2017年5月4日木曜日

パノプティコンを許さない

   憲法記念日の「5.3おおさか総がかり集会」に大判の名札を付けて参加した。
 「それが例の名札か!」と声をかけてくれたFBの先輩もいた。
 パレードの解散時に仲間たちで「パノプティコンを許さない!」というシュプレヒコールを繰り返したら、あちこちから「なんのこっちゃ」という視線を浴びた。
 正直に言って、その絶対的少数派感覚が心地よかった。
 なんのこっちゃの人々が、「何か自分たちの知らない言葉があるらしい」と思ってくれたならそれでいい。それでいいのだ。

 願わくは今後が、いろんな情報源からいろんな知恵を得て、それが互いに勉強になる集会(パレードを含む)になればと願っている。
 湯川秀樹氏曰く、「すべての真理は最初は少数派であった」。
 パノプティコンという言葉にこだわりはない。
 ただ、そういう情報(やく みつる さんの風刺)などが生き生きと反映される取り組みが必要ではないかと提案したいだけ。

   先日のメーデーはいささか旧態依然だと批判したが、昨日の集会は「旧態」の伝統も薄れ、惰性に流れているような気がした。
 仕事で現役の中間管理職の頃、いわゆる指示待ち世代に対して「創意工夫をしよう」と指導したものだが、そんなあれこれが喉まで出かけた。
 フェスティバルをしなかった唯一の地大阪で、心に響くメッセージをどう発信すればよいのだろうか。

   山本五十六を引くのは面白くないが、「やって見せ」ない先輩世代の責任は重い。
 やって見せないのも悪いし、正しいお説教を(傷つけないように気を付けつつ)しないのもいけない。

 すぐ前方に宣伝カーが付いたので持参したミニメガ(上の写真)の出番はなかったが、アナウンスもコールも十分に練られた感じがしなかった。
 「ダンドリ八分」ということについて、本気で考えてほしいものだが、これも「やって見せ」が大事だろう。

 集会では、民進党、共産党、社民党、自由党、市民団体がこぞって「野党は共闘」と強調された。素晴らしいことだと思う。
 それがほんとうに実現するよう心から願っている。

    川柳 パノプティコンの呪文投げたるやくみつる

3 件のコメント:

  1.  山本五十六というところに躊躇するが、彼の言葉に次のような言葉がある。
    「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」
    「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
    「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」
    先輩世代が胸に手を当てて読んでいただきたい。

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  2. 昔、吉井清文氏が労組幹部に「近ごろの青年はついてこん!と愚痴るが労働組合はついて行くものか?」と喝破されたことを鮮明に記憶しています。

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  3.  吉井清文氏の言葉がどんな文脈で語られたかが大切だと思います。私はその言葉を、議論しないこと考えないことの言い訳に使用してはならないと思っています。もちろん、愚痴のレベルや批難の言葉は正しくありませんが、助言しない見せない、つまりOBが何もしないことを正当化してはならないと思うのですが如何でしょう。

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