めていた。
 ベトナム反戦運動の渦中からはそのメロディーラインは甘すぎた。私はその頃、プロテストソングと呼ばれるフォークに傾いていた。
 しかし歳を重ね、現代史を自伝風に俯瞰できるようになると、オノ・ヨーコ、ジョン・レノンは偉かったなあとつくづく感心している。

 1993年版「序」の中でヨーコはこうも語っている・・・
   今はもう、勇気づけのために
   架空のメニューなど作る必要のない時代になりました。
   でも精神的には、どうでしょう。
   みんななんとなく物足りなく、おなかに風が吹いているような
   何かに飢えているような気持ちで暮らしているのではないでしょうか。
   習慣的な生活だけでは、たまらない。
   何か新しい行為を人生につけ足したい。
   それが架空のメニューであるとしても・・・。

 「想像してごらん」はヨーコの疎開先での体験が出発点だったが、70年代初頭ジョン・レノンは「精神的飢え」を満たす人生のメニューをイマジンで提起した。
 その提起は、ある意味ヨーコの戦争体験以上に理性的な感じがする。

 だが、およそ半世紀、人類の想像力はどれほど進歩したというのだろう。
 〇〇ファーストなどという対極にある言葉が肯定的に語られている。

   Imagine
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...
 想像してごらん 天国なんて無いんだと
 ほら、簡単でしょう?
 地面の下に地獄なんて無いし
 僕たちの上には ただ空があるだけ
 さあ想像してごらん みんなが
 ただ今を生きているって...
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
 想像してごらん 国なんて無いんだと
 そんなに難しくないでしょう?
 殺す理由も死ぬ理由も無く
 そして宗教も無い
 さあ想像してごらん みんなが
 ただ平和に生きているって...
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
 僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
 でも僕一人じゃないはず
 いつかあなたもみんな仲間になって
 きっと世界はひとつになるんだ
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
 想像してごらん 何も所有しないって
 あなたなら出来ると思うよ
 欲張ったり飢えることも無い
 人はみんな兄弟なんだって
 想像してごらん みんなが
 世界を分かち合うんだって...
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
 僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
 でも僕一人じゃないはず
 いつかあなたもみんな仲間になって
 そして世界はきっとひとつになるんだ
 歌詞の和訳の転載元http://ai-ze.net/kanrinin/kanrinin5.htm

    黒イボの胡瓜で乗り切る溽暑かな    

2017年7月7日金曜日

老農中村直三

   何かの巡り会わせのようなことがあるものだ。
 奈良公園の中を南北に横切る幹線道路を走ると、県庁東の交差点の北東に石碑がある。
 「いつも通りながら思うのだが、あの石碑は何やろな」と妻と話してきた。
 だいたい芝生の緑地の前には低い柵がある。普通に考えれば立入禁止だろうが、その奥の石碑も案内板も緑地の外からでは全く読めない。
 「あの案内板は案内する気があるのやろか」とも話していた。

 先日、奈良大学の公開授業に行ってきた。
 テーマは「老農中村直三と大和の農業発展」であったから、結構地味なイメージだったので、正直、あまり期待もせずに参加した。
 老農の「老」は、経験者の敬称であり、老中とか元老とかに通じるように、決して年寄りということではない。
 Wikipediaで「老農」を検索すると、「おもに明治時代、農書に基づいて在来農学を研究し、これに自らの体験を加えて高い農業技術を身につけた農業指導者。特に群馬県の船津伝次平、奈良県の中村直三、香川県の奈良専二の3人は明治の三老農と呼ばれ、・・・彼らは、輸入学問であった近代農学とは独立して、近世以前の在来農学の蓄積に基づき、単なる個人の経験の寄せ集めという段階を越えた実証主義的な態度からの技術改良を志向した。一部には、イネの品種間の実証的な比較収量試験を行ったり、メンデルの法則の導入以前から交配によるカイコの品種改良を試みるものもいたという。この老農らによって、1875年頃から各地で種子交換会や農事会など、農業技術の交流を行う組織が形成された。また、老農らによって集約・収斂された在来農学の集大成は明治農法と呼ばれた」とある。


   授業ではいろんな史料に基づいて中村直三を学んだが、授業終了時に先生が、「中村直三の顕彰碑が奈良公園の交差点の北東にある」とぽつりと付け加えられた。ええ。

 昨日も「あの石碑は何やろな」と言っていた昨日の今日である。
 中村直三に「呼び寄せられた」と言ったらオカルトめくか。
 おかげで、普通なら忘れてしまうだろう中村直三・・忘れられない名前として確実に私の頭にインプットされてしまった。

 先人の知恵と苦労に比べて、わが菜園レベルのなんと安直な事よ。


中村直三農功之碑


  くちなしの香りと豪雨のニュースかな

2017年7月6日木曜日

Blue Frog

喉を膨らませて鳴いている
   先日の国際親善?のとき、例によってモリアオガエルのことを、森=Forest、青=Green、蛙=Frogだと私が話すと、日本語を少々ご存知の欧米人が「青はBlueではないのか」と聞いてきた。

 そこで私は、日本人の色調感覚や文化について説明できる語学力もないので、『古い日本語の「あお」にはBlueもGreenもGrayも含まれているのだ!』と答えたのだが、はてさて正解だったのだろうか。

 青葉、青々、青唐辛子はGreenだし、蒼鷺(アオサギ)はGrayだと思っている。
 平安以前は、あか、あお、くろ、しろの四つの色調ですべてを語っていたと聞いたことがある。
 ただ、日本人が色彩の感覚に鈍感であったわけではなく、色の名前は欧米語以上に細やかであるらしい。
 それにしても、GreenなFrogがなぜ青蛙かというのを「日本人を代表して」?簡潔明瞭に解説するのは難しい。
 英語以前に国語や文化の素養のないのが恥ずかしい。
 信号、みんな知らねば怖くない。

    梅雨空に国際語で鳴く青蛙

2017年7月5日水曜日

こういうのを独裁といい弾圧という

 信じられない事件が起こっている。
 沖縄の2紙は大きく取り上げているが、本土の大新聞は反応が鈍い。
 こういうことを軽視すると、気が付いたときには身動きが取れない独裁国家になっているだろう。
 国公労連書記長談話を転載する。
 今日の記事は少し硬いが大切な問題なので理解していただきたい。

 防衛相発言を不問にする一方で、一般職員の発言への処分は不当である ――不当処分の撤回とそれによる不利益を回復すべき(国公労連書記長談話 2017630日)

1、本日(6/30)、沖縄総合事務局開発建設労働組合(開建労)及び国家公務員労働組合沖縄県協議会(沖縄県国公)は、労働組合役員である内閣府職員の発言に対する訓告処分が不当であるとして、当該処分の撤回を求める要求書を内閣府沖縄総合事務局長に提出した。
 内閣府沖縄総合事務局長は、本年331日に当該職員に対して「官職の信用を傷つけるもの」として訓告処分を行ったが、処分事実や処分に至る経過から、きわめて政治的で不当なものである。
 他方で、稲田朋美防衛大臣が627日に東京都議選挙の自民党候補の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と述べたが、これは、「全体の奉仕者」として公正・中立性が求められる公務員を政治的に利用しようとするものであり、公職選挙法や自衛隊法に明らかに違反するものであるにもかかわらず、安倍政権は、それを不問にした。政府は、職員に信賞必罰を求める一方で、加計・森友問題や閣僚などの問題発言を不問にして政権内部ばかりを擁護する姿勢は、見苦しいの一言である。
 内閣府職員の休暇中の発言は、政治的行為にもあたらないにもかかわらず、執拗な調査で処分に及んだことは、権力を私物化して行政の公正・中立性を歪めるとともに、言論の自由の侵害と労働組合活動への不当な介入であり、国公労連としても不当な処分に厳重に抗議するとともに、処分の撤回を求めるものである。

2、処分の発端となったのは、当該職員が2015831日に休暇中に辺野古新基地建設に反対する集会に参加して、開建労役員として発言したことである。当該職員の発言は、辺野古新基地建設の強行が県民の意思を無視したものであり、新基地建設に反対する住民による集会や座り込み行動等に対して、沖縄総合事務局が土日を含む24時間体制で道路を監視していることは、職員に多大な負担がかかり過剰な対応であるという趣旨であった。それが翌日の沖縄タイムスに「本来の仕事ではない。県民のための仕事がしたい」と掲載されたことで、「誤解を与えかねない軽率な行為」として北部国道事務所長が92日付で厳重注意処分を行った。
 発言は、事実にもとづいて一市民としての意見を述べたものであり、その発言を厳重注意処分すること自体、言論の自由を侵害する不当なものであるが、その時点では事態は収まった。

 ところが翌年、国会で発言が取り上げられてから事態は一変した。201639日の参議院予算委員会で和田政宗参議院議員が前述の集会での発言が政治的行為にあたるのではないかと質問し、政府は「政治的行為にあたらない」と回答した。しかし、和田議員は、同428日にも同趣旨の質問主意書を提出し、政府は、524日に答弁書を閣議決定した。答弁書では、一転して、国家公務員法・人事院規則にもとづく政治的行為の運用方針の「政策の目的の達成を妨げる」につながりかねない恐れがあるとして「当該職員に対する措置の内容を含めた事務局の対応の妥当性について、関係法令に照らし、検証しているところである」と、調査中との姿勢を示した。その後、2016101日付のしんぶん赤旗に先の集会と同趣旨の発言が掲載されたことを含めて、内閣府による再調査が執拗に行われた結果、当該職員の発言は政治的行為とは認定されなかったものの、しんぶん赤旗で掲載された発言を捉えて訓告処分が行われたものである。

3、以上のとおり、当該職員の発言は、政治的行為にはまったく該当せず、一市民としての意見と労働組合役員としての当然の発言であり、処分書の「国民に誤解を生じさせる」どころか、沖縄県民の多くが承知・納得できる内容である。それを強引に処分に至った経過から、今回の訓告処分は、処分事実に誤りがあり、政治的圧力による不当な処分であると言わざるを得ない。
  政府・当局の過剰な対応は、辺野古新基地建設や高江ヘリパッド建設に対する県民の強い反対の世論が背景にある。これは、政府が翁長沖縄県知事を先頭に強い反対を示した沖縄県民の意思を無視して強引に新基地建設に着手したり、高江で反対派を強制排除してきたことからまねいた事態であり、県民排除・弾圧との懸念を抱かせたのも政府自身である。こうした問題点を集会で指摘した労働組合役員を処分することは、言論の自由を侵害し、労働組合活動や反対派を萎縮させる不当な対応である。
 したがって国公労連は、当局による処分は直ちに撤回すべきであり、その背景となっている米軍沖縄新基地建設等に関わって、政府が沖縄県民の意向に真摯に向き合い、そのもとで事態の収拾をはかることを強く求めるものである。
 国公労連は、沖縄の問題は全国的な課題と位置付けて、憲法尊重・擁護義務を負う公務員労働者として、連帯して奮闘する決意である。

    溽暑来て匂い袋の藤袴

2017年7月4日火曜日

箸はすごい

   エドワード・ワン 著・仙名 紀 訳『箸はすごい』柏書房という読みごたえのある一冊を読んだ。
 元から持っていた一色八郎 著『箸の文化史』お茶の水書房や、田中淳夫 著『割り箸はもったいない?』ちくま新書と併せて、知っているようで知らない文化史を教えてもらった。

 ただ私の一番の興味ある課題、個人専用の食器『属人器』についての解明は十分ではなかった。
 このテーマはその昔、田中 琢 佐原 真 著『考古学の散歩道』岩波新書の中の佐原 真が著した『わたしの茶碗・わたしの箸』の章で提起されていたもので、世界でも珍しい『属人器』という思想がなぜ日本にあるのかというものだ。

 考えてみれば、おかずを入れた皿やカレーライスのスプーンの共用は当たり前なのに、飯茶碗、箸はどうして共用せず「専属」なのかというのは不思議である。
 もともと貴重なものだったから専属が元来の形だったのか?その可能性は低くない。特に大事な食器に神聖な観念、あるいは反対に他人が使用したものには穢れの観念が生じたのか。結局、『箸はすごい』の著者エドワード・ワンは深くは興味を抱かなかったようだ。
 私は、禅宗の箱膳あたりが大いに関係ありと考えるのだが、禅宗の本家である中国の文化にはないという。

 さて、夫婦二人だけの現代のわが家では、飯茶碗、箸、湯呑、お椀、グラスは基本的に属人器である。ただ、湯呑以下はそれほど厳密な感じはなく、湯呑もお椀もいわゆる「夫婦(めおと)〇〇」のちょっとしたものを使っているからにすぎない。ただし、男性用の大きい方が妻のものである。グラスは、何かの日に子どもたちからお父さんに、お母さんに、ともらったからそうなった。

 それに対して前二者はけっこう厳密で、たまにしか使用しなくても、息子ファミリー、娘ファミリーの全員の飯茶碗も箸も全て特定の物が用意されている。
 ただ、これがわが家だけのことなのか、沖縄を除く日本全国共通の感覚なのかは一部疑問がある。沖縄にはそれはないようだ。

 昔大きな旅館で大宴会のとき、ご飯をお代わりすると他人の飯茶碗とごく普通に入れ替わることがあった。仲居さんは当然という顔でそうしていた。
 私などは、ご飯のお代わりのときには完全に空にせず、ご飯を少し残した形でお代わりするように躾けられていたから、少し嫌な気になった。
 あれは、大旅館の粗雑の故だったのだろうか、それとも、杯の「返杯」のように、少なくともその地方では『属人器』の観念が薄い故だったのだろうか。ただ、『属人器』でない器であっても、少なくともその食事中については基本は属人=銘々器だと思うのだが。今でもお代わりの飯茶碗の入れ替わりは好きでない。

 と言いながら、居酒屋ではいろんな料理を並べて、みんなで突き合うのが好きなのだが・・・。

 佐原 真氏の文章では、現代社会で『属人器』があるのは日本と韓国だけらしい。
 また、『属人器』であることが大前提である、お葬式の出棺の際に飯茶碗を割る風習は韓国と西日本だけらしい。

 この外、箸の定説では日本人が箸を使用し始めたのは7世紀と言われている。3世紀の倭のことの記録である倭人伝も「手食」とある。
 しかし、後漢王朝から金印を下賜され、魏王朝に柵封され、帯方郡と人的交流もあったなら、少なくとも倭のエスタブリッシュメントは、当然プライドをかけて箸食をしていなかっただろうか。
 解らないことは山ほど残されている。

    空梅雨も豪雨もごめんほどほどに

2017年7月3日月曜日

真を写す

べろべろばあ(初春の頃)
   都議選では残念な競り負けの選挙区もあったが、巨大台風並みの都ファの『風』に吹き飛ばされずに、私の応援している共産党が躍進した。
 私のブログを読んで、ご理解を深めていただいた方がおられれば心から感謝・感謝。
 ただ、何回か指摘させていただいたが、都ファの今後は注意深く見守る必要がある。それらのことは今後書くとして、今夜は筆をおく。

   さて、本日のタイトルに戻るが・・・、孫の夏ちゃんが来ると私のスマホをいじって私の間抜けた顔を撮影して喜んだりする。
 そうではなく、妻にごく普通に撮ってもらった先日の畦地梅太郎のTシャツの写真も、後から画面を覗くと紛うことなき老人をそこに見つけてがっくりする。
 そんなことを思っているときに同世代の訃報に接し、ますます落ち込む。

 そんなことは当たり前中の当たり前で、テレビが教える体力診断でも相当以前から落第点ばかりである。
 もう写真は嫌である。

 ただ、これは全く妻には内緒だが、ある日ある場所で妻の知り合いと会ったとき、その方が小さな声で妻に私のことを「息子さん?」と尋ねるという事件があった。
 たまたま若い恰好をしていたのだが、妻は数日間ショックを引きずっていた。
 正直にいうと私は気分がよかったが、妻の落胆を気遣うと笑顔は見せられなかった。ふっふっふっふ。

   結論めくが、何かに挑戦している人は若い。挑戦をあきらめた人が老人となる。
 筋肉や皮膚の変化は関係ない。(でもないか?)
 終活などまだ早い。
 やせ我慢もアンチエイジングである。
 やせ蛙まけるな一茶ここにあり
 これは一茶が蛙合戦(かわずがっせん)を詠んだ句と言われている。
 蛙合戦とは、一匹の雌に多数の雄が群がって交尾をしようとする様で、負けそうな痩せ蛙を一茶本人と重ねて詠んだとの解説もある。
 一茶についてはいろいろあるが、ここは素直に一茶からの応援歌と思うことにしよう。

  梯梧(でいご)満開辺野古の拳(こぶし)かな

2017年7月2日日曜日

夏越の祓

   実母がいた頃は、実母が本気で形代(かたしろ)(紙製の人形・ひとがた)に息を吹きかけたりしているのが嫌だったが、近頃私は、日本列島の各地で伝えられてきた民俗行事の伝承として、それを真似て見たりしている。(孫のお腹のところに自家製の形代めいたものを置いてみた)

 子どもたちには「願いごとの箇所を形代でなでると叶う」と教えるのでなく、「神社神道には、願いごとの箇所を形代でなでると病気平癒等の願いが叶うという信仰の所作と習わしがあった」と教えている。

   孫の凜ちゃんは体が弱いから春日大社の本格的な夏越の祓(なごしのはらえ)などは見学もしんどいので、病院の帰りに、6月30日には特に行事のない大和一宮・率川(いさがわ)神社に寄ってきた。6月30日の夏越の祓の行事は本社である大神神社で行われる。

   ただ、ここは「特に行事がない」といっても、「ないのにもほどがある」というほどの静けさであったから、わがファミリーは、思いっきり大きな声で、〽水無月の~夏越の祓する人は~千歳(ちとせ)の命延ぶというなり~(拾遺集、詠み人知らず)と百人一首様に詠いながら茅の輪を潜った。
 凜ちゃんは、いつもの遊びの要領で鈴を振り鳴らしたが、お祓いの幣(ぬさ)は思いっきり拒否をした。

 この日は、いつもの吉城園でモリアオガエルのケケケケと鳴く姿を撮影した。
 小さいながらも喉を膨らませて、一人前の姿だった。膨らんだ喉が可愛くないだろうか。
   写真家としては満足、満足。

   池の中のオタマジャクシにも足が生えてきた。
 ただ、子蛙は見つけられなかった。

 例によって国際親善をした。
 この日の観光客もJYAは言いにくそうだったが、何回か私が強調したので、OTAMAJYAKUSI と言えた。
   モリアオガエルをBeautiful! と言ってくれたのは自分が褒められたようで嬉しかった。

  和歌(うた)が合う梅雨の晴れ間の茅の輪かな

  半夏生(はんげしょう)主役はモロッコ産とあり

2017年7月1日土曜日

都議会議員選挙

   都議会議員選挙の自民党のチラシです。
 鬱陶しい梅雨空に、とても皮肉が効いています。
 このキャッチコピー「信頼」、信じる都民がいると思っているのでしょうか。
 それとも、意気消沈している支持者に対して、精一杯のジョークで慰めようとしているの?
 都民を舐めるのは止めにしてもらいたい。
 愉快な記事で都議選関連の話題を閉じようと思う。

浪速の夢 江戸の夢

   「露と落ち 露と消えにし 我身かな 浪速の ことも 夢のまた夢」は秀吉の辞世の句。

 東京都議選の報道を見ていると、私には都ファと大阪維新がダブって見える。
 大阪では、元自民党の不良ばかりが集まって府や市の職員を「既得権益者だ」と批判して、自分たちを改革者のイメージに祭り上げた。
 そうしておいて空虚な言葉=「身を切る改革」をやみくもに叫んで、結局、自分たちは私腹を肥やした。
 不祥事は続き、事件の連続は自民党以上になっている。
 そんな維新がどうして大阪で支持を維持しているのかというと、常に話題だけを追っかける在阪マスコミのおかげである。
 この馬鹿馬鹿しい構造は怖ろしいほどのパワーを持っている。

 さて、「同じ石で二度つまずくものは馬鹿者である」との格言がある。
 「ここは東京」「大阪とは違う」と言って都ファに期待するのは賢明だろうか。
 私にはそうは思えない。

 都ファ代表小池都知事は右翼中の右翼である「新しい歴史教科書をつくる会」の推薦を受けて知事に当選した。
 在特会で講演もしている。
 本人の自民党の党籍は今もある。
 共謀罪を強行した公明党と選挙協力をしている。
 前代表は維新に所属していたことがある。
 そういう立ち位置が「都民ファースト」だというのは、安倍・菅流の論法以外では通用しない。

 敵の敵は味方という俗論があるが、もしそんな気持ちで都ファ批判を控えるなら、東京都民は二度以上同じ石でつまづくことになるだろう。
 自公維も自公維なら都ファも都ファである。

 ネットのニュースサイト「リテラ」によると、テレビ朝日では上層部から、「自民と都ファは同等程度、7党については2:1以内にせよ」と指示があったという。
 前半の部分は「都ファだけでなく自民の露出を増やせ」ということだろう。
 そもそもが、民主主義の基礎である選挙において、マスコミ上層部が2党を偏重せよ、野党の露出は2分の1以下に抑えろというのはメディアの公平性を投げ捨てたものだ。
 他のテレビ局にも同じ「忖度」は働いていないだろうか。
 私はどうしても、浪速の夢を江戸で!という圧力を感じる。
 

    半夏生胡瓜は出番を待っている

 明日は半夏生、麦わら蛸には胡瓜が合う。