2016年9月30日金曜日

荒地盗人萩

   「可愛い花なのに盗人萩という名は可哀相」という方がおられるが、「何をおっしゃる兎さん」である。
 アレチノヌスビトハギ(荒地盗人萩)には、去年行なった特養の草刈りボランティアのときに散々な目に遭った。
 この草のことは誰でも周知のことだと思っていたが、意外にご存知ない方が多かった。

細心の注意を払ってこのとおり
   なので、洋服から頭の髪の毛まで全身「ひっつき虫」まみれになった女性まで続出した。
 その記憶があったので、今年のそのときには「ひっつき虫に気をつけて!」「ヌスビトハギに気をつけて!」と事前に徹底した私だが、高枝バサミを駆使して細心の注意を払っても写真のとおりだった。ズボンの裾は私の足である。なん人もがこうなったが、でも去年に比べれば特段に被害は減少した。

 このヌスビトハギ(写真はアレチノヌスビトハギ)の名前の由来は、田中修著「雑草のはなし」(中公新書)によると、
 「実の形が盗人が忍び足で、そっと歩く足の形に似ている」からとか、
 「盗人が爪先立って忍び足で歩いた足跡に似ている」とか、
 その外には、意訳すると「被害者に気づかれないうちにそーっとくっつく(仕事する)」から・・・と、書かれている。
 この「踵をつけない足跡」説は高名な植物学者の牧野富太郎説でもある。

 ネットでは、「日陰にこっそり咲く姿が裏街道を行く盗人と重なるから」説もあるが、これは日当たりの良い場所にも旺盛に咲いているから、事実に反する。
 事実に反するといえば、「ヌスビトハギはひっつくがアレチノヌスビトハギはくっつかない」という文がネットにあったが、これも真っ赤な嘘である。ちょっと歩けば30秒で真実は明らかになる。ネットには、こういう自分で確認もせずに文を載せる人がいる。困ったことだ。

 さて、先に書いた「名の由来」だが、しかし私の理解はそれらと違っていた。
 文献によるとか、誰かに教わったものではないが、その名前と、払っても払っても払いきれない強固なひっつき虫という特徴から連想して、
 「お主、昨夜越後屋に泥棒に入ったに相違なかろう」
 「めっ!めっそうもございません」
 「ええい、黙れ! その足もとについた萩の種が動かぬ証拠じゃ」
 と、盗人の証拠になったので盗人萩だとばかりに信じていた。ほんとうにそう信じていた。
 私が自信を持って語ったので、私の周辺では一定程度この説が広まっている。
 私も、生半可なネット人間と変わらない。ああ。
 でも、この説、ちょっと説得力と物語性があって捨てがたい説とは思いませんか。

2016年9月29日木曜日

絶品 梅のシロップ漬け

   先日、夕食後のデザートとして、友人から貰った梅酒の梅を使った梅のシロップ漬けを頂いた。
 私も妻もあまりの美味しさに大満足。
 ただし、夕食時にすでに一杯飲んでいるので、どの程度アルコールが飛んでいるのかが分からない。

 孫の夏ちゃんは、料理の中で「一番好きなのが梅干し」というぐらいだから、大喜びするに違いないのだが、「どうしたもんじゃろのう」と夫婦で頭を悩ました。
 友人にメールをしたら、「あまりアルコールが飛んでいない、大人用です」と返ってきた。

 なので、あまり強引なことをするとお嫁さんに怒られるから、別途スダチでも持って行ってやることにする。
 夏ちゃんは、半割にしたスダチをオレンジかなんかの果物のように齧るのが大好きだから。

 翌日、特養に入所している義母のところにお裾分けした。
 予想どおり、義母は大喜びで「また持ってくるわ」という約束に「頼むわ」と嬉しそうに頷いた。
 貰い物のお裾分けだが、親孝行ができた。

 これなら、もう少し外を感想させたら高級な和菓子になる。グラッセだ。
 奈良の千壽庵吉宗に「梅蕊」(ばいすい)という名で出ている高級和菓子。
 そんなことを想像して、心して戴きました。

2016年9月28日水曜日

平和の俳句

   25日(日曜日)の朝日新聞書評欄に「平和の俳句」の紹介があった。
 午前中には所要があったので午後一番に「置いてありそうな書店」に行くと、「昨日入荷してここに2冊あったのですが・・」ということで、出張販売に持って行ったようだった。
 なのでいつもの書店に行き、俳句等のコーナーに行くとやっぱりなかったが、念のため検索してもらうと何処からか(きっと新刊コーナーから)持ってきてくれた。

 この本は、2015年1月1日から12月31日まで、東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞、日刊県民福井の朝刊1面に毎日1句掲載された「平和の俳句」をまとめたものだ。
 撰者は、金子兜太氏といとうせいこう氏。
 昨日の記事で「有季定型」のことを書いたが(昨日の原稿は24日に書いたもの)、ここには季語のないものも花鳥諷詠でないものも多い。
 兜太氏は言う。「季語は世界的な自然の現象とは言えないが、平和というのは世界的な言葉だ」と。

 紹介したい句が多過ぎるが、私の胸に特に響いた五句を紹介し、この本の推薦記事としたい。
 「平和の俳句」(小学館1,000円+税)、秋の夜長に一読をお勧めする。

シベリアの捕虜六年で貝になる 柏マサ枝 茨城県笠間市
命令に従っただけ春寒し 加賀川治作 福井県鯖江市
父はただ穴を掘ったとしか言わぬ 青砥和子 愛知県瀬戸市
真夜中に悲鳴を上げる父がいた 小林礼子 千葉県柏市
デモの誘い真面目に読む日が来るなんて 金井柚季奈 東京都板橋区

 1句目、「私は貝になりたい」という名ドラマがあった。昭和33年、小学生の私にも戦争の不条理は理解できた。
 2句目、現代社会に増幅して伝わってないか。人生の有限を感じる年頃になって、この言葉は吐きたくないと思うが、そんな生易しいものでもなかった。
 3句目、加害の証言をする人あり。その勇気こそ称えられるべき。
 4句目、フラッシュバックだ。残酷なことだ。ヒロシマの大先輩もそうだった。
 5句目、同感だ。同時にそこには展望が見えている。

 金子兜太氏の選んだ五句とも、いとうせいこう氏が選んだ五句とも避けたつもりはないが、一句も重ならなかった。

2016年9月27日火曜日

俳句入門

こんな本も持っている
   テレビ番組で今のところ一番気に入っているのはプレバトの俳句コーナーである。
 気に入っているとはいうものの、提起された写真を見ても私には全く俳句が浮かばない。
 出演者が「凡人だ」「才能なしだ」と一蹴されるが、その彼らの足下にも私は及ばない。
 そんなレベルではあるのだが、夏井いつき先生の選評にはほゞ納得させられる。
 そこに感心するのでこの番組が好きである。

 先日、呑み屋にいる友人から「近々句会を始めるぞ」とメールが入った。
 そういうことで話は盛り上がっているらしい。
 ただ、アルコールは根拠なしに未来を明るく照らすものだから、実現性は「?」である。

 昨日の記事で、明日にでも楽しく収穫しようかと思っていた柿をヒヨドリに齧られて残念無念、あまりに悔しいので齧られたところを包丁で切り捨てて残りを食べたことを一句捻ってみた。
 だが、どうも平板で説明的になる。
 上手くいかない。

 何を隠そう、私は相当以前から「俳句入門」の本を持っている。
 その上に「大歳時記」も持っている。
 この「持っている」というところがミソで、持ってはいるが内容は全く頭に入っていない。
 この「波長の合わない」理由は自分でもわかっている。
 小学校のときに受けた教育にある・・・と、責任を転嫁する。

 私の小学生の時代というのは、ほんの数年前までは戦前の教育だったのだから、教育者が必死になって新しい民主主義教育を模索し試行錯誤していたし、戦後民主主義に危機を覚えた戦前派による巻き返しも始まっていた時代だった。

 そして私の受けた教育は、戦前の反省と新しい民主教育に熱心な先生たちによるものだった。
 だから、世の中で当然だとされている決まり事を先ず疑いなさい、人の言うことを鵜呑みにせず自分の頭で考えなさいと繰り返し教えられ、話し言葉で自由に書いた作文が誉められた。
 対局として、漢文調の美文、常套句は偽りの「国体」を飾ってきたものとして徹底して嫌われた。
 そういう原点があるものだから、定型句(詩)を否定するものではないのだが、どうしても定型句とは波長が合わない脳の体質になったのだと、今でも人のせいにしている。

 そうであるから、理屈抜きで入門書の1ページ目の「有季定型」という決まり事を疑ってしまう。
 「そんなものは、野球でいえば何故3球で三振か、4球でフォアボールか、3アウトでチェンジか、9回で終了かと問うことと同じで、俳句とはそういうものなんだ」という説に理屈上は同意するのだが、現実生活と季語のギャップに度々戸惑うのである。

 ほんとうに季語は大事なものなのか、季重なりは絶対にいけないのか、違う季節の季語が入るのは言語道断なのか、1ページ目の数行で私の思考は停止する。
 読者の皆さんからのご教示をお願いしたい。

2016年9月26日月曜日

昨日採ればよかった

   先日、「街路樹が虫にやられているぞ」と自治体に訴えたとき、併せて毎年の剪定(の時期)が遅いのでそれまでに住民がどれほど落葉掃きに苦労しているかを話したら、写真のとおり早速剪定をしてくれた。
 樹種はケヤキで黄葉を楽しめるようなものでもないから、日陰をつくってくれていた夏が過ぎて早速の剪定はありがたい。
 ただ、4月下旬ごろから繁った葉っぱをもう9月中に切ってしまうのは少し可哀相な気がしないこともない。

 と思いつつも、トラックの荷台に山となった枝葉を見ると、この秋はあれだけの落葉掃きが免除されるのかと思うとホンネのところでありがたい。
 「何もかも自治体任せではいけない、住民の共同作業もある」とは認めている私だが、この量は加齢とともにしんどすぎるのも事実である。
 正直喜んでいる。てっぺんに残された葉っぱの落葉掃きなら5本あっても問題はない。


 先週、台風一過とはならなかったが、確かに秋の空気を実感するようになった。
 わが家の柿の実は全体にまだ青いのだが、今年はどういうことか大きく順不同で赤くなる。
 そして、明日か明後日には採ってやろうかと思っていると、見事にヒヨドリに先を越される。
    熟柿(じゅくしがき)ヒヨの残りをすすりけり
    相伴すヒヨのつつきしじゅくしがき
    ひよどりの喰い残したる柿甘し
 どうもみんな散文になる。どなたか添削をお願いしたい。
 昨日採っておけばよかったと何回も後悔している 
 俳句のことは追って書きたい。

2016年9月24日土曜日

もんじゅとISDSを考える

   21日、原子力関係閣僚会議は高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)について「廃炉を含め抜本的な見直し」を表明した。
 高速増殖炉とは、マスコミは「夢のエネルギー」とか何とか言っているが、早い話が軍事用プルトニウムを生産する軍事目的の原子炉である。
 しかも「もんじゅ」は重大欠陥商品で、1983年に工事着手し、1兆2千億円をかけて20数年間で250日しか稼働しなかった。
 「廃炉を含め」ではなくきっぱり廃炉すべきである。

 テレビのニュースでは、その会議を受けて敦賀市長が、「騙されたようだ」と憤慨していた。
 市長の親族が原発の下請け業者であるとのうわさは置いておいても、彼はいったい何を騙されたのか。
 公人であれ私人であれ、自分の頭で検討・判断する能力を欠いていたことを白日の下に暴露したようなものだ。
 否、「騙された」というのは嘘である。2兆4千億円の広告費で黙らされたマスコミもマスコミだが、税金や電力料金で全国民から吸い上げられた札束に群がって、次世代の幸福も全国的な危険も顧みず悪魔に魂を売ってきたのである。

 よくテレビの「街の声」で、「廃炉されたら自治体の予算や雇用が大変だ」という声が流されるが、それなら、自分の自治体の予算のためなら他人が不幸になっても子々孫々が不幸になっても良いのか。
 今まで受領した金品をフクシマに全額お返ししてからモノを言え。
 「文殊」という名をつけられたことに鑑みれば、全国の仏教徒も怒るべきだろう。
 「文殊」という名の下に住民によこしま(邪)な心を植え付けた政府・原発ムラの道義的責任は非常に重い。


 さて、世の中ではTPPというのは農家の問題であるかのような誤解がある。
 ISDS条項の恐ろしさが広がっていない。
 投資家や企業が、投資先の国内法によって損害を被るか、将来得られるはずの利益が得られなかった場合に国家を訴える権利条項である。
 世界銀行の下にある企業家による一審制の密室の「法廷」でそれは裁かれる。

 だから、TPPが成立したのち日本が脱原発を決めた場合、アメリカの原発メーカーは日本政府をISDS裁判に訴えるだろう。
 事実、ドイツ政府の脱原発政策に対して、スウェーデンのバッテンフォール社が約6000億円の賠償を求めて提訴していて、ドイツは敗訴するだろうと言われている。
 小さな国では、国そのものが国際金融資本等に食いつぶされることになる。

 事実そのような事案は世界中で起っている。
 先行する同種の事案ではアメリカが全勝している。
 話を広げすぎるといけないが、農協(米価等)も皆保険(薬価等)も環境、健康、公衆衛生、消費者保護、労働者保護行政等々も、主権(国家)以上の国際企業に蹂躙される。「それは不当な障壁だ!」と。
 公共性のある医療、介護、教育も人権も、非営利原則や共同体の理念も「不当な保護主義だ」と。

 繰り返すが、「TPPを農家の問題だろう」というように軽視すれば、脱原発は不可能、あるいは大きな損害と引き換えになる。
 脱原発の方がよいとお考えの良識ある国民は、そのためにも決してTPPを許してはならないと思う。

 蛇足ながら、敦賀といえば福井、福井といえば北陸というイメージがあるが、地政学的には敦賀は近畿と言っても良いと思う。
 私の誤解であればよいのだが、「北陸福井」ということで、大阪や(瀬戸内側の)兵庫の人々の原発に対する反応が今一つという気がする。勘違いであればよいのだが。
 滋賀県の笑い話に「そんなことなら琵琶湖の水を止めたろか」というのがあるが、敦賀の原発事故では琵琶湖の水が止まってしまう
 と、・・・私は木津川取水の水道水を飲みながら心配している。 

2016年9月23日金曜日

山法師とツクツク法師

   写真はわが家の玄関の山法師の実。
 「ジューシーではないがほんわかと甘い」と20日の記事に書いた。
 台風でものすごい量の実が落ちたが、そうそう全部落ちてしまわないうちに撮影しておこうと思ってシャッターを押した。
 食べなくても風情がある。
 またぶり返すそうだが、台風後しばらくは涼しい空気で一挙に秋?という雰囲気。
 赤い実も文字どおり「秋ですなあ」といったところ。

 18日の記事のミニコミ紙をお贈りした先輩からハガキが届いた。
 私が送付状で「ツヅレサセコオロギの聴きなし」のことを書いたものだから、次のようにあった。
 『当地では、まだツクツクボウシが鳴いています。「ツクツクボウシ、ツクツクボウシ・・・・・イイヨ、イイヨ、モウイイヨ」と私には聴こえます』
 『何がいいのかな?と腹一杯の鳴き声にいつも足を止めて想像しています』と。

 ほんとうにツクツクボウシは、鳴き声の最終コースで、フィヨースというかウィヨースというかウイギョーというか、少し調子っぱずれに転調して終わる。
 イイヨ、イイヨ、モウイイヨもなるほどと納得。
 何年も地中で暮らし、やっと地上で恋を語ろうかというのに、「少し待て」とか言ってきた法師の的外れなお説教に、「もういいよ」、「急がないと秋が来るから」とコールしているのだろうか。
 だとすると、「人を見て法を説け」というありがたい聴きなしと言えなくもない。

2016年9月22日木曜日

たぬきの話

   テレビのケンミンショーで、『天かすと麺汁に中華麺』という蕎麦を紹介していて、台本どおりみんなが「ええ!」「不思議だ」「初めてだ」「わあ美味しい」と盛り上がっていた。

 それはさておき、大阪で「たぬき」といえば「きつねうどん」の蕎麦バージョンであるが、東京に行くと揚げ玉(天かす)の蕎麦のことで、大阪の「たぬき」は「きつね蕎麦」となる。
 以下、私の書く「たぬき」は大阪の「たぬき」のことである。

 さて、私が50年以上前に卒業した高校は伝統ある旧制高女を引き継いだものだからか、校内に食堂があった。
 ホットペッパーにも出てくるから今も健在らしい。
 で、その頃私が毎日のように食べていたのが「大(だい)たぬ*」で、麺の玉が二つ入った「たぬき」だった。(*たぬきの大だから)
 要するに味の基本は「きつね」である。が・・・その麺は「中華麺」だった

 だから、ケンミンショーの騒ぎようが馬鹿みたいで、それは美味しいに違いないと私は想像するまでもなかった。
 これまでも妻に、「高校の食堂のたぬきが美味しかった」という話はしていたが、結局50数年間食べては来なかった。
 その重い蓋をしていた郷愁にケンミンショーが火をつけた。

 なので、近くのスーパーで、一番安物の中華麺ときつね用の甘い味付きの揚げを買ってきた。うどん出汁は家にある。この場合、中華麺は一番安物でなければならない。
 あとは薬味葱だけで、私は瞬く間に50数年前にタイムスリップした。
 妻も「美味しいやん」と評価した。

 なんということのない「たぬき」だが、郷愁に味付けされた「中華麺のたぬき」に私は大満足した。
 ただ、私のような郷愁(思い出)のない方が食べれば、ただの安物の田舎料理だろう。
 それでいい。重ねていうが、この場合、麺は一番安物でなければならない。
 母校の学校食堂にその「大たぬ」が今もメニューにあるかどうかは知らない。

2016年9月21日水曜日

抑止力を考える

   先日、京大人文科学研究所山室信一教授の講演を拝聴した。
 メーンテーマは「憲法でつくる私たちの明日」で、【構造的暴力の廃絶としての憲法前文2項、憲法25条】【国家的暴力(直接的武力)の廃絶としての憲法9条】【個人の幸福追求権としての憲法13条】を、一体として捉えることの重要性を緻密な論理と各種データで教えていただいた。

 そして、【格差・貧困・将来不安の「三本の失(矢ではない)」】【アベノリ(ミではない)スク】の実態の分析のうえに、【憲法改正―緊急事態条項と国防軍の一体性】【監視社会化と「テロ等準備組織犯罪準備罪(共謀罪)」の法制化】【集団的自衛権の施行―「抑止力」と防衛予算】の危険性について説明を受け、

 さらに、改憲を許さないためにも、改憲の具体的手続きはどうなるかということを知っておくようにと教えていただいた。

 さて、私の感覚をいうと、トンデモ安倍内閣がそれでも相当な支持率を得ている理由は、経済政策ではやはりトリクルダウンへの期待感があり、北朝鮮の核開発や中国の尖閣諸島周辺の動きがニュースで大きく報じられる中で、やはり軍事力増強による「抑止力」論が支持されているように思う。
 なので私は、その後者の「抑止力」の問題について先生に文書質問を提出した。

 そこで、ここに絞って山室教授の講演内容や回答内容を私見を交えて要約すると、
 一つは、マスメディアの歪んだ報道に惑わされずに真実を知ることの大切さを先生は説かれた。
 事実、集団的自衛権施行後「抑止力」は働いておらず、反って東アジアの緊張は高まっている。
 北朝鮮の潜水艦からのミサイル発射も軍事専門家から完全な技術水準とはいえないとの指摘がなされている。
 核実験も、地震波だけで所期の目的を達したというのは早計。
 中国の艦船も基本的には太平洋に向けて通過している部分が大きい。
 つまり、「北」等が誇張して成果を誇示していることと、それを逆手にとって政府が「大変だ」と誇張しているという事実がある。

 二つは、実際に「抑止力」を信奉する国と国が対峙した場合、エンドレスの軍拡以外の道がなくなる。これは、冷静に議論すれば誰でもわかる。
 軍拡で迎撃ミサイルを完備したとして、核搭載ミサイルを迎撃(できたとしても)した場合、核爆弾は日本海~列島上空で爆発する。それを防ぐとすれば、結局は抑止力ではなく、先制攻撃しかない。究極の抑止力論はアメリカ型の先制攻撃論となる。
 詰まるところ、「自衛のための抑止力論」は成り立たず、軍事力で抑止力を働かせようとするならば、「危険を未然に防ぐ」という理屈の先制攻撃容認論でなければならない。理性的な日本国民はそれでいいのだろうか。
 
 なので、軍拡下で不測の事態が起らぬよう、あのアメリカだって中国とチャンネルを築いているのに、日本政府には全くと言ってよいほど対話の努力、外交努力がない。努力というよりも能力かも知れないが?

 冷静にそう考えれば、明日にでも「北」が攻めてきそうだと国内にアナウンスしながら、日本海側にずらりと原発を並べて再稼働するという政権の支離滅裂の素顔が見えてくる。ここがポイントだ。赤子でも解ること。
 戦前の日本には、「こう不景気が続くんじゃ、ここらでいっぺん戦争でも起こってもらわないといけませんな」という会話が普通に飛び交ったが、そんな露骨な言い回しではなくても現在財界の一部にはそういう主張が生まれている。
 安倍政権のホンネはここだろう。アベノミクスも、株の政治操作だけでなく、軍備輸出、原発輸出という死の商人として経済の再生を図ろうとしているという本質を見なければならない。

 そこで私は思うのだが、「抑止力」論を支持する人の多くは、そんな悪気はなく純粋に国や国民を心配しているのではないだろうか。
 だとすると、「その考えは浅い」と切って捨てるのでなく、「では、ほんとうにどの程度の軍事力を保持したならば抑止力が効くのか(そんな基準はあり得ない)」と冷静に討論することが大切なような気がする。

 山室教授は、「日本会議は草の根の運動を広げている」から、対抗しようとすれば、”上からの目線”で語るのを戒め、SNSに取り組み世論を底から形成していくことだろう」と話を結ばれた。
 さらに、先日亡くなったむのたけじ氏の言葉を引いて、現代社会にあっては、「沈黙していると滅亡する」「8月15日をただ黙祷するのでなく戦争絶滅の声を張り上げ続けるべきだ」「民主主義に観客席はない。あなたの立つそここそが民主主義の息づく場だ」と、高齢のむの氏が「今が人生のてっぺん」と訴え続けられた言葉を紹介し、SEALDsが提起した「誰かにやってもらうのではなく、自分がやるからしか何事も始まらない」の言葉で講演を終えられた。

2016年9月20日火曜日

祝ったり祝われたり

   昨日の昼食と午後は義母の敬老祭だった。
 そして夕方から夜は夏ちゃんファミリーがやってきて我々の敬老祭をしてくれた。
   またそれは、妻のバースデーパーティーを兼ねたものだった。
 夏ちゃんの誕生日は子どもの日に近く、娘のそれは雛祭りに近く、息子はクリスマスに近く、妻は敬老の日に近い。経済的な家系といえよう。

 妻は息子夫婦から畦地梅太郎のTシャツをプレゼントされた。
 私も欲しいほどのナイスプレゼントだ。
 若い頃、燕山荘でよく似たTシャツを買った覚えがある。
 そのほかには妻は夏ちゃんから暗号のお手紙をもらった。 

   さて、お寺詣りは先週に済ませておいた。
 22日は秋分の日、お彼岸の中日だ。
 写真は19日に撮影した咲はじめの彼岸花で、毎年驚くのだが、彼岸花はほんとうに彼岸にぴったり咲く。
 だから毎年感動する。


   道路には銀杏が落ちているが、わが家の玄関には山法師の実がこのように落ちている。
 ジューシーではないが、ほんわかと甘い果実である。
 紫式部の周りは落花した実のために薄紫に染まっている。
 もうすぐアサギマダラの報告をブログに書けることだろう。
 台風のせいかどうか知らないが、19日の夕方から涼しい風に替わってきた。

 孫の凜ちゃんはお父さんの実家の敬老祭に行っている。
 こんな穏やかな秋の日が続けばよいのだが。

2016年9月19日月曜日

段取り八分

 段取り八分(だんどりはちぶ)という言葉は、現役だったころ親切な上司に教えていただいた。
 建設業界ではよく使われているらしい。
 といっても、なにも建設業界に限らず汎用性の高い言葉で、何かものごとを成し遂げようとする場合、段取りがきちんとできたら8割方その仕事はできたも同然、反対にいえば8割方の努力を準備に傾注せよというあたりだろうか。

 先日のOB会の世話人会で一月後の「20周年事業」の打ち合わせをした。
 「記念写真を撮るときに横幕(看板)がある方がよい」「レセプションも〔ご歓談ください〕だけでは寂しい」「料理の打ち合わせは予算を睨んで適切に」等々議論が進んだが、どう具体化するかとなると事務局任せのような話が多い。
 超優秀な事務局に「おんぶに抱っこ」できた結果だろうが、段取り八分とは言い難い。

 ということもあり、なにか工夫ができないかとこの間から、無い頭を絞っている。
 頭の中にイメージを浮かべては、わが家の物置(妻に言わせるとゴミ屋敷)や百均やホームセンターを徘徊している。
 金を掛けずにみんなに喜んでもらえるアイデアでないと面白くない。(金を掛ければ何でもできる)

 そこで、恒例の薬玉に代わるアイデアがひとつ浮かんできた。
 キャッチコピーは「捲土重来(けんどちょうらい・けんどじゅうらい)」だ。
 年金、福祉をはじめ民主主義や平和の課題で政権による逆流が大いに進んだ。その状況に、土煙をあげて反撃しようという気持ちを形にしたい。
 その仕掛けをこの間から作っている。
 小学低学年の工作だ。
 だが、ああでもない、こうでもないと試行錯誤するのが楽しい。
 本番では往々にしてスベッたりするが、それもよし。

 そう! 行事の楽しみの八分は段取りを準備しているところにある。
 登山の準備をしているときのワクワク感のそれである。
 で、どういう仕掛けか?は内緒である。なので写真も載せない。

2016年9月18日日曜日

空を叩くや飛蚊症

 先日、仲間たちで作っているミニコミ紙秋号を発行した。
 記事が独りよがりになっていないかどうか、妻にモニター役をしてもらった。
 B4、6頁建ては全てに力の入っていることが伝わってるのではないかと、全体として及第点を貰った。
 なかでも一番印象に残ったのは何? と畳み掛けると、私の俳句?がよいとお世辞を貰った。
 俳句と川柳の違いも判らない者同士の会話である。念の為。

飛蚊症の味方・わが家の蚊遣りのひとつ
   それは、 土用凪(なぎ)空(くう)を叩くや飛蚊症 というもの。
 夏井先生に言わせれば、ただの散文だ!と言われるだろうが、夏の凪(な)いだ暑い夕暮れ、にっくき蚊にチクリと刺され、絶対に打ち殺してやらんと神経を集中すると、視界の隅にそれらしき影。・・で、パチンとやったが空振り、見えたのは蚊ではなく飛蚊症の故。
 「あほかいな」と、ほんのちょっと共感していただければ嬉しい。

 ミニコミ紙を送付した読者から、即メールが入った。
 ミニコミ紙よりも、私の送付状に感心をしていただいた。
 それでも、こういうキャッチボールはありがたい。
 今年の正月に中野晃一先生が、オールド革新の人たちは「正しいことを言えばみんな解ってくれるはず」という思い込みがないかと指摘されていたが、確かに思い当たる節があり、この種のキャッチボールを軽視していないかと思わないでもない。

 ミニコミ誌の記事は読者の顔を思い浮かべながら記事を書く。
 ミニコミ紙御礼のお便りには返事を出す。
 ブログのコメントにもコメント返しをする。
 OB会等で請われれば一指し舞う。
 そういう市民社会で当たり前のことを大切にしたいと反省ばかり繰り返している。
 「キャッチボールの要諦は相手が捕りやすいように投げ合うことです」と、いつも礼状を送ってくださる大先輩のお便りにあった。

2016年9月17日土曜日

私は誰

   私から私にメールが届く。
 有料のBS放送がタダで見られるカードだとか、インチキ商法のメールである。
 最初は驚いたが、メールアドレスを公開している以上こんな使われ方もしょうがないかと諦めている。
 ただ、私の知り合いが変なトラブルに巻き込まれると困るのでニセメールの見分け方を書いておく。

 普通、メールは、受信トレイに表示されるが、まず件名、その下に発信者の名前〈発信者のメールアドレス〉となっているが、その発信者の名前が私のメールアドレスになっていて〈 〉内の発信者のメールアドレス欄がそもそも無い。(隠している)
 あるいは、件名自体が私のメールアドレスになっている。
 なので、件名からして私のメールとしては何かおかしいと思われたら、件名の下の発信者の名前の後ろの〈アドレス欄〉を確認してほしい。
 こんな心配もあるので、メールの送信に当たっては件名を省略して直前のメールのRE・・・で済まさないように極力注意している。

 和道さんのブログに、登録した覚えのない「利用者登録完了」画面が出て、それがどうしても解除できず、料金を請求されそうになった経験が報告されていた。
 コメント欄には、よく似た体験もあった。
 弁護士先生のいう正解は、『「解除する」というメールや電話をしないこと』ということだ。
 メールや電話をしないとそもそも相手が請求できない。
 繰り返される嫌な画面は、それ以前に「復元」すれば消えるという知恵もコメントにあった。
 
 違法な詐欺ではないが、YAHOOオークションを利用したら、操作の途中で何かの「登録」がされて毎月498円の引き落としが始まったというコメントもあった。
 私も意に反してAMAZONプライム会員の年会費を引き落とされ、これは早く気がついたので返金させた経験がある。http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2014/07/blog-post_27.html

 ネットの世界は生き馬の目を抜く人物も侵入している。
 だからといって尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。
 ネットで経験したヒヤリハットは大いに交流したいと思う。
 嫌なメールはどしどし「迷惑メール」に分類してしまうことである。

2016年9月16日金曜日

仲秋の名月

  昨夜は仲秋の名月だったが、「月に叢雲、花に嵐」の例えがある。
 こういう名言は歳をとってからよく判る。
 ということを実感させるような写真のとおりの名月だった。
 
   少し前から気圧配置が換わり、大陸から秋の空気が南下してきたり、また太平洋高気圧に戻ったりしながらも、確実に季節は秋の様子を見せている。
 熱帯夜の不眠から解放された喜びと同時に、寝冷えの心配が大きくなった。
 気が早いが、秋の向こうには冬が待っている。

 孫の凜ちゃんの病気の心配は不必要にしないように心掛けているが、医師からはRSウイルスに感染させないように厳重注意を受けている。
 風邪によく似た呼吸器感染症の一種で、乳児の半数以上が1歳までに、ほぼ100%が2歳までに感染するらしい。しかも、免疫は形成されず何回でも感染する。
 インフルエンザよりも死亡率が高く、孫のように重い基礎疾患のある乳児は気をつけろと医師に強く言われている。
 結局、人ごみに連れていかないこと、家族が風邪をもらってこないことと注意されているのだが、これが結構な難題である。

 私自身の経験を胸に手を当てて振り返ってみると、空気の悪い居酒屋で大議論をして飲み過ぎて、帰りの電車でうたた寝をしたようなときに風邪をひく。
 「このままでは風邪をひくな」とうすうす頭の奥で感じながらうたた寝をするときも多い。
 つまり、孫に風邪をうつす可能性の一番高いのは私である。
 なので、大議論と飲み過ぎは徹底して抑制しなければと肝に銘じている。
 付き合いが悪いという場面はそういうことだとご推察いただきたい。

 なので、OB会世話人会の二次会も早々に引き揚げてきた。

2016年9月15日木曜日

鮭の白子

   ひとつの妖怪が極東の列島を徘徊している。情報という妖怪が。

 朝にBSをつけていると、時々関口知宏のヨーロッパの列車の旅を映している。
 テレビの中の列車の中も、街の中にも圧倒的に広告が目立たず美しいことに、ある種のカルチャーショックを受ける。
 派手な看板や広告というのは中華文明なのかアメリカ文明なのか、ヨーロッパの石造りの街並みを見ながら、日本列島の品格に疑問が生じる。

 この国では、国民は情報に取り残されることに恐怖感を抱き、大勢に同調することで安心感を得ているように見える。
 操っているのは広告であり情報だ。
 テレビの中のヨーロッパに比べると狂気に似た広告の洪水だ。

 価額もそれによって決められる。
 例えば、鱈の白子がある。これは有名料理店でも「おしながき」に載るものだから、そこそこの値段がついている。
 しかし、鱧の真子や普通の魚の真子・白子・肝は二束三文で売られていることが多い。
 先日も近所のショッピングモールで鮭の白子が売られていた。
 結構な量があるのに140円ほどだった。もちろんわが家は2パック購入した。
 ボイルしてポン酢で美味しくいただいた。
 これから鍋の季節になると鍋に投入する。
 だいたい魚の真子や白子や肝で不味いものはほとんどない。
 ただ、テレビ等で「有名」でないだけだ。

 そのお陰でわが家では安くて美味しくいただいているが、世の中のこととして眺めるとおかしな世の中だと思う。
 
 余談になるが、確か大分県ではフグの肝も条例で禁じられていないと思う。
 その昔、別府温泉で正式に提供を受けていただいたことがある。
 同じように昔のことだが、民青新聞に別府の記事が載っていて、フグの肝も美味しいよと書かれていたのをひとり大笑いしながら読んだことを思い出す。
 石川県にはフグの真子の糠漬けがある。
 これも正式な商品と、地元の人の手作りのものをいただいたことがある。
 繰り返すが、だいたい、魚の真子、白子、肝で不味いものはほとんどない。
 ただし、有毒のものは原則食べない方がよい。
 このブログ記事で責任は負いかねる。 

2016年9月14日水曜日

律義なエナガ

   律義な人が好きである。 
 器用な人、賢い人、能力のある人・・・、いろんな人がいるが私は律義な人が好きである。
 鳥でいうと、エナガはそんな律義な鳥だと思う。

 ほぼ毎日、同じ時刻に我が家を集団で訪問してくれる。(少し観察していると、鳥にしても虫にしても彼らの道があり、その道をルーチンワークしている)
 我が家の場合は、それが夕刻の庭の水やりの時間である。

   シーッ シーッ シーッ という声がすると、メジロやシジュウカラなども混ぜて集団でやって来る。
 「カラ類の混群」と言われている。
 ただ、訪問はしてくれてもせわしなく動き回り、あっという間に次の目的地へ移動する。

 野鳥の中では最小の部類に属する、見た目も可愛い鳥で、一瞬の訪問に心は和む。

 いろんな野鳥の本には書いてはないが、私が発見したこの鳥の習性がある。
 それは、シャワー好きだということだ。

 ちょうど庭の水やりの時刻だと書いたが、私は横着をして2階のベランダから庭に水を撒く。

 そこで、ノズルをシャワーにすると、逃げるどころか喜んで飛び込んでくることを発見した。
 そして、木の葉に残った水滴で水浴びよろしく羽繕いをする。
 明らかに私が恣意的に撒いていることを知りながら喜んでいる。
 ちょっとしたコミュニケーションが成立している・・・と私は信じている。

 写真では落ち着いても見えるが、一瞬たりとも体を止めることをしない、せわしない鳥である。
 名前は「柄長」で手水舎によくある柄長柄杓(えながひしゃく)に似ているから…一番上の写真のとおり尾が長い。

2016年9月13日火曜日

松虫

   今は亡き義父は謡曲をたしなんでいた。
 全く教えてもらうことなく別れたことが残念だが、こういうことは世の常といえば世の常のことだろう。

 なので私は謡曲の門外漢なのだが、謡曲の中に「松虫」というのがあることは知っていた。
 それは大阪市阿倍野区に、よく利用していた阪堺電車(チンチン電車)に「松虫」という停留所があったからで、その少し意味ありげで美しい名前に興味を覚えていたからだった。

 謡曲「松虫」の物語の地がそこであり、テーマが友情だというぐらいの浅い理解だが、例によって亡霊が出てきて昔を語り終え、〽虫の音ばかりや残るらん、虫の音ばかりや残るらん、と閉じていく。

   そこで虫の音だが、近頃は街中をアオマツムシのリーリーリーという甲高い声が圧倒している。
 その迫力は「秋の虫の音」の範疇をはるかに超えている。
 外来種だからというようなヘイトスピーチに似た偏見でいうのではないが好きでない。

 そして、アオマツムシ、エンマコオロギ、ツヅレサセコオロギという三大主流派の奥の方から、チンチロリンという本来のマツムシの声を聞くと何故かホッとする。
 偏狭な国粋主義ではないが、本来のマツムシの声には情趣がある。

   「謡曲の時代の松虫は鈴虫のことである」という真っ当な指摘があるが、今日のところは無視する。

 繰り返すが、アオマツムシが好きでないのは彼の国籍や原産地ゆえのことではない。
 ヘイトスピーチは許さない!の写真は甲子園のオーロラビジョン。

2016年9月12日月曜日

東西が縦

たしかガウランドが書いたもの
   日本書紀成務天皇五年秋九月(実在を仮定すれば四世紀半ば)に「東西を以て日縦(ひのたたし)と為し、南北を日横(ひのよこし)と為す」と諸国に令(のりこと)したとの記述があるのを知ってから、ずーっと頭の中が整理できずにモヤモヤしたまま月日が経った。

 成務天皇の実在性は各種議論されているが、伝成務天皇陵はしばしば近くの道路からその森を眺めている。
 問題はそういう史実のことではなく、日本書紀という公式文書にこのように書かれているという事実である。
 つまり、そこでは「東西を縦」と言っている。

 そもそも勉強不足の私であるから、縦と横の定義が十分理解できていない。
 広辞苑では、①上から下、②前から後ろ、③南北の方向とある。
 新潮日本語漢字辞典では「動物では頭と尾を結ぶ線」というのもある。
 正確かどうか知らないが「山脈の脊梁」も縦ではないのだろうか。とすると「日本列島を台風が縦断した」というのも「それは横断ではないのか」と感じるときもある。
 東西の道路を南北に横切る横断歩道も「前から後ろ」だからだろうか。「縦断歩道では」という疑問を聞いたことがないのはどうしてだろう。

 元に戻って、東西南北である。
 どこを見ても文献上は南北が縦である。
 私がしばしば「日本文化の基層」だと指摘してきた道教も、北極星を頂点にした「南北縦論」で、東アジア共通の儒教文化でも基本的には変わらない。故に天子は南面している。
 だとすると、日本書紀の「東西縦論」は例外中の例外と言わなければならないが、そんな面白い記述が日本書紀にどうしてあるのだろうと、長い間モヤモヤしていた。


   さて、ウィリアム・ガウランド(ゴーランド)(1842-1922)は、明治政府に招聘されて大阪造幣局の技師となり、在日中に登山をして「日本アルプス」の命名者となったが、それ以上に凄いことは、何百基という古墳を調査して測量図や写真を残し、日本考古学の父とまで言われたことである。

 イギリスに帰国後はストーンヘイジの研究と修復でさらに有名になったが、ストーンヘイジが太陽信仰の遺跡だと考えついたのは彼の伊勢の二見ヶ浦での記憶が基だと言われている。
 夫婦岩の間から登ってくる日の出を拝む信仰だ。
 この話を奈良文化財研究所の講演で聞いたとき、私はハッと目が覚めた。
 成務天皇記は太陽信仰だったんだ(そんな常識的なことを今更・・と笑わないでほしい)。

 その太陽信仰(崇拝)だが、中国大陸由来の北極星の文化、天子は南面する文化以前の日本の文化が太陽信仰を中心とする自然崇拝、シャーマニズムであったことは疑いない。
 大神(おおみわ)神社のように、西から東の三輪山を向いて拝んだり、纏向遺跡の建物が東西一直線に建てられていたりと、いざ例示を探せば枚挙にはいとまがない。東西を向いた古い神社はいくらもある。

 冷静に考えると農耕の民が太陽を崇拝し、日の出の方角を大事にするのは理屈抜きで理解できる。
 朝、親の世代が日の出を拝む習慣は、少し前までは街で普通に見かけていた。
 同様に、江南のミャオ族の神域〈カー・ニン〉も東西を重視していると読んだことがある。
 だから日本書紀は、「東西を縦と為」したのだ。
 
 なので、魏志の著者であるエリートの陳寿は、偉大な天帝の思想を知らない倭人に呆れ果てて、「(卑弥呼は)鬼道に事(つか)え、能(よ)く衆を惑わす」と苦々しく書いたのだろう。

 長い間、日本書紀記述の「東アジア共通の北極星文化」でない文化が不思議であったが、素直に考えれば東西を大事にする文化は前述のとおりよく解る。
 ギリシャ神話に対比するまでもなく、日本神話には星がほとんど登場しない。世界中で、アジアの中でも特異だと言われている。
 こういう日本文化の特異性はもう少し検討してみても面白そうだ。
 やっぱりカギは江南の稲作文化だろう。
 虹が東の空にかかっていた。

2016年9月11日日曜日

蘘荷不知以爲滋味

   「蘘荷(じょうか)有るも、以て滋味と為すを知らず」(魏志倭人伝)の「蘘荷」とは茗荷のことらしい。
 著者の陳寿は「倭には茗荷があるが倭人は茗荷の美味さを知らない」と3世紀に書いている。
 茗荷大好き人間としては少し残念な記述である。
 しかし、そんなことわざわざ書きますか・・・
 
 不思議なことは、古くからインドや中国で生えていて、仏陀に物忘れのひどい弟子がいたので「茗荷を食べると物忘れをする」という諺まであるのに、野菜として食べているのは、・・さらには栽培までしているのは日本だけだという。

 補足すると、茗荷を野菜として食べているのは正確には日本、韓国、台湾の一部だけらしい。(薬草は除く)
 なので、その言葉はそのまま陳寿さんにお返してあげたいと思っている。
 茗荷の滋味を知り伝えてきたのは貴殿が軽蔑した倭人の後裔であるぞよ。

   5月8日に茗荷竹を初めて食べて感動したことを書いた。
 茗荷竹の季語は春。・・・因みに茗荷の子は夏、茗荷の花は秋という。
 その秋に、またまた「茗荷竹の甘酢漬け」を手に入れた。
 妻がコープの通販で見つけたので申し込んでおいてくれたもの。
 その味は、甘酢好きの私としては全く文句がなかった。
 娘の感想は、「ラッキョウみたいや」で、今一つという顔をした。

 5月8日の記事に土佐のバラやんがコメントをくれて、産地のJAでは「茗荷を食べて都合の悪いことを忘れましょう!」なる催し物があると・・・。
 河島英五の「酒と泪と男と女」ではないが、近頃は忘れてしまいたいことが多過ぎる。
 しかし、日々の現実を忘れて選挙時の美辞麗句に惑わされたのでは後悔しても遅すぎる。
 なので、茗荷を食べつつ日々の現実を忘れないようにブログを書いている。

2016年9月10日土曜日

知られていない平安宮

   平安京の平安宮は意外と知られていない。
 先日、テレビ(ぶっちゃけ寺)が「一条戻り橋」の話をしていた。
 安倍清明が式神(しきがみ)を石櫃に入れて橋の下に封じ込めていた橋である。
 渡辺綱が鬼の腕を斬り落とした現場である。
 そこは御所(平安宮)の鬼門であった、云々。

 そこで妻と娘から質問が出た。
 「一条通堀川がどうして御所の東北(丑寅)になるの?」と。
 堀川通は現御所の西側沿いの烏丸通から見ても相当西にある。
 疑問に思うのも無理はない。

 さて答だが、桓武天皇が794年に入京した平安京の朱雀大路(メインストリート)は今の千本通で、その北に内裏があり内裏の東が堀川だった。北限が一条通。
 なので堀川に架かっていた一条戻り橋はズバリ御所の丑寅の角である。
 御所は度々焼失し再建されたが、平安末期には再建されず、東方向にあった土御門東洞院殿に仮住まい?し今日に至っている。

 だから、芥川龍之介の小説や黒澤明の映画で有名な羅生門の跡も千本九条にあるし、今の御所や烏丸通からでもさらに西にある東寺が「東寺」たるゆえんもそこにある。
 奈良の東大寺、西大寺を連想すれば納得していただけるだろう。
 東寺は千本通の東側にあるし西側には西寺があった。

 結局「千年の都」がアダになり、かつての内裏は西陣辺りの町家に埋め尽くされている。
 万事塞翁が馬とでもいえるのは奈良の平城宮で、多くがただの田畑に還っていたので、その後国が土地を買収し今日の平城宮跡が生まれ、大極殿や朱雀門が復元・再建されている。

 洛外も洛外、はるか南端に住む我家族が「知らんかった」というのも同情していただけるだろうが、この話、結構多くの人々も知らずにいるのではないか。

2016年9月9日金曜日

べーら べーら 考

 9月1日に布団太鼓の掛け声のことを書いた。
 堺の布団太鼓の掛け声の基本形は、べーら べーら べらしょっしょい で、その意味は分からないが心地よいリズムだと書いた。

 それについて8日のテレビ「ちちんぷいぷい」で堺の百舌鳥地区の何方かが、「米良(べいら)が語源で豊作を祈る言葉だ」と語っていた。
 結論を言えば私には確たる(反)論がないのだが、それでも「それは少し違う」と思う。

 そもそもこの布団太鼓だが、ふとん太鼓、太鼓台、太鼓(大阪府、京都府、奈良県)、ふとんだんじり、だんじり(淡路島)、屋台、ヤッサ(兵庫県)、太鼓山(丹波篠山)、千歳楽、センザイラク、ドンデンドン(岡山県)、チョウサイ(広島県)、ドンデン(山口県)、チョウサ、サシマショ、太鼓台(香川県、小豆島、愛媛県)、ヤグラ(瀬戸内)、ヨイヤセ(南伊)、コッコデショ、堺だんじり(長崎県、熊本県)、ヨイマカ、喧嘩太鼓(宮崎県)、トンテントン(佐賀県)、四つ太鼓(和歌山県)等々の名前で西日本に拡がっている(雑誌「堺泉州第8号)が、長崎県・熊本県の「堺だんじり」に表れているように、そのルーツは堺にあると思われる。
 それぞれの地は、堺商人が寄港した湊町である。
 
 私は戦後と呼ばれていた時代の堺の中心街(つまり濠の内側)に住んでいたが、その小学校区には田圃は一つもなかった。濠(土居川)の中の小学校区はどこも同じだった。
 布団太鼓は中世以来の都市である堺で生まれたのであるから、その掛け声が豊作の祈願というのは納得いかない。
 さらに9月1日に書いたように、太鼓歌は「八朔は雨」「夕立」と歌うのだから、その歌詞は刈り入れ前の農業の歌とは到底思えない。
 また、旧堺市街地の布団太鼓の単位は、多くが材木業、魚卸売業、穴子屋等々の「組合」が中心であったから、農村的雰囲気は皆無だったように記憶している。

 今後検討してみてよい視点としては、海外貿易に関係して、琉球の言葉、ルソンあたりの東南アジアの言葉、あるいはポルトガル語、オランダ語にヒントはないだろうか。
 こんな他愛ないことでも、いざ考えてみると奥は深い。
 思い付きでもよいから、関係のありそうな試見を提起していただけるとありがたい。
 「米良でべーら」はないと思っている。

2016年9月7日水曜日

山木枯槁(さんぼくここう)

   朝日新聞8月27日付け夕刊が「ナラ枯れ」を大きく報じていた。
 私は月に一度程度、生駒市にある病院に向かって第二阪奈道路を西進するが、正面の生駒山東麓は初夏であっても黄葉に似た景色を映し出している。手前の矢田丘陵も同様で、ブナ科の大木が次々に枯れていっている。

 わが家に近い奈良市北部の歴史的風土保存区域ならやま大通りも同様で、遂には我が庭の主木であったヨーロッパブナも昨年枯れてしまった。
 今年には、家の前のケヤキの街路樹(数本)にもテッポウムシらしき虫が侵入した。木の根元に大量のオガクズがたまっているので100%間違いない。
 カシノナガキクイムシではなさそうだが危険信号だ。
 朝日の記事ではないが、自治体も〝お手上げ"の状態に見える。

 さて、安倍内閣の暴走は目に余る。
 内戦状態の南スーダンに派遣している自衛隊員には新安保法に基づいて銃撃に出ていくことを命じることにしている。
 オバマ米大統領の核先制不使用宣言には反対している。
 フクシマの汚染水さえ止められていないのにコントロールできていると大嘘をついて、各地で原発を再稼働させている。
 国民の財産である年金積立金は、金融操作のために10兆円をドブに捨てた。
 異議を申し立てる国民は〝テロ共謀罪"でしょっ引くつもりだ。
 29日の朝日歌壇に
 核兵器絶対悪の筈なれど必要悪と囁く声が (筑紫野市)二宮正博 とあったが同感だ。

 で、このブログでも度々書いてきたが、奈良の春日大社に春日権現験記という絵巻物が伝わっている。
 それによると、春日の神様は世の乱れが気に入らなくなると、そのことを人々に知らせるために春日山の樹々を枯れさせ、天の城に帰って行かれる。これを山木枯槁という。
 安倍政治の実態を素直に見るならば、春日の神のお怒りはもっともだと思う。

  なら枯れは世の乱れへの警鐘とおもんばかった先人の知恵

2016年9月6日火曜日

校庭に東風吹いて

   映画「校庭に東風(こち)吹いて」を観てきた。
 監督:金田敬、キャスト:沢口靖子、村田雄浩、星由里子ほか、原作:柴垣文子(南山城村在住)新日本出版社刊。

 場面緘黙(かんもく)児(家庭などでは話すことができるのに、不安のために学校や幼稚園といった特定の場面、状況では話すことができなくなる児)や、貧困ゆえの問題児に寄り添う小学校教員の物語。

 現実の社会、学校、教員の環境はもっと複雑で厳しいかもしれないが、そんな訳知り顔は不要だろう。
 若い頃抱いていた素直で前向きな感情が呼び起こされた気がする。
 私は教員でもなかったし、辿った歴史は全然異なるが、主人公の気持ちはよーく解った。
 また、モンスターペアレント社会での管理職教員の「事なかれ主義」の気持ちも理解できないこともなかった(笑)。

 近頃は、社会の矛盾を解消したいという人々と語りあっていても、どうしても為政者やそのお先棒を担ぐ面々の不正の数々に話題が傾くから、いきおい話が殺伐としてくることがある。
 だから、言い方は変だが、たまにはこういう感動的な映画を観ることも必要だ。
 精神がリフレッシュされたような気がする。

 というほど、日々健康な精神生活を送っているわけでなく、先日は「後妻業の女」を観て思いっきり笑ってきた。

2016年9月5日月曜日

モリアオガエルのメモ

   その後、ほとんど新しい発見はない。
 9月2日、吉城園の茶室の池のオタマジャクシは急激に減っていた。
 蛙になって森に帰ったのか蛇などに食べられたのかは分からない。
 この池の公開ももうすぐ閉じられる。
 なので、今季最後になるのではないかと思われる観察だが、ようやくモリアオガエルの子蛙を一匹見つけた。(2週間前には一匹も見つけられなかった。)1センチ程度の小さな奴だから、我ながらよく見つけたと思う。

 例によって観光客がやって来たので、ベビー オブザ フロッグ で、コールド ザ オタマジャクシだと誘った。
 そして、小さな小さな チャイルド フロッグ を教えてあげるとみんな喜んでくれた。
 あとはジェスチャーで、エッグ オン トップ オフ ザ ツリー からぽたぽた落ちてくるのも理解してくれた。
 ペアレントフロッグ は フォレスト へ リターンする レアなフロッグ だといったら、全員感謝してくれた。

 グレートブッダとジャパニーズガーデンしか目的でなかったはずだから、思わぬ レア フロッグに得した気分になってもらえたと思っている。
 全くのいらぬお節介だったかもしれないが。

 それにしても奈良公園! 日本人来てくださいよ。

2016年9月4日日曜日

読むほどに古代は遠ざかる

   「纏向発見と邪馬台国の全貌」(KADOKAWA)は、古代史シンポジウム発見・検証日本の古代編集委員会(白石太一郎、鈴木靖民、寺澤薫、森公章、上野誠)による350頁の大著だった。
 新聞に新刊の広告が出る前に書店で見つけたが、私の癖で、面白い本ほど一気に読むのが惜しくて、間に他の本の読書を度々挿んでゆっくりと読んできた。

 大きな目次だけを拾ってみると、
 1 倭国のありさまと王権の成り立ち
 2 王権はいかにして誕生したか
 3 卑弥呼の「共立」と魏王朝・公孫氏政権
 4 邪馬台国時代前後の交易と文字使用
 5 銅鏡からみた邪馬台国時代の倭と中国
 6 卑弥呼の鬼道 天皇祭祀との比較
 7 製作技法からみた三角縁神獣鏡
 8 邪馬台国とヤマト王権をどう考えるか
・・・・というもので、この見出しだけでも面白さが判ってもらえると思う。

 戦後すぐに開かれた古代史の座談会「日本民族=文化の源流と日本国家の形成」(昭和23年1948年刊行)は江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説で注目を集めたが、それから約70年、考古学も文献史学も驚異的な発展を遂げこの本に至っている。
 というように話してもよいほどに古代史の到達点を示している本だと思う。
 同時に、その到達点から見て、江上波夫騎馬民族征服王朝説が提起した問題の鋭さが再確認もされた。

 奈良公園に「奈良公園シルクロード交流館」というのがあった。
 今は閉館され、新公会堂の別館ということになっている。
 ここに「江上コレクション展示室」というのがあった。小さな展示室であまり評判は良くなかったが、私は好きで何回も見に行った。
 あのコレクションは今はどうなっているのだろうか。
 奈良県のホームページを見ても判らない。
 今の県政は、歴史を大事にしているように見せて、実際には観光に結びつくことばかりに目がいっているように思われる。

 さて、映画監督の篠田正浩氏が「卑弥呼について自由に論じられるようになったのは戦後であるので、ならば卑弥呼はポツダム宣言が発見した」と述べている。けだし名言である。
 進行役の上野誠氏指摘のとおり、古代国家をめぐる学説には厳しい言論弾圧の歴史のあったことを思い起こすことの重要性が再び注目されよう。

 内閣の圧倒的多数が、言論弾圧した側の皇国史観に基づく歴史修正主義を唱えている現在、「日本の古代を世界史(少なくとも東アジアの歴史)のうねりの中でとらえる」ことの重要性を指摘された上野誠氏の言葉の意味も大きい。
 私は、文献史料を考古学で検証するスタイルは、歴史修正主義を許さないパワーになり得ると確信する。
 それを軽視すると神武天皇が大股で歩き始める。
  「纏向発見と邪馬台国の全貌(KADOKAWA)」は面白い。

2016年9月3日土曜日

とっくりばちと楽しい日々

   庭のフェンスに見慣れない蜂がいた。1センチちょっとの小さな蜂。少し心が踊ったのでスマホで撮影した。
 「少し心が踊った」のはファーブル先生が執拗に観察したあの狩人蜂(ジガバチの一種?)ではないかと思ったから・・。
 図鑑などをめくってみると黄星徳利蜂(キボシトックリバチ)のようだ。
 キアシトックリバチ、ミカドトックリバチにも似ているがキボシが一番近いように思う。

 ツチスガリを含め、この名麻酔科医師である狩人蜂についてファーブル先生は多くの紙数を割いている。
 名麻酔科医師とは、これらの蜂は子供(卵)のために獲物である芋虫などを殺さずかつ卵を壊さないようにと昏睡状態にしてとっくりの中に保管するのだ。

 そのびっくりするような記録を読みたくて、手持ちのファーブル昆虫記(上下2巻)を開いてみたら、このトックリバチが載っていない。
 完訳版(10巻版)なら載っているだろうと奈良市立図書館に行ってみると全巻は揃っていない。
 国立国会図書館の蔵書検索をしても全巻は出てこない。意外だった。どういうことだ。

 先の上下2巻の河出書房新社版以外に岩波文庫の完訳ファーブル昆虫記第1巻も持っていたのでそれで調べてみると、その第2巻にトックリバチが載っていることは判った。
 で、書店に行くとそこにも置いていなかった。ファーブル昆虫記って、題名が有名な割には実際にはそういう扱いなのだ。まあ、よくある話だ。
 で、取り寄せを依頼してようやく第2巻を入手した。

河出版の挿絵
   「装束はスズメバチのように黒と黄色のだんだん染め、体つきは痩せぎす、歩きつきは優美、止ると翅は横に拡げずに縦に二つに畳まれる。胴はというと、これは蒸留瓶のように膨れて化学者の硝子道具みたい。長い上端は初め西洋梨形に狭まり、それから糸のように細くなって胸にくっついている。飛び立ち方はさして暴々しくなく、飛行中は翅音は立てない。暮しは独り暮し。これがトックリバチのあらましの風貌の素描だ」というのがファーブル先生(山田吉彦・林達夫訳)の書き出し。

 その後、如何に他のドロバチたちと違って徳利型の住居を芸術的に作るかを紹介し、ダーウィンの進化論では信じられないような高度な狩猟とその昏睡状態での保管、安全第一の卵の産み方を熱く語っている。

 この写真を撮ってから約10日間はワクワクして昆虫関係の各種書籍を読んだ。そして徳利がないかどうかと庭中を探しまわった。(結果的にはよう見つけなかったが)
 その仕上げがファーブル昆虫記第2巻の購入だった。
 楽しい10日間だった。

   後日、私は世界最大の危険な蜂オオスズメバチにまとわりつかれた。よく見ると狩りが終わって調理中の彼の縄張りに私が入っていた。
 なので、少し離れて観察すると、獲物はウマオイか何かだが、すでに頭が齧られているのでよく分からない。
 オオスズメバチはトックリバチのように名左官職人でもないし名麻酔科医師でもない。
 ただ獲物を切り刻んで、運べる程度の団子にして巣へ往復をしていた。
 獲物がウマオイだとしたら小さなバッタ等を食べる肉食男子。それを刻んで団子にするのだから、やはりオオスズメバチはヒエラルヒーのトップに君臨する暴君のようだ。

2016年9月2日金曜日

右衽着装法

   土曜か日曜の夕方、息子から妻に電話があった。夏祭りに行くのに、嫁がいない状況で子ども(つまり孫の夏ちゃん)に浴衣を着せようとしているらしい。
 質問事項は女物の浴衣は右前か左前かの確認だった。
 洋服なら女物のボタン(襟)は男性と反対だから、いざというと分からなくなったようである。
 妻は「男女関係ない」「右手が懐に出し入れできるようにと覚えなさい」と教えていた。
 私は右手で裾を整えるという感じに覚えている。
 要するに右前である。左前は死装束になる。

 さて、この右前つまり右衽着装法(うじんちゃくそうほう)は養老3年(719年)元正天皇によって定められたもの。
 それが今日まで続いている。
 ところが、古代の日本が多くを学んだ百済(韓半島)では左前であるし、有名な高松塚古墳の人物像も左前である。
 幸いに我が家は奈良に近いので古い仏像を見る機会が多いが、結論を言えば、古い仏像の襟の左右はバラバラで、もちろん最初から右前ではなかったし、養老3年前後に右前が徹底されたようにも思えない。

 故福永光司氏によると概ね騎馬民族の襟は左前だという。
 そういえば、読んだ本は忘れたが、それは馬上で弓を弾くときにトラブルを起こさぬようにということだろうという指摘もどこかで読んだ記憶がある。
 福永光司氏は、それらを「馬の文化」と称し、東アジアの儒教文化圏が基本的にそうだという。
 そして右前は、呉服という言葉のとおり中国南部の文化で、氏はそれを「馬の文化」に対して「船の文化」と呼び、「儒教文化」に対して「道教文化」だと指摘している。事実、確認してみると(写真のとおり)道教の神像は右前である。

 日本の古代史をアジア史の規模で考える場合でも、直ぐに百済や魏や隋唐を考える傾向があるが、やはり江南の文化を忘れてはならないと思う。
 江南の稲作文化や道教の文化は日本文化の基層にどっしりと座っていると思う。

2016年9月1日木曜日

八朔

   今年は9月1日が丁度1か月遅れで八朔になっている。
 八朔というと小さい頃の地元の秋祭りであった堺の開口(あぐち)神社(大寺さん)の八朔祭りを思い出す。
 布団太鼓を舁(か)き出す秋祭りだった。
 その布団太鼓だが、地域地域によって太鼓台とか屋台とか呼び名は違うが、関西一円にあり(四国や長崎も有名)、現在私が住んでいる奈良北部~京都南部にもあり結構有名である。

 ところが、それ(奈良・京都の布団太鼓)を見て私は懐かしく感じないのである。
 このどうしようもない違和感は何だろう。
 理由はただ一つ、太鼓を舁くリズム、掛け声のリズムが異なるのである。
 よい悪いのことではなく、記憶の奥底に畳み込まれていたリズムでないから、どうしても気分は他所のお祭りを見物しているだけになる。

 大寺さんの布団太鼓は通常の御神輿などのワッショイワッショイやチョイサチョイサの掛け声のリズムからは相当遅かった。遅いけれどもその分太鼓台自体や房が大きく揺れて気持ちがよかった。
 一般的な掛け声は、べーらしょ べーらしょ べらしょっしょい で、(あっ 浮いた 浮いた などと続いた。これは重い布団太鼓が地面から浮いたことで、私の小さい頃は舁き手が一番衰退していて重さに耐えかねて屡々落としていた) そして太鼓が ドン ドン ドテドン ドン ドン ドテドン と打ち、ドテドン ドテドン ドテドンドンドン と続く。
 太鼓歌※を歌うこともあったが、60年近く昔は草津節をよく歌って舁いていた。
 あるいは、リズムに合わせて 〇〇の太鼓 よう舁く太鼓 とか言って自分たちの太鼓の自慢をし、他の太鼓の悪口を歌ったりしていた。

 そして、花代を貰った家の前で止まっては、 ドンドンドン やーえ ドンドンドン やーえ  よんやまっかそこじゃいな よーんやせー とお礼を言うのだったが、この呪文のような言葉の意味はもちろん子どもたちには解らなかった。

 同じような感覚は、江戸の御神輿のお祭りをテレビで見たときにも感じた。よい悪いの話ではなく、あの腹の底まで響いてくる大太鼓の音と、ゆったりとそしてある種勇壮なリズムこそが私には懐かしい。
 たいした歌でもないが青春時代の歌には心臓がわしづかみにされるというあれである。
 大寺さんの八朔祭りは今は土日中心に行われている。

 ※ 太鼓歌 1
  牡丹に唐獅子 竹に虎
     虎追うて走るは和唐内
  あとないお方に知恵貸そか
  知恵の中山清閑寺
  清閑寺のおっさん 坊さんで
  それゆえ八朔 雨じゃいな
  ベーラ ベーラ ベラショッショイ

 ※ 太鼓歌 2
    石山の 秋の月  
   月にむら雲 花に風  
   風の便りは 阿波の島  
   縞の財布に 五両十両
    ゴロゴロ鳴るのは ナンジャイナ  
   地震 雷 あと夕立  ベーラ ベーラ ベラシャショイ

 前の記事のコメントで河内では「よーいやさ」が掛け声とあった。
 これは播州周辺と同じようだ。
 堺の「べーら」もよく分からない。

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