2016年4月30日土曜日

めでたく終了した仕事だが

OB会で行なった
先日の写仏のひとつ
   先日OB会の世話人会を開き、同時に会員あての発送作業を行った。
 その発送作業のうちの一つは、アニバーサリー行事に関するアンケート。
 そこでは「同封の料金後納封筒で送付してください。ただし出来るだけ経費節減にご協力いただきFAXで回答していただきたい」と記載した。
 もうひとつは総会案内。
 例年だと出欠ハガキを同封するのだが、今年は経費節減のため「同封の料金後納封筒に同封でお願い」と記載した。
 というように、めでたく会議も発送作業も終了した。

 そして帰ってから「何かおかしいぞ」と気が付いた。
 出欠確認はFAXに馴染まない『はがき大』。
 それを料金後納封筒に封入してもらうならアンケート回答も同封してもらえばいい。回答のFAX送信は不要になる。
 出欠確認をFAX仕様にしてアンケートと同じ文言にしておくべきだった。
 アンケートの文書と総会の文書を別々の世話人が準備したというのは言い訳にもならない。

 そのことを他の世話人にメールをしたら、「この頃ひとつのことしか頭が回らないので」と返信があった。
 まったく同感だ。
 アンケートのときには「経費節減でFAXが増えればいい」と納得し、出欠確認のときには「同封することで52円のハガキを節約できた」と納得していた。
 
 これで次の会報のコラムが一つ増えたと思うのがポジティブな老人力。
 と言って誤魔化そうかと思っている。

2016年4月28日木曜日

神国ニッポン

 一昨日知ったのだが、知人の女性がお母さんの一周忌のために熊本に帰省して地震に遭い、毛布一枚で夜を過ごすというような体験をし、一昨日現在未だ帰阪出来ていなかった。
 政権はサミットや外遊を控えてできるだけ災害規模を小さく見せようと腐心しているようで、何時でも庶民は政治によって棄民されるというのが現実だ。

   昨日はテレビが九州新幹線全面開通を報じていた。
 テレビカメラは第一号車の到着を絵に収めようと鹿児島中央駅で待っていたが、そこにはロープが張られたまま停まったエスカレーターが映っていた。
 最新の駅のエスカレーターがこの状態。
 鹿児島中央駅である。

 一方、鹿児島中央駅よりもはるかに熊本に近く、中央構造線の枝流が伸びており、昭和59年運転開始で免震棟もない川内原発は「全く異常がないので停止させない」と担当大臣。
 常識的に考えれば、メルトダウンでなかったとしても少なからずダメージを受けた個所がある筈で、その報道が全くシャットアウトされていることが放射能同様怖ろしい。

 原発は爆発しない限り情報が管理されている。間違いない。
 それは、70数年前「撤退」を「転進」と言い続けた大本営発表と違わない。神国ニッポン。
 NHK籾井会長は「当局の公式見解を伝えるべきだ。専門家の意見を伝えてもいたずらに不安をかき立てるだけ」と部内に指示をした。まったくジャーナリズムの役割を理解していない。否、解ったうえで統制しているのだろう。

 「国境なき記者団」は日本の報道自由度は世界で72位と発表した。
 世界の国の名を71あげるのは至難の業。ということは、この国は語るのも恥ずかしい野蛮国ということ。
 テレビのトップニュースの3割強(35%)が芸能関係ニュースというのも先進国(英では12%、米では3%)では信じられないこと。・・ということを西欧のテレビは驚きを持って報じているが、当の国民は芸能ニュースを口を開けて笑ってみている。
 鹿児島中央駅の停まったままのエスカレーターを見ながら私の頭の中はぐるぐる回る。

2016年4月26日火曜日

チェルノブイリから30年

  1986年4月26日にチェルノブイリ原発が爆発してから30年。
 どれだけ多くの死者や病人が出て、地獄を見たかは「チェルノブイリの祈り」(スベトラーナ・アレクシェービッチ・岩波現代文庫)に活写されている。
 その後のチェルノブイリ原発は、核燃料を取り出し廃炉処分することもできず、金属とコンクリートで造られた「石棺」と呼ばれる建造物で覆ったまま30年。
 石棺が劣化してきたので丸ごと新シェルターと呼ばれる建造物で覆う工事がいま進行中。
 その作業現場は除染後の今も毎時100マイクロシーベルトを超している。
 
 フクシマでは凍土壁が一部完成したらしい。年間ランニングコストは10億円超。
 遮断された汚染水は何処へ流れる? フクイチには雨が降らない? 汚染物質の処分方法は決まっていない。
 高濃度の汚染水は止めると言うが、低濃度だって大量であれば海が汚染されることは小学生でもわかること。
 フクシマだって、石棺で覆うしかないのではないだろうか。

 九州で中央構造線沿いに想定外の地震が頻発。
 本震だと思っていたら前震だったとか。1週間で収束するはずが収束しないとか、地震の専門家がテレビの中で「想定外で今後のことも解らない」と言うのに川内原発だけは想定内で安心だと発表。ということは、爆発したときは想定外ということになる。解ったようで解らないおかしなロジック。
 NHKの籾井会長が「公式発表をベースに報道するように」指示。
 それは大本営発表に沿って報道した時代と変わらない。

 北海道五区補選の結果は残念だったが、千歳と恵庭という丸ごと自衛隊の街以外では池田さんが勝利している。千歳と恵庭だって、強烈な管理・統制の下でも相当な自衛隊関係者が反自公に投票した。
 中央構造線だけでなく、政治の地殻変動も起こっていることを見なければならない・・と、自分に言い聞かせる。

 写真はトルコの反原発ポスター。トトロの国から輸出しないでと願っている。

2016年4月24日日曜日

鼻の穴くぐり

方広寺
   東大寺大仏殿の柱の穴をくぐると無病息災と言われている。
 東大寺の職員の方に訊くと、鬼門にあたる柱であるから「鬼門除け」で穴を開けてあるという。
 しかし私は、公式な文書(もんじょ)などにその理由を見つけていない。
 大仏殿は奈良天平時代の創建後2回延焼して鎌倉時代、江戸時代に全面的に建て替えられているから、鎌倉期、天平期の大仏殿の柱にも穴があったかどうかも私は知らない。先に尋ねた職員も知らないという。

 ところで、東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんは京都・方広寺で柱くぐりに挑戦している。
 単に方広寺が東大寺の真似をしたのか、江戸期大仏殿が方広寺の真似をしたのかも解らないが、「鬼門除け」で柱に穴を開けるのが「常識」の時代があったのだろう。きっと。
 近世までは陰陽道に基づく迷信が絶大な説得力を持っていたから、ここは「鬼門除け」でいいのだろうと思っている。
 (どなたか他の寺社でこんな例があれば教えてほしい)

ある日の我が妻です
   ついで「柱くぐり」だが、その所以も文書に見つけられない。
 私としては、柱の穴は大仏様の鼻の穴と同じ大きさなので「鼻の穴くぐり」でもあるから、大仏様の胎内進入の疑似体験のような気がする。
 「胎内くぐり」はよくある宗教習俗で、再生、「生まれ変わり」を表す。一種の禊だろう。
 適当な穴を「胎内くぐり」として崇めているところは多い。
 なので、大仏殿の柱の穴を見たならくぐりたくもなるというものだ。
 それが自然な日本文化だと思う。

 私の息子は今でもくぐれるから、標準的なメタボでない日本人なら大人の男性でもくぐれるが、けっこう困難を伴う。
 最初から万歳をして四角形の対角線を使用するのがポイントである。
 片手から入って片手を残して肩で詰まる人も多い。
 胸はクリアしたがお尻で詰まる女性は恥ずかしい。
 先日は遠足の子供たちが順番待ちの行列をつくっていたから、我がメンバーは残念ながら挑戦できなかった。
 シーズンオフや早朝、夕方に行くと並ばなくても挑戦できる。
 どんな「行事」であっても見るだけよりも参加した方が楽しいに決まっているから、チャンスがあれば挑戦してほしい。
 馬鹿馬鹿しい迷信だと顔をそむけるのでなく、先人たちのどんな思いが今日(の言い伝え・しきたり)を作ったのかと思案してみるのも楽しい。

2016年4月23日土曜日

複雑な思いの氷金時

 既報のとおり、先日OB会で奈良に遠足に行ったので、少し関連する記事の連載みたいになっている。

氷金時
   二月堂の舞台で多くの人から「あれはいったい何?」と質問を受けた。
 大仏殿の甍の向こうに理解不能のモノが見えるという。
 私などには有名な、そうでない方には理解不能なモノ。それこそ悪名高き?「氷金時」、築55年の人工アルプスで、その中をロープウェイが潜っていた高度成長期日本精神の残躯のようなものである。(少し記憶があいまい!)
 金儲けのためなら資本はもちろん行政までもが何でもOKに舵をきった1961年(昭和36年)、奈良の空に浮かび上がった人工アルプス別名「氷金時」はドリームランドのシンボルとして建てられた。

 今日こそ、USJだディズニーシーだと騒いでいるが、このドリームランドこそが初代ディズニーランドで、鉄道馬車、モノレール、ジャングル大海賊遊覧船、潜水艦そしてジェットコースターは全国から観光客を呼んでいた。(少し記憶があいまい!)
 恥ずかしながら、堺から遊びに来た少年はその濃厚なUSAの匂いに感動し、その記憶が脳裏に残っているから、この非文化的な残骸に今でも懐かしい親近感が拭えない。ああ。
 奈良に転居してからは、ここのレジャープールに子供たちと遊びにも来た。

 もともと本家のディズニーランドとはフランチャイズ契約はなかったようで、中国や北朝鮮の「そっくりさんパーク」を笑えないレベルに近かったようだ。(開園当初は本家の指導や援助もあったというが、本家にはそのレベルが不満だったよう)
 経営母体の不振や、全国的な遊園地の廃止の波(少子化と地価暴騰?)、一方、東京ディズニーランドやUSJの開園で打撃を受け、10年前の2006年に閉園になった。要するに今ある姿は廃墟である。

 元へ戻って古都の俗化となると、ドリームランドのほかにも三笠温泉郷、春日奥山周遊道路、平城宮蹟への近鉄車庫建設計画、同地への国道24号線バイパス計画が進められ、一挙に「歴史遺産を守れ」という運動が起り、その伝統がここ数年の若草山モノレール計画を中止に追い込んだともいえる。
 しかし、平城宮蹟のテーマパーク化や奈良公園ど真ん中(登大路交差点)の観光施設建設は今も進んでいる。

 廃墟跡地は、長い間格安の公売でも応札がなかったが、先日、遂に落札されたと報じられている。
 私などは、全国のモデルになるような保育園と老人ホームが一体となった施設を造ればよいと思うが・・・・。
 景観破壊反対の運動が必要でないことを祈りたい。
 皆さん方には、二月堂から見たあの違和感をもって、古都の俗化に異議申請する声を広げてくださることを心から期待している。

2016年4月22日金曜日

六道の辻

   〽 愛宕(おたぎ)の寺もうち過ぎぬ、 六道の辻とかや、 げに恐ろしやこの道は、 冥土に通ふなるものを 〔謡曲:熊野(ゆや)〕
 そこは平安京、葬送の地であった鳥辺野の入口にあたっていた六道の辻。東に行くと六道珍皇寺。

 原始仏教には六道輪廻の思想があった。
 人は生前(前世)の業因によって地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの迷界へと堕ちてゆく。その六叉路が本来の「六道の辻」。
 (なお、和道おっさんのブログを読むと、この思想こそは現代インドのカースト制肯定のイデオロギーになっていると強く批判されている)

   軽いところでは『地獄八景亡者戯』、六道の辻には寄席小屋が建っていて、その表には「米朝近日来演」・・と、かつて米朝が語っていた。

 それはそうとして今回は奈良の話。
 前々回の記事で興福寺の六道の辻について触れた。
 それは52段の石段(大階段)の上に興福寺の五重塔を望む猿沢池東北畔の六叉路のことである。
 「ここを奈良の六道の辻という」とは奈良のガイドブックにも載っている。
 大階段は善財童子が52人の知識人を訪ねた故事に基づくといわれる52段。
 興福寺のお坊さんは「ここが六道の辻で、北へ大階段を上がる道を行けば興福寺つまり天上つまり極楽への道だ」と説いたもの。
 それに対して奈良の男たちは、「いや、南西への道こそが極楽への道だ」と反論した。
 なぜなら、南西の道の先には奈良の花街があったから・・・というのが話のオチ。
 (ただし「奈良の男」以下の話はガイドブックには載っていない)

 今も少しだけそういう風情のある店があり、ミュージック劇場や風俗サロンがあったりするが、総じて明るい奈良町(ならまち)として、奥様方のランチと散策の名所になっている。
 こう善男善女ばかりでは閻魔様も拍子抜けだろうが、「大仏商法」と評判の悪い夜の奈良まちは大人たちにも拍子抜けで評判は良くない。もう少し繁華街らしくても好い。

2016年4月21日木曜日

最古の労働問題

撮影日 4月8日
   前の記事で「大仏殿は我が国最古の大規模労災職業病の発生現場」という旨を記述した。
 なぜなら、大仏鋳造は、銅500t、金440kg、水銀2.5tを使用して、延べ250万人が従事したといわれている。
 伝統的な鍍金法では、金を水銀に溶かしてペースト状のアマルガムにして銅の表面に塗り付け、火で焼いて水銀を飛ばし、表面に残った金を鉄ぺらで磨き上げたらしい。
 なので空気中に大量に飛散した水銀を吸い込んだ工人たちが大量に職業病に罹患したことだろうと推測されているからである。

 何年か前に大仏殿の西側で鋳造時の銅屑が大量に見つかったが、その周辺の小川は少し先で佐保川となっている。
 なので、井戸以外には秋篠川と並んで佐保川を上水の供給源としていた平城京では、水俣病やイタイイタイ病のような公害問題があったかも知れない。

 この国が本格的な都市を造ったと同時に、労働災害(職業病)や公害も発生したのであるから、労災、公害対策も歴史は深い。
 ただし、もちろん当時は、原因が解らず怨霊や祟りとされていただろうから、現代いうところの労災、公害対策とはいえないだろうが・・・。

 因みに、奈良時代の「印刷」の役割を果たしていたのは写経であり写経生だった。
 その労働条件は出来高給の上に書き間違い分を差し引かれるという成果主義であったので、その生活は苦しかったらしい。
 だから天平年間に東大寺の写経所一同が待遇改善要求を求めた文書が残っていて、それは・・・、
一、仕事がなくなるといけないので、写経生の新規採用は見合わせてほしい。
一、去年二月に支給された仕事着をとりかえてほしい。
一、毎月五日の休暇をほしい。
一、正座作業はくたびれるので三日に一度は酒をほしい。
一、近頃途絶えている麦を、毎日給食してほしい。
一、食事をもっとよくしてほしい。
・・・・というものだから、記録上最古の待遇改善要求、労働運動といえる。
 
 あおによし~奈良の都を否定的に言うつもりはさらさらない。
 反対に、こういう視点も持てば奈良観光の奥もさらに深まるような気がしている。

2016年4月20日水曜日

心造諸如来

 若(も)し人もとめて
 三世(さんぜ)一切の仏を 知らんと欲せば
 応当(まさ)に是(かく)の如(ごと)く観(かん)ずべし
 心造諸如来〔心は諸(もろもろ)の如来を造ると〕

   OB会の遠足で写経を行なった。
 奉納した写経は大仏様の胎内に納めてもらえる。
 世界平和などを祈願された方も少なくなかったが、私は小さな根性で孫の行く末をお願いした。
 その孫は、私が写経をしていた東大寺本坊から2~300mも離れていない療育病院で同時刻に診療を受けていた。
 帰ってから聞くと、悪化はしていないとのことで安心した。

 中東の人々、南スーダンの人々、テロの被害者、フクシマの避難者、九州の多くの被災者がおられるのに、こんな個人主義的な祈願で良いのかという自責の念がないではないが、どうしようもない凡夫の胸の内を仏は判ってくれるだろう。

 奈良公園では最短コースにあたる、大仏殿―二月堂―手向山八幡宮―春日大社―猿沢の池を歩いたが、OB会ともなると、それでもへとへとの方も少なくなかった。二月堂の舞台をパスした方も。
 今後の遠足の企画はほぼ平坦な道を2時間限度だろうか。
 だんだん企画が難しくなってきた。

 時間がなかったのでルリセンチコガネは見つけられなかったが、ムササビの食べかすである「エビフライ」は古いものをたくさん見つけた。
 大仏殿前・鏡池畔の大砲を踏んづけているはずの燈籠、大仏殿の謎の蝶々、大仏鋳造は我が国史上初の大規模職業病(水銀中毒)発生現場でもあること、二月堂近辺の「まんなおし地蔵尊」の石碑、校倉造の宝庫、菅公の腰掛石、春日大社参道の謎の竹、興福寺大階段下六道の辻の庶民の解釈などなど、少しは楽しく知っていただいただろうか。
 ほんとうはもっとゆっくりあちこちを案内したかったのだが・・・。

2016年4月18日月曜日

なにかおかしい


 どさくさ紛れにこの国ではおかしいことが起こっているようだ。

 フクシマのときは3月14日の早朝にはメルトダウンを知っていたのに約2か月間公表しなかった。
 東電はメルトダウンの判断基準を5年間知らなかったと言ったが現場は「知っていた」と言っていた。

 で熊本だが、16日1時25分の地震について、上の画像のように日本気象協会は鹿児島でも相当揺れていたのに、NHKの下の図では鹿児島にマークは一切ついていない。(図の出所は自治体情報政策研究所代表黒田充氏のツイッター)
 誰が考えても川内原発隠しである。

 因みに、鹿児島テレビのニュースをネットで確認すると、薩摩川内市は震度5弱とあった。

 太平洋戦争時には天気予報も地震情報もなくなった。
 今、ほんとうにこの国では地震よりも怖いことが起こっていないだろうか。

2016年4月17日日曜日

慶長の大地震を想起する

   「オオカミが来るぞ!」と騒ぐつもりはないが、原発が「想定外?」の地震に襲われた場合、避難できる保障などどこにもないことを私は確信した。
 フクシマの事故が津波中心だったことで地震本体の怖さを忘れていたかもと反省している。

 さて、敦賀の原発銀座は一般に福井=北陸との誤解があるが、地図でいえば北近畿そのものだ。
 そして、地図を見れば一目瞭然だが、道路も鉄路も限られており、それが熊本のように遮断された場合は袋のネズミ状態になる。遮断される可能性は極めて大きい。
 また、愛媛の伊方原発ならほぼ100%閉じ込められる。

 そもそも、日本列島の大地震はヨーロッパの2000倍の頻度で起っている。
 孫崎亨氏の計算では14日夜の益城町の揺れは1580ガルで、川内原発の設計は最大620ガルを想定している。
 仮にこれが北近畿だとしたら原発事故で琵琶湖の水は使えない。
 お笑いでは滋賀県民が京阪神「民」にいう「琵琶湖の水止めたろか」がお笑いでなくなる日が来る。

 なぜ、熊本の地震から近畿の話をするかといえば、今回の地震は中央構造線に関わっているからで、故に慶長の大地震の再現もあり得ると想像すべきだろう。
 だから近畿の人々も今の状況を「九州の話」と思わない方がよい。
 私の好きな古代史だと、真の継体天皇陵といわれる高槻の今城塚古墳がこの地震で大きく崩れている。
 
 以下、慶長地震をまとめた文をネットで見つけたので引用する。

●慶長大地震
 慶長大地震(けいちょうおおじしん)は慶長年間(1596-1615年)に日本列島で起こった地震。慶長の大地震(けいちょうのおおじしん)ともいう。ただし、正確には慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震発生は文禄5年であり、その後、これらの天変地異を期に文禄から慶長に改元されている。

 1596年の3つの地震は記録の日付が錯綜しており、豊後地震を91日とするものもある。1605年慶長地震は定説であった南海トラフが震源ではないという異論も出され[1][2]、従来三陸沖が震源とされた1611年の地震も北海道太平洋沖に震源を持つ超巨大地震との説が出される等[3]、震源域に諸説あって不明なものが多い。

 その内訳
 慶長伊予地震 - 159691日、伊予国をおそった地震。M 7.0、寺社倒壊等。中央構造線沿いと推定される地震。

 慶長豊後地震(大分地震)[4] - 159694日、豊後国をおそった地震。M 7.07.8、死者710人。中央構造線と連続している可能性がある別府湾-日出生断層帯で発生した(上記地震との)連動型地震とされる。

 慶長伏見地震[5][6][7][8] - 159695日、近畿地方をおそった地震。M 7.07.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。有馬-高槻断層帯、あるいは六甲-淡路島断層帯における地震とされる。上記二つの地震に誘発されて発生した可能性がある。

 慶長地震[9] - 160523日、南海トラフ巨大地震の一つとされてきたが、伊豆小笠原海溝付近震源説や遠地津波説など異論もある。M 7.98.0。紀伊半島沖と房総沖が連動したとする説もあり、M 8.48.5ともされる。津波地震と考えられており、地震動による被害は少なかったが、現在の千葉県から九州に至る広範囲の太平洋岸に津波が襲来し、死者12万人を数えた。

 会津地震(慶長会津地震) - 1611927日、会津地方をおそった直下型地震。M 6.9。寺社損壊、死者3,700人。

 慶長三陸地震(慶長三陸地震津波)[10][11] - 1611122日に三陸沖を震源として発生した地震でM8.1。ただし、津波の痕跡の範囲などから、この従来の定説に疑義があるとされ、千島・色丹沖の震源と連動した大地震・津波だったとする説もある。この大津波による北海道・三陸の死者・被害甚大。

慶長十九年十月二十五日の地震 - 16141126日に起こった地震。従来高田領大地震とされたが、会津から松山に至る日本各地に被害記録があり、震源は不明。

 最後に・・・、地震に便乗して菅官房長官は「大災害時の緊急事態法(条項)」を口に出した。
 秘密保護法といい、「緊急事態法の企み」といい、そうなればこのような私のブログはしょっ引かれて閉鎖されるのだろうか。
 大地震も怖いが近頃の自公政権も怖いものだ。

2016年4月16日土曜日

これも桜

   熊本地震直後にこんなのんびりしたブログを書いていてもいいのかという反省もしつつ、奈良公園にある病院に行ったついでに撮ってきた写真など些細な出来事をひとつ。

    上の写真は、奈良公園の『御衣黄』(ぎょいこう)という桜。
 私には黄色というよりも緑に見えた。
 たしか造幣局の通り抜けにもあった気がする。
 清水崑、小島功の河童で有名な「黄桜」と同じかどうかは知らないが、玄人好みのする桜といったら誉めすぎだろうか。

 〽いにしえの~ で有名な奈良公園の八重桜の樹の中にはまだ蕾のものも少なくない。
 来週のOB会の遠足が楽しみだ。
 ということで、染井吉野も悪くはないが、染井吉野しか桜でないように思うのはいただけない。
 みんな違ってそれぞれ善い。・・どこかで聞いた言葉。

  左の写真は桜とは関係ないが、近所に来た鶯。オマケで掲載。
 スマホで撮ったのをパソコンで拡大したので「鶯か雀か判らん」と突っ込まれると返す言葉がない。
 カメラも持っていないし、急いでいるときに限って現れる。
 世の中そんなものである。

   下の写真は『御衣黄』近くの枝垂れ桜。
 これは文句なく絵になる桜。
 それを否定するつもりはない。


   受験競争の結果だろうか、新学期が始まったばかりだというのに遠足や修学旅行と思われる集団が珍しくない。
 そのせいで日本人の割合が少し増えてきている奈良公園。
 しかしまだまだ日本人は少数派。
 朝のテレビ番組のとおり、日本人は作り物のレジャー施設に誘導されている。ああ。

2016年4月14日木曜日

お維新の虚言とマネーロンダリング

  パナマペーパーによってタックスヘイブンを利用した脱法的「脱税」やマネーロンダリングが明らかになり、先進国では関与した政治家や大企業に対して大きな抗議行動がおこっているが、後進国では報道が管制されたり行動が抑圧されたりで抗議行動が起っていない。
 という試験紙で見てみるとこの国・日本が民主主義から程遠い後進国であることも明らかになった。
 その理由は、官房長官が「調べることはしない」と言い放ち、それをマスコミが問題にもしないという腐敗した権力の問題ではあるが、もうひとつの理由は、総じて国民の多数に、具体的な違法行為が認定されない限りモラルやアンフェアが問われないというこの国の現状に対する馴れや諦観(悪い意味での諦め)という絶望感が蔓延しているからだろう。
 それをいいことに巨悪がのうのうとマスコミにさえ登場している。
 ネット上のニュースサイトHUNTERによると、その最たるものがおおさか維新の会である。

 大阪W選挙の前、維新の党の分裂騒ぎと政党交付金の取りあい騒ぎがあり、橋下徹氏は盛んに東京組を「交付金目当てだ」とののしり、大阪組は「残った金を国庫に返納する」と発言し、テレビや新聞もそのように大々的に報じた。
 ところが不思議なことに、その後国庫に返納されたという報道には接していない。なぜか。
 
 昨年、維新の党に支給された政党交付金は26億6千万円。その後東西の対立で銀行口座が凍結されていたが12月8日に「合意」がなり、旧維新の党の各議員の支部口座には12月18日に振り込まれた。らしい。
 で、大阪組だが、年内に使い切れなかった金額は国庫に返納したのかと思いきや、未公表の「なんば維新」(所在地は「大阪維新の会」本部と同じ)という政治団体に残金を寄付し、年を超えたら各議員の新設支部になんば維新から寄付で返したという。
 政党交付金は税金に見合う政党活動に限定されるが(実際は大甘だが)、なんば維新から寄付されたカネは何の縛りもない「何にでも使えるカネ」に化けたわけ。
 「国庫へ返納」という大嘘と「交付金ロンダリング」まで堂々とやり遂げて、マスコミもそれを報じないこの国では、「パナマペーパーもさもありなん」ということになっている。

 「法律の条文をかいくぐったとしても、してはいけないモラルがある」と力強く諭してくれる宗教家がこの国には必要な気がしている。
 先人曰く、天網恢恢疎にして漏らさず。
 3か月後の参議院選挙で思い知らせたいものだが、その前に京都3区補欠選挙がある。
 因みに、お維新の候補は・・・・以下、FBから引用すると

 すべては愛媛の未来のために」と叫んでいたのは2014年。
 あちらこちらに愛郷心をお持ちのようです。
 京都で何をしますかと問われて「大阪都構想の実現」と堂々と答えた人です。
 森さんの街頭演説のいくつかをお聞きください。
 「京都の皆さん!副首都に入りたいと思いませんかぁ」(阪急水無瀬駅前)
  解説 水無瀬は大阪府三島郡島本町
 「ジンソクにお住まいの皆さん!この京都市でも改革が必要なんです」(JR長岡京駅前)
  解説 出馬表明の時「乙訓(おとくに)」を「おっくん」と読んだ人なので「ジンソク」も何かの誤読と思ったら「神足(こうたり)」のことなんですね。
 「この酒蔵が立ち並ぶ美しい伏見の街にも改革を」(地下鉄醍醐駅前)
  解説 もちろん地下鉄醍醐駅の付近に酒蔵はありません。
 「桃山北口の皆さん!」(京阪桃山南口駅北側)
  解説 不要ですね
 「ながおかぎょうにお住まいの皆さん!」(運転免許試験場前)
  解説 不要ですね(京都市伏見区)
 「伏見の皆さん!」(八幡市長町)
  解説 もはや何を突っ込めばよいのか…
 「オックン地域の皆さん!地方分権が必要なんです」(洛西ニュータウン)
  解説 はあああぁぁぁ。

2016年4月12日火曜日

とりどり


  桜に見とれていたら「私たちも忘れないで」とばかりに野鳥のさえずりが聞こえてきた。
 我が家から少し離れた電柱のてっぺんで囀っていたのはイソヒヨドリ。
 写真を拡大したら美しい♂。
 声もいいし姿もいい。
 イソヒヨドリを最初に見つけた時に、その姿から「アカハラだ!」と思い込んだことを思い出す。
 コバルトブルーに赤い胸、相当なおシャレである。

 2枚目の写真はカワラヒワ。
 奈良公園の小川で水浴びをしていたのをパチリ。
 何となく写真がボケて見えるのは水が撥ねているもの。

 写真を撮ることはできなかったが、そのとき青ゲラも大きな声でピョー ピョー ピョーとこれもさえずり。

 バードウィークも近い。

2016年4月10日日曜日

物部の声を聞く

  4月9日、天気が良いうえに少し体が空いたので『豊田狐塚古墳現地説明会』に出かけた。
 天理駅から徒歩30分、約2キロ、最後は山道というのも気持ちがよかった。
 場所は天理市の中心ともいえる天理教本殿等がある平野の北東の丘陵地の先端。

 この平野部は旧石器時代から現代まで連綿と続く集落で、『布留遺跡』の地とも呼ばれ、物部(もののべ)の本拠地。
 その北部の古墳時代後期の大規模な群集墳である『石上(いそのかみ)豊田古墳群』の南西端。布留遺跡一帯を見渡す丘の上。
  道路工事に先立って発掘された横穴式石室で、床面で長さ4.4m、幅2.2m、高さ約2.2m。3つの木棺があったはず。
 出土遺物は盗掘を受けているものの、鏡、馬具、玉類、須恵器、土師器などなど。
 須恵器や馬具の特徴から6世紀中葉~後葉と見られている。
 
 約150~200基以上ある石上・豊田古墳群の中の円墳としては最大規模(直径約20メートル)で、石室も前方後円墳(石上大塚古墳・ウワナリ塚古墳など)や方墳(ハミ塚古墳)に次ぐ大きさで、平成26・27年に大型横穴式石室が発見された『豊田トンド山古墳』と並んで単独で高地に立地している。

 以上のことから、前方後円墳や方墳に葬られた物部の首長を支えた有力者と思われる。
 それは現地説明会でその地に立ってみて実感できる。
  天皇陵クラスの古墳とは比較にならないが、まぎれもなくそこに古代人の生活があり政治があった。
 なので、物部に関する本などを引っ張り出して見たが、歴史上捨て置かれたかのような物部のことはなかなか解らない。
 そのため、これからしばらくは、頭の中を物部が占めそうだ。
 狐塚古墳よ、なにか声を聞かせてくれ。

2016年4月9日土曜日

嵐の跡

  4月8日(金曜日)、前夜の雨風で奈良公園には花の絨毯が広がっていた。
 俳句のいつき先生なら「形容が凡人すぎる」と言われそうだが、ほかに何と言う。(写真1)
 散り終えたソメイヨシノも少なくないが、ソメイヨシノ以外の桜で嵐に打ち勝ったものも多い奈良公園。
 「奈良の八重桜」もそのひとつ、と思って歩いていたら「奈良の九重桜」という樹もあちこちにある。
 「奈良の八重桜」と「奈良の九重桜」は違うらしい。初めて知った。
 
 近頃、奈良公園でウエディングドレスの記念写真を撮るのが中国等で流行っているらしい。
 新聞記事にもあったし、何よりも事実たくさん目につく。
 「奈良公園では日本語は圧倒的少数派だ」と書いたことがあるが、何もかもそうなっている。
 「ナショナルパーク奈良公園」の看板はインターナショナルパークにしたらどうだろう。

 桜以外にもいろんな花が咲き誇っていたが、地面にカタクリも咲こうとしていた。
 所用のついでに小一時間ほど歩いただけだが清々しいひと時だった。
 情報では、「奈良の八重桜」の原木の満開は4月中下旬らしい。
 19日に出かける予定だが楽しみだ。

2016年4月8日金曜日

ももんぐわ

  私は奈良公園で早朝にリスを見たことがあるが、あまり「奈良公園にリスがいる」という話はひとから聞いたことがない。
 ムササビがいることは『奈良公園でムササビを見る集い』があることからも明らかだし、ムササビが松ぼっくりを食べた痕がいわゆる『エビフライ』で、それは私もいくつも見ているから間違いない。
 エビフライのことは2014年8月23日、9月5日の記事に書いた。
 もしかしたら私が「リスだ」と思ったのはムササビだったのだろうか。
 まさか、リスとムササビを見間違うこともない。といって、ムササビだってリス科だから・・・。

 春日大社の北の水谷川のところの小さな食堂では「夜中にムササビが天井を走り廻るのでかなわん」という話をその店の老夫婦から聞いた。
 東大寺南大門西の吉城園では「茶室の天井横にムササビが穴をあけるのでかなわん」という話を庭師の方から聞いた。

  そのムササビの一回り小さい動物がモモンガで、『ももんぐわ』は昔から妖怪とされてきた。
 なお、ニホンモモンガの学名は『プテロミス・モモンガ』という。学名に「モモンガ」とは驚きでないか。この一事を知っただけで「どういういきさつで採用されたのだろう」と想像したりして心が愉快になってくる。
 そして孫の夏ちゃんに「奈良公園には空を飛ぶ動物がいるねんで」というと即座に「モモンガ」と返ってきたので驚いた。母親に聞くとNHKの子供番組でモモンガが度々出ているらしい。

 政府には「ナチスに学べばいい」と公言するような妖怪がいっぱいいるから元祖「ももんぐわ」は閉口している。 
 というようなことを考えながら、孫の凜ちゃんのために野鳥の会の通販サイトで「本州モモンガ」のぬいぐるみを購入したら、早速凜ちゃんは口にくわえた。 

 余禄1 : 小学校の時に理科は隣の組の担任が教えてくれた。その先生に私が「ムササビとモモンガはどう違うのですか?」と質問したら、「そんなのんは知らん」と言われたのを今も覚えている。

  余禄2 : 写真は奈良市新大宮の佐保川堤。
 新大宮駅から合同庁舎に行く途中にこんな場所があった。

2016年4月6日水曜日

大和路の春

  大和路は春爛漫である。
  私は、安倍首相が憲法改正や海外派兵の所業を強めることに反比例するように、天皇や皇后・皇太子が護憲や戦争の反省を度々口にしていることを素直に評価している。
 そのことは折々のブログの記事にもしてきた。
  うがった見方をすれば、英国型王制で将来の安定を願っている宮内庁は、安倍首相のすすめる戦前レジュームへの回帰を嫌い、安倍首相に担がれて則を超えた場合、安倍退陣後に一緒に国民の支持が大きく減退すると心配しているように見える。

  ではあるが、日本の皇室が英国王室と決定的に異なるところは、連綿と続いているという古代史からの天皇制の神話を今なおベースにしているというところだろう。
 他府県の新聞に掲載されているかどうかは知らないが、朝日新聞奈良版は、4月3日に天皇、皇后が秋篠宮夫妻随行の下、神武天皇山稜や橿原神宮を参拝したことを報じていた。
 その理由は、日本書紀が記すところの神武天皇が亡くなってから2600年の式年祭があったからである。
 因みに、生誕は紀元前711年で享年127歳の話である。

 さすがに、戦争に国民を総動員するうえで大きな役割を果たした昭和15年の紀元2600年の奉祝行事の再現はなかったが、式年祭が神話としてではなく歴史ということで執り行われたのである。
 
 3月20日に書いたとおり、先日亡くなった上田正昭先生は「神話は神話として学びつつ、史実と峻別する」ことの大切さを訴えられていた。賛成だ。
 大和路の春は奥が深いだけに情緒と同時に理性が大切だ。

2016年4月5日火曜日

痛快 小林 節(ぶし)

  元々は改憲派の論客として有名であった小林節(せつ)先生が、安倍自公政権の立憲主義をわきまえない暴論に怒り、今では、戦争法廃止、閣議決定撤回、野党と市民運動の共闘の先頭に立って行動されている。
 その先生が、右翼的改憲運動の顔である櫻井よしこ氏に対して痛烈に批判されている。
 そのYHOOブログのインタビュー記事が痛快なので、以下に紹介する。

小林 もともと民主主義の基本は、正しい情報に基づいて国民が国家の方向性を判断するということです。しかし私に言わせると、安倍政権は嘘キャンペーンを張って、国民を騙しています。そのことで櫻井さんが大きな役割を果たしている。美人で、経歴が良くて、表現力もあるから、一般国民はコロッと行ってしまう。このままでは安倍政権や櫻井さんの嘘に騙されて、国民が判断を誤りかねない状況です。
 私の経験から言うと、櫻井さんは覚悟したように嘘を発信する人です。たとえば私と櫻井さんは日本青年会議所のパネルディスカッションで一緒に登壇したことがあります。そこで櫻井さんは「日本国憲法には、『権利』は19か所、『自由』は6か所も出てくるのに、『責任』や『義務』は3か所ずつしか出てこない。明らかに権利と義務のバランスが崩れている。そのせいで日本人は個人主義的になり、バラバラになってしまった」というようなことを言うわけです。
 それに対して私は、「櫻井さんの主張は間違っています。法律には総論と各論があり、総論は全ての各論に適用されます。日本国憲法では、『公共の福祉』を定めた憲法12条と13条が総論として、ちゃんと各条が認めた個々の人権全てに制限を加えています。そもそも憲法は国民の権利を認めて、国家に義務を課すものです。しかし納税、勤労、教育は国家存続に必要不可欠なので、憲法は国の主の責任として例外的にこの三つの義務を国民に課しているだけです。19個の権利に対応する19個の義務を課せばバランスがとれるという話ではありません」ときっぱり指摘しました。
 そうしたら櫻井さんは顔面蒼白になって、それから目線が全く合わなくなり、その日は挨拶もせずに帰っていった。しかし、その後も櫻井さんは日本国憲法を論じる際には必ずと言っていい程この話を繰り返している。櫻井さんは私の友人に「私は専門分野のないのが弱みなのよね……」とコンプレックスを明かしたそうです。それなら黙っていればいいのに、専門知識を持たずに専門知識の必要な憲法を語るから、こういう間違いを犯すのです。
 他にも櫻井さんは「個人主義的な日本国憲法のせいで、親が子を殺し、子が親を殺す日本になってしまった」というようなことを言います。しかし親族間殺人は明治憲法下の戦前の方が多かったのです。この主張は事実に反する真っ赤な嘘ですし、殺人の原因を憲法に求める思考も非科学的です。
 知識人は自らの知識と良心に照らして正しいと確信したことを述べるべきです。しかし櫻井さんには知識もなければ良心もない。良心があるならば、自分の意見が間違っていると指摘された時、反論するか訂正すべきです。それを私に論破されてギャフンと尻尾を巻いて逃げておきながら、相変わらず確信犯的に同じ誤った情報、つまり嘘を垂れ流し続けるのは、無責任かつ不誠実極まりない。
 櫻井さんに知識人、言論人の資格はありません。言論人の仮面を被った嘘つきです。嘘つきじゃないと仰るならば、公の場で議論しましょう、そしてどっちが正しいかは国民の判断に委ねましょう、ということです。
  ── 櫻井さんと対談した経験もあるそうですね 
小林 不愉快な思い出しかありません。たとえば以前、『週刊新潮』で外国人参政権の問題について櫻井さんが私にインタビューするという企画がありました。しかし取材当日は本人ではなく、中年男性のアシスタントが聞き手としてやってきた。

 そのやりとりの中で、向こうが「櫻井は『納税は公共サービスの対価だ』と言っている。これを小林先生のセリフにしてほしい。バシッと決まりますから」と言ってきたから、私は「その主張は間違っています。憲法学者として嘘を言うことはできません」と断りました。納税が公共サービスの対価ならば、高額納税者は市道を歩けるが、低額納税者は歩けないという話になる。おかしいでしょう。それなのに掲載誌を見てみたら、堂々と「納税は道路や水道や教育や治安等の行政サービスの対価である」と書いてある。正しくは、納税は収入の対価です。……

引用元
http://blogs.yahoo.co.jp/yuuta24mikiko/35825387.html#35829889

2016年4月3日日曜日

史実と小説

  朝ドラ「あさが来た」が高視聴率のうちに完結した。
 「あさが来た」は連続テレビ小説だから史実をちょっとずつ摘み食いしながら面白おかしくストーリーを展開した。当然だ。
 だが、その影響力の大きさゆえ、司馬遼太郎の小説同様小説が史実であるかのような誤解を振りまいたことも指摘だけしておきたい。
 そのひとつが平塚らいてうで、らいてうあさの苦労も理解できない若造の様に描かれ、あさが大人の対応を見せて終わっていたが、歴史上の人物を登場させるには相応の記述が必要ではないだろうか。
 ということで、書架の奥から「平塚らいてう自伝 ・ 元始、女性は太陽であった」を引っ張り出した。
 そこでは、成瀬校長の学校経営の苦労を思いつつ、次の様に記されている。

 ・・・岩崎、三井、三菱、住友、渋沢、森村、それから関西で広岡、土倉などの財界の当主や、伊藤、大隈、近衛、西園寺などの政界の代表的人物が後援者ということで、なにかの時には学校へ見え、まれには話をきくこともありましたが、この人たちの話は、たいてい内容のないことをもっともらしく引き伸ばしたお座なりのものですから、感心したことなどなく、こういう種類の人たちを、とうていわたくしは偉い人とも、尊敬できる人とも思えませんでした。
 とくに大隈伯はいかにも傲慢な感じの爺さんで、横柄な口のきき方でした。その説くところの女子教育の必要も、女子自身を認めてのことではなく、日本が列強に伍して行くようになって女が相変わらずバカでは国の辱だとか、男子が進歩したのに、女子がそれにともなわないでは、内助はおろか、男子の足手まといになるだけで、けっきょく、それだけ日本の国力が減退することになるといったようなものなので呆れました。
 ほかに不愉快なことで印象に残っている人に、関西の銀行屋、加島屋の当主夫人で、女の実業家として当時知られていた広岡浅子という女傑がありました。学校の創立委員としてたいへん功績のあった人ということですが、熱心のあまりでしょうが、ガミガミ学生を叱りつけるばかりか、校長にまでビシビシ文句をつけたりします。ある日家政科の上級生に対して、実際生活に直接役に立たないような空理空論は三文の値打ちもない、あなた方はもっと実際的であれというようなことを自分の手腕に自信満々という態度で、押しつけがましく、いかにもせっかちそうにしゃべっているのを聞いてからは、いっそういやな人だと思うようになり、とても学校の、また女子教育の恩人として、尊敬したり、感謝したりするような気にはなれないのでした。・・・

  史実どおりにドラマを書け!とは言わないが、我が国の婦人運動、民主主義や平和の運動に果たした平塚らいてうに「安物の小娘」という印象を与えないで貰いたい。
 そして、視聴者たる我々も、ドラマと史実を峻別し、かつ歴史的背景、いうなれば歴史的制約も考えて近代史を見る必要があるように思う。
 そのとき広岡浅子も立派だったし、そのとき平塚らいてうはもっと立派だった。
 
 21世紀の現代に「女は子どもを2人以上産め」と言った校長がいる。「保育園に落ちた」と言ったら「産んだ者に責任がある」と言った政治家がいる。
 少なくとも女性は、こんな「美しい戦前を取り戻す」的な勢力を許さない!ということを「あさが来た」から読み取ってほしい。

 4月6日、東京新聞のコラムを画像として追記する。


2016年4月2日土曜日

年度始め

   4月1日は年度始めである。
   平成28年度がスタートする。
 サンデー毎日の夫婦にとっては何の関係もない日であるが、現職時代にはやっぱり特別の日だったなあと思い出している。
 そしてスマホが「緊急地震速報」をけたたましく報じた新年度。いったいどんな年度になることやら。何か激動の予感がする。
 
 さて、近頃は1週間に1回以上奈良公園内の病院へのアッシー君を務めている。
 そして、約1時間だけ奈良公園を散歩する。
 で、4月1日は一日中雨だった。
 約1時間の間は小雨だった。

  小雨の中を見ていると、欧米人らしい人々には傘を差さない人が少なくなかった。そういう文化なんだとどこかで聞いていたとおりのような気がした。

 それにしても、ここでは日本語は圧倒的に少数派で、海外旅行先かと間違いそうだ。
 年度替わり、年度始めなもので修学旅行も遠足も全くないからなおさらだ。
 結局日本人は、マスメディアあたりが「お勧め」の地へ誘導されるだけで、自分の信念で行動できないように『去勢』されているようだ。
 間違いなく奈良公園の桜は第一級であるのに。

 私の乏しい経験からすると、いわゆる「お花見」は関東の方が盛んである。
 そんなこともあり、ここでは鹿だけが満開の桜を愛でていた。
 小雨に煙る桜は可哀相かもしれないが、大人の風情だったと言っておこう。
 そうだ、奈良公園には大人だけが来ればよい。