2017年12月31日日曜日

ゆく年

   2017年(平成29年)さようなら。
 「人間は忘れることができるから生きていける」というような言葉をどこかで読んだ気がする。
 忘れたいのに忘れられず、辛い記憶がよみがえって仕方がないのはフラッシュバックという。日常生活に支障が出るという意味でそれは病気とされている。
 その原因が業務にあれば労災認定されることもある。(心理的負荷は多様なので単純ではないが)

 この夏には孫の凜ちゃんの10時間を超える心臓手術があった。
 ほんの半年ほど前のことだったのに、私には遠い昔のような気がする。つまり多くを忘れた。
 これはボケではなく精神の防衛本能のなせる業だと強弁しておこう。

 また、この国の政治や経済でも不愉快な出来事が少なくなかった。列挙するのは割愛する。
 こちらも精神衛生上は忘れた方が良いのかもしれないが、そうすれば悪い奴らの思う壺だろう。
 で、こと社会問題に関しては「忘れない」は絶対に外せないキーワードだ。来年だって忘れないでおこう。

 と言ったところで・・・、私はそれほど人生を悲観しているわけではない。
 実際、凜ちゃんはゆっくりだが順調に歩んでくれている。
 お祖母ちゃん(義母)は車椅子なしでも手を取れば短距離なら歩けるようになった。これは驚異(奇跡?)だ。
 国連では核廃絶決議案が成立した。ICANはノーベル平和賞。
 ミニコミ紙もOB会会報もよく出した。
 多くの投稿者を得て仲間の輪も広がった。
 歩んでいる方向に間違いはないと思う。
 なので私の今年の流行語は「感謝」ということになる。
 2017年(平成29年)さようなら。
 些末な日常を読んでいただいた読者の皆様ありがとうございました。

2017年12月30日土曜日

年末のあいさつ。

   紋付を着て、白髪の翁が年末のあいさつに来てくれた。
 ジョウビタキ(尉鶲)の尉とはよく言ったものである。

 足もとではシロハラがバサッバサッと落葉をひっくり返して虫を探している。
 ツグミよりもまだ大きいから、シロハラはなかなか迫力がある。

 今年もいろんな鳥がやってきた。
 私の行動範囲がほとんど家の周辺だけだったので代わり映えしないかもしれないが、「年年歳歳鳥相似たり」はそれはそれでいい。

   正月の準備も簡素化したが、最低限のこととして、注連縄を二つ、鏡餅を大小二つ準備した。そして庭の臘梅の枝を切って松、笹、青木と合せて妻が活けた。
 私は玄関先に依代の松を立てた。
 本来なら雄松と雌松なのだが、そこは1本に簡素化した。


   例年どおり祝箸も作成した。
 今回の文字は『笑門』にした。
 伊勢あたりの注連縄によく見る文字で、もちろん「福来る」と願ってのことである。

   来年の節分には友人のお寺で節分会をする。
 鬼子母神も祀られているお寺なので、仏陀の話で悔悛した説話に因んで「福は内、鬼も内」と唱えようと思っている。
 写真のとおり、その心を祝箸に表示したつもり。
 故にキーワードは「話せばわかる」である。「対話のための対話はしない」では前に進まない。
 為政者たちには鬼子母神の法話を聴かせてやりたい。

 蛇足かもしれないが、28日の朝日新聞『天声人語』に要旨次のような話が綴られていた。
▼福沢諭吉は幼い子どもたちにこう教えた。「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや」
▼退治される鬼に、もしも子どもがいたらどうだろう。
▼相手の側に立ってみれば、見える風景ががらりと変わる。ものごとの複雑さも分かる。
▼自分にとっては正義でも、別の人からすれば理不尽な振るまいかもしれない。忘れてはいけない視点であろう。歴史や国際関係を考えるときも。

2017年12月29日金曜日

おしり探偵のあらすじを読む

 「年長さん」である孫の夏ちゃんに贈ったクリスマスプレゼントは『おしりたんてい―かいとうVSたんてい』。
 夏ちゃんは食事そこのけで読みふけった。
 その内容を後日ネットで調べてみた。
 (プレゼントした本はラッピングのため読んでいない)

 ある朝、オオヤギ家執事のヤギスチャンが来ました。 
 怪盗Uからの予告状・・・”世にも美しいお宝《星空の輝き》を今夜 塔の鐘が鳴る12時に頂くよ 怪盗U” 
 怪盗Uは変装が得意な大泥棒・・
 星空の輝きはオオヤギ家に代々伝わる宝石の事で、夜空に輝く星ぼしをとじこめたような美しさ」
 崖の上にある古いお屋敷オオヤギ家に着きました。ご主人は「星空の輝きは金庫よりも信用できる場所にある」と言って部屋を出ました。 
 娘のホシヨさんがおしり探偵に事件の依頼を受けてありがとうと感謝していました。 
 応接間で、屋敷の住人は全部で5人。それしかいないのでしたらさすがの怪盗Uも変装で紛れ込むのは難しそうと会話をしている所に、ヤギスチャンが「ロビーに小包が置いてあり送り主は怪盗Uです」と慌てて来ました。 
 ”おしり探偵君へ
 名探偵の君が来てくれて嬉しいよ。12時までの退屈しのぎにプレゼントを用意した。急いで開けないとどうなるかな?ヒントは、はなだよ 怪盗U”

  ・・・・・・・・・、(探偵のクライマックスは内緒)
 「トレビア~ン」と怪盗Uは姿を現しました。 
 「盗みを楽しむ為に、エクセレントのゲームには少し毒が必要なのさ。うつくしいバラにトゲがあるように」の言い残し、外へ逃げて行きました。 
 怪盗Uが逃げた塔の頂上へ追うおしり探偵達。 
 そこには、怪盗Uがいてホシヨと星空の輝きを手にしていました。
  その時、12時の鐘が鳴り怪盗Uが気球を使い空へ逃げて行きます。
  誰も届かないぐらいの高さにいる怪盗Uにおしり探偵が薔薇のプレゼントを渡します。
  それは、咲きかけのバラに糸がついており、おしり探偵が糸を引くと、バラの中から絵が変わるほどにおならが仕込まれていました。
 次の日の帰り道に、バラが刺さったカードが落ちており
 ”おしり探偵君へ
 勝利の記念品、今回はお返しするよ。次は僕が必ず勝たせていただく。怪盗U”
  「フーム、怪盗U 手ごわい相手になりそうです」とおしり探偵は気を引き締め、ブラウンはバラの残り香を嗅いでしまいとんでもない表情になってしまいました。(おわり)

 ほんとうに夏ちゃんも含めて子どもは「おしり」や「うんこ」が大好きである。
 いやいや子どもだけではない。古典エッセイスト大塚ひかりさんに言わせると「古事記の生命力は性とうんこ」(別冊太陽「古事記」)というから日本人の特徴かもしれない?
 そういえば、島田雅彦著『深読み日本文学』(集英社インターナショナル文庫)では、第一章が「色好みの日本人」で・・日本文化の概念を決定づけた源氏物語・・から始まって、第二章で江戸文学・西鶴を見て、第五章では「エロス全開―スケベの栄光」では・・時勢に迎合しなかった谷崎文学・・に感心しているから結構的を射ているかも。

 その島田雅彦氏は「私たちはどこから来てどこへ向かうのか」・・の橋渡しをするのが学問であり文学で、昨今の政治家などのエセ文学的な「言葉の悪用」を批判するのが文学の本来の役割だと指摘している。
 おしりやおならやうんこから権力批判までつながる文学?は実に面白い。

2017年12月28日木曜日

オシドリ

 所用のついでに「けいはんな記念公園」に寄ってみた。
 「オシドリは来てますか?」と窓口で尋ねると、「見たという人はいるのですが」という頼りない返事だった。
 
   そういえば公園内の永谷池は非常に静かだった。
 察するところ、何年か前に大発生していたカワウ(鵜)が魚を食べ尽したのではないだろうか。今日はカワウは1羽だけしかいなかったし、カモ類も少なかった。

 北の方の国で冬鳥(水鳥)が乱獲されたというよりも、こちらに問題があるように思われた。
 白鳥は可愛いが鵜は駄目!というのも結構人間の勝手のようだし・・・。
 水鳥も遠い対岸近くにいるし、太陽の逆光なもので探し辛かったが、1羽だけ、ほんとうに1羽だけオシドリらしいのを遠くに見つけた。

 そのとき、その対岸をどたどたと歩く人がいて、あっという間に鳥たちは空に飛んでいってしまった。月に叢雲、鳥におっさん。
 ここで昔なら、1時間ぐらいオシドリの帰ってくるのを待っただろうが、今はもうそれほどの気力がない。
 というわけで、見つけた瞬間にとりあえず撮った写真である。

 さて鳥たちは圧倒的に♂たちが美しいのに、どうして人間だけは♀が綺麗なのだろう。
 胸に手を当てて反省するが、歳をとると可愛い爺さんになるよう心がける必要がある。
 う~~む。 けっこうイジワル爺さんかも知れない。反省!

2017年12月27日水曜日

興福寺窯跡

   奈良公園の県庁の北側で、県立美術館改修に関わって県婦人会館・消費生活センターを取り壊し、跡地の発掘調査が行われている。
 この場所は1969年の婦人会館・消費生活センター建設時の事前調査で『1181年の南都焼討後の興福寺再建時の瓦の窯跡が検出されていて、このため建物を北側にずらす設計変更を行い保存されてきたものだが、奈良県は今回それを「記録保存」して遺跡そのものは破壊するとした。

 これが古都・奈良の県政だというのだから怒りを通り越して悲しくなる。
 このため、私も参加している文化財保存全国協議会と奈良歴史遺産市民ネットワークは連名で、県と県教委に「窯跡を現地保存し、遺跡の見られる美術館に」と要望してきた。

 23日の朝日新聞によると、これに対して県教委文化財保存課は解体(破壊)の方針をいったん取り下げると発表した。
 再検討の結果がどうなるかはまだまだ不明だが、興福寺は創建時の瓦窯跡が知られており、今回の、再建時の瓦窯も特定できれば一段と歴史が明らかになる。半歩前進とは言えるだろう。

 奈良県は、古墳時代、飛鳥時代、藤原・奈良時代の遺跡が膨大なため、他の県なら大騒ぎになるような貴重な遺跡が「なんだ中世か!」という具合に軽視される傾向があるが、有名な県立橿原考古学研究所を持っている県に相応しく、文化財破壊の開発推進行政をストップしてほしいものだ。
 観光を否定するものでは全くないが、文化財で金儲けをしようとするのは邪道である。

 世の中では革新や革命という文字面だけで共産党は歴史などに関心が薄いとの誤解があるが、奈良や京都で文化財・文化遺産の保護に一番熱心なのは共産党で、目先の金や利権に絡んでそれらを破壊しているのが自民党など与党派である。
 歴史大好き人間は素直な眼鏡で事実を見てほしい。

2017年12月26日火曜日

総理の椅子

   仕事の上でのマナーという常識は官邸にはないのだろうか。
 普通の応接セットならソファーが上座、テーブルを挟んだ対応ならお客様に同質あるいは上質な椅子を用意する。
 私などは実際そのように現役時代は処してきた。

 一番目の写真は韓国野党代表との会談だが、この日に限らず官邸ではこういう風であるらしい。(だから韓国にだけそうした訳ではないようだが・・・)
   それにしても、これには2番目の写真の上部の方が常識ではないだろうかという真っ当な指摘がある。
 早い話が官邸には常識だとか礼儀が欠けていないか・・と。私もそう思う。

 総理の”椅子に拘る”心理については、はるか昔にチャップリンがこう喝破している。

 やっぱりチャップリンは天才だ。
 答は次のアドレスの動画を見てもらいたい。
 https://twitter.com/twitter/statuses/944536506969894912
 上のアドレスを左クリックで左から右へ全部なでたうえで、右クリックで「〇〇〇へ移動」を出して、左クリック。

 28日追記
   昨日、米太平洋軍ハリス司令官と会談している安倍首相の写真があった。
 ハリス司令官の椅子は韓国野党代表のときと変わらないが、安倍首相の椅子はハリス氏と同じもの!?$%!!
 となると、やっぱり、例の椅子を使用するについては特別の意図があって使用しているとしか考えられない。
 安倍首相は礼儀と常識知らずというか、あるいはアメリカのポチというか、情けない。

2017年12月25日月曜日

クリスマス会

   先週末は老人ホームのクリスマス会であった。
 昼食も特別に豪華なものであったはずだが、昼食後に行くと義母は昼寝していた。
 パーティーでは、冒頭にサンタクロース姿の私が巨大なケーキから飛び出して挨拶をした。
 その後義母のところに行くと、私だとは全く分からず怪訝な顔をされた。
 その後、家族会世話人がサンタやトナカイに扮して各部屋にケーキを届けたが、父親にかしこまって「ご苦労様」と言われて「俺やがな」という家族(トナカイ姿の息子)の場面もあった。

 この種の行事は、やると決めた限りは”変に照れない”というのが大鉄則だと思う。
 おずおずと部屋に行くと「何事か」という顔をされるが、鈴を打ち鳴らし、メリークリスマスと大声であいさつして、ジングルベルなどを歌うといっぺんに顔がほころぶ。
 少し不正確な例えだが、常に「乞われれば一指し(ひとさし)舞う」覚悟を自分に言い聞かせている。
 
 そんなことを思うと、施設のスタッフは立派である。
 いろんなコスチュームで本気で歌って踊るのは見ていて気持ちがいい。
 やはり介護は結局「人」だと思う。(看護なども同じだろう)
 そして「貧すりゃ鈍する」を裏返して、相応しい労働条件が必要条件であることは言うまでもない。

 我々自身がお世話になるのも遠い先のことではないから、親の介護の有無にかかわらず介護の充実に注意を払うことが必要ではないだろうか。御同輩の皆さん。

    乞われれば一指し舞えと友の言う

2017年12月24日日曜日

都市鳥の代表?

   聞きなれない言葉かもしれないが「都市鳥」というカテゴリーが定着しつつある。
 傲慢な人類が自然を破壊して都市を造っていったのだが、どっこい自然(野鳥)はその都市を以前の自然同様、否それ以上に利用して都市に進出しているというあたりが着眼点である。

 ある意味その代表がイソヒヨドリ(磯鵯)で、私も10年前には見たことも聞いたこともなかった。
   それが今では写真のとおりわが家にやってくる。

 青い背中、赤い胸、とびきりの美声とまではいかないがどちらかというと綺麗な声、大きさはヒヨドリ大(故にイソヒヨドリ)。

   声と飛び方でヒヨドリとは区別がつくし、飛び方はヒヨドリのような波型の飛び方ではない。

   嘴から想像できるとおり、地表の虫などが好物のようだが、こんな冬場はどうしているのだろう。詳しくは知らない。

 私ならそのスタイルからイソツグミと付けたいが、冬鳥であるツグミに対してこちらは留鳥だからそぐわないかも知れない。

   元に戻ってイソヒヨドリの「磯」というのは元々磯の断崖に住んでいたかららしい。
   都市の家々やビルが断崖に通じたので都市鳥になったのだろうと想像される。
 そして磯の断崖から飛び立っていたときの癖だろうか、屋根等から飛び立つときはまるで身投げするかのようにダイブする(4枚目の写真)。

 見飽きない都市鳥である。

 

2017年12月23日土曜日

金持ち喧嘩す

 「金持ち喧嘩せず」という諺(俗論?)がある。
 一般的には「金持ちは心の余裕ができているからつまらない喧嘩はしないものだ」的に使われたりするが、実はそうではなく、「金持ちは利に聡いものだから金儲けにならない喧嘩はしない」という解釈が正しい?らしい。
 
   さて、トランプがエルサレムをイスラエルの首都と認定したことを受けて、国連総会(193か国)が「エルサレムの地位を変えるいかなる決定も無効。撤回すべきだ」という決議を圧倒的多数で採択したが、その総会前にトランプは「決議案に賛成する国への財政援助を停止する」と恫喝した。
 やっぱり、「金持ち喧嘩せず」の前者の解釈は間違いのようである。

 片や安倍政権は、2018年度の沖縄振興予算について、17年度より140億円削減して3010億円とする方針を固めた。特に振興予算のうち使い道の自由度が高い「一括交付金」は約170億円削減する。振興予算は2年連続の減少で16年度は3400億円だった。
 これは、来年2月の名護市長選や来秋の県知事選を控えて翁長県政を痛めつけるとともに、全国の自治体に「安倍政権に盾突くな」と脅す見せしめだろう。
 やっぱり、前者の解釈は的外れであった。

 トランプにしても安倍にしても、早い話が「金が欲しければ魂を売ってでも俺の靴の裏を舐めてみよ」と言うわけだから、世も末の感じがする。ノブレス・オブリージュは新大陸や極東の島国には存在しないのか。
 いや、新大陸でのトランプ政権の低支持率は安倍の島国よりも健康かもしれない。

 何年か前から、文科省は国立大学に対して「文系(人文社会科学)は工学や自然科学系に比べて生産性が低い」「早い話が無駄だ」と指導してきたが、文系の教養の欠如は、批判精神の低下、発想の鈍さ、コミュニケーション能力の劣化をこの国に広めていないだろうか。そしてそれは、反知性主義といわれる政治の土台を作ってきていないか。その分、この国はトランプの国よりも病は重い。

 1960年代後半に「書を捨てよ、町に出よ」と言われたりしたが、今は「ネットやテレビの情報を捨てよ、役に立たない読書※をしよう」が大切な時代になってきている様な気がしている。※12月9日の記事
 この結論部分は大いに反省しながら書いている。

2017年12月22日金曜日

愚直でありたい

   聖書のイザヤ書には「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばず」とあるそうだ。

 そんなことを言っても「北はミサイルを発射しているぞ」との声もあるだろうが、アメリカが国境ぎりぎりで斬首作戦の大演習をするからだというのにはどう反論できようか。

 「アメリカのミサイルも日本上空を飛ばさせないから君らも飛ばすな」と言ってこそ説得力が生まれないだろうか。

 国連の核兵器禁止条約ではないが、大量破壊兵器が使用されたなら地球上に勝者も敗者もないだろう。

 トランプや安倍晋三は「あらゆる可能性」というが、それは「先制攻撃」と同義語であることは常識だ。

 冷静に考えれば、北朝鮮全国に配備されているミサイル基地(移動基地を含む)を同時瞬時に破壊できると誰が信じているだろうか。
 だとすると、一か所でも残った基地から報復のミサイルが打ち返されるだろう。
 最終的には北朝鮮が敗れるだろうが、日本国内に第二次世界大戦級の死者や被害者が生まれるというのはアメリカ軍部のシュミレーションである。
 冷静に考えればわかる話である。この一点について「そうではない」とおっしゃるお方は正確な事実と論拠を上げてご批判をいただきたい。

 以上のことがアメリカで検討された折、トランプは、「それ(被災地)は海(太平洋)の向こうのことだ」と言い放っている。
 安倍自公政権は、時々戦乱がないと成り立たない経済構造のアメリカに、つまりは軍事産業のために日本国民を貢ぐ政治だと私は確信している。
 
 イザヤ書にいう神の国の思想を、もっと愚直に語ることが必要ではないか。
 私は金正恩の政治を厳しく批判するものであるが、それでも、今年の漢字が「北」というのを聴いて、この国には常識とか礼節というものが無くなったのかと哀しくなっている。

2017年12月21日木曜日

久しぶりの山雀

   一昨年はわが家の庭を毎日のようにグループで訪れてくれていたヤマガラが、昨年は全く顔を見せなかった。
 きっと猫にでも食われたか、心無い人間に捕らえられたのだろうと諦めていたところ、久しぶりにバードバスにやって来て、「小枝不動産」よろしく巣箱の下見をして帰っていった。

   庭には臘梅(ロウバイ)の爽やかな香りが漂い始めている。
 足もとにはヒマラヤユキノシタが咲いている。
 ガラス戸の内から眺める冬の季節も悪くはない。

 近所では庭師による庭木の手入れが賑やかだが、わが家ではその剪定を真似て自力で手入れをしている。
 剪定はほんの少しの作業でも45ℓのゴミ袋で4~5個になるから、細かく切り刻んで袋に入れる後始末の方が大変だ。
 ただ今回は梯子から危うく落ちそうになったから、いつまでも自分の運動能力を過信してはいられない。
 労働安全衛生法の高所作業の項を馬鹿にしてはならない。はい!

2017年12月20日水曜日

芸人いろいろ

 先週金曜日の12月15日、米軍ヘリ窓落下事故を受けて沖縄県の翁長雄志知事が官邸で米軍機の飛行中止を求めたが、安倍首相は官邸にいたにもかかわらず面会にさえ応じなかった。
 そしてその夜、東京都内の焼き肉店で、お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志さん、タレントの東野幸治さん、指原莉乃さん、社会学者の古市憲寿さんらと会食した。
 安倍首相に誘われ焼肉を囲んだ松本人志さんは自身の番組『ワイドナショー』(フジテレビ)で安倍首相を平身低頭で迎え、無批判に擁護を繰り返したことで有名だが、世間的にはコメンテーターといわれている。

 そういうあまり愉快でないニュースを聞いていたところ、17日放送のTHE MANZAIでのウーマンラッシュアワーがネットで話題になっていたので、その動画を観た。
 検索すれば動画に行きつくだろうが、不自然に削除されたとの話もある。
 動画を観なくてもネットのニュースサイト・リテラが文字に起こしてくれているので以下に紹介する。

 ウーマンラッシュアワーが『THE MANZAI』で怒涛の政治批判連発! 原発、沖縄基地問題、コメンテーター芸人への皮肉も――

  まず、村本は、初っ端から「ニュースのコメンテーターやってるのも吉本の芸人」「ニュースを読むのも芸人、犯罪を犯してニュースに出るのも芸人ですね!」と言い、所属する吉本を含めた芸人の不祥事・スキャンダルを立てつづけに紹介。まあ、ここまではナイツや爆笑問題といった時事ネタ系漫才コンビも話のタネに使うものだ。

 だが、続いてもちだしたネタは、なんと原発。まず、村本は「福井県出身なんですよ」「よかったらきょうは福井県の場所だけでも覚えて帰って下さい。いいですか? 北朝鮮の向かい側!」と言うと、相方の中川パラダイスとこんな掛け合いをはじめる。

村本「福井県の大飯町、知っていますか? 大飯原発がある大飯町です」
中川「あー、ニュースであるよねー」
村本「原発の町、大飯町です。大飯町の隣は高浜町・高浜原発。その隣は美浜町・美浜原発。その隣は敦賀のもんじゅ。小さい地域に原発が4基あるんです!! しかし、大飯町には夜の7時以降にやっている店がないんです! 夜の7時になったら町が真っ暗になるんです! これだけ言わせてください! 電気はどこへゆく〜!!!

 漫才がはじまって早々にぶっ込んできたのが、テレビタブーである原発ネタ。しかも、村本の超高速かつ「立て板に水」の語り口の迫力もあって、観覧席も大爆笑だ。

 しかし、ここからがすごかった。「福井に住ませてください」という中川に、福井に「愛」をもっているか否か次々に村本が質問を浴びせ、最終的に「ようこそ福井へ!」と歓迎する。そのスタイルをほかの土地にも当てはめてゆくのだが、福井につづいて東京を俎上に載せて小池百合子を「自分ファースト」と揶揄したかと思えば、次にテーマにしたのは、沖縄だった。
沖縄への基地押し付け、思いやり予算、対米追従も批判
 彼らの漫才の命でもあるリズム感、スピード感を伝えきれないことの野暮さは百も承知だが、ぜひ見逃した人にも知ってもらいたいので、以下に書き起こしたい。

村本「現在、沖縄が抱えている問題は?」
中川「米軍基地の辺野古移設問題」
村本「あとは?」
中川「高江のヘリパッド問題」
村本「それらは沖縄だけの問題か?」
中川「いや日本全体の問題」
村本「東京でおこなわれるオリンピックは?」
中川「日本全体が盛り上がる」
村本「沖縄の基地問題は?」
中川「沖縄だけに押し付ける」
村本「楽しいことは?」
中川「日本全体のことにして」
村本「面倒臭いことは?」
中川「見て見ぬふりをする」
村本「在日米軍に払っている金額は?」
中川「9465億円」
村本「そういった予算は何という?」
中川「思いやり予算」
村本「アメリカに思いやりをもつ前に──」
中川「沖縄に思いやりをもて!!!

 一気呵成に畳みかけられてゆく、事実と正論。次に取り上げたのは、熊本だ。ここでふたりはいまなお仮設住宅に暮らしている人が熊本で47000人、東北では82000人もいること、一方で新国立競技場の建設費が1500億円もかかることを掛け合い、「国民はオリンピックが見たいんじゃなくて」「自分の家で安心してオリンピックが見たいだけ」「だから豪華な競技場建てる前に」「被災地に家を建てろ!!!」と展開したのである。

 さらに、次にぶち込んだのはアメリカと日本の関係だ。

村本「現在アメリカといちばん仲がいい国は?」
中川「日本」
村本「その仲がいい国は何をしてくれる?」
中川「たくさんミサイルを買ってくれる」
村本「あとは?」
中川「たくさん戦闘機を買ってくれる」
村本「あとは?」
中川「たくさん軍艦を買ってくれる」
村本「それはもう仲がいい国ではなくて──」
中川「都合のいい国!!!

 そして、極めつきが、この応酬だ。
村本「現在日本が抱えている問題は?」
中川「被災地の復興問題」
村本「あとは?」
中川「原発問題」
村本「あとは?」
中川「沖縄の基地問題」
村本「あとは?」
中川「北朝鮮のミサイル問題」
村本「でも結局ニュースになっているのは?」
中川「議員の暴言」
村本「あとは?」
中川「議員の不倫」
村本「あとは?」
中川「芸能人の不倫」
村本「それはほんとうに大事なニュースか?」
中川「いや表面的な問題」
村本「でもなぜそれがニュースになる?」
中川「数字が取れるから」
村本「なぜ数字が取れる?」
中川「それを見たい人がたくさんいるから」
村本「だからほんとうに危機を感じないといけないのは?」
中川「被災地の問題よりも」
村本「原発問題よりも」
中川「基地の問題よりも」
村本「北朝鮮問題よりも」
中川「国民の意識の低さ!!!

 「政治ネタはNG」という空気が蔓延するテレビ界に迎合せず、しかもきっちりと「話芸」というかたちに落としこんだその技量は素晴らしいものだ。 
 そして、印象的だったのは、ネタを終えた村本の一言だ。番組のエンディングで流れた映像では、ステージ袖の村本は「ただコメンテーターで終わる芸人といっしょにしないでほしい」とカメラの前で述べた。

 もしかすると今後、テレビ界には村本は使いづらいという空気が流れるかもしれないが、視聴者は彼らの笑いにビビットに反応したということをよく覚えていてほしい。視聴者が見たいものは、予定調和のコメントでも、ましてや権力の犬となった芸人ではないのだ。(要旨引用おわり)

 お笑いのネタのことであるから大層に評価するのが良いのかどうかということもあるが、私としては「その志や好し」と思う。
 権威あるものを皮肉るというのでは、ソ連時代のロシアンジョークが有名だが、この漫才でウーマンラッシュアワーが干されるようなことが起これば、この国は最低の非民主主義国家といわれることだろう。

 おまけで想田和弘さんのツイート・・・
 話題になってるウーマンラッシュアワーの漫才、とても良くできていますね。アメリカではこのレベルの政治風刺コメディが、毎日のごとく多くのチャンネルで繰り出されています。逆に言うと日本にはほとんどないからこの漫才が目立つ。望月記者が日本で目立ってしまうことと、同様の問題を感じます。

 追伸  動画のアドレスです。

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2017年12月18日月曜日

ハレの行事

   柳田國男によって定義づけられた民俗学の概念にハレとケがあるが、餅つきは古くからハレの行事の代表ではなかったか。
 それはここの老人ホームの入所者の記憶の奥底にもそのとおりにしまい込まれていたようで、餅つきに参加したその顔は一様にハレの顔だった。

 今日は、私が手作りした発泡スチロール製の杵が大活躍をし、100歳超の入所者をはじめ、実に多くの方々が杵を振ってくれた。もちろん義母もリズミカルに杵を振ってくれた。この杵はそれらしい音が出るので臨場感は十分だった。
 平均的なケの世間では餅つきは近頃絶滅危惧種のようであるが、そう思うと折々にこういうハレの行事のある老人ホームはありがたい。
 来週はクリスマスパーティーもある。
 
   入所者が大きな声で「ヨイショ」と声を張り上げている主会場のドアの外で、その子供世代であるわが家族会の面々が薪カマドで暖をとっているのも考えれば可笑しかったが、主戦場ではわが息子(入所者の孫)が頑張ってくれていたからまあいいか。
 さらに夏ちゃんも小さな杵で何回も搗き、妻も「合いの手」をかって出て、わがファミリー総出で楽しんだ。

   合理的であるかどうかということで言えば、ガスコンロが手っ取り早く後始末の心配もないのだが、薪の匂い、蒸された米の匂い、少々の煙い煙・・わが世代以上の人間にとってはこれは胸がくすぐられるような懐かしさと高揚感を感じるものだ。

 つまらぬ自慢だが、新聞紙半頁とマッチ一本で即座に薪に火が点いたのには魔法使いのように周囲から感心された。
 猿もおだてりゃで、そんなに感心されるとやめられなくなってゆくので辛い。自業自得である。

2017年12月17日日曜日

ダンドリ君は楽し

   今日(17日)は老人ホームのお餅つき大会なので、昨日は主にそのカマド周辺(蒸し上げる作業)のダンドリをした。
 今年はネットで直径28㎝の羽釜を一つ購入した。
 元々持っていたのは直径26㎝でしかも若干歪んでいたから、これで直径30センチの方の蒸し器をスムースに使えるだろう。(今までは直径28㎝のを使用していた)

 入所者用の発泡スチロール製の手作りの杵も3本、サランラップできれいにメンテナンスをした。
 子ども用と幼児用の杵(こちらはホンモノ)も十分に水に浸した。
 薪は最初に使う細いのから順に斧で割って用意した。
 なお、ここまでで大切なことは100%仕上げておかないことで、多くの参加者に参加できる作業を意図的に残しておくことであるので、そういう配慮もした。
 そしてもち米は、寒波が来ていたこともあるので、逆算で16時間ほどの予定で作業を開始した。
 夜の9時過ぎ、少し時雨れている屋外で洗米をして水に浸した。この作業で一気に気分は餅つきモードに入った気がする。

 以上のとおり、行事というのはダンドリと後始末が本番以上に手がかかるものだ。
 だから、確かにお餅つき大会は簡単ではないが、だからこそ例えば高山に登頂した喜びに似た達成感が湧くというものだ。
 歳をとり行事の企画の話になると、ともすれば安易な道を選択しがちだが、それは残る人生をそれだけ薄っぺらにしてしまわないだろうかと自省している。
 ダンドリ君には達成感というご褒美がきっと付いてくるはずだ。

2017年12月16日土曜日

女性の骨折

   13日のNHKの「あさイチ」で女性の骨折、骨粗しょう症の話をしていた。
 結論は若い女性の圧倒的なビタミンD不足というもので、ビタミンDをとるためには、魚や天日干しのキノコが良いが、さらに適度な紫外線を浴びる必要があるというものだった。
 陽に当たる時間は、夏なら6分、冬なら1時間程度でよいらしいが、それが圧倒的に不足していると言っていた。
 
 そしてこの番組で私が感心したのは、井ノ原(イノッチ)さんの「この番組(あさイチ)ではこれまで紫外線は悪い、紫外線からどのように肌を守るかを話してきたのと今日は話が違う」というポッとしたコメントだった。
 そのとおり。
 この番組に限らずテレビという奴は話題性のために過剰に演出する。
 視聴者はそれに輪をかけて過剰に反応する。
 極端な紫外線対策が骨を弱め、結局骨の不健康は美容にも悪影響を与えているらしい。
 (過剰反応社会については11月26日に大いに書いた)。

 さて私は番組冒頭での「どうして若い女性の骨折が増えているのでしょう」というフリに「日光を避け過ぎたからだろう」と即座にテレビのこっちでツッコんだ。常識だろう。少なくとも我々の世代では常識だ。

 私は奈良公園を歩く機会が多いが、その人間観察の印象を言えば、ここ(奈良公園)へ来た多くの韓国の若い女性は整形かどうかは知らないが美人が多い。お化粧も見事に韓流スターに似ている。(それはそれで韓国内の過剰反応かも知れないが)、しかも、基本的に健康的である。姿勢・体幹がしっかりしている。
 ひるがえって少なくない日本の若い女性は、一言でいって痩せすぎ、いささか不健康な気がする。人込みで接触したらよろける感じがする。
 イノッチではないが、きっとそれはテレビのまき散らした「公害」だと思う。
 また視聴者は過剰反応すべきでない。

 日本の未来のために、テレビ各局は、少なくともアナウンサーやコメンテーター等に痩せすぎの女性を登用すべきでない!と言ったら言い過ぎだろうか。
 その点、同じ朝の番組「おは朝」は素晴らしい。川添アナは不健康に痩せすぎていない。
 その一点で私は「おは朝」を時計代わりに点けている。ただし7時過ぎからはBSプレミアムに換えている。
 このブログ記事は私の個人的な嗜好を書いているのではない。

2017年12月14日木曜日

夏ちゃんから督促と昨日のニュース

 12月8日の記事の附録のようになるが、孫の夏ちゃんから我が家へ督促の電話があった。
 応答したのは妻であるが、夏ちゃんは「花柚子を食べたいから持ってきてほしい」と言ってきたという。
 8日の記事と繰り返しになるが本柚子と花柚子は別の木である。が、花柚子も結構柚子の香りがして料理に重宝する。
 それを夏ちゃんは温州ミカンの要領で皮をむいて中の実を食べるというのだから、親も我々祖父母も驚いている。
 妻には夏ちゃんに、中の実を食べた花柚子の皮はとっておいて返しておくれと伝言を頼んでおいた。
 夏ちゃんに学んで、近頃サラダには花柚子の果汁を大いにかけている。
 
 (2)一日中看護などのため外出していたが、その間に広島高裁が伊方原発の運転差し止めの判決を下したとニュースがあった。
 いろんな巻き返しがあるだろうし、最高裁も当てにならないので楽観はしないが、それでも高裁段階で初めてこの種の判決が出た意味は大きい。
 国連での核兵器禁止条約採択やICANのノーベル平和賞受賞と相まって、楽観はしないが「それでも地球は廻る」と叫びたい。
 広島高裁判決、国連条約、ノーベル平和賞、これらの対極にいるのが残念ながら安倍氏の日本政府である。
 こんな不真面目な安倍政権であるにも拘らず、安倍氏のいう憲法9条に自衛隊を書き加えるという改憲案に賛成が多いと世論調査はなっているらしい。
 
 私はそれを「若者の右傾化」と見るのは誤っていないかと感じている。
 ただ、事実を知らない、真実を知らないだけだと思う。
 そのことでのマスメディアの責任は極めて重大だ。
 しかし、マスコミに対する恨み節をいくら言っても解決はしない。
 心ある人々がミニコミやSNSで心が伝わるように発信することだ。しかも量的にも奮闘する必要がある。
 読者の皆様、力を貸してください。

2017年12月13日水曜日

介護の話

 本をいっぱい読んで解ったような気になってはならない。
 「事実は小説よりも奇なり」というのは的を射ている。
 もうすぐ老人ホームのお餅つきだが、素人は「そんな危ないもの(お餅)を食べさせて大丈夫?」と心配するが、スタッフに言わせると「今の高齢者はお餅を食べた記憶が深く蓄積されているからお餅の食べ方が上手だ」「だから滅多に詰まらせることが無い」という。
 お餅を食べるときの口に動かし方がスムースなのだと。
 すき焼きも同様らしい。
 反対に、意外に喉を詰まらせるのが海老らしい。
 こういう話は本を読んでも出てこない。

 それでも嚥下が不得手な方は喉を詰まらせることがある。
 善哉の中のお餅のときもたまにはそういう方がおられる。
 私などはその同じ場所で気が付かないのだが、スタッフの方々は離れた場所の入所者に、「あっ!〇〇さんが詰まらせた」と一瞬にキャッチして、素早く背中をトントンして対処される。
 唸られたわけでもないのに、わずかな呼吸や態度の変化で対処される。
 そんなとき、やっぱり介護は畢竟「人だ」と私は感心する。

 「介護職員が不足するから外国人労働者」という政治家がいるが、介護職員の待遇を改善すれば解決することである。
 介護の対象は抽象的な老人一般ではなく一人一人の人間だ。
 以前関西以遠から来られていたスタッフが、最初入所者が「御不浄に連れて行って」と言われたのに「御不浄」というのが何なのか分からずに困ったことがあったと言われたことがあるが、こういうことは決して「些細な事」ではないと思う。
 外国人労働者を差別的に排除する気はないが、こういう機微が通じるだろうかと私は心配する。
 
 先日から老人ホームの餅つき大会の準備をしながらそんなことをいろいろ考えている。
 スタッフの方から『お孫さんが「祖母はお餅を丸めるのがとても上手い」と言っておられたよ』と聞いた。
 確かに、義母は我々よりも格段に上手にお餅を丸める。その表面には皺がない。

 そういうノウハウを引き継ぎもしなかった世代が、「お餅つきで食中毒が起こったら大変だ」などといってお餅つき中止を口にしている。
 以前にも言ったことだが、お餅つきは常識と気配りで安全に行うことができる。
 それを信用できないのは、無知か、学ぶ気がないか、気配りする努力を逃避しているかだと私は思う。

2017年12月12日火曜日

寒波歓迎

   大の寒がりながら痩せ我慢を言うと一寸だけ「寒波歓迎」だ。
 臘梅・・、こんな真冬の気候に花を咲かせるあんたも結構痩せ我慢派だ。
 間もなく葉っぱが全て落葉し満開になる。今はその一歩手前である。
 この寒波が一挙に満開を演出してくれるだろう。
 
 真室川音頭には、
 〽 私しゃ真室川の 梅の花 コーオリャ
あなたまた このまちの鶯よ
花の咲くのを 待ちかねて コーオリャ
蕾のうちから 通って来る
 ・・というのがあるが、わが家周辺のヒヨドリは臘梅の蕾のうちから通って来る。
 蜜を吸うだけなら幾らでも許すのだが、蕾や花をちぎって捨てるから、腹に据えかねている。
 
 ヒヨドリには悪いが、私も結構えこひいきだ。
 ジョウビタキはヤマガラに次いで人懐っこい。私の3m先で頭と尻尾を振っている。
 どういう訳か夏鳥よりも冬鳥の方が人懐っこいのはどうしてだろう。

2017年12月11日月曜日

岩田正逝く

   一昨日の記事のとおり、リンボウ先生は「本を読んで何かの役に立つと思うな」「本は買って読め」と説示されていた。

 12月5日の赤旗文芸欄に『9条を守るは趣味とう岩田正心残して身罷(みまか)る十一月三日』千葉市 園田昭夫 という短歌があった。
 それに先立つ朝日歌壇(朝日新聞)にも岩田正を追悼する歌がいくつかあった。
 恥かしながら私は、短歌というと与謝野晶子、石川啄木、河野裕子、永田和宏、俵万智ぐらいしか知らなかった。それもほんの上っ面だけ。

   そこでネットを検索してみると、歌人 馬場あき子の夫君とあった。
 馬場あき子が朝日歌壇の選者でもある著名な歌人であることぐらいは知っていたが、夫君岩田正は知らなかった。
 なので、近所の結構大きな書店に行ってみたが、俳句・短歌のコーナーは、夏井いつきさんの俳句以外はサラリーマン川柳だとかシルバー川柳の類のものしか置かれていなかった。
 これが平均的な世間なのだろうか。
 とすると夏井いつきさんはすごいと思う。

 しょうがないのでAmazonを開いてみると、こちらには、中古本の歌集というのは嘘みたいな安い値段で売られていた。本代というよりも郵送代というようなものが多かった。

 岩田正歌集『視野よぎる』や『背後の川』は本体定価二千数百円でしかもどちらもサイン本だった。
 購入後、置いてある本を見て妻が「えらい(高い)本を買ったんやな」と驚いたが、実は嘘のような値段であった。

 くらぶればお化け・暗闇怖くない人間就中凡庸こはい
 顔口になして叫べり不安なるムンクの男究極のわれ
 「かうしては居れずと思ひ」啄木は立ちたりわれもあやかり立たむ
 イヴ・モンタン老いて恋人持ちしとふ「枯葉」は陽気さびしく陽気

 私には歌の良し悪しはあまり判らないが、結構楽しい読書の日々だった。

2017年12月10日日曜日

M-1よりオモシロい広告とモンベルのこと

   朝日新聞読者でよかった。昨日(9日)の朝日新聞朝刊のM-1よりオモシロい(全面)広告を見て私は瞬時に吹きだした。
 メーンのキャッチコピーもいいが、和牛の写真がドカーンときて、コンビニの2位ファミリーマート、日清食品の2位どん兵衛、そして欄外上部タイトルの朝日新聞の文字に向けて矢印で新聞業界の2位とあった。
 M-1の2位和牛は言わずもがな。

 プロの広告マンとはこんな風に商売をするものか。
 この広告の何がそんなにオモシロい?とお尋ねの諸兄諸姉は世の中の邪悪な宣伝に流されない方々なので大丈夫だが、こんな広告会社が選挙のたびに与党の選挙戦略を指導し広告を打つのだから、そんなことを考えると私は背筋が寒くなる。

 同時に、常道ではないかもしれないが、たまにはこんな宣伝センスを共産党も発揮すればいいのに・・と思ったり・・。
 そういえば「やぶれてからが、力の見せ所」「頑張れ!」というキャッチコピーも光っていた。
 そのキャッチコピーで、「共産党も」と私が言った意味も分かってもらえると思う。


   (2)・・・寒気といっても晴れていて風が無ければ耐えられる。
 昨日は孫の凜ちゃんと屋外で火鉢に当たって日向ぼっこをした。
 私の帽子はウィズイヤーのキャップ。
 モンベルで1,800円+税は安い。
 凜ちゃんのウィンドブレーカーもモンベルだが、これは「いい値」だった。
 モンベルは奈良公園の環境破壊に反対して「奈良公園の環境を守る会」を支援しているので、同じようなものを買うならモンベルを買ってやりたい。
 今の私は山にも行かず河にも行かず専ら防寒具としてしか着用・使用していないが、その昔は、モンベルでカヌーを借りて長良川河口堰反対のカヌーデモ&キャンプにも参加したものだ。
 今は椎名誠も野田知佑も天野礼子もそして辰野勇(モンベル社長)もいい歳になったが、心はいつまでも冒険家でありたい。

2017年12月9日土曜日

役に立たない読書

   ハウツーものではない。
 林望(はやし のぞむ)著『役に立たない読書』集英社インターナショナル新書。
 こういう書名を見ると文句なく嬉しくなって発作的に買ってしまう癖がある。

 本を数読めば教養人になれると思うのは錯覚である。
 ベストセラーはファッションでしかないから読む必要がない。
 本は断捨離しない方が良い。
 図書館では本は読めない。
 随時に読む。同時に何冊も読む。
 本棚は脳味噌の延長である。
 日本語は電子書籍に向かない。
 ・・その一つ一つに私は同意する。
 
 著者の専門分野の古典の醍醐味を多くの作品を引いて縷々説明されている辺りは、ただただ感心して読んだ。
 著者は20代の頃、慶應義塾女子高校の国語の教師だった。
 原則大学全入という特殊な環境だったので許されたのかもしれないが、教科書は一切使わず、古典作品からできるだけ長く抜き出したプリントを作り、試験はプリントの持ち込み可であったらしい。
 そんな風に教わると、古文が暗記物でなく文学そのものに思われたことだろうと想像する。生徒たちが羨ましい。

 恋愛文学が残らなかった中国に対して、特に恋物語が多く残った日本について、それは稲作文化に起因する、・・人智では如何ともしがたい自然の力(神が想起される)によって豊穣がもたらされる国に在っては、陰陽の調和、つまり男女の恋と和合は国の基本であったとの解説には少々笑ったが、なるほどそうかもしれない。

 そして、一般の書物において、欧米に比べ日本は、装丁や紙質といった「書姿」に強い意識・愛着を感じる長い長い歴史がある・・との指摘にも大いに共感した。賛成。

 著者は、世の一般にいう「読書が人格を涵養する」には首をかしげ、本など読まなくても正直に生きている人はいるし、本をいっぱい読んでいて悪い人間も多い・・という。これも納得。
 そして、読書に過大の期待をするのは間違っている。
 読書すれば何かの役に立つと思わぬこと。
 ただ、人生をできるだけ楽しく、豊かに送りたければ、自由に本を読むことだというあとがきで本は終わっている。
 実に爽やかな読後感で、ますます乱読が楽しくなってきた。

 『役に立たない読書』を読んで直接役に立ったことは少ないが、読んでみて後悔はしなかった。

 目次の次の第1章の前に徒然草第43段が載っていた。
 春の暮つ(くれつ)かた、のどやかに艶(えん)なる空に、賤(いや)しからぬ家の、奥深く、木立(こだち)もの古りて(ふりて)、庭に散り萎(しを)れたる花見過(みすぐ)しがたきを、さし入りて見れば、南面(みなみおもて)の格子(かうし)皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸(つまど)のよきほどにあきたる、御簾(みす)の破れより見れば、かたち清(きよ)げなる男の、年廿(としはたち)ばかりにて、うちとけたれど、心にくく、のどやかなるさまして、机の上(うへ)に文をくりひろげて見ゐたり。
   いかなる人なりけん、尋(たづ)ね聞(き)かまほし。

 念のためとりあえずの現代語訳によると。 
 晩春ののどかで風情のある美しい空、身分が低くないことを伺わせる立派な造りの家の奥深く、古びた趣きのある木立に、庭に散り萎れた花びらがあれば、これは見過ごしがたい情趣を感じる。その家の中に入っていって見ると、南面の格子の戸をすべて下ろしていて寂しげな様子なのに、東に向いた妻戸(両開きになる板戸)は程よく開いている。御簾(すだれ)の破れから見てみると、容姿端麗で清らかな20歳頃の男性が、くつろいだ様子で過ごしていて、心が引き寄せられてしまう。その男性はのどかな風情で、机の上に文書を広げて読んでいるようだ。 
   どのような人物なのであろうか、尋ねて聞いてみたいものだ。

 ああ、そんな風に本を読みたいものだ。

2017年12月8日金曜日

甘くない柑橘類は美味い

   テレビではグルメ紹介番組が花盛りで、女子レポーターが所かまわず盛んに「甘~い」を連発する。男子お笑い芸人も右に同じ。
 私は例えば懐中汁粉(最中みたいな即席汁粉)のような甘いものも大好きだが、言っておくが甘いと美味いは別のカテゴリーである。
 なので、連発されるあの「甘~い」には心底うんざりしている。

 差別や偏見でいうのではないが、貧しい田舎でただただ甘味が御馳走だった時代に発する単語で食べ物を形容して良しとするのは食べ物への冒涜だと私は思う。
 そして残念ながらテレビの影響力はやたらに大きなものだから、各種の生産者までもが「甘いことが最上の価値なのだ」と誤解と忖度を深めている。

 そこで蜜柑だが、大型スーパーには、これもやたらに甘いだけの蜜柑が並んでいる。
 時々愛媛が故郷の友人から戴く素朴な蜜柑は適度に(実は相当)酸っぱいのだが、これが実に美味い。柑橘類はこうでなければ。

 以前ブログ友達から本物の柚子を戴いたことがあるが、わが家にも小ぶりの「花柚子」の小さな木がある。本来の柚子よりもさらに酸っぱい気がする。
 花柚子はほんとうの柚子とは全くの別種で、香りも少々落ちると言われているが、結構いけると思っている。
 わが家では冬至の柚子湯に使うとともに、その皮を料理に使っている。
 柚子の皮を入れるとほとんどの料理が上品にグレードアップする。
 残ったものはジャム(マーマレード?)にして柚子茶としても楽しんでいる。

 日曜日に孫の夏ちゃんがやってきた。
 夏ちゃんの目的はわが家の花柚子である。
 夏ちゃんはこれを温州蜜柑のように皮をむいて実をパクパクと食べる。
 これには我々祖父母も驚いている。

 昔、亡くなった母親が「蜜柑が黄色くなると医者が青くなる」とよく言っていた。
 ビタミンCは万能薬だという言い伝えである。
 好き嫌いの多い夏ちゃんだが、花柚子のおかげで元気である。

2017年12月7日木曜日

帽子はえらい ワッチキャップ

   35年ほど前のことだが、「体から体温が逃げていく内の90%は頭から逃げていく」というのを本で読んだ。
 確かめようと思ってそれらしき本を書棚で探してみたが全く分からない。きっと処分したのだろう。
 こういうときこそ検索だとネットを探しても出てこない。
 あの説はガセネタだったのだろうか。
 なぜそんなつまらぬことを覚えているかと言えば、髪の後退している上司に教えてあげた場面の記憶がはっきりと残っているからである。

 さて、先日来寒い日が続いているが、体の弱い孫にうつしてはいけないので私は「風邪ひき厳禁」を命じられている。
 で、あれこれ対策を講じているのだが、そのひとつが写真の帽子である。
 元々帽子が似合わない顔立ちなので帽子には疎遠であったが、歳のせいで夏の暑いのも冬の寒いのも頭で感じるようになった。似合う似合わないなど言っていられない。

 ということで今頃再発見したことだが、この帽子はほんとうに暖かい。
 家の中でもこれを被っていると全然違う。
 家の中で帽子・・などというとマナー違反だろうが、自宅なので合理主義優先にさせてもらっている。
 ワッチキャップというらしい。

2017年12月6日水曜日

年賀状の季節

   この間から「喪中欠礼」の葉書が木の葉のようにポストに舞い込んで来る。
 こんなのを「風物詩」と言ったら叱られるだろうが、如何にも師走という感じがしみじみしてしまう。
 それが高齢の親御さんだと「天寿を全うされた」ようで少しホッとするが、年賀状をやりとりしていたご本人の場合はなんとも寂しい。

 近頃の喪中の考えや欠礼はがきとその方に年賀状を遠慮する考え方がおかしいことは2015年12月28日の「喪中はがきのこと」に書いたがとりあえずそのことは横に置く。

 喪中欠礼が来るということは翻って年賀状を準備する季節ということだ。
 季節と言えば、毎年この季節になると新聞の投書欄に「味気のない印刷した年賀状」という「声」が載り「手書き年賀状」が絶賛されるが、それを読む度に私は毎年哀しい気持ちになる。

 理由は悪筆の上に筆圧が強く、個性と言って笑っていただけるレベルをはみ出しているからである。

 その代わりと言っては何だが、毎年年賀状いっぱいにこの1年の状況や思うことをパソコンで印刷している。
 私にして見ればありきたりの常套句の手書き年賀状より心を込めているつもりだが、どう感じてもらえているかは不明である。
 まあ、何人かからは「あんたの年賀状は毎年”今年はどんな事を書いてるのか”と楽しみにしている」と言ってもらえている。

 基本的に夫婦連名で出すから私が案を考えて妻に「どうや」と言って相談する。
 来年の年賀状案は「ちょっと面白味が足らんな」と先日妻からダメ出しを喰らった。
 昨日のブログ記事に「時代は真っ当な宗教心が求められている」とのコメントをいただいたが、歳のせいか少し宗教臭い年賀状になっている。

 昨日の朝日新聞「天声人語」に年賀状のことで筆者が悪筆であることが記されていた。
 南方熊楠が無双の悪筆であったことや大江健三郎も決して上手でないとあって少し慰められた。
 昔のことだが、尊敬する元国公労連委員長内山昻さんも相当な癖字で、あかつき印刷には内山氏専門の植字工がいたという伝説がある。
 先の「天声人語」は「少し努力して添え書きをしてみよう」と筆者の決意が語られていたが、私の場合は心を込めて書いてみても「なぐり書き」みたいに見えてしまうので、原則として添え書きを近頃は止めている。
 そういうことなので、私の年賀状を見て「添え書きぐらいしたらええのに」などと叱らないでほしい。

2017年12月5日火曜日

会計検査と証拠隠滅

   会計検査院は11月22日、森友問題の約8億円の値引きについて国会に、ゴミの深さは「十分な根拠が確認できない」、混入率については「算定方法に合理性はなく・・根拠が確認できない」、単価については「確認することができなかった」、全体として「会計経理が予算、法律、政令などに従って適正に処理されていると認められない事態があった」との報告を行い、証拠隠滅のために公文書を廃棄したという国交省と財務省を厳しく批判した。
 この報告は、本来なら内閣が倒れても不思議でないほどの重大なものだが、総理の酒席に侍るマスコミのペン先は鈍い。
 ちなみに石井国交大臣が公明党であることも特筆しておきたい。

 さて、その後のニュースなどを見ると、政府の公文書管理委員会委員長代理の三宅弁護士は「公文書保管に関する役人の意識がなってない」と指摘し、公文書管理法を主導した福田元総理や毎日新聞の岸井特別編集委員も同様の指摘をおこなっている。

 それについて私は、平均的なマスコミ以上の評価があるとは認めつつも、いつも少々的が外れていないかという違和感を抱いているのでそのことを以下に書く。

 違和感は、国交省や財務省の公務員が公文書管理についてほんとうに意識が低かったのだろうかということである。私の想像では『そんなことは全く考えられない』。

 公務員には度々大小の政治家から問い合わせや要望がある。
 あるいは、マスコミからの問い合わせもある。
 そういう日常の些細な事柄でも「言った言わない」が大問題になるから、こういう電話があった、こういう風に面談の上でやりとりがあったと証拠を残し、ホーレンソーのホー=「報告」を文書で残すのは公務員のイロハのイである。
 これをしておかないと無茶な揚げ足をとられた場合、対応した個人の責任になってしまう。
 だから、森友事件発覚時点では証拠は山ほどあったのは間違いない。断言する。

 次に会計でいうと、例えば会議に出したコーヒーの数は出席者名簿という証拠書類がないと支出されない。
 つまり、会計は徹底した証拠主義であるから、約8億円の値引きなら、その理論立てが無茶であっても(それはそれで大問題だが)証拠書類は絶対条件だ。

 会計検査院には「検定検査」というものがあり、検査院のHPから引用すると、『現金出納職員や物品管理職員、予算執行職員が、現金や物品を亡失又は損傷したり、法令又は予算に違反した支出などを行ったりして国に損害を与えた場合、会計検査院は、それが、善良な管理者の注意を怠ったことによるものであるかどうか、又は故意若しくは重大な過失によるものであるかどうかを審理し、損害の弁償責任の有無を判定します。これを「検定」と呼んでいます。
 会計検査院が弁償責任があると検定したときは、各省大臣はその職員に対して弁償命令を出さなければなりません』ということになっている。

 つまり、通常のケースでこのように証拠も残さず不当な値引きをした場合、国に損害を与えたとして会計職員と上司は個人として約8億円を弁償しなければならない。
 そんな危険なことを誰がするか。考えなくても解る話だ。馬鹿も休み休みにしてもらいたい。

 だとすると、官公庁の大原則、大常識を超えた「天の声」「神風」(籠池泰典証言)がそれを歪めたのは赤子でも解ることだ。
 売却交渉時、新小学校の名誉校長に就任していたのは安倍昭恵氏である。
 この件で財務省国有財産審理室長に面談して口利きし、その内容をファックスで籠池理事長に送信し、また手紙を送っていたのは、使用した公用封筒の差出人どおりにいえば、「内閣総理大臣官邸 夫人付 谷 査恵子」である。
 このように、「天の声」「神風」が官邸と総理夫人から出たものであることはすでに明らかだと私は思う。

 国会で取り上げられる情勢になってから、国交省や財務省は、証拠書類を隠したかシュレッダーにかけたのだろう。それは、役所、公務員の問題ではない。
 公務の大常識をはるかに超えた政治問題であることは明らかでないか。
 だとすると、先の公務員批判の論調は厳しく現状を批判しているようで、結局安倍晋三と昭恵夫妻の犯罪(これは犯罪でしょ)をぼやかしているように私には見えて違和感を覚えるのだがどうだろう。

2017年12月4日月曜日

森友問題の最新の状況

 森友問題の最新の状況について、宮本徹衆議院議員(共産党・東京・比例)のブログが非常によくまとまっていると思ったのでご紹介したい。

 森友学園疑惑、この1週間の論戦で国が認めたこと。そして私の推察 2017-12-02 宮本徹

 森友学園への国有地払い下げをめぐる疑惑で、会計検査院が国の値引きの根拠となったゴミ撤去費用の見積もりは根拠がないと指摘する報告を発表して1週間あまりがたちました。会計検査院の報告は本当によく調べてあり、これまでの国のあらゆる説明に根拠がないことをひとつひとつ指摘しています。会計検査院の指摘をうけて、国会の論戦は、通常国会で展開されたゴミ撤去費用の根拠を追及する段階から、なぜ根拠のない撤去費用が見積もられたのか、通常国会閉会後にあいついで、報道された音声データや内部資料などをもとに追及する段階に入っています。

 すべてを知っている籠池氏は拘置所に拘留中、一方、国はすすんでつまびらかに明らかにする立場にたちません。そこで、国有地払い下げ交渉時の森友学園側の弁護士にお話をうかがえないかとお願いしましたが、話さなければいけないところに対しては話していますが、守秘義務があるのでメディアの取材も含めて、この件についてはお断りしているということでした。 ただその際、「ABCのうちACが明らかになっていれば、Bは推測できる」という一般論としてのお話がありました。

 この間、報道された内部資料等を時系列で並べると、欠けたパズルのピースも見えてきます。

(1)3月24日 森友学園側が国有地の買い取りを要望。

報道 「この日の協議で金額をめぐるやり取りが行われていたことが大阪地検特捜部の調べなどで明らかになっています。それによりますと、この協議で財務局側が学園側に対し、「いくらまでなら支払えるのか」などと、購入できる金額の上限を尋ね、学園側はおよそ1億6000万円と答えたということです」「この協議の場にはその後、ゴミの撤去費用の見積もりを直接担当した大阪航空局の職員も同席していたということです。」(11月28日、NHK報道)

国会答弁 「大阪航空局職員」の同席認める。「具体的な金額についての記憶はありませんが、大阪府の認可との関係で借り入れの金額に限度があることから、買う場合の金額にも限度があるとの話は森友学園側からはありました。」「(具体的な金額のやりとりについては)肯定も否定もできない」(12月1日衆院財務金融委員会 太田理財局長)

 → 「買う金額の限度がある」という話がでたことを事実だと政府は認めたわけですが、「限度がある」という根拠がこれだけ具体的に説明されたやりとりでは当然、限度額は具体的にいくらなのかでていないと不自然です。政府が都合が悪いところは「記憶はない」というのはいつものパターンですが、事実があったのことを否定できないので、「記憶はない」と言い逃れています。

 近畿財務局職員に加え、大阪航空局職員がこの場に同席していたということは意味があります。大阪航空局はその後、ゴミ処理費用を約8億2000万円で見積もることになりますが、この協議の場に同席していたということは、学園側の支払い能力に合わせて、ゴミ撤去費用を逆算して見積もることが可能な立場だったということを示す重要な事実です。

 あの国有地は森友学園への貸付賃料を決める際におこなわれた不動産鑑定で、この協議の約1年前の2015年4月27日に、約9億3000万円(厳密には9億2966万6000円)と鑑定されていました。この不動産鑑定価格の9億3000万円と森友学園側の支払い能力1億6000万円を比べれば、どの程度の減額をすれば森友学園側の支払い限度額内になるかは小学校で習う引き算でできます。(もちろん、1年で土地価格の変動という要素もあるし、不動産鑑定士によって鑑定の若干の幅があることも予想されますので、そうしたことも一定考慮して減額幅を定めていったのではないでしょうか。)

 国有地の払い下げ価格を森友学園が希望する支払い限度額にするためには8億円前後という巨額の減額が必要だということがすぐにわかります。この巨額な減額をおこなうために、「9・9メートルの深さのゴミ」という架空のゴミという「ストーリー」をつくっていくことになります。

(2) 3月下旬の協議 「9メートルの深さのゴミ」のストーリーの口裏合わせ
報道 
音声データ 国側の職員「3メートルまで掘っていますと。土壌改良をやって、その下からゴミが出てきたと理解している」「その下にあるゴミは国が知らなかった事実なので、そこはきっちりやる必要があるでしょうというストーリーはイメージしている」
 工事業者「3メートルより下からは語弊があります。3メートルより下から出てきたかどうかはわからないですと伝えている。そういう風に認識を統一したほうがいいなら我々合わせるが、下から出てきたかどうかは、私の方から、あるいは工事した側から確定した情報として伝えていない」
国側職員 「虚偽のないようにあれが大事なので、混在していると。ある程度3メートル超のところにもあると。ゼロじゃないと」「そんなところで作りたい」(音声データ 9月11日、関西テレビ「報道ランナー」)

3月30日の籠池夫妻と森友学園の弁護士、設計会社、施工会社の4社で打ち合わせの際のメモ
「できる限り低い金額で買い取りたい→航空局も同意」「航空局・財務局→彼らのストーリー 調査でわからなかった内容で瑕疵を見つけていくことで価値を下げていきたい」
 「9メートルの深さまで何か出てくるという報告を(するよう)、財務局から学園サイドに言われている」(8月3日、報道ステーション)

政府答弁 「報道されている音声データは、平成二十八年の三月下旬から四月ごろに森友学園側を訪問した際のやりとりではないかというふうに思われます。平成二十八年の三月十一日に、新たな地下埋設物が出てきた旨の連絡が森友学園側からあり、三月二十四日には、森友学園より、新たな地下埋設物の撤去費用を控除した価格で本件土地を購入したいとの要望が出され、それを踏まえて、本件土地を売却する方向で森友学園との打ち合わせに臨んでいたところでございます。地下埋設物の撤去費用を見積もるためには資料が必要であり、三メートルより深いところから出てきたものにつきましては新たな地下埋設物になるとの認識のもとで、必要な資料の提出をお願いする旨の話をしてございます。
 ただ、報道を聞いておりますと、こういう認識を伝える表現としてストーリーという言葉を使っておりますが、それは大変適切でなかったというふうに本人も申しております。
 いずれにいたしましても、先方とはさまざまなやりとりがありましたが、新たな地下埋設物の撤去費用を見積もるためには資料が必要であるから、さまざまな資料の提出をお願いしていたということでございます。」(11月28日、予算委員会、太田理財局長)

 → 音声データがメディアで報道されたもとで、政府も、音声データの存在は否定できなくなり、この音声データが本物であることを認め、「ストーリー」という言葉を使ったことについては、適切でなかったと釈明せざるをえなくなりました。ただ「口裏合わせ」と自ら認めるわけにもいかず、「必要な資料の提出をお願いしただけで、口裏合わせではない」と苦しい答弁を繰り返しました。
 しかし、音声データを事実と認めた以上、「口裏合わせではない」と1万回繰り返しても、9メートルまで深いところにゴミがあるという口裏合わせをおこなっていた事実は消えません。

 「9メートルまでの深いゴミ」は、いったい誰がいいはじめたのか。私は、12月1日の財務金融委員会で、「学園側か、業者側か、国側か」とただしたところ、太田理財局長は「国として総合的に判断した」と述べ、学園側や業者側が主張もしていないのに、国が決めたことだと認めました。まさに9メートルの深さまでのゴミというのは、国が主導して作った作り話ということです。

 音声データでは、業者の側は「3メートルより下からは語弊がある。」「3メートルより下からでてきたかどうかはわからない。」「9メートルというのわからない。」といっているのに、国の側が9メートルまでゴミがあることにしようと迫っています。国がないものをあることにしようとした理由は、架空のゴミの存在をつくりあげないと、森友学園側の支払い限度額内に価格を下げることができないという判断だからと想像されます。


(3)4月9日~10日 設計業者「データで産廃が3メートル以深ではない」

報道 4月9日から10日にかけて交わされた設計業者と学園の弁護士(当時)とやりとり
 設計業者「ボーリングデータで産廃が3メートル以深ではない。正論で負けてしまいそう」
 弁護士「提出はやめましょうか」
 設計業者「資料は抹消しました」(9月12日、毎日新聞)

→ 私もこのメールのやりとりを確認しましたが、ボーリングデータを国に提出するかどうかのやりとりで、ボーリングデータをだせば、不動産鑑定士に3メートルより深いところにゴミはない正論でやられるのではと懸念するやりとりをしています。
 このやりとりをみても、3メートルより深いところにゴミはそんなにないということは、業者も学園側も共通認識だと思われます。

 ちなみに、さらなるやりとりをへてボーリングデータは資料としては提出されています。そして、不動産鑑定士は、会計検査院の報告書に記載されているとおり、航空局のおこなった「ゴミの撤去・処分費用の概算額」は、依頼者の推測にもとづくものが含まれているといって、不動産鑑定価格に使用していません。

(4)4月14日 国土交通省大阪航空局がごみ撤去費約8億円と算定

(5)5月18日 近畿財務局音声データ
報道 籠池理事長(当時)「ゼロ円に近い形で払い下げをしてほしい」「1億3000万円がうんぬんというよりもグーンと下げていかなあかんよ」
近畿財務局担当者「それよりも安い値段はもう到底できない」「理事長がおっしゃる、0に近い金額まで私はできるだけ努力する作業をやっている」

政府答弁 「御指摘の財務局職員の発言に関する音声データ は、四十五分程度で、全体が公開をされておりま して、昨年、平成二十八年五月半ばごろのものと 思われますが、その内容に関して近畿財務局の職 員に事実関係の確認を行った結果は以下のとおり でございます。 まず、国として有益費の一億三千万円を支払っ ている以上、それを下回る形での売却はこの土地 に関する収支がマイナスになるということを意味 し、国としてそのような対応をとることは考えら れないという趣旨の話をしてございます。」「いずれにいたしましても、先方とはさまざまな やりとりが行われましたが、不動産鑑定評価額が 出る前に先方から買い受け希望価格が提示された という認識はございませんし、当方から売却価格 を提示したということもございません。 」(11月27日、太田理財局長)

→政府は音声データの存在を認めました。「ゼロ円に近い形で払い下げをしてほしい」とはっきり音声にあるのですから、「価格交渉」がなかったとするというのは、苦しい答弁です。過去の佐川理財局長の「先方からいくらで買いたいという話はない」といった答弁はうそだったということになります。

 ただし、この5月18日は、時系列でいうとゴミ撤去費用が見積もられた後、不動産価格は不動産鑑定士が鑑定作業中。この時点で本来の意味の「価格交渉」が成り立つためには、国側が不動産鑑定士の鑑定作業に関与しなければなりたたない段階だと思われます。しかし、不動産鑑定士は会計検査院の報告にあるように、航空局のゴミ撤去費用について鑑定価格にいれていないなど、中立的に鑑定をおこなっていると思われます。この5月18日時点での籠池氏らの働きかけは、その後決まる買い取り価格には影響していないのではなないかというのが私の推察です。

 すると、この音声データで、近畿財務局職員が発言している「0に近い金額まで私はできるだけ努力する作業をやっている」というのはなにをさしているのでしょうか。

 不動産鑑定の発注位に際して、国はゴミ撤去処分概算額と軟弱地盤対策費を考慮して不動産鑑定評価をおこなうと条件をつけていました。そして大阪航空局が算出したゴミ撤去処分費用約8億2000万と軟弱地盤対策費5億8492万を示していました。おそらく国側はこの二つを盛り込んで不動産鑑定をおこなえば、1億6000万円はもちろんのこと、国として売り払う最低価格の1億3200万円(有益費として先に森友学園に支払っていたもの)を下回ると見込んでいたのではないでしょうか。それが「0に近い金額まで私はできるだけ努力する作業をやっている」という意味なのではないか、というのが私の推察です。

(6)5月31日 不動産鑑定士が国有地の評価額を9億5600万円と査定

(7)近畿財務局が学園側に売却額1億3400万円と提示(不動産鑑定価格に、ゴミ撤去処分費用を差しひいたもの)


 かけたパズルのピースは推察でうめました。埋まっていないピースは、なぜ、国有地の払い下げにあたり、架空のゴミまで設定して、森友学園の支払い限度額内のただ同然にまで下げていったのか、この動機です。政府は損害賠償請求のおそれからこういうゴミの見積もりをおこなったといいますが、業者も深いところにゴミはないと言っていたもとで、架空ゴミを見積もらなかったからといって損害賠償請求で負けるはずがありません。結局、安倍昭恵氏の存在があるということなのでしょうか。あるいは、損害賠償請求されたら負けてしまうような、国民に説明していない、隠された国側の瑕疵があるのでしょうか。音声データが事実と認めた以上、説明する責任は国の側にあります。

2017年12月3日日曜日

ペリー提督の末裔とヒバクシャ署名

   12月1に掲載した元米国防長官ウィリアム・ペリー氏は幕末に来航したペリー提督の後裔である。
  提督の来航は、「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」と詠われたが、後裔の朝日新聞登場も安倍政権にとっては上喜撰かも知れない。
 氏は、国連の核兵器禁止条約について、次のとおり安倍政権を批判している。

 『会議をボイコットするより、日本は原則論を述べたり、支持を表明したり、やれることはたくさんあった。世界の中でも、広島と長崎で苦痛を経験した日本だからとれる道徳的立場があります。
 とはいえ、条約が採択されてよかった。実現せずとも発信することに価値がある。200年以上前、米国の建国の父は(独立宣言で)「すべての人間は平等に造られている」とうたいました。当時は奴隷もいて、女性には投票権も認めず、平等ではありませんでしたが、原則を信じた。目標を持つことが推進力になるのです。』(引用おわり)

 以上の発言は世界の良識、常識だと私は思う。
 よく「現実に合わない憲法」という人がいるがペリー氏の言葉を拳々服膺されるがいい。「憲法に合わない現実」を憲法に合わせようと努力するのが現下の課題だろう。


なお、ローマ法王庁が主催して核兵器の廃絶と軍縮に向けた道筋を考える国際会議が1110日から2日間、バチカン市国でおこなわれ、日本原水爆被害者団体協議会の和田征子事務局次長が演説をした。 
同行サポートをしている日本原水協の朝戸理恵子担当常任理事からのリポートを紹介する。
『和田さんの発言は素晴らしい内容で、終わったとたんに、発言者でただ一人、会場総立ちの拍手を受けました。涙目で聞いていた人もいたようです。セッションの終わりには挨拶と感謝を述べにくる人たちが和田さんの前に列をなしていました。
10日の法王謁見では、一人あたり10秒ぐらいの時間しかなく、「ヒバクシャ国際署名」をお願いしたいと述べて署名簿を渡し、握手するだけで精一杯でした。返事が来るかどうかは分かりませんが、事務局の人に返事をいただきたいことは念押ししてきました。会議に参加していた枢機卿や司教からは署名をもらいました。
   セッションの開始前、休憩、昼休みと和田さんには取材が引きも切らずだったため、なかなか参加者に署名をしてもらう時間がなく、思ったようには集まりませんでしたが、ノーベル平和賞受賞者のジョディ・ウィリアムズさんなどが署名してくれました』。

国内政治から目をそらす気はないが、世界の良識の流れもよく見て、そこに確信を持ちたいと思う。

2017年12月2日土曜日

富雄丸山古墳その4

   11月19日、21日、28日に富雄丸山古墳に触れ『上方落語「東の旅」の喜六、清八も富雄丸山古墳を見たに違いない』と書いたが、あまり無責任に書いても良くないので実地に確認してきた。

 写真1は朝日新聞の写真で、写真2は私が実際に撮ってきたものだが、その第一印象は「これは大きい」というものだった。
   後円部の直径だけなら伝天皇陵古墳といわれる数多の前方後円墳と遜色がない。
 故に、喜六、清八も見ていたに違いないとの想像は全く間違っていなかった。

 そうすると、こんな大きな(日本一の)円墳の被葬者は誰?と、どうしても気になる。
 そこで・・・、発掘品等から古墳時代前期(4世紀後半)と言われているから、初期のヤマト王権周辺に該当者はいないかと記紀関係の本を読み直して考えた。
 ただし、答が奈良北部の有力な豪族和珥(和邇)氏周辺では面白くない。

   ということで、先ずは、初期のヤマト王権は国造等の任命以前に県(あがた)と呼ばれる直轄地を持っていたが、この辺り奈良市周辺は曾布(添)御県(そふのみあがた)に当たることに注目した(奈良県立添上(そえかみ)高校の名にそれは残っている)。

 さて、添御県坐神社(そふのみあがたにいますじんじゃ)というのが不思議なことに二つあり、そのどちらも私は転居前も転居後もお正月等に参っていたことがあることは以前にブログに書いたが、そのうちのひとつ(転居前)が富雄の三碓(みつがらす)の地にある添御県坐神社(写真3)である(もう一つはもっと北の歌姫の集落にある)。

 で、その祭神のうちの武乳速之命(たけちばやのみこと)の真の名前は那賀須泥彦(ながすねひこ)という。
 記紀によると、那賀須泥彦というと神武(じんむ)天皇のヤマト進出に抵抗した元々のヤマトの豪族で、神武の兄の五瀬命(いつせのみこと)を射殺したりしたが、義弟饒速日命(にぎはやひのみこと)に裏切られて殺されたとある。
 よって、この古墳が、反神武のチャンピオン那賀須泥彦か、那賀須泥彦を殺して神武に国譲りをした饒速日命かと考えるのも楽しいが如何だろう。

   次に、4世紀の歴史に登場する有名人というと忍熊(押熊・おしくま)王となる。
 忍熊王の墓は佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群に近い奈良市押熊の集落にある(写真4)が、反逆者?といえどもこれはあまりに小さい。
 忍熊王は麛坂(かごさか)王(兄で後に死亡)とともに仲哀(ちゅうあい)天皇と大中姫(おおなかつひめ)の子(王子)であったが、仲哀天皇は筑紫で不慮の死(殺害?)にあい、仲哀天皇の子と称する応神(おうじん)天皇を戴いた神功(じんぐう)皇后と建内宿禰(たけしのうちのすくね)がヤマトに帰郷?するのと戦った。それが忍熊王である。最後は神功側の謀略にかかって死んだ。

 ということで、本来なら次の天皇であったかもしれないのに神功・建内・応神側に誅殺された忍熊王にはこの巨大な円墳が似つかわしいと想像するのはおかしいだろうか。

 以上は全て、富雄丸山古墳の大きさに感心して、3箇所を巡って想像した夢物語である。
 謎の4世紀は自由な想像の4世紀だと思う。笑いながら読んでもらいたい。 

2017年12月1日金曜日

元米国防長官の言葉の重さ

   朝日新聞11月29日のペリー元米国防長官のインタビューは参考になった。
 1994年に実際に軍事計画を作成していた張本人の証言である。
 「日本の指導者は、外交の失敗がもたらす帰結を理解する必要があります。外交の不在や見境のない発言は、戦争に、非常に壊滅的な核戦争に突入する条件を醸成してしまいます。実行可能な軍事オプションがあるなら、私もそれを薦めるかもしれませんが、(実際のところ)そんな解決策はないのです。私が驚くのは、実に多くの人が戦争がもたらす甚大な結果に目を向けていないことです。戦争は日本にも波及し、核(戦争)になれば、その被害は(韓国にとって)朝鮮戦争の10倍に、(日本にとって)第2次世界大戦での犠牲者数に匹敵する大きさになります。我々は外交を真剣に検討すべきです。」「外交官に必要なのは『舌先』より『耳』です。相手が何を言っているのか、何を信じているのか、耳を傾ける必要があるのです。」

2017年11月30日木曜日

維新吉村市長の非常識

 山口一男 シカゴ大学教授・経済産業研究所客員研究員のFbがすばらしいので転載する。
 標題は、『大阪市の決定の反国際性―サンフランシスコ市との姉妹都市関係解消の意味することーーナショナリズムの心理を悪用して、進んで世界から孤立するような意識を植えつけるような政治は本当に辞めて欲しいものだ』

 山口一男 シカゴ大学教授・経済産業研究所客員研究員

 日本を外から見ていて、またもや国際関係上非常識と思われ、国際的信用を下げることが起こってしまったと感じる。慰安婦像設立に関し、大阪市がサンフランシスコ市との姉妹都市関係を解消すると決定したことである。60年の歴史を解消するほどの行為の理由が、米国から見て「女性の人権蹂躙の歴史を記憶にとどめる碑」の設立が名誉を傷つけると日本が主張するという衝撃的事実が、いかに米国での日本のイメージを悪化させるかについて大阪市は考えたことがあるのだろうか。

 慰安婦問題を否定しようとすることで「人権を軽視し、女性差別的な国」という印象を与える日本の自治体の行動が、国際的に「日本の名誉」をかえって損なうものであることは容易に想像できそうなものだが、自国しか見えないのであろう。

 偏狭なナショナリズムは政治を世界に対し盲目にするという例になってしまった。だが慰安婦問題に対し日本政府の主張を支持する米国の有識者は皆無といって良い。親日家を含み米国の有識者での日本への評価は、筆者の観察では日本が慰安婦問題の存在自体を否定するような発言や行動をすればするほど悪くなってきている。将来の日米関係一般にも悪影響しかねない状況だ。

 今回の関係解消について、大阪市長は国内の政治的空気を読んで一種のパフォーマンスをしたのだろうが、歴史評価問題に関し日本の人権意識の低さを国際的に印象付けると言う「負の外部効果」を生み出しただけでなく、サンフランシスコ市内の日系人社会に無用の分断と対立を生み出し、また経済的にも文化的にも発展し続けるサンフランシスコ市という魅力的な都市との交流という大阪市の将来を一時の政治的判断で潰してしまった。その社会的コストは極めて大きいと考えられる。

 もちろん国際的な姉妹都市の関係が極めて有益であるどうかは一概に言えず、大阪市―サンフランシスコ市の姉妹都市関係が今までどれほど有益であったのかどうか筆者は知らない。しかし、シリコンバレーを近くにもち、グーグル社を含めIT関係の会社もひしめくサンフランシスコ市は住民の生活の質(quality of life)指数では全米トップの都市であり、有効活用されれば大阪市との姉妹提携は将来的にも十分日本側にとって恩恵をもたらすはずのものである。

 大阪市は関係解消手続きが今からでもできるなら中止し、さもなくば近い将来サンフランシスコ市に今回の非礼を謝罪した上で、姉妹都市関係を復活させることが望ましい。形があれば有効活用は可能であり、国際親善にもなる。だが一旦関係が解消されれば覆水盆に帰らずとなる可能性もある。信用を培うのには時間がかかるが、不信は一時の誤りでも生まれるからである。それにしても意義のある60年の伝統を、大阪市の利益ではなく市政と本来無関係の政治的理由から破壊するとは、市長の権限の乱用ではないのか。

 また今回の大阪市の抗議は以下の3つの点で筆者は大きな問題があったと思う。

 まず第1に大阪市が、国際的都市間の姉妹関係を政治利用したことである。サンフランシスコ市の決定は基本的に米国の自治体の問題である。当市における慰安婦像設立の提案は長年サンフランシスコ市の高裁判事を勤めた共に中国系米国人のLillian Sing氏とJulie Tang氏を代表とする市民団体の提案に沿ったもので、韓国の直接的政治的働きかけによるものではない。

 今回の提案はあくまで米国の自治体事業であり、それを批判することは、例えて言えば原爆慰霊碑を日本の自治体が作ることに米国の自治体が抗議し、姉妹都市の提携を解消するに近い行為である。これは本来非政治的分野での交流を旨とする姉妹都市関係に政治を持ち込む内政干渉とも言うべき行為で、国際関係上極めて不適切であった。

 2番目の問題は、今回のサンフランシスコ市の慰安婦像設立は、歴史における他の人権蹂躙に関する記念碑同様、その人権蹂躙の事実を記憶し再び同様のことが行われないことを祈願するという普遍主義的立場に立ち、人権問題(Human rights issue)であって、旧日本軍の行為を批判しても、日本批判を意味するものでは全くないのだが、大阪市および日本政府(菅官房長官)は、旧日本軍の制度の批判を日本批判と同一視したことである。

 筆者にはその同一視が大きな問題だと考える。慰安婦制度問題だけではなく、旧日本軍の下では「南京虐殺事件」「沖縄の集団自決」「『玉砕』の強要」「731部隊の人体実験」「戦争捕虜の高い死亡率」など、数多くの人権蹂躙問題が存在した。それは抑圧的な日本軍の規律統制や人命を軽視する価値観のもとで、明日の命も知れぬ戦争という異常事態での多くの日本兵の精神の劣化があいまって起こった特殊な出来事であった。

 それはナチスドイツの特殊な価値観の影響の下で多くのユダヤ教徒や精神病患者の虐殺が行われたのと類似の特殊な出来事であったといえる。ナチス政権の初期に、政府の「優性保護法」の基に精神病院での患者の大量毒殺に直接関わったのは、人の命を救う職業についているはずであるごく普通の医師や看護婦であった。通常「ありえない」と思うようなことが歴史の状況次第で起こりうるのである。

 特に戦争やファシズムの興隆などに伴う人命軽視の価値観や人間性の劣化が、そのような反人道的行為を起こさせるリスクを高めるものという歴史から学んだ認識があり、またそのため将来への戒めとして「歴史の負の側面」を正しく語り続けることが必要とされる。実際ドイツではそうしてきた。だからドイツ人はナチス政権下での人々の行為への批判を、ドイツ民族や文化への批判とも、ましてや自分自身への批判などとは受け取らず、人間社会一般への戒めと受け止める。

 一方ドイツとは対照的に、日本では歴史教育において、上記のような旧日本軍の負の側面を明らかにすることに消極的なまま戦後70年を過ごしてきた。それどころか、かなりの政治家や「保守系」論者たちが、それらの歴史的事実を教育内容に含めることに反対し、それを記憶させようとする歴史学者の態度を「自虐史観」などと呼んで糾弾する現状がある。

 その背後には特殊状況での旧日本軍の行為への批判を日本民族批判ととらえ、それと闘うという宗教的ともいえる社会運動があり、慰安婦問題もそのような状況のなかで政治的に扱われてきた。その圧力が強まる中で、現在慰安婦問題について理性的に議論することも難しい空気が生まれつつある。だから筆者も、この記事の発言をすることは大変気が重い。

 だが大多数の日本人同様戦後の生まれの筆者は、旧日本軍の行いに直接的責任を感じていない。だから慰安婦制度批判を、日本批判と感じないし、ましてや日本人である自分が批判されたようには思わない。日本人として自意識は自分の戦後の日本での体験のみにあるからだ。そして慰安婦制度下の人権蹂躙批判を日本人への批判と感じる日本人の感覚には、自分の娘が「親友が痴漢にあった」と腹を立てている時、娘と一緒に痴漢に腹を立てるのではなく、男性である自分が非難されたように感じて「痴漢事件には冤罪も多い」などと発言をする父親の態度と類似していると感じる。

 なぜ被害者である慰安婦女性の悲惨な経験にまず思いが行かないのか?

 そしてなぜ特定の歴史状況における旧日本軍の非道な行為への批判を、あたかも自分たちが不当に非難されたように感じるのか?

 もし慰安婦の多くが、戦前の大日本帝国下で国民ではあるが植民地であった朝鮮や台湾の女性であるから彼女たちの痛みがわからず、旧日本兵の多くが「本土」の日本人であるから同情するのであれば、日本人の倫理や「思いやり精神」はいつからそんなに民族差別的になってしまったのか?

 現在の多くの日本人のこの問題に対する感じ方は、国内の暴力や差別の問題に対して多数の日本人が示す被害者への同情的な態度と大きく異なるように筆者には思える。これも慰安婦問題を捏造などと論じる人たちの作り出した空気の影響なのであろうか。そうだとすればとても恐ろしいことである。   

 3番目に大阪市の側には論理的破綻があると筆者は考える。大阪市の抗議の理由は、残念ながら正式の文書を筆者は手に入れられなかったが、米国側報道では「慰安婦問題には歴史学者の間でも意見の不一致があり確定していないのに、一面的主張がなされている」という主張であり、日本の報道では碑文に「性奴隷」というような言葉が碑文で用いられるなどが不適切という理由である。

 過去においても、同様の主張は何度もなされ、そのたびに日本側の主張はしりぞけられてきた。部分に異議を挟むことで、全体を否定する議論だからである。それなのに儀式のように日本はそのような論法をかたくなに繰り返している。

 日本のメディアでよく散見するのは、吉田清治の強制連行捏造と関連する朝日の誤報である。これを理由に日本軍の慰安婦制度の存在自体を捏造のように議論する者も少なからずいる。だがこの誤報問題が日本軍に存在した慰安婦制度による女性の人権蹂躙の存在を否定するものでは全くないという知識と認識を米国側は持った上で判断しており、オランダ人慰安婦のケースのように明らかな強制連行の事例もある。

 日本側もそれを承知だから「歴史学者は意見の一致を見ていない」などというあいまいな主張したのであろう。また「性奴隷化(sexually enslaved)」という表現を用いたことに対して大阪市は抗議したようだが、これは言葉の定義の問題であろう。多くの場合、自由意志で辞めることができずに性的行為を強制されていたと考えられるので、「性奴隷化」という表現は英語感覚では不適切とはいえない。

 上記のように日本の抗議理由は碑文の内容が日本に不公平という趣旨で、それだけでは大阪市の抗議は説得力を持たない。なぜなら大阪市は慰安婦像設立自体に反対し、碑文の文章表現の修正を申し入れたわけではないからである。だからサンフランシスコ市は日本の抗議の意図は歴史的事実の否定であると解釈して拒絶したのだ。

 将来日本の若者が世界で胸を張って生きていけるためには、「歴史の負の側面」からも目を背けず、その上で戦後日本が経済復興と繁栄を成し遂げ、特有の魅力ある文化を発展させ、また70年以上の長きにわたって平和を維持し比較的安全な社会を作り出してきたということへの誇りに土台を置くべきである。これらの事実は世界でも高く評価されているからである。

 一方日本は過去25年以上も経済的に低迷しているし、成功体験のある世代は現在の若者の世代が面している厳しさに理解がない。だから多くの若者が戦後の体験をポジティブに語る上の世代に反発し、戦後を否定する考えに同調し、憲法の護持や人権を叫ぶ「リベラル」からはむしろ距離を置くようになった。

 しかし政治において戦前の人命や人権を軽んじた時代を美化し、歴史的事実から目をそむける方向にそういう状況の若者を誘導することは、日本を再び世界では理解不能な「異民族」に戻し、日本の若者から将来国際的に活躍する力をも奪うことである。道が見えにくくなっている若者たちに対し、いわばナショナリズムの心理を悪用して進んで世界から孤立するような意識を植えつけるような政治はもう本当に辞めて欲しいものだ。

 日本社会が、若者たちにとって個々人が大切にされると感じることで希望を持てる社会となり、そこでの身近な経験が自然な愛国心を生み出す。そのような社会の実現を政治は目指すべきである。(引用おわり)

 私には至極真っ当な指摘に思える。
 もしSNSのアドレスを持っていながら記事をあまり更新していない方がおられたら、氏の指摘をコピー・転載でよいから広めてほしい。
 安倍晋三自公政権だからといって、国際的に日本や日本人の信用が落ちるのを喜ぶべきではないと思う。
 自称リベラル派は声を上げよ。