2016年3月31日木曜日

始終空

  窓のすぐ外に野鳥の餌台(バードテーブル)を作ったことは先に記事にした。
 そこへハムスター用として売っているヒマワリの種を置くと毎日数回ヤマガラが来るようになった。その写真も先に掲載した。
 ヤマガラは、私の知る限り庭に来る野鳥の中で格段にお人好しというか、性善説の持ち主というか人懐っこい。

 同じカラの仲間でもシジュウカラは理知的というか、少し世間を知った大人である。つまり、ヤマガラの様に窓のすぐそばまではなかなかやって来なかった。
 少し離れた枝に止まってヤマガラの様子を何か月か観察するばかりだった。

 その結果、この家の餌台(バードテーブル)はまず危険でないと学習したのだろう、近頃はヤマガラ同様に来るようになった。

 バードウォッチングではシジュウカラの方が普通にみられるのに対してヤマガラの方が珍しいが、この餌台では反対だったから我が家では今シジュウカラを歓待している。

 ツツピー ツツピーとヤマガラよりも大きくはっきりと鳴くからシジュウカラが来たことはすぐに判る。

 ツツピーの後にジュクジュクジュクと鳴くが、それをガラガラガラと聴いた先人がその種の鳥を「カラ」(ヒガラ、コガラ、ゴジュウカラ等々)と名付けたと書いている本があった。

 果樹園等で害虫をたくさん獲ってくれるので昔から大事にされていたらしい。

 「シジュウカラを捕ると飯櫃が始終空になる」と言って捕獲を諫めていたという。・・と、本にあった。

 写真は家の外側から撮ったもの。
 すぐ後ろが窓ガラス。薄いカーテン。
 中身のない殻はポイッと捨てる。
 ヒマワリの種をくわえてすぐ横のエゴノキに持って行く。
 そこで足で種を押さえてクチバシで突いて上手く殻を剥いて食事をする。
 殻をむくときはコツコツコツコツと相当大きな音を出す。 
 こんな可愛い自然が身近にあるのに近所の方は「野鳥なんか来ますの?」と尋ねられる。

2016年3月30日水曜日

鯉にかみつく

  孫の凜ちゃんが鯉幟と初対面した。
 そいつが敵か味方か!と見極めるためだろうか、凜ちゃんはすぐに鯉にかぶりついた。

 考えてみると幟や吹流しのルーツは戦場における武士の持ち物で、平和を愛する私としてはちょっと引っかかるところがないとは言えないが、幾つかの本には、武士が武具や幟や吹流しを飾ったのに対抗して町人が「鯉の吹流し」を挙げたという説が紹介されていた。
 それでいい。
 武具類に対抗して、それ以上に目立つ鯉幟を庶民が立てあげた・・・その心意気やよし。

 さて、現代史を読んでいるとハッとする面白いことがある。
 5月5日の子供の日の制定について、「3月3日でなく戦前は男の子の節句であった端午の節句をあてるのはGHQから男女平等・民主主義の原則に反するとクレームがつかないか」、「この間まで武運長久と重ねて武具を飾った端午の節句というのは平和主義に反しないか」と、当時の日本側の指導者たちは真剣に悩んだらしい。
 重箱の隅を心配しているような笑い話かも知れないが、そのときの当事者たちは真面目だったと思う。少なくとも昨今の為政者より。

 だから時々は、この国やこの時代というものを俯瞰して眺めたり考えたりすることも大切だ。
 例えば皇室典範。
 先進国の市民からすると、女性が絶対に天皇になれないと定めているこの国は後進国というか野蛮国だと思われているだろう。それをおかしいと思わない国民も馬鹿か野蛮人と思われているだろう。
 国連女性差別撤廃委員会ではそういう見解は常識になっているようだが、日本政府が頑強に反対している。
 どの面を提げて他国の人権問題を語れようか。
 (ちょっと天皇制問題は脇に置いておいて)

 元に戻って、歴史や伝統が好きな私だが、5月5日は「子供の日」でいい。
 女の子は3月3日と5月5日と2回実質的な「子供の日」があっていい。
 だから家(うち)の鯉幟は男女に関係なく、我々の孫共通の鯉幟である。

2016年3月29日火曜日

戦争法廃止は理想主義か

 平成28年3月29日午前0時、戦争法が施行(しこう)された。
 北朝鮮が核実験やミサイル発射実験を行ったり、中国船が尖閣諸島周辺に現れたりすることで、「軍事力が弱いと舐められる」という街の声、スマートにいえば「軍事力が戦争の抑止力になる」という声が一定程度存在する。
 正直にいえば「その気持ちは解る」気もする。

  しかし、ここからが理性の出番である。
 平成6年(1994)にクリントン米大統領が北朝鮮の核施設を空爆で先制攻撃する作戦を6月16日に決定したことがある。
 その折のシミュレーションは、▲開戦90日で5万2千人の米軍が被害を受ける、▲韓国軍は49万人の死者を出す、▲在韓米軍と在日米軍の約8割が被害を受ける、▲米国人8万~10万人を含め民間人から100万人の死者が出る・・というものだった。
 この作戦は、訪朝したカーター元大統領に金日成が核凍結を約束したことや、金泳三韓国大統領が「やめてくれ!韓国軍は一兵たりとも動かさない」と直談判したことで中止された。
 これが現代戦のリアルである。
 付け加えれば、アメリカとEUとロシアが一緒になっても中東発のテロは防げていない。
 ビールを傾けてナイターを見ながら「もっと胸元へ速球を投げてビビらしたれ!」というのとは訳が違うのだ。

 1月にアフガンのペシャワール会中村哲医師の話が朝日新聞で大きく取り上げられていたが、「欧米人が街中を歩くと狙撃されるおそれがあるが日本人はまだ安心」「米軍とともに兵士が駐留した韓国へのアフガン庶民の嫌悪感は強い」と語っていて、日本人の「身元保証人」たる憲法9条を守って海外派兵をして来なかった日本の地位がこの法律で崩れることを大いに心配していた。
 このリアルこそ直視すべきで、戦争法ではない貢献の道は揶揄でいう理想主義でも何でもなく、それこそが一番有効な外交力、交渉力であり、外交力、交渉力の貧相な人間ほど暴力や金力を口に出してイキガルのだという真実を直視すべきである。

 少し前までは現代の政治状況について盛んに閉塞感、無力感が新聞紙上等で述べられていた。
 しかし、共産党が野党共闘のために1人区の立候補を取りやめるという捨て身の作戦を発表してから明らかに政治状況は大きく変わってきている。
 自公政権は野党共闘の分断のために反共攻撃を行い、同日選挙を画策しているが、そういう無茶を強行すればするほど普通の市民が野党共闘を支えて牽引する力を増している。
 この方向こそ理性的な方向だと思う。

2016年3月28日月曜日

龍門を登って鯉は龍となる

  鯉幟(こいのぼり)は、日本が世界に誇れる文化のひとつだと勝手に強く思っている。
 水の中を泳ぐ魚を空に泳がせる発想はコペルニクス級の独創である。
 子供の日前後に鯉幟が風を吸う風景は文句なくクールである。

 因みに、平安以前の日本では、端午の節句は女の子のお祭りで、田植えが始まる前に、早乙女と呼ばれる若い娘たちが「五月忌み」といって、田の神のために仮小屋や神社などにこもってケガレを祓い清めていた行事でもあったから、あえて「男の子の節句」とは言わない。

 その鯉幟の歴史だが、何処であったか忘れてしまったが何処かの古本屋で昭和4年発行の「年中事物考」という本を買っていたのだが、その本の「鯉幟」のところを開けると『元禄ずつと後に出た或るものゝ本に「近來、冑人形、旗幟の事は少しく廃りたれど、鯉のふきながし今なほ多く立つるなり」と出て居る』とあったから、まあまあ江戸時代以降のことらしい。

 またその意味は、登竜門の故事にあるのは明らかだが、「三省堂 年中行事事典」には『鯉幟は、元来は吹流しや幟などの頂部につけてある風車・杉の葉・目籠などに意味があり、一種の神の招代(おぎしろ)もしくは忌み籠りの家の標示であったと解されている」とあった。これは折口信夫の説のようである。
 ただ、有名な広重の「名所江戸百景 水道橋 駿河台」の鯉幟の頂部には何もなく、オマケに鯉は黒い真鯉が一匹だけだ。さらに背景には、吹流しだけ、旗幟だけという家も少なくない。
 だから、風車に吹流しプラス鯉が3~5匹というのは明治以降のことでそんなに古いものではない。
 というように、それほど古くから伝えられた伝統とは言えないかも知れないが、私は魚を空に泳がせるその発想に感動していて好もしく思っている。
 私の子供時分に立てて貰えていなかった故の憧れもあるかもしれない。
 それに鯉幟のあの大きな口は、何かと鬱とうしい諸々を文句なく呑み込んでくれているようで爽快な気分にしてくれる。

 想像で語るのだが、鯉の滝登りを描いた普通の旗幟までは誰でも思いつくだろうが、立体的な鯉を大空にそのまま泳がそうと考えた最初の人は偉い。タイムスリップして人間国宝に認定したいが残念ながら歴史に名を留めてはいない。

 さて我が家では、息子が産まれたときに団地サイズの鯉幟を買ったのだが、それは子供が小学校高学年になる頃近所の子供に譲り、爾来鯉幟をあげていない。
 5年前、孫の夏ちゃんが産まれたときに買おうかと思ったが構想は立ち消えになっていた。
 そして昨年孫の凜ちゃんが産まれ、今年初節句を迎えるので一念発起して再度購入することにした次第。
 そして、この鯉幟は夏ちゃん、凜ちゃん共通の鯉幟として我が家の庭に立て、それぞれのファミリーはこの鯉幟を確認するために毎年この季節には祖父ちゃん祖母ちゃんの家に度々来ることという諸法度を発した次第。
 我ながら素晴らしい作戦だと悦に入っている。

 こいのぼり あげて喜ぶ 老夫婦 喜八

2016年3月26日土曜日

あおによし

  満開の桜も良いけれど、古木の一枝に咲き始めた風情も良い。

 25日の新聞に東大寺の次期222世狭川別当の会見内容が報じられていた。
 その中で、・・・大事にしたいこととしてまず挙げたのは、「子供たちの命を守ること」。東大寺福祉療育病院、「奈良親子レスパイトハウス」を中心に取り組む、難病や障害のある子と家族の支援を充実させたい・・・とあった。
 政府や自治体の福祉切り捨て政策ばかりが目につく昨今、この記事から一条の春風を私は感じた。
 4月にはOB会で東大寺に写経に行くことになっているが、さわやかな気分で行けそうだ。

 そもそも国や自治体の第一の仕事は、恵まれた人々が一定の負担をしあって、恵まれない人々に再配分する仕事だと信じている。
 しかし安倍自公政権や大阪維新の首長の政治は、いたずらに「福祉が予算を硬直化させている」「貴方の不幸は福祉で甘い汁を吸っている奴らのせいだ」と扇動し、結局、富裕者の利益に奔走している。

 「社会保障のためだ」といって導入された消費税以降の『事実』がそのこと(社会保障のためではなく富裕者の利益のためのものであったこと)を雄弁に物語っている。
 「無駄を削る」「小さな政府」「官から民へ」というような言葉に踊らされるのはもういい加減ヤメにしないか。

 大マスコミの最大の欠点は、あれこれ些細な政府批判は報じるが、消費税と小選挙区制という二大根本問題の廃止を言わないことだと思っている。
 民主党政権時代の評判が悪いのも、このことに斬り込まなかったから・・否、それを推進したことではなかったか。

 

2016年3月24日木曜日

返り花

  この間まで連日、テレビで桜の開花予想が報じられていたが、奈良県のその予想日は、私がフェースブックで「友人」にしてもらっている生物学の谷幸三先生が提供したものをテレビ各局が採用しているらしい。 
 ここ数日の夕方のニュースでは「〇〇県では桜が開花しました」と報じられているが、これは各県気象台の決めているソメイヨシノの標準木に5~6輪の開花を目視して宣言するというのは有名な話。
 テロのニュースなどよりお気楽ながらほのぼのとしたニュースでそれもよし。

 桜といえば秋や冬にソメイヨシノがちらほら咲くことがあり、それもニュースになったりする。
 一般に「狂い咲き」と言われるが、「返り咲き」「返り花」ともいわれこちらの方が穏当な感じがする。「不時現象」という立派な名前もあるようだが、字面が美しくない。

 多くは気温の変化や台風などの理由がはっきりあり、決して狂ったわけではない。
 正しいかどうかは判らないが、害虫等の影響もあるような気がする。
 「女だっていろいろ咲き乱れるの」と唄ったのは島倉千代子さん。
 写真は、12月上旬に満開で、もちろんすべて落花して裸木だった我が家の臘梅(ロウバイ)。
 枝先の新芽と一緒にちらほらと咲いている。その理由は解らない。
 いろんな木々の春の開花が始まっているので、誰も「ロウバイの返り花ですね」と振り向いても貰えない。

 返り花を見ていると人生いろいろと思えてくる。
 近頃は標準体重やメタボのように、なんでも画一的に理解しようとしていないか。
 そして、「空気を読め」というような同調圧力。
 ガンバレ返り花。

  26日、ヨシノデンドロンの写真を追加する。

2016年3月22日火曜日

石礫を投げた者

  写真は20日の朝日新聞で、介護疲れの厳しい現実をフォローしていた。
 私は以前のブログ記事で「この世には介護を経験した人間と介護を経験していない人間の2種類の人間がいる」と書いたことがあるが、経験した者にとっては全く他人事でない記事だ。
 以前に、老親の介護をしていた先輩が、介護うつで自殺した俳優のニュースに「気持ちがわかる」と話したことを今でも鮮明に覚えている。

 さて、写真の記事の中では、相変わらず「施設に入所させるのはかわいそう」ということで家族介護の果てに疲れ切ったと書かれているのだが、そういう記事ではいくら「大変だ大変だ」と繰り返しても出口が見えないように私は思う。
 「施設はかわいそう」というドグマ(固定観念)を打ち破ろう!という大声での呼びかけこそが必要ではないだろうか。
 介護するものが疲れ切った状態で心豊かな介護ができるはずもない。
 
 特養の家族会の役員をしていてつくづく思うのは、入所させた家族は家族介護の方々同様、あるいはそれ以上に、面会に訪れ豊かな介護にタッチしているということだ。
 家族会等で家族どおしが励まし合い、元気で介護に向かっている。顔つきが違う。
 介護が終わった方ならこの先は自分のことである。

 ドグマといえば、ずーっと昔になってしまったが、私が共稼ぎ(共働き)を始めた頃は、世の中だいぶ変わっては来ていたがそれでも未だ保育園や共稼ぎに対する偏見は残っていた。
 妻が親戚のおばさんから「よう小さい児を預けて働きに行けるね」「私らようせんわ」と言われて怒っていたこともある。

 朝ドラの「あさ」は女子の大学をつくろうと奔走するのだが、あさの家には嫌がらせの石礫が投げ込まれた。
 そんなものである。
 歴史が進めば、『家族介護で介護うつやそのための自殺や心中が起こった時代もあった』と語られるときが必ず来る。保育園や女子大生が今では普通になったように。
 現状を固定的に捉えるのは石礫を投げる者だ。今という時代を俯瞰して考えることが大切だと思う。

2016年3月21日月曜日

ワイドFMとメディアの葬列

 AM用のアンテナを付けてみたり、部屋の天井にアンテナ線を貼ってみたりしてきたが、玄関のすぐ外なら入るAMラジオの電波がほんの僅かの違いで我が家に入り難いのは解消できなかった。
 ケーブルテレビ局には「ラジオも流してほしい」と言ったが怪訝な顔をされただけだった。
 なので、「万葉うたごよみ」など聴きたい番組はインターネットのラジコで聴いていた。

 それが、3月19日からABC、MBS、OBCがFM波でも同時放送されることになった。朗報である。ワイドFMというらしい。ただし90MHz以上の受信機が必要。我が家のはテレビ①②③チャンネルがついていたものだったので古い機種だがOKだった。
 なお、これは基本的には生駒山頂の電波塔から大阪府下にめがけて発信されているそうで、ということは、大阪府側と反対側の我が家で上手く入っているのは、AMが入り辛かったのとは正反対に、例外的に電波が届いているようだ。大阪府外の方、どうですか?
 3月19日正午に放送開始ということだったが、どういうわけか朝からFMできちんと入っていた。
 「話が違う」と怒ることもないが不思議なことだった。どこにも「朝から入る」とは書いていなかったのに。

  メディアの劣化が言われて久しいが、比較的ラジオがマシというか、マシな番組も残っているように感じている。
 それに比べてテレビの劣化はどうだ。
 先日は警視庁前から延々と清原被告の保釈を「今か今か」と中継していた。
 それだけ中継する枠(時間)があるなら甘利大臣の「死んだふり」でも、アメリカ大統領の全候補者がTPP反対といい始めたことでも論じないか。
 松戸に向かうワゴン車を追う車列、それを俯瞰するヘリコプター。
 その時間と体制を「実にくだらない」という声はメディアからは聞こえてこない。
 テレビに映るあの車列は、メディアの葬列だったに違いない。

2016年3月20日日曜日

共生のいのち輝け 上田正昭

  大和西大寺駅の南に、私が頻繁に通行している道路から秋篠川をはさんで真宗大谷派の本照寺が見えるのだが、そのお寺は、何といってもその大きな看板が特徴で、そこには、山川も草木も人も共生のいのち輝け新しき世に 上田正昭 と書かれている。

 私は通るたびに、「きっと、あの上田正昭先生の歌だろう」と妻に言っていたのだが、「確か先生は京都の古社の神主さんだったはずだから、お寺さんがこんなに大きく書き出すだろうか」とも首を捻っていた。
 今般、各紙に追悼記事があったが、そこに「2001年の歌会始の召人としての作品」としてこの歌が出ていたので、「やっぱり」と安心したが、そうであればこの大看板を作った本照寺の「おっさん」に今度は興味が湧くが、まだ尋ねてはいない。

 元に戻って上田正昭氏だが、著名な古代史家である。
 この年代の古代史家におおむね共通している傾向でもあるが、氏の第一論文集『日本古代国家成立史の研究』の「あとがき」に、次のような立ち位置が宣言されていた。
 ・・・・・第二次世界大戦の最中に國学院大学専門部に入り、戦後の混乱期に学窓をでた自分としては、日本歴史の研究にたち向かう場合に、どうしても天皇制の問題をさけて論文を書くことはできなかった。
 (略)敗戦の詔勅が発布されて、冷厳なる日本の現実をまざまざとみせつけられた私は、しばらく茫然としてなすことを知らず、故郷に帰って百姓をしたりして日々をすごしていたが、常に日本天皇制の謎がしこりとなって離れなかった。その謎を少しでも学問的に明らかにしてみたいという欲求が、復学を決心させる要因のひとつであったことは否定できない。

  また1991年に刊行された『日本の神話を考える』の「付録 神話と教育」では、
 ・・・・・古事記と日本書紀が、日本の古典の中の白眉であることは、だれもが認めるところであろう。しかしこれを「神典」視し、(略)記紀神話イコール歴史、とみなすような考え方に同調するわけにはいかない。
 (略)神話を教育の場で、科学的・実証的に学習することを軽視すべきでない。しかし書かれた神話の虚と実をみきわめ、記録された神話の実相を把握せずに、不用意に神話を教育でとりあげるならば、かつてのいわゆる「皇国史観」のもとでの、いつかきた道をくりかえすことになりかねない。

  ブログという分量で上田史学を語るのは不可能なのでこれで閉じて、しばし手持ちの著書を読み返して楽しみたい。
 写真として掲載した著書も私の好きな本で、何よりも標題のとおり視野が格段に広い。
  ただし、上田史学の各論については納得していない箇所も少なくない。
 それでも、先に引用した姿勢など、教えられるところは非常に多い。

 戦後古代史や考古学を牽引されてきた先生方には強烈な皇国史観への反省や批判かあるが、そういう世代が順に逝かれるようでほんとうにに寂しい。
 そういう中で私が輝いて見えている学者は小笠原好彦先生で遠くなく出版されるであろう大和の古代史を楽しみにしている。

  山川も草木も人も共生のいのち輝け新しき世に 上田正昭先生がこの歌を詠まれてから10年後にフクシマの事故が起こった。

2016年3月19日土曜日

メディアは戦争に導いた

  『そして、メディアは日本を戦争に導いた』・・凄い題名の本である。
 いつもの様に、新聞の広告を見てから数日後に書店に行ったが、文春新書の書棚にそれは見つけられなかった。
 題名はあやふやだったが半藤一利、保阪正康共著であることは憶えていた。
 そこで、これまたいつもの様に検索をしてもらった。「題名は不確かだが”メディアは戦争に導いた”という感じ」「著者は半藤一利、保阪正康」「文春新書の新刊」・・・・
 で、「あります」というから「いくら探してもなかったがなあ」というと、「新刊コーナーかも」といって探しに行ってくれた。
 その答えは、文春新書とばかり思っていたが、文春文庫だった。

 さて、1ページ目の半藤氏の書き出しはこうだった。
 ・・・・・平成24年(2012)4月、自民党は他党に先駆けて条文の形で「日本国憲法改正草案」を発表した。もちろん、第9条の論外の改悪は断固として許すことはできないが、それに比敵するくらい第21条の条文には愕然となった。その後でまさしく怒り心頭に発し、それを報道しただけの新聞に罪はないのに、ビリビリ引き裂いてしまったほどとなった。
 その第1項は、いまの憲法とほとんど変わりはなく、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障」している。が、そこに付せられた第2項はいったい何たることか、とうてい黙許しがたい文言がならんでいる。写すのもけがらわしいことであるが、引用しないことには読者にはわからないゆえ、泣く泣く写すことにする。

 「2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」
 実は、この「公益及び公の秩序」の文言は、(略)要するに「権力者の利益」と同義であり、(略)そのことは昭和史にある歴史的事実が証明している。・・・・・

 このように、一般にいう左派ではない昭和史の大家二人が、近頃のジャーナリズムの堕落を昭和史に照らしながら鋭く指摘しているのである。
 参考になる箇所を引用したいが、そうすればブログの容量を大きく逸脱するし、550円+税という廉価な文庫本であるので、内容は購入して確認してもらいたい。

 ただ、昭和史にはなかった言論封殺の暴力にも触れている箇所は新鮮だった。
 それは橋下徹の朝日新聞・週刊朝日を計算ずくで狙ってやった劇場型の抗議という暴力のことで、・・・
保阪 橋下問題を通して、何かが崩れて、何かの扉が開いたという感じがします。
半藤 ・・・劇場型の抗議によって、ジャーナリズムをよろしくない形で脅かすことになったのは確かですが。
保阪 かつてのような熟成型の抗議というか、大人の社会の約束事によるケンカというか、そういう抗議が消えて、代わりに、より暴力的、劇場的なやり方をしてもいいんだという時代へと変わっていくのかもしれない。
半藤 あえて言ってしまえば、解決を求める抗議ではなく、一方的な相手を痛めつける暴力そのものに近づいてしまったなと感じます。

 ・・・などなど、ご紹介したい箇所は多いが止めておこう。
 ビール代ぐらいの文庫であるからご一読をお勧めする。
 昭和史の大家が、昭和一桁に似てきたぞ!歴史は繋がっているのだぞ!と現代人に必死に呼びかけている。

2016年3月18日金曜日

旧友再会

  1月早々に、中学校で非常に親しかった面々のミニ同窓会をした。
 私は気安さで、少し気の張りつめたこの半年だったと近況報告をした。
 変な話だが、辛さ自慢のようになってしまったみんなの苦労話で元気が貰えた。

 そのときの旧友と昨日再会した。
 彼は青春の思い出やその後の苦労の話をいっぱいしてくれた。
 遠まわしであるが私を励ましてくれている心づかいが柔らかく伝わってきた。
 同時に、文学者らしく「この頃言葉の力を深く感じるのだ」と話してくれた。
 
 さて、この歳になると、一つや二つの辛い苦労のなかった者はいないだろう。当たり前だ。
 しかし、その渦中では「自分ほど辛い境遇はない」などと人は思ったりする。
 馬鹿馬鹿しいが、そういうものである。
 振り返ってみると笑い話になるのだが。
 
 その渦中の思いを乗り越えるのは会話の力、友人の言葉を借りれば「言葉の力」ではないだろうか。
 話の内容などどうでもいい。
 友を思ってくれる言葉が力をくれるのだ。
 そういう言葉を吐ける人間になりたいとつくづく思う。

 今般の再会以外にも直接あるいはメールでなど多くの友人から言葉をもらった。 
 私はというと、どうも「言わなくっても分かるはずだ」的に照れてしまったり、自分の思いが強すぎて言葉を呑み込んでしまう。反省したいところだ。

 へんちくりんなブログになってしまったが、記録しておきたいと思った。

2016年3月17日木曜日

アイヌと縄文

  2月10日第一刷の新刊を早速買って読み始めたが、なかなか硬い本で読むのに時間がかかった。
 十分咀嚼してからブログに書こうと思い、関連しそうな縄文関係の本などを山のように積み上げたまま時間が経っている。
 現在なお未整理のままである。
 その間に朝日新聞にも著者の紹介があったし、赤旗にも大きく掲載された。
 なので少しだけ書いてみる。

  私が新聞広告でこの題名を見てすぐに購入したくなったのは、私自身、山の民とアイヌが繋がっていないかという漠とした皮膚感覚があったからだ。
  それは勉強したからというものではなくほんとうに感覚程度のものなのだが、確か飛騨の高山あたりの「博物館?」でマタギや樵の山の民の半纏のような衣装を見たとき、「これは北海道で見たアイヌの衣装と同じだ」「マタギに代表される山の民と蝦夷と呼ばれた民、そしてアイヌとは繋がっていないか」と強く印象に残ったからだった。

  また、東日本の縄文文化の色濃い囲炉裏に対して西日本のカマドとはっきりと文化が分かれているという定説?がいろんな文献に出てくるが、古都奈良の奥座敷の感がある吉野地方の旧家に囲炉裏のあるのを奈良県民俗資料館で確認して、この種の定説のあやふやさを感じていたからだった。(京都の花背もそうだ)
 つまり、ミヤコに近い吉野だが、国中(くんなか)のミヤコよりも、遠く東北まで繋がる山中(さんちゅう)だけのネットワーク、そういう文化があるのではないかと感じていた。(修験や忍者のネットワークとも言われる)

  いくらか理論的には森浩一氏がちくま新書「日本の深層文化」の中で、『日本の深層文化というと稲作文化という常識の誤りを、そして豊かな「野の文化」』を指摘されていた。
 
 まだこの論を展開できるほど頭が整理できていないが、アイヌこそが縄文人の正当な末裔で、彼らは弥生文化についてこれなかった遅れた人々ではなく、多くの条件の中から弥生の農耕文化を拒否し、狩猟と交易中心の文化を選んだ人々だったのだ。・・・との意見に頷きたい。

 そんなことを考えると、この先数年間はこのことについて本を読んだり考えたりする楽しみが増えたと喜んでいる。

 

2016年3月16日水曜日

マスコミは病んでいないか2 トランプ現象

  先日私が『トランプ現象やヨーロッパでのネオナチの台頭は他人事でなく、「貴方の不幸の原因は甘い汁を吸っている隣に居る奴らだ」と仕向けた宣伝の手法、さらには目をむいて指を振り指して、嘘や間違いでも堂々と繰り返すパフォーマンスの手法など「お維新」が全く同じことをしているし、安倍自公政権も同様だ』と話したら、『「お維新」や「自公」の主張の破綻は明らかだから恐るるに足りぬ』という反論があった。
 別に恐れるわけではないが、大阪W選挙の結果などを真剣に検討することが必要だと私は思っている。
 そこで「恐るるに足りぬ」という言葉を使ったのでは議論は発展しないと考える。
 ということに関連して『日刊ゲンダイ デジタル版』の記事に感心したので、今日は以下にフォローというか転載をしたい。

【トランプ叩けど安倍首相には弱い 大新聞が振りかざす正義
2016.03.11
《次期米大統領の椅子が現実味を帯びてきた共和党の実業家ドナルド・トランプ(69)の躍進に、日本の大新聞が異様なネガキャン報道を続けている。対日批判を繰り返すトランプに対し、日本メディアとして警戒感をあらわにするのもムリはないが、コトはそう単純じゃない。記事をよく読むと、大新聞の報道姿勢は国内向けと真逆なのだ。
 各紙のトランプ叩きが際立ったのが、序盤戦最大のヤマ場となったスーパーチューズデーの投票結果を受けた3日。掲載された記事はざっとこんな通りだった。
〈多くの国の人々が不安の目を注いでいる。トランプ氏は、米国と世界を覆う難題への冷静な取り組みではなく、むしろ、米国内外の社会の分断をあおる言動を重ねてきたからだ〉(朝日)
 トランプを躍進させた共和党の迷走についても言及。
〈同党(共和党)は(略)近年、原理主義的なキリスト教右派に加え、ブッシュ前政権をイラク戦争へ後押ししたとされるネオコン(新保守主義派)(略)などが影響力を増している〉(毎日)
 どれもこれもまっとうな批判なのだが、この指摘がそっくり当てはまるのが安倍首相だ。
 例えば、読売はトランプを〈『偉大な米国を取り戻す』といった単純なスローガンの繰り返しは、危うい大衆扇動そのものではないか〉と評していたが、2012年の総選挙で「日本を取り戻す」と訴えていたのは他ならぬ安倍首相だった。
 産経はトランプの演説スタイルを〈歯切れが良いといっても、その主張は過激、排他的で、暴言、失言を連発する〉と断じていた。これも、どこかで見たフレーズと思ったら、13年12月の衆院本会議だ。安倍内閣不信任決議案の賛成討論で、民主党議員は、デモをテロと言った石破幹事長(当時)の発言を〈暴言〉と指摘した上で、〈自分たちの考えと異なる主張の表明を、テロとする。安倍政権の独善的かつ排他的な思想が強く表れています〉と訴えていた。
 日経が取り上げた〈実現不可能に見える政策を打ち出しても世論調査の支持率で首位を保つ─―〉なんて、今の安倍政権そのもの。つまり、大新聞が懸念するトランプの危うさは安倍首相と同じ。読売は〈『反知性主義』の表れ〉とも報じていたが、これもピタリだ。
 元共同通信記者の浅野健一氏はこう言う。
「新聞のトランプ評が正しいのであれば、日本では絶対に首相にしてはいけない人が就いていることになる。国内報道と矛盾しています。しかし、そうした矛盾した報道内容であることを新聞は自覚していない。安倍政権のメディアコントロールが効いているのか、深刻な状況です」
 大新聞の正体がよくわかる》

2016年3月15日火曜日

同層生の熱い吐息

  「家族はつらいよ」は、すでにスクリーンで各種予告編などが終っていた頃に滑り込んだので客席を見廻す余裕がなかったが、スクリーンに同調する笑い声や息遣いの様子から、吉行和子演じる熟年の妻の「同層生」が多いようだった。

 セットにしても筋立てにしても台詞にしても、非常に無理がなく、そのリアルさが「怖い」ほどだった。

 主役級の蒼井優演じる次男のフィアンセが決定的な場面で橋爪功の義父に「お母さんははっきりと自分の気持ちを言ったのだから今度はお父さんがはっきり言う番よ」という場面があったが・・・、
 私に置き換えて考えても、「そうかもなあ」とはならないだろうなあという気になった。
 で、熟年の夫は決断に至るのだが・・・・、
 ストーリーは直接映画を観ていただこう。

 この家族にはある種典型的な非正規はいないし、シングルマザーもいない。
 30年ほど前に建てた家はいろんな意味で当時としては「中の上」以上に思われた。
 病気も介護も失業もとりあえずは心配なかった。
 そこがさらっとした喜劇に向いていたのかもしれないが、とはいっても企業戦士のOBとその現役(長男)がいてやはり現代ニッポン(東京)の縮図でもある。
 山田洋次監督が「東京物語」の続編と称した意図もよく解る。

 人は何故結果の解っている昨夜のナイターの新聞記事を読むのか?ということを遠い昔の機関紙学校で習ったが、「同層生」は、テレビの予告編等で十分知っている妻の台詞に、心地よい同調を求めて映画館に来たのだ。
 妻は、同年配のサークル仲間の”お茶”の席はこれと全く同じ台詞で溢れているという。
 だから、この映画を誘った我が妻も、そのことで婉曲に私に教育的指導を突き付けたに違いない。
 熟年夫婦見るべし!
 ただし、シナリオについて深く夫婦で議論しないこと。でないと、物語はスクリーンを飛び出して貴方に憑りつくかもしれない。

2016年3月14日月曜日

マスコミは病んでいないか ナベツネのことなど

 フェースブックに岡田基一氏の下記の見解がフォローされていた。
 私も同感なのでこのブログに転載してフォローすることにした。
 その「見解」にあるように、大マスコミは決して書かないだろうから「転載」に意味もあるだろう。
 氏は、ネットで検索したらメジャーな著作も多い東京高裁の裁判官らしい。
 コメントは蛇足だろう。
 以下、転載。

 高木京介という若い投手が野球賭博を認める記者会見を行った。
 その一部始終をテレビで見た私は、なんともいえないやるせない気持ちと、こみ上げる怒りを抑えることができなかった。
 これほど異様な記者会見を見た事が無い。
 記者会見を取り仕切る者もいなければ、この種の記者会見では必ず立ちあう弁護士らしき者もいない。
 突っ立ったまま、聞かれるままに、答えさせられていた。
 まるでさらし者にされているようだった。
 このような異様な記者会見をさせたものは誰か。
 いうまでもなく読売グループのドンであるナベツネこと渡辺恒雄に違いない。
 俺の顔に泥を塗ったこの野郎は、見せしめにしろ、そう命令したのだ。
 しかし、ナベツネの読売はこれで終わった。
 野球だけではない。
 まともなメディアとしてもはや存続できないだろう。
 野球賭博の背後に存在するのはこの国の組織犯罪だ。
 しかも暴力団がらみだ。
 そのことをもはや誰もが知っている。
 それを暴くのがジャーナリズムの使命であるはずなのに、みずからが関与している事を知っていながら隠ぺいし、明るみになっても、本気で膿を出そうとしなかった。
 さすがに今度ばかりは首脳そろって引責辞任の形を取らざるを得なかった。
 ならば首脳がみずから雁首を揃えて記者会見で謝罪するのが、どの大企業もやってきたことなのに、それを逃げて、投手ひとりをさらし者にした。
 組織のトップとしてあるまじき往生際の悪さだ。
 しかし、この醜態は読売の問題だけでは終わらない。
 いや、終わらせてはいけない。
 プロ野球に天下りした検察OBも同罪だ。
 天下りさせてもらった借りがあるから追及できない。
 そして大手メディアは同業者を叩けない。
 いつまでたっても暴力団を取り締まる事に出来ない警察もまた同じ穴のむじなだ。
 これを要するに、高木京介投手の記者会見は、この国の権力者たちの不誠実を見事に暴いて見せてくれた。
 権力者たちが、その悪行、失態を皆で共有し、かばい合って、最後は弱者をさらし者にして逃げようとする。
 それはまさしく今の日本の権力構造の姿だ。
 その根源こそいまの日本の政治の姿である(了)

2016年3月13日日曜日

お嫁に出した気分

  古臭い言い方だが、娘をお嫁に出したような気分になっている。
 といって、ほんとうの娘はズーッと昔にさばさばした感じで「私引っ越しします」と言って出ていったから、変なものである。

 「人形には魂が宿っている」というようなことを言う気はさらさらないが、妻の実家から贈ってもらった七段飾りの雛人形と五段飾りの五月人形は、義父母の深く大きな心が籠もっていることは確かだから、いくら子供が大きくなって、その一方場所をとるからといって生ごみと一緒には出せず、写真の新聞記事にある正暦寺の人形供養に出そうと本気で考えていた。

 人形を1年間保管するスペースもそうだが、飾ったときには一部屋がつぶれてしまうから、息子も娘も「飾るところがない」と相続放棄を宣言したのも無理もない。

 農村の旧家なら別だが、正直持て余してきた。
 大阪の人形問屋街松屋町(まっちゃまち)でも、こんな場所をとる飾りは今では全くの少数派で、たくさんの商品の中でもそれはほんの数点だ。当然だと思う。
 もちろん、都市勤労者やそのOBの友人たちも私の問いに「飾る場所がない」との返答。

  というように悩みながら「何処か貰ってくれるところはないか」と探し、地元の議員の後援会ニュースにも書いてもらったりしていたのだが・・・・。
 で、結局、その地元の議員の紹介で『けいはんな記念公園・水景園』が貰ってくれることになった。
 正確には同公園をはじめ京都府のいくらかの有名施設の『指定管理者』になっている会社なので、水景園以外に行くかもしれないが、この頃よく見かけるような多くの雛人形を大きく飾るような中の一部になる予定。「嫁ぎ先が決まれば連絡します」とのこと。

 繰り返すが、私は正暦寺行をほんとうに考えていた。
 なので結果としては一番良い形になったと喜んでいる。
 これで義父母にも顔が向けられる。
 無事お嫁に出してホッとした気分というシチュエーションは実際には知らないが、小津作品の父親はこんな気分だったのだろうと想像している。

2016年3月12日土曜日

ひとつひとつ香り始める

  秋の使者がキンモクセイなら春の使者は間違いなく沈丁花で、我が家のそれは例年より10日ほど早くやって来た。
 寒い日もあったが総じて暖冬だったことの証人だ。
 例年なら満開はお彼岸の頃で、現職の頃は人事異動で新しい業務に着くちょっとした不安の心情と重なってインプットされたので、どうも沈丁花の香りをかぐと春愁を思うのだった。

 淡き光立つ俄雨  いとし面影の沈丁花  溢るる涙の蕾から  ひとつひとつ香り始める・・はユーミンの「春よ来い」。
 
 昨日は3.11東日本大震災の日で、私がここに書いたような「今年も同じ香りが漂ってきたな」というような平穏とは程遠い人々の多さに胸が痛む。特にフクシマ。
 我が家にもいろいろあったが、基本的にはありがたい去年と同じ春が今ある。

 和名は沈香と丁字を合せたような良い香りなので沈丁花という。原産地の中国では瑞香といいおめでたい木とされているから、このブログを読んでくださった皆さんにもきっといいことがある筈。

  我が家の前を通られた方が下の水仙を見ながら「いい香りですね」と言ったりするが、いちいち「その上の沈丁花です」と訂正するのもなんなので「ええ」と相づちを打っている。
 そして、その理由は知らないが香りは夜の方が強くなる。
 なので歳時記に  くらがりに入りて道ある沈丁花 横山利子  というのを見つけて大きく頷いた。

2016年3月11日金曜日

「専門家」にまかせる卑怯

  「社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない」とは、宇沢弘文氏の有名な指摘だが、この文章の前には、「社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない」という重要な大前提がついている。

 昨日、友人が【フクシマのボランティアに努力されている料理研究家の枝元なほみさんが『専門家と呼ばれる人にどれだけ嘘つきが多いかということを3・11で学びました。でも私たちは、まだ勉強して知識をもってからでないと発言してはいけないとみなが思っているのではないでしょうか。私は、生きものとしての直感で「体に害があるのをだれか隠そうとしてない?」「この期に及んで再稼働って普通に考えておかしくない?」とみながふつう言える空気をつくっていくことが大切だと思います』と言っていた指摘は大切なことだ】と教えてくれたが同感だ。

 原発を巡る多くの裁判では「専門家が集まって安全基準を作った」「専門家がその基準に合致していると認めた」「だから再稼働しても良い」という姿勢だったように思う。それは、一見客観的なように見えて実は卑怯な責任逃れだろう。
 それに対して大津地裁は、「関電はどのように安全なのかを私が納得できるように説明しなさい」と言ったように思う。
 裁判官が原発の専門家でないことは明らかだが、そのことを卑下もせず責任逃れもしなかったところがいい。人間こうありたいものだ。

 その一方、テレビに代表されるマスコミの卑屈な姿勢はどうだ。
 「地元の経済が冷えてしまうので残念だ」という「街の声」の放映にどんなジャーリズムとしての意義があるのか。「フーゾクの取り締まりが過ぎると経済が冷える」という歓楽街の「街の声」と何の違いがあろうか。

 元に戻って、原発村は「専門家が検討した結果だ」「なにも解らぬ下々(しもじも)は裁判官を含めて黙っておれ!」という姿勢だ。
 その「嘘」にひるんではならない。
 室井佑月さんではないが「何かおかしいのではないの」と口に出す素直さが大切なように思う。
 今日は3月11日、フクシマ原発事故から5年、おかしいことはおかしいということの大切さをもう一度噛み締めたい。

2016年3月10日木曜日

明日は3.11

  9日、大津地裁は高浜原発3,4号機の運転停止を命じる仮処分を決定した。
 裁判長の良心が圧力に勝ったのだと思う。
 国民一人ひとりが見習っていいモラルの勝利だと思う。肝に銘じたい。

  さて、5年目の3.11を明日に控えて「核のゴミ」(使用済み核燃料)のことが気にかかる。

 我々の国では原発稼働から60年が経ち、これまでに約24,000トンの使用済み核燃料が発生した。
 内約7,000トンが再処理のためにイギリスとフランスに行っているので約17,000トンが現在国内にある。
 その内の約14,000トンは各原発のプールに貯蔵されており、約3,000トンは六ヶ所再処理工場にある。
 六ヶ所再処理工場は1993年から約2兆1,900億円かけて建設したもののトラブルばかりで今なお「試運転」中。
 計算上の話になるが原発を再稼働すれば後6年で全原発と六ヶ所工場のプールは満杯になる。
 さらに単純計算なら、現在ある使用済み核燃料を全量再処理すれば、10,000発の核弾頭が製造できるだけのプルトニウムができ、核拡散やテロの危険が飛躍的に拡大する。

 正直にいえば私も昔は、「原子力発電が進むと同時に最終処分の技術が開発されるだろう」と漠然と思っていた。
 しかし、60年を費やして到達した現実が以上のとおりである。
 そしてフクシマの事故が起こった。
 「40年かけて廃炉作業を完成させる」と政府は言うが、その言葉を信じるということは「歴史に学び反省する」という精神を欠いているということだと思う。 
 安倍晋三氏は「完全にコントロールされている」と大見得を切ったが、汚染水は「完全に」海に流れていると私は断言する。

 そして、昨日の記事に書いたが、年間20ミリシーベルトまでの地域の避難指示を解除するという。
 病院で、黄色地に黒で「☢危険」と表示されている放射線管理区域の38倍強の汚染度である。
 さらに断言すれば、彼らだってその危険性は判っていると思う。そして、フクシマの人々が発症するときにはオリンピックが終わっていて、かつ自分は首相等を引いた後だとすべて分かったうえでの安全宣言だと断言する。
 私の指摘が当らないことを祈るが、冷静に考えればそうなる。

 5年目の3.11がやって来る。確かに津波対策も大切だが、フクシマをあえてスルーして「復興」や「絆」や「忘れない」を言ってはいけないと思う。
 ※ 数字は全国革新懇のシンポジウムでの志位和夫氏報告から引用した。

2016年3月9日水曜日

3.11から5年

  あれから5年が経ち、5度目のあの日がやって来る。
 段々畑の石垣に見られるように、この国の先人たちは何世代にもわたり営々と田畑の開墾を進めてきた。
 それが、一瞬の原発事故により、除染と称してその表土が剥ぎ取られ、田には柳が生えて森林に戻ろうとしている。柳が生えると田づくりは無理と言われている。
 子供たちは避難地で卒業し、中学の思い出も高校の思い出もそのすべてが「仮設の思い出」になってしまった。
 これを「自然災害」と言ってはいけないと私は思う。

 「アンダーコントロール」と叫んで誘致したオリンピックが近づいてくる。
 「ボタンの掛け違え」という言葉があるが、嘘を基にした話は嘘を塗り重ねないと破綻する。なので政府は、年間20ミリシーベルトを基準に避難指示を解除しようとしている。
 ちなみに、電離放射線による白血病の労災認定基準は5ミリシーベルトである。
 ☢マークがある病院等の放射線管理区域の基準も5.2ミリシーベルト/年で、そこでは飲食や喫煙が禁止され18歳未満の作業も禁止されている。

 こういう状況を私は「棄民政策」と呼ぶが、これは根拠のないレッテル貼りだろうか。

 「原発を再稼働しないと停電が起こり、病院や介護施設で犠牲者が出る」との脅しがあったが猛暑の夏も電気は足りた。
 あとは電気代の話になるが、電気代のために避難者の発生もやむを得ないという理屈はあってはならない。
 それよりも使用済み核燃料の処理を考えると原発ほど高くつく税金の無駄遣いはない。

 そして、「基準は見直した」「その基準をすべてクリアしたから絶対に安全だ」と言って再稼働を始めた高浜原発は再三にわたってトラブルが発生して緊急停止を繰り返している。

 5度目のあの日がやって来る。「私は何を残しただろう」と後悔しないように行動しなければと思っている。
 人生で一番してはならないことは「あきらめ」と「知らぬふり」である。

 楢葉町で障害者施設の施設長をされていた早川千枝子さんは語っている。
 数十キロ離れたいわき市へ避難させられ、薬もなく避難者があふれ障害者はパニックに陥り一人が病気で亡くなった。90歳の母も4か月後に亡くなった。その後、自殺も含め8人の障害者がなくなった。一時帰宅で目にしたものは、空き巣に荒らされカビだらけになった自宅だったと。

 テレビをつけると「日本人はこんなに立派だ」という番組が目白押しだが、どこかに嘘がありませんか。

2016年3月8日火曜日

続アカは凄い

  昨日の「アカは凄い」の記事にコメントを戴いたバラやんの地域の神社の先輩役員は、「春(青)、夏(赤)、秋(黄)、冬(白)、土(黒)と覚えればよい」と教えてくれたそうだが、一般的には「春(青)、夏(赤)、中央(黄)、(白)、(黒)」と覚えるのがよいというように言われている。

 これで、青春、朱夏、白秋、玄冬となる。そして中央が土で黄。
 中央に相当するものは、)春(青)、)夏(赤)、西)秋(白)、)冬(黒)(ここは東西南北ではなく、真ん中に中央を挟んで麻雀のトンナンシャーペイ)で、この世の万物は木、火、土、金、水という5種類の元素から成り立っていると考えついた五行説の思想。

 これに高度な天文学によって星空を東西南北の4つに分け、1区ごとに7つの代表的星座を選び(これを4×7=28宿という)、ギリシャ神話の様にその形から東に龍の形、南に鳥の形、西に虎の形、北に蛇を巻つけた亀の形を見た。これが青龍、朱雀、白虎、玄武。

 「魔除け」などというと全くの迷信で検討に値しないように理解される向きもあるが、農作業にとって暦が死活問題であることが了解いただけるように、できるだけ正確にこの世の成り立ちを理解しようと、必死になって天文を観測し、抽象的な思考を深めた古人の思想がこういうものだった。
 聖徳太子の作と言われる(?)冠位12階の色もここから発展した。ただしそこでは、ことさら赤色に筆頭の位を与えてはいない。
 方角と五行の組み合わせや、それらと色の組み合わせが儒教や道教の影響を受けてその後いろいろ変化したりもしたが、ほぼ一貫して赤色(朱)はパワーのある高級な色と認識されてきたことは間違いない。

 配色の根拠のようなものは諸説あるが、青が春で萌えいずる木の色、赤が夏で火の色・太陽の色、黄が土の色というのには異論が少ない。白が金属の光る色というのもほゞ了解できる。黒が「水が暗く低いところに集まるから」というのは十分納得し難いが、「水は火を消す」という五行説からいくと消えた炭の色と解したらどうだろう。
 
 だから、単に赤米を食べていた頃が懐かしくて小豆粥を作ったのではないと私は考える。
 反対に、この思想に接して後は、赤米、さらには赤飯にパワーを感じて行事食になっていったと考えた方が妥当ではないだろうか。
 繰り返すが、前の記事に書いたとおり、赤色は「よみがえり」の色というのが最大の特徴だろう。歴史的には前後するが、還暦(*よみがえり)の赤いちゃんちゃんこと思想は同じである。
 いずれにしても、赤い朱夏は「盛り」でありパワーであると、十分白秋から玄冬に差し掛かった私はつくづく思う。

2016年3月7日月曜日

アカは凄い

  『おそれと祈り―魔除け・厄除けの民俗を中心に―』という結構充実した講演を拝聴した。講師は柳田國男の弟子だという非常にアカデミックな教授だった(孫弟子?)。 国立歴史民俗博物館教授 関沢まゆみ氏。
 いろんな事実から法則性を見つけることが学問であるとするなら、講師は、祈願の方法を大きく三つに分類し、
 ①神仏へのおまいり *神頼み 
 ②門口・入口重視
   ・貼る 飾る *防御 
   ・撒く  祓う *攘却
 ③身体に密着
   ・食する(体内に入れる) *強化
   ・身体に着ける       *防御
・・特に③が強く、全体を一言でいえば、*守る・攻める・強くする・・の三つだと話されるなど、楽しくてためになる指摘が多かった。その内容の紹介は省く。

 ただ私の感想をいえば、日本の民俗を大陸の思想と切り離して論じると議論が浅くなるように感じた。
 そういう一つに「小豆粥」がある。
 三省堂・年中行事事典のそこを引くと「小豆の赤い色はハレの日の食物のしるしである」とあるだけだし、講師は講演で「当初は豆撒きの豆のように生命力の強い大豆に力を見ていたが、さらに赤い色の小豆にすることによって邪気払いのパワーをアップした」と話した。
 で講演終了後に「なぜ赤には凄い力があると考えられたのか。儒教や道教に起因するのか」と質問すると、「柳田國男もそこは解らないと言っている。ただ赤い色を作るのは非常に困難だったからという説もある」とのことだった。

 講演の主題でもなかったし、講演後に講師と深く議論したわけでもないから、以降は私見になる。
  このブログの節分の豆撒きの考察でも述べたとおり、年中行事の多くは大陸由来の思想(宗教)にあり、同時に、それが広く長く伝わったのにはこの列島の古人の普遍的な「おそれ 願い」と結びついたからだろうと私は考えている。
 だから私はやっぱり道教を抜きにして日本の民俗を語るのは限界があるように思う。
 柳田國男、折口信夫をなぞっているだけなら「新日本風土記」で止まってしまう。新日本風土記は好きであるが。

 そこで「赤い色」に戻ると、青、赤、黄、白、黒の五色を聖なる色と考えるのは仏教にもあるが、神社にも見受けられ、文献を追えば、福永光司氏の説くとおり「周礼」等儒教の神学理論を「抱朴子」等道教の経典が発展させたものだと考えられる。
 朱雀(すざく)・朱鳥(あかみどり)が南を守るという四神図はキトラ古墳等であまりに有名であるが、赤は南であり夏(青春と白秋の間の「朱夏」)である。「朱火宮」という宮では「よみがえり」の特訓が行われると道教では説かれている。
 こうして、6世紀の「荊楚歳時記」にあるように「(太陽のよみがえりの日である)冬至に、疫鬼が赤豆を畏る」に発展し、現在の冬至の小豆粥の起源となったのだろう。小正月の小豆粥、節分のぜんざいはその発展形。
 冒頭の講演内容に当てはめれば、インフルエンザが猛威を振るったであろう冬季に「小豆粥」を体内に入れて疫病に対抗できるよう「強化」したのだ。

 さらに帰宅してから念の為、白川静先生の常用字解で『赤』という字を引くと、色の外に「手足を広げて立つ人に下から火を加える形で、穢れを祓い清める儀礼をいう」とあるから、甲骨文字の昔から、白川流に言えば「文字が世界を憶えていた」のである。先人畏るべし。

2016年3月6日日曜日

『はとぶえ』の思い出

  少し以前だが朝日新聞の夕刊に「生活綴方(つづりかた)」を全学年で10年間取り組んでいる堺市立安井小学校の話が大きく取り上げられていた。
 「綴方に熱心な学校が残っているのは非常にうれしい」という無着成恭さんの話も載っていた。
 この取り組みは児童文化誌『はとぶえ』のことだと思うのだが、どういう配慮か知らないが記事の中には『はとぶえ』の「はの字」もなかった。まあ、そんなことはどうでもよい。
 『はとぶえ』は堺の小学校の先生方の手によって発刊されている児童文化誌で、創刊はナント1951年・昭和26年、そして65年間毎月発行されている。因みに、昭和26年は無着成恭さんの『山びこ学校』が発刊された年でもある。

 いうまでもないが昭和20年の敗戦によって戦後民主主義がスタートしたが、この価値観の大転換に人々は右往左往した。特にその時代の学校の先生の様子は数々の小説等で記録されている。私が知っているのはそういう記録による。
 志賀直哉が「日本語廃止論」を唱えていたことも後に知った。
 そういう敗戦からわずか10年しか経っていない頃、私は堺市立の小学校の児童になっていた。

 で、教えてもらったのが「生活綴方」だった。当時はそんな言葉は知らなかったが。
 少なくない先生に大きな影響を受けたが、そこで私が学んだことは、口語体を文字にしろ、常套句を使うな、定型や美文調は嘘っぽい、漢字や漢文調でカッコをつけるなであった。それらは戦前の社会を支えた文化だということだった。
 お察しのとおり、そういう戦後教育の混乱の歴史の生き証人のようにして今日の私がある。
 こうして非常に文章力の低劣な現在の私があるのだが、本人はまあ、あまり悔いてはいない。

 60年ほど前に詩を度々『はとぶえ』に載せてもらい、そのときに戴いた「素直に書けてるところがええねん」という当時の先生の「褒めて伸ばす」指導に悪乗りして今に至った。
 朝日新聞の記事を読んで、懐かしい昔を思い出した。
 ただ、自分の能力や努力の足りないところを人(先生)のせいにするつもりはないが、口語体散文で60年間来たものだから、俳句や短歌にからっきし弱いというのが哀しい。

2016年3月5日土曜日

ナショナリズムとの親和性

  先日のブログで「認知症家族の監督責任」に触れてみたが、監督責任を引き受けてもらうことの方が、身近なテーマになってきた。
 写真のとおり、ここ1か月の間に同じ本を2冊買ってしまったのだ。ああ。

 で、この本のタイトルにあるナショナリズムを少し乱暴に「おらが村愛」(patria)まで含めてしまえば、以前からこのブログを読んでいただいた方にはお察しのとおり、私は結構ナショナリストでもあるように思う。

 例えば、歴史的には三重県出身かも知れないが、今では日本、・・ということは東京を代表しているような我が街のショッピングモールに「関西風の祝箸」がないことに私はすこぶる怒ってきた。
 今は退店したが以前そこに入っていた和菓子屋の月見団子も桜餅も関西風ではなかった。
 昔、大手スーパーが鶏レバーを「レバー」と表示していた頃、大阪発祥のダイエーだけは「きも」と表示していたことは有名な話だが、そんな笑い話のような気概がこのショッピングモールにはない。

  さて、先日友人たちと飲んでいたら、八尾の若ごぼうの話になり、私が「そろそろ季節やね」と言ったら大阪の二人が「シーズンは最終コーナーやで」と答えたのでびっくりした。
 私は体力維持の散歩を兼ねてショッピングモールを歩くこともあるし、趣味でもあるから春の山菜等もチェックしているが、今年は若ごぼうにはお目にかかっていなかった。
 売らないショッピングモールが悪いのか、買わない消費者が悪いのか、このように関西の文化が東京的全国版的文化に淘汰されていくのかと思うと気分が低下する。 
  そんな矢先、和歌山出身の大型スーパーに八尾の若ごぼうを見つけたのでもちろん購入した。
 ただそれだけでホッとするナショナリストである。

 八尾の若ごぼうは文句なく関西の春の季語だと思うのだが、季語のコンメンタールのようなものには載っていない。やっぱり。
 因みに、夏の季語にある「若ごぼう」はいわゆる「新ごぼう」のこと。

2016年3月4日金曜日

他人事でないトランプ現象

  観るともなく観ているテレビのひとつに「関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅」があり、EUの素朴な顔に結構驚くことがある。
 EUの主要な都市に暮す民族の多様性、そして「その山の向こうは隣国だ」という日常。
 それがEUの特殊性ではなく、驚く私が世界中では例外的な島国の住人だという、その特殊性に気付かせられたことの方に驚かされる。
 「日本人は素晴らしい」というようなテレビ番組を見て機嫌よくお酒を飲んでいる場合ではない。
 今に日本は世界から取り残されはしないかという気分に私はなっている。

 さて、移民の国アメリカでnativism(移民排斥主義)が喝采を浴びている。
 「馬鹿じゃないか」と笑ってはいられない。
 よく似たナショナリズムはEU各国でも台頭しているし、トランプ流アジテーションは昨秋の大阪でも功を奏している。
 テレビはトランプの演説に熱狂する支持者を映しているが、それはワイドショーがこぞって橋下氏の「追っかけ」と「お追従」に終始した大阪の状況と二重写しになる。

 聞くところでは、アメリカでは「広島と長崎への原爆投下で終戦が早まって良かった」という意識が今でも強く残っているという。
 となると、〝偉大なアメリカ″を掲げる大統領は「地球の平和のために」核兵器を使う可能性がある。
 私たちは「理性の敗北」「知性の敗北」の時代を迎えようとしているのだろうか。
 そういうふうに考えると、ニッポンが憲法9条を守りぬく、いかなる軍事的制裁にも参加しないと主張することは、世界史を左右するほど素晴らしいことになるかも知れない。
 話は飛躍して大きすぎるようだが、そう考えると反対に人生も楽しくなってくる。

 7月には参議院選挙がある。衆議院解散もいろいろ取りざたされている。
 軽減されない「軽減税率」、買収に似た「給付金」などに惑わされることなく、孫子のために平和な地球を残そうと私は思う。
 首長選挙ではない議員選挙で市民プラス野党の歴史的な共闘・連合が始まった。
 この時代は「まんざらでもない」。

2016年3月3日木曜日

恐竜の子孫のルリビタキ

ティラノザウルス
  孫の夏ちゃんは小さい時からカナヘビ(トカゲ)が大好きで庭先で捕まえては遊んでいた。
 その夏ちゃんが嬉しそうに恐竜のフィギアを持って我が家に来たことがある。
 ナントカケプス、カントカザウルスのように私の知らない恐竜の名前も並べた。
 福井の恐竜博物館へ行ってきたからである。
 そのお父さんである息子が言うには、恐竜の子孫がトカゲだという説はもう古く、最新の学説によれば恐竜の正当な子孫は鳥類らしい。
 なので、これまではスズメのような小鳥を怖がる人の気が知れないと思っていたが、もしかしたら巨大恐竜の足音に怯えていた哺乳類(小動物)の頃からのDNAを正当に保持している人なのかもしれない。
 私はというとそういう祖先の記憶は全くなく、特に小型の野鳥は可愛いと思っている。

 興味のない方には全くつまらない話だろうが、あんな小さくて弱々しい渡り鳥と今年も会えたりしたらそれだけで嬉しくなる。
 かつてイギリスの炭鉱では有毒ガスの検知器代わりにカナリアを連れて構内に入って行った。
 オーム真理教の事件のときに警察が同じように鳥籠を持参したときも驚きだった。
 近いとことでは『あさが来た』の加野炭礦でも鳥籠を持っていた。
 つまり、去年と同じように渡り鳥に会えるのは、北や南や周辺の大陸の環境破壊がまだ持ちこたえていることの証左でもある。相当危機的状況ではないかと想像するが。

 で、ようやく本題だが、今年はついに途絶えたかと心配していたが、いつもの林にルリビタキを見つけた時には、待ちくたびれていただけに感動した。(2013年は1月6日に、2015年は2月10日にブログに書いている)
 ♂の幼鳥らしい。撮影の前々日には♂の成鳥らしいのを見つけたが、カメラも持っておらず悔しい思いをした。♂の成鳥は背中がほんとうにルリ色だ。
 それから2回空振りをしてようやく掲載の写真が撮れた。
 ただそれだけのことだが、心に充足感が生まれている。
 さあさ、よう来た、よう来た。



 

2016年3月2日水曜日

腑に落ちる最高裁判決

 最高裁第3小法廷は3月1日、非常に腑に落ちる逆転判決をくだした。良かったと思う。
 いうまでもないが、認知症の91歳の男性が線路に立ち入り、列車にはねられて死亡した事件で、1審ではJR東海の主張を認めて85歳の妻と長男に約720万円の損害賠償を命じていて、2審では同居していた妻のみに約360万円の支払いを命じていたが、最高裁は「家族というだけでは監督義務者に当たらず監督責任は及ばない」と逆転判決をくだしたものである。

 私は仕事をしていた頃、この種の「損害賠償と監督責任」に関わる仕事にも従事していた。典型的には「子どもが自転車事故で人を怪我させた、・・場合によっては死亡させた」場合の親の監督責任で、少なくない場合は驚くほどの損害賠償が親に対して裁判所等で認定されていた。
 怖ろしいという感覚でその実態を知っていたので、自分の子どもが未成年の頃は、子どもの自転車事故の損害(加害)賠償に対応できる保険には必ず加入していた。

 というような状況だったので、1審、2審の法理も解らなくもないという感じではあったが、当該事件に関して考えれば、認知症の高齢者を介護をしている家族には一瞬の注意の隙間も許されないのか、この国の司法と行政は老々介護の悲惨な現実をすべて家族に押し付けて知らぬ顔をするのかと、あまりに悲しい気分でいた。なのでこの最高裁判決は良かったと思っている。

 で、損害賠償を提訴したのはJR東海である。
 言わずと知れた国鉄民営化で生まれた会社だ。
 よく、市場原理主義・新自由主義の信奉者は「公営事業は融通が利かず民営化すれば円滑に仕事が進む」と言うが私は賛同できない。
 旧国鉄ならこんな非情な損害賠償の提訴はしていなかったと勝手に思っている。
 こんなことをいうと信じられないかも知れないが、「公」が裁判に臨むとき、この事案を敗訴することで社会がよくなり制度が改善されるなら敗訴も「あり」とする議論もある。
 「公か民か」というような単純な議論をするつもりはないが、「公」にも柔軟な発想はあるし、「民」にも非情な杓子定規があるということを言いたいだけ。

 だから単純な「官から民へ」とか、「身を切る改革」などという三文芝居の台詞を信じるのでなく、「官にも民にも民主主義を!」求めることが大切ではないだろうか。

 確かに世の中は単純ではない。形式的に論を展開すれば、この事故で発生した損害は実際にあるだろう。それは廻り廻って運賃に跳ね返ると言われればそうかもしれない。
 だが、「ああ可哀相な事故が起こってしまった」と認め合う社会の方が文明国家ではなかろうか。
 ということで、私は今回の最高裁判決を喜びたい。

2016年3月1日火曜日

エコな買い物?

  風呂場で使える右側のシェーバーを愛用していたが、水きりの際、刃を思いっきり床?に打ちつけてしまって、ほんの少し破損させてしまった。
 ほんの少しだが網羽の破損だから顔を斬ってしまった。なので、更なる顔の傷を作る前に網羽の一部にバンドエイドを貼って対応している。
 この落語みたいな対応を自分自身で笑っているが、なんとなく気に入らない。

 なので、意を決して替え刃を買いに電化製品の量販店に行って、先ずは保証書で保証できないかと聞いたがやっぱり駄目だった。替え刃は器具本体ではなく消耗品だという。まあ仕方がない。
 なら替え刃はいくらかと尋ねると、予想どおり五千数百円だという。BRAUNの比較的新しい機種の場合は網刃と内刃がセットになった形だからこのくらいかかる。予想どおり。

 だがしかし、特価であったにしろ本体は確か六千数百円だったはずである。
 BRAUNの場合、替え刃のストックが豊富で「さすがドイツ人」と常々関心はしているが、いつも思うのだが、本体に比して替え刃の値段が高い。いくらゾーリンゲンの国だとしても。
 念のため付け加えれば、日本製のシェーバーでも五十歩百歩なのだが・・・、
 結局、替え刃は買わず、ワンランク下の左のシェーバーを三千数百円、約四千円で購入して帰ってきた。

 私は、シェーバーに関しては何代もBRAUNを愛用してきたが、そういえば以前にも替え刃を買いに行って、なんかアホなような気になって新しいシェーバーにしたことがある。
 BRAUNが悪いのか日本の量販店の料金設定が悪いのか、いつもエコのようでエコでないなあと思いながら割りきれない感情のまま今日に至っている。

 BRAUNの話ではないが、プリンターだって修理を依頼すれば一万円は下らない。そして店頭には新機種が一万円台から並んでいる。
 電気製品の修理だといっても基板をそっくり換える時代だから当たり前かもしれないが、電気製品の中を覗いて、黒くなった真空管の替えをひとつだけ買いに行った記憶が忘れられないおじさんはどうしても心の底で割り切れない。