2017年4月30日日曜日

北朝鮮のミサイル

 ブラックジョークに「首相は危機を煽っておいて自分だけ逃げたんではないか」というのがある。安倍首相も、岸田外相も、薗浦副外相も27日には文字どおりの外遊に出かけた。その29日午前5時半ごろ、北朝鮮がミサイルを発射した。おいおいおい、これでもこの内閣の情報力、判断力を信じなさい!と言うの?

 だから政府は21日に、「弾道ミサイル落下時の行動について」をHPに掲載し、「警報が出たら、頑丈な建物や地下街に避難するか物陰に隠れて地面に伏せるよう」ご指導されている・・との反論もあるだろう。
 事実、和道さんのブログによると和道さんの自治体は広報誌にその内容のチラシが挟まれて配付されたらしい。やっぱり、これで日本国民は安心だ。

 ただ、私も日本国民だが、どういうわけか今朝「その警報」は教えてもらえなかった。
 数分後に爆発して失敗したらしいが、東京メトロは6時7分から10分間、運転を見合わせたらしい。時系列でみると、北朝鮮のミサイルはセスナ機並みのスピードなのだろうか。
 また、「地下鉄は止めるが原発は止めない」という政府は「平和ボケ」ではないのでしょうね。本心は危機意識に煽られた国民が「口先番長」の勇ましい戦前回帰を支持してくれればそれでいい・・・と?

 私の知る限り「ノドン」の落下速度は秒速2000~3000メートルといわれているが、仮に30キロ先でキャッチし「警報」システムが起動されアナウンスがされたとして、アナウンスが終わったおよそ15秒後にはすでに着弾している。どこかのCMではないが「もっと早く言ってよ~」。

 いろいろ皮肉を言ってみたが、だからこそ日本は平和なのかもしれない。国民に対して「平和ボケ」とお叱りの大臣(おとど)が率先してこの時期に「外遊」なのだから。そして、留守居役が「すべての選択肢がある」などと粋がって「反撃」しなかったのがいい。

 1994年にクリントン大統領が「先制攻撃」を計画したとき、ラック在韓米軍司令官は「米兵8万~10万人を含め韓日米国民が100万人犠牲になる」と想定した。金泳三大統領が「米国は戦争騒ぎのためにわが国土を使うことはできない。私は韓国兵を一兵たりとも動員しない」と強く抗議してこれは中止されたが、想定される犠牲の規模に「原発の存在」を加味すれば、それが破滅的な世界を招くことは明らかだ。米大陸を除く北、韓、日は必ずそうなる。

 先日、韓国語が堪能で幾度も韓国を旅行された先輩の「板門店訪問記」を聞いた。自然に話は「ポプラの木」に移った。
 そもそも「ポプラ事件」とは、1976年に板門店の共同警備区域内に植えられていたポプラ並木の剪定を国連軍が実行したところ、北朝鮮軍将兵が作業の中止を求め、国連軍側は部下に作業継続を命じ、為に再度の作業中止勧告を出した後北朝鮮軍が実力行使に及び、奪い取った斧によって米兵2名が殺害された事件である。

 3日後、国連軍は100名を超える武装した兵士でポプラ並木を伐採し、20機のヘリ、7機の攻撃用ヘリ、F4、F5、B52が飛行し、F111が待機した。沖合には空母ミッドウェイが待機。非武装地帯の外側には陸軍部隊が待機した。この折りは北朝鮮軍が反撃しなかったので武力衝突、全面戦争は回避された。

 このように、板門店は軍事境界線、停戦ラインでしかないことを忘れてはならないから、宣戦布告のような戦争が始まるよりも、「予想外」の行き違いから悲劇は始まるだろう。だから、「いかなる選択肢も辞さない」というような脅しで挑発するのは危険である。
 28日国連でティラーソン国務長官は「ソウル、東京への核攻撃の脅威は現実だ」と述べたが、日本では根拠のない楽観論と野次馬的な脅威論ばかりが目立つ。理性的な議論がもっと出てこないものか。

 先輩の話の中で、ソウルなどは大阪のミナミのように中国人観光客がいっぱいだったのが、今は中国政府の「渡航禁止」で静かだというのがあったが、こういうことこそ危険な情勢の真の姿を現しているのかもしれない。発端は米韓の迎撃ミサイルTHAADの配備計画に中国が反発したものだが、中国人のいない韓国はそれだけ危険ではないだろうか。

 安倍首相は国内では勇ましい言葉を吐くが全く中身のない内弁慶である。
 この時期プーチンに会うなら、「6か国協議に北朝鮮を引っ張り出しなさい」「北朝鮮が国連決議違反の核とミサイル開発を行う限り経済制裁をしなさい」と明確に言うべきだ。さらには、「無法な北朝鮮を援助するなら日本のロシア経済援助はできない」とも。
 プーチンやトランプの前に出るとお追従に終始し、国内には「先制攻撃も辞さず」とはどういうことだ。

   川柳 吟行も探鳥会も違法です

2017年4月29日土曜日

徳利があった

   2016年9月3日に黄星徳利蜂(キボシトックリバチ)のことを書いた。
 親蜂を見つけたその時は、どこかに徳利がある筈だがと庭中を探したが見つけられなかった。
 今回たまたま物置の近くでそれを見つけた。
 巣立っていった出口を目の中で塞いでみると、見事な船徳利に見える。

 トックリバチは「武道を職業にしているのにその住居は一つの芸術作品だ」とはファーブル先生の言。続けて、「私の思い付きを述べることを許して貰いたい。昆虫にも一つの美学がないであろうか。少なくともトックリバチには自分の作品を美しくしようとする傾向が見えるように思う。事実を述べて見ると・・・」と詳細な観察記録を感動しながら叙述している。

   ファーブル昆虫記は、前回書いたとおり、この狩人蜂が子ども(卵)のために獲物を殺さず昏睡状態にしてトックリ中に保管すること、
 昏睡状態の大きな獲物が動いても卵が壊れないような卵宙吊りの妙、
 そもそも獲物を殺すよりも何百倍も難しい麻酔の方法・・・が詳細な観察と実験記録で何ページも費やされて書かれている。

 最新の宇宙物理学なども驚きがいっぱいだが、ファーブル先生が観察した昆虫はある意味それ以上に未解明で驚かされる。

 日本では、私のようにファーブル昆虫記の一部しか読んでいなくても、ファーブル昆虫記という名前と「聖(ひじり)たまこがね(スカラベ)」の話ぐらいは多くの人が知っている。
 しかしフランスに行って(学者でない)普通の庶民と話をしても、「ファーブル?それ誰?」という程度なのだと読んだことがある。ファーブル先生はフランス人でその主な舞台は南フランスなのに。

 つい先日も生態・環境保全学の岩崎敬二先生から聞いた話だが、日本映画を輸出した折に、「雑音が多い」と不評だったという話も有名な話で、蝉しぐれや秋の虫の声で季節感やある種の心象風景を感じる私たちは地球上では圧倒的な少数派らしい。
 だから、何でも自分の持っている情報や思考回路が世界標準などと思わない方が良い。
 これはけっこう大事な観点ではなかろうか。

    顔中に証拠残して鶯餅
 

2017年4月27日木曜日

パノプティコンを許さない

   26日付け朝日の風刺漫画「パノプティコンを許さない」(やく みつる)は秀逸な作品だ。

 先の年度末で廃止され、今後は「不思議なホテル」にしようという話のある奈良少年刑務所がそうであったが、中央に監視塔(室)があって放射線状に獄舎を配置する『全展望監視システム』という監獄の建築思想が「語源」である。

 少し下世話な話になるが、リベンジポルノというものがあってリベンジポルノ防止法という法律がある。
旧奈良少年刑務所
   元交際相手への仕返しに裸の写真やさらにプライベートな写真や動画をネット等に公開して復習する犯罪である。

 言いたいことは、共謀罪法案の前提には盗聴や盗撮があるということで、先の参議院選挙では大分県警が民進党や社民党の利用している会館の人の出入りをビデオで盗撮していたが、それが当たり前の社会になるということだ。

 相当以前だが、自治会の役員として自治体の清掃事業部と話していたときに、自治体側が「家庭ごみの分別状況を調べてみると、共同住宅の分別状況の方が格段に悪いんですわ」と言ったことがある。
 「何でそんなことが判るのか」と尋ねたところ「抜き出して調査した」というので、その日はそんなことがテーマではなかったが、自治会役員一同で「家庭のゴミ袋を開封、調査するのは重大なプライバシーの侵害になる」と抗議したことがある。

 北朝鮮や中国の人権侵害を声高に糾弾しながら共謀罪法案で丸裸にされるのに気が付かないというのはいただけない。

   川柳 パノプティコン流行語の予感あり

2017年4月26日水曜日

軍拡は抑止力になるか

 ここ数日の記事について「解り難い」という指摘を受けた。複雑な国際情勢を単純明快に一言で述べよ!というのは酷な話で、「読みながら一緒に悩んでほしい」というのが私の正直な気持ちだが、そういうのは流行らないようだ。なので、無茶を覚悟で北朝鮮問題を単純に述べてみたい。

 1 金正恩の北朝鮮が核開発を進めミサイル開発を進めているのは、国連決議に違反する不当なことである。
 2 それを止めさせる為には、非軍事的制裁と6か国協議を基本とする外交で圧力をかけることである。
 3 事実、中国が非軍事的制裁に協力していることが大いに圧力になっている。
 4 反対に、「軍事的なあらゆる選択肢」がトランプや安倍晋三によって叫ばれているが、それは全く非現実的である。
 5 「あらゆる選択肢」が金正恩ら指導部をピンポイントで「瞬殺」する事を指しているとすれば、過去及び現在の米軍の実力をあまりに楽観的に事実誤認していると言わなければならない。つまり、ありえない。
 6 米日側がミサイルなり空爆なりで「圧力」をかけて方針転換を迫るというのは次の二つの点で現実的でない。 ①独裁国家の指導者は自身のカリスマ性が瓦解するような弱気と捉えられる妥協は一切できない。②軍事独裁国家は勝算がなかっても反撃しなければ指導部が存続しえない。
 7 よって「軍事的なあらゆる選択肢」は予想外の暴発を招くおそれを高い確率で含んでいる。
 8 つまり、「軍事的なあらゆる選択肢」は即、本格的な都市間戦争となる。その場合、在日米軍の出撃や安倍晋三の対米従属方針から、北朝鮮が日本列島を標的にするのは間違いない。
 9 その場合、日韓の一般住民が100万人死亡するというのが米軍のシュミレーションである。
 10 北朝鮮が複数のミサイルを同時に発射した場合、そのすべてを迎撃することはできないというのも常識である。仮に通常ミサイルであったとしても、日本の原発の全電源喪失が起これば、核攻撃と同じ惨状が生まれる。9.11時にアルカイダが一時アメリカの原発を標的にしたことを想起してほしい。
 11 以上のようなことは私が指摘するまでもなく常識に属することである。しかし、トランプ政権はほとんど官僚機構が構築されていない。日本は官僚の人事権が内閣府に一元化されたことで、政治(つまり安倍日本会議内閣)主導が極まっている。よって、ポピュリストの幼稚な判断がブレーキなしに実行される可能性がある。
 12 以上が私の言いたいことで、常識的には「先制攻撃も辞さず」などあり得ないが、トランプと安倍の「外交ど素人コンビ」は東アジアを滅亡させる暴発の可能性を秘めている。
 13 だから、北朝鮮を巡る情勢を「一言で語る」などということは考えずに冷静に考え、「軍事的選択肢」を評価するような政府与党、そしてマスコミの論調に惑わされず批判していかなければならないということをあえて言いたい。
 14 緊張が高まれば「強気の熱狂」が社会を覆い、理性的で冷静な意見が「北朝鮮の代弁だ」「売国的な弱音だ」というような問答無用のレッテルで封殺される。それは、北朝鮮問題を利用した「戦前回帰」政治を一挙に後押しするだろう。なので、解ったような顔で「戦争になんかならないだろう」と第三者的に冷笑する姿勢は良くない。

    木の芽時くしゃみの声響きおり

2017年4月24日月曜日

テロリストのお情け

   4月22日付け東京新聞の『本音のコラムーテロの標的』というのがFBにあった。興味が湧いたので、記事の中にあった本の著者のユスリー・フーダを検索して「図書館情報」を当ってみた。
 残念ながら国立国会図書館は東京本館にしかなかった(関西館にはなしだった)が、奈良県立図書情報館に1冊あることが判ったので車を飛ばした。

 情報館には、目指していた、ユスリー・フーダ著、師岡カリーマ・エルサムニー訳、『危険な道ー9.11首謀者と会見した唯一のジャーナリスト』白水社・・があった。

 私が先のコラムで一番興味を持った箇所・・そこには、アラブ世界でもっとも有名なジャーナリストである著者に対してアルカイダの幹部のムハンマド・アタ―が9.11後にこう語っていた。

   「(9.11の)標的について話し合うなかで、始めはいくつかの原子炉を攻撃することを考えた。しかし、収拾がつかなくなる恐れがあるので、やめた」。「・・最終的に私たちは、核関連施設を標的から外すことにした。少なくとも今のところは」。「今のところは、と言ったら、今のところは、という意味だ」「標的の選択は、できるだけ多くの死者を出し、できるだけ広範囲な混乱を引き起こし、最終的にはアメリカが、アメリカの地で、世界中が見ている前で、大打撃を被ることを目的としてなされた」と。

 これを読んで私は「やっぱり」と納得した。
 一時は、アルカイダでさえ原子力発電所の破壊が最も効果的だと考えていたのだ!!!
 9.11がアメリカの原発でなかったのは、以後のイスラム世界を含む国際世論を勘案して「今のところは」外しただけであった。
 テロリストの「分別」と「お情け」で今があっただけなのだ。
 ということになると、・・同じこと(つまり原発を標的にすること)を金正恩や北の指導者が考えないと思うのは、余程の楽天的なお人好しか世間知らずとなる。

 トランプと安倍晋三は、金正恩の「分別」と「お情け」を信じてチキンレースを仕掛けているのだろうか。何ということだ。
 テレビの中のコメンテーターたちが、「トランプにはすべての選択肢がある」というようにある種の危機感と「明るい展望??」を煽っているが、北のミサイルは日本人を除けて米軍基地にだけ着弾すると本気で思っているのだろうか。金正恩は絶対に原発を狙わないと本気で思っているのだろうか。彼らが窮鼠猫を食む前にピンポイントで「ボタンを押せる指導者全員」を一人も残さず「瞬殺」出来ると思っているのだろうか。だとすれば、あまりにリアリズムに欠けた夢物語ではないだろうか。

 そう、リアリズムの眼を以て考えてみると、仮に戦争が回避されてアメリカの航空母艦が北朝鮮海域から離れたとしても、「パワーを見せつけたので核開発は遅れることだろう」とかなんとかのトランプ流の解説を取って付けて、結局、その種のマスコミのおかげで「共謀罪」法案が通り、防衛予算が大幅に増額されたら、それだけでウハウハと喜ぶ面々が日米に少なくないということに誰もが気づくだろうが、それでは遅い。

 だから、いくら酒席の話としても、金正恩の先制斬首作戦など肯定的に語るのはやめよう。
 酒席の話としては、『安倍は国内で窮地に立ったら、金正恩に「ミサイルを発射して!」と頼んでいるらしい』というジョークぐらいにしておくべきだろう。

   川柳 連休にどこに行きたいと子にいわれ

2017年4月23日日曜日

フェイクニュース

 流言蜚語は前時代の遅れた現象では決してないと思う。 
 関東大震災のときは流言蜚語という言葉が当っていたかも知れないが、現代ではフェイクニュース(嘘の記事)とかPost-truth(ポスト真実)という方がふさわしい。
 トランプは4月13日にアフガンに大規模爆風爆弾MOABを投下して北朝鮮を威嚇し、日本のマスコミは揃って『15日にも空母カールビンソンが北朝鮮近海に到着して「あらゆる選択肢」つまり宣戦布告なき先制攻撃(金正恩斬首作戦を含む)がありうる』とのニュースを繰り返した。
 しかし実際は、当時カールビンソンはインドネシア周辺を南に向けて航行しており、即時北朝鮮に向かわせたというニュースはフェイクニュースであった。早い話がトランプのハッタリだった。

 無茶苦茶なのはトランプだけでなく、一連の軍事行動の導火線であった米軍のシリアへのトマホーク爆撃について、イの一番に安倍晋三は支持を表明したわけだが、国会(参院外交防衛委)では、共産・井上さとし議員「アサド政権が化学兵器を使用したという認識か」、外相「国際機関が調査中で、結果を待っている」。
 井上「空爆を容認する国際法上の根拠はあるのか」外相「米国の考えを聴取している」
・・というものだった。重ねて言うが、これは首相の「支持表明」後のことである。こういう国のことを社会学用語では「独立国」とは言わず「属国」というのである。

 マスコミは「あらゆる選択肢」というニュースを流して、なんとなく「ピンポイント金正恩斬首作戦」への支持を誘導しているように見える。
 ところが20日に外国特派員協会で会見した日米戦略研究フォーラム上席研究員グラント・ニューシャムは「それはフセイン斬首作戦より困難」と述べている。
 なお、米軍はフセイン追跡に幾日も要している。
 もし、ピンポイント金正恩先制斬首作戦が失敗したら、あるいは金正恩は死亡しても有力者が「反撃」のボタンを押せば、日本と韓国で100万人を超える死者が出るというのはアメリカのシュミレーション結果である。
 核ではない通常ミサイルであったとしても、日本海側に「どうぞ」と言わんばかりに並べられた原発のひとつ二つに「全電源喪失」が起これば、日本列島は地獄と化す。
 
 「軍事力ではなく外交努力で解決をはかれ」という話は一見「勇ましく」ない。
 しかし、トランプ流のハッタリは二度と通用しないから、その他の軍事的選択肢は、日韓を見捨てて北朝鮮に空爆を行い、米国本土の安泰を期する以外にない。
 
 散漫な記事になったが、現代の新聞・テレビは、関東大震災時の流言蜚語以上のフェイクニュースを流しているということを強調したい。
 金正恩斬首作戦というようなお伽噺に惑わされてはならない。

 トランプが再びハッタリを掛ける。金正恩はハッタリだと見透かして核実験なりなんなりを強行する。トランプはハッタリで振り上げた拳の降ろしどころがなくなって空爆をする。窮鼠金正恩は打ち返す。北朝鮮・韓国・日本で双方に相当な死者を出して米朝は休戦する・・一番現実味があって、起こって欲しくないシナリオはこうだと思う。
 弱虫だとか軽蔑の言葉が投げかけられても、「戦争するな」の声を上げていきたい。

 軍事力で脅して降参させるという瀬戸際作戦を主張するのは空想家だと思う。

   孵りなばすぐに恋する揚羽蝶

2017年4月22日土曜日

共謀罪、隣組、自警団

 流言蜚語というと私には極めて不愉快な思い出がある。
 小学生高学年のとき、隣のクラスの担任の先生が交通事故で亡くなった。
 休憩時間に、仲の良くなかった隣の組の集団が、「HはI先生の亡くなったのを笑っておった」と喧嘩を吹っかけてきた。
 すぐに私が「人でなし」のような噂が広まった。
 「I先生は姉の恩師でもあるから私が笑ったりするはずがないではないか」と強く反論してこの話は消えたが、流言の恐ろしさを小さいながらも思い知った。現にこの歳になっても覚えている。

 国会では法務大臣が答弁できないような共謀罪法案が審議されている。自公の絶対多数下では強行採決もありうる危険な状況で、声なき声をを声にして行かなければならないと思う。
 「心の中」を裁く共謀罪は、密告が重要な決め手になる。
 少なくないNHKの朝ドラの戦時下でも、隣組によるその種の密告の場面が多々あった。
 関東大震災では、それが自警団となって無実の朝鮮人が日本の庶民の手で虐殺されていった。(警察や軍によるものもあった)
 共謀罪のある社会は、庶民どおしを互いに監視させ密告させる社会となるだろう。
 そう考えるのが「歴史に学ぶ」ということだと考える。

 関東大震災の報告書を読みながら、共謀罪法案の恐ろしさを改めて噛み締めた。

   川柳  削除しても国会図書館に証拠あり       
 

2017年4月21日金曜日

災害教訓の継承

 昨日は朝日新聞が報じた内閣府HPからの「中央防災会議の報告書削除」問題について、「報告書 概要」に基づいて記事を書いた。
 
 そこで、もう少し確かめたくなって、20日、開館時刻を待って国立国会図書館関西館へ行き、中央防災会議平成20年3月発行の『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1923関東大震災 第2編』の貸出しを受け、問題の該当部分と想定される「第4章 混乱による被害の拡大」部分43ページをコピーした。(余談ながら、A4×1、A3×21、セルフコピーで650円は少し高くはないか)
 読んでみて、朝日新聞記事どおり「内容的に批判の声が多かった」ので内閣府がHPから削除したのだとしたら、文字どおり「災害教訓の継承」に対して不真面目な態度だと私は思った。
 
 諸外国の例を見ると大規模災害に乗じた暴動は少なくない。
 わが国でも、成立した「ヘイトスピーチ解消法」という法律が必要であると与野党が合意したほど潜在的な不安要因は膨らんでいる。
 そう考えると、すこぶる真面目に中央防災会議が過去の災害を検証して教訓を未来に生かそうとする「報告書」を、内閣府は広めようとしこそすれ、それをHPから削除することは適切でない。

 この章のまとめ的部分(P213)で報告書は、「住民や被災者の立場に立ったなら、人命救助はもちろん、消防の備え、炊出し、避難民の収容など、できる範囲で少しでも多くの人命を救い、また、多くの安心を与えるように行動することが、直接その人々を助けるだけでなく、混乱を予防して無用の災害拡大を防ぐ最善の方策である。災害が大規模であれば、テロとの関係などある程度の流言は避けられないし、混乱に乗じた犯罪も発生する。しかし、テロリストをにわか作りの自警団が捕まえることは、通常不可能である。一方で、人々が地域で協力し合いながら活動することは犯罪を予防するし、その中で、手近なカメラで街頭の状況を記録すれば、防災上の資料となるとともに、犯罪の防止にも効果があるだろう。治安の維持は災害に立ち向かう上で重要であるが、直接的な警備だけで達成されるものではない」と書いていることなどは極めて大切な示唆である。

 流言蜚語による朝鮮人の被殺傷者数は確定はしていないが、朝鮮総督府が死者・行方不明者832名に一人200円の弔慰金を支給した事実は、日本人の死者・行方不明者には一人16円の御下賜金であったことと比べても『特異な死亡』だったことを裏付けている。
 こういう流言蜚語を原因として日本人が朝鮮人に対して行った大量の虐殺を歴史の裏に隠したい人々が内閣府に「抗議」したのだろうか。

 また「コラム8 殺傷事件の検証」では、震災に乗じて9月3日に労働運動家・川合義虎ら10名が、労働争議で敵対関係にあった亀戸警察署に捕らえられ、習志野騎兵第13連隊によって亀戸署内あるいは荒川放水路で刺殺された「亀戸事件」や、9月16日に東京憲兵隊甘粕正彦憲兵大尉らによる大杉栄他2名殺害の「甘粕事件」にも触れているが、この種右翼の先輩たちによる無法な残虐行為を歴史の裏に隠したいというのが動機だったのだろうか。
 想像すれば、ここがポイントかもしれない。

 私には至ってまじめで学術的なレポートだと思えた。
 ヘイトスピーチ団体や日本会議周辺の右翼の「抗議」によって内閣府がHPから削除したのであれば、安倍内閣のモラルハザードも極まった感がある。

   街老いて泳ぐ鯉なき五月空

【追記】 朝日新聞20日付け夕刊によると、内閣府は「削除ではなく技術的問題」であったとして、今月中にも再度閲覧可能にするらしい。GWにでも一読されたらどうだろう。

2017年4月20日木曜日

砂けぶり二

 4月19日の朝日新聞に次のような見出しの記事があった。
 「朝鮮人虐殺」に批判、削除 関東大震災の記述 内閣府、HPから
 内容は、内閣府HPにあった「災害教訓の継承に関する専門調査会」の報告書が、「内容的に批判の声が多」かったので「削除した」というもの。
 実際に内閣府HPにアクセスするも削除されていた。
 ただネット上には「20年3月 1923関東大震災【第2編】「報告書の概要」が残っており、その第4章 「混乱による被害の拡大」には、・・・関東大震災時には横浜などで略奪事件が生じたほか、朝鮮人が武装蜂起し、あるいは放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じた。流言は地震前の新聞報道をはじめとする住民の予備知識や断片的に得られる情報を背景に、流言現象に一般的に見られる「意味づけの暴走」として生じた。3日までは軍隊や警察も流言に巻き込まれ、また増幅した。・・・とあった。
 報告書本文の小見出しも載っていて・・・
 第4章 混乱による被害の拡大
  第1節 流言蜚語と都市
  第2節 殺傷事件の発生
   コラム6 「天災日記」に見る流言蜚語と戒厳令
   コラム7 「河井清方日記」に見る余震と流言
   コラム8 殺傷事件の検証
・・・とあった。
 このことから想像すると、「朝鮮人を殺せ」などというヘイトスピーチを繰り返している右翼や、「新しい歴史教科書」の普及を謀っている日本会議あたりの右翼が、「流言蜚語で日本人が朝鮮人を殺害した」という事実を歴史から抹消したいがために内閣府に組織的に抗議行動を行い、結果、功を奏して内閣府が削除したのではないかと私は想像する。
 青木理著「日本会議の正体」などを読むと、そういう行動は彼等の基本の戦術であり常套手段だと思われる。

 以前に書いたが、『吾輩は猫である』のなかで漱石は、「凡ての大事件の前には必ず小事件が起こるものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る幣竇(へいとう:欠陥)である」と語っている。
 東京大学史料編纂所編「日本史の森をゆく」の中で小宮木代良氏は、「過去の出来事(事件)について、その「事実」に関しての共通認識といえるものが、その社会内で存続しうる条件は、事件後70年目あたりを境目に大きく変化するのではないか」と指摘している。
 だとすると、今私たちの目の前で起こっている内閣府HP「報告書削除」事件は大事件の前の大事な小事件であり、歴史偽造作業の真っ只中の事件なのではないだろうか。
 私たちは長い間「戦後を暮らしてきた」と信じていたが、正しくは戦前を暮らしているのではないかという反省というか自問が重要な気がする。

 最後に一言、・・・敗戦時、その存続が危ぶまれた大学が二つあった。神道を教学の柱としていた伊勢の神宮皇学館大学と国学院大学である。
 その危急存亡の秋に国学院大学の宗教研究室の主任教授になったのが折口信夫(おりくち しのぶ)で、学者であるとともに歌人でもあり詩人でもあった。
 はたして、日本会議周辺の神社本庁や神道政治連盟の人々はこの先達のことをお知りだろうかと私は疑問に思った。
 そして、関東大震災の翌年大正13年に折口が発表した詩「砂けぶり二」をご存知なのだろうかと。
 少しく長いので一部のみ紹介すると、折口は、
  夜(ヨル)になったー。
 また 蝋燭と流言の夜(ヨル)だ  ・・と、詠い。
 かはゆい子どもがー
  大道で しばって居たっけ
  あの音ー
     帰順民のむくろのー。  ・・と、詠い。
  (初出では)
  おん身らは、誰を殺したと思ふ
  陛下のみ名においてー。
  おそろしい咒文だ。
  陛下万歳 ばあんざあい  ・・と告発していたことを。

 私は今、新潮選書 上野誠著「魂の古代学 ――問い続ける折口信夫」を読み返しながら、安倍内閣周辺の「戦後レジームからの脱却」「戦前復古」のスローガンの薄っぺらさを再確認した。
 歴史修正主義=歴史の偽造を看過してはならない。

 関連して折口はこうも言っていた。
 ・・・大正12年の地震の時、9月4日の夕方こゝを通って、私は下谷・根津の方へむかった。自警団と称する団体の人々が、刀を抜きそばめて私をとり囲んだ。その表情を忘れない。戦争の時にも思ひ出した。戦争の後にも思ひ出した。平らかな生を楽しむ国びとだと思ってゐたが、一旦事があると、あんなにすさみ切ってしまふ。あの時代に値(ア)つて以来といふものは、此国の、わが心ひく優れた顔の女子達を見ても、心をゆるして思ふやうな事が出来なくなってしまった。・・・

 共謀罪は、折口が落胆した時代を復古させるものだろう。それらと歩調を併せて削除された報告書を近く国会図書館で読もうと思う。

   苗コーナートマトとキュウリと万願寺

2017年4月19日水曜日

拝金教徒の本心

   シリアのIS(イスラミック ステート)がパルミア遺跡や博物館を破壊したのは言語道断だ。アフガンのタリバーンがバーミヤンの大仏像を破壊したのも同じだ。

 ただ、あまり報じられていないが、アメリカが北朝鮮に対するデモンストレーションのために大規模爆風爆弾MOAB(モアブ)を投下したアフガンのナンガハル州もガンダーラ仏教遺跡の宝庫である。
 
 タリバーンの破壊行動に比してMOABの非道を批判する声の小さいのはなぜだろう。
 結局、テレビに代表されるマスメディアのアメリカに忖度した報道姿勢で、「何でも知っている」と思いこんでいる国民の大多数が誘導されてはいないだろうか。

 さらに私は、この遺跡がもし古代キリスト教の遺跡だったならトランプは投下しただろうかと考え込む。
 そういうレベルの感慨を語ると幼稚だと笑われるかもしれないが、現代のアメリカが戦争を仕掛ける土地は「異教徒」の土地ばかりのように思え、イスラム原理主義のコインの裏側のように私は感じている。
 
 ところで極東の「異教徒」の島国では、山本地方創生担当相が文化財の観光振興に関わって「一番のガンは学芸員。普通の観光マインドが全くない。この連中を一掃しないと」と発言した。
 私はこの発言に驚きもしなかった。
 なぜなら、奈良の若草山にモノレールを施設したりするのに反対する人々が主張した『奈良県風致地区条例でも「原則的に現状を凍結的に保存する」となっているではないか』という意見に対して、奈良県知事が県議会で『「凍結保存」は研究者の言葉であり、考古学一派の言葉だ』と以前に侮蔑していたからである。

 ここには、そもそも事実に対する大きな無知がある。
 圧倒的な学芸員も考古学者も「文化財は研究のみにある」などとは主張しておらず、それよりも「国民共通の歴史遺産は大いに公開展示する」と実際に主張し行動している。

 なので、地方創生相も奈良県知事も、「それでは物足りない」「歴史は大河ドラマ程度で良い」「復元や展示はテーマパーク程度で良い」とする拝金教徒の本心を吐露したものだろう。
 この国の文化財を破壊しようとしているのは自公維などの拝金教徒である。

   花筏文化守れの声のごと

2017年4月17日月曜日

施設介護の前

   午前中は介護施設家族会の年次総会を行い、夜は役員と施設スタッフ幹部との懇親会を行った。
 懇親会では自己紹介的に順番に語ったのだが、そのどれもが形ばかりの自己紹介ではなく、決してそういう話を求めたわけではなかったが、非常に赤裸々な介護の体験談であった。

 共通して、家族介護で頑張り通してきたのだが、いろんな条件が重なって家族崩壊寸前まで行っていたということで、入所が叶い「生き返った」というような話が生々しく語られた。
 その具体例をここに記載すれば大いに参考になる方もおられるだろうが、少し胸が詰まって書くことができない。

 無責任に「親を見捨てた」人など誰もいない。
 しかし今も、厳しい企業社会の中で「自己責任論」の同調圧力の中で、泥沼のような自己犠牲で悩んでおられる方も多いことだろう。
 どうしたら、そういう方々に体験者の話を伝えることができるだろうか。
 
 政府・自公維は、衆院厚労委で「森友隠し」のために介護保険法改正案を100%審議抜きで、抜き打ち強行採決した。
 自公維には地獄の釜を覗いて来た介護者の気持ちが全く分かっていない。
 「介護うつや介護自殺者の気持ちがよく判る」というのが経験者の実感である。
 介護保険法改正案は6年に1度の大改正、否大改悪だ。
 それは日を改めて書きたい。

   決めたのは誰なのですか春は青

2017年4月16日日曜日

堺幕府のこと

 標記のことは2013年8月4日に「堺時代」というタイトルで書いたが、先日から少し堺憑いているので、二番煎じになるが再び書く。

 歴史の時代区分は、奈良時代、鎌倉時代、江戸時代のように、通常その時代の権力の所在地の名を付けて呼ばれているから、私は常々安土桃山時代の後半は「大坂時代」と呼んでほしいと思っている。
 さらに、もう少し夢を語らせてもらえれば、どこかの出版社あたりが室町時代の一時期(五年間)は「堺時代」だと、日本史年表の中にスリットのようにでも記述してもらえないかと夢見ている。

 それというのも、大永七年(1527)桂川の戦いで、足利義雄を擁した三好元長・細川晴元軍が第十二代将軍足利義晴軍を打ち破ったため、義晴将軍は京を脱出し室町幕府が崩壊した事実がある。
 代わって足利義雄は朝廷から「従五位下 左馬頭」に任官されたが、この官位は近い将来征夷大将軍に就くものが従前に受ける官位である。
 このため足利義雄は「堺公方」「堺大樹」「堺武家」など現役の将軍の名称で呼ばれたし、義雄の政権は堺の地で幕府形式の独自の文書も発給し、故に少なくない中世史研究者はこれを「堺幕府」と名付けている。

 堺幕府は内紛で天文元年(1532)に瓦解したが、室町幕府の終焉、戦国時代の幕開けを準備したことは間違いない。

 2013年に前回の記事を書いてから4年が経過した。
 再び堺市長選挙の年となり、巷間、最近までテレビアナウンサーとして有名であった何某が維新から出るとか出ないとか。
 松井知事と吉村大阪市長は卑怯な「勝つまでじゃんけん」で再び大阪都構想を打ち出している。
 その財源のために堺市を吸収したいのは見え見えだ。
 堺市民には今回述べた堺の歴史と先人の矜持を思い返して、屈辱的な大阪都構想を粉砕してほしい。

    ここは何処日本語聞こえぬ春の奈良

2017年4月15日土曜日

鹿さんデビュー

 13日の記事で「東大寺では日本語が聞こえない」と書いたが、14日の東大寺には日本語が帰ってきていた。
 その限りでは目出度い話だが、・・・新学年スタート1週間で遠足や修学旅行というのも、少しイビツな感じがするのは時代遅れだろうか。
 それ(新学期早々の遠足や修学旅行)が全く当然のように次から次へと続いていた。
 受験戦争のために「邪魔なもの」は手早く処理しておこうということだろうか。
 その判断の適否についてモノ申すほどの知識はないが、私の感覚では正直少し驚いている。

   さて、孫の凜ちゃんは体が弱いので各種デビューがままならないが、14日は気候が良かったので短時間だが「鹿さんデビュー」をした。
 どんな風に反応するのか興味があったが、結果は全く泣いたり怖がったりせず、大いに喜んで積極的に触りに行っていた。
 実際に触ったり舐められたりもした。
 知らないことによる怖いもの知らずなのかもしれないが、見ていて楽しかった。
 私たち、母親と祖父母が「しかさ~ん」と声を出して楽しんでいたので、自然に鹿は「怖くない楽しいものだ」と信じたのだろう。

 マイカーにはいつでも鹿と遊べるようにドングリを積んであった。
 奈良の鹿には、鹿せんべいかドングリが良いからで、キャベツなど野菜クズを覚えさせると畑を荒らすようになるので「やめて」と言われている。
 周囲の外国人の手にもドングリを乗せてあげて、手の平をお皿のようにして鹿にあげるようジェスチャーで教えてあげた。
 みんな大いに喜んでくれた。
 ああ、シリアの人も北朝鮮の人もここで交流したいものだ。

 花吹雪で桜の花びらを鼻先に付けて凜ちゃんのところに来た子鹿もいた。
 後で大仏様に今日の楽しいひと時を感謝しておいた。
 心造諸如来〔心はモロモロの如来を造る〕(以前の写経のときに教えていただいた)。

   鼻先に花びらつけし子鹿かな

2017年4月13日木曜日

地球人の分類

 テレビの「ちゃちゃ入れマンデー」という番組で近畿の2府4県のお国自慢のような話があって、画面の向こうに並んだ芸人たちが盛んに「奈良には何にもない」という言葉を繰り返していた。
 無理もない、芸人たちが「ある」というものは「張りぼてのテーマパーク」のようなものが「ある」であって、鹿も平城宮祉も寺社仏閣も、「何もない」というカテゴリーだと笑い飛ばしていた。その上で「奈良(県)はPRが下手だ」と忠告していた。
 そこで私が奈良県知事ならと考えると、キャッチコピーは『奈良にはホンマモノしかない。ホンマモノに興味のないミーハーは奈良に来るな』としたいがどうだろう。

   妻が奈良の人から隠れたお花見ポイントを聞いてきたので、早速、握り飯を握り、だし巻き卵を焼いて、缶ビール2本とともに出かけてみた。
 佐保川の堤は情報どおりの立派な風景だった。
 そしてそこは奈良公園や有名寺社とは少し離れた場所だったのだが、なんと諸言語が飛び交い、注意書きのポスターも中国語と韓国語が日本語と並んでいた。
 先日の記事で、「東大寺の参道は、想像するに海外の有名観光地よりも日本人が少ないのではないか」と書いたが、そこで飛び交う言葉は99%が外国語だった。

 それはこんな場所にまで広がりつつあった。
 そこで思うのだが、地球上の人類を分類すれば、「外国人対日本人」という分類以上に、「情報弱者対情報についていけている人」に分けられているようだ。
 情報弱者とは、「奈良には何もない」的なテレビで知り得たメジャー?な情報しか知らない人で、ここを含めて現代の奈良を歩いている人はインターネットを操って日々新しい情報を得た人のように見える。

 おまけの話になるが、奈良に限らず観光地の主人公はお婆さんのグループである。お爺さんのグループというのは全く見ない。
 妻に言わせると、「歳をとった女の人は人に生き、男の人は趣味に生きるから」だそうだ。ただその情報の源はこの記事で軽蔑したテレビらしい。

   花吹雪ビアグラスでパッと受け

2017年4月12日水曜日

日本会議に関する2冊の著作

   一昨年来、日本会議に関する出版が幾つか続いた。
 私は少しへそ曲がりだから「日本会議の解説など今更してもらわなくてもいい」と購入しなかった。
 そんな折、菅野完(たもつ)著『日本会議の研究』が販売差し止めの仮処分を受けたことを知った。
 ただ、6箇所の申し立てに対して裁判所は1箇所の記述についてだけ「著者(菅野完)の説明以外に客観的な証拠がない」とした・・・ということは、その1箇所以外は基本的にデタラメでないということかも知れないと思って私は本屋に走った。
 当然といえば当然だろうが、仮処分前には並んでいたコーナーにそれはなかった。
 なので、著者もしっかりしている?青木理著『日本会議の正体』を購入して帰ってきた。この本は非常に為になった。

 さて、今年3月、不思議な光景が続いた。
 最初は森友学園籠池泰典氏の記者会見だった。
 籠池氏が所属と氏名を名乗らずに質問していたジャーナリストに問うたところ、「フリーの菅野です」と答え、それに籠池氏が「菅野? あ、菅野さんかー(笑い)。あんたが菅野さんかー。」と嫌な顔をせず?応じたことだった。
 それから数日して、マスコミが大挙して籠池氏の追っかけをすると、なんと、その菅野氏が今度は籠池氏のスポークスマンのように、更に言えば代理人のような感じで登場してきたことだった。何だ、この人物は$%&??

   そういう最中の3月31日、その森友事件とは直接リンクはしていないが、裁判所は『日本会議の研究』の販売差し止めの仮処分を取り消した。
 で、今度は走って行ったわけではないが、たまたま覗いた書店にそれは復活していた。
 事実上の1行分が黒塗りにされているのが御愛嬌であった。

 この本を読み終えてから著者菅野完氏をネットで検索すると、Wikipediaでは元部落解放同盟の極左、その後「反原連」を女性問題で出て、「しばき隊」を金銭問題で出て、今は「保守・右翼」と書かれていて、少々複雑怪奇だが、著書は実証的で感も鋭い感じがした。
 私には、本としては、『日本会議の正体』よりも『日本会議の研究』の方が面白かった。

   断片的には知っていた日本会議や右翼の事柄がどちらもよくまとまって整理されていて理解は確かに深まった。
 『研究』で知った安東巌氏を注目したいとも思った。『正体』には安東巌氏は出てこなかったように記憶している。
 著作の限りではWikipediaの人物評ほど奇妙奇天烈とも思わなかった。
 それらは各自で評価していただきたい。

   土筆んぼ母は写真を解説す

   

2017年4月10日月曜日

「良いことも書いてある」か

    俳句で「花」といえばそれだけで「桜」だが、そこまで言い切ってしまってもよいのだろうか。
 桜も花見も嫌いな方ではないが、4月9日の朝日俳壇・大串章選にあった、戦争に人を束ねし桜咲く(東京都)三角逸郎 の感性も大事なことだ。
 評には『「同期の桜」を思い出す。「咲いた花なら散るのは覚悟・・・」が悲しい』とあった。単純に桜に反発せよ忌避せよと言うつもりはさらさらないが、ものごとにはいろんな角度や側面があることを忘れないことが大切だと振り返らせてくれた句だ。
 同じ歌でも「思い出のアルバム」では『桃のお花もきれいに咲いて もうすぐみんなは一年生』と歌い、今では一人前の母親の顔になっている娘の卒園式を思い出す。
 写真は、我家自慢の『源平枝垂れ花桃』
 
 卒園のアルバムの花は桃の花


 安倍内閣の大臣方や日本会議議員連盟の民進党の一部議員も含む国会議員が「教育勅語には良いことも書いてある」と口を揃えている。
 小藪何某などお笑い芸人の一部もテレビの中で同じようなことを言っている。
 私はそんな折、記者やアナウンサーには「そうであれば、次のような「綱領」も学校教育で使用しても良いとお考えですか」と尋ねてほしいと思う。何れにも信義や礼節が述べられている。

 一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。
 一、外は接するに愛念を持し、信義を重んず。
 一、長幼の序を弁え礼に依って終始す。
 一、世に処するに己の節を守り譏を招かず。
 一、先人の経験を聞き人格の向上をはかる。

 「柳」印は東。すなわち大木に宿る太陽を意味し、正義人道のあかるい前進を示す。
 「川」子を中心に父母相抱く平和の姿を意味し、心を一つに結び合い、強い団結力を示す。
 「仁」博愛の精神。すなわち道徳であり、人の道を守ることである。寛大な心の錬磨とともにすべてが培われる。
 「義」物事の理に叶うことである。自分の利害を考えずに人のために尽くす義理の厚い人でなければならない。
 「礼」敬意であり作法である。先輩を敬い朋友相扶け後輩を導く礼に失することなかれ。

 以上は、たまたまネットで見つけたものだが、前者は「山口組の綱領」、後者は「神戸山口組柳川組の綱領」である。
 「良いことも書いてある」論が如何に不適切かは論を待たないだろう。
 それとも先の面々は、「綱領から外れた暴力団員が良くないのであって、暴力団の綱領は悪くない」「良いことも書いてある」とおっしゃるのだろうか。

 朝日新聞の報じたところでは・・・
 自民党の船田衆院議員は6日、自身のブログを更新し、戦前・戦中の「教育勅語」を教材で使うことを認めた政府答弁書について、「いささか違和感を覚える」と批判した。 
 船田氏は教育勅語について「戦前の軍部や官憲による思想統制の道具とされてしまったことは言うまでもない」と指摘し、1948年に国会が排除・失効の確認を決議した事実を強調。その上で「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」とした政府答弁書を引用して、「『憲法や教育基本法に反しない形』で教育勅語を教材に使えるのだろうか」と疑問を呈した。
 ・・・作新学院の学院長として私学教育に携わってきた人のこれが常識だろう。

 テレビは、それでもまだ「良いことも書いてある」という意見を批判もなしで流し続けるのだろうか。

 なお、「良いことも書いてある」派の人々が引用している現代語訳なるものが非常に作為的に「マイルド」な戦後制作の「不当表示」であって、戦前の文部省自身「命をささげて皇室の爲につくせ」と指導していた(第五期修身書)こと、あるいは明治天皇上覧の「官定解釈」といえる「勅語衍義(えんぎ)」では、「国家の為めに死するより愉快なることなかるべきなり」と率直に記されていることは、このブログの4月6日の記事に書いている。

   藪のきは鶯が経おち椿

2017年4月9日日曜日

本当の保守主義

   中島岳志さんのインタビュー記事が赤旗日曜版4月2日号に掲載された。
 橋下徹氏の大阪都構想を批判し橋下氏から強烈に嫌われた学者の一人である。
 大阪外大卒、京大大学院、ハーバード大客員研究員、北大准教授を経て東工大教授。テレビの報道ステーションのレギュラーコメンテーターでもあった。
 『リベラル保守宣言』という著書もあるそうだが私は読んでいない。
 著書のタイトルのとおり、氏は自身を保守主義者だと名乗っており、そういう立場から社会(政治)の現状を要旨次のように分析し主張されている。

 本来の保守思想は、リベラルで、「議論」を重視し、自分以外の「他者」の言い分や叡智を尊重して合意形成をはかるものだが、安倍政権やその周辺で「保守」を標榜している人たちは真逆である。
 自民党が本来の保守でなくなった転換点は中曽根内閣で、ラディカルな市場主義、小さな政府、官から民への規制緩和・・・、こういう新自由主義路線だ。
 本来の保守からいえば、資本主義には一定の歯止めが必要で、国家が一定の再配分を行い、秩序を安定させないといけないのに、市場の論理が全てに優先されている。
 安全保障でも、アジア諸国と良好な関係を保ちながら、軍拡ではなく「同盟」の方向に漸進的に進むべきだ。
 日米安保堅持・拡大はリアリズムでなく、そういう古い思い出にすがっていると、時代に追い越される。
 だから、政策的には共産党とだいたい同じで、例えば憲法9条で共産党は自衛隊の存在は暫定的には認め、将来の問題としては軍事的なもののない社会をつくるというビジョンを持っている。
 そういう絶対的な理念を掲げることは大切なことで、カント哲学でも言われている。
 私のような保守の立場の者が「政策から政党を選ぶ」インターネットのシミュレーションをやると、何回やっても共産党を選んでしまう(笑い)
(引用おわり)

 中島岳志氏のような感慨は私も奈良で度々味わってきたことで、県知事や奈良財界は、若草山にモノレールを造ろうとか、奈良公園の規制を解除して高級ホテルを建てようとか、平城宮跡を舗装してテーマパークのようにしようとかの計画を打ち出し、反対に、寺社に隣接する自然環境を守れ、土中の正倉院といわれる平城宮跡の木簡を守れ等々と主張して最も徹底して運動しているのが政党では共産党だという事実である。

 奈良における良心的な保守の意見は共産党が代弁している。
 だから、「本当の保守主義を貫くと共産党と共鳴する」というのは身をもって感じていたところだ。
 「保守本流は安倍政権を批判すべき」という氏の主張には納得できる根拠と理性が感じられる。

 中島岳志氏が、資本主義には一定の歯止めが必要で、国家が一定の再配分を行い、秩序を安定させないといけないのに、新自由主義の選択がそもそもの誤りの出発点であったと指摘していることの持つ意味は大きい。
 しかるに安倍政権は、国の基本方向を議論する財政制度審議会会長に日本経団連の榊原会長を就任させる。
 さらには、シリアでの検証も何もなしでトランプのトマホーク爆撃を支持した。
 対米従属、財界第一が露骨である。
 本当の保守の方々も勇気をもって発言していただきたい。

   仰ぐ空花に嵐の例えあり

2017年4月8日土曜日

隕石と原発

 人間、あんまり緻密に心配し過ぎると呼吸困難になる。結果、非科学的であっても一定の怖さを忘れて「なんくるないさー」と生きるのもあながち不正解というわけでもないような気がする。(???????)
 そんな折、朝日新聞が4月2日、科学の扉・・「想定外」を考える・・地球に小惑星衝突の危機という解説記事を掲載したから、少し心配事を思い出した。


   2013年2月15日、ロシア南西部チェリャビンスク近郊に落ちた隕石は、電気通信大柳沢教授によると、地球大気に秒速19キロで突入し、高度30キロで爆発。衝撃波が市街地を襲い、半径30~40キロの範囲で窓ガラスが割れ、1500人以上のけが人が出た。直径は約20m、爆発規模は原爆の約30倍だった。

 1500人の負傷者には全く申し訳ない言葉になるが、確率の話に限定すると、東京都区内の人口密度15,077人/㎢、大阪市内同11,980人/㎢に比して、チェリャビンスク41人/㎢は不幸中の幸いだったような気がする。(注※)
 しかし人間という奴は、この偶然のラッキーを感謝するするのでなく、危機管理を忘れて今がある。
 直系100mの天体が秒速20キロ、角度45度で大気圏に突入したときの衝突エネルギーは広島型原爆の4千倍と新聞には書かれていた。
 
 チェリャビンスクであったことが少しずれていて日本列島上空だったなら、いくつかの原発の電源は完全に喪失するだろう。
 で、日本列島が死の島となったとき、政府は「想定外だった」と声明を発表するに違いない。
 5月に、世界中の専門家が集まり、天体の地球衝突を議論する「第5回プラネタリー・ディフェンス・カンファレンス」が開かれるらしい。
 その折には天文学者はこう言ってほしい。それでも原発を再稼働しますか。

  ほんとうに不幸中の幸いだった。チェリャビンスクにはソ連の核施設があった。今も再処理施設として稼働している。もしそこに衝突していたらどうなっていただろうか。あまり知られていないがそこでは1957年9月29日に爆発事故があり、それ以前からの垂れ流し事故も含めて数百人が死亡していたが、それを世界が知ったのは32年後の1989年だった。爆発時の放射線飛散量はチェルノブイリ事故の40%程度だったらしい。・・・これでも私たちは、未来の〔ある日〕、「想定外だった」「私は知らなかった」というのだろうか。

   天体衝突の小論を読んで
   流星は線香花火規模がいい

2017年4月7日金曜日

河内王朝論

   先日から5世紀の百舌鳥古墳群についていくらか書いてみたが、質問、反論も含めてほとんど反応がなかったから、私の記事が余程稚拙過ぎたのだろうと反省している。
 百舌鳥の3人の天皇陵の治定などは相当私のオリジナルな意見だったのだが・・・。
 それにもめげず、今回、その続きを書こうというのは馬鹿げているに違いないが、乗り掛かった舟である。
 テーマは「革命かクーデターか河内王朝は存在したのか?」である。

 さて、書紀によると、仲哀天皇は神功皇后に乗り移った神の言葉を信じなかったので九州で急死した。その後神功皇后は武内宿禰と三韓征伐に赴いた。神功皇后は懐妊していたが石を腰に当てて出産を遅らせた。仲哀死後十月以上経過して生まれたのが応神でそのため胎中天皇ともいわれている。神功が応神を伴って大和に帰るのを仲哀の(神功以外の)別腹の王たちが武力で阻止しようとして戦った。住吉大社の古文書には住吉の神が神功皇后と結ばれたとある。これらの物語から想像されるのは、応神は仲哀の子ではなく武内宿禰の子であろう。故に崇神から続いて来た大和王朝は仲哀で終了し応神以後の河内王朝が誕生したと言えなくもない。
 以上については粉飾いっぱいの日本書紀を中心に荒っぽく書いてみただけなので、軽く読み飛ばしてもらいたい。

 以下、少し真面目に河内王朝論を書くが、先にバラしておけば、先の3人の天皇陵治定とは違って、ほとんどの論拠は小笠原好彦先生の説によっている。だから、私の説というよりも小笠原説を要約しただけである。

 1 河内王朝論の前提として、墳墓(天皇陵)の位置で王朝の所在地を議論することは正確でない。巨大前方後円墳築造の地と王朝の所在地はイコールではない。つまり、本来は王宮(宮都)の所在地で議論すべきである。
  4世紀の巨大前方後円墳が当初の奈良盆地南部の「大和、柳本」から、盆地北部の「佐紀」に移っている事実があるが、そのことをどの学者も「王権の移動」とは捉えていない。
  つまり、王朝の中枢部が移ったのでなく、王朝(大和連合)内部の主流派氏族が変わっただけ、あるいは墓域が変わっただけなどと考えている。基本的には河内の古墳も同じことである。
  ただし、残念なことに王宮の考古学的な発掘調査はほとんど行われていない。

 2 今でこそ奈良県と大阪府であるが、河内は元々大和の玄関のようなものであって、大和王権の影響下にあった。
  古代は河川と海こそが主要幹線であったから、河内抜きの大和はない。
  大和と河内を別の地域と捉えるのは後の概念である。

 3 河内(和泉を含む)には、大和における和邇氏とか大伴氏、蘇我氏、巨勢氏、葛城氏、平群氏というような記紀にしばしば登場するような有力な氏族は存在しなかった。
  志紀首、土師連、林臣、大鳥連等々記録にある氏族は何れも小氏族で、力を付けた河内の豪族が大和の王朝を倒した、あるいは実質を奪ったとは考えられない。

 4 4世紀から大和王朝はそれまでも縣(あがた)などを開拓して経営地盤を増強していたが、5世紀の王朝は河内の開拓に本腰を入れたと見るべきだろう。
  巨大古墳の築造は周辺の大規模開拓を伴ったことに注視すべきだろう。

 5 5世紀は高句麗の南下による韓半島の緊張、新軍事力としての馬や馬具や甲冑の導入、誇示のための巨大古墳築造などを図ったので、今に見る古市・百舌鳥古墳群が出現した。それらは技術革新著しかった5世紀の古墳の結果論である。
  5世紀の目覚ましい技術革新の理由を「民族征服」「王朝交代」に求めるのは単純である。

 6 以上、あえて言えば仲哀天皇の直系 VS 武内宿禰・神功・応神軍のクーデター的なものである。大和王朝を倒して河内王朝が誕生した事実(証拠)は文献上も考古学的にも見つけることができない。

 7 新羅に源を持つ「騎馬民族が征服した王朝」という話も面白いが考古学上の証拠はないというべきだ。よって、大阪の皆さんには少しあいそがないかも知れないが、どうしても河内王朝論は成り立たない。申し訳ない。

   鯉のぼり孫より爺がはしゃいでる    

2017年4月6日木曜日

教育勅語の虚飾訳文

󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁󠄁アレハ義勇󠄁󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂󠄁

明治二十三年十月三十日

御名御璽

 以上が教育勅語の原文である。
 安倍内閣は以上の教育勅語について、「憲法や教育基本法に反しないよう適切な配慮の下で取り扱うことまでは否定しない」と閣議決定した。
 稲田朋美防衛相の説明によれば、3月8日の国会で、「教育勅語の核である、例えば道徳、それから日本が道義国家を目指すべきであるという、その核について、私は変えておりません」と答えている。
 しかし、アレレ、教育勅語の原文には「道義国家」という言葉は使われていない。
 なので、彼女がその言葉を使ったのは、明治神宮のホームページに載っている、国民道徳協会の訳文に基づいて彼女が理解しているとしか考えられない。(󠄁惟フニの冒頭部分を引用すると「私は、私たちの祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます」とある)
 国民道徳協会の訳文なるものは、ゴリゴリの右翼として有名な佐々木盛雄が1972年に発表した訳文で、意図的に「良いことも書いてある」と言うための、引用した文言のとおり見てのとおりマイルドな不当表示、誇大広告である。

 よって理性を尊ぶ皆さんは、頭書の原文と関連する公式記録を冷静に検討してもらいたい。
 全文を対象にすると分量が大きくなるので、最も焦点と思われる「一旦緩󠄁󠄁アレハ義勇󠄁󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」の部分を検討する。
 国民道徳協会の訳文は、「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」である。
 しかし、1940年の文部省の公式現代語訳(現代仮名遣いに改めて引用)は、「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室の爲につくせ」であった。
 それが、1945年の第五期修身書(初等科修身)では、一身を捧げてが「命をささげて」と変わっている。
 明治天皇の上覧を得た「官定解釈」とされている井上哲次郎の「勅語衍義(えんぎ)」では、「国家の為めに死するより愉快なることなかるべきなり」と率直に記されている。
 これらの歴史的事実を虚飾の訳文を根拠に歪めようとすることは犯罪行為に等しい。

 こういう歴史的事実のために、1983年、84年中曽根内閣時の国会では、島根県の私立高校で校長の朗読に合わせて生徒が立って一緒に読んでいること」について瀬戸山文部大臣は、「率直に言って遺憾なこと」「現在の憲法、教育基本法のもとでは不適切」「島根県を通じてそういうことのないように指導をしてくれと、勧告をしておる」と答弁し、「島根県当局に・・指導して参った」「私学の当局者に指導を繰り返してきております」と報告している。

 安倍内閣のレベルの低さ、右翼的戦前回帰は明らかだろう。
 以上のような事実が広がってくれればよいがと思っている。

 斎藤美奈子さんのコラムがいいので追記。


   ひばり鳴き静かな花見はちと寂し

2017年4月5日水曜日

医師の労働時間

ネットから
   日本医師会の横倉会長は3月29日、労働者である医師(勤務医)について「患者から診察を求められた場合に正当な理由なく拒むことができない『応召義務』があることなどを踏まえ、時間外労働の規制の対象外とすること」も含めて議論すべきだと考えを示したことが、テレビや新聞で報じられた。
 これは日本病院会会長が厚労相等に要望書を提出すると伝えられていたものを追認するもので、早い話が病院の経営者の意見である。

 「患者を見捨ててもよいのか」的なものの言い方は一見妥当なように見えるが、他人の命にかかわるような仕事は医師だけだろうか。
 高度な技術社会では、病院の設備に対応すべき院外会社の労働者もみんな欠けてはいけないポジションでないか。
 高齢者や障碍者の施設の介護職員だってそうだろう。
 原発の保安職員はどうだ。

 結局このように言い始めると際限はなく、こう言っては何だが、「労働基準法を守ったら労働者を首にしなければならない」などと居直る悪質経営者のそれと何ら変わらない。
 ほんとうに緊急事態が起こったら「緊急の対応」があっていい。
 それを労働基準監督署が「違法だ」として罰則の対象にしようとするなら「少し四角四面でないか」となるが、そんなことは起こり得ないと信じている。
 すぐにアメリカの真似をしたがる為政者たちが、欧米の消防士や警官が労働組合を結成してストライキ権も行使している事実にはだんまりだ。

 『看護婦のオヤジがんばる』の映画ではないが、先と同じような理屈で昔は看護師が無制限に働かされていた。
 医師もインターンという名で無給で「奉仕」させられていた。
 その後の「研修医」も長い間「滅私奉公」を求められていた。※
 そういう視点から先の「見解」を見直してみると、早い話が医師の増員=人件費増を嫌がる三流病院経営者の我儘にしか見えないと言ったら言い過ぎだろうか。

※ 1998年関西医大滝井病院で研修医が過労死し、関西医大は「研修医は労働者でない」「研修のために自己責任で働いていた」と徹底的に非協力的だったが、北大阪労働基準監督署は「研修医も労働者である」「違法残業があり不払い賃金がある」「当該者は過労による死亡であるから労災である」と認定した。この事件の結果、日本中で研修医の酷使が一定程度是正され労働環境が改善された。これが歴史的事実である。先の2会長の見解はこういう歴史に逆らう大いに後ろを向いた見識だと指摘しておきたい。

   今日通過あほでもわかる花前線

2017年4月3日月曜日

長時間労働の効果

   「忙しいという字は心(こころ=りっしんべん)が亡ぶと書く」とはあまりに的を射ている話だと、電通過労死事案などを見ていて感心する。
 「何で死ぬまで働いたの?」とは他人が後から言えるもので、長時間労働と睡眠不足では「心が亡び」、正常な判断力を奪ってしまう。
 極度の長時間労働や業務による心理的ストレスは鬱病等の精神障害を呼び、その種の精神障害は多くの場合自殺念慮を呼ぶ。
 このために、本来「故意に負傷・・死亡・・は政府は保険給付を行わない(労災保険法第12条の2)」のが大原則の労災保険制度で、究極の故意に見える「過労自殺」が業務上災害=労災と認定されるのだ。

 近頃は「新しいタイプの鬱病」などがあるともいわれるが、多くの場合業務によって鬱病になるのは「タイプA」と呼ばれる模範社員タイプである。
 そういう真面目な模範社員を企業や社会から排除して「生産性」もないものだ。
 なのに何故、政府・財界は長時間労働を続けるのか。彼等の深謀遠慮はもしかしたら一般人の想像を桁違いで超えているのかもしれない。

 先日ある人から、「平和や原発の課題で労働組合の動きが弱い」「若い人の参加が少ない」という嘆きの言葉を聞いて少し考えた。
 マスコミの影響、教育の影響も大きいかも知れないが、労働者は人手不足と成果主義でへとへとなのではないだろうか。
 長時間労働は心を疲弊させ、考えることをつらくさせる。
 テレビぐらいはしんどい話をやめて、気楽にアハハと笑って済ませたい。
 つまり、長時間労働は政府・財界にとって、幾ばくかの戦力喪失以上に価値があると「深謀遠慮」の参謀本部は考えていないだろうか。
 これほどまでに不正義な政権が存在できているのは、過密・長時間労働で勤労市民が「考えることを忘れた」結果ではないのか。
 この話、バカバカしすぎますか。

   菜の花や蜂蜜の匂いと親子連れ

2017年4月2日日曜日

あんた若いなあ

   義母がお世話になっている老人ホームの同じグループに100歳の元気な方がおられる。
 この方とは、私の実母がいた頃から一緒に歌を歌っていたりしていたのだが、近頃は私の義母への面会が減っているので、少しばかり疎遠になっていた。
 それでも、私は面会の折り、他の入所者ともできるだけ挨拶を心がけているので、入所者からはたまに施設のスタッフと誤解されたりするが、概ね義母の娘婿という了解(理解)は同じ部屋の方々には得ていたつもりだった。

 それが先日、その100歳の元気な方が私に「あんた若いなあ」と言ってくれたので、それは一般的な意味での社交辞令・リップサービスかと思ったら、続けて、「〇〇小学校やったな」「あんた運動場をよう走っていたな」と話が続いたので、実はこの方は今、小学校低学年の頃を思い出し、そして、私を同級生の誰それだと思っているということが判った。
 だから、「歳(同級生だから100歳)のわりに若いやないか」と真正面から私に感想を言ってくれていたのだ。
 
 で、私は迷った。
 気持ちよく私を同級生だと思いこみ、思い出を噛み締めているこの方に、「あなたは誤解してますよ」と言うのが良いのか、100%同級生になっておとぎ話の世界で会話をするのが良いのか。
 結局、あははと笑って、「Aさん(その方のお名前)も運動場走りはりましたん?」「小学校は面白かったん?」と私のことではない別の話に誘導し、なんとなく楽しく会話を終了することができた。

 かつて実母が私に、「あんたが生まれたときはエライ雪の日やったな」と、本気で私に向かって大人どおしの会話をしてきたことがあった。
 妻も母(私の義母)から、同じように「あんたが生まれたときはエライ台風やったな」と同意を求められたことがある。
 生まれたての赤ん坊と成人してからの息子や娘が時を超えてオーバーラップしたのだろう。
 早い話が「惚け」なのだろうが、最初にそういう会話があったときには「そんなことも判らんようになったのか」と少しショックだった。
 
 健康寿命後の長寿は望まないが、その際はせめてAさんのように楽しい思い出の中で彷徨いたいものだ。
 腹の立った思い出ばかりをフラッシュバックさせて、怒りながら晩年を過ごしたくない。実際には可哀相だがそのような方もおられない訳ではない。
 そのためには、その予行演習が必要だと此の頃感じている。とても大事なことだと噛み締めている。

 日曜日、老人ホームの家族会で小一時間、庭の落ち葉掃きをした。
 巨大ゴミ袋で20袋ほど清掃したが、その翌日妻が「皆はどこを掃いたん」と私に言った。
 1週間前の日曜日の昼からは風雨だったので、カナダ楓(かえで)の枯れた実がいっぱい落ちていた。

   春の庭ぽとりぽとりと楓の実

2017年4月1日土曜日

初物は七十五日

 JA全中の文書の中に「初物(はつもの)を食べるときは笑って食べよ」という諺が載っていた。
 聞き始めのことだったのでネットを手繰ると「・・・東向いて笑って食べよ」「・・・西向いて笑って食べよ」「・・・笑って食べると福が来る」というたぐいの話が「・・・東と西とどっちが正しい?」というのも含めてたくさん出てきた。
 けっこう全国の方々と話をしたり本を読んだりしてこの歳まで生きてきたが、へえ~!という感じである。妻も「聞いたことが無い」と言っている。
 大阪と奈良と、狭い周辺育ちの二人なので、「私は知っているよ」「聞いたことがある」というお方はコメントを戴ければ幸いだ。

 これは以前にも書いているが、「初物を食べると七十五日寿命が延びる」と言うのは小さい頃から何べんも聞いてきた。そして私から子や孫に言い伝えている。
 しかし、野菜はハウスで年中栽培され、魚は養殖したり群れを追って遠くまで行って年中捕ってくるから、今やほんとうの初物は寿命七十五日以上の値打ちがある。

   そんな中、ほぼ100%ハウス栽培されていない初物にお目にかかった。
 妻の姉から戴いた「土筆んぼ」だ。家庭菜園の周辺がスギナ畑のようになっているらしい。
 「難防除雑草」といわれているものを「畑」と言うのもなんだが、この時期だけは「畑」にしておこう。
   露地ものが豊富なスーパーで買った「若ごぼう」と並べて食卓が賑わった。若ごぼうは少し以前に食べてはいるが、まあ、硬いことは言わずに150日間の寿命の延長を寿いだ。

   煌々とファミレスは満車春の夜
 ひょんなことから、夜遅くにファミレスに行って、その賑わいぶりに「こんな世界があったのだ」と驚いた。「夜は真っ暗」と揶揄される奈良でのこと。

   三月尽日めくりどおりの初つばめ
 明日から新年度という三月尽、初つばめの乱舞を見た。出来過ぎ違う?というほど季節は律儀にページをめくる。