2016年6月21日火曜日

森青蛙のこと

 6月18日のモリアオガエルの記事に対して「ひげ親父」さんから次のようなコメントを戴いた。同記事のコメント欄と重複するが掲載する。

   『河内の子供にとって「モリアオガエル」は全く面識のない生き物でした。いちばん身近なカエルは「土ガエル」と呼んでいた褐色の小さいカエルでした。大きくなった姿を記憶してないので赤ガエルなのかどうかもわかりませんが家遊びの得意な私の遊び相手でした。棒切れに糸をくくり付けその先に綿を小さく丸めたものを付けてチョンチョンとカエルの顔の前に垂らすとすぐ食いついて来るのが面白くて日がな一日遊んでいたものです。誰の悪知恵か、祖母が吸っていた刻み煙草を水に浸し、その汁を綿に付けて釣ると食いついたカエルが口から舌を出し両手で扱き出すしぐさが面白くて何度もやったものでした。』(ひげ親父)

 私の返信コメント
 『大阪府(河内)どころか、私が観察している奈良県でもレッドリストの「絶滅寸前(絶滅危惧種Ⅰ類)」に指定されている天然記念物です。
 卵(卵塊・卵泡)を初めて知ったのは2~30年前の奈良公園・飛火野の奥の池でした。その年?に再度観察に行ったときには卵塊のオタマジャクシを蛇が襲っていたので一寸ショックでした。
 親蛙を初めて見たのは10年ほど前で春日大社参道・白藤茶屋の池でした。
 なお、飛火野の池は近年は干上がっています。
 白藤茶屋の池は近年は無茶苦茶に汚れています。(どうにかならんのか(怒))
 そして、奈良公園の吉城園で観察をし始めたのは5~6年前からです。
 これまでは池の上に張り出していた樹が倒れたとかで、あまり高くないところに産卵していましたが、今年は「これぞモリアオガエル」というような樹上に卵塊ができています。
 産卵の真っ最中も、体色変化も見ることができ、鳴き声も聞きました。
 孫のお陰です。』(長谷やん)

 次に20日付けの朝日歌壇と朝日俳壇から・・・モリアオガエルつながりで、
 聞き馴れぬ蛙語を聞く庭の隅モリアオガエルの卵塊があり(石川県)瀧上 裕幸
 森青蛙見つけに見つけ泡十五(大阪府島本町)池田 壽夫

 おまけで、同欄の「短歌時評(松村由利子)」の一部・・・歌壇・俳壇つながりで、
 『昨年9月と12月に開かれた二つの緊急シンポジウムの記録集「時代の危機と向き合う短歌」(青磁社)が刊行された。安全保障関連法が成立したことに危機感を抱く歌人らが、時代状況をうたう意味、短歌形式のもつ危うさも含めた表現の可能性について話し合った内容だ。来る参院選は、安保法廃止が争点の一つとなるだろう。この記録集を、時代と詩歌について考えるきっかけにしたい。シンポで永田和宏は、「政治的な動きの中で、言葉が危機的な状況に陥っている」と話し、戦前の言論弾圧が権力だけによるものでなく、個々人が委縮し互いに自主規制することで強まった事実を指摘した。…』

 以上のことから私が勝手に思うのだが、自然の豊かさ、そして、そういう自然とさらには言論の危機的状況が多くの人々に共有されているようだ。
 心ある人々がそれぞれの部署で危機的状況に異議申し立てを行なっている。
 悲観することはない。
 願わくは、社会の矛盾を語る人々が、自身の言葉で豊かな感情に載せて発言を強められることを。

1 件のコメント:

  1.  ミニコミ紙への原稿を依頼したら、多くの友人から「よし判った」と承諾の返事があった。
     「人は信じるものだ」。私の方が元気をもらった。

    返信削除