2016年2月8日月曜日

こいつぁ 春から

  先週の日曜日に入江泰吉記念奈良市写真美術館に行ったら、ナント、その日に限って、そんなに度々あるわけでもない展示替えのための休館だった。ああ、
 昨日の日曜日に、まだ居るか居ないかは分からないがと思いつつも、ニュースで飛来が報じられていたコウノトリがいる可能性のある広大寺池に行ってみたら、住民総出で池の水を抜いて池さらいをしていて、コウノトリどころか水鳥はただの1羽も居なかった。ああ、ああ、
 こいつぁ 春から~、見事にツイていないWパンチだった。
 
 このあいだ節分のことをいろいろ書いたが、大陸由来の思想(道教・陰陽道)であったとしても、それが宮中だけでなく庶民レベルで受け入れられたのには、それだけの土台・風土があったためで、具体的なイメージは、1年で一番厳しい季節にインフルエンザのような邪鬼を怖れ、それに打ち勝とうと考えた感情と合わさった行事だろうと考えた。

 しかし、この時期の広大寺池とその周辺の水路の住民総出の大掃除を見て、そして、手向山八幡宮の豆撒き行事が『御田植え神事』であること、我が国の年中行事の多くが農耕儀礼であることなどを考え合わせると、節分行事も、いよいよ始まる春の農耕の開会式でもあるのだ、少なくともプレ・オープニングセレモニーのファンファーレの気分と重なっていないかと思い当たった。
 ひとりひとりが節分をそう理解するかしないかは別にして、いよいよ節分だ!と行事をしたくなるのではなかっただろうか。
 だからやっぱり、豆まきの「まき」は種蒔き(種播き)の「まき」で、向かう1年の農耕の予祝なのだと思い当たったのだがどうだろう。

 里山資本主義という本がベストセラーになっているし、亡・貝原兵庫県知事が「大都市は大地震に対応できない」「対応できるのは中都市農村だ」と実感を込めて語った言葉を思い出すが、我が国は農の力をもう一度見直すべきではないだろうか。
 なので農耕儀礼と重なった年中行事も大切にしたいと思うのだが如何だろう。

 節分の日は風邪をひいて来れなかった孫の夏ちゃんがやって来て、方相氏になってくれて、残しておいた豆を大きな声で庭に撒いてくれた。
 これで今春も、縁起がいいわぇ!と変わることだろう。

2 件のコメント:

  1.  以前、長谷やんのブログで「里山資本主義」という文言を見たことがあると思い捜していたところ、夏ちゃんがヒマラヤかネパール辺りの鬼のお面を着せられている所で見つけましたので、コメントさせていただきます。
     それは、『里海資本論』のタイトルの小さな本を読んだ感想です。角川新書800円(税別)の本です。職場の知人から「読んでみん」と勧められて、暇つぶしに読んでみました。今、瀬戸内海の海はすごく綺麗になっているそうです。以前の瀬戸内工業地域のヘドロと赤潮の死にかかった海とは全く違うそうです。それは、「人間が手を加え、アマモを繁殖させ、カキの浄水効果を利用して、瀬戸内海を再生させた。」という下りの本です。地球は今「核やCo2などで限界に近づいている。」と言われていますが、それらを打開するヒントがあると思いました。『SATOUMI』は既に世界共通語になっているそうです。興味のある方は是非読んでください。

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  2.  クールジャパンは少し大げさな番組ですが、各国の人が日本の魚料理、その食材、小売りまでの技術に感心していました。この列島の緯度、季節、暖流と寒流のおかげでしょう。
     それなのに、海岸を工場地帯にし、養殖に大量の餌と薬品を撒き、挙句は原発を並べたのですから悲観していましたが、バラやんのコメントを読んで考え直そうと思います。その本も買ってみます。
     日本経済、世界経済の話でも、抜本的に発想を変える必要があるように感じています。成長がなければ幸せになれないという教条を見直すべきでしょう。
     そんなことをいいながら、私は非常に人工的な街に住みながらそんなことを思うのです。ああ。

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