2017年6月30日金曜日

自公政権の反則技

   酒席の他愛ない話では「佐川局長はええポストに天下りするでえ」などと笑いあっていたが、28日、政府から俗人の及びもつかない人事が発表された。そしてそれは、あまりな反則技であった。
 森友事件で国権の最高機関・国会で嘘をつきとおした財務省佐川宣寿理財局長のことである。

 新聞報道どおりに書くと、『政府は28日、迫田英典国税庁長官(57)が退き、後任に財務省の佐川宣寿理財局長(59)を充てる人事を固めた。財務事務次官への昇格が固まっている福田淳一主計局長(57)の後任には岡本薫明官房長(56)を起用する。国際部門トップの浅川雅嗣財務官(59)は留任し、異例の3年目に入る。来週にも発令する』

 霞が関の常識では、財務省にあって理財局長は主要ポストでない。
 それに、57歳の前長官の後に59歳の先輩が就くのも普通にはあまりない。
 そのポストはなんとなんと国税庁長官だ。
 異常である。異常である。
 そもそも論でいえば、理財局長が国税庁長官に昇進しても問題はない。後輩の後に先輩が人事異動してもよい。しかし今回のこれは異常である。

 安部一族にとっては「よくぞ御楯になってくれた」という論功行賞だろうが、国会から見ると、これほど不真面目に民主主義を蹂躙した答弁態度はなかった。
 佐川氏本人はある意味誠実な公務員なのだろうが、客観的に果たした責任はある。
 そして何よりも、法律も民主主義も蹴散らして、首を垂れた人間を抜擢し、諫言した人は人格攻撃や「文科省のスパイ」扱いする安倍自公政権の反則技が目に余る。
 「君が徹底して白を切り通してくれるなら、過分の人事で答えよう」とでも言っていたのだろうか。

 「権力にとって最も大切なものは、警察と徴税だ」という有名な論がある。軍ではない。
 私は現職の頃、国税通則法と国税徴収法を扱っていたことがある。
 その時の感想は、この法律はなんと怖ろしい法律だということだった。
 労働法の体系などとは異質な、税務署がその気になれば『何でもできる』法律だと思った。
 翻って、国税庁・税務行政には憲法と民主主義が大事だと痛感した。
 と考えると、佐川氏個人に何の恨みもツラミもないけれど、あの国会答弁を貫き通した前理財局長は国税庁長官に相応しくない。
 この人事は、財務省だけでなく全省庁の公務員に対する「見せしめ」でもある。
 2日投票の都議会議員選挙で、自公に対して都民の良識を突き付けなければ、ほんとうに日本は独裁国家になる。

    水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり

 本日は夏越の大祓。土俗のマジナイだと笑わずに、上の歌を百人一首の要領で詠いながら茅の輪を潜ろうと思う。 

2017年6月29日木曜日

稲田発言は怖い

   日テレニュース24は次のように報じている。

■防衛相経験者「タブー中のタブー」

 まず、稲田防衛相の発言内容を確認する。27日に行われた都議選の自民党候補の応援演説で、「防衛省・自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と発言した。この“防衛省・自衛隊として”と発言したところにポイントがある。

 これについて、ある防衛相経験者は「自衛隊を政治に巻き込むのはタブー中のタブー」と話す。自衛隊と政治の関係は非常にデリケートなものだ。

 自衛隊法というものがあり、自衛隊員は「選挙権の行使を除く(中略)政治的行為をしてはならない」と政治的行為が制限されている。つまり、自衛隊は国家や国民のために尽くしているのであって、特定の政党や政治家のためにあるものではないということだ。


■「軍隊の政治利用」世界的でも厳しい制限

 稲田防衛相の発言を改めて確認すると、「防衛省・自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と言っている。これは以下のような問題がある

 (1)まるで防衛省や自衛隊も組織ぐるみで特定政党の候補を応援しているという印象を与えかねない。

 (2)さらに、自衛隊を指揮する防衛相が言えば、自衛隊員は特定政党を応援しなければならないと思ってしまう可能性がある。


■「党務と公務の混同」との批判も

 なぜ自衛隊員の政治的行為は制限されているのか。日本大学の岩井教授によると「自衛隊を自己のために使うとなると、大きな権力を使った弾圧につながりかねない」「世界的に見ても、軍隊の政治的利用は厳しく制限されている」と話す。

 また、岩井教授は常識を欠いた発言だと批判していて、「選挙運動は自民党員として行っているわけであって、防衛省や自衛隊を代表して行っているわけではない。行き過ぎた発言だ」と話している。

 そもそも政治と行政の関わりを見ても、行政機関は政治的に中立公正でないといけないため、稲田防衛相は、自民党としての「党務」と政府としての「公務」を混同しているのではないかと批判されている。


■「政治家としての資質」が問われる

 今回の結論は「政治家の資質」。今回の失言は、大臣としての資質が問われるのはもちろんだが、武力組織と政治のあり方、「行政の中立性」という基本的な知識も備えておらず、政治家としての資質にも欠けていると言わざるを得ないレベルといえる。


 稲田防衛相には、防衛省、自衛隊23万人という巨大組織のトップとしての自覚を持つべきだろう。 (引用おわり)

 稲田氏は自民党のホープで総理候補の一人だという。
 しかし、国会答弁だけでも、南スーダンの日誌、森友の顧問弁護士等々しゃあしゃあと大嘘を繰り返してきた。
 自民党が公式に発表している『憲法改正案』では自衛隊を国防軍にして審判所(つまり軍法会議)を置くとしている。
 そういう文脈の中で考えると空恐ろしい発言であることが判る。
 都ファの小池都知事は安倍首相に会って、国政選挙では自民党を応援すると述べたと報じられている。
 民主主義の欠如という意味では自公も都ファも変わりはない。
 「民主主義が危ない」「軍の独走は悪夢である」と心配される良識人は、マスコミの煽る「風」に惑わされず、民主主義擁護の柱日本共産党を都議選で応援してほしい。

2017年6月28日水曜日

都民ファーストって

   「✕✕ファースト」などという「印象操作」で上っ滑りした情報だけが独り歩きしているが、「ちょっと違うのでないの?」という側面も考えてみたい。

 地域政党・都民ファーストの会は2017123日に結成されたが、その代表は野田 数(のだ かずさ)都議で、61日、小池都知事が正式に都民ファーストの会の代表に就任するまで代表だった。

 その野田氏は、2000年から2001年まで、当時は保守党の衆議院議員だった小池百合子の秘書をし、その後、保守党、日本維新の会や自民党を渡り歩き、2016年の東京都知事選挙では、かつて秘書を務めていた小池百合子の選挙対策本部責任者を務め、小池の知事就任により特別秘書(政策担当)に任命された人である。

 それまでの間には、2010年に「ことしは、明治二十三年に教育勅語が発布されてちょうど百二十年の記念すべき節目に当たります……教育勅語を改めて読み直しますと、そこには、日本人のしんとなる価値が存在しております。しかしながら、戦後教育の中で、そういった価値が失われるとともに、我が国では、いわゆる自虐史観が幅をきかせ…… かつての日本は修身として、父母を大切にし、夫婦、兄弟で助け合い、世のために尽くせと繰り返し教えてきました」と教育勅語の礼讃、復活を議会演説し、

 2012年には石原知事の手先となって都議会尖閣調査団を結成し、626日から27日にかけて、尖閣海域の漁業活動や洋上視察を実施し、後の大きな外交問題を引き起こし、

 201210月には『日本国憲法無効論に基づく大日本帝国憲法復活請願』を東京都議会に提出し、その中で「我が国の独立が奪われた時期に制定された」と現行憲法の無効を主張するとともに皇室典範についても「国民を主人とし天皇を家来とする不敬不遜の極み」「国民主権という傲慢な思想を直ちに放棄」すべきことを主張した。

 都民ファーストの馬の脚はこんなものだろう。

 国政での自公維の横暴にお怒りの都民が、一強にお灸をすえるつもりで都民ファーストに靡いたとしたら、それがパンドーラの箱となるのは大阪市、大阪府の経験が教えている。

    この先は我が世界ぞよと牛がえる

2017年6月27日火曜日

化ける

   化けるというと、異形のものに変化するというので本来プラスイメージの言葉ではなかったが、近頃では、如何にも新米だった女性が大女優に成長したようなプラスイメージで語られることが多い。
 蝶の変態も後者でいう「大化け」に属するだろう。

 生命の神秘は昔は神の領域、神の所業であったが、現在では医学や生命工学の所掌となっている。
 そのプラス面は、難病対策などであろうが、モラルなき近未来には、大学者、芸術家、トップアスリートの精子や卵子が売買されるかもしれない。

 日本学術会議や少なくない大学で「科学の軍事利用反対」「軍事研究は行わない」と防衛省や米軍の紐付き予算を拒否しているが、「政治と研究は別」などという逃げ口上で受け入れている大学もある。

 「倫理なき研究は危険」「哲学なき科学は危険」とは以前から縷々指摘されているが、特に政治の世界でのモラルの崩壊が著しい昨今、その危険性は高まっている。
 私は心配性である。

    薫風に蛹は蝶に変身し

2017年6月25日日曜日

ローマ字って?

   無学な私が中学一年生にも及ばない疑問を書いてみる。

 これまでも度々書いてきたが、毎週一回孫のリハビリの時間中、奈良公園の吉城園でモリアオガエルの観察を重ねている。
 そして、圧倒的な外国人観光客のためにカタカナ英語でモリアオガエルを紹介している。
 最後には青い目の幼児が「ARIGATO」と言ってくれたり、私がカエルのベイビーだと話すと女性が「私のベイビーだ」と彼女の赤ちゃんのスマホの写真を見せてくれたりする。

 その経験から驚いたのは、予想に反して、ローマ字の発音が多くの場合十分には通じないという事実だ。
 私は、The frogs baby is called otamajyakusi と言い、多くの場合、otamajyakusi? Yes otamajyakusi で会話が成立するのだが、それでも英語訛というか、otamajyakusi がなかなか言い辛そうな方が多い。
 非常に真面目な方は、スマホに記録しておこうと otamajyakusi と打とうとするのだが、結構苦労している。
 そんなときは、私のアンチョコメモを見せると、そのメモをスマホでカシャとして喜んでくれる。
 
 私だって、多くの外国語が子音で終わることぐらいは知っていたが、アルファベットをローマ字的に発音できる人は少ないという事実に少し驚いている。
  まあ、奈良が国際的観光都市であるおかげであるが。
 奈良女子大の上野邦一先生の講義を聴いたことがあるが、ミャンマーの Aung San Suu Kyi のKyi  などを教えていただいたことを思い出す。この種のアルファベットの発音に馴染んだ国は、ミャンマー語以外にも、ベトナム語、フィンランド語、スペイン語、ロシア語、フランス語、ドイツ語、そしてローマのおひざ元のイタリア語等々いっぱいある。というか、その方が圧倒的らしい。特に「J」が微妙である。

 で、このように世界で通用しないローマ字っていったい何だと私は考え込むが、まあ六割方通用しているからそれでいいかという気になっている。

 偉そうなことを言ったが私のコミュニケーションは、「mosi mosi」「tyotto tyotto」「kotti kotti」「moriaogaeru」で十分国際親善が図られている。恥ずかしい。

    ベイビーの写真自慢のモロッコ人

2017年6月24日土曜日

生ける化石

    風物詩という言葉は好きな言葉だ。
 この時期は、ホトトギスやホタルも好いが、田植えが終わった田圃のカブトエビも梅雨特有の詩情だと思う。

 カブトエビは見たところ5億年以上前の三葉虫とあまり変わらない。実際にそうらしい。
 1億9500万年~1億3600万年前のジュラ紀にはほとんど現在の形態に進化していた。2億年前の化石が出ている。
   同時期の恐竜は滅びたが、カブトエビは生き残り、今も生ける化石として愛されている。とりあえずすごいことではないだろうか。

 ジュラ紀からははるかに手前だが、人間が生み出した水田農業は爆発的に好環境を提供し今日に至っているのだろうと想像する。
 とすると、彼奴は人類の文明史をほゞ全編観察していたことになる。

 私は田圃のない都市に育ったから、彼奴を大和川の河口近くで見つけたのは高校生のときだった。
 「カブトガニの子どもだ」と誤解して興奮したのを今も覚えている。
 まあ、当たらずといえども遠からず(遠い?)だろう。

 フクシマ原発事故での土壌汚染やTPPを先取りした農薬による土壌汚染問題がある。
 現代人は、2億年間生き延びてきたカブトエビとその環境をジ エンドしかねない歴史年表のスリットに居る。
 それは文明のジ エンドに繋がるとどうして想像できないのだろうか。

    弥生から梅雨空見ていた兜蝦

2017年6月23日金曜日

豊洲の闇

   23日告示、7月2日投票の東京都議選が始まる(った。)
 小池都知事は自民党からの「決められない都知事」という攻撃をかわすためか、20日に、●市場を豊洲に移転する。●築地は売却せず5年間で整備し希望者は戻す。という方針を表明した。
 「築地売却せず」案を評価する向きもあるが、私は5年先の姿に半信半疑である。
 何よりも、6千億円という整備費でも無害化に失敗した豊洲の無害化というのが信用できない。

 元東京ガスの労組役員だった佐野正之氏によれば、石炭乾留(密閉した炉内で石炭を約1000度に過熱し、揮発分と残留物に分ける)によってガスを取り出す「室炉(しつろ)」から出てくる石炭殻は大量の水で冷やされ、消火塔からはモクモクと水蒸気が立ち上り、その蒸気が炭の粉を含んだ水滴となって降り、それは「豊洲雨」と呼ばれていた。
 豊洲雨は1日当たり120回、365日、30(20?)年間降り続け、豊洲の地面にしみ込んでいた。
 けっこう雑に扱われていたタールなどの残留物には、ベンゼン、シアン、ヒ素、水銀、鉛、六価クロムなどの有害物も含まれていた。
 こんな土地であったから東京ガスは当初特に売ろうともしていなかったし、同様の工場のあった荒川区や大田区の跡地は汚染除去費が割に合わないので今も手放していない。
 佐野氏は東日本大震災の翌日に豊洲に行ったが、土砂や泥水が大きく噴き出していたという。

 このように、タダでも売れない土地を東京都が買ったのは、築地の土地を欲しがる黒い企みの為だけだったのだろうか。

 実は、1990年から新宿百人町周辺で都営住宅団地の建設計画が始まったが、その土地はサリンなどの旧陸軍毒ガス製造工場だった。なので、都は高度に汚染された土壌の排出先を探していた。
 そんな中、2001年1月に東京ガスは豊洲の汚染を公表、汚染処理を始めると、その2か月後、東京都卸売り審議会は急遽「豊洲移転」を答申した。
 森友や加計で見られたような水面下の巨大な闇取引を推測させる。
 結局、毒ガス工場の汚染土壌と東京ガスの汚染土壌を混合して「汚染処理?」をしたと考えるのが妥当である。
 その上に、本来盛土したといわれていた地下も盛土していなかった。
 これらの有毒物質は基本的にガスだから、コンクリートであっても小さな亀裂から漏れてくる。
 そういう場所に卸売市場を移転させるというのは金銭の問題ではないだろう。
 悪魔に魂を売った所業だと思う。

 独裁的な権力(石原)が暴走し、自公がそれを支え、マスコミがそれを持ち上げてきた結果がこれだ。
 都議会議員選挙であるから、いきおい生活に密着した政策に話題は集中しているかもしれないが、以上に書いたような深い闇を解明し、そのような巨悪が未来に向かって許されないような選挙になってほしいと心の底から思う。

    玉葱の味噌汁が好きと孫の言う

2017年6月22日木曜日

「め」の神さん

こんな感じの紙が貼られていたらしい
   堺の調御寺(ぢょうごじ)(法華宗真門流)は戦災で全焼するまで「目(め)の神さん」として有名であった。
 目神堂(もくしんどう?)には『め』という字と祈願人の名を書いた紙がいっぱい貼られていたという古老の証言がある。

 明治の神仏分離令以前は神仏習合こそが寺社のスタンダードであったから、お寺に「目の神さん」が祀られていたとしても全く不思議はないが、それにしても、その信仰はいったいどこから来たのだろう。

 山折哲雄監修『日蓮と日蓮宗』(洋泉社・歴史新書)には、身延山中興の祖、久遠寺十一世・日朝(14221500)について、『日朝は六十一歳のときに失明する。しかし法華経への厚い信仰によってそれを快復、治癒させたといわれる。そして六十七歳のときに「眼病消滅本尊」を揮毫し、法華信者が眼病で苦しんだときには、それを守護して平癒させるという願を立てた。以来、日朝ゆかりの寺院は「眼病治しのお寺」として知られている』とある。

 もし、派の壁を越えて同じ日蓮系宗派として交流があったとすれば、調御寺にこの信仰が受け入れられていたのかもしれないが、教義上大きく二派に分かれていた日蓮系宗派の中で、「一致派」に属する日蓮宗(身延山)と「勝劣派」に属する法華宗真門流の距離が気になる。

 次に、同上『日蓮と日蓮宗』には、「日蓮が立教開宗をする前に・・妙見菩薩から護持の誓いを得たと伝えられている。・・・このようなことから・・・妙見菩薩をまつり・・・星祭り祈祷会を行う寺院も多い。俗信として「妙見」という名前から眼病平癒に霊験ある仏としても親しまれている」とも記述されている。

 俗信の依って来るところは記されていないが、「妙見=事の善悪や真理を見通す力」を「妙なる視力」と解したと指摘している説が本やネット上には多数見受けられる。

 そこで『新潮日本語国語辞典』で『妙見(妙見菩薩)』を牽くと「国土を守護し、災厄を除くという。北極星の神格化・・・、日本では眼病の治癒を祈る修法の本尊とする」とあった。 
 国語辞典であるから、その基が俗信にあったのかどうかは未整理だが、古く妙見信仰が「眼病平癒」に霊験あらたかとされていたことは明らかになった。

 そもそも病気の原因が深く解明され的確な治療法が確立したのは、戦後のことであり、故に、古い時代には眼病患者も多く、人々がその対策を神仏に求めたであろうことも当然で、各地の薬師如来や地蔵菩薩がその対象になったであろうが、その一角に妙見信仰があり、妙見信仰を包含した法華の信仰が大いに「眼病平癒に期待」されていたのだろうと推測する。

   古い資料に、調御寺には「目神堂(もくしんどう?)」があったから、「目の神さん」として厚い信仰を得ていたことは間違いない。
 戦災による記録消滅でそのお堂の本尊が解らないのだが、もしかしたら妙見菩薩であったのかもしれない。
 本尊であったかどうかは解らないが、小さな妙見菩薩像は今も残っており、煤け具合からは相当古いものだと思われるが、それ以上は今のところ解らない。
 文化の継承の観点からも戦争はよくない。

    熱風や熱のこもれる講演者

2017年6月21日水曜日

都議選公明党の謎

   「言論の府は死んだ」と新聞に書かれた通常国会が終了した。
 共謀罪法を強行採決し、森友、加計疑惑は徹底して蓋をして、戦後政治史に大きな汚点を残して閉幕した。
 自民党とともにその悪行を強行したのが公明党だった。
 創価学会牧口初代会長が治安維持法で逮捕され獄死したという悲痛の歴史的事実も無視しての「共同謀議」であった。
 その公明党が、自民党との抱擁の体温も冷えぬ間に、都議選では自民党と「対決」している小池「都ファ」と選挙協力を行い、小池与党となっている。
 「嘘も方便」という言葉があるが、彼等流の仏の道はいざ知らず、普通に考えれば自公政権の評価は別にして「人の道」にももとる行為だと私は思う。

 かつて自民党が「新進党の実態は公明党だ」と非難していた折、自民党は、① 創価学会の収益事業部分や固定資産税が完全に把握され課税されているとは言えず、これは「宗教団体に対する隠れた補助金」となり、憲法20条および89条違反。② 例えば池田氏が外国へ行く場合など、組織的に何百万、何千万円の餞別が贈られると聞くが、事実なら儀礼の範囲を超え、贈与税の対象である。などと強く批判していたのに、わずか5年後に「自公連立政権」がなったのである。

 その公明党のコペルニクス的転換を野中広務氏は「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」と答えている。
 そういう転換=すり寄りをさせた理由は、上記の理由だけだろうか。
 もっと直接的には、創価学会と暴力団組長の「密会ビデオ」がそれだと言われている。
 創価学会の元本山大石寺のあった静岡県富士宮市周辺を縄張としていた元山口組後藤組組長後藤忠政が一方の主人公である。
 ここで巨大な墓地公園の造成などを進めた創価学会は様々なもめごととと利権疑惑を抱え、ついには市議会に真相究明の百条委員会が設置された。
 そして、その様々なもめごとの処理を依頼してきたのが様々な創価学会幹部で、結果、百条委員会を進める市民や議員までも説得「処理」したのが後藤組長だ。
 ところが、そのことが明らかになることを恐れた創価学会は、それは山崎正友弁護士と後藤組長の個人的なものとして「礼」を尽くさなかった。
 そこで仁義と意地から怒った後藤組長は創価学会や公明党に内容証明郵便を出したところ、3か月後ぐらいに富士宮警察署に「後藤組壊滅対策本部」ができた。
 これでさらに怒った後藤組は、若い衆が創価学会本部で発砲すると、池田の使いのもん(藤井富雄都議)が詫びを入れてきた。
 その後藤・藤井密会ビデオが自民党に渡り、そこでは自民党内の反学会派の亀井静香氏ら4人の名をあげて「この人たちはためにならない」と、文脈上は襲撃を依頼したともとれる発言が撮られていた。
 こんな決定的な証拠が世間に出ると創価学会・公明党は瓦解する。
 結果は自民党にすがる以外になかったと野中側近は言っている。

 これ以外にも創価学会の闇はいろいろある。
 そもそも「宗教法人としてふさわしいのか」という疑問は多い。
 それ故、宗教法人創価学会の許認可権をもつ東京都知事には絶対的に服従しなければならない訳である。
 都議選公明党の謎は単純だ。
 創価学会・公明党にとって国民・都民はおろか多くの支持者である庶民のことも関係ない。
 大阪府では地元の自民党までもが森友学園の百条委員会を求めたのに対して、維新と組んで公明党が反対してこれを潰した。
 すべては「選挙協力」がメルクマールである。
 創価学会牧口初代会長は泣いていることだろう。
 
 この記事に引用した諸事実は、佐高信著 集英社文庫『自民党と創価学会』に詳しく書かれている。

    父の日や父の好みはバレている

2017年6月20日火曜日

白い山男

   18日の朝に長男ファミリーがやって来て「父の日のプレゼントだ」といってTシャツをくれた。
 お嫁さんが選んだ畦地梅太郎の「白い山男」で、嬉しいのでその日堺であった集まりに即着て行った。

 はるか昔に燕岳の燕山荘で畦地梅太郎のTシャツを買ってから何十年かが経った。
 こちらは歳をとったが芸術家の作品は歳をとらない。

 そのせいか、このシャツを着ると何処からともなく元気が湧いてきた。
 北アルプスを縦走している気分というと大げさだが。
 近頃は家の周辺しか歩かないから、ともすると徹底して普段着(作業着)で過ごしてしまう。
 そうなると不思議なもので気持ちもダラダラする。
 だから、お洒落というのか、ちょっとしたものを着ると背筋の伸びるのが自分でも判る。
 微々たることで良いからお洒落心を忘れないようにしなければいけないと思い直した日曜だった。

 堺の集まりは教室のように座って講義を聴くのがメーンだったので、誰からも「畦地梅太郎やな」という声はなかった。
 子供じみたイラストのシャツを着よって!という印象だったのかもしれない。
 山の版画家・畦地梅太郎。知る人は知っている。
 私は好きだ。

 娘ファミリーからは、これまた私が買いそうもない『ワニのイラストのステテコ』をもらった。インナーというよりも、部屋着以上にこのまゝ庭仕事ぐらいはできるものだが、さすがにお洒落着として出かけるほどの根性はない。

    雲の峰冬山男のシャツを着て

2017年6月19日月曜日

別の社の記者

   この話、あまりマスコミで取り上げられていなかったのを悔しい思いでいた。
 事実、何人かでお酒を飲んだ折に話したが、ほとんどの方が知らなかった。
 それを、16日の朝日新聞が「社説余滴」で取り上げたので、少しホッとした。

 一言でいうと、釜山のなかなかの総領事が一時帰国中に「旧知の記者と食事をしたときの発言をある記者が政府高官に御注進」。
 で、それが「気に喰わない」と総領事を更迭・左遷されたというもの。

 朝日新聞が「別の社の記者が御注進」とまで書いたのはあまりにその社と政府高官との癒着がひどいと思ってのことだろう。
 文章の中に「産経新聞は事実上の更迭と報じた」とあるから、その社は何となく産経ではなさそうだ。
 とすると、「その件は読売新聞を読んでください」と首相が声を張り上げ、前川文書公表前には証拠もなく前川人格攻撃を掲載した読売新聞記者のように思われる。これは私の推測である。

 報道の名を借りてスパイのような仕事をして密告する。ジャーナリストの風上にも置けない奴らである。
 
 幸いに私は巨人ファンではないが、仮にプロ野球では巨人ファンであっても、こんなアンフェアな新聞を購読してはならないと私は思う。
 それがフェアプレイ、スポーツマンシップを肯定する最低限の矜持ではなかろうか。

 現状でも安倍政権はこのように「秘密警察」のような恐怖政治を進めている。
 その上に共謀罪という法律を手に入れたのだから、なんとかに刃物!を与えたようなものだ。
 その恐ろしさを朝日の記事は静かに告発しているように私は感じた。

    空梅雨や森青蛙の半白眼

2017年6月18日日曜日

文化審議会の人事に介入

 奈良の歴史・文化や考古学に興味のある私としては見過ごすことのできないニュースである。

 「週刊朝日」623日号によると、『明治日本の産業革命遺産』でも首相補佐官による文科省の文化審議会へのゴリ押しの“人事介入”があった。
 異変があったのは昨春で、文化庁が用意した委員リストに和泉洋人首相補佐官が注文をつけたのだ。
 和泉首相補佐官は菅義偉官房長官の“分身”とも言われる官邸のキーマンで、加計問題で前川氏を「総理が言えないから代わりに私が言う」と恫喝したとされる人物だ。

 「和泉氏は文化庁の幹部に対し、文化審議会の委員から日本イコモス委員長(西村幸夫氏)を外せ、と言ってきて、結局、西村氏は委員から外れた」と前川氏は語った。 
 外された西村氏は世界遺産を認定するユネスコの諮問機関・イコモスの国内組織の委員長で、文化審議会の世界文化遺産・無形文化遺産部会の部会長も務めていた大物だ。

 「産業遺産の旗振り役は、加藤六月元農水相の長女で安倍首相と親しいと言われる加藤康子(こうこ)さんで、和泉氏もかなり早い時期から一緒に取り組んでいた。加計学園の理事でもある木曽功氏は、ユネスコ大使の経験を生かして産業遺産を世界遺産に登録するために内閣官房参与になった。木曽氏と和泉氏はこの件をきっかけに緊密な関係になっていた」(前川氏)

 ちなみに加藤康子氏の妹婿は安倍首相に抜擢された加藤勝信・1億総活躍担当相だ。 
 康子氏は安倍首相とは<幼馴染み>と「週刊新潮」(15521日号)のインタビューで語り、康子氏は157月、内閣官房参与に就任している。 
 また、康子氏が専務理事となって世界遺産登録のため立ち上げた「一般財団法人産業遺産国民会議」の名誉会長には、安倍首相と近い今井敬経団連名誉会長が就任。今井氏は産業遺産の一つに選ばれた八幡製鉄所を運営する新日鉄住金名誉会長でもある。

 しかし、康子氏が推す産業遺産の世界遺産推薦に難色を示し、「待った」をかけたのが文化庁の文化審議会だった。
 「本来、世界遺産は全体が一つのコンセプトでまとまったものである必要があるのですが、『明治日本の産業革命遺産』は構成資産が広範囲にわたる上にコンセプトもバラバラで、一つのストーリーになっていない。産業革命遺産なのになぜか松下村塾から始まっていますからね」(前川氏)

 元文科官僚の寺脇研氏がこう解説する。 
 「産業遺産の中には民間企業で稼働中のものや保存状態に問題があるものもあり、保存について検証する役割の日本イコモスも懸念していたと聞いている。産業遺産には戦時中の徴用工の歴史もあり、国際的に見ても中国や韓国から反発を受けるのは最初からわかっていた」

 こうした経緯から138月、文化審議会は産業遺産ではなく、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を世界遺産の推薦候補に決定。一方、康子氏や和泉首相補佐官率いるチームは、内閣官房に別に有識者会議を設け、産業遺産を推薦候補とし、両者は真っ向から対立した。 
 同年9月、菅官房長官の裁定で産業遺産が政府推薦候補に選ばれ、157月には世界遺産登録。康子氏、和泉首相補佐官らの大勝利となった。 
 なので、昨春の和泉首相補佐官による「西村氏外し」は、かつて文化審議会が盾ついたことに対する、“報復人事”ともみえると「週刊朝日」は書いている。

 さすが『内心を処罰する共謀罪』を強行した安倍政権である。「文化も歴史も政権に歯向かうものは許さない」だ。
 良識ある文化を大事にしたいと願われている”保守”の皆さんも、「おかしいことはおかしい」と声をあげてほしい。

    五月闇国道をゆく迷い犬

2017年6月17日土曜日

あの日から

 あの日以来、誤解を受けるといけないので野鳥の会を脱退した。趣味のカメラも持ち歩かなくなった。あの日以来。
 そういえばこんな噂話がある。近頃のニュースは『日本人はこんなにすごい!』というニュースばかりだから、こんなニュースは噂話でしか知ることができない。

 それはこうだ。奈良県の北部には航空自衛隊の基地がある。おっと、これも近頃は地図から消えているらしいが。
 ここへ向かっていたヘリに何らかのトラブルが起き、近くの平城宮祉に不時着したいと言ったそうだ。しかし、『国』の特別史跡は駄目だという官邸の圧力で、はるか南方の奈良『県立』橿原公苑に変更され、結局トラブルが拡大して多数の犠牲者が出たらしい。

 なぜこれが報道されないかは想像がつくだろう。診療によって事実を知った県立病院の医師が「公務員の守秘義務」とかでしょっ引かれたのは公然の秘密だ。
 あの衝撃音と尋常でない炎は多くの市民が目撃したはずだが、誰もが誰かが言ってくれるだろうと言いあって自分の口には蓋をしている。あの日からこっちはこれが日常の風景になっている。

 そういうこともあってか、Y新聞などは近頃、「奈良公園周辺の表示に簡体字やハングルが多すぎて見苦しい」とか「鹿までも”ダメ!”と言っても言うことをきかないが”无用!(ウーヨー)”というと従うようになった」とか「アジア人観光客と親しみ過ぎた奈良県民の意識は歪んでいる!」という印象操作を盛んに流している。

 となると素直な子どもたちだけが証人になるが、文科副大臣の指示で各学校でも子どもたちに、疑問に思ったことは親に聞くのでなく文科副大臣に尋ねるよう徹底されている。
 「事実を知りたいね!」とメールに書いた何人かの父兄も事情聴取を受けたと聞く。
 川柳の会も解散したらしい。
 私もブログを自粛しなければ・・・。

 ・・・というところで目が覚めた。

 なぜこの記事のラベルが「歴史入門」かって・・・。

    苔の庭四つ五つの沙羅の花

2017年6月16日金曜日

祇園精舎の鐘の声

   自民党、公明党、維新らによって、「共謀罪法案」が委員会審議も経ずに本会議で強行採決された。
 都議選を前に、公明の委員長による委員会強行採決のニュースが残るのを嫌った公明と自民の悪だくみの結果だろう。
 自民党の幹部からは「次はいよいよ憲法改正だ」との声も出ている。

 絵本作家・長谷川義史さんの右の絵のとおりだ。

 その日15日の朝日新聞朝刊の「声」欄に作家の赤川次郎氏の投書があった。

 
 自公維議員には「恥を知りなさい」「民主主義の勉強をし直してきなさい」と私も言いたい。

 特に、公明・佐々木さやか議員は金田大臣問責決議案反対討論で「金田法務大臣は就任以来、誠実かつ真摯な答弁を行うなど国民のために尽くしてこられました」と主張。
 これにはテレビの田原総一朗氏も「国民はみんな自民党に対する皮肉だと思ってるよ」「あれ皮肉じゃなかったら本人バカだよ」と発言。

 私は日蓮の主張をほとんど知らないが、1250年代後半の「旅客来つて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘・遍く天下に満ち、広く地上にはびこる。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり」という庶民の惨状をどうにかしたいと悩んだのだろうと推測する。
 議員は創価学会のエリートらしいが、日蓮の一番大事な精神を学んでいないように私は思う。

 よって自公維の皆さんには次の古典の復習をお勧めする。
 先人は、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとへ)に風の前の塵に同じ」と喝破されているぞ。

    梅雨晴や胡瓜もぎ秋胡瓜植え

2017年6月14日水曜日

楽しい工作の日々

   「ダンドリ八分」という言葉は、「楽しさの八割方は準備作業にあり!」と解してもよいように思う。
 で、この間から楽しんでいるのが老人ホームの夏祭りの準備で、「来年のことを言うと鬼が笑う」に近い話だが、1か月に1回も集まれない家族会だと、こういうテンポで準備を重ねていく必要がある。

 夏祭りに向けての工作の第一は、駅弁売りの番重(ばんじゅう)(カバン?)の製作。
 去年までは台車の上にタライを載せて車椅子の入所者にヨーヨーツリをしてもらっていたが、台車では小回りがきかなかった。
 なので、今年は駅弁売りのスタイルにしようと決めたのだが、その道具をどのように廉価で作るかは私に「おまかせ」された。
 
 そこで、ネットの通販を繰っても〝帯に短しタスキに長し”で、先ずはいろんなホームセンターと百均でウィンドショッピング。
 それは決して苦ではなく、頭の中でああでもないこうでもないと考えるのがけっこう楽しい。
 私としては、ホンネでは木材で最初から作りたいのだが、結論的にはその方が相当割高になる。
 見つけたのが「特価の衣装ケース」。あとは小さな部品を集めていった。
 首のベルトは一度作った試作品をボツにして、長さを調節できるようにした。
 これならイベント用品として販売可能な作品ではないかと自画自賛している。
   正味¥1,575- あまり廉価ではないですか?

 もう一つは、ヨーヨーツリ本体のビニールプールを買い替えた。
 折角だから側面に「家族会」と書きたいが、その塗料には何が良いかとネットを繰ったがこれがなんと答が見つからない。
 ご存知だろうが、マジックインク系統だとネトネトして色が定着しない。
 水性系の塗料だと、絵の具のように水に溶けるものが多い。だいたいビニールには書けないものも多い。
 「軟質ビニールに描ける塗料は何ですか?」という、こんな単純な疑問に明瞭な回答はネットにもホームセンターの担当者からもなかった。
 だから、結局それらしい塗料を探して自分でテストするしかなかった。
 結局、何日もウィンドショッピングして試してみて、最後にたどり着いたのが、uni発売の水性顔料マーカーだった。

 こういう日々を「あほらし」と思うか「楽しい」と思うかはその人の思いようだろう。
 「楽しい」と思う人をダンドリ君と呼ぼうと思う。

    枝尺は儚げでなお逞しい  
    エダシャクは尺取虫の親である蛾である。

2017年6月13日火曜日

知らなかったで済んだら

記事とは関係ない
河島英五の描いた絵
   6日に文科大臣所管の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで作業員5名が被曝する事故が発生した。
 同機構は高速増殖炉「もんじゅ」も持っており、「もんじゅ」は再三の事故、その隠ぺい等でさすがの自公政権でも廃炉が決定された原子炉である。
 故に、「世界一安全」と首相が宣言した日本の原子炉の中でも、事故対策や安全対策の経験は一番あったはずの機構である。

 その機構でまたまた被曝事故が発生したことも驚きだが、もっと驚いたことは、室内に飛散したプルトニウム等が室外に漏れないようにということで、5名の被災者がそのまま3時間も汚染された室内に閉じ込められたということだった。
 被災者救出のためにはどうしても有毒物の飛散が避けられないという性格の事故はあるにはあるだろうが、やはり原発事故というものは、異質のレベルの事故だろう。
 当然のように、同機構は要旨「この作業で事故が発生することは想定していなかった」と説明した。

 フクシマのときも「想定外」という言葉を何度聞いたことだろう。
 そして私なども、感情の上では「想定外」という言葉を受け入れざるを得なかった。
 なぜなら、わずかながらも市民運動に携わった経験もあったが、「原子力の平和利用である原発」という図式については半ば信じ込み、それを正面から批判し反対しては来なかったからである。
 そのため、フクシマののち私は、相当重い自責の念に駆られたものだった。

 一方テレビでは、「想定外」と同義語のようにいろんな人から「知らなかった」という言葉が繰り返し流された。
 それは、「原発事故の恐ろしさを知らなかった」から「知らなかった私には責任はない」という文脈の中で語られていた。
 しかし、冷静に反省してみると、それは「知らなかった」ではなく「知ろうとしなかった」のではなかったか。厳しいようだが、そういう自省がなければ市民として許されないのではないかと考える。
 
 もし、「フクシマの惨事を経験したから日本の原発は世界一安全だ」という自公政権の宣伝を鵜呑みにして、今でも真の姿を「知ろうとしない」なら、その人には、法体系は別にして、「知ろうとしなかった罪」があるのではないだろうか。

 この「知ろうとしなかった罪」は原発だけでなく、焦眉の課題である「共謀罪」にも言えることだろう。
 国会で「原発に反対するだけで対象になるんじゃないか」との野党の質問に自民党からヤジが飛んでいた。「そんなのは一般人じゃない!」
 ・・・ああ、「再稼働反対」の声は100%犯罪にされてしまうのだ。
 このように、共謀罪を「知ろうとした人」は、戦前の治安維持法と同種の危険があり自由と人権が侵害されると縷々警鐘を鳴らしている。
 一方、「長い物に巻かれたようなお笑い芸人の一部」が、意図的に本筋から外れた「誇大広告」部分である「テロが防げるならええのんちゃう」というような発言を繰り返す。
 やっぱり「知ろうとしない罪」は重い。

 歌人の永田和宏氏はかつて、
   権力にはきっと容易く屈するだろう弱きわれゆゑいま発信す
・・・と詠まれている。
 共謀罪は密告社会、相互監視社会をつくるものだとも指摘されている。
 「知らなかった」と嘆く前に、「知ろうとして」発信することの大切さを今思っている。

    星空に蛙の恋のファンファーレ  

2017年6月12日月曜日

大門実紀史さんのFb

 日本共産党の参議院議員大門実紀史さんのフェースブックにこんなのがあった。

  「大門さんは佐川さんとどういう関係ですか?」
 ある日の早朝、議員会館の廊下で、佐川理財局長がわたしにすがるような姿勢で話すのを見ていた民進党議員が聞きました。
 佐川宣寿さんは十数年前、塩川正十郎元財務大臣(故人)の秘書官をしていた方で、まじめでよく気のつく有能な人でした。「森友学園」問題に「遭遇(そうぐう)」しなければ、世間の批判にさらされることもなく、平穏に官僚人生をまっとうされたでしょう。
 
 佐川さんとの廊下の立ち話でわたしが言ったのは、財務省の「完全防御・無回答主義」はちょっとやり過ぎではないか。あとは、寝ていない様子だったので、倒れないようにと。それだけでした。

 民進党のその議員は「佐川こそ元凶だ」と憎悪むき出しでしたが、かれは財務省全体の意思を示しているだけだとおもいました。
 ただ、その後も佐川さんの答弁を聞くたび、なにをそんなに守ろうとしているのだろうと考えました。安倍首相というより、一生守らなければならない財務省ワールドでもあるのかと。

 いっぽう、文科省では首相官邸に異議申し立てをする勇気ある官僚があらわれました。公正であるべき行政がときの政治権力にゆがめられてはならない。いい意味での霞が関ワールドの発揮かもしれません。

 いずれにせよ死ぬときはひとり。組織のことより、子や孫に「恥ずかしくない人生だったよ」と言えるようになりたいものです。

 ・・・以上は、「佐川こそ元凶だ」と恨んでおられる方々には誤解を受けるFbかも知れないが、こういう大門議員を私は好きだ。
 また、あり得ない話だが私が佐川局長の立場ならどう立ち振る舞うかと考えると心の中は単純ではない。
 同時に、立ち上がった現役文科省職員には敬意を表するとともに精一杯支援を考えたいと本心思う。
 「子や孫に恥ずかしくない人生」・・・ほんとうにそのとおりだ。

    二日目に中休みてふ梅雨の空

2017年6月11日日曜日

半舷上陸

 昭和40年代の職場には半舷上陸(はんげんじょうりく)という言葉があった。
 週休2日制導入前の土曜日だったかに、職員の半分が休暇を取って休むというようなものだった。
 語源は旧帝国海軍の言葉で、港に停泊した船舶で半分ずつ交代で休暇(上陸)をとるものだった。
 今でも、船舶の性質上、海上自衛隊や大型の船舶では使われているかもしれない。

   そんな、遠くに忘れていた言葉を思い出したには訳がある。
 義母の入所している部屋に挨拶の折りに必ず敬礼をされる方がいる。
 先日、話を交わすと「昨日呉からここに来た」という。※昨日?もちろんそんなことはない。
 「それで」と聞くと、巡洋艦『磐手(いわて)』に乗っていた。半舷上陸で下船していた折に爆撃されて沈没したという。
 「大変でしたね」というと、「殴られてばかりでね」「鬼の磐手か地獄の伊勢か・・と言われたくらいキツカッタ」と。

 70年の時空を超えてこの方の余生を覆ている最大の記憶は「殴られた」日々だったのだろうか。なお余談ながら「鬼の〇〇に地獄の〇〇」は、海軍のいろんな艦船の名前であちこちにあった。
 私は、この方にそれ以上辛かった思い出を語ってもらうのが怖くて話の矛先を変えたのだった。

 そういえば、義母に夫(義父)の兵隊だった頃の話を聞いたときは、「盗られまんねん」というのが義母の最初の言葉だった。
 「員数合わせ」の言葉のとおり、軍隊内では泥棒は日常で、盗んだ兵隊よりも盗まれた兵隊が殴り飛ばされるのが大鉄則だった。
 そういう世界は、正直の上に馬鹿が付くような正直者だった義父には耐えられなかったのだろう。
 だから、その話を聞いていた義母の二次的記憶が、「軍隊内→盗られる→殴られる」という理不尽であった。

 人間性を捨て去ることが一人前の兵隊になる前提条件だというのは、多くの刺突訓練の証言でも明らかだ(無実の庶民を度胸試しだといって刺殺させることで「人間を兵隊に改造」するのだ)。
 そういう数多の理不尽な事実に目を塞ぎ、戦前の治安維持法は適法だったと法相が国会で答弁した。
 少女が与謝野晶子の本を持っていただけで拷問に遭い、肉体的拷問とともに特高による輪姦という拷問もあった治安維持法である。
 子や孫がそんな悲しみに逢わないために、安倍内閣を早急に退陣させるための共謀をしませんか。共謀罪!はんた~い。

    かりゆしを着てウチナーの海思う

   今日の一枚は「枇杷泥棒」。
 上手に一粒をもいだところ。

2017年6月10日土曜日

李下に冠を正さず

 国家公務員倫理法という法律がある。
 直接的には一般職国家公務員が対象だが「いわんや特別職国家公務員においてをや」ではないだろうか。 
 その第三条(職員が遵守すべき職務に係る倫理原則)にはこう記されている。

 第三条  職員は、国民全体の奉仕者であり、国民の一部に対してのみの奉仕者ではないことを自覚し、職務上知り得た情報について国民の一部に対してのみ有利な取扱いをする等国民に対し不当な差別的取扱いをしてはならず、常に公正な職務の執行に当たらなければならない。

 2  職員は、常に公私の別を明らかにし、いやしくもその職務や地位を自らや自らの属する組織のための私的利益のために用いてはならない。

 3  職員は、法律により与えられた権限の行使に当たっては、当該権限の行使の対象となる者からの贈与等を受けること等の国民の疑惑や不信を招くような行為をしてはならない。

 ・・・こんな原則は当たり前のことだが、昨今の安倍官邸がこういう倫理原則を大きく踏み外していると感じないとしたら、感じない人の「倫理原則」が歪んでいると私は思う。

 私のような粟粒のような勤務経験でも、契約や発注、検収という職務を担当した時期がある。
 当然、私生活とは比較にならない金額を扱う。
 だから、いわゆる出入りの文具店からだって、手帳一冊、テーブルカレンダー一冊も受け取らなかった。当たり前のことであるが、現場の職員はそういう風に自分を律して仕事をしている。
 そういう目から見ると、「モリもカケも腐りきっている」と感じている。
 「李下に冠を正さず」などという言葉を「青臭い」というようなマスコミで良いのだろうか。
 おかしいことをおかしいというとダサいだろうか。

    今年また水あたりして陀羅尼介

   9日午後、新しいモリアオガエルの卵泡。
 上手く撮影できていないが、実際は七色に輝いていた。シャボン玉を想像されたい。
 父蛙2匹、母蛙1匹。例によって外国人観光客に教えてあげて国際親善。
 その外2匹は声はすれども確認できず。鳴く度に葉っぱが揺れるので目の前の「そこにいる」ことは分かっているのに見えない。
 「ざまあみろ」と鳴いているようだった。

2017年6月9日金曜日

すかんぽ

   スカンポというとスイバのことを指すことが多いが、私の場合はイタドリ(虎杖)をスカンポと呼んできた。
 スイバの如何にも雑草という風情に比べて、イタドリのタケノコに似た「いで立ち」は数段よい。

 茎の中がスカスカ(中空)で、折ればポコンと折れるから、状況証拠からしてイタドリ=スカンポ説は肯ける。

 去年、三重県出身の方から頂いたスカンポを食べたことを書いたところ、土佐ではポピュラーな珍味というと矛盾した形容だが、非常に広く愛されている食材だとコメントがあった。

 そんな去年の記憶を思い出しながら、5月のある日、スカンポの皮をむいて塩漬けにしておいた。
 何分素人なもので土佐っぽのように上手くは剥けず結構難渋し、指先がアク(シュウ酸)で黒くなり、長い間取れなかった。
 そして、シャキシャキ感を大事にしたいので茹でずにそのまま塩漬けにしておいた。

 「そろそろ食べようか」と何回も言いながら、他のおかずとの取り合わせもあり延び延びにしていたのを、先日、塩抜きをして炒めものにした。子どもたちの家にも配った。
 好評だった。
 ハッチクの焚き物ともマッチして食卓に初夏の風を感じた。

 このブログでも何回も触れたように、私は堺の旧市街、つまり都会で育ったから、野で採集する食材などというものには縁遠かった。
 それが今は、けっこう自然に囲まれた街に住んでいる。
 さらに無機質な通勤などからも解放されて・・・なので、
 「馬上少年過ぐ・・楽しまずんば是如何」 と思っている。

    晩酌にはすかんぽがよろし晴れた日は 

2017年6月8日木曜日

規制改革

 通販で買い物をした。
 商品発送から7日目に到着した。
 AMAZON・クロネコヤマトの苛酷な条件による過剰サービスの是正には理解を示しているが、今般の佐川急便の飛脚メール便は少し遅すぎる。
 ネットを繰ってみたら、同種の、否それ以上に対応の悪い事例がたくさん投稿されていた。
 そのシステムを十分理解はできていないが、規制改革による郵便局の外注の結果のようだ。
 規制改革・民営化の一面を垣間見た気がする。
 
 未だに「規制改革」なる言葉をプラスイメージで捉えている論調がある。
 しかし、いやしくも法治国家を標榜し肯定するなら、法律の規制に矛盾が生じているとすれば事実をあげて議論し法律を改正すればよいだけである。
 それを、国会での議論抜きで政権のトップダウンで何でもOKにするのは民主国家ではない。
 加計学園問題でも、政権は「岩盤規制にドリルで穴をあけた」と主張したが、「その穴は加計の抜け穴でないか」という指摘の方が当っている。
 いや、もっと冷静に一連の経緯を見て見ると、「規制緩和」ではなく「京都産業大学を排除するための新たなハードルを設置した」ことだったことは明らかだ。

 すでに明らかになったと思われるが、「規制改革」は社会の公平・公正を担保している法律上の規制を、政権中枢の利権のために蹂躙するための論である。国民の財産を私する、貪るための論である。
 羊たちの生きる自由は狼の自由の規制なくしては成り立たない。
 「規制改革」は庶民の公正・公平に襲いかかる狼の自由の論理だろう。

   梅雨入りの画像が西から迫ってる 

2017年6月7日水曜日

零余子(むかご)

   「(社)チームむかご」というサイトにムカゴの説明が次のように掲載されていた。

6月6日
   ころころとかわいい【むかご】は、 山芋の葉の付け根にできる球芽です。 いわば山芋のあかちゃん。
 ささっとすすいでゆでるだけ、ご飯に入れて 一緒に炊くだけで、おいしく食べられるんです。
 すごく簡単!しかもクセのない味はどんな料理にもあうんですよ。
 食べないなんてもったいない! 断然おすすめ、ほんとにおすすめ!
 もうちょっと詳しく説明すると…
 「むかご」とは、山芋の地上部分にできる直径1センチくらいの大きさの球芽のことです。
 通常、山芋は地中に伸びて育っていく作物です。 ではその時地上部分はどうなっていくかというと、にょきにょきと蔓が伸びていくのです。 蔓は枝分かれして、また、たくさんの葉を付けます。 その枝分かれする部分に、ぽちっとできるのが「むかご」です。
 地域によっては「ぬかご」とも言うのだとか。 呼び方も土地ごとにさまざまです。
 栄養は山芋とほぼ同じで、実は山芋よりも高い栄養価を持っていたりもするのです。 日本人に不足しがちな鉄分やカリウム、マグネシウムなどが豊富に含まれています。 さらに皮ごと食べることができるので、繊維も摂取することができます。
 私たちは、「むかご」を『山芋のあかちゃん』と呼んでいます。 お母さん山芋によって、赤ちゃんの良さもさまざまなのですよ。
 長芋、大和芋、ねっとり芋、自然薯、お母さん山芋の品種はたくさん。 それに、土地(きっと土質や気候の関係でしょう)や栽培方法(有機栽培など)によっても、できる作物の特徴は全然違いますから、 いろんなむかごの味や形があります。
 日本の畑には、まだまだ誕生していない赤ちゃんむかごがたくさん眠っているはずです。

 ・・・このムカゴが、わが家の刈りとった草や残土の置き場からニョキニョキといっぱい伸びてきた。こんなのを「菜園」と言ってよいのかどうか・・?
 そんなわけで雑草を引き抜くように適当に処分するのだが、その根には幼児のような芋が付いている。
 さっさと洗って齧ると当然ヤマノイモの味がする。
 当たり前か?
 春の頃から晩秋の収穫を思うのも楽しい。

    青嵐(あおあらし)パリ協定を遵守せよ

2017年6月6日火曜日

おにのもたえも

 ひしやもんの おもきかかとに まろひふす おにのもたえも ちとせへにけり  (東大寺三月堂の毘沙門像の足下に転がり伏す邪鬼の悶えも千年を経たことになろう)奈良をこよなく愛した歌人・會津八一の歌である。
 絵本『大仏くらべ』の中に紹介されていた。
 
   「先の戦争」というと京都の人にとっては太平洋戦争ではなく応仁の乱(1467ー1477)のことであるというのは「常識」らしいが、これが東大寺や興福寺のお坊さんの話になると、平重衡の南都焼討(治承4年1181)が全く同じように、千年(ちとせ)の昔も昨日あったことのように語られる。

 故に南都は反平家・親源氏となり(正確には親平家にならなかったので焼討を受け)、鎌倉期の大仏殿の復興は頼朝に大いに負うところとなった。
 以前にOB会の写経でお世話になった部屋は、鎌倉期大仏殿落慶供養の際、頼朝・政子の宿所であったと聞かされて、改めて南都に漂う時空の大きさに感心した。
 そして、奈良と鎌倉というのもけっこう縁があるということにも感心した。
 
 文・大江隆子、絵・松田大児のその絵本『大仏くらべ』の後ろの方には松田画伯の次のような文があった。
 十二月十七日晴れ
 狂言『大仏くらべ』の挿絵を描くことになり、東大寺福祉療育病院(重度心身障害児施設)で打ち合わせ。終了後、院長先生、師長さん、お坊さんに院内の案内をしていただく。
 はじめに入った部屋は、暗がりにイルミネーションがキラキラ光る中、療法士さんがピアノを弾き、クリスマスソングを歌っている。お父さんに抱かれた小さな子、鼻にチューブを入れ乳母車に乗って、一点を見つめている女の子がいた。
 次に、重度の方の入院病棟へ行く。手を消毒しマスクをした。扉が開くと、採光の良い明るい部屋に医療器具を付けて寝ている子どもたちのベッドが並んでいる。看護師さんたちの表情が明るい。初めて見る光景に少し圧倒されたが意外に冷静な自分がいた。
 ひと通り案内してもらった後、お坊さんは「子どもたちに狂言『大仏くらべ』の紙芝居をしてあげたいんです」と言われた。師長さんは「子どもたちから元気をもらうんです」、院長先生は「短くとも深く・・・」、そんな話をされた。
 久しぶりに美しいものに出会った、良い一日であった。(日誌より)
 この後、一気にこの絵本の絵を描いた。――と。

 さて、絵本の元となった創作狂言『大仏くらべ』の奉納公演を鑑賞した。
 茂山千五郎(大蔵流千五郎家十四世当主)、山本則孝(大蔵流山本家)、茂山茂(大蔵流狂言方)、松本薫(大蔵流狂言方)、小野寺竜一(一噌流笛方)、曽和正博(幸流小鼓方)、渡部諭(石井流大鼓方)で、
 会場は東大寺本坊で、借景には影向の松の代わりに新緑の若草山や校倉造りの国宝の経庫という贅沢だった。
 
 奈良に住まい致すもので御座る
 奈良の大仏さま程
 大きな大仏さまはあるまいと存ずれど
 鎌倉にも大きな大仏さまがおわしますと
 聞き承れば
 なかなか 油断のならぬ事で御座る ・・・・・

 近頃のニュースを見聞きしていると、どうしても心が乾燥してしまうが、6月ではあるが快晴の五月晴れの下、気分よく「あはは あはは」と笑った。
 こんな日も大切だ。

    狂言や笛と鼓と蛙の音

2017年6月4日日曜日

貴族の食材

   テレビかラジオで聴いたという妻からの受け売りの話だが、イギリスではキュウリは『高級食材』らしい。
 理由は、古くはイギリスの気候がキュウリ栽培に適していなかったことと、産業革命後のイギリスでは多くの野菜を輸入に頼っていたことによる。

 つまり、新鮮なキュウリを口にすることが出来るのは、高価な輸入野菜を購入できるか、温室設備を持ちキュウリを栽培することができる超リッチな金持ちや貴族層のみであった
 そのため、アフタヌーンティーで新鮮なキュウリを用いたキュウリサンドイッチを来客に振る舞うことは一種のステータスであり、同時にキュウリサンドイッチを食べることができるというのもステータスであった
 基本形はバターを塗ったパンにスライスしたキュウリを挟んだだけという。

 この事から、20世紀以降にキュウリが安価な食材として広く普及するようになっても、キュウリサンドイッチはイギリス人の食事としては「特別な地位」を占めているらしい。
 となると、これは文化の問題であるから、欧米人が蕎麦やうどんを啜る日本人を信じられないように、イギリス人のキュウリ愛は外国人には信じがたいほどのものらしい。文化であるから金銭の問題ではない。
 こうしてレストランやカフェではよく、レモン入りの水みたいな位置づけで、「キュウリ入りの水」が置かれ、キュウリ入りのカクテルの種類も多いらしい。

 この話は、家庭菜園でキュウリを作っている私を喜ばせる。
 脈略もないが、イギリスなら我が家はサー ハセヤン家といったところである。
 しかも、写真のキュウリは「黒イボ半白胡瓜」で、このあたりを席巻している大手ショッピングモールでは手に入らないものだ。
 去年まで、最盛期には成り過ぎて幾つも捨てていた。
 ああ、なんという不埒な行いだったのだろう。
 今年はイギリスに思いをはせ、心して食べる気持ちになっている。

 閑話休題、キュウリといえば河童であるが、その由来となった河伯のことは中国の「楚辞」「抱朴子」等々の史書に種々記されている。
 それを受けて日本では、日本書紀仁徳天皇11年に、今の大阪府寝屋川市付近にあたる「茨田の堤」築造に際し、河伯に人柱を供える有名な話がある。
 もっと身近なところでは遠野物語や各地の民話に豊かに登場している。
 さらに続日本紀延暦8年条には、桓武天皇の母である高野新笠は百済王の後裔で、百済王の遠祖都慕王の母は河伯の娘であった。よって高野新笠はその末裔。つまりは日本の天皇家の祖先の一人は河伯という『公的記述』がある。
 荒っぽい算数では、一人の人の20代前の先祖は200万人いて、1000年遡って逆算すると現代日本人のほぼ全員が兄弟姉妹という。その中には当然ご落胤も含まれていることだろうから、つまり、貴方も私も河童の末裔かも知れない。

    自家製の胡瓜はのびのび曲がってる

2017年6月3日土曜日

美保純のお尻

   注文していた書店から連絡があり、芥川賞作家・滝口悠生の第37回野間文芸新人賞受賞作『愛と人生』・講談社を読んだ。
 第一刷が2015年1月だから発刊から2年半が経っている。

 写真はカバーを見開きにしたものだが、装画・堀道広、装幀・佐々木暁も味がある。
 帯の表側には『山田洋次監督も共感した独創的な〝寅さん小説”』とあり、裏側には『「男はつらいよ」シリーズの子役、秀吉だった「私」は寅次郎と一緒に行方不明になった母を探す旅に出た……27年の歳月を経て、そんな昔話を伊豆の温泉宿で「美保純」とともに懐かしむ「私」。「男はつらいよ」の世界に迷い込める、味わいたっぷりな〝寅さん小説”、・・・』とあった。

 私は自身「けっこう頭は柔らかい」方だと自惚れていたが、事実、折々に吐露される主人公「私」の悩みや人生観の理解にもついては行けたが、映画のシーンと登場人物とその俳優、その上に、作家によって創作された登場人物、その俳優や架空のシーンが縦横無尽にクロスし重ねられて語られていくので、正直に言って今も頭の中の整理はついていない。

 山田洋次と寅さんシリーズへのオマージュ(賛辞)というほど単純ではなさそうだし、1969年(昭和44)から1995年(平成7)という時代、昭和と20世紀の「世紀末」の記録小説というほど記録的ではないし、その時代のエートス(特徴的行為パターン?)を総括したとも思えない。
 結局作者の混沌に付き合わされただけなのかもしれず、迷い込んだ「男はつらいよ」の世界から抜け出せないまま最終ページを迎えてしまったし、滝口悠生の世界も山田洋次の世界も深く掘り下げられないまま出口に出てしまった。

 そして、どういうわけかストーリーの脇道のような、そして度々登場する「美保純(※)のお尻」だけが記憶に残った。(※タコ社長の娘)
 もしかして、そちらこそ本道だったのか、人生や青春の「理論と実践」を寅は軽くいなし、美保純のお尻こそが「愛と人生」であるかのような読後感だった。
 それは、きっと、作者の意図とは相当ズレているだろうし、「しめしめ、やっぱりそこに引っかかった下衆がいたか」と嘲笑されていることだろう。

 もう一度、ゆっくり読み直そうかと思っている。
 「長谷やんが解らないなら、私が説いてやろう」と思われる方、「美保純のお尻に興味が・・」という方は読んでみて私に感想をご教示いただきたい。
 それ以外の方に特段お勧めする気はない。

 満男が、別れ際、寅に訊ねた。
 おじさん、人間は何のために生きてるのかな。
 ・・・毎日生きてるとさ、時々、ああ、生まれてきてよかったなあ、って思うことがあるじゃねえか。
 という有名な台詞廻しほどこの小説は単純ではない。ああ。

    卯の花や不快指数の曇り空

2017年6月2日金曜日

面従腹背

 5月29日の『文科省文書あれこれ』で、「前川前次官のペーパーはきっとレクチャー資料で、ある意味公文書以上に真実だろう」という主旨のことを書いた。
 これは私の大研究の結果でなどではなく、その種の公務員世界では常識に属することだった。

 それに対して菅官房長官は前川前次官の人格攻撃を証拠も根拠もなく行って印象操作をし、「圧力があったのなら現職のときに言ったらよかった」と、これもなんとなくそれらしい印象操作を行った。
 当然のようにネトウヨと呼ばれるネット上の右翼がそうだそうだと尻馬に乗って囃し立てている。

 確かに、前川氏は現職の時代に内部告発すべきだった。だが、それをためらった氏を誰が批判できるというのだ。少なくとも、官民を問わず宮仕えの身でそれを言える人は少ないと思う。
 前川氏のいう「その時は面従腹背であった」の言葉は理解できる。
 文化人、知識人と言われる人々もそれを言う時には、内部告発者を徹底的に支援できる体制を合わせて言ってほしい。

 よって私はこの国の勤労者の「市民としての自立」について思いを巡らせている。
 少なくとも欧米並みの市民感覚が何故成熟していないのか。
 水田農業を源流とするムラ社会がそれを阻んでいるのか。
 非キリスト教的なモラルの低さに遠因があるのか。
 テスト偏重の教育の結果だろうか。
 極まった感のある情報操作の故なのか。
 そして、企業内労働組合の弱さなのか。
 そんないろいろなことについて考えたり議論したりしてみたいものだ。

 6月1日付朝日朝刊のトップ記事は『内閣官房参与、次官と話題に』で、内閣官房参与で、文科省OBで、加計学園理事で、同系列の千葉科学大学学長の木曽功氏が前川次官(当時)を訪れていたことを報じている。
 前川氏は、「獣医学部の件でよろしくと言われた」と証言し、いっぽう木曽氏は、「(獣医学部が)話題としてでない方がおかしい」「巨大な忖度の塊だと思う」「(文書について)違和感はない。(上司に)報告するためにメモにしているような気がする」と話している。

 さて、外形的にいえば、木曽氏の経歴は絵に描いたような官僚の天下りの図ではないのか(公務員の再就職について一概に天下りだと断じることには私は賛成ではないが)。
 一方、前川氏が次官を辞めさせられたのは文科省の天下り問題だったはずだ。
 とすると、表向きは天下り問題であったが、その実は「加計学園問題」に協力的でない前川氏の首を切ったというのが、時系列から見ても妥当な見方ではないだろうか。
 安倍官邸のやり方はますます以てえげつない。

    妻探す磯鵯の声愛し

2017年6月1日木曜日

水無月

   水無月が来て竜巻がやってきた

 五月が過ぎた。
 しかし五月までの過去を水に流してはいけないと思う。
 市民運動の勝利の方程式は、「あきらめないこと」と言う人がいる。名言だと思う。

 近頃新聞テレビを観ていると、自民党一強に見えてしまう出来事は少なくない。
 しかし考えてみれば、民主党の自爆に似た前々回の参議院選挙(自民65)のおかげで今の自公衆参3分の2があるだけだ。
 自民党が勝利したといわれる昨年の参議院選挙の自民党の当選者数は56である。
 普通に考えれば、2019年の次回参議院選挙には自公3分の2体制は崩壊するだろう。
 安倍政権の暴走につぐ暴走、強権につぐ強権政治は、その崖っぷちが見えているからこその無理筋だと思う。

 驕れるものは久しからず! 森友、加計、山口敬之、残念ながら国会では〝止め”を刺せてはいないが広範な国民レベルでは「それは酷い」というのが常識になっている。
 この「常識的な世論」の高まりというのは大切だ。
 そして、常識的で理性的な世論の形成には、気のついた市民が声を上げることが大切だろう。
 どんなに辛いことがあったとしても、継続する発信こそ力だと信じている。
 
 現役で仕事をしていた頃、仕事は滞留していたが、博士論文のような素晴らしい「復命書」を書く人がいたことを思い出す。
 ここは異論も批判もあるかも知れないが、私は内容は別にしても発信を重ねることが尊いことだと今も信じて努力している。
 少し引用が正確でないかもしれないが、人生意気に感ずという言葉もある。