2016年10月16日日曜日

フウの木の末裔

   義母のホームの庭のフウ(楓)の木が色づき始めた。
 フウといえばミャオ族の伝承にこうある
・・・我々の祖先はかつて長江流域に住んでいた。そして、北から来た人々と戦った。
 しかし戦争に負けて祖先は首を切られた。
 そのときに流れた真っ赤な血が葉について赤くなった。
 だからフウの木は秋になると真っ赤になるのだ。
 フウの木の赤い色は、祖先の悲しみの血の色なのだ・・・

 私の好きな「ミルクを飲まない文明」(安田喜憲著歴史新書)の頁をめくると、
・・・4200年前に気候の悪化があり、黄河文明を担っていた畑作牧畜民が大挙して南下し、長江流域の非漢民族を蹴散らした。
 そのため、多くの人々は種籾を持って雲貴高原に逃げ棚田を造成した。
 海岸付近の人々はボート・ピープルとなり台湾や日本列島に逃れ、水稲稲作を伝えた・・・と、教えている。

 ミャオ族の伝承や稲のDNAはそれを傍証している。
 日本文化の基層のルーツがここ(長江下流域の非漢民族)にあるという意見に私は頷いている。
 長江下流域の非漢民族イコールミャオ族と捉えるのは早計だが、倭人と近しい間柄であることは間違いなかろう。

 なおミャオ族には、昔々一本のフウの木に蚕が12個の卵を産んで、その卵を鳥が15年間温めて、人、龍、虎、水牛、雷神等となったとの始祖伝説がある。
 ミャオ族の自称Hmongは「フウの木の心」と言われている。
 中国最古の都市遺跡といわれる城頭山遺跡からは大量のフウの木の木片が出ている。
 村には今もフウの木の柱を立て、死者の魂もフウの木に帰ると信じられている。(「大長江」竹田武史著光村推古書院)
 
 その昔、長江流域で共に暮らしていた隣の村?のミャオ族の、そんなフウの木の物語を思うと、義母のホームのフウの木も何となくありがたく感じられるから不思議だ。

 「稲を伝えた民族」(萩原秀三郎著雄山閣)などには、江南の文化の中に我々と共通する多くの要素があることを教えている。下記の絵などはその一つである。

鳥取県角田弥生遺跡出土土器線刻画
雲南省普寧出土青銅器の図








  楓の木や真っ赤に染めよ寒き秋

3 件のコメント:

  1.  「秋」には、裏に「とき」という意味を重ねたつもりだが…

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  2. 私のフェースブックへのコメント、ありがとうございます。
    そうですか楓の赤い色にはミャオ族のそういう言い伝えがあるのですね。
    直接の関係はありませんが私の住む石川県、とくに能登半島には大陸、とくに朝鮮半島からの渡来民の豊かな技術や文化の痕跡が至る所に残り、日本の文化や技術に多大な影響を与えたことがわかります。
    そんなことを考えると本当に面白いですね。
    これからもFB友達としてよろしくお願いします。

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  3.  コメントありがとうございます。
     息子の嫁が金沢の人です。
     なので、そんなに遠い気がしていません。
     北陸の美しい写真を見せて頂きます。

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