2017年5月31日水曜日

目に余る権力の私物化

 この国は後進国並みの独裁国家になろうとしている。
 森友や加計のように「友人」には破格の脱法・違法行為で便宜を図り、別の「友人」のレイプ事件は「指揮権発動」並みにもみ消した。
 後者の事件は週刊新潮が取り上げたが、大手テレビや新聞は「同業者」のよしみでか報道を「自粛」しているようだ。
 そんな困難な中、被害女性が顔を出して検察審査会に申し立て、記者会見にも出席した。
 ニュースサイト『リテラ』の記事を紹介する。


 ≪リテラ≫
 山口敬之のレイプ被害女性が語った圧力
 安倍御用記者・山口敬之のレイプ被害女性が会見で語った捜査への圧力とマスコミ批判!「この国の言論の自由とはなんでしょうか」2017.05.29
   
 「この2年間、なぜ生かされているのか疑問に思うこともありました。レイプという行為は私を内側から殺しました」
 「レイプがどれだけ恐ろしくその後の人生に大きな影響を与えるか、伝えなければならないと思いました」
 本サイトでもお伝えしてきた、“安倍官邸御用達”ジャーナリスト・山口敬之氏の「準強姦疑惑」。本日夕方、そのレイプ被害を「週刊新潮」(新潮社)で告発した女性が、霞が関の司法記者クラブで会見を行なった。
 女性の名前は詩織さん(苗字はご家族の意向で非公開)。彼女は主に海外でジャーナリズム活動を行なっている28歳だ。「『被害女性』と言われるのが嫌だった」という詩織さんは、本名と顔を公表して会見にのぞんだ。本日午後には「捜査で不審に思う点もあった」として、検察審査会に不服申し立ても行なっている。
 詩織さんは、性犯罪の被害者にとって非常に不利に働いている法的・社会的状況を少しでも変えたいとの思いから記者会見を決意したとしたうえで、このように語った。
 「警察は当初、被害届を受け取ることすら拒んでいました。理由は、いまの法律では性犯罪を捜査するのは難しいから。また、相手方の山口敬之氏が当時TBSのワシントン支局長で、著名人だからでした」
 事件があったのは20154月。もともとアメリカでジャーナリズムを学んでいた詩織さんは、山口氏と2度、簡単な面識があったが、それまで2人きりで会ったことはなかったという。詩織さんが日本へ帰国すると、山口氏もこの時期に一時帰国し、そのとき、仕事のためのビザについて話をしようと誘われて、食事に行った。
 ところが、アルコールに強いはずの彼女が、2軒目の寿司屋で突然目眩を起こし、記憶が途絶えてしまう。そして明け方、身体に痛みを感じて目がさめると、ホテルの一室で裸にされた仰向けの自分の体のうえに山口氏がまたがっていた。彼女は、自分の意思とは無関係にレイプされていたのだ。しかも山口氏は避妊具すらつけていなかった。

 被害を警察に訴えた詩織さんだが、警察は当初、「この先この業界で働けなくなる」などと言って、被害届を出すことを考え直すよう繰り返し説得してきたという。しかしその後、ホテルの防犯カメラに山口氏が詩織さんを抱えて引きずる模様が収められていたこともあり、本格的に事件として捜査が始まる。
 逮捕状も発布された。201568日、複数の捜査員が、アメリカから成田空港に帰国する山口氏を準強姦罪容疑で逮捕するため、空港で待ち構えていた。ところが、不可解にも山口氏は逮捕を免れた。詩織さんは会見でこう語っている。
 「そのとき、私は仕事でドイツにいました。直前に捜査員の方から(山口氏を)『逮捕します。すぐ帰国してください』と言われ、日本へ帰る準備をしていました。いまでも、捜査員の方が私に電話をくださったときのことを鮮明に憶えています。『いま、目の前を通過していきましたが、上からの指示があり、逮捕をすることはできませんでした』『私も捜査を離れます』という内容のものでした」
 逮捕状まで持って捜査員が空港で待機していたにもかかわらず、直前で、上から「逮捕取りやめ」の号令がかかった。当時の捜査員が、詩織さんにそう告げたというのだ。会見の質疑応答で詩織さんはこう語っている。
 「『警察のトップの方からストップがかかった』という話が当時の捜査員の方からありました。『これは異例なことだ』と。当時の捜査員の方ですら、何が起こっているのかわからない、と」
 その後、山口氏は準強姦罪で書類送検こそされたものの、167月に不起訴処分にされた。検察側はただ「嫌疑不十分」と言うだけで、詩織さん側に詳しい説明はまったくなかったという。また「準強姦罪では第三者の目撃やビデオなど直接的証拠がないと起訴は難しい」と言われたというが、詩織さんの代理人弁護士は「ありえない。否認事件でも起訴されて有罪になったケースはたくさんある」と、明らかに捜査が不適切であると指摘している。
 このあまりに不自然な捜査当局の動きのなかで、疑われているのが安倍官邸による介入だ。
  
 「週刊新潮」の直撃取材で、このとき山口氏の逮捕取りやめを指示したのは、当時の警視庁刑事部長の中村格氏であることがわかっている。中村氏は現在、警察庁の組織犯罪対策部長の職にあるが、第二次安倍政権発足時に菅義偉官房長官の秘書官をつとめて絶大な信頼を得ており、いまも「菅官房長官の片腕」として有名な警察官僚だ。
 さらに「週刊新潮」の第二弾記事では、山口氏が首相官邸、内閣情報調査室幹部に事後対応について直接相談までしていた可能性が浮上。山口氏が「新潮」からの取材メールに対して誤送信したメールには、〈北村さま、週刊新潮より質問状が来ました。〇〇の件です。取り急ぎ転送します。〉(〇〇は詩織さんの苗字)と記載されていたのだ。「週刊新潮」はこの「北村さま」が、“官邸のアインヒマン”の異名をもつ安倍首相の片腕、北村滋内閣情報官のことだと指摘している(山口氏は否定)。会見のなかで、詩織さんは質問に対してこう話していた。
 「私の知りえない何か上のパワーがあったと思っています」
 「やはり、捜査にあたるべき警察が『起訴できないので示談をしたほうがいい』と話をもちかけて、彼らの紹介する(現在の代理人とは別の)弁護士の先生に連れて行かれたというのは、何かしらの意図があったのではと思います」
 明らかに不自然にもみ消された山口氏のレイプ事件。今後も、官邸の息のかかった捜査介入疑惑を徹底追及していかねばならないのは言うまでもないが、もうひとつ強調しておきたいのはマスメディアの態度だ。いくつかのマスコミは、詩織さんの実名・顔出し会見を受けてこの事実をようやく報じ始めたが、この間、「週刊新潮」の報道に対して、山口氏を盛んに起用してきたテレビ局は完全に無視を決め込んでいた。
 「今回、この件について取り上げてくださったメディアはどのくらいありましたでしょうか? 山口氏が権力者側で大きな声を発信し続けている姿を見たときは、胸を締め付けられました。この国の言論の自由とはなんでしょうか? 法律やメディアは何から何を守ろうとしているのか、と私は問いたいです」(詩織さん)
 山口氏は「新潮」の報道後、マスコミから姿を消し、会見を開くこともなければ、ちゃんと世間に説明することも放棄している。テレビ局は山口氏の責任を問うこともなく、「新潮」が報じた官邸と事件の“接点”についても見て見ぬ振りをした。詩織さんの言うように、この国のメディアはいったい、誰を守ろうとしているのか。いま、その真価が問われている。

(編集部)  (引用終わり)

 なお、事件は201543日。
       2015826日に書類送検。
       20165月に山口敬之はTBSを退社。
       20166月に著書『総理』(幻冬舎)を出版。
       2016722日に嫌疑不十分で不起訴となった。
 これは、隣国の前大統領も真っ青な権力の私物化ではないだろうか。

 さらに、こともあろうに加害者が居直ってフェイスブックなどで発信することの多くをセカンドレイプという。
 「実は合意だった」「金銭目的だろう」などと追い打ちをかけてさらに被害者の心を痛めつけて、自身の「正当性」を飾ろうとする。
 そういう忌まわしいフェイスブックに安倍昭恵首相夫人が「いいね!」を表明している。
 ひどい話だ。

    田の水を蛙の声が知らせてる
    深々(しんしん)と楝散る径ふわふわと 苔色式部

2017年5月30日火曜日

校舎たてかえ顛末記

   安倍首相、菅官房長官、佐川理財局長、トランプ、金正恩、プーチン・・・、ニュースの登場人物を見ていると気が滅入る。
 そこで、地に足の着いた体験記などを読みたくなって、この本を手に取った。
 岩波ジュニア新書だから、「人生の出発点に立っている、きみたち若い世代」に向けて書かれた本だ。
 しかし、物知り顔で書かれた出世や金儲けのノウハウ本に比べて何乗倍も内容は豊かだ。
 
 裏表紙にはこんなことが書かれていた。「緑に囲まれた敷地には野菜畑、果樹園、放牧地が広がり、酪農牛舎、養豚舎、養鶏舎が建ち並ぶ…、一学年わずか20人の小さな高校で生徒たちはいのちを育む農業を学びます。この本では自主自立、人格教育で知られるこの学校で行われた校舎づくりの顛末を紹介します。魅力あふれる学びの場はどのように作られたのでしょうか?」

 舞台の学校は三重県伊賀市にある日本で唯一の私立農業高校にして日本で一番生徒数の少ない農業高校だ。
 そしてサブの舞台は。第1期生霜尾さんが生まれた京都府舞鶴市の山奥の西方寺平という小さな集落だ。
 舞鶴市役所の職員であった著者が霜尾さんを知り、娘が愛農高校に入学し、それ故の一保護者の立場から、ついには校舎建て替え問題に事務局長として携わって奮戦した顛末記だ。

 読んだ私も建築には全くの素人だし、減築などという言葉も読む中で初めて知った。
 こんな時私だったらどうしただろうかとも思いつつ読んだ。
 農のこと、環境のこと、そして人生について考えさせられた。そして読後に爽快な風の吹くのを感じた本だった。
 世の中の不正に苛立っておられる御同輩に、ジュニアになった気持ちでちょっと読んでみませんかとお勧めする。数時間で読み終えるが余韻は何倍も続く。

 あとがきで著者は映画「同胞(はらから)」の主人公の台詞を引いて、「人生に、あんなに夢中な思いをすることが何回もあるといいと思います」と書いている。
 「終活をしている」などと得意げに語るシニアよりも、いつまでも一つ一つの目の前の課題に夢中になりたいものだ。

    人生をジュニア新書に教えられ (川柳)

2017年5月29日月曜日

文科省文書あれこれ

 政権による文科省前次官への人格攻撃は目に余る。
 これこそ共謀罪社会の先取りだろう。
 「下着売り場のマネキンを見て笑っただろう。わいせつ罪の準備罪だ!」と言わんばかりの法律だ。
 「まさかそれほどでは?」では済まない現実を直視しよう。

 だから、共謀罪成立で逮捕される前に、私の狭い狭い経験で得た意見を述べておこう。
 文科省もそうだと思うが国の行政組織にはキャリアと呼ばれる主に東大法学部卒の幹部候補生とノンキャリアという人がいる。
 キャリアは若い時から幹部候補生でいわゆる官僚になっていく。
 圧倒的なノンキャリアはいわゆる公務員で日々所掌する業務を処理する。
 キャリアとノンキャリアは同じ部屋の中で仕事をしていても、全くレベルの違う仕事をしている。いや、通常はキャリアは一人だけの部屋や部屋に近いスペースを持っている。
 マスコミなどがこういう高級官僚と一般公務員を十把一絡げにして官僚批判をするものだから、公務や公共事業や公務員全体が無駄であり不正であるかのような危険で誤った誤解となっている。

 さて、キャリアである幹部は通常は自分で事務作業はしない。それらは部下の仕事であり、それを要所要所で判断するのが主な仕事である。
 そして文科省もそうであるが、部下が進めている業務の範囲は多岐にわたりかつ専門的で緻密である。
 なので、ルーティン業務は専決といって大幅に部下に任せつつ、重要事案の取りこぼしがないようその種の事案は必ず部下に折々のレクチャー(説明)を求める。
 ノンキャリアからすると、そのレクチャーでキャリアからOKをもらうことが何よりも重要である。
 レクチャーの対象は、場合によっては本来何十ページ何百ページに及ぶ文章になるものもあるが、もちろんそんなことではレクチャーにならない。普通は急所となる論点をA4の1ページ位にまとめて部下は説明する。当たり前だが、文書主義の行政組織で文書なしの口頭説明だけのレクチャーはない。
 前川前文科次官が示した文書はそういう「レク資料」だろう。

 そういう意味では、成案になった公文書よりも真実が凝縮されている。
 ノンキャリアも含めて行政側の人間にすれば、これらのレク資料や想定問答など各種検討段階の内々のメモまで情報公開せよ言われるのには抵抗があるが、今回の文書の信憑性をどう考えるかと言われれば、限りなく真実に近いと私は考える。

 ようやくマスコミも内閣人事局が官僚の人事権を握ったことの弊害を述べたり、規制緩和や特区構想の弊害を述べ始めているが全く不十分だ。
 ブラック企業を取り締まる労働基準監督行政を社会保険労務士に外注しようという案もこういう延長線上にあるのだから、心ある人々は大きな声で反対の意思を表明してほしい。

    楝散る映画のような散歩道

2017年5月28日日曜日

不如帰(ほととぎす)

 26日、吉城園から帰るため娘の運転する車に同乗中にホトトギスが目の前を飛んでいった。もちろん写真は撮れなかった。残念。
 24日の記事で「ホトトギスに関係する民話の多くとその聞きなしには暗い陰がある」と書いたが、ホトトギスの名誉のためにそうでもない民話を書いておく。

 和歌山県ではこの鳥の鳴き声を「ホンゾンコウタカ」と聞くらしい。
 その訳は、ホトトギスと百舌鳥は古い友人で、ある時ホトトギスは百舌鳥にお金を預けて「ご本尊を求めてくれ」と頼んだが、百舌鳥は頼まれたご本尊を買わずにそのお金で酒を飲んでしまった。それでホトトギスは今も初夏になると「本尊買うたか、本尊買うたか」と高い声で鳴き、百舌鳥は面目次第もないので、初夏になると鳴きもせずどこかに隠れてしまう。百舌鳥が赤い顔をしているのはその時飲んだ酒のせいだという。(本尊=仏像、宝塔、掛軸などか?)

 ホトトギスの「聞きなし」と、百舌鳥の鳴く季節、百舌鳥の顔を読み込んだ「よく出来た民話」だと思う。
 少し似たものは滋賀県にあり、お寺の本堂を建てるためにホトトギスは和尚さんにお金を貸したがちっとも返してもらえず、そのためお寺のそばの林で「ホンドウタテタカ、本堂建てたか」と鳴いているのだという。(何れも国松俊英著「鳥のことわざウォッチング」)
 どちらも、金銭的には可哀相だが「暗い陰」というほどの話ではない。どちらかというと小さな被害者であろう。

 ホトトギス(不如帰)で思い出したが子どもの頃お祭りや縁日には『のぞきからくり』が出ていた。
 私は「トラコーマがうつるから見たらあかん」と言われていたので、少し離れたところから一寸だけ見ただけだったが、その口上は今も耳に残っている。
 You Tubeでは『のぞきからくり(佐賀)一銭大学』の口上のリズムやメロディーが一番私の記憶と一致する。
 口上だけだと以下に掲載の映画『長屋紳士録』の笠智衆が文字どおり『不如帰』を語っている。「ホトトギス」絡みの雑学として知っておいて損はない。笠智衆には脱帽だ。


    からくりは遠くに去りて不如帰

2017年5月27日土曜日

モリアオガエル290526

 平成29年5月26日午後、奈良公園の吉城園で、今日は10匹ぐらい見た。
 庭師の方が、「10時過ぎに産卵していた」と教えてくれたが、残念ながら私のいた30分弱ではそんなにうまく産卵はしてくれなかった。
 しかし、小さなオスが大きなメスの背中に乗って健気に産卵を促していた。

 今日もたくさんの外国人観光客が来た。
 konnnitiwa  と呼び止めて、It is an unusual frog  だと教えてあげた。
 This frog is called moriaogaeru (forest green frog)
   This frog come from the forest
   The frog lay egg on the tree
   That is the egg of a frog
   The baby falls in the pond
   The frogs baby is called otamajyakusi
・・というのをカタカナ発音で説明するとSpanishも含めてみんな解ってくれた。
 雌雄の単語が出てこなかったので、Man と Woman で Pair だというとこれも理解してくれた。
 moriaogaeru?  otamajyakusi? と聞き返してくれて話の弾んだ人もいた。

 みんな arigato  sayonara  と言って別れた。
 日本人の叔母様たちも「聞いてはいたが初めて見た」と喜んだが、一人旅のおっさんは「みんなが騒いでいるようなものには興味はない」という風情で通り過ぎていった。
 おっさんというものは、どうも正直ではない。

樹上の卵泡

♀と♂

♂と♂?

♀(♂よりも相当大きく7~8センチぐらい)

 
    青蛙一坪池に命かけ

2017年5月26日金曜日

Blowin' In The Wind

   OB会の総会と新しい退職者を新入会員として歓迎する夕べが開催された。
 数日前に事務局(長)から「あれをやりますか?」とメールがあったので、楽譜と一緒に以下の歌詞を「表裏にプリントしてね」と送信したが、当日は別件がへんてこにプリントされていて些か気分が萎えた。
 だが、それもこれも事務局(長)の個人商店に任せっきりで「口は出すが手は出さない」些か卑怯な私どもの当然の結果だった。事務局(長)も介護やなんかで大変な中で準備してくれたのだ。
 とはいえ、頼んでいたHさんは携帯用の電子ピアノを持ってきてくれていて、それをマイクで拾ったので、ハウメニ ロード マスタ ~ との大合唱が実現した。楽器の威力は大きい。念のためポケットにブルースハープを用意していたのだが、出番など考えられなかった。
 ノーベル賞にも京大総長にもおもねる気はないが、気持ちのよい詩とメロディーだ。そして、平均年齢〇〇歳で大合唱ができる我がOB会も捨てたものではない。
 退職時には中間管理職だったような人々が ジアンサーマイフレン イズブロインインザウィン と噛み締めながら歌う姿もいい。
 現役の労働組合役員の皆さんには「先輩たちは運動のノウハウも教えてくれなかった」という不満もあろうが、そんなノウハウよりも、この大合唱の心意気を感じてほしい。
 昨日の記事を振り返って下記の唄を口ずさみながら。
 若い友よ、答は風の中さ。

Blowin' In The Wind     Bob Dylan

How many roads must a man walk down  
人はどれ位の道を歩めば
Before you call him a man? 
人として認められるのか
How many seas must a white dove sail 
白い鳩はどれ位海を乗り越えれば
Before she sleeps in the sand? 
砂浜で休むことができるのか
Yesn How many times must the cannon bolls fly 
どれ位の砲弾が飛び交えば
Betore theyre forever banned? 
永久に禁止されるのか
The answer, my friend, is blowin in the wind 
友よ答えは風に吹かれて
The answer is blowin in the wind  
風に吹かれている

How many years can a mountain exist  
山は海に流されるまで
Before its washed to the sea?  
何年存在できるのか
How many years some people exist  
人々は何年経てば
Before theyre allowed to be free? 
自由の身になれるのか
How many times a man turn his head 
見ないふりをしながら
Pretending he just doesnt see? 
人はどれくらい顔を背けるのか
The answer, my friend, is blowin in the wind  
友よ答えは風に吹かれて
The answer is blowin in the wind  
風に吹かれている

How many times must  a man look up  
人はどれくらい見上げれば
before he can see the sky? 
空が見えるのか
How many ears must one man have 
人にはどれくらいの耳があれば
Before he can hear people cry? 
人々の悲しみが聞こえるのか
How many deaths will it take till he knows  
どれ位の人が死んだら
That too many people have died? 
あまりにも多くの人が亡くなったと気づくのか
The answer, my friend, is blowin in the wind 
友よ答えは風に吹かれて
The answer is blowin in the wind  
風に吹かれている

訳は元英語教師「釣キチ先生の英語教室」
http://www.english-turi.com/song/1000/ から転載

 若くない友 たちとOB会の運営にあたっているが、経験が如何に豊富であっても、日々現代社会に生起する課題の答は風の中のように思う。
 それを、自分の経験から引き出した答だけが正しいと考えてしまうのも文字どおりの老化でないか。
 人情を忘れて論が独走してはならないと反省している。

    ほととぎす諫める声は風の中

2017年5月25日木曜日

山極先生の祝辞

   ネットで知った今年の京大の入学式の山極総長祝辞に感心した。
 その部分を以下に紹介する。

 さて、では常識にとらわれない自由な発想とはどういうことを言うのでしょうか。私が高校生だった1960年代に流行った歌があります。昨年ノーベル文学賞を受賞したボブディランの、

How many roads must a man walk down
Before you call him a man? 

人間として認められるのに、人はいったいどれだけ歩めばいいの?”
という問いで始まる歌です。そして、

How many ears must one man have 
Before he can hear people cry? 

人々の悲しみを聞くために、人はいったいどれだけの耳をもたねばならないの?

How many deaths will it take till he knows
That too many people have died? 

あまりにも多くの人が死んだと気づくまで、どれだけの死が必要なの?”
と続きます。それは、

The answer, my friend, is blowin in the wind 
The answer is blowin in the wind 

友よ、答えは風に吹かれている”
という言葉で終わるのです。

 これはボブディランが21歳のときに作った歌で、「答えは風に吹かれている」というのは、「答えは本にも載っていないし、テレビの知識人の討論でも得られない。風の中にあって、それが地上に落ちてきても、誰もつかもうとしないから、また飛んでいってしまう」という気持ちを表したものなのです。彼はこうも歌います。

How many times can a man turn his head
And pretend that he just doesnt see?” 

 (見ないふりをしながら、人はどれくらい顔を背けるのか ← 私の挿入) 
 そう、この歌は、誤りを知っていながら、その誤りから目をそらす人を強く非難しているのです。これは、1960年代に起こったアメリカの公民権運動の賛歌で、日本でも多くの若者が口ずさんだものです。


 大学には、答えのまだない問いが満ちています。しかし、その問いに気づくためには、利己的な考えを脱ぎ捨てて、この世界を新しい目でながめる必要があります。常識にとらわれない発想とは、これまで当たり前と思われてきた考えに疑いを抱いたとき、それに目をそらさず、真実を追究しようとする態度から生まれます。どんな反発があろうと、とっぴな考えと嘲笑されようと、風に舞う答えを、勇気を出してつかみとらねばならないのです。これまで京都大学は、この精神のもとに多くの新しい発見や独創的な考えを世に出してきました。日本初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹先生は、京都大学教官研究集会で、「私たちの生きている、この世界に内在する真理を探究し、真理を発見し、学生たちに、後進の人たちに、そして学外の人たちにも、真理を伝達することが、大学の本来の使命である」と述べています。そこには、大学の知は私的な利益追求のためにあるのではなく、常に公共のため、社会のためにあるという矜持があると私は思います。
 (引用おわり)

 政治の世界では大嘘つきが跋扈している。
 企業(職場)では姿の見えにくい「同調圧力」が首を絞めつけている。
 それらは誰もが感じていることなのだが、少なくない人々はそれらを批判すべき矢面に立つのを避けている。
 そして、戦後民主主義は満身に傷を受け、時代は戦前を刻んでいる。
 山極先生の言葉は、世間一般の「一般人」が心に受け止めるべき喫緊の課題ではなかろうか。(明日に続く)

    夜を裂いて絶叫届くやほととぎす

2017年5月24日水曜日

楝ちる道

   縁は異なものと言うが、3月8日の記事に書いたとおり、明徳元年室町幕府足利義満の時代に創建された堺の調御寺(ぢょうごじ)の歴史調査で、少なくとも江戸時代に遡る鬼子母神像が戦火を潜って現存していたことが発見された現場に立ち会わせていただいた。
 一般に鬼子母神(きしもじん)は安産・子安の神仏として有名だが、特に日蓮聖人が重視したことから、法華信徒の守り神として現在でも厚い信仰を集めている。

 経典では、鬼子母神は千人の子を持っていたが、その末子をお釈迦様が隠し「千人のうちの一子を失うもかくの如し」と諫めたので改心したという。
 その説話に因んで、鬼子母神の祭事では千個の団子を供えたらしく、その千個の団子(千団子)にも似た鈴なりの実を持つ木を「せんだんご→せんだん(栴檀)」といい、古名を「あふち(楝)」と言ったという説もある。(他に「千珠(せんだま)」説などもある)

 その楝(おうち)だが、明治29年に発表された歌『夏は来ぬ』の4番に登場する。
 作詞は佐佐木信綱で、こうである。
   楝(おうち)ちる 川べの宿の
   門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
   夕月すずしき 夏は来ぬ
 私は無学なものだから、最初にこの歌詞を見たときに「楝」の読み方も意味も解らなかったことを思い出す。

   ところが今では、わが家を出た直ぐの遊歩道が楝の並木路になっていて、毎日のようにその下を歩いている。これもまた「縁は異なもの」と言えようか。
 そして先日から楝が満開で、その道は素晴らしい芳香に包まれている。
 先日来の記事で、匂いのきつ過ぎる木々のことを書いたが、楝については「過」もなく「不足」もない。
 ただし、この芳香のことを「栴檀は双葉より芳し」と言ったのではなく、諺の栴檀は白檀のことである。事実、楝の若芽に芳香はない。

 楝の並木路の近くでは卯の花も咲いている。
 そう、お察しのとおり、あと必要なのは時鳥(ほととぎす)である。
 時鳥の「聞きなし」ほど多様な鳥もいないし、その聞きなしに係る民話の種類も多い。そして、その民話の多くに暗い陰があるのも特徴的だ。
 奈良県北部のそれは、兄のために良い芋を残して自分の分を食べた弟を兄は疑い腹を裂くと屑芋しかなかった。兄は後悔してホトトギスに姿を変え「弟(おとと)かわいや、ほーろん(本尊?)かけたか」と毎日八千八声ずつ鳴くというもので、激しい鳴き方、口内の真っ赤な色と合わさって、「鳴いて血を吐く・・八千八声のホトトギス・・」の河内音頭となる。
 全国的にも、「芋首食たか」「包丁立てた」「弟腹(おとはら)突(つき)った」「ぱっと裂けたか」と同種の聞きなしと民話がある。(山口仲美著「ちんちん千鳥のなく声は」)

 縁は異なもので、この記事を書いている22日の深夜にホトトギスの声を聞いた。理屈抜きで感動した。妻にそう言うと妻は「私は2日前の夜に聞いた」と鼻の穴を膨らませた。

    自慢気に忍音聞いたと妻は言ひ

2017年5月23日火曜日

奈良公園の自然と文化

   昆虫博士・谷 幸三先生のfbで知って、20日に『奈良の自然・文化遺産連絡学習会 第1回 奈良公園のびっくりする自然』を受講した。
 レジュメなしのパワポだったので、終始笑いっぱなしで感心しきりだったが、結局あまり覚えていない。しかし、何かの折にそのテーマにぶつかったときに思い出すときもあるだろう。

 ただ私としては、自然の巨大さが印象に残り、単純に人間が「エコ(生態系)だ、生物多様性だ」というだけでは環境が維持されず、御蓋山や春日の奥山の原生林は自身の力で極相林に達しており、それも自然に崩壊していくらしいこと、その後、原生林らしい林になるのは2000年後らしいことなど、う~むと考えさせられる話もあった。

 谷先生お定まりの、生産者、消費者、分解者というエコシステムの話でも、地球上で日本列島は例外的なくらい恵まれていることを教えられ、「食料なんか輸入すればよい」というTPP推進論者の思想の軽薄さを思い知らされた。

   奈良公園の鹿は1300頭いるが、もし自然状態で考えれば適正規模は50頭らしい。さらに戦後は100頭もいなかったようなので近親交配の負の害もあるようだ。
 ならば殺して頭数を管理するのが正しいのかといえば、世の中そんなに単純ではなかろう。
 奈良県などが進める高級ホテル建設や自然破壊は言語道断だが、市民一人一人が専門家の知識も聞いて考える必要があるように思った。

 奈良公園・吉城園のモリアオガエルも絶滅寸前を泣いている。

    指染めてすかんぽ剥きし台所

2017年5月22日月曜日

安倍晋三は保守ではない

 4月9日に「本当の保守主義」という記事で、自身を保守主義者だと名乗っておられる中島岳志氏が「保守本流は安倍政権を批判すべき」「本当の保守主義を貫くと共産党と共鳴する」と発言されていることを紹介したが、毎日新聞5月21日6:30配信の【<陛下>退位議論に「ショック」 宮内庁幹部「生き方否定」】の記事は、まさしくその指摘の妥当性を証明している。記事の内容は次のとおりである。

 《天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。
 陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。
 宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。
 ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。
 陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。
 宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。
 陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。【遠山和宏】
 引用おわり。

 憲法第4条が、天皇は、この憲法の定める国事行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。・・と定めているから、問答無用で天皇の「考え」に沿って立法化すべきだとは決して思わないが、昨年8月の「おことば」を一国民として素直に聞けば、象徴天皇としての深い洞察と人間味に私は理解と同情を禁じえなかった。

 さて、政府が設置した「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」であるが、該当の発言をした「有識者」がその種の主張を繰り返していたことは任命前から周知の事実であった。
 つまり、安倍首相はその種の発言を期待して任命していたのである。
 安倍首相の思想的バックボーンは日本会議である。その日本会議の主張は「象徴天皇制」の継続ではなく帝国憲法の復元である。
 
 真面目な保守主義者こそ、戦前回帰を企む日本会議安倍政権を批判すべきではないだろうか。

2017年5月21日日曜日

野蒜

   山菜採りは犯罪の下見かも知れないし山菜を売って犯罪の資金源にしているのかも知れない! というのが共謀罪の政府答弁。
 つまりは屁理屈をつければ何でも「共謀」になるし「一般人」でなくなる。
 怖ろしい法律案だし怖ろしい(政府)権力だと思う。

 怖ろしいといえば、山菜と間違って食べた毒草で死んだというニュースもあった。
 犯人はイヌサフランでギョウジャニンニクと間違ったらしい。
 確かに、若芽の頃はギョウジャニンニク、ミョウガ、ウルイなどとそっくりだ。わが家の庭にも、ギョウジャニンニク、ミョウガ、ウルイが適当に生えているし、サフランも生えている。気を付けなければ・・・・。
 
   そのニュースの前にはニラと間違えてスイセンを食べて中毒というのもあった。
 これも、ニラもスイセンも生えている。
 そういえば、ワケギのような葉っぱのプランターがあるが、ワケギの臭いがない。「これはいったい何を植えたのだった?」と妻と首を捻っている。
 こうなると、この次のニュースは私かもしれない。

   さて、ノビル(野蒜)、ラッキョウ、ネギ、ニラ、ニンニクを五葷(ごくん)という。
 『不許葷酒入山門』(葷酒山門に入るを許さず)にいう「葷」である。
 「老人ホームの庭の草刈りで刈り取られようとしていたから」と言って、妻が野蒜を持って帰ってきた。
 一日コップに入れておいて、翌日の夕食にいただいた。
 「こんなに美味しいのならもっと採ってくるのだった」というほど美味しかった。
 レシピなどはなく、砂糖と少々の酢で溶いた味噌をつけて生食しただけ。
 「不許入山門」というだけあって、元気が出たような気になった。

    いっちょ前のネギ坊主なる花野蒜

2017年5月20日土曜日

今年もモリアオガエル

   5月19日、奈良公園大仏殿近くの吉城園(よしきえん)。
 毎週通っている孫の通院先に近いので、少しだけ時間を融通して訪問し、今年もモリアオガエルに逢うことができた。
 モリアオガエルは水中でなく樹上に卵を産む希少な種であるので、天然記念物に指定されている府県も多い。
 写真1は池の上に張り出した木の枝の卵泡で、樹上だけでなく池の水面近くの草むら数か所にも卵泡はあった。
 恋の季節である。

 写真2は親ガエル。樹上ではほとんど動かず、動いても「のそりのそり」というようにしか動かないので、それが反対に見つけ難い。

   気配を消して待っていると、ゴゴゴ、ゴゴゴ、ゴゴゴ、そしてトトトトトトトというようにけっこう大きな声で数匹が鳴き始めたが、声はすれども、写真2の親ガエル以外の姿は確認できなかった。(目の前の草むらに居るのは確実なのだが)
 微妙な鳴き声を文字にするのは非常に困難だが、私はこう聞いた。

 さて、奈良県知事はこの吉城園の隣を高級ホテルにして、吉城園をそのホテルの庭にすることを計画している。
 モリアオガエルは奈良県のレッドリストに絶滅寸前(絶滅危惧種Ⅰ類)と書かれているのだが、それが行政の力で文字どおり現実のものになりそうだ。
 地方自治行政を「金儲けという物差し」でしか考えられない知事は、少なくとも奈良にはふさわしくないと私は思う。

 かつて東大寺206世別当の上司海雲(かみつかさ かいうん)師(明治39~昭和50)は、志賀直哉、杉本健吉、会津八一、入江泰吉、須田剋太等々奈良の文化人のサロンを運営されていたが、その当時も奈良県は奈良公園内にホテルを建てようとか、いわゆる行楽地としての開発を推進したのに、サロンの文化人たちは強力に反対した歴史がある。
 その折、上司海雲師は県の「観光開発」の貧弱な思想に対し、青丹よし奈良の京(あおによしならのみやこ)を踏まえて「阿保によし奈良は田舎」と叱責されたのはあまりに有名。

    天蓋に白玉吊りし青蛙

2017年5月19日金曜日

はらぺこあおむし

   イクジイ未経験者でも「知ってる人は知っている」が絵本の世界では『はらぺこあおむし』は超有名である。
 私の手持ちの本はフリップフラップといってアコーデオンのようになる本で、各ページにあおむし等が飛び出す仕掛けなどがある。
 ストーリーは単純で、卵からかえったあおむしがいろんなものを食べて綺麗な蝶になる。
 こういう絵本で育つと「虫が怖い」などという大人になることはないだろう。

   左の写真は朝倉山椒の木で、3匹の小さなアゲハのあおむしが写っている。
 それほど大きな木ではないから、観察を続けるなら人間が食べる「木の芽」がなくなってしまう。
 よって、花柚子の方にそおっと移っていただいたが、オレンジ色の角を出し、強烈な臭気を出して不満の意を表していた。すまん、すまん。

 先日、友人たちの集りに採りたてのセロリを持って行ったところ、「わあ、土がついてる、ナメクジがついてる」と不満げに驚いた人がいた。
 何ということもない当たり前の事実が当たり前でない人がいて社会があるのだと、可笑しいような寂しいような複雑な気持ちになった。

    あおむしの風に舞う日のある不思議

 6月7日、以下の写真を追加する。

2017年5月18日木曜日

安倍首相の改憲表明 その黒子

 自民党の石破茂が、5月3日に突然表明した安倍首相の「憲法9条3項に自衛隊を明記する」という憲法改正案に、「これまでの自民党内の議論は何だったのか。自民党改憲草案とまったく違う」と怒り心頭と報じられている。
 自民党改憲草案は最悪のシロモノだし、それをリードしてきた石破の主張も同様だが、安倍晋三首相・自民党総裁が、最低限の自民党内の党内民主主義も踏みにじって、党外の「闇の黒子」の意を受けて行動していることが石破発言で明々白々となった。

   そしてその「闇の黒子」が、安倍晋三の筆頭ブレーン、日本政策研究センター代表伊藤哲夫であることも以下のとおり明白となった。伊藤哲夫は日本会議の常任理事でもある。
 そも伊藤哲夫は、同センター機関紙「明日への選択」2016年9月号で、「憲法9条に3項を加え、『但し前項の規定は確立された国際法に基づく自衛のための実力の保持を否定するものではない」といった規定をいれること」を提起し、同センター小坂研究部長は、「自衛隊を明記した3項を加えて2項を空文化させるべきである」と述べている。
 さらに伊藤哲夫は、これによって自衛隊の存在を認めている人々を引き寄せて「護憲派にこちら側から揺さぶりをかけ」ると野党や市民分断の意図をあからさまに語っている。

 では、首相を操る伊藤哲夫とはいったい何者だろう。
 伊藤の兄は宗教法人・生長の家本部に勤めていたと、右翼団体一水会で有名な鈴木邦夫が語っている(「日本会議の正体」の本に書かれている)。
 本人伊藤哲夫は、少なくとも1976年(昭和51)には生長の家(教団)の中央教育宣伝部長であった。
 その頃、1980年(昭和55)に『憲法はかくして作られた』という本が生長の家本部政治局から発行されている。
 そして、1983年(昭和58)に生長の家が政治活動を中止した後、2007年(平成19)に同じ内容の『憲法はかくして作られた』の本を伊藤哲夫著として発行している。
 その内容が右翼の改憲運動の教科書のようになっているようだ。

 1983年の生長の家の路線変更にはいろいろ理由があるようだが、少なくとも2016年には、「日本会議の主張する政治路線は、生長の家の現在の信念と方法とはまったく異質のものであり、・・ 安倍政権の政治姿勢に対して明確に「反対」の意思を表明します。」とHPに掲げている。
 この生長の家の路線変更に、ついて行かなかったメンバーが、谷口雅春(初代総裁)先生を学ぶ会などの生長の家本流運動(いわば生長の家原理主義)を展開しており、彼等のことを現生長の家の先の「表明」では、「元信者たちが・・すでに歴史的役割を終わった主張に固執し・・活動をおこなっていることに対し、誠に慙愧に耐えない・・」と指摘している。

 こうして、1983年の生長の家の路線変更の翌年1984年(昭和59)に、足場を失った伊藤哲夫は日本政策研究センターを設立した。
 その後は、安倍晋三とともに2001NHKの「女性国際戦犯法廷」を‟事前に知って”抗議活動を行うなど、安倍晋三の私的ブレーンとなり日本の右翼運動の主要な指導者となっていった。(それらの事蹟は本に詳しい)

 その改憲のための運動方針を、2015年日本政策研究センターのセミナーで配られたレジュメ「憲法改正のポイント」からみると、
 1 緊急事態条項の追加
  非常事態に際し、「三権分立」「基本的人権」等の原則を一時無効化し、内閣総理大臣に一種の独裁権限を与えるというもの
 2 家族保護条項の追加
  憲法13条の「すべての国民は、個人として尊重される」文言と、憲法24条の「個人の尊厳」の文言を削除し、新たに「家族保護条項」を追加するというもの。
 3 自衛隊の国軍化
  憲法92項を見直し、明確に戦力の保持を認めるというもの。
 ・・・であり、 

 質疑応答で、「我々(生長の家原理主義的右翼?)は、何十年と、明治憲法復元のために運動してきたのだ。・・周りの人間にどう説明すればよいのか?」との質問に、主催者側の回答は、「もちろん、最終的な目標は明治憲法復元にある。しかし、いきなり合意を得ることは難しい。だから、合意を得やすい条項から憲法改正を積み重ねていくのだ」という趣旨だった(日本会議の正体)という。
 こうして、前述の「明日への選択」2016年9月号とぴったりと結びつく。

 最後に、彼らの心の師、生長の家初代総裁谷口雅春に触れると、谷口雅春は1930年に生長の家を創設。戦中は戦争遂行を全面賛美して、「大日本帝国は神国なり」「大日本天皇は絶対神にまします」「大日本民族はその赤子なり」と主張し、戦後は、国民主権の放棄と天皇主権。現行憲法破棄と明治憲法体制への復古を主張した。
 宗教的には、「病的思想が無くなれば病気が無くなる」と「病気の治癒」「人生苦の解決」で信者を拡大したが、信者でもあった鈴木邦夫に言わせると「宗教という以前に愛国運動をやっているところと思っていた」と述べている。
 1960年浅沼稲次郎殺害の山口二矢も1970年三島事件で自刃した森田必勝も谷口雅春信奉者だったと言われている。

 『日本会議の研究』という本によると、宗教家的なカリスマ性は、安東巌が引き継ぎ、その弟子が伊藤哲夫、その弟子が安倍晋三ということになろうか。
 なので安倍首相の主張は、決して「現に存在している自衛隊を書き込むだけ」ではないのだ。
 私はマヌーバー(策略)という言葉を久しぶりに思い出した。
 本音で言うところの常軌を逸した戦前復帰の運動が巨大なエネルギーで進行している。
 基本的人権を制限して世界中で戦争できる国というのが彼等の本心であり目的だ。
 こんな企みを絶対に許してはならないと思う。
 この記事は、日本会議の正体(平凡社新書)、日本会議の研究(扶桑社新書)に基づいて執筆した。

    草藪に紫蘭自己を主張せリ

2017年5月17日水曜日

国家機密漏洩罪

このブログの閲覧者
   ブレジネフ時代、「ブレジネフは馬鹿だ!」と叫んだ男が懲役22年の判決を受け、刑期の理由は国家侮辱罪で2年、国家機密漏洩罪で20年だったは、あまりに有名なアネクドート(ロシアンジョーク)だった。

 私は故米原万里さんの相当な愛読者だったが、その著書にはこの手のアネクドートが頻繁に紹介されていた。
 が、プーチンがトランプに肩入れした話や、世界中にサイバー攻撃を仕掛けているという「ジョークでない話」は全く笑えない。

 日本では、「一般人」が突然に「一般人」でなくなり逮捕されかねない「共謀罪法案」が強行されかかっているが、訳も分からないうちに盗聴や盗撮されるのは気分のいいものでない。
 実は、そういう気分の良くない不思議なことが私の周りで起こっている。(誤解であればごめんなさい)
 この頃私のブログの「閲覧者」数が急に伸び、ここ数週間は日本国内を上回ってロシアで大量に「閲覧」されている。
 ロシアのどこかの日本語学校あたりで流行したのなら良いけれど、KGB周辺の流行ならよしてもらいたい。

 心当たりはない。ピロシキやボルシチや白ロシアの記事はだいぶ以前のことだし、スベトラーナ・アレクシェービッチを書いてからも月日はたった。
 「朝ドラ(ひよっこ)でロシア民謡が登場した時代」の記事はまだ書いていなくて共謀罪ではないが「心の中」である。
 この記事のついでにその「心の中」を少し書くと、『トロイカ』の 〽響け若人の歌 高鳴れバイアン の「バイアン」がアコーデオンのような楽器であるのはこの歳になって朝ドラで初めて知った。

 そもそもブログ記事が、新作アネクドートのヒントにされるほど(謙遜ではなく)私のブログには筆力はない。
 なのでアネクドートというよりも、ロシア・ファンタスチカ(SF)の世界に巻き込まれた気分である。

 一番想像されるのは、ロシア向け日本のネット通販会社が私とよく似たURL(ブログのアドレス)であるというようなことだろうか? もし、そんな事実を発見されたお方は教えていただきたい。(不思議な不快感が解決する)
 シベリアへ北帰行する冬鳥たちよ、こんなヤポンスキーの疑問が解ったならば教えてくれ!

    川柳  朝ドラは思い出の歌で引き付ける

2017年5月16日火曜日

エゴノキと生命力

   美と醜は紙一重ということがよくあるが、エゴノキの花の香りも微妙だと思う。
 多くの本には「エゴの花には芳香がある」と書かれているが、先日の記事のジャスミン同様、些か度が過ぎていると私は感じている。

 しかし、熊蜂その他の昆虫が喜び勇んで寄ってきているから、よい言葉を選んで言えば「生命力を感じさせる匂い」とでもいおうか。

 14日、母の日のプレゼントだと言って息子ファミリーが『ミホミュージアム』へ連れていってくれた。・・が、珍しく休館日だったので、信楽のドライブとなった。
 信楽は文字どおりの高原だから、奈良市内ではすっかり終わっている藤も桐も満開で、山肌のあちこちを紫色で飾っていた。

 つい先日は堺あたりでメジロの違法所持が摘発されたニュースがあったが、高原では「長兵衛、忠兵衛、長忠兵衛」と激しく囀(さえず)っていた。
 こういう広々とした自然の中で聴く囀りの方が素晴らしくないだろうかねえ。

 介護やなんかで何年も遠出をしていなかったので、あちこちの高速道路が繋がっている状況に浦島太郎のような気持ちになった。
 だから、道路を走っているというよりも、「時代」を追いかけて走ったような一日だった。

    生き物の満ちる気配やエゴの花

 来週は小満である。いのちが、しだいに満ち満ちていくころと言われている。

2017年5月15日月曜日

雀の親子

   愛鳥週間(5/10~5/16)に合わせたかのように13日、庭に雀の親子がやってきた。
 親(うしろ向き、雌雄不知)と子雀2羽で、親が口移しで餌を与えていた。
 ただ、餌は子雀でも採れそうな稗やヒマワリの種などであり、別に捕獲が難しい虫ではないし、親が半分咀嚼してからやっているものでもなかったから、大きなものは半分に割ってはいたが、基本的には「これは食べられる」とか「食べられない」という基本の「き」を教えているように見えた。

 以上は正真正銘の雀の親子だが、ものの本には「雀の親はカラス」という説もあった。
 狂言「竹生島詣」や滑稽話の「醒酔笑」がそれだが、雀が「父 父」と鳴くとカラスが「子かあ 子かあ」と答えるからだという。雀の親はカラスだったのか!この歳にして初めて知った。

 他方、カラスは「雀の叔母さん」という説もある。こちらの方は単なる説というよりもれっきとした雀獲りの猟法で、囮のカラス(叔母さんカラス)を網のところにつないでおくと、「カラスがいるから危険な動物は近くにいない」とすっかり気を許して雀がやってくるらしい。
 野鳥に関する著作も多い国松俊英氏の文なのでジョークではないし、効果がないなら猟法として成り立たないから間違いはないのだろうが、私の感覚では、雀がカラスの周辺に気を許して寄ってくるというのはなかなか信じがたい話である。

 いつも行っている老人ホームの複数のツバメの巣にツバメがいないという異変が今年は起こっている。
 見上げるとツバメの巣を乗っ取ったのは雀である。
 野鳥の中では一番人間界に近いところにいる雀だから、人間(政)界のモラルの崩壊まで真似をしたのだろうか。

    ちゅんちゅんと子雀が覗く燕の巣

2017年5月14日日曜日

共謀罪を成立させないように「共謀」しよう

 「一見キノコ採りのようであってもテロの資金にするかもしれないのでこの法律の対象だ」が「磯で貝を採っていてもそうではない」らしい。その違いは凡人には理解不能のロジックだ。
 「写真を撮りながら歩く行為はテロ等準備罪の'下見'にあたるので検挙できる」とも。
 法務大臣の答弁である。なので、俳句手帖などを手に風景を見まわしている歌人、俳人は「一般人」ではなくなるし、双眼鏡とカメラを持ってキョロキョロしている愛鳥家など論外だ。
 『秘密保護法』のとき「何が秘密に該当するのか」との問いに「それは秘密だ」というのがあったが、『共謀罪法案』では「誰が一般人でない人になるのか」との問いに「それは警察が決める」らしい。
 共謀罪法案から治安維持法を想像できないのは常識の欠如ではないかと私は思う。


    熊蜂は息詰まらないエゴの花

2017年5月13日土曜日

一般人が対象

 4月27日の記事で書いたが、現在でも、某自治体の清掃事業部では「〇〇はええ歳をしてお盛んなことだ」というような滅茶苦茶なプライバシーを覗き見している。
 一般人が盗聴されたり盗撮されたりすることはないと信じている方は、世間知らずのお人好しである。
 共謀罪法案は、心を覗き見して権力が好き勝手に「しょっ引く」ことができるようにする法案であろう。


    住宅の夜を裂く鳬(けり)や田長(たおさ)かな

2017年5月12日金曜日

過ぎたるは・・・

   ジャスミンが満開である。
 それにしてもその香りたるや強烈である。
 こういうものは薄めてこそ芳香で、そのままだと「匂い」と書くよりも「臭い」と書く方が合っている。
 ものには程度というものがある。
 何軒か離れたお宅からかすかに漂ってくる程度がいい。
 ちなみに妻は「食べ物の香りを超えている」と言ってジャスミン茶(ティー)が嫌いである。
 きっと『オリビアを聴きながら』には感情移入ができないだろう。
 ジャスミン イコール 芳香というような常套句はいただけない。

   ついでに、奈良の古刹の塀越しのモミジ。
 これも、誰が「モミジは秋」と決めたのだと言いたいが、
 こういうモミジに限って、秋の紅葉の季節にはイマイチだったりして・・・
 自然の方が人間を笑っている。

 新緑の季節に燃える紅葉かな

2017年5月11日木曜日

世界平和度指数

 世界平和度指数というものがある。
 イギリスのエコノミスト紙が163の国の24項目について数値化してランキングを発表している。
 24項目は、1、対外戦・内戦の数 2、対外戦による推定死者数 3、内戦による推定死者数 4、本格的な内戦の程度 5、近隣国との関係 6、他の市民に対する不信感の程度 7、人口に対する難民・追放者の割合 8、政治的不安定さ 9、人権尊重のレベル(政治テロの程度) 10、テロ活動の潜在的可能性 11、殺人事件の数 12、暴力犯罪の程度 13、暴動の可能性 14、犯罪収容者の数 15、警察・治安維持部隊の数 16、GDPに対する軍事費の比率 17、軍人の数 18、普通一般兵器の輸入量 19、普通一般兵器の輸出量 20、国連の介入度 21、国連以外の介入度 22、重兵器の数 23、小型武器・携帯兵器の入手しやすさ 24、軍事力・精錬度 である。
 だいたい、「平和度」というような複雑な社会問題を数値化出来るのか、この24項目に過不足はないか、項目ごとの指数化が妥当かなど種々の問題はあるが、その結果を見ると、概ね納得できるような気になる。

 第二次安倍内閣発足以前の2011年と最新の2016年のランキングで特徴的だと思われる感想を述べて見る。
  2016年の平和度ランキングベスト8は次のとおりである。
 1位、アイスランド 2位、デンマーク 3位、オーストリア 4位、ニュージーランド 5位、ポルトガル 6位、チェコ 7位、スイス 8位、カナダ
  日本は2011年で3位だったものが2016年では9位に落ちている。
  特徴的な国々のランクは次のとおりである。()内は2011年
 オーストラリア15位 ドイツ16位 イタリア39位 台湾41位 フランス46位(36) イギリス47位(26) 韓国53位 アメリカ103位(82) 中国120位 インド141位 エジプト142位 イスラエル144位 北朝鮮150位 ロシア151位 アフガニスタン160位 イラク161位 南スーダン162位 シリア163位
  このランキングは「軍事力が戦争の抑止力であり平和の力」という「抑止力論」に正当性がないことを示している。
  日本の9位は「腐っても鯛」ではないが満身創痍と言えども平和憲法のたまものである。 

 安倍晋三は、5月3日付け読売新聞紙上で、憲法9条を改定して自衛隊を明記し2020年に施行すると表明した。
 国会で追及されると、首相として言ったものではなく自民党総裁として言ったものだからと卑怯にもまともな答弁を事実上拒否した。
 先の選挙の折りは「改憲は争点ではない」と強調し、選挙後は「改憲の公約が信任された」と詐欺師の論法を展開したが、その続きと言えよう。。
 これまでの国会では「自衛隊は合憲だ」と何百回も答弁しながら、讀賣新聞紙上では「合憲化するために明記する」と述べ、本音では「自衛隊は違憲の存在だ」と考えていることを暴露した。「語るに落ちる」とはこのことだろう。
 つまるところ、9条2項を空文化して、海外で無制限の武力行使をしたいのだ。

 安倍晋三をしてそこまで突っ走らせる衝動は二つあるように思う。
 一つは、森友・塚本幼稚園問題のように自分が危なくなると「仲間」を裏切る狡猾さに対する右翼陣営からの反発や、口先だけ勇ましい拉致問題で進展しない家族ら右翼陣営の不満や、「6か国協議は無意味だから軍事的圧力を」と言った途端トランプに梯子を外されるような状態で、どうも大きな花火を打ち上げないと先が危ないと考えたこと、
 二つは、大失敗が明白になろうとしているアベノミクスなる経済政策の行き詰まりを、軍事特需で打開したいという究極の悪魔の選択(このことについては5月8日の「落ち着け!」という記事を参照願いたい)、

 安倍自公(維)政権の暴走は目に余るが、怖ろしいことは「もうそんなものか」という慣れや諦めやシラケだろう。
 平和度ランキング9位からの降格を見過ごしていてよいものだろうか。

    邪な奴に母鳬(けり)闘いぬ

 この頃、家の周囲をケリケリケリケリとけたたましく鳴きながら鳬(けり)が飛んでいる。鳬は巣を守るために果敢に戦う。あのパワーを見習いたいものだ。

2017年5月10日水曜日

魚島季節(うおじまどき)

 以前の朝ドラ「ごちそうさん」で「魚島季節(うおじまどき)のご挨拶」という場面があった。例によってめ以子が和枝にイケズされていた。
   わが家の文化のルーツは船場の商家のそれであるので、「昔は桜鯛を贈答していた」という話は親から聞いていた。
 ちなみに桜鯛とは4~5月頃産卵期の真鯛で、魚島とはそれが群れて島のように盛り上がって見えたことをいう。

 先日は産直市場で立派な鯛のアラを見つけた。
 貧乏人のやせ我慢ではないが、魚料理の中で鯛の兜ほど美味しいものはない。
 兜炊きだけでなく、塩焼き、潮汁もよい。
 頬肉、目玉、唇、おでこ、そして顔の裏側をせせった後、鎌に移って「鯛の鯛」を眺めるのが私のルーティンである。

   以前に息子の嫁に「用意しておく料理は何がいい?」と尋ねたとき「普通の料理がいい」と返事があったが、それはきっと、その前の兜炊きに手を焼いたからだろう。兜を綺麗に分解していくのはある種の技術である。そして鯛の鯛も。

 娘が年頃であった頃、宴席で当然のように鯛の目玉を食べたところ、友人たちからドン引きされたと報告があった。
 河端茅舎が、桜鯛かなしき目玉くはれけり などと詠んだのがいけない。

    訳もなく自慢したくなる鯛の鯛

2017年5月9日火曜日

都市鳥(としちょう)の目撃情報

   5月2日朝日新聞夕刊に野鳥のことが載っていた。
 そこには「鳥はほかの生物よりうまく人間社会に適応してきた。鳥を観察することで、社会や都市の変化にも気づける」と「都市鳥」に注目し、「近年イソヒヨドリが都市に広がってきた理由を研究するため、目撃情報を募っている」とあった。

 その名のとおり、「磯ヒヨドリ」はそもそも海岸の岸壁(岩礁)にいた鳥で、昔、奈良公園周辺の探鳥会に参加した折には、発見したならチェックを入れるためのリストに全く入ってはいなかったように思う(入っていたが私が全く意識していなかったのかもしれないが)。

 私がこの鳥を初めてウォッチングしたのはブログを繰ってみると2010年(平成22年)のことだった。
 全く見たことのない鳥で、あまりに赤い胸の色から、ツグミの一種のアカハラだろうと信じ込んだ記事がブログにある。
 それが新聞記事にもあるように、「各地の都市部でイソヒヨドリが増えてい」て、近頃は毎朝私に夜明けを告げてくれている。

 以前のブログ記事に写真を載せたが、バッタを捕獲した瞬間を撮影したことがあるし、ミミズのようなものを啄ばんでいるのも見たことがある。
 海岸にいた頃は何を食べていたのだろう。
 「都市のビルが岸壁代わりになっているのだろう」と書いたこともあるが、それよりも海岸の自然が急速に消滅していっているからなのだろうか。
 都市の自然が急速に豊かになったとも思われないので、イソヒヨドリの都市での繁殖は手放しで喜べない。

 写真は5月6日の朝、近くの電柱のてっぺん。
 5月10日~16日は愛鳥週間(バードウィーク)。

         雲厚く急ぐ足下しゃがの花


 著莪(しゃが)の花は、よく見ると派手で綺麗な花なのだが、なんとなく地味な印象があり、あまり人に注目されない。可哀相な花である。

2017年5月8日月曜日

落ち着け!

シリアの画像
   アメリカは4月6日に「シリアのアサド政府軍が化学兵器を使用した」として、化学兵器を積み込んで出撃したとされるシャイラート空軍基地を巡航ミサイル・トマホーク59機で爆撃した。
 アメリカの言い分が確かであれば、同基地周辺で保管してあった化学兵器の大きな被害が発生しているはずだが、そのような報道は米欧その他の地から全くない。

 だから「フセイン、イラク大統領が大量破壊兵器を貯蔵している」と述べて侵攻したあのときと同じ大嘘だった可能性が高い。
 イラク侵攻についてはアメリカ自身も「筆頭若頭」のイギリスも後に「間違っていた」と反省したが、「パシリ」の日本政府だけはそういう総括さえしていない。

 そして今回も、「アサド軍が化学兵器を使用した」という証拠もないまま、日本政府はトランプ全面支持を決定し、シリア同様の「懲罰的爆撃」を北朝鮮に行うよう進言した模様である。

 そして、安倍首相は戦争法案の折りには「邦人救出のためには海外派兵が必要」と強調したが、韓国在留の日本人を帰国させもせず、邦人など一人も乗っていない米艦の護衛に自衛隊を出動させた。
 というよりも、「北のミサイル攻撃」の危機を国民には散々煽っておきながら、首相も外相も自分たちは外遊を楽しんだ。

 私はこれまで度々書いてきたが、本気で北の脅威を言うならミサイル攻撃の目標とされる原発の廃炉こそが喫緊の課題である。
 日本海側にズラーっと原発を並べて、「ミサイルが来たら伏せろ」も何もない。
 アルカイダが9.11の前に「核施設を目標にしようか」と検討していた事実は、4月24日の「テロリストのお情け」という記事に書いた。

 近代の戦争は全て「自衛のための戦争」だと言って始まった。
 あるいは小さな行き違いから拡大した。
 だから私はトランプと金正恩を見て「危機はないか」と尋ねられると、「危機はある」と考える。
 同時に、トランプも安倍も金正恩の発言も何枚もの嘘が塗り重ねられているとも思っている。

 なので、マスコミには声を大にして言いたいし、その種情報を受け取る国民にも言いたい。
 「落ち着け!」

 トマホークは一機1億円と言われているから59億円消費したことになる。ということは補充の購入(需要)が発生したことになる。アメリカ・ファーストのトランプの本心は結局その辺りかもしれない。
 アメリカから「事前通告」されたロシアにしても、破壊されたという約20機のミグ戦闘機をシリアが補充する需要が生まれたに違いない。一機約60億円は下らないだろう。
 米ロ軍事産業の笑い声が聞こえてこないか。
 「次は極東ですか」という笑い声もないだろうか。

    家に居て渋滞情報聞く連休

2017年5月7日日曜日

5月5日は孫の日ではない

    5月5日、老人ホームの義母と端午の節句の話をした。
 会話と言えるほどのキャッチボールはほとんどできなかったが、それでもポツポツと、昭和30年代まで家で粽(ちまき)を作って知り合いに配っていたこと、・・
 包んだのは今風の笹の葉でなく葦(アシ)=茅(カヤ・チ)の葉で、紐は藺草(イグサ)だったこと、・・
 そして「こんな風に包みますねん」と、普段は食事もおぼつかない手を、奇跡的なほどに動かしてくれての熱血講義だった。

 さて、昭和4年発行の『年中事物考』という本の「端午の節句」の章によると、「ちまきは茅卷(ちまき)の義(ぎ)で、古(いにし)へ、ちまきを作るには茅(かや)(ち)の葉で卷いたからで、今でも之(こ)の古義(こぎ)の傳(つた)へのまゝ拵(こし)らへたのを見かける」とあった。
 昭和4年に既に「古義」と書かれていた茅=葦の粽が奈良の義父母の世代までは残っていたこと、それを実体験者の生の言葉で聞いていることに感動を覚えた。

 思うに、茅(葦)というのは単に「手近にあった」からというような単純なものでなく、「茅の輪くぐり」の例を挙げるまでもなく、ある種の神聖性があったからだろうと思われる。
 これに関して、故福永光司氏は、道教の経典に近い書物である『抱朴子』(4世紀初頭晋代成立)には「山中で幽霊に出会ったときは茅(ちがや)を投げろ」と書いてあると指摘し、江南道教の聖地が茅山(ぼうざん)であることも無関係ではないと示唆されている。
 義母のさりげない話は、実は屈原の故事にも重なるとても奥が深いものではなかろうか。

 さて、これはしばしば書いてきたことだが、弥生時代の道具を博物館で見ると、昭和30年代までそこかしこにあったものとほぼ同じものが少なくないので驚かされる。
 民俗学や文明史で見ると、この国は昭和40年ぐらいを境に別の国になってしまった。
 だから未来の人々から「日本の伝統文化はあの時代に消滅したものが少なくない」と批判されるのは我が世代のような気がする。
 ビートルズやツイッギーを語り伝えることも大切だが、親の世代までのあれこれを語り伝えることはそれ以上に大事だろう。

 5月5日は子供の日であって孫の日ではない。
 なので老夫婦で庭仕事などをして過ごした。

    老親に活力呼びし粽かな

2017年5月6日土曜日

立夏並びに端午の節句

   5月4日、丸1日、孫の夏ちゃんを預かった。夏ちゃんはこども園の年長組で来年はピカピカの一年生である。
 祖父ちゃんは朝から補虫網を用意して待っていたが、夏ちゃんの持参したのは「スウィーツ屋さん」というゲーム機のような玩具だった。
 小さな画面にいろんな情報が出て、夏ちゃんは順番にタッチして遊び、祖父ちゃんにもやれ!というのだが、文字は小さいし正直に言って全く面白くなかった。ただ、こういう時代になったんだなとほとほと感心(嘆息?)するだけだった。

 そこで、先日友人から戴いた本を取り出してみた。
 友人の甥っ子が大きくなったので捨てようかということになっていたが、夏ちゃんなら喜ばないかとわざわざ持ってきてくれたものだった。
 そのうちのひとつは『葉っぱでつくる工作図鑑』のようなものだった。
 幸い「木の葉」はいろんな種類の葉っぱがわが家の周りにはいっぱいある。
 ここからは折り紙の得意な祖母ちゃんの出番になった。
 笹舟から始まって、手裏剣、お面、人形、そしていろんな課題に夏ちゃんは自分から挑戦した。
 バーチャル玩具からリアル世界に帰ってきてくれた。ホッ。

 写真は「菖蒲の鉢巻き」を締めた夏ちゃんで、手にしているのは葉っぱで作った蝶々。
 菖蒲の鉢巻きは縁起が良いので、鉢巻き姿の夏ちゃんをスマホの壁紙に更新した。
 この記事のラベルは『爺ばか日誌』以外に考えられないが、ブログ友達の和道さんのブログも、有名人の市田忠義さんのFBもけっこう『爺ばか』だから、私が突出して『爺ばか』ではなさそうだ。

 小さい頃、憧れだった鯉のぼりだったが、やってきた孫は見慣れたためかそれほど感動もしない。
 ただ、町内の小さい子ども達には大いに喜んでもらっている。
 時々窓の外から「あっ、鯉のぼりや!」という声が聞こえてくる。

    孫連れの散歩コースの鯉のぼり 

2017年5月5日金曜日

碓井豌豆

 近鉄南大阪線古市駅を降り北西に行くと羽曳野労働基準監督署、市役所、警察署、誉田山古墳(伝応神天皇陵)だが、北東に行くと「碓井」という地区で旧碓井村である。というような地図上の位置は知っていたわけではなく、今回地図を広げて見て‟発見”した次第。なんだ、その近くを度々歩いていたんだ!!
 この地で品種改良されたのが碓井豌豆(ウスイエンドウ)で、今頃『なにわの伝統野菜』としてPRしているが、既にその主な産地は大阪ではなく和歌山県となっている。

   このウスイエンドウが関西ローカルな野菜であり、関東をはじめ全国的にはほとんど知られていないということは「ケンミンSHOW」で初めて知った。正直に言って驚いた。ほんとうに驚いた。

 私の好きなウスイエンドウの『豆ごはん』もテレビ画面の東京では、「えっ、グリンピースの豆ごはん?」と顔をしかめられていた。グリンピースとは違うねん。(声を大にして「グリンピースとは違うねん」)

 先日他のテレビ番組で得た情報だが、豆を取り出した後の莢(さや)を煮て出た出汁で豆ごはんを炊くとよいというのでやってみたが、確かに味も香りも引き立った。

   わが家の家庭菜園のウスイエンドウも少し丸みを帯びてきた。自家製の豆ごはんももうすぐだ。

豌豆の豆ごはん知る関西人

 万歳!万歳!万歳!

2017年5月4日木曜日

パノプティコンを許さない

   憲法記念日の「5.3おおさか総がかり集会」に大判の名札を付けて参加した。
 「それが例の名札か!」と声をかけてくれたFBの先輩もいた。
 パレードの解散時に仲間たちで「パノプティコンを許さない!」というシュプレヒコールを繰り返したら、あちこちから「なんのこっちゃ」という視線を浴びた。
 正直に言って、その絶対的少数派感覚が心地よかった。
 なんのこっちゃの人々が、「何か自分たちの知らない言葉があるらしい」と思ってくれたならそれでいい。それでいいのだ。

 願わくは今後が、いろんな情報源からいろんな知恵を得て、それが互いに勉強になる集会(パレードを含む)になればと願っている。
 湯川秀樹氏曰く、「すべての真理は最初は少数派であった」。
 パノプティコンという言葉にこだわりはない。
 ただ、そういう情報(やく みつる さんの風刺)などが生き生きと反映される取り組みが必要ではないかと提案したいだけ。

   先日のメーデーはいささか旧態依然だと批判したが、昨日の集会は「旧態」の伝統も薄れ、惰性に流れているような気がした。
 仕事で現役の中間管理職の頃、いわゆる指示待ち世代に対して「創意工夫をしよう」と指導したものだが、そんなあれこれが喉まで出かけた。
 フェスティバルをしなかった唯一の地大阪で、心に響くメッセージをどう発信すればよいのだろうか。

   山本五十六を引くのは面白くないが、「やって見せ」ない先輩世代の責任は重い。
 やって見せないのも悪いし、正しいお説教を(傷つけないように気を付けつつ)しないのもいけない。

 すぐ前方に宣伝カーが付いたので持参したミニメガ(上の写真)の出番はなかったが、アナウンスもコールも十分に練られた感じがしなかった。
 「ダンドリ八分」ということについて、本気で考えてほしいものだが、これも「やって見せ」が大事だろう。

 集会では、民進党、共産党、社民党、自由党、市民団体がこぞって「野党は共闘」と強調された。素晴らしいことだと思う。
 それがほんとうに実現するよう心から願っている。

    川柳 パノプティコンの呪文投げたるやくみつる