2016年2月21日日曜日

時にあらずと声も立てず

 当たり前のことだが毎年同じ頃には同じようなことを考える。
 なので、この季節には『早春譜』を口ずさみたくなる。
 〽 春は名のみの風の寒さや
    谷の鶯 歌は思えど
     時にあらずと 声も立てず
      時にあらずと 声も立てず
 歌詞がいい。『夏の思い出』で有名な中田喜直の父の中田章の曲もいい。
 喜直は『早春譜』を作った父に敬意を払って春の歌は作らなかったらしい。
 その旋律を盗作したとは言わないが、森繁久彌の『知床旅情』はよく似ている。

  よく似ているといえば、鶯とメジロもよく似ている。
 ほんとうは相当違うが、普通「梅に鶯」といって描かれている絵はほとんどがメジロである。
 鶯の色はうぐいす色よりもずーっと地味である。だからウグイス餅も正しくはメジロ餅と称すべきだ。
 それに梅の季節の鶯は「笹鳴き」といって藪の中でチャッチャッと言っているだけで、ホーホケキョと鳴くのはタケノコの季節、桜の開花直前になることが多い。
 
 俳句の季語というのも門外漢には分かりにくい。
 鶯が春というのはセーフという気がするが、メジロが夏というのは私の実感からすると「?」で、冬の方が身近に感じる。
 写真のように椿に頭を突っ込み花粉まみれになっている愛嬌ある姿を考えると「春」もいい。
 
 お花見の桜を食い散らすときには困ってしまうが、ヒヨドリよりは姿が可愛いのでつい許してしまう。
 
 「鶯鳴かせたこともある」とは歳をとった女性の述懐の言葉である。
 この頃は宴会で手を叩いて唄を歌うことなど皆無になったが昔はそんな席で「真室川音頭」を歌う人がいた。
 〽 私しゃ真室川の梅の花 こーりゃ
    あなた又この街の鶯よ~
 早春譜から真室川音頭まで鶯の顔は広い。

 鶯は時にあらずと声も立てないが、安倍政権の危険性と反国民性は極まっている。
 5野党は 
 ①5野党として安保法制の廃止と集団的自衛権容認の閣議決定撤回を共通の目標とする
 ②安倍政権の打倒を目指す
 ③国政選挙で現与党およびその補完勢力を少数に追い込む
 ④国会における対応や国政選挙などのあらゆる場面でできる限りの協力を行う
 という4点の確認事項で選挙協力を行うこととなった。
 ここに至るまでの市民運動や学者たちの果たした役割は大きい。
 この上に、草の根とか裏方というような頑張りが合わさったならば、彼の地のサンダース現象以上の地殻変動も可能だろう。
 春は来ている。私はそう思う。

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