2016年2月26日金曜日

リゾート地 ダナン

  見るともなくテレビを見ていると、海外旅行のCMでベトナムのダナンが素晴らしいリゾート地として紹介されていた。その映像はとても美しい。事実そうなのだろう。
 しかし私などは、どうもリゾート地ダナンという響きに心がざわつく。
 どうしてもダナンというと、大規模な米軍基地、そしてテト攻勢というような言葉が先に出てくる。蛇足ながらこれはベトナム戦争の時代の話である。若い方々のために念のため・・
 このテレビCMの世界と私のようなギャップは、私たちの親の世代と私たちにもきっとあったに違いない。そういうものだろう。

 見たというよりもテレビの前を横切ったら、NHK BSの「井浦 新のアジアハイウェイを行く」がベトナム編だった。
 ほんの瞬間しか見ていないが、そのとき我々世代のベトナムの女性が、「地下壕を掘って戦ったこと、B52から雨のように爆弾が降ってきたことを・・・・若い人々は知らないし信じられないという」と述懐していた。
 私には、ええ! という感じだが、それこそがリアルな真実の姿なのだろう。

 だから、強行採決された戦争法案も、次に着手する憲法改正も、まさかこの国がほんとうに戦争をし戦死者が出る国になるとは、若い人たちが想像できないというのが普通の感覚だろうと思う。
 ちょっと寄り道を許してもらえるなら、卒業式で口元をチェックし、連戦連敗であっても不当労働行為を繰り返す首長の扇動がファシズムに結びつくことも。
 しかし歴史を冷静に振り返ってみると、我が国でも、大正時代は大正デモクラシーと言われるような様相を持っていたのだし、「まさか、まさか」と思っているうちにわずか十数年で誰も真実を口に出来ないファシズム国家になっていたのである。前の記事の加藤翁の血を吐く様な経験のように。
  
 五木寛之氏がこう語っているのを聞いて私はが~んと頭を殴られたような気がしたことがある。
 氏は、あの戦争で、良心的な人々の多くは亡くなった。だから戦地はもちろん、外地からの引揚げにしても、きれいごとではすまない修羅場を経験してきた者(100%善人とは言いきれない者)だけが生き残ったのだ。戦争を生き残った者にはそういう人には言えない黒い過去があり、故に戦後人々は戦中の経験を語らなかったのだと・・・

 氏が、戦後70年近く経って初めて満州におけるあまりに悲惨な家族の体験を語ったことは有名だが、それを単純に「ソ連兵はひどい」という言葉に済ますことなく、同じことはアジアの各地で日本兵によって行われたことだろうと昇華させて語っていることに深い理性を教えられた気がした。

 歴史に学ぶとか、語り継ぐというような言葉を我々は簡単に言うことがあるが、それはそんなに易しいことではない。私は頭を抱える。

2 件のコメント:

  1.  40代頃までは、日々の変化を自覚しないばかりか、あまりにも遅い年月の進行に、自分がいずれ老いることなど想像もできませんでした。70台を越した今は、あまりにも早い年月の進行に、自分にもかつて若い頃があったことすら思い出せないほどです。
     そんな周りの変化に流されるだけで、なすべき目標を定め、しっかりと自分の足場を築いていくことなど、できるはずがないと自嘲しながら日々を過ごしています。
     長谷やんのブログ記事を読みながら、同世代でも周りに流されることなく、自分の立ち位置ををしっかりと定めて生きる人生があることを励みにしています。
     記事中のダナンもテト攻勢も、確かに若い時代、心を震わせながら悲惨な報道を受けとめたことを思い出します。
     さてできるかどうか、もう少し頑張ってみるか。

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  2.  今日は二二六事件の日です。この歳になって初めて「それが私の生まれる僅か10年程前の話」であったことに気づいています。生まれる前の歴史を学ぶというのは難しいことです。亡くなった母親が「二二六事件のころ」を話していた時には「また昔語りか」と真剣に聞いてこなかったことを今頃反省しています。

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