2016年3月28日月曜日

龍門を登って鯉は龍となる

  鯉幟(こいのぼり)は、日本が世界に誇れる文化のひとつだと勝手に強く思っている。
 水の中を泳ぐ魚を空に泳がせる発想はコペルニクス級の独創である。
 子供の日前後に鯉幟が風を吸う風景は文句なくクールである。

 因みに、平安以前の日本では、端午の節句は女の子のお祭りで、田植えが始まる前に、早乙女と呼ばれる若い娘たちが「五月忌み」といって、田の神のために仮小屋や神社などにこもってケガレを祓い清めていた行事でもあったから、あえて「男の子の節句」とは言わない。

 その鯉幟の歴史だが、何処であったか忘れてしまったが何処かの古本屋で昭和4年発行の「年中事物考」という本を買っていたのだが、その本の「鯉幟」のところを開けると『元禄ずつと後に出た或るものゝ本に「近來、冑人形、旗幟の事は少しく廃りたれど、鯉のふきながし今なほ多く立つるなり」と出て居る』とあったから、まあまあ江戸時代以降のことらしい。

 またその意味は、登竜門の故事にあるのは明らかだが、「三省堂 年中行事事典」には『鯉幟は、元来は吹流しや幟などの頂部につけてある風車・杉の葉・目籠などに意味があり、一種の神の招代(おぎしろ)もしくは忌み籠りの家の標示であったと解されている」とあった。これは折口信夫の説のようである。
 ただ、有名な広重の「名所江戸百景 水道橋 駿河台」の鯉幟の頂部には何もなく、オマケに鯉は黒い真鯉が一匹だけだ。さらに背景には、吹流しだけ、旗幟だけという家も少なくない。
 だから、風車に吹流しプラス鯉が3~5匹というのは明治以降のことでそんなに古いものではない。
 というように、それほど古くから伝えられた伝統とは言えないかも知れないが、私は魚を空に泳がせるその発想に感動していて好もしく思っている。
 私の子供時分に立てて貰えていなかった故の憧れもあるかもしれない。
 それに鯉幟のあの大きな口は、何かと鬱とうしい諸々を文句なく呑み込んでくれているようで爽快な気分にしてくれる。

 想像で語るのだが、鯉の滝登りを描いた普通の旗幟までは誰でも思いつくだろうが、立体的な鯉を大空にそのまま泳がそうと考えた最初の人は偉い。タイムスリップして人間国宝に認定したいが残念ながら歴史に名を留めてはいない。

 さて我が家では、息子が産まれたときに団地サイズの鯉幟を買ったのだが、それは子供が小学校高学年になる頃近所の子供に譲り、爾来鯉幟をあげていない。
 5年前、孫の夏ちゃんが産まれたときに買おうかと思ったが構想は立ち消えになっていた。
 そして昨年孫の凜ちゃんが産まれ、今年初節句を迎えるので一念発起して再度購入することにした次第。
 そして、この鯉幟は夏ちゃん、凜ちゃん共通の鯉幟として我が家の庭に立て、それぞれのファミリーはこの鯉幟を確認するために毎年この季節には祖父ちゃん祖母ちゃんの家に度々来ることという諸法度を発した次第。
 我ながら素晴らしい作戦だと悦に入っている。

 こいのぼり あげて喜ぶ 老夫婦 喜八

1 件のコメント:

  1.  「爾来鯉幟はあげていない」と書いたが、夏ちゃんのために1000円ほどの鯉のぼりは毎年毎年庭に飾っていた。
     が、残念ながらそれでは「神の招代とはちょっとなあ」という感じでいた。

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