2016年7月31日日曜日

夏祭り

   義母が入所している介護施設の夏祭りが盛大に行われた。
 家族会の「千本引き」と「ヨーヨー釣り」の屋台も大好評だった。
 入所者に参加してもらった「出前ヨーヨー釣り」では、最後にはほとんどの人に笑みがこぼれた。
 これってすごいことではないかと自画自賛している。

 夏ちゃんファミリーも曾祖母ちゃんの介助に奮闘してくれた。
 夏ちゃんはビニール製のアナ雪のヨーヨーをゲットして満足だった。
 
 近頃は、日本のお祭りではサンバやフラダンスが人気らしいが、東南アジアや南北アメリカ大陸ではいま盆踊りが流行っているらしい。
 何万人規模の盆踊り大会があるという。

 盆踊りのいいところは、「ステージ上に主役がいて・・」ではないところ、やぐらの下の一般参加者こそが主役であるところだ。
 それは世界的にも稀有なものらしい。
 そう言われればそうだろうか。

 「手振りだけでもいいから車椅子でみんなに踊ってもらおう」という呼びかけが広がったようだ。何年か前に比べて車椅子での参加者が増えた。
 観客・お客さんでないところがいい。

 こうして、家族会としては上半期の一大行事を無事終了してホッとしている。
 明日、面会に行くと何人の人が「昨夜の盆踊り」を憶えていてくれているだろうか。
 それでもいいのだ。

2016年7月30日土曜日

2016 モリアオガエル

   2016年(平成28年)奈良公園内吉城園、モリアオガエルの観察記録ほゞ総集編。
 
 私が、今年初めてモリアオガエルの親と卵(卵胞)を見たのは5月20日だった。
 その後、何回かご対面した親蛙が1~4枚目の写真である。(順不同)
 色も綺麗し、体長も4~5センチで可愛いものである。

 5枚目の写真は6月17日に撮影したもので、モリアオガエルがカメレオンのように体色を変化させるのをこの目で確認した。
 私としては「新発見や~!」だったが、専門家は当然旧知の事実だった。
 ただ、吉城園のガイドの方は「実際には見たことがない」と言っていた・・ので、少しエヘン。

 6枚目の写真は、昼間にこれを見られたのは奇跡のようだが産卵の写真で、俗にいう「かわず合戦」。
 1匹の雌に数匹の雄が抱接している。
 昼下がりの情事を見てしまったような変な気もあるが、貴重な自然のアルバムを記録できた素朴な感激の方が大きい。
 
 7枚目と8枚目は樹上の卵胞。モリアオガエルのモリアオガエルたる特徴。
 これだけでも普通に人々は感激する。
 実際、蛙の卵が私の頭よりはるか頭上にあるなんて・・・感激しない方がおかしい。(昨日の記事参照)

 9枚目と10枚目は7月29日に撮影。
 その9枚目は 〽オタマジャクシは蛙の子 鯰の孫ではないわいな それが何より証拠には 〽やが~て手が出る足が出る と唄われたとおりに手足が出てきたオタマジャクシ。

 10枚目は、体長約10ミリの子蛙。
 この10ミリを見つけるのにどれだけ苦労して観察したことか。
 数十分、ただただ凝視を続けた。
 写真の外に泳いでいる子蛙も見た。
 おもわず「見つけた!」と叫んだくらいだ。

 最後の写真は子蛙のためにデジタルで拡大した。
 その表情を見てやってほしい。










2016年7月29日金曜日

現実世界への不感症?

 まあ、昨日の記事の続きだと思って気楽に読んでもらいたい。
 伝聞の情報ながら、「情報ライブ ミヤネ屋」の中でやくみつる氏が「ポケモンGOに興じる人を心の底から侮蔑します」と言ったとネット上で盛り上がっている。批判的意見が多いらしい。

 ネットの情報を引用すると、「もし都内で、ポケモンGOに禁止を言う候補者がいたら、すぐ投票しますね。
 あんなの愚かでしかないです。
 こんなことに打ち興じている人を、心の底から侮蔑します。
 現実は面白いことに満ち溢れているわけです。
 道端の植え込みだって、そんな中にいる虫にだって興味を示せばいいものを、そこを見ながら現実的じゃないものを探す。
 親はもっと楽しいものを子供に提供する義務があります。
 親も一緒になって打ち興じたら、アホな子にしか育たないですよ」というものらしい。

   以前に紹介したが、養老孟司、池田清彦、奥本大三郎著「虫捕る子だけが生き残る」(小学館101新書)でも、「ムシキングなんてバーチャルな虫は流行っていても昆虫少年は絶滅危惧種だ。
 ピクピクしている虫を持ったときの生き物の感覚が大事なんだ。
 虫も殺さぬ子が人を殺す」と語りあっているのも愉快だ。

 私はこれらの意見に賛同する。
 特に、やくみつる氏の「現実は面白いことに満ち溢れているのに」がいい。
 「親がアホ」とまでは言っていないが、親が「勉強しないと敗けてしまうよ」「そしたらお父さんみたいになっちゃうよ」と刷り込んだ結果が多様な現実世界への不感症、未来への閉塞感を生んでいるのではないだろうか。

 いや、時代についていけない老人の僻みだろうか。

  「虫も殺さぬ・・」に関して言うと、
 以前にテレビでイスラエル軍の女性兵士がパレスチナの空爆をしているドキュメンタリーを見たが、それは戦場から遠く離れた国内で、スクリーン内の映像だけを見て、偵察機のレーダーの指示する照準に合ったところで誘導ミサイルのボタンを押すだけのものだった。
 そこには誤爆でバラバラにされた子どもの死体も家族の悲しみも全く映らない。

2016年7月28日木曜日

夏のアルバム


 スノウさんから写真を送ってもらった。
 別荘(山小屋)に行ったら玄関にこんな巣があったらしい。
   オオルリ(瑠璃鳥)だろうか。
 2週間ほどで巣立つだろうからというので、泊らずに帰ってきたという。
 その懐の深さに感じ入った。

 2番目の、まるでクリオネみたいな写真は飛翔しているタマムシ。
 けっこう動きが速いので望遠で狙うのは私の腕ではこんな程度。
 孫の夏ちゃんが来たときに見せてやりたいが、見たい時には飛んで来ず、たまたま見上げたときにやって来る。まあ、昆虫なんてそんなものか。

   3番めは同じ樹のクマゼミ2匹。
   26日は久しぶりの雨の一日だった。
 そんな日は、雨が止んだのを夜明けと勘違いするのか、普通午後には鳴かないクマゼミが雨上がりに一斉に鳴き出す。
 雨が止んだのに蝉「時雨」とはこれ如何に。

   4番目は窓の外側の家守君。
 背景は朝顔のグリーンカーテン。それを家の中から見ている。
 それにしても、ガラスに必死?(易々?)にへばり付いている足の指が可愛い。
 楓(かえで)というのは「蛙手」から来たという説があるが、この可愛い手も何かの形容にならないだろうか。

2016年7月27日水曜日

ささげ豆

 鋏もち採るか残すか夏豇豆(なつささげ)


   いま採るささげは莢(さや)のまま煮つけることが多い。
 フライパンできんぴら風にしたものも妻は合格点をくれた。
 短く切って、焼きそばや炒飯にもたっぷり入れている。
 しかし病み上がりの妻と私だけでは到底追いつかないほど大量に成長する。
 嬉しいような悲しいような家庭菜園である。

 ただし、大量成長は心配ご無用で、秋に小豆のような豆になってから収穫しても良い。
 そうなればいくらでも長持ちするから、わが家の折々の記念日の赤御飯となる。
 もち米を加えて電気釜で炊く。

 さて、いつ頃からささげを植えるようになったのかは記憶にない。
 ずーっと以前に「面白そうだ」と袋の写真を見て種を購入した。
 それが手間暇かからず成長したので、その後はわが家の夏野菜の定番のひとつになっている。
 全く虫がつかないわけではないが、私の経験上は枝豆(大豆)よりも断然虫がつかない。栽培が楽である。種蒔き以後ほとんど何もしていない。

 で、頭書の俳句もどきだが、莢の時点で収穫しようか豆にするかと迷っている状況を詠んでみた。
 莢で収穫しようとする「いま」は夏で、ささげは秋の季語だから、夏井先生でなくても「話にならん」と一喝されそうだ。で、夏豇豆という季語?を勝手に作ったが「言語道断、馬鹿も休み休み言え」と言われるだろう。

2016年7月26日火曜日

梅雨明けの独り言

 梅雨明けが宣言されたが関東から北はオホーツク高気圧下の夏だという。
 近畿だって、テレビは気温だけで猛暑だ!大変だ!と報じているが、22日の金曜日などはなんとなく空気が乾いていて温度計ほどの酷暑とは私は感じない。朝晩はほんの少しだが高原の趣さえある。

   そんな変な梅雨明けだが、関東の水がめ利根川上流の水不足は深刻だとテレビは報じている。
 そして同時に、九州あたりで、いやもっと言えば関東南部でも豪雨だ!浸水だ!というようなことを報じている。
 こういうアンバランスはどうしようもないものだろうか。今年は北関東だが、四国や福岡の水不足は数年に一度はニュースになる。

 そこで思うのだが、日本の国はほぼ全国を水道網が覆っているはずだ。
 各市町村がパイプをつなぎ、緊急時には隣の水道、隣の水道から順送りができないのだろうか。
 下水を含めて水系を維持する大切さは解ったうえで…
 やればできるように思うのだが。

 お維の政策や規制改革派の政策では「水道事業の民営化」が謳われているが、それでは広域ネットワークは不可能だろう。「水が欲しくば金を出せ」になる。

 よく、国の行政イコール悪で、地方自治イコール善というような意見を聞くことがある。テレビのコメンテーターなどほとんどがそう言う。それに、残念ながら政治の革新を願う人々の中でもそういう単純な「モノ言い」をする人もいる。
 地方自治体の首長が法を犯したり、例えば中央労働委員会で敗訴し続けている事実もあるのに、リアルにモノゴトを見詰めようとしない。
 国の行政も民主化が必要だし、地方自治にも民主化が必要なのだ。
 国と自治体の業務の分担は業務の質を吟味して分けるべきなのだ。

 地方自治体の枠を超えた国土全体を見渡した行政は必要だし、前述の水道事業の広域ネットワークもそういうものだろう。
 「規制緩和」「官から民へ」「国から地方へ」のスローガンに惑わされてはならない。
 国民全体の財産が食いつぶされることも多いし、自治体を超えての助け合い、広域ネットワークがおろそかになる。

2016年7月25日月曜日

トランプとクリントン ひとつの視点

 共和党のトランプといえば、テレビ受けする感情的で品のない演説で、ある種の熱狂を演出しており、その姿はお維の橋下徹とぴったり重なる嫌な候補者だと思っていた。
 ところが、国際ジャーナリスト堤未果氏が少し違う角度から論評しているのが目についた。
 少し新鮮な解説で刺激を受けたので、要旨を紹介したい。
 引用元は PRESIDENT Online 。 

 過激で現実性の伴わない発言ばかりを繰り返すトランプ氏が、まさか本当に大統領候補に指名されることになろうとは、思っていなかった人が多いのではないだろうか。特に、日本のメディアを見ているだけでは、なぜトランプ氏にこれほど熱狂する人がいるのか、理解することは難しい。

 この「トランプ現象」を理解するには、まず、アメリカ政治の現状を知る必要がある。実は政治にまつわるカネの動きを探ると、アメリカという国家を、1%に満たない富裕層が動かしているという構図が見えてくる。アメリカでは、政治家への企業献金には事実上上限がなく、企業は政治家に献金をすることで、自社に都合の良い政策を、いくらでも「買う」ことができるのだ。政治は企業にとって、政治献金で投資した以上の大きな見返りが期待できる、ローリスク・ハイリターンの優良投資となっている。アメリカが「株式会社アメリカ」たるゆえんだ。

 (中略) 共和党の大統領選候補であるトランプ氏と、民主党の大統領選候補者に名乗りを挙げていたバーニー・サンダース上院議員は、見た目も支持層も主張もまったく異なるように見えるが、共通点が多い。

 (中略) 本来であれば「圏外」であるような候補が、これほどまでに人気を集めた大きな理由は、企業献金を受けていない、つまり、企業に金で買われていないところにある。「不動産王」とも呼ばれるトランプ氏は、選挙資金を自腹で工面しているし、サンダース氏は草の根の個人献金を集めて選挙戦を戦っている。両者とも、「株式会社アメリカ」に不満を抱える人たちからの共感と期待に支えられているのだ。

 (中略) 単純で感情的な言葉は、人の心をつかむ。現時点のトランプ氏の発言は、人々を熱狂させる効果があるが、メディア受けする感情的なあおりだけで具体性はないし、その内容に責任は伴っていない。日本のマスコミは、トランプの言葉を真に受けて振り回されているように見える。

 (中略) 今の多くのアメリカ人は、どれだけ頑張っても、マイホームを建てて家族を持つという、過去に当たり前だったものすら得ることができない。トランプを支持しているのは、こうした「良きアメリカ」を知りながら、今の生活に不満を抱える年配の人たちだ。

 アメリカでは、お金持ちはヒーローだ。日本人は、お金持ちがそれをひけらかすような行動をすると、「品がない」とさげすんだり、ねたんだりということがあるが、アメリカ人は素直に「やるなあ」と称賛する。トランプ氏は、努力してチャンスをつかんで成功し、財を成すという、昔の「アメリカンドリーム」の象徴でもあり、ノスタルジーをかきたてられる存在。しかも、トランプ氏は金持ちではあるが、今の政治を動かしている「強欲な1%」とは違い、アメリカンドリームの体現者であり、政治を「強欲な1%」から取り戻そうとしているヒーローなのだ。

 (中略) つまり、この「トランプ現象」とは、「1%の超富裕層が支配する株式会社アメリカ」への、強烈なアンチテーゼであり、残された最後の希望なのだ。株式会社化したアメリカの中で追いやられてきた人たちが、これまでの大統領選挙であれば「圏外」であったようなトランプ氏やサンダース氏に政治を託そうとしている。

 (中略) このまま順当にいけば、11月の大統領選挙では、巨額の企業献金を受けている民主党のクリントン氏と、「株式会社アメリカ」への不満を抱える人たちに支持されている共和党のトランプ氏が戦うことになるだろう。

 (中略) 「トランプ現象」は、まったくの対岸の火事とは言えない。アメリカの現状は、今の日本の状況と、驚くほど共通点が多いからだ。日本も、かつてのように、コツコツと真面目に頑張れば安定した収入を得て家族やマイホームが持てる時代ではなくなったし、格差も広がっている。大学を卒業しても、安定した仕事にも就くことができないばかりか、奨学金の返済に苦しむ若者も多い。こうした状況に不満を抱える人たちの声を集め、既存の政治の枠組みの「圏外」から政治参加をもくろむ、トランプ氏のような人物が、日本で生まれてもおかしくない空気になってきている。(後略)堤氏の引用終わり。


 日曜日に、ピーター・シュヴァイツァー著、あえば直道監修『クリントン・キャッシュ』という本の書評が新聞に載っていた。評者はジャーナリストの里崎英満氏。
 その要旨はこうだ。
  
 慈善事業のためというクリントン財団があり、その活動ということでビル・クリントン、ヒラリー・クリントンは超高額の講演料を得ている。
 1回1千万円以上は当たり前で約8千万円というのもある。
 合法的には政治献金ができない外国企業もそれを利用している。
 ヒラリーが国務長官であった2011年、ビルは44回の講演で14億円ほど得たが、その40%にあたる5億4千万円は国外での11回の講演によるものだった。
 スウェーデンの電信大手エリクソン社の製品は当時「制裁品目」に指定されようとしていたが、ビルに8千万円近い金額で講演を依頼。結果的に制裁リストから同社製品は外れた。 


 この書評と先の論評を重ねたとき私は、アメリカ国民はトランプを選択するかもしれないし、クリントンの選択が理性的で真っ当な道だとも単純には言えない気持ちにさせられた。
 クリントンの講演料は、お維の「政治献金ではないパーティー券????」と一緒である。
 ただ、サンダースをクリントンが無視できない状況が一縷の希望だろうか。
 それとも1%と闘うトランプの先に希望があるのだろうか。

2016年7月24日日曜日

聖徳太子の伝説

   7月23日の朝刊から「法隆寺 創建期の木簡」という見出しが飛び出してきた。
 明治11年に廃仏毀釈で困った法隆寺が寺宝を皇室に献納した、その法隆寺献納宝物から文字の書かれた木簡8点が発見されたと、奈良文化財研究所と東京国立博物館が発表した。
 東野治之奈良大教授の「7世紀の木簡が地中に埋もれずに、リサイクルされて今まで残っていたのは奇跡的だ」とのコメントもあった。

 奇しくもその日、法隆寺にも関わる東野先生の講義があったので受講したが、先生も「もう少し早くから解っていたら講義内容を変えるのだったのだが」という話から始まった。

 講義のタイトルは「聖徳太子と法華経」で、聖徳太子の歴史上の人物としての実像の研究は隆盛の一方、太子をめぐる伝承の研究は低調であるが、それはそれで「太子は日本仏教の始祖」という太子信仰の成立過程の理解に大切な研究だという話だった。

 講義内容に触れる紙数はないが、聖徳太子は中国南北朝時代の高僧『慧思』の生まれ変わりという転生伝説の成立とその修正過程など興味深い内容だった。

 いつもながら東野先生の講義は論理的で私は好きである。
 なので、野球少年がスター選手のサインボールをもらいたがるように、私が以前から持っていた先生の著書(校注)『上宮聖徳法王帝説』にサインをいただいた。
 我ながら勉強以前の単なるミーハーだと反省している。

2016年7月23日土曜日

アイム ジャパニーズ

 「アイム ジャパニーズ ドント ショット(私は日本人だ 撃たないで)」と、ダッカの犠牲者は言ったと現地の生存者は述べていた。
 犠牲者はJICAの関係者で、バングラデシュの復興のために熱心に貢献していた人々だった。日本国内では特にそう強調されている。
 そうであるなら、この現れた結果との落差は何だろう。
 大前提として、いかなるテロもクーデターも容認できない、断固として抗議する立場で、なおかつ冷静に考えてみたい。

 バングラデシュは世界の縫製工場と呼ばれている。
 世界的に有名な日本企業も多く進出している。
 賃金水準は中国の3分の1以下らしい。月収20ドルというレポートもある。底抜けの「労働法」で女子労働者がトイレも我慢して長時間労働に「拘束」されている。
 それでも、もしかしたら平均的なバングラデシュの庶民からしたら「マシ」なのかもしれない。

   そういう庶民の暮らしがある下で、事件のあった場所は「裕福な地区」と報じられている。
 日本料理店も経営するオーナーの高級レストランである。
 ラマダン中の金曜日だった。
 で私は遠い日を思い出した。

 私は、小さい頃堺市に住んでいた。
 当時の夏のレジャーの中心は海水浴だった。
 堺には浜寺公園という白砂青松の海水浴場があった。
 しかし私が小さい頃は広い公園は進駐軍のキャンプに接収されていて、この海岸と公園はジャパニーズ オフリミットと表示されていた。
 その後、海岸での海水浴は日本人にも開放されはしたが、駅から浜辺までは金網に挟まれた狭い通路を「通してもらって」海に行かせてもらっていたのだった。
 ダッカのレストランを見て、そんな記憶がよみがえってきた。
 あのレストランは小さな私が見ていた金網の向こうの世界ではなかったか。

 その後の報道を見ていても、「危険な箇所には近寄らないでおこう」的な解説が続いているが、世界中の危険な箇所を知ること以上に、世界中の庶民の暮らしとニッポン株式会社のありようを知ることが大事ではないだろうか。
 重ねて一切のテロを擁護しないことを確認しつつ、犯人たちが「ムスリムとジャパニーズは外に出ろ」というぐらいの状況を私は夢みる。
 ただ政府広報の問題ではなく、ニッポン株式会社のありようを考える。
 168年も前にマルクスとエンゲルスはこう言った。万国の労働者団結せよ!。
 日本の労働運動ももう一度原点を振り返える必要がないだろうか。
 その方向にこそ再発防止の道があるように思う。

2016年7月22日金曜日

アメリカの医療崩壊と小さな政府

 人間ドックの結果が郵送されてきた。
 この1年間は、身体に良いとされているような運動を全くしておらず、心筋梗塞の薬(ニトロ)と不整脈の薬を財布に入れている状態で過ごしてきたが(実際、軽度の発作もあったが)、どういう訳かそのあたりの数値は改善されていた。 どうなっているんだ!
 『「高血圧の薬は飲むな」と週刊誌で報じられているが(正確にはそういう広告を読んだだけだが)、実際にはどうなんですか?』と聞いてみたが、「副作用も出て無いようだから続けたらどうですか」というのがドクターの軽い返事だった。
 で、歳相応にあちこちに*やHというようなマークがついていた。

 その人間ドックの結果を主治医に見せたら、「人間ドックはキツイ目に言うもんなんです」とさらに柔らかい解説で、γGDPなんかは「こんなの調べること自体が無意味だから一切気にする必要はない」とバッサリで、なんとなく嬉しいやら「これでいいのだろうか」と思ったり・・・


   さて、アメリカの医療の崩壊は堤未果著「沈みゆく大国アメリカ〈逃げ切れ!日本の医療〉」に詳しいとこのブログでも何回も書いてきたが、今般、松本佐保著『熱狂する「神の国」アメリカ―大統領とキリスト教―』(文春新書)を読んで、初めて知って驚いたことがある。
 それは、アメリカの右派がどうしてそんなに「国民皆保険」に反対するのかということで、単なる(実は単なるどころではない深刻さがあるのだが)民間保険業界の利益に反するからというだけではないということだった。(この本の主題がここにあるわけではなかったが)

 つまり、極東の仏教徒には想像もできなかったことであるが、アメリカでは医療保険や社会保障の大きな部分をキリスト教会が担っているということだった。
 何事も桁違いに大きなもの(メガチャーチ等)があるアメリカでは、「我が教会のメンバーになると医療や保険、法律相談などの様々な相談を受けられる」とアピールされ、そういう宗教団体に政府の助成金が出て、行政の肩代わりをしている。(知らなかった)

 なので、国民皆保険制度などの福祉政策はキリスト教徒によるチャリティー活動で行うべきで、世俗的な国家がそういう個々の人々の生活に介入するのはキリスト教的な理念に反すると考える。これがアメリカの「小さな政府論」らしい。(本は読んでみるものである)

 だとすると私は思う。キリスト教的なボランティア活動というセーフティーネット?など全く考えられない我が国で、「減税ニッポン」だとか「身を切る改革」「官から民へ」だとかといって「小さな政府」を標榜する口車に乗せられると、この国ではアメリカ以上に悲惨な地獄が待っていることになる。

 大切なことは「小さな政府」でも「構造改革」でもなく、予算の使い方と税の負担に民主主義を貫くことである。
 日本では、神をも恐れぬ金の亡者どもが「神の国」のキャッチコピーを好き勝手に盗用している。

2016年7月21日木曜日

再び メッセージの伝え方

 参議院選挙の結果について、特に大阪や兵庫の結果について、「力不足である」「ただし次の躍進の足場は確保した」「がっかりしないでおこう」「不正な政治が長続きするはずがないと自信を持とう」という貴重な意見がある。
 そのとおりだと思う。
 しかし同時に、そのレベルで議論が留まっていてはいけないと私は思う。それが一昨日の私の記事とコメントである。
 
 今年の1月3日にこのブログに書いたが、赤旗元日号の上智大学中野教授と共産党志位委員長の対談に私は大いに反省させられた。
 そこで主に中野教授はこのように述べられていた。

 「学者の会」などはおそらく自分では正しいメッセージをもっているから、それは伝わるだろうというある種のおごりもあるんだと思う。
 もうひとつは、伝えたい相手に対する敬意、若者の言葉でいうとリスペクトで、われわれに欠けていた。
 われわれ大学の教員と共産党というのは似ていて、同じようにうっとうしいように思われている(笑い)。
 常に正しい答えを知っていて説教しているようなところが多分にある。
 メッセージの伝え方について、もっと謙虚にあるべきではないか。・・・・と。

 ところが、この対談を読んだ筈の方々と話をしても、その内容を深めようという議論はあまり進まなかった。
 このテーマだけのことでない。
 どうも新しい問題提起に対して前向きに議論し考える機会が民主主義の運動の側に減っていないだろうか。
 正直にいえば我々も総じて高齢化している。その上に加齢は必ずやって来る。
 それを克服する何かを見つけなければ、「がっかりしないでおこう」「新たな決意で」だけでは不十分ではなかろうか。

2016年7月20日水曜日

歓喜にむせぶ鳥

   「蝉は地中に7年いて地上に出てから1週間で死ぬ」と昔は言われていた。
 正しくは幼虫期間はもう少し短くて、成虫の期間は長いらしい。個体差もあるという。
 いずれにしても、何年も雌伏の年月を過ごして、謳歌すべき我が世の夏は短い。


 と、蝉の側に立てば同情するにやぶさかではないが、野鳥の側にすれば「ラマダン明けの大宴会」の季節(とき)といえよう。
 時々イレギュラーなセミの鳴き声を聞くが、多くは野鳥に喰われている。

 我が家の前の街路樹も例外でなく、蝉の大合唱(午前中はクマゼミ、午後はアブラゼミ)の周辺でイソヒヨドリが歓喜にむせんでいる。

 振り返ると、このあたりでは、今年の春は毛虫の大発生が見られなかったから、野鳥にとっては待ちに待った季節到来と言ったところか。

2016年7月19日火曜日

老兵は何をすべきか

 参議院選挙大阪選挙区ではお維の候補が2名当選し、わたなべ結候補の当選は叶わなかった。
 兵庫選挙区でもお維の候補が当選し、金田峰生候補は落選した。

 近頃恒例のとおり、今回もお維の比例の候補者2名の陣営から3名が公選法違反で逮捕されているが、そういうダークな政党にどうして支持が集まったのだろう。
 結局、消極的な意味でのイメージ選挙だったと私は思う。

 民主主義の原点である言論活動を徹底的に抑圧する「べからず公選法」の下で、まともな論戦が封じられたまま、テレビショッピングのレベルと変わらない「身を切る改革」という言葉だけで彼らは集票した。
  社会の閉塞感が「今ではない何か!」に向けて変わって欲しいという方向に集まった。
 そういう場合には、トランプや欧州のネオナチのように、少し品のないワンイシューが魅力的にみえるものである。

 ほんとうの論戦がされていたなら、党首松井大阪府知事が「身を切る改革」「退職金の廃止」と宣伝しながら、実は月額と一時金増額で実際の総報酬を増加させたことからも、詐欺的誇大広告は明らかだったのだが、それを「おかしいではないか」と指摘するメディアはほとんどなかった。

 メディアといえば、お維の勝因はやっぱり関西発のワイドショーだろう。
 お笑い芸人を十把ひとからげに論じるつもりはないが、ワイドショーの雛壇に座らせて、「結局誰がやっても同じと違うん」「何かやってくれそう」「身を切る改革をしてほしいなあ」的なコメントを連発し、「街の声」のインタビューあたりでもそれを追認するように編集して繰り返した。

 野党共闘陣営も、焦点が自公の立憲主義の破壊、経済格差の拡大問題にあったため、その種の誤解への正しい宣伝が不足していたような気がする。ここは大きな反省点ではないか。

 私はさほど「がっかり感」はないが、大いに反省し総括する必要があると思う。
 ギャンブル依存症の前提には初期の成功体験があるという。
 そんなことを連想してモノを申すのは不穏当かもしれないが、1970年代の躍進の成功体験に胡坐をかいて、ただ「力不足だった」では総括にならないだろう。
 年齢を重ねると誰でも物理的な運動量は減る。
 それを克服するようなメッセージの伝え方の工夫は喫緊の課題だろう。
 「そんな面倒くさいことを今さら・・」と言ったのでは始まらない。

2016年7月18日月曜日

カブトムシが現れた

   孫の夏ちゃんファミリーが和佐又山にキャンプに行った。
 「いっぱい昆虫採集をしておいでや」「カブトムシを捕っておいでや」と送り出した。
 そうしたら皮肉なもので、我が家のすぐ近くで私がカブトムシを捕まえた。
 残念ながら、孫の夏ちゃんも凜ちゃんも我が家にはいない。世の中のタイミングとはこういうものである。

 それでも妻に見せてやろうと、手で捕まえたまま持って帰ったが、さすがカブトムシで、角や脚の力は強く、随所のトゲトゲの脚で指から血まで出しながら持って帰った。

 その後、西瓜を与えて庭に出し「自然界に飛んでお帰り」と放っておいたが、西瓜に目がくらんだのか我が家が気に入ったのか、全く庭から飛び立たなかった。

   近頃は、子どもの虫離れが顕著だが、カブトとクワガタだけは人気者らしい。
 といっても昆虫採集に行くのではなく、デパートで買い求めるのが標準的な対応というのが少し寂しい。

 ジャポニカ学習帳の表紙からカブト等の昆虫の写真が消えて何年か経つ。
 人それぞれだから、「たまらない」という親子や教師を馬鹿にする気もないが、じっくり見てみると何と可愛らしいと思ってもらえるように思っている。

 樹液を吸って生きるためだけにこれほどカラダを重装備するか? 
 「昆虫の進化」を考えると眠れないほど不思議がいっぱいだ。

2016年7月17日日曜日

律義なオハグロトンボ

   13日にオハグロトンボがカミサマトンボ、ホトケトンボであるということを書いたが、そのカミサマトンボ、ホトケトンボがわが家の近くに現れた。
 すると、なんと、妻から「今日退院できる」と連絡があった。
 医療の世界は日進月歩である。オペの日の朝には週刊誌の広告が踊っていて、こんな病気で手術をしてはいけないとか、こんな技法の手術はしてはいけないとかという言葉が並んでいて気が重くなっていたが、結局、このように入院数日で退院ということになった。
 で、なんとなくカミサマトンボ、ホトケトンボに感謝したい気持ちになっている。
 やはり、カミサマトンボ、ホトケトンボは捕らずに撮るだけにしておこう。

   カミサマトンボ、ホトケトンボの近くの樹にアブラゼミがいた。
 その名の由来は、天麩羅のようなものを油で揚げている音そっくりな鳴き声だからという。
 まあ、フライパンでいためものをするときのジーッ ジーッ という音だと・・、
 そうであるなら、油で揚げるような料理は何時頃からあったの?と考える。
 春日大社の神饌、「ぶと饅頭」は揚げてあるが、きっと庶民が知るところではなかっただろうし。
 禅寺の精進料理に揚げ物があるから、もしかして鎌倉時代には揚げ物の料理方法が知られていた???
 知りたいのは何時の時代の誰が、ミンミンゼミ的単刀直入な命名でなく、「アブラゼミ」というひとつ捻った名前をつけたのだろう・・ということ。
 つくづく先人は偉いと思う。
 
   そも、玉蝉を死者の口に含ませたとおり、古代、蝉は復活と再生のシンボルだった。
 やはり、蝉も捕るのは止めて撮るだけにしておこうか。
 でも、昔昆虫少年は我慢できない。

 追加した右の写真はクマゼミ。
 午前中はクマゼミがうるさく、午後はアブラゼミがうるさい。
 この午前と午後の「業務分担」も不思議である。

2016年7月16日土曜日

長谷川義史さんの呟き

   長谷川 義史さんのフェースブックが心に響いたので、このブログ上でシェアする。

 長谷川さんのコメントは、「憲法を守り、戦争しないこの国を子どもたちの世代にわたさねばと。大阪選挙区ではわたなべ結さんを応援しました。
 残念な結果になりました。とてもとても残念です。
 でもここまできてしまったけど諦めないでと思います。」・・・・というものだった。

 正直に言って、敗戦後にこのように発信していただいていることに驚いた。
 驚きついでに・・・、選挙では平松邦夫さんや浅野秀弥さんが熱心に応援していただいた。

 この先も歴史は紆余曲折を繰り返しながら進むのだろうが、正義の連帯を追求し、その縁の下の力持ちに汗する道が王道だと思う。

 圧倒的な1人区の野党共闘は1+1=2以上を証明した。
 野党4党の比例票合計よりも少なかった選挙区がごく一部であったが、誰も共産党が手を抜いたからだとは全く発言していない。
 言った約束は守る、という倫理的物差しでも共産党は立派だったと思う。
 

2016年7月15日金曜日

茗荷の花

   料簡の悪い宿屋の夫婦、お客が大金を忘れていくようにと茗荷の料理ばっかりを食べさせた。
 翌朝、客は宿賃を払うのを忘れて旅立った。
 ・・・は、落語や日本昔話の世界。

 で、調べてみると、茗荷をわざわざ栽培して売っているのは日本だけとあった。この説が精確かどうかの検証はできていない。ほんとうなら、茗荷大好き人間の私は気分がいい。

 茗荷の栽培は野菜類の中で一番手間がかからないともいわれる。
 要するに放っておいても次から次へと頭を出す。
 そして、これをいくら採っても親茗荷には全くダメージを与えない。
 栽培野菜の優等生である。

 庭の植木鉢に茗荷を植えてある。
 その下に、花ミョウガが顔を出した。
 なので、蕾部分と花とを一緒に摘み取った。
 私は縦に薄切りにして、熱湯を潜らせて即甘酢に漬けた。見る見るうちに赤く染まって見た目も食欲をそそる。
 夏の素麺やざる蕎麦の薬味としても最高だと思う。
 医学的には物忘れをさせる要素は全くなく、反対に聡明にさせるとの文もある。

 と、いいことずくめの話だが、どういうわけか茗荷畑はやぶ蚊(ヒトスジシマカ)が大好きで、茗荷を収穫に行くときは「ちょっと献血にいってくる」というのが我が家の隠語になっている。

2016年7月14日木曜日

永六輔さんの尺貫法復権運動


 永六輔さんのご逝去が報じられたが、私は2012.12.12の「鯨が出てきた」の記事で永六輔さんの「尺貫法復権運動」を取り上げたことがある。
 先日もテレビのコメンテーターが、「永さんは左翼の人だったが尺貫法という伝統を守れと闘った珍しい人だ」的に解説していた。
 こういうテレビコメンテーターの誤ったステレオタイプの解説にはほんとうにうんざりする。

 奈良の街などでは、自民党がやたらと文化財を壊し金儲けに加担するのに対し、文化を守れ、伝統を守れと一番積極的に運動しているのが政党レベルでは共産党である。
 大阪でも「文楽など不要」と言って補助金を大幅に削った維新に対して、文楽を守れ、上方文化を守れと一番運動したのは政党レベルでは共産党である。
 「歴史、文化、伝統」と共産党は親和性が高いのである。
 コメンテーターの知識は、保守という言葉の響きからそれが伝統保護的で、革新という言葉のニュアンスから伝統に否定的なんだろうという中学生レベルの想像の程度だと思う。

 伝統的な尺貫法を無視しては、和服の仕立ても歴史的建物の復興・再建も不可能だ。
 永さんは、尺寸の物差しを売ることも禁止(つまり有罪)という悪法の下で、マスコミでも公然と販売すると公言し、警視庁に向けて「正しい法律なら販売をした私を逮捕しろ」とデモを行なったのである。
 永六輔は男だなあと思う。

 写真は私の持っている鯨尺(くじらじゃく)と曲尺(かねじゃく)の物差し。
 竹製の鯨尺の1尺はボールペンの先の378.788ミリ。
 手前の黒い曲尺の1尺は303.030ミリ。
 鯨尺1尺は曲尺の1尺2寸5分。
 なので、奈良の大仏と鯨はどちらが大きいか? 答は鯨。
 クジラはカネ(大仏)の1.25倍である。

 昨日のブログに対して何人かからメールをいただいた。恐縮している。
 お陰様でカミサマトンボ・ホトケトンボに感謝している。

2016年7月13日水曜日

秋津洲 夏

   小さい頃は堺市の中心街に住んでいたので、写真のようなこういう清流のトンボは珍しかった。
 子どもに人気のオニヤンマだって道路上を飛んでいた時代だったが、海に近い都会では、こういう「オハグロトンボ」には出会わなかった。

 なので夏休みに水間(貝塚市の水間観音周辺)に連れていってもらって虫捕りに熱中したのを思い出す。
 もちろん、得意になって虫籠に入れて持ち帰った。
 夜になって祖母が「かわいそうやから放してやり」というので放したら、翌日近所の子どもが「窓の灯にやって来たこんなんを捕まえたのや」と自慢した。

 「それは僕が放してやったヤツや」と言っても証拠はなく、少し悔しい思いをした。

 詳しくない方のために念のため、これはイトトンボではなく、もっと大きい。
 そして、普通にはスーイスーイと飛ぶトンボらしくはなく、蝶のようにひらひらと飛ぶ。

 上の2枚はアオハダトンボ、下の1枚はハグロトンボだと思う。(ハグロトンボの雌雄かも知れない)
 どちらも奈良公園のモリアオガエルの池の周辺で撮ったもの。
 オタマジャクシはうじゃうじゃと居たが、親蛙も、子蛙も見つからなかった。

 カミサマトンボ、ホトケトンボとの別名もあるようだから、少しがっかりしていた私の元にモリアオガエルの代わりに登場してくれたのだろうか。

 なお、カミサマトンボ、ホトケトンボの名前の由来は、お盆の頃に帰ってくれたご先祖様の「仮の姿」と見たからとも想像できる。
 各地には、「オハグロトンボを捕ったら罰が当たる」ということわざもあるそうだ。ご存知のお方は教えてほしい。

 名にし負はばカミサマトンボホトケトンボ、今日の妻のオペが無事終了しますように。

2016年7月12日火曜日

お化け胡瓜の冷し餡かけ

   「7月としては観測史上初・・」などというニュースが続くと、夏野菜が大変なことになる。
 トマトは「明日こそ完熟トマトを・・」などと楽しみにしていると翌日にはヒヨドリにやられている。
 キュウリは17センチぐらいだからと置いておくと翌日には35センチを超えてしまう。
 「そんなキュウリも好きだ」と言ってくださる方も多くてせっせとお裾分けをしているが、それでも溜まってくる。

 なので、「胡瓜も冬瓜も同じ瓜だ」と言って、妻に冷し餡かけをつくってもらった。
 生姜の利いた出汁で煮て餡かけにしたのだが、これは正解だった。
 35センチのお化け胡瓜も二人でペロッとたいらげた。
 写真は写真用に少なめに盛ったもの。実際はひとりで写真の3倍以上頂いた。
 また、その前には「夏野菜カレーだ」と言ってカレーにたっぷり放り込んだが、これも娘夫婦にも好評だった。
 当分、キュウリを中心に献立を立てることになりそうだ。
 穴子のキュウリもみ、たこ酢、バンバンジーでは追いつかない。ああ。


 選挙結果はある意味シビアに分析して反省しなければならないが、同時に、3年前の参議院選挙と比べて自民党は65から56に減ったこと、民進党は大幅に増えたこと、1人区の野党も2から11に増えたこと(民進の増加と重なっているが)、共産党は比例で602万票10.7%で3年前の515万票9.7%から増えたこと、大阪も3年前のコータロー票をほゞ獲得したことを見ておかないと、テレビや新聞の見出しを見てがっくりすることはないように思う。もっと前進できなかった反省は反省として。

2016年7月11日月曜日

擬宝珠の花

   私のブログを読んでいただいて共産党に支持をいただいた皆さんにはありがとうございました。
  4野党と市民による共闘は始まったばかり。
 3年前の選挙では1人区で野党が勝利したのは沖縄と岩手だけだったが、今回は32選挙区中11選挙区で野党が勝った。
 特に沖縄と福島では現職大臣を破って野党共闘が勝利した。
 同時にあった鹿児島知事選では川内原発再稼働派の現職が破れた。
 共産党も改選議席数を上回ったが、京都や大阪の選挙区では勝利できなかった。
 「メッセージの伝え方」について大いに検討して捲土重来を期してほしい。
 いわゆる改憲勢力が3分の2に達した。
 国会を注視し日々の批判、対案の提案に努力していかなければならないと思う。 

   写真は、このようにアップすると何かなと思われるだろうが、ギボウシ(擬宝珠)の花である。
 春先に出てきた芽はウルイという山菜である。
 食べて美味し・見て綺麗な優れものである。

2016年7月9日土曜日

優しい心 とどいてほしい

 嘘つきや権力を振り回す人はもう御免です。
 優しい心が日本全国に拡がりますように。


  7月10日参議院選挙投票日当日は、投稿、拡散、シェア等を含むネットでの選挙活動ができませんので、これが選挙シリーズ最後のアップとなります。
 少し堅苦しい投稿が続きましたが閲覧ありがとうございました。
 選挙区(定数1人区)の野党統一候補、同複数区の共産党の候補者、そして比例区には共産党と政党名の投票をお願いします。
 この国の民主主義を、福祉を、子や孫の安心を守りましょう。

福祉国家は夢でない

 昨日の『徒然草の遺言』の記事で、「政治が分からない」という若者に対しては、マスコミのコメンテーターには「ちょっと他人のことを想像してみよう」とひと言言って欲しいと書いたが、ほんとうにそう思っている。
 昨日も私は福祉療育病院に行ってきたが、そこには必死に頑張る子供たちがいた。
 同情して慰めてくれというのではない。
 オスプレイを買うお金があったらこの子供たちの福祉を充実してほしい。
 同じような境遇で苦労している難病患者、高齢者、等等々、そういう福祉に従事する人々・・・ちょっと想像の翼を拡げていただければ投票の大事さが解っていただけるはずだ。

   「それは分かるがお金がない」と自公政権は言う。
 しかし、消費税増税8.2兆円のうち社会保障に充てたとされているのはわずか16%、1.35兆円だ。
 消費税は大企業と大金持ちの減税に使われた。
 なので、儲かっている大企業にせめて中小企業並みの税負担をさせる、合法的脱税であるタックスヘイブンを利用した税金逃れに正当な課税をする等の税制の民主的改革をすれば財源はある。

 安倍政権は年金財源をマネーゲームにつぎ込んで5兆円以上スッたと言われているが、安倍は「財源が減れば年金を減らすのは当たり前だ」と言っている。
 また、「消費税増税の再延期をしたのだから福祉は削る」とも公言している。
 「福祉のために消費税」と言って今日に至っているのだから、「国家的詐欺だ」と言われるのも当然だ。

 マスコミはよく世代間の格差だとか利害の取りあいをいうが、昨日我が家に介護保険料の納入通知書が来たが、限られた年金から引かれる介護保険料の重さは酷いものである。
 負担を強いられているのは高齢者も同じだ。
 トランプやお維がいう「隣の移民、隣の高齢者が敵」なのでは決してない。

 さて、この先の話はそんなに難しいものではないと思う。
 税は応能負担の民主的税制にする。
 予算は福祉と勤労者の生活改善に使う。
 そうして庶民の購買力を高めて内需を拡大すれば、サミット7か国中唯一の経済マイナス成長という馬鹿みたいな政治を止めることができる。
 そういう選択、・・野党統一候補と日本共産党の躍進で、この国を福祉国家にすることも夢ではない。

 長谷川義史氏が「ちちんぷいぷい」で7月7日に、「七夕に願いを託して明後日に実らせよう」という主旨の絵を披露されていた。美しい風景画だった。

2016年7月8日金曜日

徒然草の遺言

 兼好法師曰く「友とするにわろきもの七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇める兵、六つには虚言する人、七つには欲深き人」。

   この文に初めて出会ったとき、三つめの「病なく身強き人」が私にはガ~ンときた。
 なぜ「健康な友」はあかんのか。
 兼好はきっと「弱い者の気持ちが分からん者、弱者の辛さが想像できない者は友とするな」と言っているのだと私は解した。

 さて、テレビで18歳19歳の若者に対するインタビューを報じていた。
 「選挙には行かないと思う」「政治のことはよく解らない」というシーンが多かった。
 私にはそれは、社会や政治の教育が不足しているのでなく、国語・文学の教育不足のような気がした。

 大それた勉強をしろというのではない。
 ちょっと耳にした他人の不幸や辛さを想像してみる、そういう思いやりの心である。
 ほんのちょっと、今だ仮設住宅に居るフクシマの人々を想像してほしい。
 コメンテーターという方には、ただそれだけを話してくれるだけでいいとさえ思う。
 
 なお、六つ目の「嘘つき」、七つ目の「欲張り」は当然として、五つ目の「威勢がよく強がっている武士」をあげているのにも感心させられる。
 兼好法師は今次参議院選挙に遺言したのではないかというような気分になっている。
 「威勢のよい言葉を並べる強がり」となると、自民、公明、お維となろう。
 戦争法、海外派兵、9条改悪・・・・、
 「野党統一候補と比例は共産党」、法師が存命ならそうおっしゃるに違いない。

 なお、法師の言葉ながら、「若き人」と「酒好む人」は許してほしい。
 大阪選挙区の わたなべ結 さんは「若き人」である。

2016年7月7日木曜日

ボギーの時代

 〽ボギー ボギー あんたの時代はよかった とジュリーが歌った阿久悠の詞のボギーはハンフリー・ボガートでテーマは映画カサブランカ。
 ナチス占領下仏ヴィシー政権時代のレジスタンスが描かれた傑作。
 上六のハイハイタウンにそのポスターが貼られたパブがある。ただ当時見なれたマスターの顔はこの頃見えない(偶々おられなかっただけかも知れないが)。
 
   そんなことを書いてみたくなったのは、選挙の中で自公が盛んに野党統一候補を「野合だ」と攻撃するのに、不破哲三氏が「レジスタンス」を引いて反論したのが印象的であったから。

 フランスをはじめ第二次大戦下のヨーロッパでは各種の抵抗運動(レジスタンス)が連携して進められた。
 そのときのレジスタンスの標語が詩人アラゴンが提唱した『神を信じる者も信じない者も』で、カトリックもプロテスタントも、 保守派もコミュニストも、 土着の者も移住してきた者も、ナチスの侵略と全体主義に連帯して闘おうというものだった。
 だから、戦争法を強行して解釈改憲から成文改憲まで目論む安倍自公政権に「立憲主義を守れ」と市民と4野党が連携したのも必然で、世界史でレジスタンスを学んだ者なら自公の「口撃」は笑止千万。
 
 そもそも考えの違う政党が「大同」で連携するのは当然で、考えが同じなら同じ政党になればよい。それなら聞くが自民党と公明党は全ての政策が一致している? 「野合口撃」は貴方らだけには言われたくない。

   実際、4野党は直近の国会で右図のとおり15本の法案を共同提案している。

 さらに言えば、市民連合(「立憲デモクラシーの会」「安全保障関連法に反対する学者の会」「安保関連法に反対するママの会」「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」)と野党4党は、次のとおり明瞭な政策協定も締結している。。
◆市民連合と野党 4党の政策協定
・安全保障関連法の廃止と立憲主義の回復
・改憲の阻止
・公正で持続可能な社会と経済をつくるための機会の保障
・保育士の待遇の大幅改善
・最低賃金を(時給)1000円以上に引き上げ
・辺野古新基地建設の中止
・原発に依存しない社会の実現に向けた地域分散型エネルギーの推進

 子や孫が現在の大人に向かって「あんたの時代はよかった」と酒を吹きかけて唄わなくてもよいように、今踏ん張りどころ。

2016年7月6日水曜日

わが家の菜園自慢とサザエさん

  赤旗も家庭欄となると些かのんびりしたもので、だいぶ以前に送ってあった投稿が今頃掲載された。
 なぜ「今頃」と言うかといえばレタスやサンチェは基本的には冬野菜である。

 それでも、投稿のように、今でもサラダに摘んでいるから、ぎりぎりセーフというところ。
 
 NHKぐるっと関西(ぐるかん)のガーデニングの先生のはたあきひろ先生に「結球しないで、葉がチリチリのレタスは虫に強い」と教わってこの冬に挑戦していたもので、はじめから結球を期待しないものだから、美味しそうな葉っぱを摘んで食べているうちに、写真のとおり「これがレタス?」というようなものになった。

 切り身の魚が本来の魚の姿ではないように、「レタスとはこういうモノ」というスーパーの売り場的既成概念を捨てるところから真理が見えてくる。とはチョッと大げさ。


   話は代わって、のんびりした話題をもうひとつ。
   1949年の総選挙で日本共産党は4議席から35議席に大躍進。そんな自共対決時代の『サザエさん』がある。
 漫画の内容はともかく、この国の青春時代を感じさせる。

 あれからナン十年、32ある全一人区で野党統一候補が実現。
 渦中の人間は案外その歴史的意義が実感できていないかも。
 実は我々は大変な歴史の証人になっていないか。

 イタリアではサザエさんの漫画のような、こんな風景が当たり前らしい。
 先日のイギリスの国民投票だってテレビを見ていると、それぞれが戸別訪問をして議論をしている。
 ところが日本では、議論やニュースの配布が大幅に制限されている。
 その一方で、企業ぐるみ選挙や宗教団体を隠れ蓑にしたカルト団体の選挙運動が跋扈している。

 だから、公選法を改めさせる運動が大切。
 同時に、現行公選法でも自由度の大きなSNSで語らない手はないと私は思う。

 選挙区1人区は野党統一候補。
 京都、大阪、兵庫等の複数区では大河原、わたなべ、金田等共産党の候補者を。
 比例区はズバリ共産党、もしくは市田(京都)、大門(大阪、兵庫、滋賀、奈良、和歌山)等の比例候補者名を。
 大工さんみたいにはっきり言おう。
 でも、理と情で左官屋さんにも分かってもらわなければね。

2016年7月5日火曜日

ダッカの悲劇を招いたもの

 IS(イスラム国)によると思われるテロによって善意の日本人が犠牲になった。
 テロ行為は卑劣であり断じて許すことはできない。
 そして我々は、二度と繰り返されないようにどうすればいいのかを本気で考えなければならない。
 とすれば、テロの温床となる貧困と格差の解消に政治的、外交的に貢献する外はないと私は思う。
 
 アフガンで大規模な人道支援を継続されている中村哲医師は、「アフガンでは辛うじて日本人は街を歩ける」「戦争に加担した西欧諸国や韓国の人は狙撃される」と述べ、その源は憲法9条で、戦闘服の自衛官が派兵されなかったことだと正月の朝日新聞で語っていて、同時に、その安全が危うくなっていると嘆いておられた。

この写真の公表が最低最悪の外交の見本と言われている
   その新聞記事から1か月も経たない1月17日、安倍首相はエジプトで「IS対策の為」2億ドルを支援すると表明した。
 そして19日、歴代政権が決して行わなかった、イスラエルと日本の国旗の前でネタニヤフ首相と連携強化を表明した。

 1973年の第1次石油危機後、日本はアラブ・イスラム諸国と良好な関係を築いてきた。
 1979年、イランの米国大使館占拠事件後、その場所は年に1回公開されるのだが、その展示の第1室は「広島・長崎への原爆投下」であり、実際、イスラム過激派の心情においても「日本は敵でない」とされてきた。
 なのに安倍首相のそれは、公然たるイスラム諸国への敵対の示威行動、宣戦布告であった。
 それが湯川遥菜さん殺害に繋がったというのは、元駐イラン大使孫崎享氏の見解である。

 孫崎氏の言葉を継げば、中曽根首相は後藤田正晴官房長官を据えて違った意見を聞こうとしたが、安倍周辺やブレーンにはお友達ばかりで、苦言を呈したり忠告する人がいない。

 なんでもかんでも安倍の悪口を言うつもりは毛頭ないが、冷静に振り返ってみて、ダッカの悲劇を招来したのは安倍晋三その人だと私は思う。
 彼にはほんとうの意味での政治力も外交力もない。サミットを見れば明らかだ。
 こんな政権を延命させてはいけない。
 それが参議院選挙の争点ではなかろうか。

2016年7月4日月曜日

人生 意気に感ず

   私がまだ現役で仕事をしていた頃、私たちは仕事上、ある漢籍に詳しい先生とお付き合いがあった。
 なので、その先生の影響もあってか、職場にはその種の名言に堪能な先輩方も少なくなかった。
 その一人が先輩のYさんで、酔ったときなどに「人生 意気に感じるや」「お前とは考えは違うが、その意見とやる気には賛成したるわ」と言われたことなどをいま思い出す。

 唐詩選にある述懐という五言二十句の詩の最後の2行だが、唐王朝建国の功臣魏徴が自分を認めてくれた天子の知遇に感激して活躍する決意である。
 なので、少し古めかしい感じもするが、あまりに損得ばかりで社会や人生が語られる現代には、一種の清涼感もある。私は嫌いではない。

 と思っていたとき、共産党の比例区の候補者大門みきし氏のプロフィールに、「座右の銘はなんですか?」に答えた次のような文を見つけた。
 
 「意気に感じる心」です。これにはエピソードがあります。
 中学生のはじめの頃は大変な「問題児」でした。
 「こいつはもう手に負えんわ。転校させるか、施設に入れるしかしゃあないなぁ」という、まことに乱暴な先生たちの話を聞いて、「ちょっと待ってんか、ワシにまかせてくれ」と買って出てくれたのが、植山忠次郎先生(あだ名が「はげ忠」)でした。
 口はやかましいが心のとても温かい先生でした。
 もうすぐ定年を迎えるお歳でしたが、毎日、私の家へ来て「大門、うどん食いにいこか」と私を連れ出し、きつねうどんを食べさせながら、こんこんと説教をしました。そういう植山先生の熱心さに根負けして、何とか立ち直り、高校へも進学できたわけです。
 先生はいつも「大門、男はなぁ、意気に感じる心を忘れたらあかへんで」と言っていました。
 それ以来、私の座右の銘は「意気に感ず」ということになりました。
 出典は唐の名臣・魏徴(ぎちょう)の詩「述懐」にある「人生、意気に感じては、功名誰かまた論ぜん」だと思います。
 もちろん意味が理解できるようになったのはずいぶん後になってからですが、先生がなぜ定年まで教頭にもならず、一教師にこだわったかがわかる気がしました。
 植山先生のことを今でも一生の恩師だとおもっています。

 よく「共産党の人は堅物で、みんな同じことを言うという印象がある」と言われたりするが、以上の文章からもそれが大いなる誤解だと私は感じた。
 人生 意気に感じて正義を貫く、・・・なんと人間臭い候補者でないか。
 なので今、人生 意気に感じて共産党を応援したいと思っている。

 そんなことで、古い友人に「SNSで思いを発信しようよ」というと、「それでどれだけ効果があるの?」と尋ねられた。
 おいおいおい、人生 意気に感じて挑戦するのに「費用対効果」ですか?

2016年7月3日日曜日

井上章一氏の卓見と大後悔時代

 新書大賞2016第1位「京都ぎらい」の著者井上章一氏が京都民報に書かれた文章に目から鱗という言葉を思い出した。

   タイトルは『「美しい日本」に違和感 文化に価値見出す国へ』というもので、最初に『安倍さん(首相)は「美しい日本」「戦後レジームからの脱却」を唱えてこられましたが、そこでなぜ「レジーム」というフランス語を操らんならんのか。そんな人に「美しい日本」を語って欲しくありません』とあり、その後に目から鱗の『第2次大戦中、イタリアの参謀本部はローマを空爆された翌日に敗北を決め、日独から「ふ抜け」とののしられました。イタリアは、戦争の勝ち負けより、文化財の温存を優先したわけです。東京や大阪が焼けてもがんばった日本に、守るべき文化財はなかったのか。私はイタリアにコンプレックスを感じています。』とあった。

 そういえば、実際、私の小さい頃、つまり敗戦から15年ぐらいまでの私の周りでは、「日独に比べてイタリアはふ抜け」という言葉が飛び交っていたし、小さい子供たちも文句なくその言葉を使っていた。
 それを井上氏は「私はイタリアにコンプレックスを感じている」と言う。

 続けて氏は、『日本を攻めるのは、世界的な文化の損失になると、そう思ってもらえる国づくりが大事である・・』と。卓見である。


 さて、ここ数日、『イギリスの大後悔時代』という文字がメディアで多用されている。
 ポピュリズムを煽る「大阪維新」「安倍政権」「トランプ」に熱狂する人々の明日の姿だろう。
 ビールを傾けてナイターを見ながら「もっと胸元へ投げてビビらしたれ!」という調子で軍拡を煽り戦争法制を煽り、他民族を蔑視すような風潮の先には大後悔が待っていることを今回のイギリスは白日の下に示した。
 投票結果の後、離脱派は煽りに煽ったEU拠出金の数字が間違っていたといい、それを医療費に廻すと言っていた主張を撤回すると言い、移民がゼロにできるわけでないと言い出した。

 さてさて、1994年にアメリカが北朝鮮を先制攻撃する作戦を決定したことがあるが、その折の米軍のシミュレーションでは▼開戦90日で5万2千人の米軍が被害を受ける。▼韓国軍は49万人死亡する。▼在韓米軍と在日米軍の約8割が被害を受ける。▼米国人8万~10万人を含め民間人から100万人の死者が出る・・というもので、これが、都市を対象とした現代戦のリアルな姿である。

 冷静に付け加えるなら、日本海に原発を並べておいて「何おかいわんや」だろう。
 「北東アジア平和友好条約」を目指す外交力・交渉力というと「生ぬるい」という声もあるが、それを進めるのが大人でありリーダーではないのか。
 私は井上章一氏の主張(度胸)に敬意を表する。拳々服膺したいと思っている。
 日本の大後悔時代が始まらないよう、こういう冷静な大人の意見に耳を傾けたい。

2016年7月2日土曜日

生長の家と立正佼成会の見識

 昨日の記事で触れたが、宗教法人「生長の家」の参議院選挙に対する方針が注目されている。
 解説記事を書くと誤解を招くといけないので、要所を抜粋して以下に掲載する。
 全文は生長の家のHPに載っている。

 ■ 今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針
 ■ 「与党とその候補者を支持しない」

 来る7月の参議院選挙を目前に控え、当教団は、安倍晋三首相の政治姿勢に対して明確な「反対」の意思を表明するために、「与党とその候補者を支持しない」ことを6月8日、本部の方針として決定し、全国の会員・信徒に周知することにしました。その理由は、安倍政権は民主政治の根幹をなす立憲主義を軽視し、福島第一原発事故の惨禍を省みずに原発再稼働を強行し、海外に向かっては緊張を高め、原発の技術輸出に注力するなど、私たちの信仰や信念と相容れない政策や政治運営を行ってきたからです。

 (中略) 当教団は生長の家政治連合(生政連)を結成(1964年)して、全組織をあげて選挙活動に取り組んだ時代がありました。しかし、やがて純粋な信仰にもとづく宗教運動が政治運動に従属する弊害が現れ、(中略) 1983年に生政連の活動を停止しました。(中略)

 (中略) ところが安倍政権は、旧態依然たる経済発展至上主義を掲げるだけでなく、一内閣による憲法解釈の変更で「集団的自衛権」を行使できるとする”解釈改憲〟を強行し、国会での優勢を利用して11本の安全保障関連法案を一気に可決しました。これは、同政権の古い歴史認識に鑑みて、中国や韓国などの周辺諸国との軋轢を増し、平和共存の道から遠ざかる可能性を生んでいます。また、同政権は、民主政治が機能不全に陥った時代の日本社会を美化するような主張を行い、真実の報道によって政治をチェックすべき報道機関に対しては、政権に有利な方向に圧力を加える一方で、教科書の選定に深く介入するなど、国民の世論形成や青少年の思想形成にじわじわと影響力を及ぼしつつあります。

 最近、安倍政権を陰で支える右翼組織の実態を追求する『日本会議の研究』(菅野完、扶桑社刊)という書籍が出版され、大きな反響を呼んでいます。同書によると、安倍政権の背後には「日本会議」という元生長の家信者たちが深く関与する政治組織があり、現在の閣僚の8割が日本会議国会議員懇談会に所属しているといいます。これが真実であれば、創価学会を母体とする公明党以上に、同会議は安倍首相の政権運営に強大な影響を及ぼしている可能性があります。事実、同会議の主張と目的は、憲法改正をはじめとする安倍政権の右傾路線とほとんど変わらないことが、同書では浮き彫りにされています。当教団では、元生長の家信者たちが、冷戦後の現代でも、冷戦時代に創始者によって説かれ、すでに歴史的役割を終わった主張に固執して、同書にあるような隠密的活動をおこなっていることに対し、誠に慚愧に耐えない思いを抱くものです。先に述べたとおり、日本会議の主張する政治路線は、生長の家の現在の信念と方法とはまったく異質のものであり、はっきり言えば時代錯誤的です。(中略) 私たちは、この“原理主義”が世界の宗教の中でテロや戦争を引き起こしてきたという事実を重く捉え、彼らの主張が現政権に強い影響を与えているとの同書の訴えを知り、遺憾の想いと強い危惧を感じるものです。

 当教団は、生政連の活動停止以来、選挙を組織的に行うなどの政治活動を一切行ってきませんでした。しかし、政治に触れる問題に関して何も主張してこなかったのではなく、谷口雅宣現総裁は、ブログや月刊誌を通して“脱原発”や“自然エネルギー立国”を訴え、また日米の外交政策を分析して、それに異を唱えたり、注文をつけたりしてきました。また、昨年は憲法を軽視する安保法案に反対する立場を明確に表明されました。

 私たちは今回、わが国の総理大臣が、本教団の元信者の誤った政治理念と時代認識に強く影響されていることを知り、彼らを説得できなかった責任を感じるとともに、日本を再び間違った道へ進ませないために、安倍政権の政治姿勢に対して明確に「反対」の意思を表明します。この目的のため、本教団は今夏の参院選においては「与党とその候補者を支持しない」との決定を行い、ここに会員・信徒への指針として周知を訴えるものです。合掌。

     2016年6月9日 
                  宗教法人「生長の家」



 ■ 今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針(その2)
 ■ 不支持政党を追加

 生長の家は、宗教者としての純粋性の表現と、国の進む方向を誤らせないために、69日付で発表された会員・信徒への指針「与党とその候補者を支持しない」ことに加え、憲法改正を急ぐ「おおさか維新の会」、および安保関連法案に賛成した政党(自民党、公明党、日本のこころを大切にする党、日本を元気にする会、新党改革)とその候補者を支持しないことを表明します。

 なお、選挙での各個人の投票は、本人の自由意思に基づくべきですので、会員・信徒の皆さまにおいては、あくまでも各人の意思で決定して下さい。

     2016622
                  宗教法人「生長の家」



 関連して以下に「立正佼成会」の見解も掲載する。


 ■ 宗教法人「生長の家」の教団方針に賛意を表します。

 宗教法人「生長の家」が6月9日、今夏の参議院選挙に対する教団の方針を公表されました。

 「福島第一原発事故の惨禍を省みずに原発再稼動を強行」したエネルギー政策のあり方に警鐘を鳴らし、「憲法解釈の変更で『集団的自衛権』を行使できるとする〝解釈改憲〟」を憂慮する見解に、賛意を表します。
                  (立正佼成会)


 ■ 「私たちの切実」

 「戦争に負けた時には焼け野原であった国が、わずかなうちに 世界の中で一番経済的に安定した国になった。治安も日本ほどいい ところはない。どなたのお陰かといえば、残念ながら宗教者では なく政治家のお陰なんです」
 「我々はいまあまりに幸せすぎて、政治なんて関係ないと、宗教家 は朝から線香立てて、ろうそくつけて拝んでいればいいというが、 そんなことはない。憲法の根底は主権在民。我々が権利を持って いるんです。我々が立派な政治家を選ばなければ、いい政治になど ならんのです」
 一九八〇(昭和五十五)年の創立記念日の式典で、庭野開祖はこう 述べています。私たちはこの言葉の重大さにようやく気づくことが できました。
 これから、私たちは参議院議員選挙を迎えます。この選挙は、 これまでとは違います。私たちが、日本という国のあり方を決定 する、歴史的選択となるのです。
 私たち日本人は、先の大戦で「剣をとって起()つ者は剣に よって滅びる」という人類普遍の真理を学びました。犠牲となられた多くの人々は、その尊いいのちと引き換えに、私たちに、「国民主権」 「基本的人権の尊重」「平和主義」という精神に立つ日本国憲法を 遺してくださいました。戦後の歴代政権はその精神を尊重し、日本を 平和と繁栄に導いてきたのです。ところがいま、その根幹が崩れよう としています。
 昨年の「安全保障関連法」の強行採決によって、憲法を守るべき時 の政権が恣意的に解釈を変更できる、という既成事実が生まれまし た。「あの日」、私たちは気がつかないうちに大切なものを失ってしま いました。それは信頼に基づく民主主義です。
 例えば、すでにメディアは以前のように多様な意見を紹介する ことに困難を感じているようです。「国境なき記者団」によるランキ ングで、六年前に十一位であった日本の報道の自由度は、現在七十二 位に転落してしまいました。
 こうした事態を招いてしまった原因は、残念ながら私たち自身に もあります。生活の安定に心を奪われ、政治や社会が変化している ことに気づくことができなかったのです。
 今、私たちは危機感をもっています。 この選挙において、私たち一人ひとりが行う選択(投票)は、子どもが、孫が、そして今を生きる私たち自身が、どんな国に生きるのか を決定づけます。取り返しがつかない、まさに「切実」な日と なります。いま一度、「信頼」できる政治を取り戻すために、私たち は主権者として、仏教徒として、この選挙に真摯に臨んで参ります。
 日本では古来、「和を以って貴しと為す」の精神を基に、大和 (だいわ)の国を築いてきました。これからの日本の国のあり方が、 私たち一人ひとりの選択によって決まるのです。
     平成二十八年六月二十一日
                         立正佼成会

 ・・・引用は以上。
 私などは、生長の家や立正佼成会は自民党を支える有力団体だと思っていた。
 特に生長の家は、右翼団体「日本会議」の屋台骨だと思っていた。
 しかし今回、良い意味で君子は豹変し、真面目な宗教者が安倍自公政権の危険性を真っ向から批判をしていることを知った。
 宗教団体が信仰という権威で『政教一致』の行動をとることは正しいとは思わないが、宗教者や宗教団体が信仰にもとづき政治を語り見解を発表することは当然のことだと思う。
 そして、以上に引用した生長の家と立正佼成会の見識は尊いものだと私は評価する。

2016年7月1日金曜日

水無月の夏越しの祓

   昨日6月30日(晦日)は水無月の夏越しの祓。
 「・・・今日より始めて罪と云ふ罪は在らじと 祓給ひ清給ふ事を 聞食せと恐み恐みも白す」日。
 〽 水無月の夏越しの祓する人は 千歳の命延ぶといふなり と歌いながら茅の輪を潜る日だが、今年は出かけることができなかったので、孫の凜ちゃんに小さな茅の輪を握らせた。
 この方が余程ありがたいことと思うようにした。

 こういう行事は、あまり哲学的な意味は薄く、素朴といえば素朴な土俗に近いと私は理解しているが、こういう行事に参加したり思い浮かべることによって、半年の経過をとりあえず感謝し、向かう半年も平穏でありたいと願う機会になっているのは間違いない。
 ただ世の中で発生している不幸の数々は「心の持ち方」だけでは解決できないものが多く、そこに目をつぶって「心の持ち方」に矮小化することは、世俗の悪人たちを擁護・支援することと同じになる。
 もっと言えば、日本会議の重要な構成員たる神社本庁が勧める憲法改悪と、それを推進する与党支持の選挙運動は、人権など顧みられなかった戦前の国家神道や皇国史観の時代の復活を目指すもので、古代史や神々が大好きな私であるが、それを容認することはできない。

 〽 村の鎮守の神様の と唄われた神々は明治憲法下で大きく歪められた。
 有名な南方熊楠の神社合祀反対運動があったように、明治憲法下で神社は国家権力によって整理統廃合され、教義部分も国家神道に付随するように歪められた。
 だから、神道原理主義ではないけれど、元の素朴な神様に立ち返ろうという声が大切だと私は思う。

  昨日の「朝ドラだけが平和主義」の記事を読み返してほしい。
 「美しい戦前を取り戻そう」という人々を選挙で当選させてはいけない。
 以下のことについては別途記事にしたいが、小さくない宗教法人である「生長の家」は6月22日、「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針その2」を発表し、「会員・信徒の皆さまにおいては、あくまでも各人の意思で決定して下さい」としつつ、不支持政党として、「自民党、公明党、日本の心を大切にする党、日本を元気にする会、新党改革、おおさか維新の会とその候補者を支持しないことを表明します」と訴えている。
 意外といえば嘘になるが、かつては日本会議を支えた有力団体であったが、原発や地球環境を真面目に検討する中で辿り着いた真面目な宗教者と宗教団体の声を聞いた気がする。
 不支持にされていない政党は、民進党、共産党、社民党、生活の党等と野党統一候補となる。
 このニュース、正直私は驚いた。
 時代は激動の時代を迎えている。