2016年3月22日火曜日

石礫を投げた者

  写真は20日の朝日新聞で、介護疲れの厳しい現実をフォローしていた。
 私は以前のブログ記事で「この世には介護を経験した人間と介護を経験していない人間の2種類の人間がいる」と書いたことがあるが、経験した者にとっては全く他人事でない記事だ。
 以前に、老親の介護をしていた先輩が、介護うつで自殺した俳優のニュースに「気持ちがわかる」と話したことを今でも鮮明に覚えている。

 さて、写真の記事の中では、相変わらず「施設に入所させるのはかわいそう」ということで家族介護の果てに疲れ切ったと書かれているのだが、そういう記事ではいくら「大変だ大変だ」と繰り返しても出口が見えないように私は思う。
 「施設はかわいそう」というドグマ(固定観念)を打ち破ろう!という大声での呼びかけこそが必要ではないだろうか。
 介護するものが疲れ切った状態で心豊かな介護ができるはずもない。
 
 特養の家族会の役員をしていてつくづく思うのは、入所させた家族は家族介護の方々同様、あるいはそれ以上に、面会に訪れ豊かな介護にタッチしているということだ。
 家族会等で家族どおしが励まし合い、元気で介護に向かっている。顔つきが違う。
 介護が終わった方ならこの先は自分のことである。

 ドグマといえば、ずーっと昔になってしまったが、私が共稼ぎ(共働き)を始めた頃は、世の中だいぶ変わっては来ていたがそれでも未だ保育園や共稼ぎに対する偏見は残っていた。
 妻が親戚のおばさんから「よう小さい児を預けて働きに行けるね」「私らようせんわ」と言われて怒っていたこともある。

 朝ドラの「あさ」は女子の大学をつくろうと奔走するのだが、あさの家には嫌がらせの石礫が投げ込まれた。
 そんなものである。
 歴史が進めば、『家族介護で介護うつやそのための自殺や心中が起こった時代もあった』と語られるときが必ず来る。保育園や女子大生が今では普通になったように。
 現状を固定的に捉えるのは石礫を投げる者だ。今という時代を俯瞰して考えることが大切だと思う。

1 件のコメント:

  1. 共産党、民主党、維新の党、生活の党、社民党の5党が共同提出していた介護職員等処遇改善法案が17日衆院で、自民、公明、お維新の反対で否決された。
     「保育所落ちた」が大きな声になったようにはこちらの声は大きくなっていない。
     その理由のひとつは高齢者がSNSを活用していないからだろう。
     自分が介護「浪人」になったときに「あのときSNSをやっておけばよかった」と悔やまないようにしたいものだ。

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